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2021-12-01

anond:20211201060129

身もふたもないことを言ってしまうと、普通に働いてて人格がよっぽど悪くなければ誰だって結婚できる。結婚できないのはお前の人格が悪いからだよって思ってしまう。

2021-11-17

精神科かかりつけ医に言えないこと

俺には統合失調症から発達障害に診断を変えてくれた医者がいて、今の定期的に診てもらっている。

しか医者プロだとは分かっていてもやはり変に思われるんじゃないかと言えないことが複数ある。

たとえば資格勉強をしようとしてもすぐエロ画像を探したくなってしまい集中できないということ。

頻繁にオナニーしたくなって集中力がつづかないこと。おかげで効率がすこぶる悪い。

そういうわけで性依存症について相談したいものだがどうしても恥ずかしい。

また俺は一般女性向けとされる漫画もよく読む。

漫画を読んだことがある女性について読んだことがある作品男性向け女性向けの比率を出したらその平均ぐらいの割合では俺も女性向けの漫画を多く読んでしまっているかもしれない。ハーレクインあすかDXもプリンセスも読む。

まあ俺は上記のように男としての性欲がばりばりあるから問題ないだろうが、それが無かったら俺の性自認はどうなるんだろうとは思う。

下手なたとえだが、葉緑体があって維管束が種子で増えるのならばその時点で動物ではありえない。それどころか種子で増えるという時点で大方植物だろう。

同じように俺ももちょっと女性性的な行動傾向が強かったら俺が男性を騙るのは男性定義に対する誤認に過ぎないのではなくなってしまうのではないか

男でもたくさん少女漫画を読む人はいるが、そういう人も女性向けだけを読むということはなくて、少年漫画少女漫画に劣らぬ量を普通に読んでいたりするものだ。

女性向けを女性と同じ比率で読んでいる、これは男としてかなり危ういのではないか

漫画というのは性のアイデンティーと分かちがたく結びついたものだと思う。それを証明するようにシーモアみたいな電子書籍サイトでは全ての漫画をまず男性向けか女性向けかのいずれかに分類している。

持論だが身もふたもない言い方をすれば漫画というのは多かれ少なかれそれに対して疑似恋愛やそれ以上のものを求めるためのもので、読者は意識的無意識かに関わらず漫画を疑似恋愛を楽しんだりオナニーのおかずにするために買っているのだと思う。

そういうもの女性と同じようふうに読んでいるというのはたとえば尾木ママみたいに女言葉を使うのよりもよっぽど男性性にクリティカル矛盾する要素なのではないだろうか。

から本来はいさぎよく適合手術を受け戸籍女性に変えるべきということになってしまうのではないか

現代社会では男女の選択自由という権利があるから「法的な性別を変えない権利」を行使できているに過ぎないような気がする。

男の身体をもって生まれものの、本来女とされるべき人が、ジェンダー論とかに無頓着なために、形式的には男として登録されたまま生涯を押し通すような、つまり無知による誤認に過ぎないのではないか

もし人語を騙る植物がでてきて人間行使できる自由権を交付されて、「俺は動物だ」と言えば、定義上どう矛盾してようがそれが本人の無知による誤認に過ぎなかろうが、ただ主張が尊重されるとうう権利のもとで動物として認識してあげられているみたいな感じ。

俺は権利によって男であることを保護されているだけで、女なのか?そういうことを訊きたくなる。

あとはなんでゲイは性転換手術を受けないんだろうという疑問がある。

男が好きなら女になればいいというのが素朴な考えだろう。男と交際したいなら同じゲイを集めるより女になった方が早いだろう。

トランスジェンダーではなくあえて同性愛者として生きることに何の意味があるのだろうか。

単に手術費用もったいないと思っているだけだろうか。それともアイデンティーに関わる考え方がちゃんとあってゲイとして生きているのだろうかと、気になっている。

2021-11-14

anond:20211114153809

全部手で描いてる時代を「古い」って言ってしまうと身もふたもないと思うのです。

2021-10-26

anond:20211021133434

真実を語る者は嫌われがち。なぜなら、そんな身もふたもない真実を突き付けられたら当人たちは立つ瀬が無いから。

2021-09-19

女の体は金になる

身もふたもない言い方をするとこうなる。

資産があるからまれていると考えるか、

泥棒に狙われるから不幸だと考えるか、

多分どちらも本当なんだろう。

どちらかがウソだと思う人同士がけんかをしている。

2021-07-30

なぜ西浦博教授警鐘国民に響かないのか

今や「オオカミ少年」と週刊誌揶揄されるまでになった8割おじさんこと西浦博教授

彼の警鐘国民に響かず、冷笑されまくっている原因を考察してみた。

1.リスクコミュニケーションが下手すぎる

去年の「42万人死ぬ発言典型例だが、数字が独り歩きするような物の言い方をしているし、独り歩きを抑えるような配慮が全くない。

42万人の件はもちろん前提付きのものであったが、「Aという前提なら42万人、Bという前提が出来れば2000人で済む」といったように、前提条件がちゃん国民に伝わる言い方をすべきであった。

契約関係が西浦氏と国民の間にあるのならこの件のような一面的しかない前提条件は伝わるが(それを確認しないと契約後に痛い目を見るから)、そんなわけは無いのだから一方的しかない前提条件付きの数字を言ったところで、その前提条件が消えた「42万人」だけが国民インプットされてしまう。そして「42万人も死んでないじゃないか、嘘つきだ」と思われてしまう。

そしてその後も警鐘しかわず、こうしてくれたので良くなったという正のフィードバックや正の将来予測をまったく発言しないから、ただのクレーマーのようにしか見えなくなる。こうなるといくら科学的に正しいことを言っても響かない。要はリスコミが下手なのだ

2.見た目が悪い

身もふたもないが、西浦氏は「デブで禿」。もし20~30代女性部下と2人きりで部屋に入るようなシーンがあったらそれだけでセクハラが成立するレベルの見た目だ。この時点で医学の発信者としては信頼性が無くなる。禿はともかくデブなのはどうにかならないか米国ではデブは信頼されず、要職につけないというし。

3.過去を顧みない(ように見える)

西浦氏が過去予測に対する実績の差異について自分言葉説明するシーンを見たことが無い。探せばあるのかもしれないが、「探せば」という時点でコミュニケーションロスを起こしている。もちろん不確実性が高い中、予測100%当てるのは無理だが、予測との差異について考察し、発信することをもっと積極的にやらないと、いつまで経ってもオオカミ少年、いやオオカミオッサン地位から抜け出せないのではないか

まとめ

この西浦氏が典型例だが、科学の中で働いている人は、もう少し「国民真意が伝わるプレゼンテーションは何か」を考えた上で情報予測を発信して欲しい。2011.3.11の時は原子力の中で働いていた人が今の感染学の人達のように全国民から注目を浴びることになったが、業界として発信能力が欠けており、結局NHKのみずのん(水野解説委員)の翻訳に多くの国民が頼ることになった。それと同じ過ちがいまの感染学の世界で起きていることを感染学の中の人達は自覚し、反省し、今後に生かすべきである

2021-07-12

anond:20210712083225

あたしは、橋本会長のこういうノリ好きだけどなw

ついでに、空気も読まずに身もふたもない発言をする丸川大臣も。

2021-07-10

エビの握りずしのしっぽがなかった

どっかの宅配ずしのエビの握りずしのしっぽがなかった。

いわれてみれば確かに食わない部分だし最初からないほうが口に放り込めて便利である

かわいさ大幅ダウンなことは確かだが、情緒よりも身もふたもない現実が優先されるのが今の時代からな…

2021-05-04

anond:20201021222756

ボケ「弊社の強みは?」

ぼく「いや、お前が答えるもんやろ!」

ボケ同業他社でも良いですよね?」

ぼく「身もふたもないやんけ!」

2021-05-02

八方に配慮した結果、作品がどんどんつまらなくなっている

ヤマトネタバレあるんで注意ね。

さらば宇宙戦艦ヤマトのサーベラー×古代を書いてる関係で、宇宙戦艦ヤマト2199をいまさら視聴してるんだが、

なにあれー。

森雪以外の女性クルーがいるのは、まあ時流だと諦めるとして、

ヤマト発進の時になぜか電力不足世界中から電力送ってもらうのも、まあ海外展開意識した時流だと諦めるとして、

なんかもー、ユリーシャとかい新参キャラ出張るようになってから色々キツくなってきた。

機動戦艦ナデシコから逆輸入したような船内放送大目に見るとして、

ヤマトの中でパフェ食いながらガールズトークとかするなよ。なんでヤマトガミラス人とイスカンダル人が乗ってんだよ。

あと、ユリーシャってあれ多分同性愛者だろ。何に配慮してんだスタッフ

あれは戦艦ヤマトだぞ。日本の男の艦だぞ。

おまけにあのイスカンダル女、波動砲ケチつけやがって。ショックカノンで殺すのは良くて、波動砲で殺すのはNGなのかよイスカンダル的には。

あと、クルーもいちいち主義主張表に出すなよ。

お前ら八つ裂きにしても飽き足らん異星人相手に、故郷の誇りと絶滅をかけて戦争やってんだぞ。内輪もめとは余裕だなおい。

スターシャもなんかイスカンダル場所を教えてなかったみたいな設定があるみたいだし、なんか試練とかなんとか言ってるし、頭湧いてんのか。

イスカンダルがどこにあるのか分からないんじゃ、ヤマト計画GOサインが出る事からしておかしいだろ。

一年地球滅ぶんだぞ。一分一秒でも無駄にせずにコスモクリーナー取ってこなきゃいけないって時に、妹まで犠牲にして何ごっこだよ。イスカンダル見つからなくてタイムアップになったりしたら、イスカンダル波動砲ぶちこむぞ俺が沖田なら。

ガミラスガミラスで、なんか人種差別みたいなしょっぱい問題抱えてて妙に感傷的なキャラが出てくるし。

なんなんだよ。原作だと降伏したら奴隷から存亡かけて戦ってたんじゃねーのかよ。二等国民くらいだったら降伏してもいいじゃねーか地球。勝ち目無い相手に全滅賭けて抗戦するほどの話じゃねえよ。

人類滅亡まであと200と何日、じゃねえよ。降伏して二等国民になれば滅亡しないんだろうが。

続編でデスラー和解する展開にしたいという都合と、「敵にも正義がある」的なありきたりな話にするために、わざわざ地球から攻撃を仕掛けた的なこざかしい設定にしたんだろうけど、

なんでこう余計な脚色して多様性的なもん話に混ぜ込もうとするかな。

ガミラス正義なんて、宇宙征服して異星人は全部奴隷にする、で良いんだよ。宇宙人なんだから価値観が違うってそういう事だろうが。

何が恒久平和だよ。それ地球価値観だよ。しか20世紀以降の。地球から見て正当性のある事言っちまったら、それはもう価値観多様性にならねーんだよ。

ガミラスに歯向かう地球人など皆殺しにしてくれるわ vs 地球を救うのを邪魔するもの波動砲でぶっ飛ばす

という身もふたもない対立宇宙戦艦ヤマトバックボーンだろうが。ポリコレしたきゃ平和になってからやれ。

あんな八方に配慮しまくりながら人類存亡をかけた航海されちゃたまらんわ。

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-11-30

anond:20201127142650

鬼殺隊の通念に染まっていった、鬼討伐にとりつかれていった、というよりも、

4巻あたりでも言っているように、人々の幸せを壊す諸悪の根源が無惨であり無惨は本物の鬼と認識したのが大きいと思います

6巻の柱合会議ですでに「悲しみの連鎖を断ち切るため必ず無惨を倒す」と明言しているのですから

自分たちの仇は無惨であり、さらにほかに自分たちのような例をもう出さないためには無惨を倒すしかない、と覚悟を固めています

無惨と対峙したときに無惨の身勝手かつ人よがりな思想に触れて「お前は存在しちゃいけない」と言っているし、

炭次郎の目的はけっこう変わっていませんし、その目的自発的ものです。

 

1話の時点ではねずこを人間に戻す、ねずこを守る、だけだったかもしれませんが、旅を通じて何が原因でこうなったのかを知り、

目的に無惨を倒す、これ以上悲しい思いをする人を増やさないために、が加わります

無惨討伐と家族思いは矛盾するわけではないですし、というかどちらかというとリンクしている目的です。

炭次郎から家族思いの要素が消えたりはしていないと思います最後に鬼化が止めたのは本人の性質もあるし、「家族思いのお兄ちゃん、ねずこをずっと守ってきたお兄ちゃん」の部分でもあるので、

特に炭治郎の魅力がなくなった、正気でなくなっていった、というのはちょっと個人的には「そういう受け止め方になるのか」という気持ちです。

無惨がいる限り、妹を守れないわけですから

 

それから、炭治郎は終盤では16,7歳になっているわけで、両親のあの家があれば生きていくことはできるはずです。養う家族は減っているわけだし。(身もふたもないが)

想像力もっと広げれば、鬼の首魁討伐の功績が大きいので、産屋敷の家から褒賞金なり年金なり出たと考える余地だって十二分にあります

(9人の柱に対して『好きなだけ』給料を与えることができ、そのうち大多数は大きな屋敷を構えていたり、のんだくれニートおやじを養っていたであろうことを考えるとそのぐらいの余地はあってもいいと思う)

 

ねずこの結婚に関して、現実大正時代一般通念上、女性の適齢期は16~20ぐらいであり、結婚できず独身をとおす女性への世間の目はかなり白いものでした。(24歳ぐらいで行き遅れのオールミス扱い…)

終盤ねずこが14,5歳ということを考えると、無惨がいようといまいと、ねずこは近いうちに嫁いでいた可能性が高いです。

2020-11-25

31独身男性のまとめ

・たぶん一生独身

恋人10年以上いない。人とかかわるのがめんどくさい。

人を愛する素晴らしさは理解しているし、まっとうな人間には必要なことだとも理解している。

しかし生まれのせいとしか言いようがない。

煩わしい。

その感情だけを優先して生きている。

 

社会のものが虚しい

右を向いても左を向いても毎日争いあってる。

建設的な議論なら歓迎だが大抵クソしょうもないビジネスのための火付けか、

馬鹿たちのストレス発散劇場か、権力の争い。

2020年前とたぶんやってること変わらずに科学技術だけ辛うじて前進し続けている。

ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というもの社会が行えていない。

その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家テレビを置かなくなった。

私より知性的で賢いであろう大人たちが自分立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。

 

自分仕事に飽きた

自分限界を知って適正がないことも知っているが、人生修正するモチベも体力もない。

自分のやりたかたこともやりたくなくなり、何を糧に生きているのか分からない。

アニメオタクけものフレンズショックで強制的卒業させられ、

ゲーム積みゲーが増える毎日

本を読むのもめんどうで、辛うじて漫画だけは読んでいるが面白いと思う作品は減り続けている。

シンプルに何を自分がすべきかは把握しているが、目的が気力を出す動機として不十分…いや、興味を持てないため行動できない。

心技体とはつくづくよく言ったものだと感心する。

 

・死が怖くなくなってきた

昔は死ぬ自体に強いストレスを感じていたが今はかなり薄くなっている。

このまま生き続けていても自分に大きな変化はないのを気づいたときからかもしれない。

元々飽きっぽい性格をしているが毎日に新しい刺激がなくなり、退屈している。

さりとて犯罪者になるわけでもなく、凶悪犯のような他人幸せ理不尽に奪う順法意識のない人間嫌悪している。

 

・不幸がこの世から無くならない事を理解している

貧困国は先進国のために貧困であることを強要され続けている。

自分30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところで地球の裏では孤児たちが飢え死にしている。

それは国内でも同じことが起こっているし、祈りが今その瞬間に等しく分け与えられるとき永遠に来ないので平穏食事はあり得ない。

水が上から下に落ちるのが当たり前で、ずっと変わらず起きているのと同じように誰かの不幸の裏には誰かの幸福が隣り合い続ける。

地球を中心に太陽が回っている事をいまさら信じるやつはいないし、千年たっても変わらないものを変わると信じているやつもどうかしている。

誰かの幸せも泡のように消えるのが世の常であり、できることは人生という物語を綴って誰かに忘れられるまで残す程度のものしかない。

 

・生まれる前は

死後の世界に興味を持つ人も、正しく生前世界について話題にしている事は少ない。

どちらも自分がこの世に存在しない世界であるが、死後にどうなるか話題になっても生前自分はどうだったのか気にする人はいない。

何もないところから自分が生まれたのであれば、当然死によって何もなくなり、きわめて低い確率で何らかの生物に生まれ変わるのも可能性としては残る。

正直なところ、自分は二度とこの世に生まれ変わりたくないと思っている。

安寧の無があるのなら自分はそこに入りたい。

自分宇宙を作った存在として神を信じ肯定している。

所謂神話としてのゼウスのような存在というより、プログラマーとしての神をイメージしている。

プログラムにはすべて目的があり、実在として道具は総て目的があって作られている。

目的がなかったとしても創造主は常に存在する。

人間世界でいえばガンプラ目的プラモデルを作る楽しさをモデラー提供することであり、創造主バンダイだ。

単純に考えてこの宇宙を作ったのは神であり、目的までは分からないにしても何らかの事情があるのだろう。

とにかく、在るということを肯定たこの基盤でまた生と死を繰り返す退屈さと苦痛を別の形で味わう事にはなりたくないという思いが、今は死よりも強くなっている。

反出生主義は幸福になれない可能から誕生否定するが、私はこの世界で生きる事そのものが悪であり不幸だと思っているのでやや主義が異なるように思える。

私は両親に感謝しているし、彼らの長所短所理解している。その上で自分をよく育ててくれたと思っているが、生きる事そのものが不幸だという考えは変わらない。

もちろん実際に自分死ぬ場面に直面すると本能的恐怖に縛られるのは想像に難しくないが、平時における心境としては二度と神の道具の一部として生まれてきたくないと考えている。

生きる事の罪を業というのは人の口であり、自分はそれを信じていないし信じる気にもならない。

なぜなら何も分からずに遺棄され死する新生児は、何の罪と反省意識があって死ぬというのだろうか。

宗教は祈れない者を救えない時点で信じるに値しない。

今でも乳幼児が飢え死にしかけた状態お菓子の袋を破こうもがいた話が脳裏にこびりついて離れない。

神が善良であればあるほど、彼の死は重く、決して許されない。

神の使徒を名乗るのであれば彼を救えたのか。救おうとしているのか。いつになれば救えるのか。

私は忘れない。

 

・余談

まりブコメに対する返信というのはしたくないが反応があったのと気になった点があるのでここに追記する。

 

・こどもを持つ肯定感は永遠ではないし、魔法でもない

事故死や病死する、凶悪犯罪者となり懲役刑を受ける、仲が悪くなり絶縁する、他人殺害される。

もしくはこどもに される。こどもを す。

そういった可能性をこどもを持った地点から自分死ぬまで抱え続けるという事実にはきちんと向き合えているか。楽観的すぎてはないか

その不安に目を向けているのであれば危険対処するための行動ができると思うが、ブコメを見ている限りだと「育てるのが大変な猫を飼った」程度の肯定しか得ていないように見られる。

悲観的だと馬鹿にするのは少し待ってほしい。

今いったケースは現実として多くの親が体験している。

あなたが親である以上は同じ事態になる可能性は十分にある。

失ってみないと分からないのではない、体験しなければ分からないのではない。

何のために想像力があるのか思い出してほしい。

悲劇に至らないためにあなた普段から心がけていられるか。

自分はその事実から逃げるために忌避し続けてきた。

人間に限らずあらゆる生物が死という悲劇をセットされている。

であるあなたはまた新しい死、新しい不幸を本能によって作り出したに過ぎない。

動機本能であってもそれはあなた意志だ。人間なのだから

生存競争という恐ろしい渦中に新しい命を、あなた自身意志で落としたに過ぎない。

こどもを抱えて頭の中の快楽物質がそれを正しいと言い続けても、事実は変わらない。

死の連鎖を繰り返した事に対して、そんなものに頼らず真正からあなたなりのきちんとした反論を用意しなさい。

あなたは訪れる恐怖の予感から、それは発達障害や鬱であると断定して逃げる事は容易い。

恐怖の源は想像からだ。

しかしそれができて、あなたは初めて人間の親になる。

 

ソープ筋トレサウナでは解決限界があり、彼ら自身それに気づいている

動物快楽にも個々人に生まれ持った適正があり、それがないものには当てはまらない。

なぜ彼らがここまでソープ筋トレ(とサウナ)を信じて布教させようとしているかは、それらをやめた話を本人から聞くだけで済む。

続けている彼らは自分たちの努力や発散が「報われ続ける」ことを信じている。

意図的継続の裏側にもまた、恐怖が根源としてある。「やめたらどうなってしまうのか?」という恐怖だ。

他人にそれを勧めるのは自分の信じる神を広めたい、宣教師になりたい動機がある。

いつか終わりが来ることを日々頭の片隅で実感しながらも、それを認められない脱出口として「布教」を選択している。

強い刺激は人の考えを変えさせるのに十分な切っ掛けだが、刺激というのはいつか慣れてしまう。

ソープ筋トレサウナのもの目的としているならともかく、何かの解消手段として行っている者は慣れた刺激と得られる報酬の差が開き続ける。

その結果、神格化して代わりの新たな報酬として「自己肯定感」を得ようと躍起になる。

「あらゆる悩みが〇〇で解決されると信じる」ことが目的にすり替わる。

筋トレで解消できているんだと、解消できている自分は素晴らしいのだと。

純粋筋トレによって得られる効果だけで満足しきれなくなっている自分に薄々と気づいていながら。

身もふたもない言い方だが、思春期以来のオナニーと違う新しい刺激に興奮したものの、だんだんと刺激が減ってきて横道にそれた結果が布教という形になっている。

2020-11-19

人生無理バー主催者は"本当に人生無理なやつ"の理解が浅すぎるんちゃう

https://anond.hatelabo.jp/20201119102004

人生無理バーには行ってないけどそういうやつらの気持ちはわかる。つい最近まで再就職支援施設でこういうやつらの面倒見てきたから。

この手の連中はねー。ほんと厄介だよ。

本当に助けてくれる人って陽キャだとか力がある人だってのはわかってても陽キャいから、自分に近い人のほうが安心できてそっちに行ってしまうんだよ。

あとねー。こういう人生無理って言ってるやつに限って無駄プライドこじらせてるから助けを求めてるくせになかなか腹をみせないわけ。こういう連中ってほぼ例外なくTwitterやっててさ。何人かの人間確認させてもらったことあるけどTwitterだとめっちゃ偉そうなんよな。見せてくれなかったやつらはたぶんうちの施設悪口かめっちゃ書いてるんだろうな。

こいつらの身もふたもない理想を言うと

  自分を脅かさない、なんなら自分マウントできるような弱い相手がいて

  その弱い相手がどうやるのかはわからないけど自分を甘やかしながら自分を助けてくれる

みたいなあり得ないストーリー妄想してるんよ。

あほかって思う?俺もそう思う。でも本当にこういうあほがいるんだよ。だもんで助けを求めてるくせに、職員の中でも弱くて力がない側の方に寄っていく。だからこっちとしてはそういう弱い方にすりよろうとする人は意識して俺とかが首根っこつかんで引き離すとかやってんの。

人生無理バーの人はそういうガチ人生無理な連中の人理解が浅すぎるんよ。

大げさに人生無理って言ってたけど自分たちはあくまちょっと生きててつらいとか愚痴りたいとかその程度の軽い気持ちだったりってあるあるだよね。その程度の軽い気持ち人生無理って看板を掲げて、本当に無理な奴らが来てむりむりかたつむりーってなって慌てて出禁処理とかやってしまったんちゃうかな知らんけど。

それ自体はままええわ、なんやけども。

そういうまともな人たち同志の、発達障害いうても程度が浅くて頑張れば日常生活遅れる程度の人たちがさ。人生無理みたいな大げさな言葉を使って、本当に人生無理な人の存在を覆い隠そうとしてるのはむかつくよな。あげく、人生無理な人がその言葉につられてやってきたら排除とか頭の中お花畑すぎるだろってな。一時期騒ぎになってた文化収奪に憤る気持ちってこういうことかもしれんな知らんけど。



https://anond.hatelabo.jp/20201119133721

からの言い方に聞こえたらごめんけど君の言ってることすごいい線いってる。

こういうやつらってDV気質が多いねん。たぶん本人の問題というより周りの環境がそうだったんやろな。

こいつらは力がないか女性に対してすら強く振舞えないだけなんよ。むしろ、強くふるまわなければいけないと思い込んでるけど強く振舞えないか自己否定とか自己嫌悪してる始末なんよ。

上でTwitterの話したけど、弱いからおとなしくしてるだけで自分自分を律するって訓練がほとんどできてへんねん。誰も見てないところではいっつも悪態ついてるし偉そうにしてるよ。だから自分より弱い奴とか甘やかしてくれるやつがいたらすぐ調子に乗るねん。で、こっちが叱ったらシュンとするけどそこで反省する奴としない奴が半々くらいかな。

面倒見ててうまくいくやつって、そうやって相手より強くなくちゃいかんとかつよく振舞わなきゃいかんみたいな他人自分を比べるのをやめて自分自分ちゃんと律することで自信をつけられるようになるやつなんだわ。すごい優秀な子で半年以上かかるし、平均すると1年半くらい時間化かかる。んで、2年かけても3割から4割の人たちはなんも変わらんまんま。そういう世界なんよ。

この手の連中は死ぬほど手間がかかるから人生無理バーみたいな単発イベントなんかで扱えるような奴らじゃない。そういうやつは最初から排除してもいいで。これは差別と違って素人には絶対無理から。無理に対応するよりは最初から無理ですって白旗上げたほうがええわ。 キャパティ越えてるから無理なんですーって言えばいいねん。そこで発達障害男性がーって相手のせいにするのはあかんで。なんちゃってでやって、自分の思った通りにならなかったからって発達障害男性への風評被害をばらまいたのは感心できんかな。 

お金取ってやりたいっていうなら、ちゃん勉強して真剣に考えてでなおしてきてほしいわ。

https://anond.hatelabo.jp/20201119154225

そんなことないって。 こういうのって介護と一緒で普通の人には厳しいからさっさとプロとつながれば希望が見えるぞ。

上に書いた文章でこういうやつらを冷たく見放してるように思わせちゃったんであればごめんやけど、俺自身は半分くらいの人間はなんとかなる思ってる。

実はこういう人生無理って思われてる人の支援は国も結構大事だと思ってるらしくて、お偉いさんがプログラムって結構頑張って研究してくれてるんよ。

職業リハビリテーションに関して4年前にかなりしっかりしたプログラムを作ってくれてな。

今ってSSTトレーニングだけじゃなくて、パートナーと組んで二人三脚で頑張るような仕組みもあってこちらも頑張ってやってるのよ。

今までだったら3割くらいが社会復帰できれば御の字だったんだが、今だと過半数くらいの人間サポート付きなら仕事できるようになりつつある。

仕事ができるってことは、最低限のコミュニケーションがとれるようになるってことでこっちの方が大事だよな。

半分の確率が低いって言われたらそれまでだけど俺的にはすごい希望持ってる。以前が3割以下だったことを考えれば今後はもっと改善するかもしれないやろ。

俺が上で書いたやつはその中でもどうしようもないやつらの特徴だな。

どうしてもDV気質が強い、なんとかして周りにマウント取らないと生きていけないって思いこんでるやつだけは今のところどうしても改善しない。

誉めてもだめだし叱ってもダメトレーニングを受けること自体屈辱って思ってるしとにかく事実を受け入れない。

なんでも自分正当化するために事実を捻じ曲げてしまうようになっちゃったやつだけは今のところどうしようもない。

そういうところは親が親で甘やかしたり他人と遠ざけようとして家の中に閉じ込めてたりするからすぐやめちゃうしな。

いろいろ歯がゆい思いはしてるけど、人生無理のやつが立ち直る手助けみたいなのはちょっとずつ進んでる。

その人間が何とかして立ち直りたいと思わなければどうにもならんけど、その気さえあれば意外と何とかなるかもしれないから俺は希望捨ててないよ。

つい先月自分が面倒見てた38歳のおっさんから結婚しました。自分が家庭持てるなんて信じられないって連絡もらってすっごいうれしかったわ。


大ごとになってるみたいでごめんなさい。

たまたま自分が知ってる話が出てきて普段こういう話をする機会もないからはしゃいでべらべらしゃべっちゃっただけで

人生無理バー主催者の人を責めたいとかそういうつもりじゃなかったんだ。

そもそも事情とかよく知らんし俺はただの現場人間から他人様をほめたり説教なんかできるような大層な人間でもない。

なのにこういう取り組みをやろうとしてくれただけでありがたい話だってことを言ってなかったから責めてるみたいになってた。

そもそもタイトルが悪かったよな。他の人へのリプのつもりで軽い気持ちで書いちゃったけどこんなに読まれるなんておもってなかったから深く考えてなかった。

俺がいっていいのかわからんけど、人生無理バーの人を責めることはないようにお願いしたい。

俺が言いたかったのは普段縁はないだろうけどやべーやつはいから気を付けてほしい、特に女の人は気を付けてってことと

かにやべーんだけどこいつだって生きてるのでいないことにしないでほしいってことの2つだけ。ほんとにそれだけだから

2020-11-13

anond:20201113080910

なつかしいなぁ

正直0年代2chではネトウヨしてた

その前にもアングラサイトとかのウヨウヨしてる政治活動家とかを真に受けていたんだけど、ニュー速+に入り浸ってて今で言うフィルターバブルにどっぷり浸かって、ネトウヨとして成長してた

そのあと何故かニュー速(いわゆる無印)に流れ着き、こいつら全然ニュースの話ししてない!?驚愕して、ニュースさかな雑談適当にするという文化に染まり極右に凝り固まった政治イデオロギーだんだんほぐれていった。

今となっては笑い話だけど当時はアウシュビッツデマ説とか従軍慰安婦居なかったとか、南京大虐殺無かったとか、生活保護在日特権だとか、割と真剣に信じてて、危うい感じだったなぁ。

何度目かの嫌儲移住祭り嫌儲移住し、いくつかのSNS渡り歩いて現在に至る

あっと、話は関係ないけどいちおう嫌儲について語っておく、

字面のせいで嫌儲は、儲けるのが嫌いな人々の集まる掲示板だと誤解されがちだけど、

もともとは、ニュー速書き込み勝手転載して、まとめブログとかで有る事無い事適当でっち上げて、アフィリエイト稼いでるクズどもを儲けさせるのが嫌だ

という意味なんだけど、

文字のせいか拡大解釈して、儲けること自体が嫌い

っていうふうに誤解してたり、わざとミスリードする言説をよく見かける。

似たような例なら、「壁ドン」は、引きこもりとかインドアの人が、隣の部屋とか一階とか、自分の部屋とは別の部屋で楽しそうにしてたりするような場面で、イラツイてその怒りを壁にぶちまけることを指していた言葉だったけど、

男が強引に愛の告白をするため相手を壁際に追い込んでドンってやるとか言う謎のことに書き換えられたのとか、

リア中はリアル中学生のことだったので、リア厨がなまってリア充になった頃に

リア充リアルが充実しているに誤読されて、いつの間にかリア厨とリア充が別の意味言葉になったのとか、

マジキチ」が「マジでキチガイじみているからやめろ」の意味だったのに、単純に字面だけで「マジのキチガイ」を指す言葉として定着していたらい、

「それな」が「それなんてエロゲ?」の略だったのに、いつの間にか「それな」(同意)という、別の単語になっていたり、

まぁマイノリティ発症ネットミームって大衆化されると、変な使い方とか、使われていた文脈が完全になかったことにされたりとかすること多くて、悲しいですね

嫌儲はこんな感じでアフィサイト(文脈的に2ch書き込み転載するまとめサイトのこと)の儲けを否定するというイデオロギーであり、一般的企業活動とか資本活動全般否定するラディカルな社会主義的なものではありません。

みなさんはこのことだけでも覚えて帰ってください。自分発言自分の物であり、引用どころか丸パクリして金儲けに使うんじゃね〜よっていうことで、それが嫌儲板の、少なくとも初期のコンセンサスでした。

10年代中期になってくると、そういった当初のイデオロギーは下火になり、まとめサイト関係者と思われるアカウントによる、より記事になりやす燃えやすスレッド過激バカ書き込みが集まりやすスレッド、そういったまとめ系スレッドが乱立していき、完全敗北。

同時期に書き込み規制とか乱発しまくってまともに掲示板として利用できなくなったのが、致命傷で、ああ、そこまでしてまで利用する気しないわ…って感じでやめた。

左傾向の下地はこの初期(詳しい人にエクスキューズするなら本当の初期では無いけれどここは便宜的に)の嫌儲時代に育んでいった感じ

とはいえ嫌儲嫌儲で、まとめ系アフィ死ね。というイデオロギーだけであり、左翼とかリベラルかというと別にそうでもなく、極端に反体制富裕層を憎んでいたりとか(人によってはそういう人もいたかもしれないけど)、そういった観点での偏りとかはあんまり無かった

ニュー速では「スイーツ笑」とか言って女性を笑ってたけど、嫌儲のころはもっとひどくて、もうド直球に「まーん笑」みたいに笑ってたし、よく書き込んでた。

ぶっちゃけ嫌儲女性かいないだろうし、女性って普段生活で触れること無いから、TVとかアニメとかのなかの架空キャラクターっぽい感じの認識になってるんだよね

まぁそれは完全に妄想で、女性現実実在するしそういうクズみたいな書き込みで気分悪くしたり、微妙社会差別的雰囲気助長させる効果とかも合っただろうし、止めるべきだし、今はもうやってない

こう考えると結構女性に対しての敵意すごかったなぁ。それもいつしか消えていった。自分の心の変化ではあるんだけど理由はよくわかりません。

嫌儲見なくなったからかもしれないし、もっと品のいいネット情報に触れるようになったからかもしれないし、年取って男性ホルモン減少したとか多分そういう生理的現象な気もする。身もふたもないけど。

2chやってた頃は、いい意味でも悪い意味でも情動が強く働いていて充実してたと言えるでしょう。

2021/04/05

やたら俺みたいな増田があるな〜。俺が書いたやつやんけ!なぜ今頃ホッテントリ

言い忘れたこととしては、萌の語源恐竜惑星の萌とかも嘘っぱち。普通に燃える」の変換ミス面白がって使ってただけです。ウィキペに乗るとずっと固定されるんだよね。おたキングさんが適当に言ったことが事実として扱われている

語尾罠も意味としての罠とは関係ない罠

昔のIMEの変換が糞だったので、そのまま語尾が罠になっただけです

罠の意味として使ってるの見ると超気持ち悪い

あの時代ミームはだいたい誤変換

2020-10-23

業者を使って汚部屋脱出した

眼前の仕事から逃避したくて書く。

こんな逃避癖もあって汚部屋は生み出されるのだろう。

似たような体験談は沢山あるのであまり有益でないという前提にたち、読みにくいだろうけどほぼ推敲しない。

この部屋に住んでいたのは数ヶ月前までの十数年間。

2DK、汚部屋傾向を何度か乗り越えてきたが、ここ2年位は燃えるゴミ出しすら億劫になり生活ゴミが急増、ゴミで歩けなくなっては最小限度のゴミ出しのみしていた。

とにかく部屋中にゴミや衣類が山積している状態で、冷蔵庫も稼働しなくなって2年くらい、カネさえあれば新たに部屋を借りて逃げ出したいと思っていた。

ゴミを置ける平面にはゴミが置かれるので、いちいち動かさないとメモを取ったりコンビニ弁当を置くスペースすらなかった。

人にどう見られるかは気にするほうで、服装は小綺麗にして会社に勤めていたし、友達ともよく遊んでいた。

そういった社会的接点がなかったら今ごろ鬱になって引きこもっていたか実家に戻っただろうと思う。

ただし絶対他人を上げられないので、汚部屋期間は恋愛できなかったし、ベランダもひどいので友人のクルマで家前まで送ってもらうのとかも断っていて、交友の阻害要因だった。

以前からADHD自覚があったので心療内科アクセスした時期があったが、困り感がなぜか汚部屋ではなく仕事の不調だったのと投薬効果最後まで実感できなかったので、通院をやめてしまった。

転機となったのは転職コロナ禍のリモートワーク。

まず念願の転職にこぎつけ、所得改善したこと引っ越し費用や部屋のグレードアップの目処がたった。

また、入社直後のリモートワークによって自宅からZOOMする必要性が生じ、カメラに映る範囲掃除をすることになったので、かなりのゴミ排出できた(2割程度だけど生活空間体感で倍になった)。ゴミ袋換算で30枚くらい。作業スペースができるとゴミ分別や整理が可能になるので、引っ越しに向かっていくイメージがわいた。

次に新居を借りた。

PC関連など厳選した物のみを新居に移し、旧居の物は全部処分していい状態にした。

身の回り品は1ヶ月で移行できたがここでも逃避が発生し、旧居を2ヶ月半ほど放置した後に清掃業者を使うことを決意、業者に見せられる程度(ひどく汚いが土足で歩ける程度)まで掃除した。ここでもゴミ袋換算で30枚くらい。

この辺の見栄は自分でもよくわからないが、掃除しなくても清掃費用が増えるだけで、払えるなら気にすべきでないと思う。

ただし個人情報、捨てたら困る貴重品などは気をつけて抜いた。

なお壊れた冷蔵庫が400Lクラスだったので、これは一人で動かせないだろうというのが業者利用の決定打になった。

清掃業者ネットで予約したら即電話が鳴り、予約した日に来ては平然と見積もってくれたので、作業日を調整した。

自分の部屋では10万円くらいの見積もりになった。もっと早くお願いすればよかったと思ったが、費用自体預金から払える額だったので躊躇はなかった。

作業終了時に電話してもらう約束で鍵を預けると、床のワックス込みで数日間で仕上がり、そのまま不動産に引き渡したところ追加費用なしで引っ越しを終えることができた。

シンク金属や畳がボロボロだったけど、経年劣化扱いですので負担はありませんと言われ(築ウン十年なのもあってか)、万が一の係争支出覚悟していたので大いにホッとした。

身もふたもないが、今回は所得向上によって脱出できたところが大きい。

あと頼んでみると業者の力は絶大に感じられ、お金に困窮していない汚部屋住人は定期的に業者を入れて汚部屋リセットしているのではないかと思った。

新居は築浅で小さめの部屋にし、家具は最小限かつ品質妥協なく購入し、ロボット掃除機コードレス掃除機を用意のうえ、掃除すると嬉しくなるような部屋づくりを心がけた。

ゴミ出しの指定曜日がない物件理想だったが予算の都合で諦めた。

友達を呼べるようになったので定期的に呼んで掃除する動機を作っているし、部屋の気後れがなくなったのでマッチングアプリも始めた。

今後も逃避癖は改善しない(投薬で改善した話は聞くのでいつか再通院するかも)と考えており、依存症回復で聞くようなプロセスに参考に、毎日キレイを積み重ねていくしかないと思う。

2020-10-09

anond:20201009201801

出版社作家関係なんかもそうなんだけど、Web個人の発信能力がある程度発揮できるような環境になったときプラットフォーマー広報能力って実はそんなに大したものじゃないってのが可視化されちゃったんだよ。

(そっちのほうが詳しいので)出版の話をすると、出版社が多少金をかけて宣伝したとしても、その規模感で言えば、作家なり個人担当編集者が豆にフットワーク軽くSNSなんかでまめに情報をばらまいたほうがよほど宣伝効果が高い。

もちろん超大規模な広報活動(テレビCM映画化などのメディアミックスを用いたもの)をすれば、そりゃそれなりに広報効果はあるけれど、それは当然もとより超有名で売れてる作家からそそういう事ができる。

そもそもメディアミックスなどのそれそのもの利益が見込める広報以外の、純然たる宣伝としての広報なんてのはその作家の売上の出版社の取り分のそのまた内側の割合でやることなわけであって、経済原理から言えば、その作家出版社提供した利益以上の広告宣伝費用が費やされるなんてありえない。

身もふたもない話で言えば、売れてる作品宣伝してその売上を何%か増やすほうが、売れてない作品宣伝してその売上を同じ%で増やすよりも、基底となる売上規模差の問題で、前者のほうがプラットフォーマー広告宣伝戦略として、合理的なんだよ。

そんなわけでメディアへの露出は、人気作とそれ以外の二極化が進んでしまう。

名もないアーティスト作品が、まずは広告宣伝の可否という戦場に進むまでの知名度獲得は、いまやまったく自助努力世界になってしまった。

その段階まで自力でたどり着けないアーティスト作家は、プラットフォーマーが目にかけてもどうせ芽が出ないと判断される時代なっちゃったんだ。

2020-08-29

未だにハゲタカジャーナル論文を出している研究者を見かける

ハゲタカジャーナル」という言葉アカデミアに現れて数年が経つ。

  

査読あり論文」を「国際英文誌」にどのくらい出版たか研究者の「業績」で最も重要視されるものであり、競争資金の獲得も、大学研究所でのポジションの獲得も、一にも二にもどのくらい業績を持っているかが左右する。

競争苛烈だという問題はあるものの、研究という活動に、競争的要素がある以上、競争があるのはやむを得ない面もある。

査読第三者専門家による審査

  

しかしながら、10年程前よりこの業績評価の穴を突くような商売が現れた。

それが Predatory journal、通称ハゲタカジャーナル』と呼ばれる粗悪学術雑誌である

  

身もふたもない言い方をすれば「金さえ払えばお前の論文を『査読付き国際英文誌』に載せてやるよ」という商売である

オンライン上にしか存在しない「国際誌」を創刊し、「査読がある」と謳う。

投稿された論文は、実際には査読などされない。内容にかかわらず規定金額を支払えば、雑誌掲載される。掲載料は数万円から20万円くらいと聞く。

研究者研究費(そのかなりの割合公的機関から出ている。つまり原資は税金であるから掲載料を支払えばいいので、自分の懐は痛まない。

対価として得られるのは、「査読付きの国際誌に論文出版された」という業績である

  

上手いことを考えたもので、「業績が欲しい研究者」と「金が欲しい業者」の思惑はピタリと一致し、この商売流行りに流行っている。

日本では2018年ごろに新聞問題が報じられたことで学界においても良く知られることになり、ハゲタカジャーナル出版することは悪だという認識が広まった。

しかしたら、多くの研究者はそんな問題過去のものだと思っているかもしれない。

  

しかし、未だに数多くの日本研究者ハゲタカジャーナルとおぼしき雑誌論文掲載し続けている。

(ここでは具体的に雑誌個人名に言及することはしない。実際、普通オンライン雑誌ハゲタカ雑誌境界あいまいである

  

どのような研究者が未だに論文ハゲタカジャーナル掲載しているかは、簡単に調べることができる。

恐らく多くの研究者は、怪しい雑誌から論文投稿勧誘メールを受け取った経験があるだろう。

試しに、そのメール記載されている雑誌サイトを見てみよう。

多くの場合、そのような雑誌サイトには、膨大な数の姉妹雑誌掲載されている。

大手ハゲタカ雑誌場合雑誌横断的に語句検索可能だ。

試しに「Japan」と入れてみよう。

思ったより多くの日本人著者の論文が出てくるだろう。もちろん2020年出版のモノもゴロゴロ出てくる。

    

その論文PDFを開いてみよう。もちろん著者名が載っているし、著者の所属が明記されている。

ほとんどの場合、著者はちゃんとした大学研究所病院所属している。

どれどれ、著者の名前でResearchmapで検索してみよう…おお!ちゃんと出てくるではないか、確かに実在研究者だ。

研究室を主催している人間のようだ・・・当たり前のように科研費取得の経験もある。

業績欄を見ても、見知った雑誌名が並んでいる。…あぁ!そんな中に先ほどPDFを見たハゲタカ雑誌に載った論文もあるぞ…「査読あり」と明記してある…。

  

  

…そのようなことが当たり前に起こっている。

  

粗悪雑誌から距離を置き、誠実に業績を積んでいる研究者も、競争資金ポジションの獲得で競争相手が、このような粗悪雑誌を利用して業績を水増しした研究者である可能性がある。

競争が激しいのはやむを得ないが、せめてその競争は公平に行われてほしいと願う。

2020-08-25

日本でまだCDが生き残ってるわけ

https://www.wasteofpops.com/entry/2020/08/24/000000

業界中の人です。

なんか難しく考えてるけど(考えたいのかな)、めっちゃ簡単ですよ。

日本CDがいまだに売れる理由

答えは、若者が増えないから。つまり少子高齢化



若者が増えて、マーケットのヴォリュームゾーンが移って、シーンが新陳代謝して・・・・・・っていう健全?なサイクルが壊れてるわけです。

実際、90年代に振り返った60年代と比べて、2020年に振り返る90年代って変化小さくないですか?

相変わらず、サザンユーミン山達YMOフォーク勢がいて、ビーズドリカムミスチル宇多田林檎JPOP勢がいて、ジャニーズがいて。

90年代当時からCD買ってた30代40代50代くらいがいまだにマーケットの中心(※中心ってだけでそれしかないわけではない)なんです。

なんで供給もそこ狙いが多い。人口の多いし、可処分所得も多い。

(僕の今のプロジェクトの想定顧客イメージは、40才独身子供なしサラリーマン男、です)

マーケットのヴォリュームゾーンCD買う層=だからCDがまだ売れる。

身もふたもない。のだけど、だいたいそういうものかと。

ちなみに、お笑いテレビ界もそうじゃない?

BIG3ダウンタウンウンナンナイナイボキャブラがいまだに一線。

これも一緒だと思うなあ。

要は若者が増えないから。


もうひとつ、ちなみに。

演歌勢がいよいよポップスフォーク色物軸足移したり氷川きよしはじけたりしてるのは、演歌マーケット層だったところがいよいよ(文字通り)死に絶えそうだから、です。


追記

伝わってないけど。。。。

音楽がかわってないわけじゃない。

技術センス更新はされてる。

でも今のメインなマーケットの層は、それを求めてない。

マーケットが動いてないだけ。

新しいことやってる子はいっぱいいるし、元記事でも言及されてる。

2020-08-20

anond:20200820144839

身もふたもないけど気にならない相手とだけ連絡とればいいのでは

みんなで遊んでるならそいつを誘うのが増田である必要はない

次点で「(予約が必要なので)来れそうだったらこの日までに連絡ください」→「忙しいんだねごめんね、また今度にしよう」ってこっちから期限切るか、逆に当日に誘う

2020-07-17

anond:20200717211036

そうね、だいたいこんな感じだろうか。

条件よりも、自分使用したいかを優先する。

誰にとってもあてはめられる条件が唯一あるとしたら、売却しやすそうなもの
そして何よりも、予算に余裕を持つことが大事

最後に、元の増田や多くのトラバブクマ不動産屋は信用ならないという意見が多くて、まぁそういう業界ではあるのは確か。特に賃貸仲介は余り質の良い人材は流れてこない。

ただ一方で市場構造理解せずに市場流通してる情報の質は測れないというのもある。元増田はその辺がいまいちぼんやりしていると思う。株式投資などではアルゴリズム投資可能だが、残念ながら不動産現物投資なのだ。条件を全て網羅しても、取引成立までに地震が起きてひびが入ったらどうだというのが現物投資である。更に言えば不動産は一点ものでその対象不動産に対する取引回数が株式などと比べて圧倒的に低い。一つの不動産が「取引の場」に晒される回数は多くても2、3回がほとんどだろうと思うし、全国規模でいえば一度も市場取引されたことが無い不動産も多いと思われるので、アルゴリズム投資向きではない。条件をどれだけ並べてもむなしいというのはそういうことが理由であると言える。

また、例えばお買い得や掘り出しもの不動産も実際にはあるわけだが、何千万円もする値段の「掘り出し物」が知識もなく全く縁もゆかりもない自分に転がり込んでくるわけがないだろうとも言いたい。あれだけの条件を並べないと市場における良し悪しが分からない人が一点ものの掘り出し物を見つけるのは実際無理だろう。掘り出し物はみんなが欲しいからだ。当たり付きの自動販売機で当たることを期待して缶コーヒーを買う人はまずいないだろうと思うが、なぜ不動産買うときだけそういうラッキーを当然のように期待するのだとも思う。

知人の不動産デベロッパーは昔、耐震偽装問題があった時に「一番いいのは、問題が起きた時に賠償能力がある超大手デベロッパーマンション新築を買うことだよね」と身もふたもないことを言っていた。マンション開発だけしかやってない会社資金余力は小さいので注意が必要。ただし瑕疵担保責任とかアフター補償には適用期限とかあった記憶リフォームも当然同じと考えていいと思う。逆に最近仲介業者が1年ぐらいの補償を付けてたりもする。この辺は増田仲介販売実務をぜんぜんやったことが無いので分かりませんので各自調べてください。

ほな。

■なんか少しブクマもついたので、追記

不動産建築関係事業者は本当に玉石混交不動産屋だから全て信用できないわけじゃなくまともな会社もあるわけでAll不動産会社is悪と言うのは職業差別する馬鹿である。一方で、身もふたもない話だが、お金を持っている人ほど「まともな業者」にあたる可能性は格段に高くなる。ダメ業者かまともな業者か見分ける一番分かりやす方法は「手数料無料である無料をうたってる業者は、まともに対応してほしいなら絶対避ける。一般的には売買仲介手数料不要、というケースはまずないが、賃貸仲介・売買仲介を両方扱っていて賃貸の方は「手数料無料です」と謳ってるならその業者は避けるぐらいでもいい。ちなみに、売買仲介手数料不要ですというケースで代表的なのは、その業者が売却客と直接つながっていて売却客から仲介手数料(法定上限3%)を満額でもらえる話になっていて、かつ調査などの費用負担ほとんどない場合、などに限定されるんじゃないかと思う。仲介手数料は上限が法律で決まっているが下限は決まっていないのだ。

仲介業者仲介手数料収益になるし建築業者建築費の何パーセントかを利益として取る。基本はすべて一点ものなので「生産するほど儲かる」という概念はない。ブローカーなので当然労働集約産業である。したがって、扱っている不動産金額が大きいほど彼らの取り分は大きくなり、その代わり取引におけるリスクも大きくなるからちゃんと躾けられて知識が確かな社員が多くなる傾向がある。そして扱っている不動産の種類や顧客の種類が多い会社従業員ほど現物である不動産状態確認の精度は上がる。会社としてのバックデータ豊富にあるからだ。

ちなみに仲介業者はどんな仕事をしているかというと、「お好みの物件を見つけてきました!」は彼らの仕事のうちの本当に少ない部分でしかなく、「対象不動産についての状況確認」が不動産仲介業者の主な仕事の一つである元増田のように全部自分で調べなきゃ気が済まないのんびりした人も居ようが、適切な金を払い、専門知識がある信頼できる人に外注すれば話は早い。なぜなら前項にも記したが不動産は一点ものであり、かつ所有者がいる「私物である。その一点もの過去取引経緯は少ないのが一般的私物なので調査勝手にできない。そこでブローカーが間に入って必要情報を調べるのだ。こういう作業をしているか手数料がかかる。スペック比較するのはデータで机上でも可能(だしそういう取り組みをしてる不動産テック系の会社は山ほどある)なのだが、それによって分かる情報は実は不動産取引においては実は些末な情報しかなかったりする(例外はあって、例えば、そこそこ築年数が経過した人気が高い大規模マンションだと、同じマンション建物の同等スペック取引例が多くあるので、市場価格リスクがが類推やすかったりする,、初心者向けにお勧めなのだが当然割高ではある)

例えば離婚することになり子供の養育関連や財産分割の取り決めなどをきちんとしようとなったら、弁護士を挟んで協議書類を作る方が、子供にとってより安全な養育環境を作ることが容易になる。夫婦だけで協議書を作るのが簡単ではない理由は、離婚する夫婦は利害が対立しているから、というのと、多くの一般の人にとって民法に沿って家族全員が納得できて子供のより安全な養育環境を確保する取り決めを作ることはそれほど簡単ではないからだ。離婚に関する法律民法理解しておけば何とかなるが、不動産に関する法律はもう少し多い。民法大前提として、都市計画法建築基準法、その他環境関連法や地元自治体が定めている建築不動産に関する規制条例複数ありこれらは不動産価値に大きく影響する(その土地用途≒利用価値制限する法律から)。関連法規が多い一点もの取引をする専門の資格として宅地建物取引士という資格があるわけで、昔は猫でも取れるが鶏では取れない(暗記が多いから)などとも言われたらしいが、一応国家資格である

実際には、日本はかなりの比率法治国家なので、問題がある不動産はあまり多くない、特に住宅に関しては。だから仲介業者はアホでも出来る、不動産業者は客を騙そうとしてると決めつける人は割といる。だがそれは仲介業者問題スクリーニングした後のものを紹介されてるとか、市場適正化されてる(怪しい物件は不当に安かったり)中から選んでいるか一般の人がババを引かずに済むわけで、そのリソース自分で賄える?とは思う。お金がある人ほどまともな不動産業者出会えるというのは、こういう理屈である

増田宅建一応持っているが使ったことがなく、不動産仲介の人たちは頼りになるビジネスパートナーなので悪徳とかバカ扱いされてるのを見ると悲しくなる。また例えるが弁護士業界。昨今の過払い系弁護士なども割とアレだったり、人権派弁護士が逆方向にアレだったりするが「All弁護士is悪徳」と言う人はあまり多くはないわけで、職業(に限らず)差別するやつって浅い思考だなと感じ入る。話は逸れるが、不動産会社ゴキブリのように嫌われる理由の一つに「地上げ的なアレ」「立ち退き的なアレ」を脳内に思い浮かべる人も多いかもしれないが、立ち退き交渉業務は所有者または弁護士しか行えないと法律で決まっている。立ち退き交渉を行う弁護士業務費用成功報酬を割とがっつり取っていく。

元増田はまぁ、まず買わない方が良いタイプだと感じる。最近お金を出せば賃貸でも十分ハイスペックな家を探せるしね。当増田については、築30年の分譲マンション競売で落としてフルリフォームした。超快適。仕事で知り合った専門家たち(仲介さん、建築士さん、施工業者さん)にお世話になった。対価は当然支払ったわよ。

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