はてなキーワード: 身分とは
「自分、美容整形外科医なんですけど……」と写真付きIDのようなものをチラ見せしながら話しかけられて、美容整形のモニターになってくれということか?と思ったら、ただのナンパだった
嘘の身分だと思うけど、断ってもとにかくしつこくて不愉快な思いをした
50メートル先に交番がある場所だったのによくナンパなんかするよな 声かけた女が「警察呼ぶぞ!」って髪振り乱して逆上してきたらどうするんだろう
だいたい、「美容整形外科医なんですけど」つってナンパされて喜ぶ女ってどんなんだ?
この女は「美容整形外科医」にナンパされたら「ラッキー、無料で美容整形してもらえるかも♡」と思うだろう、と思われたのか?
この女は美容整形というワードを出せば喜んでついてくるパーなのだろうと思われたということなのか?
ただただ不愉快すぎる
帰って夫に報告したら「えー、それは嫌な体験だったね……」と同情されたけど本当に消耗した
とまでは言わないけれど、身分証明書といえば運転免許証という風潮にはうんざりする。
運転免許証というのは、あくまでも車が運転できることを警察に認めてもらった証にすぎない。
俺みたいに、公共交通機関が発達している所に住んでいるから車移動の必要性を感じず、
金がないから車を買う余裕もなく、どんくさいから車の運転に必要なとっさの判断もできない。
そんなやつでも、身分を証明できるものがないと、まるで人権を否定されたような気分になる。
車が運転できるかできないかで、人権のあるなしが決まるような世の中はゴメンだ。
そんな俺たちに現れた救世主がマイナンバーカード。(別に俺は河野何某の回し者ではない。)
運転免許を取るには20万位かかるけど、マイナンバーカードの取得にお金はいらない。
当方、夜の店大好きおじさんだ
いろんな疾病を抱えてる夜の子達に接してきた
遊ぶのもそっちのけでいろいろ聞いたのだが、社会身分不安定で将来も見えず、障害を受け入れられず、デリで本強に耐えるという身の上話であった
上に書いた友人も双極性2型だ
彼は発症から15年でようやく受け入れて、就労見直しと人生立て直しをしている
話を聞いていてこちらも胸にくる状況であった
2年以内には無職になるか社会制度の隙間に潜り込むかぐらいしか昼職ルートは難しい
そして、夜の仕事とはしばらく縁を切れないだろう
本強を受け入れているのでいろんなリスクもある
そして、脳機能の低下による判断の低下もあり、別の問題も起きそうだ
こんな状況でも、友人との縁を維持して、家族にもうわべは取り繕いつつ、本人が望む社会生活が成り立つのは夜の仕事を体調に合わせて行えるからだ
反対はしない
だが、モヤモヤする
何故、女性だけなのか?家族からも疎まれ友人とも関われず社会から孤立した男性は支援しなくていいのか?
本人が疾病と向き合える状況になく社会福祉への道が遠く、まともな就労も出来ない男性の生活はアレで良いのか?
決して陽を当てろという話ではない
AVを含めて社会的には当座を凌ぐ機能の側面があるのにそこまで否定する事なのか?
夜産業の従事者全般の行き場の無さや生活の酷さも含めて女性支援だけをするのか?
目の前の苦難に満ちた女性を前に愚息も動かず、ニコニコと話を聞きつつ、この子にとっての良い道は誰にもわからんなと思った
そこまで思った所で愚息は復活をし、気を許した目の前の人にそっと挿入し、やっぱり生だよなって思った
*
*
「お前が呑気に実家暮らしの女学生の身分で音楽などやっていられるのは誰のお陰だ」
という言葉は、学費と生活費を人質にとった恫喝だとも思った。口喧嘩なんかしたくもないから細心の注意をはらって生きてたのに。
大学を休学し、女子大生というアドバンテージを使って水商売で働けば一人暮らしの生活費と、あと1年分の学費を貯めることなどチョロいだろう、そう思っていたが、その見通しは甘かった。
そもそもコロナ禍で飲食業は店を閉め、風俗業も同様で客足が途絶えていた。そして少ない客を奪い合っていたからか、働き始めたキャバクラでは現実の厳しさを味わっていた。
売上No.1の嬢は女王様として君臨し、それに付き従う子分の女がいて、悪口、陰口、ちょっとした意地悪、接客の妨害といった小さな棘のような攻撃を女王様と子分からチマチマと食らうのに辟易していて、周りの女たちも庇ってくれることはなかった。
常連客の威張り散らして自慢話ばかりの禿げた社長に「寂しいから会いに来て」とLINEするのもアホらしくてやってられず、旅館の娘なのにサービス業がまったく向いていなかった。そもそもそれほど器量が良い方ではないということも改めて思い知らされた。
結局、職場と住処を幾つか変わり、大阪、東大阪のスナックでカウンターレディとして働いていた頃には大学を休学し実家を飛び出してからニ年ほどが過ぎていた。それでも大学に戻るつもりではいたから、何度失ったって取り返してみせるよ、と思っていたし、偉そうな社長が高級腕時計を見せびらかしながら話すねちっこいエロ話より工場労働者の陽気なシモネタの方が笑えて楽しかった。アパートから近鉄電車で二つ向こうの駅には司馬遼太郎記念館もあった。
京都時代は実名で活動していて、雑にピックアップを埋め込んだアコギを掻き鳴らして電子的に変調した爆音ギターにのせてフォークを歌うというスタイルだったが、休学して一人暮らしを始めてからは音楽どころではなかった。
一度、東京のハードコアバンドにVoで誘われたこともあったが、パンクというものは中央にいてはならぬ、周縁にいて少数派として生きねばならぬ、と頑なに思っていたのでそれも断ったのだ。
だが、遂には名前を変え「東大阪半日夢想沿線」という名で電子楽器によって幻想的で悪意のこもった電子雑音を奏でるスタイルで活動を再開した。激しいライブアクションのせいで機材はすぐに壊れてしまうから楽器は日本橋の中古屋で安物ばかりを揃えた。
再開した音楽活動は客こそ少なかったが手応えはあった。しかし名前を名乗るとギョッとする者もおり、また年配の人物に「極左テロリストの名前などを元ネタにして、被害を受けた人や家族が知ったらどう思うのか」と指摘され、己の軽率さを悔い、この名前を名乗ることも音楽活動も中断してしまったのだった。
そんな折に近鉄布施駅の近くで垢じみてうずくまっている女がいるのを見掛け、若いのにホームレスだろうかと目が釘付けになっていると、その女がこちらを見つけて「金を貸して欲しい」と近付いてきた。よく見ると女は女王様に金魚のフンのようにくっついていた子分の女、ジュリだった。
話を聞くと、女王様は客だった起業家と名乗る男に入れあげてしまって、男が何をしでかしたのかフィリピンに逃亡すると女王様も後を追って行ってしまったのだという。女王様がいなくなるとジュリはたちまち他の嬢からいじめられるようになり、店を辞め、あれやこれやがあって住む家もなくなってしまったのだった。
散々意地悪された女だったが、彼女が弱さゆえに強い者に媚び付き従っていたことや、色んなことを我慢している女は強くて奔放な女に憧れてしまうことをアキコは薄々知っていたから哀れに思い、数日なら部屋に居てもよいと伝えた。そういう女は痛みにとっても弱いから。ジュリは泣きながら今まで自分がしてきたことを侘びた。
ジュリは意外と生真面目で、アキコが仕事から帰るときちんと部屋を掃除してくれていて、冷蔵庫にあるもので食事なども用意してくれた。そしてある日、部屋に帰るとジュリは開け放った窓に向かってアキコのギターを爪弾いていて、それはラジオからよく流れてくるOfficail髭男dismの曲だった。
アキコは脳内で火花が散って、ジュリにバンド結成を持ちかけた。バンドをやるならまだ部屋にいてもいいと交換条件もつけた。ジュリは喜んで同意し、よくよく話を聞くと中学時代は軽音楽部であったらしい。そして中学を卒業してから家を出て働き始め、ひょんなことから女王様と知り合い水商売で働くようになったのだという。隠し事だらけ継ぎ接ぎだらけの一人で心細く生きていた女が筋の悪い人物をメンターだと思い込むことはよくあることだ。そして年上だとばかり思っていたが、ひとつ年下だということもようやく知ったのだった。
早速近所のハードオフに行ってエレキギターとベースを見繕って一番安い激安の物を購入した。ジュリがヒゲダンを爪弾いていたことから、今度はポップなものをやってやろうと思い、それらしい曲を捻り出したが、アキコはベース初心者でジュリもギターはブランクがあり、リズムは安物の電子楽器だったので、劣化したビッグ・ブラック、初期の少年ナイフからも百万光年離れているような、やさぐれパンク以下の酷い感じにしかならなかったが、それは初期衝動ゆえであると宣言することで自分たちを納得させた。バンド名もOfficial髭男dismの名前を反転したような、公式に対して無法、髭に対して女の装飾の象徴である爪、そしてダンディズムという一流の男に対して二流や二等、二級品という意味を冠して、Lawless爪Second-Classと名付けた。何事もうまくいっていない自分たちにはお似合いの名前だと二人で笑いあった。
数曲をでっちあげ、今度はPOPなロックをやるのだと意気込んで、アングラ凶悪バンドが演奏しないような阿倍野にあった小洒落たライブハウスのオーディションを受けた。
「まあええんちゃう?」という曖昧な判定だったが、出演はさせてもらえることになった。
阿倍野のライブハウスに出入りするようになると、女二人だと色んな男が声をかけてくる。なぜならカワイイ系のアクションがジュリはとてつもなく上手かったから。でも音楽好きやバンド仲間だと思えば話も弾むが口説かれたりするのは面倒だった。しかしこっちはキャバで修行した身だ。うまくかわしていたし、ジュリはその辺りの身のこなしも上手かった。それでも面倒くさい人物もいた。
そのライブハウスに出入りするベテランのブルースマンで、最初は何かと世話を焼いてくれる風に近付いてきたが、だんだんと遠慮がなくなってきて、あれやこれやと説教をするようになっていった。相手をしているとイライラしてくる。なぜこうなのか。ワガママ放題大人たち。どうして若い女は何も知らないと思っているのか。
ある日、演奏を終えて楽屋に戻ると、当日は出演者でもないのに例のブルースマンが楽屋でくつろいでいて、アキコとジュリの楽器を値踏みし
「もっと良い楽器を使わないとだめだ」みたいなことを言い出す。そしてなぜか自分の黒いギターを持ってきていて、それを引っ張り出し
「50sのフェンダー・ストラトキャスター、クラプトンもこのモデルを使っている」などとウンチクをたれ始めた。
もう鬱陶しくて堪らなかった。怒りがふつふつと湧き起こってアキコはそれを抑えきれなくなり、そのストラトを奪い取るとネックを持って大きく振りかぶり思い切り壁に叩きつけてやった。その場にいた他の人間も唖然として誰も声を出せず、壁の石膏ボードには大きな穴があき、ストラトのネックは折れて弦だけがブラブラしている。アキコも放心状態で、これは殴られるなと覚悟した。
しかしジュリが咄嗟にアキコの腕を掴んで強引に引っ張りそのまま駆け出した。そしてそのまま店を出て走って、ずっとずっと走り続けて、ひた走る道路にはもう街灯さえないけれど、新今宮の駅の辺りまで走り続けて、やっともういいだろうと立ち止まって、息が切れて苦しかったけれど二人で顔を見合わせて死ぬほど笑った。嘘じゃない泥だらけの笑顔。ギターもベースも置きっぱなしだったけれど取りに行くつもりもなかったし、大して惜しくもなかった。
その後ブルースマンはアキコを訴えて、結局アキコは和解を受け入れた。調停の場でブルースマンの代理人弁護士に
「無法なんて名乗っているけれど法は法なので、賠償金の支払いはお願いしますよ」
と嫌味を言われたのが忘れられない。アキコは感情のないアイムソーリーだけを告げた。
もう大学に戻ることはないと薄っすら思っていたが、なんだか心の拠り所のようではあったので貯金はしていた。けれど、破壊したビンテージギターのせいで全てが消え失せてしまった。
しかし、やがてその話は噂になって、どうやら凶悪な女パンクのバンドがいるらしい、他人の高価なビンテージギターをぶち壊して平然としているような奴らしい、以前「東大阪半日夢想沿線」という不埒な名前でやっていた話の通じない女らしい、とその他あることないこと尾ひれ背びれもついて伝わっていった。まるで魔法のように簡単に広まってく噂話。お陰で奇特な人やバンドから少しばかり対バンの話も貰えるようになった。
アキコは今も近鉄電車の傍のアパートに住んでいて、ジュリも未だにアキコの部屋に居候している。貯金もなくなり、もう大学に戻ることはないだろうし、カウンターレデイの仕事は先の見通しもなく、何も状況は変わっていなかったが、それでも二級品なりになんとかやっていくしかないとアキコは思っていた。
みんな大好きFINALFANTASYの最新作、16がついに6月22日に発売されました。早速クリアしましたので、感想を書きます。ネタバレもりもり要注意。
まず、この感想を書いてる私自身について説明する。なぜなら、FFとの関わり方、ゲームとの関わり方で、感想って変わってくると思うので。
正直、FF15が100点満点でストーリーが5点、音楽と世界観とキャラがそれぞれ150点で、トータル75点みたいな出来だったので、16は期待していた。プロデューサーの吉田氏も、16はストーリーにかなり注力したと言っていたし。
FFにはお馴染みの召喚獣がメインストーリーでフォーカスされていて、とにかくトレーラーを見ると召喚獣合戦がカッコいい。主人公は国を滅ぼされ弟を殺され、奴隷の身分に落とされた復讐者。北部の国。鉄の王国。狼の相棒。そこはかとなくゲームオブスローンズ臭を感じるが、ゲームオブスローンズ大好きな私はむしろ好意的に受け止めていた。
あのさぁ、【ラスボスは神】、【人間は神の家畜として作られた存在】、【世界のさまざまな謎の説明が『神が(自分の都合のいいように)そう作ったから』】、【神が主人公に執着するのは、自分の器にするため】、【主人公たちは神を倒して神の支配(庇護)の下から自由になる】ってストーリーやめにせえへん?「めちゃ強いやつが敵」ってなると神くらいしかいないんだろうけど、「神になろうとしてる、地球外生命体の遺伝子を持つ元英雄」とか「時間圧縮で世界の支配を目論む未来の魔女」も充分脅威だし、オリジナリティあるやん。神もちだすと、なんでもありになっちゃう。「でかい魔法使うために(主人公)の肉体が要る。そのため主人公は特異体質。」って言われても、神なら肉体が無くてもどうにかできんのか?肉体がないと魔法使えないって決めたのは誰?もっと上位の神…?とか冷めちゃうのよ。
数カ国が召喚獣の武力をたのみに資源(クリスタル)を巡って戦ってるのに、割と序盤に神の介入で国ほとんど滅びるし。せっかくなら最後まで人と人の争いがメインであって欲しかった。もうあのクソババア(実母)がラスボスとか、もっと捻って欲しかったよ。例えば神が介入してたとしても、クソババア操ってました、とか。
55/100
90/100
70/100
350/100
散々いろいろ言ったけど、犬(狼)が最後まで無事なので全てよし。これまで世界を一緒に巡ってやばいモンスターとも戦った相棒なのに、最終決戦では置いていくっていう主人公の優しさが素晴らしい。この子がらみのサブクエは泣けるので、絶対やるべし。あとモーグリが可愛い。
ネット上で議論する奴はわんさかいる。右翼・左翼、陰謀論者等々、思えば今のひろゆきが出てきた頃、なんとなく議論して論破した方が勝ちみたいな風潮が出てきた。こういう風潮は個人的に好きじゃないし、社会を悪くしているように思う。
まず、議論はお互いの身分がわかっている場合のみ成立するもので、お互いを知らないネット上の言論は便所の落書き、チラシの裏にすぎない。そして、落書き同士が殴り合って何になる?相手に自分の主張を飲ませたいのか、それとも自分の主張が正しいと認めたいのか?無理無理、どんなに正しい理屈を突き付けても左派は左派だし、右派は右派、持っているイデオロギーは変わらないし、たとえ科学的証拠を突き付けたって陰謀論者は一生陰謀論者のままだ。そのくだらないレスバトルのなかで「建設的」「生産的」とか言っているのを見るのが、その議論自体がただの落書きで非生産的。
便所の落書きを清書する人が居る。公的な身分を明かしてネット上で意見を表明していて自分に絡んできたくだらない奴に対して、リプや引用RTでいちいち意見する人だ。また、丁寧な人だといちいち間違った意見に対して、自分から出向いて反論する人もいる。やめてほしい。あなたが反論してる人はあなたのフォロワー視点もう明らかにやばい奴、有象無象の落書きだってわかるし、そんなことはしなくていい。あなたが反応することであなた自身がその基地外と同じ土俵に立ってる、いや正確には相手を土俵に上げたのだと気付いてほしい。そして、反論リプや引用RTは間違った意見の拡散に貢献しているといってもいい。
仮に議論ごっこがしたいならば、「話にならない」とか「頭が悪い」とか「読解力がない」とかつけちゃダメだ。高圧的・攻撃的な態度は、相手から冷静な読解力と判断力を奪うことになる。また、日本語の揚げ足取りもダメ。議論ごっこの焦点はそこじゃないし、相手がヒートアップする要因を増やしている。たとえ、どんなに正しくても、科学的な証拠を持っていても攻撃的に接すると、「お前の態度が気に食わない」で反論するようになるし、お互い上げた拳を下げる場所を見失う。
世の中には自分が持っている「正論」を言えばいいと思っているやつがいるが、ネット上では「正論」の表明の仕方が大事。間違った意見をみてもリプや引用RTではなく「違うと思うなー」と単にゆるりと反対の立場を取っていることを示せばいい。長文打っても、複数のソースを提示しても、相手はもちろんまともな奴らもどうせ読まないから、短く言えばいい。これのいい見本がイズ〇ィコで、悪い見本がJ〇F。
ネット上で議論する奴はわんさかいる。右翼・左翼、陰謀論者等々、思えば今のひろゆきが出てきた頃、なんとなく議論して論破した方が勝ちみたいな風潮が出てきた。こういう風潮は個人的に好きじゃないし、社会を悪くしているように思う。
まず、議論はお互いの身分がわかっている場合のみ成立するもので、お互いを知らないネット上の言論は便所の落書き、チラシの裏にすぎない。そして、落書き同士が殴り合って何になる?相手に自分の主張を飲ませたいのか、それとも自分の主張が正しいと認めたいのか?無理無理、どんなに正しい理屈を突き付けても左派は左派だし、右派は右派、持っているイデオロギーは変わらないし、たとえ科学的証拠を突き付けたって陰謀論者は一生陰謀論者のままだ。そのくだらないレスバトルのなかで「建設的」「生産的」とか言っているのを見るのが、その議論自体がただの落書きで非生産的。
便所の落書きを清書する人が居る。公的な身分を明かしてネット上で意見を表明していて自分に絡んできたくだらない奴に対して、リプや引用RTでいちいち意見する人だ。また、丁寧な人だといちいち間違った意見に対して、自分から出向いて反論する人もいる。やめてほしい。あなたが反論してる人はあなたのフォロワー視点もう明らかにやばい奴、有象無象の落書きだってわかるし、そんなことはしなくていい。あなたが反応することであなた自身がその基地外と同じ土俵に立ってる、いや正確には相手を土俵に上げたのだと気付いてほしい。そして、反論リプや引用RTは間違った意見の拡散に貢献しているといってもいい。
仮に議論ごっこがしたいならば、「話にならない」とか「頭が悪い」とか「読解力がない」とかつけちゃダメだ。高圧的・攻撃的な態度は、相手から冷静な読解力と判断力を奪うことになる。また、日本語の揚げ足取りもダメ。議論ごっこの焦点はそこじゃないし、相手がヒートアップする要因を増やしている。たとえ、どんなに正しくても、科学的な証拠を持っていても攻撃的に接すると、「お前の態度が気に食わない」で反論するようになるし、お互い上げた拳を下げる場所を見失う。
世の中には自分が持っている「正論」を言えばいいと思っているやつがいるが、ネット上では「正論」の表明の仕方が大事。間違った意見をみてもリプや引用RTではなく「違うと思うなー」と単にゆるりと反対の立場を取っていることを示せばいい。長文打っても、複数のソースを提示しても、相手はもちろんまともな奴らもどうせ読まないから、短く言えばいい。これのいい見本がイズ〇ィコで、悪い見本がJ〇F。
国立大理系中退でニート歴2年フリーター歴3年のガイジである(自己紹介終わり)。現在趣味が3つある。
「それで食えるわけがない」
「くだらんことに金をかけている」
「そんなことしてないで就職しろ」
フリーターという身分上、リアル、ネット問わず冷たい風当たりは避けられないが、成人してからようやく趣味を楽しめるくらいにはなったのでここに書き残しておく。
中流家庭の出で小さい頃は習い事をさせてもらっても、ガイジなので集中力はもとよりないし、先生の言っていることが分からず、時折癇癪を起こして、数年やっても初級者の域を出ないという状況だった。月謝を出してるパッパとマッマが泣くのも同情に値する、という習い事歴である。ちなみに趣味はさせてもらえなかった。
Twitterで若くして活躍している人たちを見ていると、ソウルジェムがガンガン濁っていき、交際相手にも無能と罵られる始末である。
以下読まなくていいです。
大学一年生のときに履修した位相幾何学の講義が面白かったので、学部生1,2年のカリキュラムに相当する教科書を3冊読んだ。今は足りない知識を中古で落とした教科書で補いつつ専門書を一冊、カリキュラムに相当する本を一冊読んでいる。
小学生のときに習っていたが、フォアとバックとツッツキしか打てるようにならなかった。成人してから二万円で用具を買い揃え、経験年数不問のチームを掛け持ちして週三回ほど練習している。ガキの時より遥かに短い期間でショート、プッシュ、フリック、バックドライブができるようになった。
サウンドクエストでハーモニー編を勉強中。聴音もどきをしている。キーボード買いたい。
総括
子供の頃に「無限の可能性という名の勝手な期待」を盾に説教され、テレビでは天才キッズたちが毎日のように映り、投資をされているから「何者かになる」ことを要求されてきた。その圧力も期待ももはやない。ただの無能になった。
「無限の可能性」のない大人になって、シンプルに物事を楽しむことができるようになった。コネもない蛇の道を歩いているから、上達する保証も低いしメシの種になる可能性はゼロである。
それでも「自分で決めたからその活動をしている」という感覚は、上達や称賛よりもはるかに尊いと思う。
ガンダムのオタクじゃないけど、自分も水星が初めて見るガンダム
国とか軍同士の全面戦争みたいな作品ってあんまり好きじゃなくて、なんとなくガンダムとかマクロスとか銀英伝あたりを避けがちだったんだけどさ、
そもそもこの話題の議論、みんなが「女性が肌を見せる活動はすべて不道徳であり搾取、つまり社会悪」っていうスタートラインに立っているのがすごく不思議!
「水着グラビア=人のいやがる仕事、ヨゴレ仕事」っていう前提、なんか間違ってないですか?
話題の吉岡里帆さんは去年の写真集でも水着姿を披露しているし、フカキョンもごく最近水着写真集を出している。いずれも押しも押されぬ大スターになった後であり、ヨゴレ仕事は断れるしアサインされない身分。「事務所からの無理強いで」「売れるために仕方なく」撮らせたとはさすがに考えづらいよ?
おっさんなので例が古くて申し訳ないけど、平成の昔、ヌード写真といえば落ち目でジリ貧となった女性タレントが苦し紛れの最後っ屁として出版するイメージだった。
そのイメージを一変させるきっかけとなったのが篠山紀信撮影による樋口可南子のヘアヌード写真集。そのヒットによってアーティスティックなヘアヌード写真集を撮らせるのは女性芸能人にとってステータスとなり、平成のヘアヌードブームを現出した宮沢りえの「Santa Fe」を始め、続く菅野美穂の「NUDITY」、高岡早紀や井上晴美といった一連の人気タレントによる写真集も、多くは彼らのキャリアのピーク近くで出版されたものだ(個人的には石田えりの写真集「罪」がお気に入りだが)。
これらは目ん飛びなギャラを提示されて半ば札びらで頬を叩かれるように撮られた写真集だったのかもしれない。でも、それを断ってもタレント生命には特に影響のない案件でもあったはずだ。「仕事なのだから、いやなこともしなきゃいけない」どころではなく、彼らは仕事を選べたはずなのである。吉岡里帆が「今は水着グラビアをやってよかったと思っている」みたいなことを述べたのと同じように、ヘアヌード写真集を撮らせた彼らも誇りを持ってその仕事を選び、今でもその仕事を誇らしく思っていることだろう。
たしかにあの時、私達はテレビで見慣れた雲の上の美人タレントたちの無垢な裸身を見て、キンタマが枯れるまでオナニーした。性的まなざしをそそいだ。しかし、性的にまなざされることと、それが誇れる尊い仕事であることは矛盾しないんじゃないか? 両立するんじゃないか?
芸術かわいせつか、なんてそんな高尚なことを言おうとはしていない。「男が性的にまなざせばそれは搾取」みたいな、主客転倒した、因果関係のあべこべな、乱暴な持論を展開する人がいるようなので、それは違うと思う、と言いたいだけだ。
肉体美や肉体の持つセクシュアリティを資源として経済活動することは罪や穢れなのだ、みたいな、ほとんど宗教的な立ち位置から議論を始めたのでは、肝心の性的搾取のところにまでは議論が到達しないと思う。女性の肉体は美しいし、それを正しい手続きのもと鑑賞するのも人に鑑賞させるのも行いとして正しい。「が、しかし」から議論を始めるべきだろう。