はてなキーワード: 車掌とは
いや、違うと思う。
例のブコメで何人もが言っていたが、意図も意識も無意識も関係ない。
意図なくして差別に加担してしまうことは、あると思う。それはあくまでも、行為や言動を受ける側の目線の上にある。
私は意図なく差別発言をしたことがある。在日コリアンの友人にそれを指摘された。
友人のことを信頼していたし、好きだったし、彼女のバックグラウンドは彼女の個性の一部と感じていた。
それでも、私は彼女にとっては背筋にヒヤッとした感覚を起こす発言をしてしまったのだ。歴史や文化に無知だったばかりに。
そのときは「知らなかったんだ!」と心から思ったし、彼女にそれを伝えて謝ったけれど。
意図なくして、好意を抱く人に対してでさえ、不快な思いをさせてしまったという自責の念は強烈で、それ以降、自分の他者への視線に注意を払うようになった。
私は率直に指摘してくれた彼女に、本当に感謝している。同じ間違いをしなくてよくなったから。
だからといって、顔の見えない不特定多数の他者のために常に勉強してスキのない言動をこころがけるなんてことは、日本の日常生活では無理かもしれない。
かつての私のように身近な人との関係をよりよくする必要があれば、その努力を行うべきだと思う。
でもそうではない場合、差別的とみなされる最低限のところには配慮をすべきで、電車のアナウンスのような公的な空間ではクリアされるべき課題だった。
それができない事態があった。その場合、車掌を吊るし上げるのはおかしい。南海電車がこれを糧に社内に周知すればいい。
南海は「車掌に口頭注意した」とされているが、もう少し踏み込んで国際空港と大阪中心部をつなぐ路線を運用する会社として、社内教育の一助としてほしいと個人的には思う。
そもそもの発端になった「外国人が多くて迷惑」とクレームを入れたと言われる男性のような人がいる限り、指摘することは重要ではないか。
あなたにその意図はなくても、それは差別的とみなされる行為です。お互いにとって気持ちの良い空間にするために、違う言葉を選び、より良いふるまいをしてみませんか?と。
南海電鉄の車掌には、差別の意図は一切なかったと思うし、これを差別だと宣う連中は反差別運動の価値を毀損するとすら思う。
なんでもかんでも差別だと叫ぶことで得られるのは、一般の人の呆れだけだ。
http://mainichi.jp/articles/20161011/k00/00m/040/058000c
そんな、なんでもかんでも差別にしなくては気が済まない、自分では考えられない悪い連中のために
これらの要因が組み合わさった結果として、例のコメントになったことは想像に難くない
日本で生活していたら、ポジティブな場面でもネガティブな場面でも、外人という単語を耳にしない事はないし
それが差別用語になるという共通認識は、日本社会には徹底されていない。外人という一語をもって差別というのは早計すぎる。
現段階では啓蒙を行うと同時に、使われた場合にはその背景を鑑みて批判を加えるべきだ
その為、外国人旅行客に過不足なく丁寧なコメントで注意をアナウンスする自信がなかった、という事は十分に想像できる。
そこへヒステリーな客によるクレームが殺到していたとすると、英語でアナウンスが出来ないから、
まず日本人向けに注意喚起と協力を頼もうとした事も容易に想像できるはずだ。
日本人のお客様にお願い申し上げます。本日は、大きな荷物をお持ちの外人旅行者に、多数、ご利用いただいております。
混雑の折、ご出勤・ご通学の皆さまには大変ご不便をおかけしておりますが、皆さまお譲り合って、ご利用いただきますようお願い申し上げます。
と言うようなコメントになった事は、まともな頭があれば理解できる。差別の意図なんてなかっただろう。
例え英語が流暢でなくても、十分に冷静であれば
恥ずかしなら、英語で正確なアナウンスをする自信がございませんので、まず日本語の分かるお客様にお願い申し上げます。
本日は、大きな荷物をお持ちの旅行者に、多数、ご利用いただいております。
混雑の折、ご出勤・ご通学の皆さまには大変ご不便をおかけしておりますが、皆さまお譲り合って、
とアナウンスした後に、下手な英語でコメントすれば、笑われる事で和む位の効果はあったかもしれない。
”外人客”と日本人客を敢えて区別する時、言語の背景と同時に、鉄道職員として
長旅を終えてこれから帰国しようとする、外国人旅行者に最後のもてなしとして
そこにPCを声高に唱える阿呆が、お前もお前の会社も差別主義者である、と叫べば社会のリアクションは悲しいものになる
なんかおかしい。
わかるよ、ネットニュースでしか見てないけれど、電車が止まったかなにかで客にクレームつけられたかなんかした車掌さんが制服脱ぎ捨てて、線路に飛び降りて、それがテレビでは奇行として笑われているらしい、それに対してネットでは「車掌さんは悪くない」気運が盛り上がっているのは。知ってるし、車掌さんお気の毒やなあと思うし、笑いごとじゃないよなあとも思う。
けどさ、どうして会社に嘆願書を出すの。「処分じゃなくて心のケアをしてくれ」って会社にお願いしてどうするの。それは新しいクレームなんじゃないの。
近鉄からのなんらかの反応を期待してるわけでしょ、この動き。それは、あまりにも勝手すぎるんじゃないの。社員の処遇について、外野がどうこう言うことはおかしいんじゃないの。善意だからって、勝手に突き進んでいいわけじゃない。
なんでいま「車掌さん守れ」って会社に文句言うほうにみんな向いてるかっていうと、クレーマーが誰かわからないからでしょう。もし、この「数人から暴言を浴びせられていた」とされる「数人」が誰だか特定されていたら、その人たちが血祭りにあげられていたでしょうね。
この一連の出来事(人身事故→電車止まる→客怒る→車掌さん飛び降りる→テレビで笑われてるらしい)は、たしかに感情をゆさぶってくる。クレーマー最低、そんなのに詰め寄られたら地獄、それを笑いものにするワイドショー低俗、満員電車に乗らなければいけない働き方がおかしい、いやそもそも消費者が王様になってる今の日本は変だ、とか、いっぱい思いが湧いてくる。
でもさ、そのいやーな思いをさ、誰でもいいから顔が見えている登場人物にぶつけて、手っ取り早く解消しようとするのは違うよ。たとえば、この署名活動が無事実ってさ、「車掌は悪くありませんでした、彼のケアにあたります」ってことになって、なにになる?「『悪質なクレーム行為から職員(大切な社員)を守る』といった強い態度」が見られれば、クレーマー減るとでも思ってるのかしら。車掌さんよかったね、ってほっとするのかしら。
違うでしょうが。「クレーマーに傷つけられた社員を守るよう、会社にお願いする」ことでは何も変わらないんだって。これがもし「クレーマーに困っている駅員さんがいたら、代わりに話を聞いてあげましょうキャンペーン」とかならわかる。実際にクレームが発生したその場で、問題をなるべく小さくしようとしたい、という思いならとてもいいんじゃないかと思う。
けど、このキャンペーン、結局自分は名前を書くだけで何もしないで、「この人かわいそー、よろしくー」って言ってるだけに見える。そういう人たちが5万人いるように見える。たとえば明日会社から帰るとき、駅でよっぱらいが駅員さんにからんでて、そこに割ってはいって「なあなあおっちゃん、ちょっと飲みすぎやで水買うてくるからそこ座っとき」って言える人が5万人いたら、状況は違ってたはずだ。
なにか不都合なことを見つけたときに、「せんせー、すずきくんがザリガニいじめてまーす」って言いつけるところから変わらなきゃいけないと思うのよ。
自分じゃないえらい人がどうにかしてくれるから、自分は何もしなくていい、ってそのままだとできることが署名集めることになっちゃう。学級会じゃないそれ。「そういうことはしちゃいけないとみんなおもってます」って。
たぶん署名に参加した人たち、ただ、腹立つし、なんかやだから、できそうなことをしたくて、ここに名前書いたんでしょう。クレーマーを特定して叩きまくるのでもいいし、車掌さんを笑い者にしたテレビのコメンテーターを袋叩きにするのでもいいし、なんでもよかったけど、「車掌を守れ」っていうのは善意っぽいし、これなら胸張ってできるしって。
何かで読んだけど、「火事だ!」の一言で、善意の人たちがバケツを持って押し寄せてきて、家に水かけて、水浸しにするっていうイメージのとおりだ。その「火事だ!」は誰が言ったのかもわからなければ、ほんとかどうかもわからない。火事らしいという噂だけが広まって、言い出しっぺはどこかへまぎれて、バケツの人たちが帰っていったら、最後はたぶん、家を水浸しにされて立ち尽くす住人だけが残されるんだろう。
罵倒された結果感情的になった事と、感情的になった結果キチ行為をした事は別の問題。
子供の頃居ただろ?
周りから責められると奇声を上げて自分の頭掻きむしったり、自分のノート破りだしたり、
「何でボクばっかり!ああーー!もう嫌だー!あー!」って悲劇の主人公モードに入っちゃう奴、
この車掌がまさにそれだ
乗客から罵倒されたのは同情に値するし、人間である以上感情的になってしまう事があるのは仕方が無い
全裸になってウンコ撒き散らしだったかもしれないし、ションベン漏らしながら全力疾走だったかもしれない、
ひょっとしたらクレーマーの乗客を刺したかもしれない、まあこういうタイプは他人を攻撃する度胸が無いからそこまではしないだろうけどさw