はてなキーワード: 車掌とは
電車で騒ぐ子供というTwitterの話で思い出したので書く。
(内容的には全く関係ない。)
割と旅行好きなんだが俺が乗った電車で一番ファンキーだったのはコロンビアのメデジンに行った時に乗った電車。
厳密に言うとメトロなんだが。
・物売り…これはどこの国でも割といるが、メデジンの物売りは食い物からイヤホン、スマホケース、なにかのピンバッジまでとにかく色んな種類の物売りが乗ってくる。
・カラオケ屋…カラオケ屋は、でかいカラオケセットみたいなのを抱えてやってきて大音量で歌う。ラジカセを担いできて大音量で音楽を流すだけのやつもいる。歌ったあとはチップを求める。
演説屋…演説屋は主にバスで見かけるが、いわゆるバスガイドポジションに陣取って政治演説を行う。運がいい?と一人終わったら次のやつという具合で入れ代わり立ち代わり演説する。チップを求めるやつと求めないやつがいる。演説のために乗ってるのか移動のついでに演説するのかは謎。
腹筋屋…なぜか車内で腹筋をしまくる。終わったらチップを求める。亜種として腹パンチ屋(自分の腹を殴る)などがいる。もちろん上半身裸。
門番…いわゆるドア横の門番ポジに陣取ってドアが開くたびに扉から乗り出して車掌のように左右を見回して安全確認をする。完全に乗り降りの邪魔。10代〜20代くらいでヤンチャしてそうな若者が多い。一車両に2人くらい必ず発生する。
ちなみにメデジンといえばパブロ・ エスコバルのメデジンカルテルがあったことで有名だが、様々な施策によって現在の治安はそれなりに安定している。(といっても何年か前に日本人が殺されたりしてるが。)
モノレールでスラム街にアクセスできたり、美人大国コロンビアの中でも特に美人が多いと有名であったり、見所満載なので、旅好きの方にはオススメである。
背もたれには四角形で作られたような模様が等間隔に7個並んでいて、7人掛けだろうとわかる。そして模様と模様の間にえらっそうに座るオッサン、お前は何をやってもだめだ。お前のせいで6人掛けになっている。おっさんが2人いると5人掛けになる。仕事で疲れてんのかもしれねーが頭ん中空っぽ過ぎやしねーか。周りを見ろ。
どんなものか気になる方は「仙石線 車両」とでも検索していただければいい。緑色の座席のやつだ。
近所の別路線の列車には2人掛けの座席もある。これは明らかに誰が見ても2人掛けだ。そしてそこに中心寄りに座るオッサン。お前も何をやってもだめだ。俺が腰掛けても寄りやしねえ。足があたってんだよ。お前も気付いてんだろ、足広げやがって。もっと詰めれるだろ。やんわりと伝えると無言で寄った。謝れねえのか最近のオッサンは。
オッサンばかり攻撃したが学生も大概だぞ。満員電車ではリュックを前掛けしろよ。テメーに圧迫される筋合いはねえ。高校生、部活で頑張ってんのかもしれねーがそのクソでかいスポーツ用リュックは俺を圧殺してんだよ。
群れた大学生、ドアの前で溜まるな。中ほどまで進めっていう車掌のアナウンス聞こえないんか。お前らのせいで無駄に満員電車だよ。
とにかくだな、公共性の高い場所では周りを見てくれ。スマホから、たまにでいいから頭を上げろ。乗ったときには少なくても、そのうち人が増えてくるかもしれない。座ったときはいなくても、ふと顔を上げた瞬間にそこにはテメーの席を必要とする人が目の前にいるかもしれないんだぞ。
車掌は僕だ かとおもったが違った
あれで外国人に通じると思ってるの?
外国人に通じない、日本人には意味がない、じゃあもうその「ざれふとさいどどあーずうぃるおーぷん」を言ってる時間と電力と舌の筋肉は車掌が恥をさらすだけに使われてるってことじゃん
疑う人が多いので、証拠。
https://www.asahi.com/articles/ASM2551VNM25PLFA008.html
あと、同じように思ってる人たちの声。検索したらいっぱい出てくる。
https://blogs.yahoo.co.jp/hatch_y1/65985774.html (コメント欄)
https://twitter.com/WAIBOY1/status/1131154337202262016
https://twitter.com/45QZmRBy3x1w2ON/status/1137188267760074752
以下、会社によってボタンの仕組みも仕様も違うと思うので、話半分で聞いてください。
元増田 anond:20190531004308 はいくつかの論点を含んでいるようですが、特に整理せず思いついた順に書いてきます。
押すべきボタンはどれか
さらに今回のように「駅についた」タイミングだったら、それでもまずは電車内のボタンを探すことが正しいのでしょうか。ホームにある方のボタンはとにかく「列車非常停止ボタン」と呼ばれる、全線に連絡が行って前後の電車まで止まるタイプと読むと、よっぽどヤバい時しか押しちゃダメなんじゃないかと躊躇してしまいました。
車内のボタンが車掌との通話用、ホームのボタンが周辺数km圏内にいる列車をすべて停止させる信号を出すものです。
ホームのボタンがそのようになっている理由は、ホームからの転落やお客様との接触の場合、並行路線の列車が来ると2次的な被害を生む可能性があるためです。
逆に、車内でトラブルが起きても基本的には他の列車には何の影響もないので、周辺の列車を停止させることはありません。
……とか言っておいてなんですが、実はその仕様は会社によって違っています。
少し古い記事ですが、
https://toyokeizai.net/articles/-/125705?page=2
によれば、どちらかというと車内のボタンは少なくとも次駅までは走行する例が多いです。今回の解説でもそのタイプの会社の場合だと思ってください。
ホームのボタンは例外なく周囲の列車まで止めるものだと思います。
ボタンの仕様について整理したところで、増田の問い(押すべきボタンは)をひとまず棚上げして次に進みます。
症状にもよりますが、周囲の乗客が急病人を列車から降ろすのも手だと考えます。理由は増田が言及する通り、特に混雑時間帯は駅員を捕まえることが困難なことが多いからです。
その場合、マゴマゴしているうちに列車が発車してしまう可能性も十分にあります。そうなるよりは、まずホームに降ろす、というのもありかな、と。
ただし、繰り返しになりますが症状によってはむやみに動かすとよくないものもあるでしょうし、そこは難しいところかもしれません。
意識はある、頭は打ってないのような条件付きになるかもしれません。
急病人救護で避けたいのは、誰かが異常を伝えようとしている間に列車が出発することであることは前に述べました。
皆さん急病人を発見すると駅員に伝えようとする傾向にありますが、実際のところ最も先に異常を知らせるべきなのは(効果的なのは)車掌です。
理由は、仮に皆さんがその辺の駅員を捕まえて「そこに急病人がいるんです!」……と言っている間にドアが閉まり、車掌が発車合図を出すと列車が動き出すからです。
当たり前ですが、少なくともわが国においてはドアが閉まらなければ列車が動くことはありません。よってドアを閉める車掌が文字通りキーを握っているわけです。
ホームにあるボタンではなく車内の連絡用ボタンです。ここまでくれば理由は明白と思いますが、車掌にダイレクトにコンタクトできる数少ない手段だからです。
車掌に「〇号車に急病人がいる」旨を伝えれば、少なくとも発車を待ってくれるし、業務放送で駅員を呼んだりできるので、旅客が駅員を探しに行くより早いことが多いように思います。
一方、ホーム上の非常停止ボタンは、元増田はご存じと思いますが、けたたましい警報音が鳴り、周囲の列車が止まります。
そこで駅員としては、まず押下された非常ボタンの元に急行し、押した人から話を聞き、運行に異常がなければボタンを復帰し、関係ない車両を運転再開させる手続きを取ることになります。
急病人救護という観点からどちらがシンプルかというと、まあ車内のボタンのほうがスムーズでしょう。
手信号ってお前、わかるわけないだろ、というご指摘は尤もです。
しかし、鉄道業界においては、手信号とまでは言わずとも、手を大きく振るということは何かを伝える、もっと言うと何か異常が発生していることを伝える手段になり得ます。
満員で車内通話ボタンにまでたどり着けない、近くに駅員もいないというとき、車掌が「ドアを閉めます」とか言い出したらドアから身を乗り出して大きく手を振るというのも一つの手段ではないでしょうか。
基本的に列車発車時には、安全にドアを閉めるため車掌や駅員が目視またはカメラを使い死角が生まれないよう監視をしています。
そこで何か大きく手を振り続けているお客様がいれば、少なくとも何かが起こったものと判断することは容易です。
とまあ、小難しいことを言っても仕方がないのも事実。
泡吹いて倒れている人を前に常に冷静でいられるとも限りません。
ベストな手段でなくとも、結果的に人命を救うことになるのであれば、どのボタンだろうが躊躇なく押してよいと思います。
というのが多分、会社のオフィシャルな回答になるんだと思いますが、まあ正直、現場からすると非常停止ボタンが押されるとホゲエエエエエエエエエエエですね。
意識不明とかならまだしも、吐き気がするくらいで押されるとイラッとすることもあります、正直。人間だもの。
2chの荒らしとか、増田のキチガイとか、ニコニコに消される動画貼る奴とかさ。それぞれサイトごとジャンルごとに1人2人くらいずついるよなーみたいな印象あるじゃん?
某所で匿名セルフ車掌系つついたら全然別のとこで爆発してるの見ちゃってさ。あーこいつ同一人物だわってのが分かっちゃってさ。
アカウント制SNSのキチガイ中高生は本当に一杯いて次々供給されるけど、昔ながらの完全匿名制のサイトで浮いてる真性のキチガイって日本に数十人とかのレベルでしか存在しないんだなって。ppmとかppb単位の害悪が大量の被害を撒き散らしてて、かつ被害の量がシャレにならないんだなって思った。ppbレベルでも健康被害起こす毒物ってあるもんな。
だからその友達を20世紀少年すればいいんじゃないかな? って思うんだけど、それはナチがもうやってダメだったからダメなんだよな。
作品全体が好評価になるのを見越してこの手法をとったのでは。悪印象を挽回できるほど全体が良ければこの手法は機能するわけですよね。
作品全体が好評価の場合でも、「提示だけして居心地を悪く」せず、普通にテーマとして物語に組み込んで完成させたほうが、よほど影響が強くなるかと。
この件については反証する方法があります。制作サイドの人間の”動物ファースト”的でない行動・言動が確認できたなら、作品に善意を載せた可能性を否定できるでしょう。
商業作品として製作・発表されたものが商業目的じゃないと主張する場合、商業目的じゃないと主張する側が証明をする必要があるでしょう。別に反証する必要は特にないです。
「動くものは何でも襲ってくるぞ!」とゴリラが言っています。キュルルちゃん(とかばんさん)はボート上でそれに気づき、動かなかったんでしょう。
皆さん言ってらっしゃる「セルリアンに、けしかける」ですが、けしかけたと取れるシーンは実はありませんよね。ホテルに飛び移るビーストを二人の力では止められないでしょう。探さなかったのはビーストはボートまで跳躍できる膂力があったので、ホテルからも逃げられると踏んだのもあるのでは。
仮に、ビーストがセルリアンのいた場所に勝手についてきたというのなら、キュルルの決断・行動としてのドラマは無いですね。セルリアンがいる場所と知っててビーストを連れてきたのなら、それは、けしかけたのと同じです。いずれにせよ、それが示される必要があります。
ええ、データとして客観的に立証したことではないので、私の意見として受け取っていただければ。とはいえ、「初見で面白さがわからないものを何度も見返す人が少数派」というのは、視聴率やらソシャゲの離脱ポイントやらでデータは取られてると思いますよ。
ただただ悲しい派・このような扱いにした制作を許せない派 もいらっしゃいました。集計をとったわけではないので比率がどうかは不明です。「他のキャラなりに、うながさせるとか方法はいくらでもあるのです。」なるほど。カラカルに「ほら、この子にお礼言いなさいよ」とか言わせたら、確かに印象はずっと良くなりますね… ただ俺はキュルルちゃんの落下のためにああでなければの立場ですので。
わざわざキュルルちゃんに悪印象をつけるのは、悪手である、というのは、先に書いた通りです。
いわゆるご都合ですね。ご都合を全く消すことはできなくても、気にならない範囲まで減らしたり、理由をつけたりすることはできます。それが脚本の腕ですね。
http://irodorich.com/archives/6780
わかばが、あそこにいた原因としては、こういう説があります。湖の水を根こそぎ吸い込んだのなら、種が出てくるのは必然でしょう。
いえもちろん、偶然によらないイベントを用意したり他の流れと同じ原因から始まる必然的結果にするのは不可能ではないでしょう。その意味でリソースが潤沢にあれば、と申しました。
まぁそうですね。フィクションでない作品を目指したのでなくて、単に技量の問題でしょう。ただドラマからご都合を排除するのは悪いことじゃないのですが、排除しようとした結果、ドラマが消化不良になったら、それは本末転倒というものです。制作者は「多少のご都合で盛り上がるよりも、ご都合をできる限り排除して、特に盛り上がらないドラマを作りたかった」のか、というと、私はそうでないと思います。
売り言葉に買い言葉になってしまいますが… けもフレ1の最終戦でのフレンズ同士の交流はそれほど高質でしたか。主人公勢以外での話です。けもフレ2で多かったのはそちらなので。
けも1ラストのフレンズのセリフは、これまでのエピソードを想起させる形で、それぞれのフレンズが、それぞれの得意技を生かして戦うというもので、非常に高質でした。「交流」ということが、言葉を直接交わしてる会話を指すなら、少ないですね。ただ、けもフレ2の「交流」に私は意味や盛り上がりを特に感じませんでした。
「オオミミギツネさんのシーン」だけだと、ちょっとどこかわかりませんでした。ともあれ、のほほんとした交流シーンをやりたいなら、危機の最中にやらなくてもよいでしょう。
「最初からフレンズ」ですが、必ずしもそうだとは言い切れないと思います。ジャングルでは及び腰だったし、荒野では面倒事に巻き込まれないように逃げようとしていました。当時基本的にはおうちを探すことを優先していました。その割に車掌ラッキーさんに振り返ってお礼を言ったり、リョコウバトに絵を描くために夜を徹したりします。まあ確かに「なんでこんなに気を使ってるのかわからない」的な描写があれば更に盛り上がったでしょうね...
フレンズに対する態度に大きな変化があるなら、変化した理由が必要になりますよね。その理由は、「元々フレンズが好きだったことを思い出した」でも良いのですが、それならば、どういう理由、過程で思い出したか、が必要になる。
微妙に変わってはいるというなら、「微妙だけどしっかり変化してる」ことを印象づけ、やっぱり、その理由・過程を描く必要があります。
厳密には一話の施設の様子などに、当時の様子が推理できる判断材料がありますが、概ねそうです。サンドスターにコールドスリープさせる機能が描かれていないし、記憶を失っているのもフレンズ化と合致します。パークの客ならばパークの外におうちがあったんでしょう。
ミステリというのは謎が提示されて、その謎について事態が進展して、新たな手がかりが出たり、真相と思われるものが二転、三転するなどして、最後に謎が解けて(あるいは解ける以外の形で解消され)終わるわけです。けもフレ2の場合、冒頭の謎が、特にそのまま触れられず進展しないままずっと進みます。最後のカットで一応謎は解けますが、それは冒頭の時点で予測できた推理が確認されただけです。それではミステリとしてはダメです。
提示だけして居心地を悪くすることは、作品に悪印象を残すことになり、悪い印象の作品から何かを学ぼうとすることは人間はあまりしないので、負の効果があるでしょう。それを超える正の効果がある、とする根拠はないように思われます。
作品全体が好評価になるのを見越してこの手法をとったのでは。悪印象を挽回できるほど全体が良ければこの手法は機能するわけですよね。
この件については反証する方法があります。制作サイドの人間の”動物ファースト”的でない行動・言動が確認できたなら、作品に善意を載せた可能性を否定できるでしょう。
「危険で、恐ろしいビーストから逃げず、敢えて解り合おうとする」ことをやりたいのかもしれませんが、暴れまくるビーストをどうやって船に乗せて連れてきたか、なぜみんな無事なのか
「動くものは何でも襲ってくるぞ!」とゴリラが言っています。キュルルちゃん(とかばんさん)はボート上でそれに気づき、動かなかったんでしょう。皆さん言ってらっしゃる「セルリアンに、けしかける」ですが、けしかけたと取れるシーンは実はありませんよね。ホテルに飛び移るビーストを二人の力では止められないでしょう。探さなかったのはビーストはボートまで跳躍できる膂力があったので、ホテルからも逃げられると踏んだのもあるのでは。
全体の平均を取ると、「初見で面白くないと感じる作品の、考察は、されにくく、されても特に人気に繋がらない」ことになります。
データを取ってはいないでしょう?... いえ、ご経験を理由としているのはわかります。
視聴者の多くというか「ざまあ」と言った人の多くは、ですね。まぁ視聴者の多くは、イエイヌに対するキュルルちゃんの行動・言動に問題があったと判断しているでしょう。
ただただ悲しい派・このような扱いにした制作を許せない派 もいらっしゃいました。集計をとったわけではないので比率がどうかは不明です。「他のキャラなりに、うながさせるとか方法はいくらでもあるのです。」なるほど。カラカルに「ほら、この子にお礼言いなさいよ」とか言わせたら、確かに印象はずっと良くなりますね… ただ俺はキュルルちゃんの落下のためにああでなければの立場ですので。
たとえばケムリクサで、わかばが水槽に転送されたり、橋のヌシに出くわしたり、多くのイベントは偶然じゃないですか。フィクションなので気にならないわけですが、キュルルちゃんの「大好きだー」を必然的にするイベントを追加してもその発生は偶然によるものになるのでは。イベントを廃した結果、自分で振り絞っているような描写になって脱フィクション化がなされた。いえもちろん、偶然によらないイベントを用意したり他の流れと同じ原因から始まる必然的結果にするのは不可能ではないでしょう。その意味でリソースが潤沢にあれば、と申しました。
量より質ですね。
売り言葉に買い言葉になってしまいますが… けもフレ1の最終戦でのフレンズ同士の交流はそれほど高質でしたか。主人公勢以外での話です。けもフレ2で多かったのはそちらなので。
オオミミギツネさんのシーンはそれに該当していますが、ギャグ的な魅せ方で俺は流されてしまいました。初見では。
ご意見を尊重します。覚悟したかどうかも今後のスタッフの様子からおそらく判断できるでしょう。
最初からフレンズに親切ですし、特に「自分がフレンズを好きだと気づいていない」ようにも見えないので、「自分がフレンズを好きだということに気づいた」と言われても、盛り上がりがないんですよ。
「最初からフレンズ」ですが、必ずしもそうだとは言い切れないと思います。ジャングルでは及び腰だったし、荒野では面倒事に巻き込まれないように逃げようとしていました。当時基本的にはおうちを探すことを優先していました。その割に車掌ラッキーさんに振り返ってお礼を言ったり、リョコウバトに絵を描くために夜を徹したりします。まあ確かに「なんでこんなに気を使ってるのかわからない」的な描写があれば更に盛り上がったでしょうね...
キュルルの正体って、一話のキュルルが出てきたところに、サンドスターがあって、ラストで、パークが無事な時からいたことがわかるから、キュルル自身のフレンズだろうという話ですか?
厳密には一話の施設の様子などに、当時の様子が推理できる判断材料がありますが、概ねそうです。サンドスターにコールドスリープさせる機能が描かれていないし、記憶を失っているのもフレンズ化と合致します。パークの客ならばパークの外におうちがあったんでしょう。