はてなキーワード: 遊園地とは
先週末は、かなり注目の配信があった。
土曜日の相羽ういはと、日曜日の桃鈴ねねの3Dお披露目である。
どちらもアイドル志向の配信者で、初の3Dで見せた「歌いながら踊る」という恐るべき離れ業が、圧巻の一言だった。
暇な人は最初の1曲だけでも構わないので、リンクをたどって視聴することをオススメする。
ご覧の通り、ういはろーは豪華ゲスト勢揃いのミュージカル仕立て、ねねちは遊園地でのソロアイドルイベント仕立ての内容。
ういはろーは体育大学の新体操専攻ですか?と言いたくなるレベルのフィジカルお化けダンス。
ねねちは楽しさいっぱいのステージで観客が元気をもらえるというアイドルの見本のようなパフォーマンス。
これだけ多くのファンを惹きつける結果になったのだから、今後はこういう「動きで魅せる3D」もどんどん出てきそうである。
30代前半である。
もう何年もいなかったのに、突然現れて、突然一緒になった。
なんて思っていた矢先、だ。
仕事に対する考え方とか、お金の使い方とか、コロナに対する意識とか。
うまくいえないけど。
出会ってわりとすぐに付き合ったので、
そういった相違を感じるようになったのは付き合ってからだ。
どちらが間違っているとかではなく、
お互いそれぞれ同じぐらいの人生を生きてきて、
一緒にいて楽しいけれど、共に暮らすとなると価値観が違いすぎるのではないかな。
常に心の奥の方でそんな風に思いながら、一緒に過ごしている。
いつかの恋人とも、そうだった。
(私にとって)悪いところについ目がいってしまうのだ。
こんな自分は心底イヤだけど、深層心理を変えるのは自分でもなかなか難しい。
付き合う前は「やさしくて、見た目が好み」だった恋人は、
付き合って数ヶ月でもはや「見た目が好みだが、社会的な価値観があわない」恋人になっている。
一緒にいて楽しくはある。
会って話しているときも、触れ合っているときも、とても心地がいい。
ただ、相手の価値観が垣間見えたとき、心地よさは途端に消える。
もちろん、相手も同じように感じている可能性も、十分あると思う。
そんな風に友人に相談したら、「別れろ」と返ってくる。
私が私の友人なら、私も「別れたら?」と言うと思う。
でも、果たしてそれでいいんだろうか。
みんな、どこで「別れる」「続ける」を判断しているんだろう。
好きなところ、イヤなところ、合わないところ、根気よく合わせられそうなところ、
なんとも思わないところ、他人同士だから、いろいろあるし、あって当然だと思う。
その上で、「ここはまだ付き合う」「これ以上は別れる」を、
みんなどこで決めているんだろう。
「史上最低の遊園地としまえん」などと中傷する画像を自らのブログに掲載していたとして、
警視庁練馬警察署は1日、37歳の会社員を偽計業務妨害の容疑で逮捕したと発表した。
練馬署によると男は画像を掲載したことは認めているものの「なぜ逮捕になるか分からない」と供述しているという。
としまえんは東京都練馬区にある遊園地で、西武グループにより1926年に営業開始。
1990年のエイプリルフールに出した新聞広告が大きな話題を呼んだこともあった。
警察の担当者は取材に対し「結果として警察の業務を妨害した以上、
偽計業務妨害罪になるのは当然のことだ」と話している。
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。
さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさらの下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件を主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公の郷田三郎が、素人探偵の明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。
二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種の研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。
同僚を殺害して、その死体を実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉に通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラムの殺人罪、所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。
明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語の主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。
併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。
そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。
彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草の遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋と活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類と通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。
彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物や時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当な場所で外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。
併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白い事件を惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。
・30歳までに結婚。
・女性なら300万円。
・共働き。
・小学生に入ったら子供を習い事を始めさせる。英語、学習塾。とりあえず何もさせないわけには行かない。
・インスタントや化学調味料はNG。子供にそんなものを食べさせるのは虐待。
・週末は子供とリクリエーション活動。夏はキャンプ。冬は遊園地。映画でもピクニックでもとりあえず週末は子供の為に生きる。
・悩みをいつも把握する。
・子供が何が好きなのかを常にチェック。
・毎日話しをする。
・高校から大学まで奨学金を取らせつつ、同居の大学で、アルバイトも経験させながら就職までは面倒を見る。
・毎月5~10万は貯金する。
・後輩はきちんとフォロー。
・夜の生活も。
・煩わしい近所付き合いもこなす。
って無理でしょ?
結局、「お金」と「時間」がネックになってるんだけれど、この2つがあまりにもタイトすぎて、結婚すべきと言われても、独身の若者が結婚できないんだよね。
もうすこし「ダメな二人が結婚してもいいよ」って社会的ハードルを下げてあげないと、誰も結婚できないんじゃないかな。
むしろ、そういう人たちのほうが案外長続きしてるよね。
児童虐待は論外としても、毎日スーパーで出来合いのものを食べさせても仕方ないし、帰省しなくてもいいし、子供に一日中ゲームさせててもいいし、子供を遊びに連れていく回数は落としてもいいんだと思う。
私はまんがの編集者やってる。
多分そこそこ有名な、作品名言えば幅広い年代の人に通じる本出してる会社。
私が担当している作品は「超有名!」って程じゃないかもしれないけど
ファンもいるし、そのジャンルが好きな人なら知ってるだろうって作品。
編集って、多分何やってんだかよくわかんない仕事の上位に入りそうな仕事だと思う。
作家の家に原稿取りに行って「できるまで帰りません!」と居座るとか
まんがの描き方は様々なので、
全部自分でネタ出してきて、描き間違いや矛盾がないか確認するだけ人もいれば
「今回はグループで遊園地に行かせたいんだけど、2人きりにするシチュエーションは何が良いかな?」とか具体的に聞いてくる人もいる。
9割ネタ出し丸投げの人もいる。
丸投げタイプも「じゃ~何しまっしょっか?」と会話をするうちにネタがまとまる人がほとんどだから、
完全な編集任せじゃないし、楽しく仕事させて頂いている(と、私は思ってる)。
メインの仕事は文字の校正とか写植の手配とか広告や記事ページを作ったりすること。
あとWEBサイトやネット公開用の漫画を整えたり、複製原画作って営業さんに渡したり販促品作ったり。
私は業務時間の8割くらい広告や記事、販促品作ってる気がする。
この仕事をしていて寂しく思う事が一つある。
本当に貰った原稿をみて興奮したり爆笑したり泣いたりしたから感想を伝えている。
わかるんだ。
私も書店さんから「今回の告知チラシ良いですね」って言われたら社交辞令半分に受け取るから。
でも私は本気で作家に「楽しみにしていました」って言ってる。
じゃなきゃ会社で貰える見本単行本とは別に自宅用に、自腹で購入しないって。
いや、わかる。他人に言われた方が嬉しいのすっごいわかる。
作家は悪くない。
でも最近悔しいから、担当作家が他社で描いてるマンガに応援のアンケートはがきを送った。
他社の単行本にAmazonでLOVEコールレビュー書いた(実際すごく面白かったから嘘じゃない)。
他社の担当さん、感想伝えてください。アンケートはがきを読むと捗るタイプの作家さんです。
今日も、表向きは真面目に数字や読者反応を考えて動ける編集者として応援して、
これ以上めんどくさいファンにならないよう、自戒と愛を込めて。
P.S すべての作家さんへ。
頼む、よく寝てよく食べて適度に運動してくれ。長生きしてくれ。
私は健康にいいむくみが取れるお茶(My担当作家の好きな物)を
という訳で、上昇婚をしました。豊かな生活を送っていますが、時々どんよりします。
まず、私がどんな環境からこの生活を手に入れたのかをお話ししましょう。
私の実家は年収が400万ないくらいの家でした。兄弟は3人、田舎にマイホームを持ち、母は専業主婦でした。この時点で顔をしかめられる方、多いと思います。そうです、ご想像の通り、この年収でこの生活は非常にカツカツだったと思います。
それでも、時々お金がなくて友達とのレクリエーション(小学校卒業記念で遊園地に行くとか)に参加できなかったこと以外はあまり不自由のない生活を送らせてもらっていたと思います。
しかしながら、大学進学についてはそうも行きませんでした。国立大学の学費すら出せない環境だったからです。私も年間の学費を調べて、年収の1/7を出してくれと言うのは狂気だなと思い、結果、自分で学費を稼ぎながら大学に通う道を選びました。なので、ある国立大学の夜間部に進学したのです。夜間部なら年間の学費が30万程度で済むので、仕送りなしで一人暮らしをしても、昼間にバイトをしながらひと月3万ずつ貯金をすれば良かったのです。家賃は4万、食費1万、水光熱費1万、携帯代だけは親に出してもらって、月10万ほど稼げれば無理なく大学に通える計算でした。月10万だと、時給850円で1日6時間週5日働けば届くので、夜間部で昼間働けるのなら無理のない数字だと思いました。実際はもうちょっと時給が高い仕事にありつけたので、もう少し余裕がありましたが。
そして、大学で出会った昼間部の先輩と卒業後に縁があり結婚して、この生活を手に入れました。
今の生活はとても豊かです。例えば、スーパーで食材を買い物する時に買いたいものの値段を見る必要がありません。大学時代は1食の予算は100円ほど、学食すらめったに使えない有様だったのにです。
周りの人々も豊かです。例えば夫の仕事関係の知り合いは、ほとんどの人が年収1000万は超えているでしょう。今住んでいる区も、平均世帯年収は900万ほどらしいです。
きっとこの先も私は豊かな人々に囲まれて生きていくのだと思います。
私の子どもも、周りの人々の子どもも、大学の学費を親に出してもらうのは当たり前だと思って生きることでしょう。それがどれほど豊かなことなのか、きっと疑問にも思わずに。
私が入った国立大学の夜間部でも、自分で学費を払うような人は稀でした。ほとんどの人は学費も一人暮らしの家賃も仕送りをしてもらって勉強していました。
だから、この国には本当に階級があったんだ、一億総中流なんて嘘だったんだ、と、時々思い出しては実感してどんよりしてしまうのです。
実家には、定年後も働く両親が残っています。兄弟もブルーカラーとして工場で働いていて、多分両親と同じような人生を送るでしょう。けれど、実家のある田舎ではそれが普通の暮らしです。きっと私がこんなことを思ってることを知ったら、ものすごく怒ると思います。
だから、もう実家にはあまり笑って帰れないのです。だけど、この豊かな世界が自分の居場所だとも思えないままです。
せめて自分の子どもにはこの気持ちをわかって欲しいと思ってしまいますが、無理でしょう。
私だけ、この違和感を抱えて生きていく。でも、この罰も今の暮らしと比べるとあまりにもささやかすぎて、やっぱり時々どんよりします。
母のママ友が言うには一家総出で週一だか月一だかで旅行やキャンプに行くらしい
正確には母は旅行好きだが独身時代に行きたい所にはだいたい行き尽くしたようだ
しかしそれは私や弟が行きたいと言った訳ではない
割引券を何かでもらい、まあこの年頃の子供なら家族で遊園地に行くのがベターだよね
なので行く。と言った感じ
正直覚えていないのでそんなに楽しくはなかったんだと思う
今では泊まりで何処かへ行くことも無く電車で行ける範囲しか行かないので父の車は田舎へ帰る時ぐらいしか乗らない
私も歳を取り今は20そこそこなので友人と遠出することも無くは無い
向こうに着いたら絶対楽しいのはわかっているのだがそれまでがめんどうだし具体的に楽しんでる自分がまったく見えない
予定を立てたり準備をしたりするのがめんどうで断ることが多い
友人達のことはそれなりに好きだが旅行じゃなくてカラオケでいいよと思う
そのため今だに私は遠出の準備ができない
携帯と財布と泊まりなら着替え以外思ってるより荷物が思いつかない
電車で1人でふらっと都会へ行くことがあるがほぼ無策なので予定を立てることも無い
遠出は出費がかさむのだ
旅行が趣味ならともかくそうでもないならわざわざする必要は無い
頻繁に家族旅行に行かないおかげで我が家は金持ちでも収入が多い訳でもゴリゴリ節約してた訳でも無いのに金に困ったことはほぼ無い(他の要因も絡んではいるが)
たまに居ないだろうか
旅行して当然でしょ的な人
家族の思い出なら月に1度チェーン店のファミレスに行くので十分
今思えば、理解のある彼女ちゃんをやっていた。まあ実の所都合のいい女だったんだけど。
元カレは人間に感情があるということを全く理解していない人で、とにかく自分が正しいと思うことをやるべきみたいな人だった。とにかくなんでもあけすけに言う彼に友達は居なかった。同じサークルの先輩や後輩、同期も彼を嫌っていた。TPOを考えて発言する、人の気持ちを考えて発言するみたいなことが本当にできない人だったので、まあそうだろうなとは思う。とにかく同じものを食べたがる人で、4年付き合ってたけど、ラーメン屋か中華料理屋かカレー屋しか行ったことがなかった。これに関して特に不満はなかったけど(行きたいお店は女友達と行けばいいし)。彼の部屋に遊びにいくと大抵ずっとプログラミングをしていて、その様子をベッドから眺めながら寝るのが好きだった。
ただ本当にその時興味のあることしかしない人だったので、当時やっていたプログラミングのバイトは頑張っていたけれど、論文の方はからきしだった。彼の修士論文の先行研究の文献はわたしが調査して集めた。あと、量的調査をするというのに調査票があまりに酷かったので、私が添削して作り直した。調査したい対象がちょっと特殊だったので、それも私の伝手を使って手配した。修士論文を書いてる期間はご飯を作って支えるなどした。
別れる時は本当に大変だったけど別れて良かったと思う。ちなみに別れたきっかけは私が卒論で忙しいということを全く理解してくれず、卒論提出日の前日に遊園地へ行こうと誘ってきたからだ(卒論提出日については3ヶ月以上前から何度も伝えており、私は大変真面目に卒論を書いているので、卒論提出前の1ヶ月は遊びに行けないと何度も伝えていた)。この人は私が好きなのではなく、支えてくれる我儘を言わない私が好きだったんだなと思った。
そんなわけで「理解のある彼女ちゃん」がいないってやつ、たぶん「都合のいい女」って言われてるだけで、数自体はすごく多いんだろうなと思う。
政府は、海外にも人気が広がるコスプレが著作権トラブルになる事態を防ぐため、ルール整備に乗りだした。利益が出た場合、著作権法との関係が曖昧なためだ。日本文化を海外に売り込むクールジャパン戦略の柱として期待しており、積極展開を後押しする。
写真をインスタグラムなど会員制交流サイト(SNS)に投稿したり、イベントで報酬を得たりすれば、著作権侵害に当たる可能性が出てくる
現状、漫画雑誌などでコスプレイヤーと表記されている人は、漫画やアニメの原作があるキャラクターの衣装を着ていない。
雑誌などで言われているのは、ウィッグ(かつら)をつけて、グラビア衣装を着ている人をコスプレイヤーと言っている。
原作がない、布面積の少ない衣装を着ているのをコスプレと言っているわけだ。
現時点でテレビや雑誌で活躍してるコスプレイヤーさんからすると、既にキャラの衣装は着ていないので規制されようが痛くはない。
じゃあ他のSNSなどに出ている人達はどうしているかというと、
① ユザワヤなどで布を購入して自分でミシンを縫う。小物を100均などで買ったものを組み合わせて作る。
② 中国で販売してる衣装を購入する。(個人輸入だったり、輸入代理など。数万する)
といった手段を取っている。
海外発信を後押しと政府は言っているが、SNSでの日本からの発信はすべてアウトということになり、海外発信はされないことになる。
新しいアニメが放送されると同時に衣装が販売され、中国在住の中国人コスプレイヤーさんはいち早く着てSNSに投稿する。
日本アニメが中国でも放送されていることもあり、日本アニメを題材にしたコスプレ衣装を摘発できるかもしれないが、
中国発の漫画やアニメの衣装を、中国でコスプレをするとなると摘発はできないだろう。
結果、中国文化となるのではないだろうか。
例えば中国だとGumroadで直接金銭を支援するといったことが行われている。
自分の知る範囲だと数万のフォロワの人で190万円/月だそうだ。(えなこさんの年収5000万には届かないが)
そうはいっても、そんな人は一部だろう。
著作料を取れればいいだろうが、利益が出ているところは払えばいいが、そうではないところから回収は難しいだろう。
コスプレイベントを開催していた、過疎化した遊園地やテーマパークもこれで閉まることになるだろう。
写真を撮っていた人が新しいカメラを買うことも減るだろう。カメラの販売台数は年々減っているがさらに減ることになる。