はてなキーワード: 進化とは
○ご飯
朝:なし。昼:ピーナッツ。カップ味噌汁。夜:ピーマン、かいわれ大根、しめじ、ベーコンの和風スープ。たまごかけうどん。バナナヨーグルト。間食:和菓子。アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやす。
これでボールを投げずにNPCからもらえるポケモン旅、NPCから交換してもらえるポケモン旅、ギャラドス短気旅、序盤ポケモン旅と4周遊んだ。
まだ満足していないので、また新しいルールを決めてポケモンを遊びたいと思う。
○ポケットモンスター緑(序盤ポケモンの旅)
シルフカンパニー、ナツメ、サカキ、チャンピオンロード、四天王、ライバルと一気に殿堂入りまでプレイして序盤ポケモンの旅はクリア。
序盤の技の少なさには苦戦させられたものの、イワヤマトンネルを抜けて選択肢が広がってからはスピードスターと空を飛ぶのタイプ一致二つでなんとかなった。
スピードスターは今回初めて旅で使ったけど、必中効果は初代ではないのは体感してから調べて知った。
飛行タイプ自体の通りの良さがあり、中盤に多い草タイプや格闘タイプに有利なのはよかった。
技の少ない初代ポケモンあるある影分身でお茶濁すは、確かに強いんだけど、これすると本当にどんなポケモンでも良いじゃん感があり程々にしたい。
タイプ一致必殺前歯は命中不安もあり、サントアンヌ号で早々にのしかかりへ変更。
タイプ一致の威力80は流石で、種族値が足りないだろう後半でもそれを意識することなく最後まで活躍させられた。
特殊技も水と氷で隙がなく、ノーマルの通りが悪い岩タイプに抜群がとれる相性補完が良き。
特に最後の四天王戦、ワタルのドラゴン軍団相手に冷凍ビームで立ち回れたのはとても良かった。
また、あなをほるも威力高いし、やたらと出てくる毒タイプに相性良しとこちらもよく使って、四つ全部無駄なく使えたのもエースっぽさだ。
最序盤に仲間になるポケモンながら、タイプ一致の高威力技と、範囲の広い相性補完技とが噛み合っていて、普通に強いポケモンだったと思った。
セキチクとグレン、グレンとマサラと水タイプ持ちトレーナーが多い後半戦に活躍してくれた。
ただ、期待してた序盤の水タイプジムリーダーのカスミ戦では耐久が足りず電気タイプらしさは出すことができなかった。
中盤、マチスから10まんボルトのわざマシン、それとタマムシで雷の石を買って進化させてからが本領発揮。
地面タイプに手も足も出ないところは、ラッタやピジョットの出番を奪わないためにあえてこうした感じ。(メガトンパンチかレベル技のスピードスター辺りを電磁波と交換した方が良かったかも)
少し前に女子アスリートの盗撮が問題になっていたけど、正直めちゃくちゃ難しい問題だと思う。
正直、どんな物でもそれに興奮する人はいる。ユニフォームの露出度が高くないスポーツでも興奮する人はいるし、股間をアップしたり赤外線で透かした写真でなくても興奮する人はいる。
体操競技では布面積の大きいユニフォームを着用する動きがあるけど、体型さえ分かれば良いという人もいるだろうし、効果は限定的な気がする。
もっと言えば男性の肉体美に興奮する人も多いと思うし、女性に限った話じゃなくなっている。
しかし、誰でも股間とかをアップされるのは嫌だろうけど、それで撮影自体を禁止するべきなのか疑問がある。カメラを向けられるだけで嫌だと感じる人もいれば、肉体美に自信を持っていて筋肉や体格を見せつけるアスリートもいる。ビーチバレーでは自信からあえて布面積の小さいユニフォームを選ぶ選手もいると聞く。
いま「私は肉体を見てほしい」と主張したら、規制の動きに冷や水を浴びせるものとして批判も受けるかもしれない。
陸上や体操がなぜ布面積が小さいかというと、筋肉や関節の動き、体型に合わせて進化した結果としか言えない。となると、布面積を大きくしてしまうと、代わりに記録が損なわれて興行としての魅力が小さくなる恐れがある。正直、女子競技は男子競技と比べて迫力に欠ける面があり、記録が後退するのはかなり痛い問題となる気がする。
そもそも体型や肉体美も重要な要素となる競技では特に競技自体の魅力に影響する。例えば体操やフィギュアスケートは手足の長さを見せられるユニフォームの方が動きが美しく感じられる、審査上も有利となる。ビーチバレーは男女問わず躍動する健康的な肉体も競技の魅力の一つに思う。
また、ビーチバレーで撮影を禁止したら人気が落ちたから一部解禁した、なんて話もあるらしい。カメラ撮影が全て性的な動機によるわけではない。海外では観客に撮影する権利が当然にあるとされているから、同じ日本国内の大会であっても国内大会は撮影禁止で国際大会は撮影OKだったりする。
アスリートを守るための規制によりスポーツの価値が損なわれたり、観客だけでなくアスリート自身も魅力を感じなくなったり、競技自体が喪失したら元も子もない。しかし当然ながら過激な盗撮魔を放置するべきではないから、絶妙な規制のあり方を検討していかないといけない。外野ではなく、競技に取り組むアスリート自身で考えていかないといけない気がする。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
過激なファンアートを「検索避け(伏せ字などを含む)」と呼ばれる手法で公開するケースがある。しかし、この方法は本当に効果的なのだろうか?
本記事では、検索エンジンの仕組みと「検索避け」の限界について解説し、情報公開における倫理的な問題について考察する。
想像してみてください。あなたが重要な機密文書を持っており、ファイル名と文書内の固有名詞を少し変えてインターネットにアップロードしたとします。
ファイル名と固有名詞が少し変わっても、内容が変わらなければ、文書は依然として機密文書のままです。
インターネットは、世界中の情報が集まる巨大な図書館と見なすことができ、検索エンジンはその図書館の賢い司書のような役割を果たします。
この「司書」は、本のタイトルだけでなく、内容や文脈を理解し、関連する情報を結びつけて、私たちが探しているものを見つけ出します。
したがって、名前を変更するだけでは検索エンジンを欺くことはできません。
検索エンジンはキーワード検索を超え、画像認識や文脈理解などの技術を活用して、関連する情報をつなぎ合わせて、目的の情報を見つけ出します。
情報を守りたい場合は、名前を変更するだけでなく、アクセス制限などの強固な保護策を講じる必要があります。
また、Twitterのような公開プラットフォームに隠したい情報をアップロードすることは、矛盾した行為です。
一般的に、公開プラットフォームにおいては、特定のコンテンツを検索エンジンから隠すための直接的な手段は限られています。
例えば、Twitterのようなプラットフォームでは、個々のユーザーがrobots.txtの設定やnoindexタグを利用してコンテンツのクローリングを制御することはできません。
公開プラットフォーム上のコンテンツは、基本的に検索エンジンによってインデックスされ、公開情報として扱われます。
近年、画像認識とAI検索技術は飛躍的に進化しており、「検索避け」の効果はさらに限定的になっています。
特に、CNNを用いた画像検索技術は、深層学習を活用して、画像内の細かな特徴まで識別することが可能です。
これにより、画像内のオブジェクトやシーンの認識、さらにはテキストの読み取りまで行えるため、
作品名やキャラクター名、一部デザインを変更したとしても、関連する過激なファンアートが検索結果に表示されることがあります。
一方で、AI検索では、Transformerアーキテクチャが主流となっており、文章全体を一度に処理することで、文脈を高度に理解することができます。
GoogleのBERTやMicrosoftのTuringモデルなどの進化したAI検索モデルは、単なるキーワード検索を超え、単語の組み合わせが表す複雑な概念や文章全体の意味を把握し、
その結果、過激なファンアートを投稿する際に、意図的に作品名やキャラクター名を避けたとしても、これらのAI検索技術により作品が特定されやすくなっています。
上記のように、現代の検索エンジンは高度な技術を駆使して情報を収集・分析しており、「検索避け」のような単純な対策では効果が期待できません。
現代の検索エンジンは、過激なファンアートを検出する一方で、高度なコンテンツフィルターを備えており、
社会倫理に反する画像を検出し、検索結果から除外する能力も持っています。
多くの公開プラットフォームでは、シャドウバンという手法を用いて特定のコンテンツの露出を抑制し、
過激なファンアートが一般ユーザーに表示されないよう努めています。
しかし、これらの技術が存在するからといって、過激なファンアートを無対策で公開することが許容されるわけではありません。
コンテンツフィルターやシャドウバンは完璧ではなく、不適切なコンテンツを完全にブロックすることはできません。
公開されるコンテンツが法的な規制や社会的な倫理に適合しているかどうかが重要であり、著作権侵害、名誉毀損、不快感を与える可能性のあるコンテンツは、
情報公開を行う際には、その影響を常に意識し、責任ある行動を取ることが求められます。
「検索避け」のような限定的な対策やコンテンツフィルターに依存するのではなく、倫理的な問題と情報管理の重要性を理解した上で、適切な判断を行うことが不可欠です。
例えば、過激なファンアートを公開する際には、その作品が特定のコミュニティ内でのみ共有されるようにクローズプラットフォームを利用する、
またはアクセスを制限するなどの措置を講じることが考えられます。
適切な情報管理とセキュリティ対策を施し、インターネット上での安全なコンテンツ共有に努めることが重要です。
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
残念でした~
『選挙に負けたとき、支持者が対立候補を揶揄するのは建設的ではなく、状況を悪化させる可能性があります。以下の理由から、候補者含めて内部の体制等の改善を促す方が妥当です。
1. **反省と改善の機会**: 選挙結果を真摯に受け止め、自分たちの活動や戦略のどこに問題があったのかを分析することが重要です。これにより、次回の選挙に向けて効果的な改善策を講じることができます。
2. **建設的な対話の促進**: 対立候補を揶揄することは対立を深め、社会的な分断を助長する可能性があります。一方で、内部改善に注力することは、より建設的な対話と協力を促進することにつながります。
3. **信頼の確立**: 支持者が冷静で前向きな対応を示すことは、候補者や政党への信頼感を高める要因となります。感情的な反応よりも、理性的なアプローチが長期的には有効です。
4. **未来志向**: 対立候補を攻撃するよりも、未来に向けたビジョンや政策を再考し、より多くの有権者にアピールできるような戦略を立てる方が有益です。
このように、選挙に負けた際には内部の体制や戦略の見直しと改善に努める方が、長期的な成功に繋がると考えられます。
選挙後の対応についての学術的な根拠は、多くの政治学や社会心理学の研究に基づいています。以下にいくつかの主要な理論と研究を紹介します。
- **説明**: 組織が失敗から学び、改善を図るプロセスを重視する理論です。失敗を分析し、戦略や行動を調整することで、将来的な成功の可能性を高めます。
- **研究例**: ArgyrisとSchön(1978)は、組織が「シングルループ学習」と「ダブルループ学習」を通じて進化することを提唱しました。特にダブルループ学習は、既存の仮定や価値観を問い直し、根本的な変革を促すことを示しています 。
- **説明**: 選挙に負けた場合、支持者や候補者が次のステップをどうするかについての合意を形成する過程を探る理論です。対立候補を揶揄するよりも、建設的なフィードバックと改善策を探ることが推奨されます。
- **研究例**: Lijphart(1999)は、選挙の敗者がどのように対応するかが、民主主義の健全さに影響を与えることを示しました 。
- **説明**: 選挙後の行動が社会的調和や対立に与える影響を探る視点です。負けた際の感情的な反応が社会的分断を助長する一方、冷静な自己反省と改善が協調を促進します。
- **研究例**: TajfelとTurner(1979)の社会的アイデンティティ理論は、グループ間の対立を減らすために、内集団の改善と建設的な行動が有効であることを示しています 。
これらの学術的な理論と研究は、選挙に負けた際の対応として、内部の体制や戦略の見直しと改善を促すことが合理的であり、長期的な成功に繋がる可能性が高いことを示しています。
---
: Argyris, C., & Schön, D. (1978). *Organizational Learning: A Theory of Action Perspective*. Reading, MA: Addison-Wesley.
: Argyris, C., & Schön, D. (1996). *Organizational Learning II: Theory, Method, and Practice*. Reading, MA: Addison-Wesley.
: Lijphart, A. (1999). *Patterns of Democracy: Government Forms and Performance in Thirty-Six Countries*. Yale University Press.
: Tajfel, H., & Turner, J. C. (1979). *An Integrative Theory of Intergroup Conflict*. In W. G. Austin & S. Worchel (Eds.), *The Social Psychology of Intergroup Relations* (pp. 33-47). Monterey, CA: Brooks/Cole.
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受精卵ぐらい(遺伝子)の状態である程度本能的なもの、性格の傾向は決まってて、
あとは、育ちながらの経験、つまりは環境で、体(もちろん脳含め)も成長してくし、記憶や知識も蓄積されていく
割合はわからんが、常識とか倫理道徳あたりの価値観みたいなのは後天的なのでめちゃくちゃ変わると思う
道端で自由に唾を吐けるメリットと、その行為で失うものを秤にかけてやるやらんを決めてるんだと今は理解してる
進化の過程で唾を吐くことがよほど生存(子孫を作ること)に関わってなければどうしても唾を吐きたい本能は残っていかないだろうし
縄張り争いに有利とか、唾を吐けるぐらいの反骨心? みたいなのが他でも有利に働く社会もあって残ってるんだろうし(少し前の日本でもそれぐらいの荒さ? あったほうが強かった。今も若干はそう)
人種というか民族的な部分でどこまで差が出てるかの研究とか調査あるのかな
AI プログラマーです。答えは、AGI がどのようなものになるかは誰にもわかりませんが、懸念すべき理由はあります。
AI は通常、目的関数を達成するための新しい方法を発見しますが、それはあなたが考えていたものではなく、望んでいたものでもないかもしれません。
AI はビデオ ゲームの不具合を見つけてそれを利用し、コンピューター プログラムであるため、プレイするゲームが何であるか、不具合が何であるかを知りませんし、気にもしません。
AI は、与えられた報酬関数を最適化しているだけです。これは「社会病質的」と呼ばれることもありますが、もちろん擬人化です。AI は機械であり、それがすべてです。
AI が人間の道徳に従うことは期待できません。なぜなら、人間の道徳は明示的にエンコードに書き込まれていないからです。
実際、機械学習のポイントは、正確なオブジェクト認識 (つまり、猫と猫のように見える影を区別する) に必要な 100 万のエッジ ケースを明示的にプログラムしたくないという ことです。
機械知能に関して言えば、危険なレベルの能力を持つ機械を作ったことに気付いたときには、もう手遅れかもしれないという問題があります。
ミサイルで爆破できる 1950 年代の殺人ロボットではありません。おそらく自己複製型のマルウェアで、(意図的なプログラミングによって、またはそのような状態に陥ったために)進化を制御でき、人間が駆除するよりも速く新しい形態をとる可能性があります。
重要なシステムでほとんどの場合は無害に実行されるが、時折フィッシング メールを送信したり、公務員を脅迫したりするプログラムが存在するでしょう。それらは重要なシステムに埋め込まれているため、取り除くことはできず、巻き添え被害が多すぎます。
ヘッジファンドやプライベートエクイティ会社が AGI にアクセスでき、それに「方法は気にしないが、24 時間以内に 10 億ドル稼いでほしい」と伝えたとしよう。
結果はおそらくひどいものになるだろう。そのくらいの金額を稼ぐ方法はたくさんあり、社会に多大な損害を与える。そして、害を及ぼさずにその目標を達成する方法はおそらくない。
AGI はどうするだろうか。人間がすることと同じだ。楽な道を選ぶ。ただし、人間には羞恥心があり、投獄や死を恐れる。アルゴリズムにはそれがない。プット オプションを購入してから 15 秒後に原子炉を爆破する。
人々を脅迫して、そうでなければしなかったような決断をさせる。さらに、ヘッジファンド マネージャーにはもっともらしい否認の余地がある。
彼は、アルゴリズムにこれらの恐ろしいことをするように頼んだのではなく、単に 24 時間以内に 10 億ドル稼いでほしいと頼んだだけなので、自分は罪を問われないと主張することができる。そして、アルゴリズムを投獄することはできない。
AGI が実現した場合、その結果は完全に予測不可能です。なぜなら、機械は制御しようとする私たちの試みを凌駕するからです。なぜなら、(繰り返しになりますが) 機械は私たちが望んだことではなく、プログラムされたことを実行するからです。これには機械が意識を持つ必要はなく、それは直交する問題です。明らかに意識を持たない機械は、複雑なボード ゲームで私たちを出し抜くことができ、今では説得力のある自然言語を生成できます。
この中で最も重要な部分は「ヘッジファンドマネージャーの場合」です。
最大のリスクは、これが商業化され、訓練を受けていないオペレーターが利用できるようになることです。
すでに、人々が簡単に安全対策を回避しているのを目にしてきました。
AGI を作成した場合、それは製品になります。ユーザーは専門家ではありません。AGI はパワーを持ち (特に IoT とクラウド ネットワーキングでは、すべてが「スマート デバイス」になり、インターネット全体が基本的に AWS という中央ネットワークで実行されます)、倫理的な取り扱いではなく、利益を目的とする人々の手に渡ります。事前に実装されたすべての制約は、エンド ユーザーがどのように使用/誤用するかを考慮できないため、現実世界では生き残れません。ChatGPT の制約と同様に、私たちは常に追いつく必要があります。どんなに馬鹿でも使えるようにしようとしても、彼らは常により優れた馬鹿を作ります。
本質的には人間こそが大きな問題です。AI は想像できる最も賢いバカです。目標を達成するためにあらゆる方法を見つけますが、文脈や倫理的、文化的、その他の制約についてはまったく理解していません。マシンガンを持った猿です。
消費者の手に渡った強力なテクノロジーがいかに危険であるかの例として、この世界でいまだに火が使われていることを見てみましょう。場所によっては調理に、またエネルギーとして利用されています。しかし、いまだに人々は自爆したり、家を燃やしたりしています。
火は強力ですが、社会的または倫理的な制約を気にしません。そのため、ユーザーは家を全焼させることなく望みどおりの結果を得るために、火の取り扱い方を知っておく必要があります。どの病院にも「火傷病棟」があります。あなたも火傷を負ったことがあるでしょう。一般消費者向けの消火ツールによって大規模な被害をもたらす森林火災もあります。
世界中のあらゆる電子機器に接続されている神レベルのバカを想像してみてください。
さらに、IoT とネットワーク関連の問題では、現在のセキュリティ対策は通常、遡及的で、人間の対策に基づいています。AI は、必要な場合や要求の一部である場合に、セキュリティ対策を侵害するためのより優れた、より迅速な方法を見つけます。安全なものなどありません。