はてなキーワード: 踏み込むとは
まず「萌えとは何か?」を考えてみよう。
「さくらちゃん可愛い」と「さくらちゃん萌え萌え〜」はイコールである。
ただし、「可愛い」は形容詞であるのに対して、「萌える」は動詞だという違いはある。
つまり「俺はいまさくらちゃんのことをめちゃくちゃ可愛いと思っているぞ!」というアピールが「萌え」なのである。
では「萌え作品(萌えキャラ・萌え漫画・萌えアニメ・萌えゲー…)」とは何か。
本来の「萌え」は、なにものかに「可愛い」を見出したときに使う言葉であるが、
特に「萌え作品」と書くときは「オタクを萌やすことが主目的の作品」ということになる。
それはつまり「可愛さが主題の作品」と言い換えることができる。
多く「エロ描写が薄くストーリーがシリアスではないもの」のことを指した。
本番シーンまで踏み込むとそれは「可愛い」というより「エロ」になってしまうので、
あくまでエロは添え物として扱うのが「萌え作品」の特徴となる。
全年齢向けの萌えラブコメなどでも同様の「寸止め」傾向があると言えるだろう。
ただしややこしいのが、この「可愛さ」とは世間一般の「可愛さ」ではなく、
オタクを萌やすために奇形的に進化した「可愛さ」を指している、ということである。
歴代でも有数の宰相クラスかつ最大派閥の長がこのような発言をしてくれるのはありがたい。
中国が台湾への軍事的な圧力を強めていることについて、自民党の安倍元総理大臣は「軍事的冒険は経済的自殺への道だ」と指摘し、習近平国家主席ら中国の指導部に対し、関係国で連携して自制を求めていくべきだという考えを強調しました。
自民党の安倍元総理大臣は、台湾の民間の研究機関が開いた会合にオンラインで出席し、台湾をはじめとする地域情勢について講演しました。
この中で、安倍氏は中国が軍事費を拡大させ、台湾への圧力を強めていることに強い懸念を示したうえで、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平国家主席は、断じて見誤るべきではない」と指摘しました。
そして、「日本と台湾、民主主義を奉じるすべての人々は、習主席と中国共産党のリーダーたちに『誤った道に踏み込むな』と訴え続ける必要がある。軍事的冒険は経済的自殺への道でもあり、台湾に軍事的冒険をしかけた場合、世界経済に重大な影響を及ぼし、中国は深手を負うことになる」と強調しました。
また、安倍氏は台湾によるTPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加やWHO=世界保健機関の会合への参加を支持する考えを示しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211201/k10013369541000.html
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
いろいろ観察してみた感じだと、追い越し車線を走り続ける車には何種類かパターンがあって、
➀何も考えてない。
③普段は首都高などの二車線だが追い越し車線のない高速道を利用する事が多い。
だいたいこの4つくらいになると思う。
➀~③は論外というか、自分が迷惑な運転をしてる自覚がないのでもうどうしょうもない。タイミングを見て走行車線から追い抜くか、煽って退かせるか、などのルール違反をする方法もあるが、まぁ普通は生温かく見守るしかない。
④は自分がやべー状況に置かれてる事をだいたい自覚してる。自覚した上でゆっくりと走っている。
パターンとしては、80キロくらいで走るトラックの後ろについてしまい、他に車もいなかったので「慣れてないけど行ってしまえ!」という感じで思い切って追い越し車線に入っているんだと思う。
そして無事追い越す事は出来たが、今度はその追い越した車が気になって走行車線に入る事ができなくなってしまう。
車間距離を充分に取って戻ればいいだけなのだが、そもそもアクセルを多めに踏んでスピードを上げるという事に慣れてないから、なかなか車間距離を空ける事が出来ない。
そうこうしてるうちに後方から速い車がやってきて車間を詰められて焦る。さらに走行車線を走る別の集団に追い付いてしまい戻る事もできなくなる。
結果焦りながらもゆっくりと追い越し車線を走る事になってしまっているのである。
こういう車は、自分で速度を変える事に慣れていないというか、ようするに前を走る車に速度を合わせる事しかしてきてないんだと思う。
自分でペースを作れず、状況に合わせてどのくらいの速度で走ればいいのかが分かっていないし、そもそもアクセルを多めに踏むという事を恐れている。
個人的には高速道路を走るのであれば、瞬間的に120キロくらいまでアクセルを踏み込む勇気がないとダメだと思うんだけれども、そこは他所様の事なので言っても仕方ない。
まぁ怖いもんは怖いんだろうし、そういう車に遭遇したら、プレッシャーを与えないようになるべく車間距離を取り、いつか走行車線に戻れるよう生温かく見守るしかないのである。
作ればいいというものじゃない。買って食べてもらわないと意味がない。
今は、生産と消費と災害と補助金、高齢化による離農と参入、規模拡大がある意味よくバランスされていると思う。
ただちょっとした揺らぎでどこでどう転ぶか分からないので、とても不安ではあるが、
そのリスクを打ち消してくれるのが農業収入保険という制度。もはやこれは社会保険の一種だとも思う。
ただその効果は3年程度だ。過去5年の売上を平均して収入補填をする仕組みなので、
●消費拡大を唱えるが、輸出はできない
長期的に消費は落ちていく。
今のところ、輸出で成功しているのは高級果物と肉と加工品(日本酒など)だと思う。それ以外はムリ。
そこには色々な事情があり、個別の農家ではどうしようもない。一例をあげる。
・コメ
1俵2500円、安い安いと騒がれている今年のJA仮渡金(販売額みたいなもの)の一番安い地域の1/3だ。
もし輸出前提で作るコメに補助金がつくのであれば、その大義は国防だと思う。つまり過剰生産しても国民の食糧を守るということ。
そもそもコメの生産国は、自国消費分を作っているのがほとんどであって、生産量に比して輸出量が少ない。
基本的にはほとんどの国が国内消費を前提としている。例外的に生産超過しているのがタイとインド。
中国は現時点ではコメは生産力不足で輸入超過状態。しかしリン鉱石産出量世界一という農業上の最大のアドバンテージがあるので今後は未知数。
肥料について、すでに中国に首根っこを掴まれている状態のようだ。
・野菜
日本には野菜を長期保管するように加工できる施設が十分にない。
なぜなら、日本は国土が狭く生鮮品が生鮮のうちに目的地に着くため、加工施設が必要ない。
その他冷凍・長期保存技術の普及状態などは、おそらく勝ち目がない(たぶん)
投資をしたところで、ほとんど輸出前提の場合のみに使える技術となるので、元から加工が必要な国と比べると分が悪いだろう。
すまないが、これは想像も入っているので、気になる人はファクトチェックをお願いしたい。
全ての工程を自動化することは不可能だ。必ずボトルネックが存在し、そこには人間がいる。
農業は種籾を入れたらコメになるような機械が存在するわけではないし、
この例えですら「種籾を入れる」というボトルネックになりうる工程が存在する。
(#追記:籾を入れてコメにする機械は存在し、それを精米機というが、ここでは主題から外れるのは理解してもらえるだろう)
自動化をすすめるというのは「どこまでコストをかけてボトルネックを解消するか」という問題に半分は置き換えられる。
残念ながら、機械が高度になればなるほど、人間の作業環境は過酷になっていくのではないだろうか。
例えば田植え機を自動化できたとして、今の速度の2倍の速さで作業ができるようになったとしよう。
(田植え期間は限られるので、機械の性能向上と達成可能な規模拡大の最大値はイコールになるだろう)
苗の補給はというかコメ栽培で最も重労働なものの一つ、田植え作業の半分は苗運びと言っても過言ではない。
・2倍の作業者を投入して2倍の面積をこなす(田植え機をボトルネックになる)
・作業者数を同じとして規模を1.33倍にする(苗運びがボトルネックになる)
である。高齢化人不足の業界で前者が容易ではないのは想像つくだろうし、
後者は機械に乗る時間が規模拡大前の0.67倍になるが苗運びの時間は1.33倍になっている。
多分体がもたない上に2倍のはずの機械の能力が発揮されている気がしない。
これでは規模を拡大しない方が正解な気がする。
余談だけど、ヤンマーが提唱した密苗は、この業界では珍しく苗運びの負担減までを考えた優れたパッケージだと思う。徒長しやすいという問題は残ったが。
僕の予想は
・機械化はもう少し進むけど自動化は止まる。結局は人間がやる方が応用がきく。AIの出る幕は全然ない。
・分業が少し進み、プロ農家の仕事は野菜・作物を作ることにフォーカスされていく。イメージとしては酒蔵の杜氏が近いと思う。
・セミプロ農家としての収穫家(とでも言うべきか、収穫調整に特化した人、今はパートのおばちゃんが担当)の登場
・野菜農家は農作業者(正規雇用)1名あたり700万円程度の売上で4人程度で1経営体あたり年商3000万円程度(北海道を除く)
・コメ農家は1経営体あたり15-30ha程度、農作業者(正規雇用)が1-2名程度
多分、このくらいがそこそこ機械に投資もできて利益も上がる、最も競争力が上がる領域ではないだろうか。
そこから上は、規模拡大だけならハイリスクローリターンの領域なので、
突き出るためには、余程の工夫を凝らすか、余程良いビジネスモデルを構築できたものだけだろう。
・きちんと対策を打っていかないと、セミプロ農家が低賃金化していく。
・需要があれば規模拡大を狙う農家は出る。田んぼ一枚増えたところで限界費用は低い。それゆえ食糧不足にはならない。
・60歳あたりで参入してくる人は相変わらずいて、80くらいになれば誰でも限界が来る。農業従事者の高齢化は高止まりしたまま動かず70歳あたりを維持する
も付け加えておく。
表記の件について意見募集が開始された (https://www.digital.go.jp/posts/ckWVVAya) というので仕様(https://cio.go.jp/sites/default/files/uploads/documents/digital/20210917_spec_01.pdf)を見たら、なんか国のお墨付きの個人情報の名簿登録補助ツールみたいな上に、証明書としては全然機能不足にしか見えず、がっかりした。
批判だけでもなんなので、自分ならこういうの作るという意見書出しといた。
などの理由から、有益とは思えないし、電子証明書としての信憑性も非常に疑わしいシステムしかできないように思われる。
この仕組みを活用したい立場としては、「接種者の個人情報」ではなく、「二次元コードを提示した人が接種済みであること」が確認できればよいので、
2. 申請した個人(ないし端末)毎に、APIサーバでユニークなIDを発行する
3. システムの接種確認用APIに2.のIDを付けたURLをQRコードで表示する(IDを種として、ワンタイム識別子をアプリとサーバで計算するなどの設計も考えられる)
4. APIにアクセスすると、接種証明情報として、最終接種回数と接種日のみを返す
2. QRコードのURLが偽サイトではないことを検証する(HTTPSのSSL証明書確認ぐらいでも十分で、政府が発行する公式アプリとすることで信憑性を担保する)
もっと踏み込むと、国として、接種証明として表示した国民の個人情報が、民間企業において確度の非常に高い顧客名簿になりかねない、という点については、どのように考えているのかはなはだ不安を感じさせる仕様と言わざるを得ない。
(ここまで)
いま読み返していて単純に「IDを種」にするだけではダメなことに気づいた。申請時にワンタイムトークン計算用の秘密の種を共有しておいて、個人(端末)の識別用IDとワンタイムトークンをAPIに渡すようにする、とかが必要だった。
国民の個人情報を、わざわざマイナンバーカード使って本人性を保証した上で自動読み取り可能な形でスマホの画面に表示するだけのアプリって、どこぞのeKYCの対極ネタとしては面白い(面白くない)。
https://anond.hatelabo.jp/20210824003850
同様に参加されていた増田氏がまとめてるのを見て、自分も素直に感じたことを残しておくほうがよいのではと思い書いてみました。
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すぐワクチン接種できたのは幸運、さすがに1回も打ってなかったら参加してなかったと思う。
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前述の増田氏と同じ意見も多く、それ以外でなにかあるかなといったことを中心に。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/ce93abb96530fc03b596e24bcb568c328bf804b4
今日、入場者数が公表されていたが、例年の4分の1ぐらいじゃないかなあの感覚どおりだった。
参加経験者向けにいうなら金曜の11時ぐらいが人手ピークといった感じだろうか。
フェスになじみがない方向けに補足だけすると、入場券は「3日通し」「前2日」「後2日」「当日のみ」がある。
のべ人数のため、ユニークに3万5千人が来場したわけではなく、かつ通し券利用者が多いフェスのため、ユニークだと2万人前後だろうか。
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歴史があるゆえに近年は中年層がぶ厚いフェスだが、例年よりも20代が多く感じた。というよりも30~40代が少なかったのかな?
おそらく年齢的に小さい子供がいるなどの理由で断念 or キャンセルした層がここら辺なのではと推測(実際に周りでもいた)
日本人アーティストのみというのも微妙に影響してそうな気はする。
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参加経験者以外には伝わりづらいかもしれないが、コロナ対策の一環と思われる変更がかなり加えられていた。
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駐車場と連結してるスペースにあった物販&飲食店はなくなり、抗体検査可能な場所を設置、これまでよりずいぶん前方にある入場ゲートにてアプリ確認などが実施される。
それによって飲食店舗は、すべて入場確認後の場所のみに設置されていた。
ようは運営が会場と位置付けている外の部分では、人が集まるような場所を提供しない形に変更していた。
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従来は比較的大きいスペースには喫煙所が準備されていたが、今回だった広い会場内で3か所だけ。
(経験者向け補足;ホワイト~ヘブンの間にひとつ、旧オレンジ~アバロン間に1つ、あとは従来の入場ゲートから外に出てちょっといったところに1か所)
かつ入口には必ずスタッフがおり、入場人数も20~40人に制限していた。時代ゆえ、喫煙所は年々減少傾向だったが、今年はさらに密対策として減らしたのかなと。
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ゴミ箱の設置場所は明らかに多かった。トイレも増えてた気がするけど、もしかしたら勘違いの可能性もあるかも。
近年のゴミ箱はむしろスタッフを設置しないで、分別などを自主性に任せるいう面白い試みをしていて若干逆効果だったが
今年は捨てれる場所を増やす&ごみを放置しないを徹底のためか、常にスタッフが配置されていた。またスタッフが絶対にごみを手渡しでは受け取らないも徹底されていた。
溢れているゴミ箱は一度も見なかったりなど、スタッフの方々へはこの場を借りてお礼をいわせていただきたい。ありがとう。
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外で立ち飲みや、酒の写真投稿などが話題になっているのは見たが、事実として可能な状況だった。
一度会場外に出て、駐車場スペースまたはキャンプ場スペースへ戻り、そこで飲酒することはできる。
実際にキャンピングカーでの来場者がお酒を並べていたのも1組だが目撃したし、上記の酒投稿もああ駐車場スペースだなとわかった。
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主催者がどこまで管理するべきなのか、大小とわず会場外での行動まで制限するのは不可能であり、難しい話だと思う。
今回のケースであれば若いボランティアスタッフが注意するのは困難だろうから、せめてある程度の責任者が直接注意するまでできなかっただろうか。
ただ、そこまでやっていたかもしれないし、怒られた客がさすがにそれをネットで書くほど馬鹿ではないと思うので真実はわからない。
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会場"内"での飲酒については、見た範囲ではいなかった。また隠れ飲酒できそうな水筒持ち、クーラーボックス持ちも見かけなかった。が、見なかったといなかったは違うので、これ以上は僕にはわからない。
なお会場内ではノンアルコールビールなどは販売しており、会場で酒を飲んでるやつを映像で見た!というのは見分けもつくわけもなくデマでしょう。
ご存じの方も多いとおり、入場時にアプリによる本人確認は必須。さらに現地ではOSが古いなどアプリ利用不可の場合は入場ゲートで都度紙に書かされる仕組みを準備していた。
ここまではよいが、多少事前登録がガバで、PCR検査が実施済み確認は選択式なだけで写真などの証明は不要のため、虚偽報告で検査してなくても入場可能であった。
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会場での抗体検査場の設置、事前にも再三の検査実施のお願いなどがんばったのであれば、ここはもう一歩踏み込むとよかったのではないだろうか。
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比較的ここまで淡々と書かせていただきましたが、あとはいろいろと自分が思ったりしたことです。
議論しても発展的な話にはあまりならないと思いますので、あくまで一個人の意見として読み飛ばすぐらいでいただけると助かります。
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「国・自治体が主催であるオリンピックと、一企業が主催のイベントを同列に比較するのはどうなの?」派です。
これまで国からのお願いベースでの感染対策中心にどうにかごまかしてきた中で、イベンター側にできることは「ガイドラインを満たす」そのうえでやれることを知恵出してやる、ここまでじゃないでしょうか。
そのうえでの論理的な批判であれば、真摯に受け止めるべきだと考えるし、その一助になればと思い上記の現地レポを書かせていただきました。
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正直ね、どうでもいいんすよ。よくフジロックと政治を絡めてごちゃごちゃ盛り上がってるけど、参加者の99%ぐらいは興味ないですよ。だって音楽聴きにきてるんだから。
フジロックの政治ネタで一番盛り上がってるのは、「フジロックに参加してないひと」たちです。まあ多くの人はわかってて、スルーしてるだけだと思いますが。
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本当に様々な反応があった。
参加見送り、開催前に長文で意志表明、選曲によるメッセージ性、ストレートに思いを伝えるMC、逆に深くは触れずただ楽しいフジロックが返ってくることだけを望むMC、etc
サンボマスターがわかりやすく選曲からMCまで含めコロナ過への思いを伝えれば、META FIVEは逆にキャンセルした某オリンピック絡みの人への彼らの想いを選曲や使用楽器だけで伝えた。
ただ熱い想いをストレートにすべてされけだすのも、あえて言葉にせずに音楽だけで伝えようとしたのも、どちらもカッコいいなと僕は感じた。
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ほんとコロナウィルスって恐ろしいよね。潜伏期間や感染力、重症度の微妙な低さ、自重するしないことによる感染リスクの有無、これまであいまいにしててもそれほど問題にならずに生きてこれたことを、ぜんぶ白日にさらす。
それにより分断の加速と、その加速速度をさらに上げるSNSの普及率。ただ、あれだけはやめてほしいよね、あの勝手なカテゴライズして「フェスいくやつなんて全員〇〇なやつらだから」みたいなやつ。
そういうのほど★なりいいね集めるのはわかるけどさ、いいねした側された側の承認欲求が満たされる以外なんかが生まれるのかね?
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今回いちばん見たかったアーティストだったが、それを差し引いても演奏力、演出力ともに突出していて、「海外のヘッドライナーかな?」ってレベルのライブで度肝抜かれた。
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言いたいこと終わっちゃった……ほな……また
以下蛇足
これつまり国民は馬鹿だからラクショーで騙せるって前提で動いてるってことだから。
どうせ全ての政治家は多かれ少なかれ国民を騙すつもりで来てる所はあるんだろうが、それに対して国民が出来ることって騙されないぞって牽制かけて相手に自由にやらせないことなんだと思うわけ。
完全に調子に乗って国民なんていくらでも騙せるし舐めた態度取ってもいくらでも平気じゃんって政治家に思われたらそれこそ好き放題される。
政治家に対しては「国民を騙すための下準備としてさもちゃんと働いてる風に努力してるポーズをしてたら、その準備期間の間に寿命が終わったわ」みたいな人生を歩んでもらうぐらいの気持ちで投票しとけばいい。
その基準として、まずはマニフェストの段階から完全にこっちを舐めてかかって全力で騙しに来てないかをチェックしたい。
埋蔵金がありますとか、私が政治家になったら黒歴史を暴きますとか言い出したら基本的にアウトだと思っていい。
選挙は政治家を選ぶことが半分、一国民として自分たちに主権があることを主張する機会が半分って気持ちで挑んだほうがいい。
よく言われる自分たちの世代が票田だと思って貰えないとそもそも何も始まらないってのは実際真実。
全部の政党がクソにしか見えないし、見事にマニフェストも全部嘘にしか見えないってときはひとまず泡沫にでも投票しとけばいい。
どこを選ぶかはその次。
「落選する政治家にいれたらその投票って「無駄」つまりは「負け」じゃん」みたいな考えはしない方がいい。
選挙は勝ち馬を当てるゲームではないし、当選した政治家に投票した人が「正しい」というわけでもない。
たまにいる「お前あの政治家に投票したの?でも落ちたじゃん?お前見る目ねーな」みたいな根本的に全てを勘違いしてるようなのは完全に無視していい。
というか選挙の話って行きましたかあのデパートで期日前やってましたよ便利ですねぐらいまでしか話さない方がいい。
どこに投票したのかって話は相手の内心に深く踏み込む行為になるし、下手したら身近に特定政治家の強烈な支持者がいて超面倒なことに巻き込まれたりしかねない。
鈴の音を纏うように凛と歩く人だった。顔立ちは美人だった。他は可愛いい人だった。
僕が好きになったその人は、僕のことが好きではなかった。イバラのようなバリアを張った。近づこうと踏み込むたびに、それ以上に遠ざかり、棘が刺さった。
自分から離れる事が出来なかった。近づこうとすることしか出来なかった。離れていくあの人、近づくことはない。今日が残りの人生で一番近くにいられると思う日々だった。
挨拶されるのが嫌だったと、噂する声を聞いた。隣に立っていたら、一歩距離を取られた。そうやって毎日、毎日、何度も心を痛めた。いつも新鮮に、全力で傷ついた。
それが二年続いた。毎日、顔を合わせる。目が合うことはない。毎日、挨拶をする。心が通うことはない。もし一緒にいれたらとても楽しいと思った。楽しいのは自分だけだと思い直した。とても迷惑だったろう。謝罪すらできないけれど。
長い時間をかけて、少しずつ、心が剥がれて、離れて、あの人を考えなくなった。穏やかな日々が戻ったようで、僕はなんだか安心して、はた顔を見つめた。
鈴の音を纏うように凛と歩く人だった。顔立ちは美人だった。他は可愛いい人だった。
僕が好きになったその人は、僕のことが好きではなかった。イバラのようなバリアを張った。近づこうと踏み込むたびに、それ以上に遠ざかり、棘が刺さった。
自分から離れる事が出来なかった。近づこうとすることしか出来なかった。離れていくあの人、近づくことはない。今日が残りの人生で一番近くにいられると思う日々だった。
挨拶されるのが嫌だったと、噂する声を聞いた。隣に立っていたら、一歩距離を取られた。そうやって毎日、毎日、何度も心を痛めた。いつも新鮮に、全力で傷ついた。
それが二年続いた。毎日、顔を合わせる。目が合うことはない。毎日、挨拶をする。心が通うことはない。もし一緒にいれたらとても楽しいと思った。楽しいのは自分だけだと思い直した。とても迷惑だったろう。謝罪すらできないけれど。
長い時間をかけて、少しずつ、心が剥がれて、離れて、あの人を考えなくなった。穏やかな日々が戻ったようで、僕はなんだか安心して、はた顔を見つめた。
前提として
はてなやtwitterを見てると「〇〇はフェミサイドを煽っている!」「社会に対してフェミサイドを発生させないような啓蒙が必要」みたいな論を見るんだけど (https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20210807-00252079 この記事とかね 内容に関しては概ね同意するけどこの記事に書いてあるような事をやったところで対策になるとは思えない)
それってなんか意味ある?
所謂フェミニストをはじめとする女性の地位向上のために色んな運動を行った結果ある程度是正されてきているけど
それって「セクハラはダメ」「女は〇〇するべき」みたいな時代で移り変わる価値観(考え方?)みたいなのが「昔はこういう風潮あったけど今はよくないよね」って方向にもっていった事だと思ってる
だからそういった考え方を広める事で女性の地位向上や被害を受けた女性が我慢する必要がないみたいな考え方を男性含め社会全体で発信していくってのは全然いいと思う
でも、「他人に対して殺傷してはいけない」なんて考え方は今も昭和後期の時代も変わらんと思うのよね
女性に対して「結婚しないのか」「かわいいね」「なんかべたべた触ってくる」等々の事を言ったりしてた連中も流石に「女は別に殺してもオッケー」なんて考えは持ってなかったと思うのよ
でも実際件の小田急の犯人はそれをやったわけじゃん?じゃあ、社会全体的に「フェミサイドは良くない!」とか発信したところで止められたかと言うと自分はそうは思わない
他人に対して殺意を覚えて実行まで移す人間に対して「女性に対する加害行為はやめよう!」なんて説いたところでなんか意味あるんかなーというのが疑問
まだ
とかの方がいいんじゃないのかなぁ
とかここまで書いて思ったんだけど少なくとも自分は今回の件でこういった対策をしてはどうかな
分からん…
とりあえず問題がある事を提起して皆で対策を考えようってフェイズに持っていける事を考えれば意味はあるのかなぁ
ヒトラーとナチ・ドイツ、ってタイトルの通りヒトラーが政権を握り戦争に踏み込むまでをわかりやすく説明した新書読んでたんだけど、冒頭のほうはぶっちゃけ楽しかった。冴えない画家志望が敗戦した国軍に職を求めたら職場の雰囲気にあてられて筋金入りのやべーやつになっちゃったあと、同じような教義を抱えた零細団体は戦後雨後の筍のように数多くあったなかで、自身の天才的な演説や口撃手段を元に支持を増やしていき、イキって挫折し、ちょっとした幸運(この辺だいたいバイエルンの既存政治家の保身が理由というのがくっそ笑える)に助けられて生き延び、天才的宣伝家ゲッベルスなどに助けられて本格的に飛躍するという、なろうかよ的なストーリーだったし。
でも後半からいっきに怖くなった。共産党などへの武力行使はさんざん描かれてはいたものの、ピントは来てなかったけどまじかまじかって感じで。
国政の成功が共和国でいっきにすすんだ男女同権から女性を強制的に家庭に押し込めることでの失業率回復や、青年を市場労働力をボランティア()の形で制限させて代わりにマティズモ的な結束力を精神的に植え付けるという、いかにもナチスだわーって政策で、決してそれは成功でもないし賛同できねーよ!!ってのも納得した。こんなんホロコーストなくても認めちゃだめだわ。
ただ、納得いかないのが、国会議事堂が燃やされた前後、無能大統領につけ込み、合法的手段で授権法を成立させる鮮やかさで、当時の法規を隅々まで知った上じゃないとこうはならないと思うのだけど誰の補佐があったのか。
日本の政府内にいる人たちも時々口が滑ってナチスの名前を出すわけだ。全く理解できないけどそりゃ共感するよな。基本的人権なんて理解してなさそうだし、優生保護法で優生側だって絶対思ってるし。
とても読み応えがあった。