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2020-07-22

オタクジェンダー規範に関する研究を読もう

twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタク女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見対立していることはどのくらい知られているのだろうか?

ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!

あの棒グラフの出典は、社会学者北田暁大による若者趣味に関する研究の一節である北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者山岡重行による研究である山岡2016年単著において腐女子心理学的に分析し、腐女子恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。

山岡研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージ存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクから否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと山岡 2016: 99, 132)などは、オタクあいだでは公然事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタク腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイス大きなお世話というかソバイスの極みであり、腐女子心理について質問調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡データに基づく研究重要性を主張するが、物語構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法採用する必要があるはずだ。心理学実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。

では、それを批判した北田研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ

まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田依拠しているのは、2010年練馬区1988年1990年まれの男女に対して行った調査である。つまり2020年現在アラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。

北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。

北田はまずオタク操作定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガきっかけでできた友だちがいる」や「アニメきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタク大勢いるだろうがコンテンツきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者趣味というテーマを掲げていて、趣味人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタク定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!

そして北田は、上記のような質問定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまりオタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガ二次創作(同じ登場人物で、原作ストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典マンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作マンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。

さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク女性二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまりBL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BL一次創作同人専門の読み手二次創作に手を出していなければ「女性二次オタクである。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラ無駄淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作である。種つけおじさんレイプ百合区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。

だが北田定義おかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子概念存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???

言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CP百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?

さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性ディープ男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクディープオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。

総じて、北田研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである二次創作好きな人ディープオタク腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくま論理的には一対一で対応しているわけではないのだからディープオタク定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に客観的な測定が困難な「ディープオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。

少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作定義あんまり見当たらなかったのに、北田論文操作定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作定義おかしいんだもん。

で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作定義おかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。

最後に、北田山岡のどちらの研究おかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。

北田データ練馬区若者から採ったものであり、山岡データ都内複数私立大学学生から採ったものである。つまり東京圏居住しているか、通える距離に住んでいる若者データに偏っており、さら後者大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化拠点東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味学歴が及ぼす影響を考えると、東京圏若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクサンプルに過ぎず、オタク代表例とも若者代表例ともいえない。

とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪札幌などの東京以外の大都市圏)からサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないかイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。

それと、北田山岡統計データを重視しているので、あえて質的研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタク自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタク腐女子自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者営為無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化のものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。

いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作定義を見てると、彼自身オタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田定義トンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああい定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。

あと北田研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田研究別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……

追記

よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても

2007年練馬区若者においては、漫画アニメが好きで二次創作を好む男が

それ以外と比べて保守的男尊女卑傾向だ、って事はとりあえず事実、って事になるのでは

anond:20200722104112

これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。

ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。

続きはanond:20200722142616で。

文献一覧(あいうえお順)

2020-07-19

夏厨」が死後となった世界で僕らはどう生きていくべきか

スマートフォンの普及により今では幼稚園児すらもインターネットに生息している。

僕らが子供の頃、インターネットゲームパソコンしか遊べなくて、そのパソコン学校だとか金持ちの家にしかなかった。

あの頃はインターネットなんてものは奇妙な無法地帯であり、そこで遊ぶということはアンダーワールドに片足を踏み込むのと同義だった。

今で言うダークウェブが、モデムを通して一歩ネットに踏み出したすぐ先に広がっていた。

その世界ものすごく危険場所だとみんなが知っていたから、サバイバルマニュアルを読んでから踏み入れるのが当たり前だった。

そこからADSLなんかが始まって少しずつ、何も知らずにその未開のジャングルにやってくる旅行者が増えてきた頃、港町の周りぐらいは治安をまともにしようって動きが出はじめて、浅瀬でチャプチャプするだけならそこそこ安全になっていた。

それでも、最低限の知識、リアバレだけは絶対回避しろだとか怪しいソフトは入れるなとかコマンドコンソール意味理解してない言葉を打ち込むなとか、そういった事を学ぶことは不文律義務付けられていた。

でも夏休み冬休みに暇を持て余していた新参のガキだけが、それを理解してなかったら悪目立ちして、「夏厨」という概念誕生するに至る。


あれから数十年。

今やルールなんて何も知らずにネットにやってくるキッズの数は計り知れない。

年齢だって非常に若くて、アンパンマンセイキン動画についてる応援コメントの中には言葉を覚えたての幼児だって珍しくないだろう。

「草」だとか「オモローwww」とかの言語能力幼稚園レベルにまで退化した大人たちのコメントに混じって、本当に言語レベル幼稚園児の幼稚園児が紛れているんだ。

そんな中では、厨房なんてまだ話がわかる相手になってしまう。

こんな状態では、常識マナールールルーツ、そんなものは全部流されていく。

新しい時代だ。

どう生きる?

今目の前にいる相手が、幼稚園児かもしれないインターネットを?

2020-07-16

アラサーアラフォー文字書き女オタク逃げられないフェミニズム

なぜ文字書き女オタクフェミニズムと長時間触れ合わなければならないのか?

まず先に謝罪しておくが、表題の件に関して書くに至ったのは完全なる私怨である

何年も前から視界に入っていた話題ではあったが、今年に入り、恐らくはコロナ禍によるネット上での情報交換の活性化によって、フェミニズムを取り巻く環境はどうやら次のフェーズ突入していると体感たからだ。

ちなみに本稿ではフェミニズムとツイフェミミサンドリー男性嫌悪)をあえて区別しない。

本人たちがフェミニズムを名乗っている以上、第三者あるいは敵対者である私がレッテル押し付けることは人倫にもとるからである

さて、ある程度年嵩のいった文字と縁のある腐女子ならSNS上で一度はフェミニズムという言葉出会たことがあると思う。

出会たことがない、という人はある意味幸運かもしれないし、この記事を読む必要が無いかもしれないが、おおまかに女性女性の権利を救い守るために必要な知見や思想」と踏まえれば本稿を読むにあたっては事足りる。

ひとつ踏み込むならば、本邦のSNS上で扱われるフェミニズムは「男女不平等現実への批判」の議論積極的に取り扱うものであり、所属コミュニティ個人によって定義あいまい杓子定規として運用されている、と否定的立場で記させていただく。


閑話休題、一行目に戻る。

なぜ文字書き女オタクフェミニズムと長時間触れ合わなければならないのか?

かねてから私の心中で重く鎌首をもたげていたこの疑問はこのほど「自分の周辺コミュニティではない遠い誰かにさまざまな意見を出してもらわなければ気が済まない」までに肥大化した。

現段階で答えを持っている、もしくは類似体験報告があるようであれば何はなくとも発信して欲しい。


どこが発端だったのか?

なにが親和性をもたらしたのか?

政治宗教話題タブーとしているような人でもフェミニズムで人と繋がり始めるのはなぜなのか?

ファンフィクションで繋がった同好の人間のそれまでの生き方思考、時には学歴まで否定して啓蒙しなければいけない理由はなんなのか?

フェミニズムを説きながら既婚や子持ちオタク女に家族恋人たる男との離縁を推奨するアカウントが現れたとされる現象は、局地的なものなのか、それとも同時多発的に各地で起こっているものなのか?

今日もまた、昨日までフェミニズムを知らなかったようなアラサーフェミニズムに関心を持ち、数時間のうちにフェミニスト文字書きオタク女に囲まれて飲まれていく姿を見てしまった。

彼女は傷ついていた。自分無知を恥じるようになっていった。焦るように周囲の男性否定し始め、その気づきを「よくやった!」とアラフォーたちが持て囃し、恐らくあの経験固定化されるなと確信できる流れが形成されていた。

こうなると待っているのは反射的にフェミニズム話題RTしまくる、思考を伴わないゾンビになるだけだなと過去の見てきた経験を思った。

せめて自分言葉で考えられるように導いてあげればよいのに、といつも思う。フェミニズム文字書きオタク女の心情を察してアタリハズレで採点される恐怖をこれから味わい続けながら、アタリを引き続けるためにあの雛鳥は親鳥の真似をし続けるのだろう。

もううんざりとしている。

2020-07-15

アンパンマン宗教の話

最近アンパンマンのマーチ仏教的だとかアンパンマン思想釈迦を表してるだとかよく見かけるようになりました。ちょっと前はアンパンマンキリスト教だ!っていう話も上がったりしてました。

分かります。どっちの意見も分かります

分かるけど・・・うーんって言う気持ちもあります。その、うーんっていう気持ち理由を今回はつらつら書きたいと思ってます

※私は仏教に関してはそんなにあかるくないです。どちらかと言うとキリスト教の方にはあかるいのですが、それもその宗教を実際に信仰している方ほど完璧、という訳ではありません。ですので、そのような方がお読みになった際は「これは違うぞ!」と思うところもあるかなと思いますが、どうかお許しください。

1.やなせたかしさんの宗派の話

ちょっと前に、「やなせたかしクリスチャンだった!」という話があがってました。しかし、色々解析すると仏教徒なのでは?という反論があり、結果クリスチャンでは無いのでは?となっていたような気がします。

しかし、宗教本来タブーな話で誰が何を信じてようとそこには踏み込むべき話題ではないので、自身が明言したり、それ以外の人間に分かるほど「熱心な仏教徒」だったり「熱心なキリスト教徒」だったなら話は別ですが、そういう訳では無いのに「作者は仏教徒だから仏教が関連しているんだ!」とか言うのはステレオタイプかなと思います

わかりやすい熱心な仏教徒の話を上げますと、宮沢賢治とかですかね。彼は熱心な仏教徒でありながら、キリスト教にも興味関心を持っていたそうです。なので、作品にもそれが存分に生かされてる、というのは納得のいく話しです。

対して、やなせたかしさん自身は「私は仏教徒の家系に生まれです」とかは言ってないし、周りの人物も「彼は熱心な仏教徒だった」とは言ってないわけです。キリスト教に関しても一緒です。そりゃ、今と違って家系仏教なら仏教の教えを信じるとか、キリスト教ならキリスト教の教えを信じる家系だった可能性もあるので、そうなるとやなせさん自身作品にも生かされてる可能性はあります自身が信じてきたもの作品無意識的に反映されるものですので、有り得なくはないです。でも、断言ができるものでは無い、ということだけは事実です。

2.アンパンマンができた経緯

アンパンマンやなせたかしさんの正義が込められたヒーローです。

やなせさんは戦時中兵隊として敵国と戦っていました。その時に怪我などよりも、飢えが1番苦しいということが分かったそうです。それがアンパンマンの顔がアンパンである理由でもあります

国に帰ってきた時に、今まで正義だと信じてきた「敵国を倒すこと」が間違いであると、叩きつけられます。その時に、やなせさんは「正義と悪なんて、ある日突然、逆転するんだ」と実感したそうです。

戦後アメリカなどから多くのヒーロー達が輸入されてきました。そのヒーロー達は皆、設定された悪役を倒すだけ、当時日本に多くいたような困ってる人やお腹を空かせてる子供達には目もくれず、ただ悪役を倒すだけだ、でもそれは違うのではないかと感じたそうです。

以上の経験から、やなせさんが正義の味方、ヒーローを作ろうと思った時に悪役を倒すだけではなく、困ってる人やお腹を空かせてる人に手を差し伸べるヒーローを描きたいという思いで、アンパンマンが出来たそうです。やなせさんは「逆転しない正義献身と愛だ。それは難しいことに聞こえるようだけど、簡単に言えば、お腹を空かせてる人にパン差し出すこと」と述べてます。(一字一句覚えているとは言いきれませんが、印象的だったので覚えていた言葉です)

この辺りの「献身と愛」がキリスト教的に引っかかるのかなと思いますキリスト教献身大事にしていますから・・・。

その、やなせさんの考える逆転しない正義体現してるのがアンパンマンだというわけです。

ちなみに初めにできたアンパンマンパンを作り、戦争下でお腹を空かせる人々に敵味方関係なく、空を飛んでパンを届けるふくよかで到底イケメンとは言えないおじさんだったそうです。彼はいものようにパンを届けている時に、砲弾に当たり、命を落とすという最期を迎えます。そのようなおじさんの姿から、土台は一緒ですが、アンパンの顔をしてお腹を空かせてる子供アンパンを与えるヒーローに変わり、今のアンパンマンが出来ました。

3.やなせさんの考える正義の味方について

正義の味方はかっこよくないというのがやなせさんの考えです。だからアンパンマンもどこか情けない感じですよね。顔が濡れたり、歪めば力は出ない。彼自身、顔をよく分け与えてますが、それをやってもやはり弱くなります。それはやなせさんが考える正義を行うものは必ず傷つくというのが体現されてるからだそうです。だからアンパンマンは人を助ける時に弱くなる。マントがちぎれて飛べなくなることもあるし、命を落としたこともあります。(明確な死の描写はないものの、映画では2回ほど死んでいると思いますいのちの星のドーリィという映画では確実に命を落としてます)

それでも困ってる人を助けるためには身を投げ出す自己犠牲の考えがどこか仏教を感じるところなのかもしれないですね。

アンパンマンは作中にこんなことを言ってました。

「初めて人を助けた時に心が暖かくなって。その時わかったんだ。なんのために生まれてきたのか。何をして生きていくのか。何が僕の幸せなのかってことも」(いのちの星のドーリィ参照)

自身が困ってる人を助けることが自分幸せだと答えています仏教自己犠牲って他者利益を得るためにやるものだけど、自分幸せまで含んでいたかな・・・という疑問を感じたりしてますキリスト教でも自己犠牲は出てきますね。宗教で、割と自己犠牲は取り上げられているので、そこでアンパンマン生き様に引っかかるのかもしれないな〜と感じました。

4.バイキンマンについて

やなせさんはアンパンマンという物語に本当の悪役はいないと言っています。前述の通り、やなせさんは悪役を倒すヒーロー達に疑問を覚えていました。なので、バイキンマンは悪役という物語に出てくる少しの毒として存在はしていますが、どこか抜けてるというか悪役にしては可愛げがあるのが印象的です。

加えて、バイキンマンアンパンマンは2人が一緒にいることでバランスがとれてる状態で、どちらが欠けてもダメだと言っています

からバイキンマンも何故かアンパンマンにとどめを刺す時にさっさと倒せばいいのに毎回隙を作るし、アンパンマンバイキンマンのことをパンひとつで許します。

それでもバイキンマンは「アンパンマンを倒すこと」が目的なので(もちろん、腹が減れば人からパンを奪うし、ドキンちゃんワガママに付き合わされる時もあります)、アンパンマンを倒すためにメカを作ったり、パン工場自体をどこか変なところに移動しようとしたりと工夫を凝らしています。ちなみにアンパンマンの方はどうかと言うと、アンパンマンはみんなのことが大好き(映画勇気の花がひらくときを参照)で、みんなと仲良くしたいので、バイキンマンとも仲良くしたいし、バイキンマンお腹を空かせていたら普通に顔をあげる男です。なんて言うすれ違いでしょうか・・・。

余談ですが、アニメ1話ではアンパンマンは襲ってきたバイキンマンジャムおじさんバタコさんと共に洗剤の入った水の中に突っ込んでいました。下手したらアニメ1話バイキンマン死す!って状態だったのに、バイキンマンは小さくなりながらもしぶとく生き延びて今に至ります。昔の方が彼は容赦ないです。

4.さいごに

長くなりましたが、つらつらと書きました。

別に仏教と結びつけるな!とかキリスト教と結びつけるな!とは言いません。それは1つの考察だとは思います。ただ、「アンパンマン仏教関係がある!」とか「アンパンマンキリスト教に沿っている!」と断言するのには少し違うのでは?という気持ちでした。

この文章は、「やなせさんの正義の考え方とかは彼自身が生きて得た境地で、それがアンパンマンに生かされてるんだな」と思っている1ファン考察です。これが正しいという訳では無いです。なんせ、考察なんてファン想像の域を出ないですので。

なので、あまり真に受けず、なるほどそうなんだ〜と軽く受け取っていただければ幸いです。

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参考文献的なもの(興味がありましたら見てください)

【本】

わたし正義について語るなら』やなせたかし

映画

勇気の花がひらくとき

いのちの星のドーリィ

※これらはやなせさんがご存命の時で、監修を受けていると思いますので参考にあげさせていただきますいのちの星のドーリィは「なんのために生まれて、何をして生きるのか」がテーマ子供向けにしてはかなり壮大です。

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追記

色々とコメントがついてたりしてましたので、読みました。なるほどと思ったりしてます

一つ、信者様という言葉を訂正し「信仰している方」という風にしました。決して揶揄っていた訳ではなかったのですが、揶揄っているように見えてしまったようでしたので、訂正しました。

(以下、コメントから思ったことなど)

アンパンマンアンパンマンという宗教」というのは納得してしまいました。幼児アンパンマンが目に入るとすぐに見つけまからね・・・。

自己犠牲については、仏教にあかるくなかったのもあって色々と漁っている時に、仏教にもそういう考えがあるというのが分かったので、書きました。でも私もあまり印象はなく、どちらかと言うとキリスト教イメージが強いかな、と思ってます

キリストパンの話が元になってるのでは?という話ですが、やなせさん自身が著書で書いていたのですが、アンパン選択した理由が「アンパンは手軽に手にできて、あんこがぎっしり入っていて甘く、食べるとすぐに元気になれる(おそらく、糖分摂取できるという意味でしょう)」ということらしいのですので、キリスト教の話が元になってると断定は出来ないなと思ってます

アメコミ勧善懲悪の話ではないという件については、私自身、その時代のものがどういうものだったのか分からないのですが、やなせさん自身の目には、ああいうようにうつったそうです。(『わたし正義について語るなら』参照)

バイキンマンアンパンマン関係性に関しては、私もアニメの流れは「勧善懲悪の流れだなあ」と感じたりしてます最近アンパンマンバイキンマンが悪役に回らず誰かを図らずも助ける立場に回ったりもしてますが、やはりアンパンマンアンパンチを食らってバイキン城に戻るのが大半だったり、食らう前に退散したりしてます

この話に関しては、深く入り込めるほどまだ、2人の関係性について飲み込みが足りないので、これ以上書けないです。申し訳ないです。

他、コメントありがとうございます

色々な視点を見ることが出来て良かったです。

2020-07-12

腐向けにおけるセックスポジション人間関係の話

私は雑食腐女子である


このタイトルと書き出しだけで9割9分の固定派腐女子URLも踏まずに見なかったことにするだろう。


気持ちはわかる。「また雑食腐女子が『固定派の人ってなんで固定なんですか?逆じゃだめなんですか?』って言いにきたのか…」とうんざりしてるんだろうなと思う。

固定だの雑食だのというCP嗜好は一種宗教じみたところもあるし、安易踏み込む戦争が起きることもよくわかっている。でも私はどうしても気になってしまう。


何故人間関係の在り方とセックスポジション(この場では「性行為における受け攻めの役割分担」を表す言葉として扱う)がリンクしてしまうのか。


私は雑食腐女子であるしかも、作品を見て「こいつらはカップリングにできるな」と思うタイプではなく、作品中の特定キャラに関わる人間関係を一通り把握したらpixivで《○○(作品名)【腐】》で検索して「この作品人間関係は界隈の中でどう扱われているのか」を把握してから推しカプを「選ぶ」タイプだ。キャラ同士の関係の在り方が見たいのでセックスポジションには興味がないとも言える。

そういうわけなので、別軸逆も読む(AB固定として書かれた作品BA固定として書かれた作品を並行して摂取すること。)し、同軸リバ(一つの作品の中でABの描写BA描写が同時に描かれること。ABA。)も読むタイプの雑食だ。相手違いも普通に読むし、総愛され系も読む。

セックス描写があると「おお、えっちだな」とは思うが、読むにあたってセックス必須ではないので、基本的には全年齢のものを優先的に読む。


色々な組み合わせのものを読むと、なんとなく比較してしまう。比較すると「何が違うのか」が見えてくる。当然ですね。

何が違うのか。ABとBAABAではキャラクターの性格や行動原理解釈が違うのだ。

同じ原作から出た二次創作のはずなのに。


とあるCPの話をしよう。特定を避けるためにだいたいボカすが、「いやバレバレやんけ」という指摘はご勘弁願いたい。

そのCPにおけるAは天才肌で、持って生まれた要素が多く、どんなところでもすんなり馴染めるムードメーカー。一度認めた相手の面倒は最後まで見てしまうお人好し。惚れた相手には一途な方で、普段はふざけている割に決めるところはしっかり決めるイケメン

Bは凡人だけれど努力家で、Aからライバル認定されるほど。少し気難しいところはあるけど、A同様にお人好し。ただその方向が自己犠牲型なので、周りから心配されることもしばしば。カッコつけたがりな一面がある。Aよりも2〜3歳上。


この2人。ABを読むと、「Aはスパダリ自己犠牲に走りがちで度々不安定になるBをその包容力で受け止めてやる感じ」という雰囲気作品が多かった。

ところがBAになると「Bが大人の余裕でAをリードする。AはBより歳下なので、若さゆえの勢いで突っ走りがちなのをBが上手く受け止めてやる感じ」の作品が多かった。

さらABAでは「歳が近くライバル関係なので対等。友人関係の延長でセックスもする感じだし、セックス一種スポーツ」みたいな書かれ方をしていた。ABAだけやたらセックスの話なのはおそらく書き手の傾向だろう。(同軸リバは書き手自体が少ないので平均化が難しい)


何故何故WHY。左右が変わるだけでキャラ解釈がこんなに違う。というか、「キャラ解釈が違うだけでセックスポジショニングまで変わっている」という表現の方が近い気がする。

別に「Aがスパダリであること」と「Aがセックスで挿れられる側に回ること」は同時に存在できるはずなのに!


そもそも、何故腐向け作品セックスを前提にしているのだろうか。

同性間特殊感情関係性を扱うのなら別にセックスポジションの話はしなくていい。特殊感情暴走したら勢い余ってセックスしてしまうこともまああるだろうが、別にそれは必須条件ではないはずだ。

「受け攻めの基準ちんちんの向き」って、ちんちん使わない関係性を描写したいときはどうすればいいんだよ……毎回タグに困るんだよ……「AがBに『差し入れ』を贈ったのでこれを『挿し入れ』行為と見なし、ABとする」みたいな付け方してるよ……


ここまで書いて、疑問に思ったことがある。

上でAB・BA・ABA作品内におけるキャラクター解釈の傾向を書き連ねたが、「BAで多用されるキャラ解釈セックスの時はAが攻め」の場合カップリングタグはどちらをつけるべきなのだろう。

もちろん最終的にはちんちんの向きで決定させるべきなのだろうが、ちんちんの向きだけが人間関係の在り方の判断基準なのだと言い張るには無理がないだろうか。作品中で直截にセックス描写が無ければどの解釈で書こうがカップリングタグ自由、みたいなことになってしまわないか


何故人間関係の在り方をセックスポジションに反映させてしまうんだ…何故……



ちなみに

人間関係だけ見たい/書きたいなら腐向けじゃなくて一般向け作品でやればいいんじゃない?」という意見が来るだろうことを想定して書いておくが、一般向け作品は概ね原作表現されている範囲キャラクターをだいたいそのままえがく傾向にあり、原作表現されている範囲というもの基本的に「二者間における一種の『特別』」というものを用意してくれているわけではない。

私はその「一種の『特別』」が見たいのである

いわゆる「クソデカ感情」と呼ばれるようなもの摂取するにあたって腐向け作品が一番コスパがいいのでそうしているだけなのだ

2020-06-23

anond:20200623175300

このグループのことを何も知らんけど。

あなたは今まで「浦島坂田船」に大変な金額を落としてきた。

これはそのグループが本当の本当に好きでやってきたこなのだろうか。

金を落としていることをSNSで報告して他のファンマウントを取るor取られないための手段となってないだろうか。

あなたの不満を見ているとそんな気がしてならない。

無料公開されて"自分金銭的な面で損をした"ということより、見下している無課金ファンが有料会員限定領域踏み込むことに苛立っているのでしょう。

そういう考え方は損。どんなコンテンツにでもある。

こういう古参ファンは煙たがられても仕方がない。

公式応援しているのなら、新規ファンを獲得するためには仕方のないことと割り切ろう。

2020-06-11

日テレの「偏向報道

本日18時ごろ、日本テレビ news every でコロナ禍により職を失ったり帰国できなかったりと苦境に立つ外国人についての特集があった。とくに後半では技能実習生として来日するも解雇されたベトナムの方々と、彼らを支援する日新窟及びNPO日越ともいき支援会の活動ピックアップされていた。

そのような苦境に立つ外国人の現状を全国ネットに流すことは素晴らしいことだし、常々日新窟の活動には敬意を覚えていたので、報道としては価値があるものだと思う。

しかしながら特集最後、「日本人の優しさがつないだ支援の輪」などとまとめたことで、報道側の俗悪な意識垣間見えたし、この問題お気持ちで済ませようとする偏向報道に過ぎないことが分かった。

そもそも日越ともいき支援代表吉水豊さん自身twitterプロフィールに「ベトナム人の技能実習生留学生が若くして命を落とす現状に、憤りと疑問を感じ、このままでは良くないと、日新窟を拠点に『NPO法人日越ともいき支援会』を結成し支援活動を行なっております」と書かれている(https://twitter.com/5uq9TEGy4MhrPQf)ように、日本社会の冷酷さを自覚したうえで活動されているのである

それを技能実習制度問題点に踏み込むことをせず、実際に活動されている方にタダ乗りして善人面をする。そんな報道がはたして許されるだろうか?

番組インタビューを受けていた外国人の方々は口をそろえて「日本大好き」と言っていたが、それも薄ら寒いものに思えてならない。

2020-06-07

anond:20200607153610

プライベート

マジレスすると男の無職看護師介護師か原発土方かで迷ってるやつがいたら、原発や土方進める。

って踏み込む話じゃん

なに自分からちゃぶ台ひっくり返してくれてんの

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

2020-05-22

プログラマー学習

プログラマー学習問題ってのは表層的な問題であって、この話題議論されている本質は「社会で金を稼いで生きるってのはどういうことなのか?」ってことなんだろうね。

「誰かの保護下に入る代わりに作業指示に従う義務を持つ人形機械になる」ことなのか? それとも「自分の力で生きたり死んだりするサバイバル」なのか?

原初的な話で言えば、人間は全て後者なんだろうけれど、現代社会的には前者の意識の人も多い。それだけならまだしも前者であるのが社会の真理だとして、社会他者にその意識の共有を求める人もいる。もちろん、後者の人だってそれっを周囲に求めたりする人もいる。だから両者の境界面でギスギスする。

これは、ある任意の人の中で統一された話ですらなくて、たとえばサラリーマンの人が「だってあいつは漫画家(or芸能人or起業家)なんだから成長も無職自己責任だろ」とか言い放ったりする。

プログラマーという存在は前者なのか後者なのか、人々の中でその認識境界事例にあたるんだろうね。

もう少し踏み込むと、IT技術が発展した現代社会は、すべての社会人にとって徐々に「自分の力で生きたり死んだりするサバイバル」に移行しつつ有るように思える。先進国においては、企業から見て欲しい人材ピンポイントで探す事が可能になりつつあって、自力で育てるよりも今求められているスキルの持ち主をハントしたほうが合理的になりつつあるからだ。

中世社会ではその人間能力云々以前に裏切りとか出し抜きが有るので、能力よりも人格や忠誠が大事で、それは子飼いを育てることやコネじゃなきゃ担保できなかった。しかちゃんとした道徳契約が成立する現代国家では、父祖の代からの付き合いみたいな安全保障がなくても、裏切りをそこまで気にしなくて良い。だから雇用流動性があがる。

そうすれば当然全ての雇用は「自分の才覚でその席を奪い合うサバイバル」になる。全てのサラリーマンもそう。外注化の影響を考えれば公務員でさえ無関係ではない。おそらく日本社会は、ただの事務職でさえ、自分の力と時間学習してスキルアップをしていかなきゃ席を奪われる方向に進みつつ有る。

プログラマー作業者なのかサババリストなのかという議論は、多くの人が感じているこの不安――自分生存競争に巻き込まれていずれは敗者になるのではないか? という風を受けているんじゃないかという気がしている。「パッケージされた教育を受ければ、才能や生存能力関係なく作業者として生活保証される領域スキルが身につく」という「保証」がなければ、人は本当のサバンナに放り出されてしまうわけだから

2020-05-19

大手企業退職しようか迷ってる

私は今、某大手企業に勤めている。

給料がよく、福利厚生が充実していて、私の勤め先を知らない人に説明すると、

誰もが「ああ、あの!」とリアクションされることが少なくない、よほどのことがない限り入社困難な有名企業だ。

だが、私は今その会社を凄く辞めたいと思っている。


きっかけは去年、過労で休職した事だ。

私は他人が容易に真似できない少し特殊スキルをいくつか持っていて、

そのお陰で常にいろんな業務を掛け持ちしていた。

ざっと、人の3倍〜最大で10倍は仕事をしていたように思う。

マネージャー、人事、制作部署がやるような他職種分の仕事内容だった。

周りは「凄まじいパワーとタフさだ!」と称賛してくれたが、

会社評価方法特殊で、あくまで本職用の評価項目を満たしているかどうかでしか評価がされないために、

数を適格にこなすタイプだった私にとって1職種分では一向に評価が上がらず、

周りより並かそれ以下なのに常に他人仕事を抱えて馬車馬のように働いていた。

上司は「まだ評価を満たしていない、もっと努力しないと上にはあげられない」とケツを叩くばかりで、なかなか認めてはくれなかった。


そんな中、ある日を境に身体限界に達してしまった。

元々ガタが来ていることを感じて、仕事他人に引き継ぐための活動はしていたが、

ずっと手厚くお世話をしていた部下が何人か退職してしまい、心が折れた。

貴方は万能すぎて、貴方のようになれる気がしない。

この会社で成り上がろうと思ったら貴方のようにならないといけないのかと思うと、絶望してしまった。

別の会社のんびり好きなことをやって生きていこうと思う」

と言われた。

ショックだった。

あんなに毎日一緒に仕事して、ランチを食べて、たまに飲みに行ったりしていたのに。

最後はよそよそしく気まずそうに打ち明けるだけで、あっけないものだった。

そもそも自分仕事スタイル特殊だということは自覚していて、

誰でも再現できるシステムを構築しようとしていた最中出来事だった。


突然、それまで普通だった身体が全く動かなくなった。

心身に病気がいくつも見つかり、救急車を呼ぶ事態になって、私は休職を決意した。

今まではずっと気力で持っていただけで、私の身体限界だった。

それからは、両手でなんとか収まるくらいの数の病気共存していくために苦心する日々が始まった。


終わりの見えない闘病生活に怯えた私は、たった1ヶ月で復職してしまった。

思えば、それが間違いだった。


復職後の私は、見るも無残な有様だった。

集中力が以前の1/10以下になっていた。

生産性がガタ落ちし、同じ人物仕事とは思えない仕上がりだった。

私が作った資料は抜け漏れだらけで、他人迷惑をかけてばかりだった。

今まではずっと、仕事希望を持っていた。

やりがいを感じてやる気を持って取り組んでいた。

そのポジティブな全てが幻で、ひたすら労働力搾取されていたことに気づいた私は、

仕事に対する全ての気力を失ってしまっていたのだ。


それでも、かつてのプライドだけは健在だった。

今の自分は何かの間違いで、きっとどこかで復活できると信じていた。

それもどうやら間違いだったようだ。

復職してから数ヶ月経ったが、全盛期には遠く及ばない。

日に日に心身は衰える一方で、会社からの信用も喪われていく。


カウンセラー家族、友人、いろんな人に相談してみた。

皆、口を揃えて、「会社に残るべきだ。せめて少しでも復活の兆しが見えたところで、後腐れなく退職すべきだ」と意見してくれる。

全盛期の私しか知らない人達は、「君は凄い奴だから何をしても成功するさ!応援してるよ!」と背中を押してくれる。


客観的自分を振り返ると、これ以上前進しようがないように思える。

組織上司はここまで追い詰められた私に全く救いの手を差し伸べてくれなかった、という事実が、深い絶望をもたらして、癒えない傷を与えてしまったようなのだ

元々気力と仕事の成果が密接に結びついているタイプなので、この会社への不信感がある限り、どうしようもない気がするのだ。


最悪に落ちている今、退職してしまうと、今後のキャリアに響かないだろうか。業界に悪い噂を流されないだろうか。そればかりが気になる。

気持ちは「退職したい」でいっぱいだが、一歩踏み込む勇気がない。

答えは未だまとまっていないが、自分の考えをまとめるためにこの文章を書いた。


私はかつての「自分が好きだった自分」に戻れるだろうか。

特にオチもないまま、不安を抱えてこの文章を閉じる。

2020-05-18

中途半端モテてきた人

人生まらない説。

受け身でいても人に事欠かないけど一歩踏み込まないと深く関われない。

踏み込むことを怠った中途半端さんは、人を好きになれず人生まらない

2020-05-15

anond:20200515100348

そりゃゲイ世界に踏み込んでくる女も本人を目の前にして堂々と性的消費する女も少ないから気にならないわけだし

それは腐女子界でゲイ迷惑かけんなという規範があるから少ないわけで

それが無くなって踏み込む奴多数堂々と性的消費する奴多数になったら嫌がるゲイも増えるだろって話

2020-05-07

anond:20200507155032

もう何回も言及しているのに…敢えてスルーしてるのかもしれんが「PCR検査で陰性になった人も2週間監視隔離」な

的中率の低いPCR検査だけで封じ込めができる簡単ウイルスなら、PCR検査大国韓国がこんな人権制限踏み込む訳ないだろ

謝れない病の安倍政権じゃあるまいし、認める所は認めてくれないと話にならんぞ

2020-04-27

anond:20200427072344

でもそんなにセックスワーク負担が大きくてメンタル病むって言うんなら、やっぱり存在自体問題があるって議論踏み込むしかないと思いますけど

それとも、お金がたんまりもらえて肉体的にも楽で精神も病まず、自発的になりたい人だけで構成されるような、ぼくのかんがえた理想セックスワークなんてのが成立するとでも思いますか?

2020-04-21

これはあれだろ?

金正恩の重体を好機と捉えて武装蜂起した反乱分子

平壌踏み込むとそこには健康金正恩が!

「げぇっ、おまえは重体のハズでは!」

貴様のような蝿をあぶり出すための策よ…ひっとらえい!」

みたいな。

さすが偉大なる将軍様だぜ。

2020-04-20

弓道警察パトアーチャー

弓道、それはオタク用に開発されたスポーツ総称である

アニメゲームの分野に広く普及したが、創作者による誤解も急増、陰キャ達は、在宅弓道パトロールアーチャー中隊を新設、これに対抗した。

通称パトアーチャー誕生である

怒りよ都会(まち)の編集者に届け

たわわな胸が吹き飛ばぬように

叫ぶリプライ いざ出動だ

祭り匂いを逃しはしない

1! エアープレイヤー

2! パトアーチャー

3! Caption!

4! Archer!

5! Screenshot!

Retweet 声優の垢まで追い詰めてゆく

韓国ソウル)の仕業アクセル踏み込む

Repost 自宅の住所特定で向かうところ敵なし

静かな惑星(ほし)を取り戻すために!

さあ Not Baugt!不買だ!

★☆☆☆☆ アンチレビュー 決めるぜ!

弓道警察パトアーチャー

2020-03-23

anond:20200323171422

法を侵さなければ何したっていいよ。(不退去罪とかあるから受け入れろよ。)

距離やで距離。お互い幸せになれる距離。たまには踏み込むにしてもな。

2020-03-05

anond:20200305034255

真面目になんでニュースや一次情報当たらないんだと思う?

ちょっとしたこと不安になるなら見なければ良いのでは?

ネガティブバイアス(生存本能で悪い情報ほど強く印象に残る/それを利用して視聴率プレビューを稼ぐ)ってのがあるので、

ニュースを見てると結果的に処理しきれない不要な悪い情報を集めることになるので

投資とかやってなきゃ別に見なくたっていい

[lifehacker]暗いニュースばかりが続いてもポジティブさを保つ方法

https://www.google.co.jp/amp/s/www.lifehacker.jp/amp/2016/01/160116bad_news_stream.html


ただし、もしも世間話題になっていることを知りてぇな〜ってなったら

まずやることは、ネットで聞くではなく、大手メディアニュースサイトを見ること

なぜって?大手メディアニュースサイト記者名が書かれて文責があるから

そして大手メディアであるほどその責任は重い

これをしないと『ネットde真実』を患い、

妄想聖戦を繰り広げているヤフコメブクマカ世界に一歩足を踏み込むことになる

ワイは海外サイトおすすめだよ

2020-02-24

マジレス anond:20200224011634

ネガティブバイアス(生存本能で悪い情報ほど強く印象に残る/それを利用して視聴率プレビューを稼ぐ)ってのがあるので、

ニュースを見てると結果的に処理しきれない不要な悪い情報を集めることになるので

投資とかやってなきゃ別に見なくたっていい

[lifehacker]暗いニュースばかりが続いてもポジティブさを保つ方法

https://www.google.co.jp/amp/s/www.lifehacker.jp/amp/2016/01/160116bad_news_stream.html


ただし、もしも世間話題になっていることを知りてぇな〜ってなったら

まずやることは、ネットで聞くではなく、大手メディアニュースサイトを見ること

なぜって?大手メディアニュースサイト記者名が書かれて文責があるから

そして大手メディアであるほどその責任は重い

これをしないと『ネットde真実』を患い、

妄想聖戦を繰り広げているヤフコメブクマカ世界に一歩足を踏み込むことになる

ワイは海外サイトおすすめだよ

2020-02-18

ふわっふわの「スキルアップ幻想」と現場猫の「覚えろよ」の致命的な差

仕事スキルアップしたくないの?

いやスキルアップしたい人は少数派だ!

みたいな高尚な話は、高等遊民のふわっふわのお花畑しか見えない。

「最新の技術キャッチアップしないと!」みたいなのってさ、具体性がないよね。

「いやあ、若人なんだからフレッシュ感性で斬新な企画を!」ってオッサンと完全に一緒。

勉強時間を当たれるとか機会を与えるとか、何が学びたいものがないの?とか、

多分全く自覚がないんだろうけど、「なあなあチミ、最近ブロックチェーン流行っとるじゃないか我社もやらないとイカンのでは?」みたいのと全く同じなんだよね。

意識してないのかもしれないし(それはより致命的だけど)なんのビジョン方向性も、今後の銭を稼ぐための算段もついてない丸投げだよね?

翻って、現場猫現場にいる猫だから必死だ。

フォークリフトパレット積み重ねた上に乗って電球交換したら死ぬ

機械を止めずに、プレス機に潜り込んで誰かがスイッチを押したら死ぬ

誰かがチェックしてるだろうからヨシ!みたいなのって、面白おかしいけど、即死コースの重大事故までまっしぐら

そして、この「いや勘弁してくれこれやらないとお前が死ぬんだからちゃんとしてくれ」ってのは、紛れもない個人スキルアップなんだよね。

そうして着実に「安全は何者にも優先する」という刷り込みが行われていく。

それは間違いなく現場で培われた属人的なその人に蓄積されるスキルなんだよね。まあそうしなきゃ事故からなんだけど。

同じように、病院にも「各自スキルを維持向上させるための組織的体制を整える」が掲げられていることが多い。

しくじったら死ぬ、うっかり指し間違えるだけで大変なことになる、ちょっと薬を間違えることがないように、果てしなく工夫と勉強が続く。

それは、スキルアップ以外の何物でもないんだよね。ぼんやりしてたら怖くなるっていうよりも、今まさに怖くて学び続けている状態

その間に本質的な差はない。

技術的なものぐらい、就業時間外に勉強してキャッチアップしてよ」とか、お花畑極北だけど、時間を確保したら学んでくれるってのもぶん丸投げの酷いマネジメントなんだよね。

時間を作れば良いんじゃないんだよ。

明確に、お前はこれを身に着けて次のプロジェクトに行かないと会社が潰れるという方向性を示して説得して、スキル強制的に身に着けてもらうのが管理職仕事なんだよ。

そしてもしも「いやそう言っても最新の技術を知っておいてもらいたいし」っていうのは、「なんとなくこれからマンダリンから北京語学んどいてくれよ」となんらかわらない。

ぼんやりしすぎ。明確な方向性も示さなスキルアップにはモチベーション意味もまったくない。だってやって給料上がるわけでもなんでもないじゃん。

Docker?DevOps?ゼロトレランスでのセキュリティ構築設計

それはなんのために誰がいつ使う予定なの?

本当にマジで、将来のスティーブ・ジョブズになるためにはカリグラフィーを学ぶべきって言ってんのと変わんないっての早く気がついた方が良いと思う。

人は必要に迫られないと学ばないのが当然なので、当たり前に必要な内容を「学んでもらうための体制を整えないと現場が回らない」のを何とかするのがマネジメントなんだよ。

時間作るからなんか学んどいてくれみたいなマネジメント放棄を、なんか部下を考える上司っぽくね?とか考えるのマジで辞めた方が良いよ。

A. 俺はうちの会社GithubActionオールインして完全に賭ける方に上位層を説得するから、それに向けて事前準備をしておいてくれ!

B. 最近Github ActionとかCICD周りはやってるじゃん。勉強する時間を確保するから勉強しておいてよ。

どっちのほうが、労使関係において使用者労働者に指示するにあたって適切なのか、そんなの火を見るよりも明らかだろ。

ほんまちゃんとしてくれや。技術を学べるような時間を確保したからヨシ!じゃねえよ。

人の興味に土足で踏み込むなら、責任持ってケツモチするからその技術に賭けてくれっていって学習の指示出せよ。それがマネジメントだよ。

(だから逆に「俺はこの技術に賭けるから学んで良い立ち位置に行くぞ!」って人間も出てくんだよ。それはマネジメントの敗北だって認識した方が良いよ。管理職って労働者使役する使用者だよ?)

2020-02-16

クズから撤退戦

相手人間のクズかどうかは深く付き合ってみなければ分からない

ちょうどフィールドワークが現地に足を運ばなければならないのと一緒

例えるならアマゾンの奥地に踏み込むようなもので、離脱には時間がかかるし生きて帰れる保証もない

かといって遠くからその真贋を見分けるなんて虫のいい話はない

まり、たいていの場合クズ相手から撤退戦は手間を要する

からこそ人類ノウハウを蓄積して後進の励みにしてほしい

2020-02-15

おまえら上小阿仁村限界老人との区別が本気でつかなくなってきたな

なにかにつけて他人を腐して、暇を持て余して重箱の隅をつつき、飽きたら次の吊るす相手を見つけて傷つけてた相手のことは追い出すか村八分にでもして忘れる。

本人たちは生活のために一生懸命やってなにかをやって生き抜こうとしているのに、おまえらからしたら生きようが死のうが娯楽でしかいか関係ないんだろ。認めろよ。

学ばない、歩み寄らない、認めない、進歩しない、現状を打破するために富を産もうともしない、悲観するだけでなにもしない、動こうとする人の足をひっぱる、嫉妬する、人の意見に乗っかる、叩くだけ。

気に入らないか相手が壊滅するまで踏み込むだけでそのあとはほったらかしだっていうんなら、おまえらはただの土人じゃねえか。蛮族以外の何者でもない。己の野蛮さを知れ

何が公共だ。こっちにだって生活があるんだよ。土足で人の領分に踏み込んで来てるおまえたちに言われたかいね

2020-02-12

[] #83-2「キトゥンズ」

≪ 前

それから俺は、先ほどのやり取りを引きずることもなく課題に打ち込んでいた。

しかし十数分後、それは突如として襲来したんだ。

「ただいまー」

「マスダがボクに用があるって言うから来たんだけど……」

ドアが開いた音もせず、いつの間にか部屋の中には弟とガイドがいた。

恐らく超光速航法ってやつだろう。

初めて見る光景だったが、自称未来人のガイドには造作もないことであり、驚くには値しない。

「お前の時代ではどうなのか知らんが、お前がやったことは不法侵入だぞ」

「ボクはこの世界人間じゃないから法の適用外さ」

俺はコイツが苦手だ。

所々で垣間見える未来であることの自負心が鼻につく。

他人文化圏に土足で踏み込む無思慮さというか、ナチュラルに見下している節がある。

もしかして、あの件について話を聞く気になった?」

「あの件が何なのか知らないし、知りたくもない」

俺に何か協力して欲しいようで、ちょくちょくコンタクトをとってくるが、胡散臭くて相手にしていない。

未来であることが本当かどうか以前に、単純に人として信頼できないからだ。

「え~じゃあ、何なの? 急いでるみたいだったから、少しでも早く来た方がいいと思ってワープしたのに」

「……弟よ、どうせ連れてくるなら事情くらいは説明してやったらどうだ」

「いやあ~、ワープってどんな感じなのか興味があってさ」

まあ今回みたいに、弟に振り回されることも多いか情状酌量余地はある。

「それで、今回は何が目的で呼んだの?」

「いや、俺は別に呼んでないぞ。弟が勝手にやってるだけで」

「え? どういうこと?」

弟が何でコイツを呼んだのかは察しがつく。

だが、そもそも俺はアテにしちゃいない。

「そっちで勝手にやってくれ」

俺はふと、キトゥンのいる方へ視線を向けた。

飯を食い終わった後は、何食わぬ顔で眠っている。

今の状況が煩わしくて、俺もそうしたいところだ。


「ふむ、なるほどね……」

課題が一区切りついたところで、弟はガイドに経緯を説明し終わったようだ。

「……というわけで、動物言葉が分かるアイテムとか持ってない?」

結論から言うと……厳しいね

「ええ!? 未来技術でも」

しかガイドから出た答えは、意外にも歯切れの悪いものだった。

俺も期待していたわけではないが、肩透かし感は否めなかった。

「できなくはないけど、やらないというか……」

「ハッキリしないなあ」

「俺から言わせれば、“できない”と“やらない”は大して変わらないぞ」

その指摘が癇に触ったのか、ガイドは長々と言い訳を始めた。

「いや、技術的には可能なんだよ。高い精度で、動物の鳴き声を判別できる」

「じゃあ、何が問題なのさ」

「つまり“本当に正しい翻訳とは何か”ってことなんだよ」

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