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2020-11-07

プライベートパーツは、臭いものに蓋じゃないよ

https://www.buzzfeed.com/jp/rihotakatsuto/kodomo-to-oya

上の記事ブコメで、臭い物に蓋をする方法とか、クソマナーとか、ただのプライバシー教育とか書いている方がいたので、それは誤解だよと伝えたい。

プライベートパーツの概念は、性教育の「はじめの一歩」であって、決して全てではない。ちゃん子供の発達段階に応じてステップアップしていく。漫画でも言及されている。

プライベートパーツは、未就学の子供たちへ、先ずは自分他者身体を大切にすること、守ることを教えるために導入する。

体のどこが大切なのかは本人が決めれば良いとか、好きな格好させろとかそういう主体的な性のあり方はもっと成長してリスク判断できるようになってからで、最初自分他者を守ること、尊重することを大人は教えておこうということ。子供への伝え方も、恥ずかしい部分だから隠せではなく、大切な部分だからしまっておこうね〜って感じで伝えるのが重要だと書いてある。

性的な抑圧については、親ガチャな部分もあるとは思うけど、こういう情報に触れることで親自身が抑圧からとかれる部分はあると思う。それに、この方法まで抑圧と言われたら、正直親としてはどうするのが良いのか途方に暮れるよ。幼児簡単に人前で脱ぐし、連呼するし、触りまくるから相手が嫌がっていても気が付かない子もよくいる。もちろん、その場で注意もするけど、逐一脱ぐな触るなというよりは、そこはプライベートパーツだから触らないでねっていう方が、円滑にコミュニケーションできるよ。

生理精通生殖知識について教えるときも、同じように性に対して悪いイメージを持たせないようにすること大切と書かれている。

もし、知識を持たずに生理精通漫画などでの性表現に遭遇すると、性に対して気持ち悪くて汚れたイメージやいやらしくてよくないものという負のイメージを強く持ってしまったりする。予備知識を与えることで、そういう性的トラウマを緩和できるし、トラブル予防になる。

また、漫画アニメAVなどのアダルトコンテンツについても、遠ざけるのではなくしっかり現実虚構区別がついていることが大切、と書かれている。

親がフィルタをかけるにしても、結局それにも限界があるし、子供自身の見分ける能力を育てるしかない。幼い頃から自分相手の心や体を大切に扱うことが、その土台になると書かれている。

あと、知識と並行して、コミュニケーションに関することも重要で(プライベートパーツには触れないというのも対人スキルの一つだよね)、パートナーや他社との性的関係性、性の多様性ジェンダーかについて考えたりする。性教育はそういう包括的な関わり合いに関する部分までカバーする。

これは私個人の考えだけど、現実の性を具体的に教える必要性を感じている。今はネットであまり簡単アダルトコンテンツを見る事ができすぎるし、悪気なく現実混同ちゃう子はどうしてもいると思う。特に思春期を迎えた子供たちに対する具体的なセックスの話は、生殖のしくみ、感染症妊娠リスクなどの話だけに止まらず、コミュニケーションの取り方、マスターベーションの仕方、セックス方法危険な性行為知識、性暴力にあった時の対処まできちんと踏み込むべきだと思う。私自身は子供の時には恋愛経験なかったけど、大人になっていきなりセックスする前に、そういう具体的なリアル知識は知っていたかったと思うよ。

BuzzFeedの同じ記者さんの下の記事とかはその辺とても参考になるので、老若男女ぜひ読んでいただきたい。

https://www.buzzfeed.com/jp/rihotakatsuto/yubiire-honto

性教育に関する漫画動画についての情報が一つにまとまっていて、子供が目にする機会があると親としては助かるなあと思っている。(他力本願だけど)

というわけで、おうち性教育漫画、良い内容だと思うので、胡散臭がらずに読んでみてください。

↓ここでも読めるし、

https://ddnavi.com/serial/ouchisei/

ピッコマでも途中まで無料で読めるよ。

最近子供向けの性教育絵本とかも結構あるのでそれもおすすめ

せめて女の肌着メーカーくらい女のお気持ちに敏感でいてくれよ

まず前提として最低限共有してほしい。女にとって性犯罪子供の頃からずっと、すぐ隣にある現実なんだ。ネット上の議論ネタなんかじゃない。ランドセル背負ってる頃から「いたずら」され、電車に乗る時は痴漢を気にして、どんなに気をつけても通りすがり自転車で胸を揉み逃げされたりする。それが当たり前の日常

からこそ、望まない相手から性的視線には敏感になる。ならざるを得ない。だって相手が「ただ内心で狙ってるだけ」なのか実行に移すタイプなのかなんて分からないのだから。もし実行されてしまえば、恐怖や屈辱を味わうのは自分だ。望まぬ相手から、あるいは望まないシチュエーションで、エロい目で見られることは、性犯罪への不安と地続きであり、とても不快で怖いものなのである(こう表明すると、内心の自由踏み込む気か、と怒られることがあるけれど、そんなことは実際誰にもできない。表明しなければ、不快であることすら分かってもらえないだろう。さら不快な状況がもたらされることは想像に難くない)。

たいていの人は、日常にそういう不快感を持ち込みたく(持ち込まれたく)ない。でもしばしば、意図せずそれは起こる。服装にどんなに気をつけても。ブコメで勝ち誇ったように「どんな服装してもどうせエロく見られるんだから」と言っている人たちがいるが、そんなのとっくに知っているのだ。それでも不快もの不快から、せめて痴漢に遭いにくい(と言われる)格好を選んだり、ブラが透けないように、下着の線が出ないようにと工夫するしかないのだ。時に自由にオシャレしたい気持ちとの綱引きで、各々の許容ラインが決まる。「だらしない」「職場学校不適切」という評価との絡みもある。かなりデリケートで、個々人の「お気持ち」が渦巻く作業だ。

タイツは、そういう意味でわりと「安全より」の選択というイメージが大きいように思う。特に透け感がないものカラータイツは「色気がない」から。実際、今回の企画カラータイツの絵はほぼなかったようだし、透け感のある、ストッキングでは?的なものが多くモチーフにされていた。

けれど、言葉として「タイツ」を使った。

今回、キャンペーンを通じて企業のしたことは、「タイツ」はこんなにフェティッシュ欲望対象になってるんですよ!と、大々的にユーザーに知らしめることだ。「タイツ」に向けられるエロい視線を暴いた。とても上手いイラストで、絵師の拘りが十二分に表現されたもの、そしてそれにつけられた興奮するリプライの数々で。

結局どんな格好をしてもエロく見られる。そこから逃げられない。そんな不愉快現実があるとして、なぜ女性肌着メーカーから、突きつけられなきゃいけないのだろう。激烈な反応を示した人が多かったのは、単なる「不快お気持ち」でなく、不安を誘ったからだと思う。

するべきこととまるで逆だろう。

無関係外野に、ではない。せめて女性肌着メーカーくらいには、「エロく見られたくない相手/時には見られたくない」という女性の「お気持ち」に寄り添って欲しいと切に思う。

2020-10-22

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.YouTubeなどで動画を見るのですが、彼ら出演者にはゲラが非常に多いのです。なぜなのでしょうか。

それは彼らが全員オースティン・パワーだからさ、HAHAHA……

はー……オースティン・パワーをご存じない?

有名なコメディ看板キャラなのだが、ははっ……本気で?

……じゃあ簡単説明しよう。

彼の芸風は、今で言うスベり芸みたいなものだ。

特徴的なのはオースティン・パワー自身もそれを認識している点だろう。

当人はなんてことのないジョークだと自覚している。

でも言わずはいられないという、自意識と自信が噛み合っていない状態なのだ

そこで彼はジョークを言う時にヘラヘラ笑ったり、おどけて見せる。

とりあえず率先して笑えば気持ちが追いつくし、誰かがついてきてくれるかもしれないからな。

しかし、その“面白くなさの度合い”は予想以上だった。

自分自信が率先して笑っても、繰り返しやっていくと誤魔化せなくなる。

結果、バツが悪そうに、自分の笑い声も少しずつ勢いを失っていくのだ。

そして最終的に我に返り、「自分でもそんなに面白いとは思ってないし」といった態度をとって芸として成立させる。

こう書くとオースティン・パワーは退屈な男のように思えてしまうかもしれないが、役者の演技や作品演出客演リアクションも相まって体感的に面白いように仕上げているんだよ。

そして彼らのゲラも、本質的にはオースティン・パワーの延長線上といえよう。

サイドブレーキのない車のようなものだ。

若者はこのサイドブレーキそもそもなくて、年寄りサイドブレーキはあるけど緩んでいるという違いはあるが、その本質は同じだ。

綺麗に止まらなくても、後からブレーキペダル踏み込むか、そのままアクセルを踏み抜けばいい。

ブコメなどでも駄洒落や親父ギャグを書く者が散見されるだろう。

あれもサイドブレーキ機能不全が原因なのだ

だが君に分かっていて欲しいのは、それでもアクセルペダルを踏まなければならない時は必ず来るということだろう。

それがブコメの時であるかどうかは私の口から語ることではないが。

2020-10-19

従業員従業以上のもの求めてるの?

社員?は?株主じゃねーし。

従業員従業するだけだ。雇用契約で鎖につながれてるが、私的領域まで踏み込むんじゃねーよ!

 

虚無

職場に好ましい人がいたんだけど1ヶ月前に退職してしまった

この1ヶ月、なぜか会えるような気がしてならなかったけど、当たり前だが一度も会うことはなかった

職場近くのコンビニだとか、最寄りの駅とかで、なんでかばったり会うようなことがあるんじゃないか、会ったら多少は話ができるだろうかとか思っていた

もちろんそんなことはなく、ただその人のいない1ヶ月が過ぎていっただけだった

ようやくここ2、3日で「そりゃただの同僚だったんだから職場から離れれば接点ないよね」という事実を受け入れつつある

最終出勤日まで、自分のような人間に好かれちゃ相手が気の毒だと思って、連絡先を聞いたりプライベート踏み込むようなことはしなかった

「また会える気がする」とやけに感じていたのは、そう思いこむことで暴走を防いだりショックを和らげたりする自己防衛だったのかもしれない

現実を受け入れた今、遅れてやってきた虚無感がものすごい

そうだよなあ

明日出勤してもいないんだよなあ

当たり前だけど寂しいし虚無だ

2020-10-06

anond:20201006101005

「単なるわかりやすさのためだけに」ステレオタイプ選択しているのだとしたらそんな表現は淘汰されるべきなんだよね。(リンク先はそういう話っぽい。)

ただ、実際には「それだけじゃない」ことも少なくないことを配慮して欲しい、という話はある。

頭いいキャラメガネをかけてたり、日本人が律儀であったり、汚いおっさんが安酒飲んでたり、

こういう表現が本当に「わかりやすさのためだけに」描かれているなら批判されて「当然」とまで言って差し支えないのだろうが、

「私はインテリメガネキャラ萌えるんだ!」

「私は律儀な日本人キャラにキュンとするんだ!」

「私は安酒をラッパ飲みする汚いおっさんをかっこいい・可愛いと思うんだ!」

という一種フェチ批判する時、それ自体表現者・観客の個人的内面に土足で踏み込む行為であることは自覚して欲しいとも思う。そして現代において、こうしたステロタイプはもはやフェチと不可分じゃないかとすら思う。

これもまた「批判は全て無効」という話でもないのだが、「無くしても誰も困らない表現なんだから無くした方がいいよね」みたいな口調で言われると「おまえが死んでも誰も困らないからさっさと死ねよ」くらい返したくはなる。そこまで過激じゃなくても、アセクシャル・フィクトセクシャル当事者としては「じゃあ全異性愛者はステロタイプな異性と恋愛するの禁止な。いっそ同性愛義務化しよう。いや恋愛という行為自体が既に人生ステロタイプから禁止しよう。私は困らないし」くらいは言っていいよね。


またそれとは別に、「淘汰されるべき」と言ってもそんな焦って矯正するようなものでもないだろという話もある。

フィクションなんかよりもノンフィクションの行動の方をまず矯正すべきなのに、なぜかあの人達は「まずフィクション矯正することで、間接的にノンフィクションに影響を与えよう」としたがるんだよね。それって結局フィクションノンフィクションの下に見ているから出てくる発想でしょ。

「まずノンフィクション矯正することで、間接的にフィクションに影響を与えよう」として欲しい。

2020-10-03

ホリエモン対応がだめなのはまあその通りだとして

堀江叩きは加熱してるのでそっちに任せるとしてもですね。

ホリエモンみたいなヤツはもう、社会害悪しかいね

犯罪者信者だけあって犯罪を犯すことに躊躇いがないな

もうこの辺になると表裏としか言いようがないよね。

この人達もいつか自分の思いによって他人を殺すんだろうと。

上段は社会制裁村八分、下段はレッテル貼り

正義オーバーキルってやつです。

俺は餃子店さん不憫だと思います

ホリエモン自分の影響力を知ってるくせに大人げないし、信者気持ちが悪い。

からといって社会追放運動犯罪者認定とかちょっとねえ……。

この点はてブは案外人侵害踏み込むコメントがない。

まあはてなもいい年した老人会ですからね(←レッテル貼り)。

あっ

ただね

vlxst1224 堀江氏は「俺は関係ないだろ馬鹿なの?」と言っていたが予見はできたはずだしな。まあ全部分かっててやってるんだろう。頭脳と行動力はあるが人の心がない。タチ悪すぎ

しょっちゅう人を吊し上げてるお前が言うな

2020-09-30

anond:20200924215347

議論無双するガチフェミニストとやらを屏風から出してくれ。

 

 

まあ、そんなやつ居ないけどね。

今でも正当性を保っていると言える第三次以降のフェミニズムは、男性や"名誉男性"とも共存しないといけないってソフト路線なんで、よほどの事態でないと(医大の件とか)そもそも批判モードになったりしない。少なくともエロゲなどに踏み込むことはない。

2020-09-27

anond:20200926233620

元増田は多分人との繋がりが嫌ではないが(むしろ好きなきらいすらある)、自分からは繋がれないタイプだなきっと。

俺もそんな感じだから

仕事の外では家族以外とは関わりがほとんどない。

今まで友達かいなかったわけでもないが、環境が変わるとどうしても自然消滅してしまうんだな。

大体今までの交友関係は向こうからアプローチがあって、俺はそれに答える形で成り立っていたんだけど、そういうのはいつもやがて無くなってしまう。

「そこまで分かってんなら自分からアプローチすりゃいいじゃん」って言うかもしれない。それは分かるんだよ。分かってるんだよ。

でもちょっと関係性を築きかけたことがあったとしても、胃を決してこっちから一歩踏み込むと退かれるのが分かるというか…。場の空気が冷えるのが分かるというか…。

から他人仕事での関係以上にはならないし、それ以上が稀にあってもやがて終わってしまう。

それ故増田とかふたばとかで他人となんか言い合えるのが楽しいんだよな。

我ながらメンドクセー性格だよ。でもチュートリアル(義務教育)での成功体験が無いと中々社会に出てから上手くはいかないのよね。

2020-09-12

anond:20200912143654

おつかれ。私も2年前まで無職だった。よくわかるよ。自分のせいにしたいよな。辛いな。

でも、増田のせいじゃない。というか、増田ファインプレーだった。ギリギリなところでやべーところに踏み込むのをとどまれた。運が悪かっただけだよ。増田のせいじゃない。

大丈夫、私も髪は一年切らなかったけどなんとかなった。大丈夫。おつかれ。今日は急に気温下がったから、風邪ひかんようにな。

なんかうまいもの食べて早く寝な。おつかれ。

2020-09-07

ツイッター月経カップが妙にバズっていた

ある日から急にツイッター月経カップ言及する人が増えた。

月経カップを初めて使用してみたという方が、その体験所謂オタク構文的」に仕立てたレポがバズったことがきっかけらしい。

月経カップユーザー自体国内にはまだ少なく、能動的に調べない限り情報が入ってこない中、親しみのあるオタクノリで語られたことで存在を身近に感じられた方が多くいたのだと思う。

興味深くその流れを追っていた中で、「月経カップユーザーメリット面ばかりを強調して勧めてくるのでなんか宗教っぽい」という意見を多く目にした。そこで、月経カップユーザー何となく胡散臭い、という疑念への回答をユーザーとして自分なりに考えてみることにした。

第一に、月経カップは決して安い買い物ではないし、一般的薬局等での取り扱いもされておらず、ちょっと気軽に試してみる、ということが難しい。

だってそのままドブにお金を捨てたくはないわけだから自分に合うものかどうか、各メーカー製品比較するなどして購入する前にかなり慎重に検討している人がほとんどではないかと思う。

使用が慣れるまで痛い思いをした」という情報レビューなどを調べればそれなりに目にするので、そのあたりのリスクも引き受ける覚悟の上で(というと大袈裟かもしれないが、ある程度は仕方がないと受け入れて)実際の購入に踏み切っている人が多いのではないか

そこまで行き着く動機というのは、私の場合には、それまでの生理用品の使用に著しく不快感不自由を感じていたことだった。

ここで特定生理用品についてのディスを書くつもりはないので、具体的にどこがどう悪いといったことは詳しくは言わないが、元々皮膚が荒れやすい体質だというのが大きい。

言うなれば最初から、「ナプキンなどの使用に伴う苦痛A」が解消されるのなら、「月経カップ使用に伴う苦痛B」は許容できるという不等号になっているのだ。

苦痛Aの解消にフォーカスが当たっている自分のような人間にとっては、苦痛Bというのは既に自分の中で飲み下してしまっている部分なので、つい「不快が”全部”なくなった!」みたいな言い方をしてしまいがちなのかもしれない。

しかし当然ながら何をより不快苦痛に感じるかというのは人によって大きく異なるわけで、苦痛Aの方が苦痛Bよりずっとましだという人がいるのは全くおかしいことではない。

それぞれ自分安心できる道をとるべきなので押し付けるような言い方だけはお互いにするべきではないが、何にせよ人の言う「快適さ」にはその人の価値観個体差によるバイアスがかかっているという当たり前の話でもある。

加えて、体質や心持ちの方が変わらなければおそらくはずっと要因としては残り続けるであろう苦痛Aに比べて、苦痛Bの方は多くの場合、慣れによって無くなるか、少なくとも軽くはなってくるという、怪我リハビリテーションのようなところがある。

リハビリとして考えてみると、「この器具を使えばあなた身体はずっと自由に動かせるようになりますが、慣れない内は痛かったり違和感を感じたりしますよ」という選択肢自分で納得して選んだ場合、その後練習を積んでだいぶそれを使いこなせるようになったという時に「確かに自由にはなったけれど、リハビリのこういう所がこれだけキツかった」とデメリットを伝える方に向かうよりは、今まで強い苦痛を感じていた人であればより一層「この器具を使ってよかった!同じ悩みがある人にぜひ薦めたい!」という感動ばかりが全面に出てしまうというのも、心理としてそこまでおかしなことではないのではないか

そういった性質と、元々ある程度各自リサーチした上で使用している人が多かったという背景から、ある種の「前提」を共有しているコミュニティで閉じてしまっていたという面はあり、そこが傍から見た時の”怪しさ”に繋がる要因であるかもしれない。

そもそも今回バズったきっかけのレポートを書いた方のように、「今までナプキンでもそこまで苦労をしていたわけではないか、人からもらったので使ってみた」というケースは結構特殊なほうではないかと思う。

しかしバズったことで月経カップ含めて色々な生理用品について率直に、気軽に語られるきっかけになったのならばそれはいい機会だし、また、月経カップ使用してみたが上手く使えなかった、という人が自分を責めてしまわない為にも、バズったレポートのような「失敗談」がオープンに聞ける機会があるのは良いことと思う。

私自初心者の頃は着脱に苦労した経験があり、個人的には「慣れれば絶対にうまくいきますよ」という言葉の方に勇気づけられて練習できたタイプではあるが、「同じように上手くいかない人がいる」とか「諦めてもいい」という声によって安心を得られる人もまたいると思う。

反面、拡散される中で月経カップユーザーからすると少し「怖いな」と感じられるノリもあった。

ここで少しだけ、仮に今、日本では圧倒的に月経カップ(もしくはタンポン)を使っている人がメジャーで、紙ナプキンを使う人が一番少数派である、という反転した状況を想像してみてほしい。

この状況が反転した世界では需要が少ない紙ナプキンは高級品で手に入りにくいが、それでも”わざわざ”紙ナプキンを使っている人たちというのは、体内に何かを装着する事への心理的な抵抗感など、各自の切実な理由があってそれを選択しているのである

そうやって自分なりの安心を得ている人が少数いる中で、突然「なんか紙ナプキンていう生理用品があるらしい」という話題SNSでバズったとする。

ナプキンユーザーが圧倒的に少数派である状況で、「紙ナプキンかいやばいツールw」みたいに面白コンテンツとして消費されたり、「経血を体内に溜めないで自然に外に出すっていうのがいかにも子宮カルトの人が好みそうだよね」と特定思想集団と結び付けられたり、「公共トイレに毎回ゴミを出すなんて不潔、感染症スプレッダーになっている」などというネガティブ意見がワッと湧き上がるのを想像されると、少しこの「怖いな」という気持ち理解いただけるのではないだろうか。

意見を言う自由があるのは当然のこととして、「オープンに語る」ということと「他人領域踏み込む」ことは違うし、特に生理用品は単なる「嗜好」や「趣味」という基準からではなく、もう少しプライベート身体健康上の理由から選択している人が多いと思うので、その辺りはデリカシーを持って語っていったほうが良いのではないか

最低でも、〇〇をつかっている人はこうなんじゃないかとか、勝手イメージ想像に基づいた偏見をばらまくのは良くないし、そういう姿勢こそカルト等と揶揄される”疑似科学”と何も変わらないように思う。

一応補足しておくと、今回バズったことでレポート主の方を責めたりするつもりは全くない。むしろ予想外にバズってしまたことで色々と矢面に立たされてしまい大変なことだろうと思う。

使った人が率直な使用感を述べることは全くの自由だと思う。しかし、その中でも少しだけ読んだ方への誤解に繋がるのではと心配になる部分はあったので、以下は参考として書かせていただく。

月経カップメーカーHPなどには身長体重出産経験のありなしによって推奨されるサイズが書かれており、先ずは自分に合ったサイズを買うことでリスクを抑えられる。

レポ主の方はMサイズを人から貰い受けたとのことだったが、未経産かつ性交経験がないと書かれていたので、サイズが合っていない可能性があり少々心配になった。もちろん体格や個人差があるので一概には言えないが、Sサイズさらに短いタイプ等もあるので、基本的にはこれから使用される方は最初月経カップ自分で選んだ方が間違いがないと思う。

また、着脱の度に煮沸消毒したほうがいいか、という点に関して。メジャー月経カップメーカー使用方法には基本的には月経期間が終わった後と始まる前に1回煮沸消毒すればよいと書かれており、メーカーによっては必ずしもそこまで神経質にやる必要はないと書いているところもある。月経カップ区分的には一般医療機器にあたるので、「なんとなくこうじゃないか」と各自判断するよりは、使っている製品ごとに書かれている使用方法を守るのが安全だと思う。

最後に、処女場合性具等で拡張しないと月経カップは入らないのではないか、という懸念については、逆に経産婦の方やパートナーペニスは入る方でも月経カップ最初痛くて入らなかった、という意見もよく見る。月経カップ装着の仕方にクセがあるので、ディルド等の性具と比べて考えるより、やはり月経カップ特有の装着の仕方に慣れていくことでしか痛み等は解決しないように思う。

ただ、確かに今まで膣に何も挿入経験がないという方とそうでない方とでは心理的な抵抗感なども大きく変わってくるとは思うので、まずはタンポンなどで挿入しやすい角度や感覚などを練習してみるというのは有用だと思う。

追記

ツイッター上で、ここで言及しているレポート主の方に何点か指摘を頂いたようだったので補足。

先ず、「マイノリティとまで言って「月経カップを使う人」をコミュニティ属性にしている時点でうわあと思ってしまう」、という指摘に関して。

文章内で”マイノリティ”という言葉使用したことに関しては、単に”少数派”という意味使用したつもりだったが、意図しない含みを連想させる言葉であることも確かだと思ったので、そのまま”少数派”に訂正した。文章の至らなさがあり申し訳なかった。

そして確かに話を分かりやすく進めるために「月経カップを使う人」をひとまとめのように表現してしまっている部分はあるかと思うが、勿論、月経カップユーザー特定属性に押し込めたい意図はなく、私の主張はむしろその真逆のところである

月経カップユーザーが閉じたコミュニティになっていかない為にも件のレポートがバズったことには良い作用があった、という事を書いたはずだったのだが、この日記レポート主の方に向けて月経カップを「庇え」と言っているように受け取られてしまったようで残念だった。

また、「ナプキンネガキャンをしている月経カップユーザーだって居た」、という指摘については、もしその「ネガキャン」の内容がナプキン使用している人を不当に貶めたり、偏見のある発言をしていたということなら、私が問題視しているのはまさにそういう声や、この日記コメント欄にも発生している「布ナプキンの方が云々」のような発言のことだ。

元々この日記レポート主の発言に向けてではなく、あくまでその流れに便乗して乱暴発言をする人たちを危惧して書いたものだったが、結局レポート個人の気を悪くさせる結果になってしまたことについては申し訳ないし、ここで交換日記めいてしまうのも良くないので以後は更新しないことにする。

2020-09-01

anond:20200901085602

人類が完全な協力体制に入らない限り



その場に適した表現を考えよう、っていう点ではわりと協力体制だと思う。

からこそ公共の場エロ表現持ち込む人とか、ゾーニングされた部分に踏み込む人に指摘していければよいんじゃないかな。

2020-08-25

anond:20200825091714

踏み込むと3手でつむ。こういうのを必死という。そっちに、いっちゃいけない。

2020-08-23

anond:20200823151413

カナル型イヤホンというと、一般人弾丸型のようなものを耳に詰め込むのを想像するかもしれないが、俺が勧めるのはそれとは違う。

オーディオマニアが装着するイヤホンは、カナル型の中でも大抵はIEM、いわゆるイヤモニのようなものだ。

これの何がいいかというと、補聴器と同じように外耳の形に合わせてつくられているため、遮音性が極めて高いことだ。

高価なものカスタムIEMと言って耳型を採取して作るのだが、ユニバーサル仕様一般的な人の耳の形に合わせた筐体で安めに大量生産されるものもある。

最近は主に中国オーディオブランドより数千円から安価で高音質なIEM型イヤホンが発売されている。

使ってみると遮音性と音質の両方に驚くことだろう。

こういうものを愛用していれば、外のノイズなど過去問題になる。部屋に入って呼びかけてきている人の声にすら気づかなくなるレベルなのだ

耳掛けスタイルの装着になるので慣れないうちは戸惑うかもしれないが、慣れるだけのメリットがある。

耳の後ろにケーブルを這わすことによって、タッチノイズというケーブルに何かが触れたときノイズも低減される。

これに慣れると、弾丸型のケーブルを下に垂らすタイプイヤホンを使うのが苦痛に感じるほどだ。

また、外耳全体で筐体を保持し、ケーブルの重みも分散されるので、耳穴にかかる負担が小さい。いいことづくめだ。

これでユニバーサルIEMタイプイヤホン世界踏み込む勇気が湧いてきただろう。

おすすめの機種はたくさんあるが、まずは自分でいろいろ調べてみると良いだろう。

マニアブログレビュー外人YouTubeレビューなどがたくさんある。

いかがでしたか

2020-08-10

20200810

昨日今日と、仲の良い友人らとオンライン通話をした。

それぞれ仲良くなった時期が違う友人らだが、何の気兼ねもなく、楽しい時間を過ごした。

学生時代はそれほど考えなかったが、社会人になってから感じることは「それほど仲の良い友人というのはほとんどできない」ということだ。

無論個人差はあるだろうが、私はそう思う。

学生時代に仲良くなった友人らは、一緒に過ごした時間も、知り合った時の感性も違う。

同僚は同じ空間で過ごすことは多かれど、個人的な心理エリアまで踏み込むほどの関係は築きにくいのではないだろうか。

というか、既に何でも気兼ねなく話せる存在を持っているから、別に今更職場でそういう関係を築く必要がないと感じているのかもしれない。

同僚とは何度か飲みに行ったり、休日にあったりしたことはあるが、やはりなんかどうもしっくりこない。

そんな私は幸せ者なのかもしれない。

仲の良い関係だったにも関わらず関係が断絶したり、よそよそしくなってしまった事が何度かある。

原因はわからなかったり、明らかに自身の落度だったりするのだが、もうそんなことが起きないよう、今いる存在大事に生きていこうと思った。

なんか思ったよりまじめな文章になってしまったけど、要約すると「トモダチ最高」ということ。

量より質だ。

2020-08-09

フェミニズム絶対論理的に誤ることは無い

背理法で考えてみよう

尚、フェミニズム批判への反論は↓のブコメの人気コメントより抽出する(従ってこれらの反論は全て実在するものであり、多くの場合支持されるものである

https://anond.hatelabo.jp/20200808160355

https://anond.hatelabo.jp/20200722170240

 

仮にフェミニズム論理的な誤りがたった1つでもあったとする

①その誤りを指摘する人が居た場合

 ①ー1:その指摘はランサーズにより委託された文章である反論する

    →指摘の論理的な正誤に関係無く、ランサーズによる委託であれば誤りである、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー2:指摘者は反フェミである認定する

    →根拠は無くともフェミニズム論理的疑義提示するものは反フェミである

    →指摘の論理的な正誤に関係無く、反フェミの主張は誤りである、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー3:反フェミも誤っており、またフェミニスト達より暴力的だと主張する

    →反フェミが誤っているならば、フェミニズムは誤っていないという事である、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー4:論理的に誤っているのはフェミニストの一部であると主張する

    →あくまで誤っているのは一部のフェミニストだけであり、また研究者活動家はそうした誤りを指摘する責任は無い、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー5:指摘者はフェミニストの代表者ではないと指摘する

    →代表者でなければフェミニズム論理的な誤りを指摘する事は出来ない、従ってフェミニズム無謬である

②その誤りを指摘する人が居ない場合

 →誤りを指摘するものが居ないという事は誤りは存在しない、従ってフェミニズム無謬である

 

⇒すべての可能性について、「フェミニズム無謬である」を導く事が出来た。これは前提(フェミニズム論理的な誤りがたった1つでもあったとする)と矛盾する

 従って前提は誤りであるフェミニズム無謬である

 

さて、この様にしてフェミニズム論理的な誤りが無い事を証明できた

もっとも、論理的思考能力がある人なら分かると思うが、上記は正確には「フェミニズム論理的な誤りを認める事は不可能である」の方が正しい

そしてこうした論理的に無敵である論理的な誤りを指摘する事が出来ない命題身分は、論理的に考えられる人であれば当然理解出来るだろう

IT分野に詳しい人が多いはてなであればこう表現した方が分かり易いかも知れない

 

フェミニズムバグを見つけるテスト存在しない

 

仮にフェミニズム論理的な誤りがあったとして、それを見付ける事は出来ない

何故ならフェミニズムには①ー1~5の様な、バグ発見を妨げるコードが内蔵されているかである

これらのコードバグ発見するテストを実行した際、「指摘はランサーズによる委託です」「指摘者は反フェミです」「反フェミも誤っています」といったダミーエラーを出力し、バグ隠蔽する

当然ながら、こうしたバグ隠蔽コードは①ー1~5の他にも大量にある

例えば先日のananSEX特集の件で、それらが環境セクハラではないのか(同じ条件を満たす2つの事象の片方は環境セクハラ認定し、片方は認定しないフェミニズムには論理的な誤りが有るのではないか)という疑義に対し

フェミニストの一部は「不快だと思う男性ananに対して声を挙げればいい」と応答した

これもまた、フェミニズム内部のバグ発見するテストを「ananへの抗議」へとすり替えバグ発見回避するコードである

「指摘者は自分不快だと思っていないがフェミニズムを叩きたいが為にこうした疑義を出す」等のエラーを出し、フェミニズム論理的な正誤は問題から外される

フェミニストによる他の応答も多くは、フェミニズム論理的な誤りの検討に踏み込まない(あるいは、踏み込むのを防ぐ)ものだった

 

フェミニズム内部にはこうしたコードが大量に存在し、フェミニスト達はこうしたテクニックに非常に長けている

従って、フェミニズム論理的な誤りが仮にあったとしても、それを見つける事は出来ないし、認められる事は更に無い

フェミニズムテストされていないプログラムである

2020-08-04

anond:20200804211408

オーバーウォッチとか見ていて面白いもんじゃないしな

けが込んだ配信者が絶叫して味方を罵りだすところだけが面白い

lolなんかメカニズム理解するためにあの魔境に踏み込む気にはなれんから永久理解できそうにない

フリッパーズ・ギター

いじめ小山田が近年音楽的にも政治的にも極めて優等生的で成熟した方向に進んでいるのに対して、「東大小沢10年くらい前の2ちゃんねらーみたいなひたすら幼稚で地頭の悪い逆張りおじさん(だけならまだしもレイシズムにまで踏み込むとは!)になってしまうなんて誰が予想したであろうか。

いや熱心なファンなら予想できたのかな?

(今回の件だけじゃなく以前の「圧死笑」のやつとかも踏まえてです。)

2020-08-03

無料社会が及ぼしたであろうクリエイターへの影響

クリエイターでもない私が偉そうに語るものではないけれど、なんとなく思いついてしまったので。

大前提として二次創作というもの個人間で楽しむ範囲のものであり、商業的やり取りは基本的ご法度です。

なので文章的に分かりづらいかもしれませんが、論点は「無料で消費される技術の質」という点であることをご了承ください。

私は学生時代ニコニコ動画黎明期でもあったため、MMD (Miku Miku Dance)というコンテンツにハマっていました。雑に説明すると、自分の好きなキャラクターが立体モデルとなり、着せ替えたり躍らせたりすることができました。

二次創作においても漫画小説と同じくらい当時人気のコンテンツでした。(現在の状況については正直見ていないので分かりません…)

そして当時、私も遊び半分で動画を数本投稿してみました。ありがたいことに多くの方に見て頂けて温かい言葉、激励する言葉も頂きました。

5年以上経った今、改めて見直してみると初心者だったとはいえこんな、「よくこんなクオリティのものを世に出したな自分!」とそのあまりに粗雑さに目を疑いました。

(お借りした素材はどれも素晴らしいものでしたが、とにかく私のミックス編集技術絶望的でした)

何でこんな粗雑なものにこんな温かいコメントの数々を頂けたのかと。

色々と考えてみました。そして個人的にたどり着いた結論は二つ。

一つはただただ視聴してくださった方々が良い方たちであったから。これは恐らく間違いない。

ただ、もしこのご時世に同じ動画を投げても、恐らく同様の再生数やコメントは貰えないであろうなとも思いました。

それが二つ目理由、「我々が無料で拝聴できるコンテンツクオリティが5年前と比べ飛躍的に上がっている」から

これに大きく影響を及ぼしているのはスマホの普及…によるSNSソーシャルゲームの普及だと思ってます

乱暴に言うと最近Twitterを眺めているだけで有名絵師作品を流し、アプリストアを開けば無料ゲームダウンロードできる。

しかもどれもとにかくクオリティが高い。

5年前と比べ「無料」のハードルは大幅に上がり、消費する層の目もどんどん肥えて行きました。

技術も5年前に比べ進歩し、クリエイターさんたちの質も「無料第一主義」の超消費社会で生き残った洗練された人たちをよく見かけます

逆に5年前の私みたいなのはきっと、この超消費社会踏み込む権利すらないのではないか…それくらい「生み出すもの」と名乗るスタートラインが高くなった印象を受けています

別に悪いことだとは全く思いません。競争が激しいほどクオリティ昇華されていき、一般的により良いものが生まれていくのは創作に限らずモノづくりにおいては大切なことなので。

だけど高くなりすぎたスタートラインにたどり着けすらできなかったクリエイターたまご無料化によって高速化した消費に必死に追いつこうとするクリエイター玄人さんたちも

どこか辛いと思っているところはないのだろうか、と。

法外な価格を設定しろと言っているわけではありません。けれど作品に対する相応の報酬を求めるのも悪ではないと思うんです。

私の思い過ごしかもしれません。考えすぎの被害妄想かもしれません。

でもこうして文章にしないと収まりが悪いと思うくらいには当然になってしまった無料社会に思うところがあります

2020-07-31

ウルトラマン ニュージェネレーションシリーズを遠くから眺める

ウルトラマンZ』を観ていると、毎週何かしらの良い意味でのサプライズがあり、

脚本特撮を含む演出密度の濃さを感じているのは、SNSで見かける反応を見る限り、

多くの大きいお友達共通認識だと思われる。

しかしながら、ふと思ったのが「実はニュージェネって各作品毎の質に波がある」という疑問。

・1作目『ウルトラマンギンガ』は、廃校舞台に、主人公と元同級生達との交流を描く

 青春ドラマを軸とすることで、低予算作品の質を守る工夫がされていた。

・2作目『ウルトラマンギンガS』は前作の直接的な続編だが、スタントマン出身のメイン監督坂本浩一

 脚本小林雄次中野貴雄が、ドラマ特撮アクションバランス良く成立させた。

・3作目『ウルトラマンX』は田口清隆監督シリーズ構成4名の布陣で、各設定をアップデートさせた

 従来型フォーマットを総括した作風となった。

・4作目『ウルトラマンオーブ』は田口清隆監督が続投、『X』でやりつくした正統的様式をぶち壊す方針で作られ、

 人気を博したことニュージェネレーションの基礎が確率された。

・5作目『ウルトラマンジード』は作家乙一によるハードSF寄りな物語と、再登板坂本浩一監督の明るい演出

 良い方向に組み合わされた良作となった。

・6作目『ウルトラマンルーブ』は、評価こそ悪くないものの、企画・設定に粗が目立つ作品となった。

 ・「防衛隊存在しないと同じ町内の話ばかりになる」という某監督の指摘があるが、

  『オーブ』の怪奇現象YouTuberチームや、『ジード』の治安調査団のような、防衛隊代替機能となる

  役割存在が無く、企業城下町ウルトラマンというスケール感縮小が否めない。

 ・ホームコメディを目指したと言いながら、ドラマ面で兄以外の親・弟への掘り下げが殆ど無く、

  学園ドラマ要素を盛り込もうとして破綻した『ウルトラマン80』と同じ轍を踏んでしまった様子。

・7作目『ウルトラマンタイガ』はウルトラマンロウの息子・タイガと、出身の異なる2人のウルトラマン

 トリオと、タロウ逆恨みする拗らせウルトラマンとの戦いを軸として、宇宙人地球人対立和解を描く

 企画だったようだが、タイガ以外の2人のウルトラマンは出番が少なく、本編にはタロウも現れず、宇宙人差別

 ある程度踏み込むかと思いきや終盤の数話で噛ませる程度に終わっている。

…といった印象で過去作を振り返ってみると、『オーブ』『ジード』までの成功と、『ルーブ』『タイガ』の不調が

見て取れる(好みは皆違うので、異論は認めます)。特に『Z』の出し惜しみの無い展開を見せられた後では、

ルーブ』と『タイガ』は出し惜しみ感や、設定やイベント消化に追われていた印象が強い。

ニュージェネの監督は皆優秀なのだけれど、メイン監督は、坂本監督田口監督のような拘りの強さがないと、

悪い意味企画・設定の消化で目一杯になってしまい、各話監督時のサービス精神が発揮しにくいのでは、という感想

結論としては(1)『Z』は密度が凄い。(2)『オーブ』『オーブオリジンサーガ』『オーブ劇場版』『ジー劇場版』を

通して見ると『Z』はもっと面白いです。

2020-07-29

高齢になったお得意様

我が家は細々と農産物販売する兼業農家で、20年くらい前から通信販売もはじめた。始めた当初は母が諸々の事務担当し、8年ほど前に私にその仕事が私へ引き継がれた。

代金の回収は商品着後の後払い(郵便局コンビニ)で、ほとんどのお客様は滞りなくお支払いしていただいている。


そんな中、本当に初期の頃からご利用いただいている、Aというおじさんがいた。

Aさんはいつも電話で注文をしてくれる。特にうちのブルーベリーを気に入ってくれていて、一箱は奥さんと食べるために自宅へ、あとは兄弟や従兄弟に送りたいから、〇〇県のB、△△府のCに同じ商品を送ってね、というように注文をくれた。

Aさんのご兄弟我が家商品を気に入ってくれて、兄の紹介で、と注文をくれたこともあった。

Aさんとは直接お会いしたことは無かったが、電話の話だと過去営業をやっていたとのことで、声にはハリがあり、大変はきはきと喋る。熨斗確認などの際も、細かく指示をくれたので、15年の間にAさんに変化が訪れていたなど想像もしていなかった。15年。私はまだ学生だった頃だ、そのくらいの時間が流れたいたのに、気づかなかった。


ある年のこと、Aさんに商品請求書を送ってから3週間が経過した。我が家では着後2週間以内のお振込みをお願いしているが、まあ土日や祭日に商品が届くこともあるので、入金漏れのチェックはおよそ3週間を目途に行っている。Aさんは今まで着後すぐに入金をしてくれるタイプの人だったので、家族でもあれ?という話になった。商品の追跡を確認したが、発送の翌日にはお受け取りいただいている。Aさんからの発送依頼で商品を送ったご兄弟の方々も同じくお受け取りは完了していた。

入金の確認がとれないまま、4週目に突入した。請求書の発行履歴はある、これまでにあったパターンだと、請求書を紛失した?でも、Aさんなら請求書を紛失したと言ってくるだろうし、となると何かあったのだろうか?

私はAさんの自宅へ電話した。


Aさん「はい、Aです!」

私「××の私と申します」

Aさん「あ、××(会社名前)さん! どうしたの?」

私「すみません、実は商品発送後、Aさんの入金確認がとれておらず、お電話させていただきました。商品とご請求書は届きましたか?」

Aさん「ああ、商品は届いているよ~ ごめんね、冷蔵庫に空きがなくて仕舞えてないんだ。早いところ食べないとね、請求書は、ちょっと待ってね、見たような気はするけど……」

私「あ、はい、あのもし紛失されたようでしたら、再送致しますが……」

Aさん「あ、あった、ありました、あれ?おかしいなあ、忘れちゃってたのかな。ごめんなさいね今日は、え~っと、土曜日か! 週明けに至急振込みますので!」


そう言うなり電話は切られた。

冷蔵庫仕舞えてない」「土曜日」この二つの言葉に私はじわりと嫌な感じがした。

まず、この会話は商品を発送してから4週目に突入たころのやり取りなのだブルーベリークール便で送ったが、その後少なくとも常温で20日以上経過している。傷んでいるだろうし、下手をすると腐敗している可能性もある。だが、Aさんはそれを食べないとねと言っていた。

そして、Aさんは土曜日と言っていたが、その日は普通の平日だった。


5日ほど経過した。もちろん入金はなかった。

私は家族相談した上、経緯(食い違いがあるといった内容は書かず、何日に商品を送った、請求書の送付から何日が経過している等)を説明した手紙を同封し請求書を再送した。奥様がいると言っていたので、奥様に読んでいただければと思った。

再び5日ほど経過したが、何の連絡もなかった。


私は再度Aさんへ電話をかけた。

Aさん「はい、Aです!」

私「××の私と申します、先日お電話したブルーベリーの件で……」

Aさん「××(弊社の名前)さん! ブルーベリーね、昨日おいしく食べたよ」


嫌な予感が当たった衝撃。Aさんの嘘であって欲しい、本当はぐじゃぐじゃで食べられなかったけど、気を使ってくれただけだと。いや、でもAさんなら、もし食べてしまっていたら、今年のブルーベリーはおいしくないって正直に言ってくれるはず……Aさんの言った昨日がせめて、先日の電話の日であって欲しい……食べられる部分だけ食べたのだと……そんな日にちの感覚がずれているだけであって欲しい……。色々な考えが巡った。


私「請求書をお送りしたんですが……」

Aさん「んっ!? 請求書ね、ちょっと待ってね……妻が出て行ったから、持って行っちゃったのかなあ、申し訳ございませんね、今日は、え~っと、土曜日か! 週明けには至急振り込みますので!」


先日とほぼ同様のやり取りだ。


このままでは代金の回収ができないこともだが、Aさんの生活は成り立っているのだろうか、それが不安だった。奥様はお元気なんだろうか、家族のことに踏み込むのは失礼にあたるだろうが、Aさんが常温でずっと放置されたブルーベリーを食べるような生活を送っていることを知った上で、このまま見過ごしていいのだろうか。

もちろん、Aさんとは親戚でもなんでもなく、顔も知らないし年齢も分からない。遠い所に住んでいるお客様の一人だ。けれど見て見ぬふりをするのが正解、代金の回収も諦めてそのまま(大口の注文ではないので、できなくもないが)、と割り切ることもできなかった。

その後も、Aさんへの電話は続けた。逆に、Aさんから電話がかかってくることもあった。やり取りは同じようなことを繰り返すことになった。

Aさんの調子には波があるようで、ブルーベリーの注文をしたことすら忘れているときブルーベリーを食べたことを忘れているとき、注文はしたけど届いてないよと言われるときがあった。奥様とは相変わらず連絡が取れなかった。

かかってくる電話は、早朝に来ることもあれば、夜にくることもあった。


家族と再度相談し、今回はやむなし、ということで、私はAさんのご兄弟のBさんに連絡をさせていただいた。過去ご注文をいただいたご兄弟履歴が残っていたのだ。

経緯を説明すると、「お察しのことかと思いますが、兄は痴呆症なんです」「義姉(Aさんの奥さん)は既に他界しておりまして」「私も月に数度様子を見に行っておりますが」「日常生活身の回りのことは大体出来ているので、あとはホームヘルパー派遣したり、週に数度は兄の息子夫婦が訪ねたり」「息子さんは〇〇(大手企業)の役員をやっていて、その奥様が様子を見に行っているようですが、二人ともいい人なので、代わりに支払いを申し出て下さると思いますよ、私の方から経緯と事情説明しておきますね、そちらの会社名とご連絡先も伝えておきます

本来、私が心配しなくてはならないのは代金の回収だけのはずだし、私でも知っているような企業にお勤めの息子さんご夫婦が定期的に訪れているのだ、生活に困窮なんてしていないに違いない。どんな生活を送っているかなんてわからない。これ以上私などがAさんの心配をすることも、私にこれ以上できることもない。そうは分かってもなんだか、Aさんの老い時間の流れや……何ともしがたいけれどつらい気持ちになった。

後日、Aさんの義娘にあたる方からご連絡があった。請求書の送り先の住所は、都内マンションだった。3日もせず、入金があった。


私たち家族としてはとりあえず一件落着、と思っていたさらに数日後、なんと当のAさんから電話があった。

Aさん「ブルーベリーいただいたよね! 請求書を送ってくれるかな?」

Aさんへ請求書は4度ほど送った。送ったとだけ言うと、Aさんからまた電話がくるかもしれない。

悩んだが、入金は完了したことだけを言った。

Aさん「えっ? そんなことないよ、まだ支払ってないはずだって

困った。少し押し問答になり、悩んだ結果、私はこのような嘘をついた。

私「ご請求書の件ですが、何度かA様宛に郵送したのですが、郵便事故でA様の所へ届かなかったようです。申し訳ありませんが今回だけ息子さんご夫婦の所へ郵送させていただきました。お支払いも息子さんご夫婦代理で行って下さいましたよ」

Aさんはものすごく怒った。悪くなったブルーベリーの違いも分からなくなり、時間曜日感覚も失い、けれど息子に迷惑をかけたことを恥と感じ、こんなに辱められたのは初めての経験だ、客へ行う仕打ちではない、一体どんな会社教育なんだと御叱りを受けた。私は謝罪した、10分ほど謝罪を続け、Aさんは怒りを納めて、また来年ブルーベリーを注文させていただきますと言い、電話は終わった。

翌年、Aさんにはブルーベリー案内ハガキは出さなかった。Aさんからも問い合わせも注文も無かった。


Aさんの弟さん、息子さん夫婦、ここまでサポートされ、身の回りが出来ていると判断されていても、Aさんは腐敗した食べ物を食べている。でもそのことをBさんに伝えることはできなかった。そんなこと分かっていて、それでもAさんの性格や折り合いから付きっ切りなんてできないのかもしれないし、もしかしたら腐敗した食べ物を食べていることも知っているのかもしれない。

あるいは、Bさんに伝えたところで息子さん夫婦ヘルパーさんが叱られるだけで、でも手のつけようがないのかもしれない。

外野が出る幕でもなく、余計な心配だったのかもしれない。でもどうしたらよかったんだろうとブルーベリーの時期になるとぼんやり思い出す。

こうしたお客様は今後も出てくるかもしれないし、私もいずれAさんみたいになることもあるんだろうな、なんてぐじゃぐじゃした気持ちを、今も引きずっている。

2020-07-27

ドイツ人ブルマーソ連人のブルマーとなりのトトロパンツ(3)

前回:anond:20200727074508

結果(3) その他の国

http://alger-roi.fr/Alger/enf/ecoles/pages/10_enf_gym_60_lebaz.htm

https://www.alamyimages.fr/la-gymnastique-dans-les-annees-1950-la-formation-des-jeunes-femmes-de-la-gymnastique-avril-1954-suede-image224244117.html (訂正。スウェーデンらしい)

ショーツブルマー確認

http://yofuiaegb.blogspot.com/2016/06/yo-fui-egb-recuerdos-de-los-60-y-70-colegio-material-escolar.html

やや短パンっぽい。

https://www.theholocaustexplained.org/life-in-nazi-occupied-europe/controlling-everyday-life/controlling-education/

かなり現代ショーツブルマーに近い。

中国台湾韓国と、翻訳にかけて体操着検索したが、ジャージ姿しか見当たらなかった。

意外なことに、英連邦共産圏以外にもショーツブルマー存在していた。

議論

調査により提灯ブルマー及びショーツブルマー日本のみならず、ヨーロッパオセアニアにも広く分布していた時代があった。驚くべきことに、ショーツブルマーナチス時代にまでさかのぼることが分かった。

まり規律集団行動を重んじる文化圏の外にも、ブルマー存在していた。つまるところ、ブルマーというのは全体主義産物ではなく、全く別の理由で広まったものと思われる。

女性身体自由に見せる権利の広まりとともに、レオタード水着姿になる自由の一環として、広まったのだろうか。それとも、逆に美しいとされる身体を見せることを強要されたのか。これだけでは判断することはできないし、両者が混在していることだって考えられる。ここまで踏み込むには、私の知識がまったく足りない。

今後の研究

今回、私はショーツブルマー世界的な広がりを確認することができた。しかし、これはあくまでも定性的研究であり、まったくと言っていいほど定量的ではない。すなわち、各地域で、何年から何年までブルマー使用されていたのか、採用された学校は何パーセントに及んだのか、といった情報が完全に欠けている。

それに、ブルマー採用全国的強制されたものであったのか、学校ごとの裁量に任されていたかも明らかにできていない。下手をすれば、上であげた国家についても、私立の数校でブルマー採用されていたにとどまる可能性がある。また、バレーボールの授業のみブルマー着用、というケースも考えられる。もしそれが正しければ、常にブルマー姿だった日本は特異的な地域になる。

また、ブルマーのものがどのような素材で作られていたのかについてもわからないし、どこからが提灯ブルマーでどこからショーツブルマーなのか、明確な基準を以って調査はできなかった。残念ながら、不鮮明な白黒の写真に頼らざるを得なかったためだ。

課題は他にもある。今回、ブルマー存在していない地域をいくつか挙げたが、何かが存在しない証明は非常に困難だ。

加えて、ブルマーがその国にどのような文化的インパクトを与えたかについても不明だ。女性解放シンボルであったのか、フェティシズムノスタルジー対象であったのか、おそらく多数の記事を読まなければならないだろう。例えば次のチェコ動画からは、何かの余興なのだろうか、ノスタルジーユーモアというニュアンスが感じ取れる。

https://www.youtube.com/watch?v=HT0k1Jr8uwM

また、共産圏に多く見られたが、レオタードもまた体育で広く用いられている。ブルマーとは分布が相補的なのか、そこが気になった。たとえば、党大会国民の体育大会かわからないが、多数のレオタード姿の女性が集っている動画が多数あった。

https://www.youtube.com/watch?v=MteXGWpSH9k

長くなってしまったが、今回は以上である。私の研究は、あくまでも大まかな方向性を示したにとどまる。だが、歴史を過度に単純化する考えから少しでも自由になれるのなら、これほどありがたいことはない。

おまけ

それにしても、どうして下着同然のショーツブルマー採用されたのか。思い付きでしかないが、ジェネレーションギャップによるものかもしれない。

例えば、「サザエさん」や「となりのトトロ」では、少女パンツ丸出しで駆け回っているが、当時としては性的な含みはほとんどなかったものと思われる。「サザエさん」は舞台博多から東京に移ってから昭和26年以降、「となりのトトロ」は昭和30年代前半が舞台である。おそらく、当時は下着が見えていても、お尻丸出しではないから構わない、という感覚だったのではあるまいか

そして、もしもショーツブルマーが広がったきっかけが東京オリンピックだったとしたら、それは昭和39年前後ことのはずだ。つまり、この戦後まれ大人になった頃である。当時の教師たちが、「サザエさん」「となりのトトロ世代の子どもたちであっただとすれば、ショーツはいているのだからショーツブルマーはまったく恥ずかしいものではない、と思い込んでしまった可能性がある。

一方、それ以降の子どもたちは、下着は見えては恥ずかしいものだという意識に目覚めていた。正確な年代は、「パンツが見える。――羞恥心現代史」に当たらなければならないだろうが、羞恥心世代ごとの差が、ショーツブルマーとその軋轢の遠因なのではないだろうか。

若い世代常識感覚をどうやって上の世代に伝えていくか、これは今の教育界にも通じる問題であろう。

2020-07-26

そんな簡単なことだったのか

筆者は球技全般が大の苦手である

例外的に、社会人になって少しの間スクールに通っていたこから、かろうじてテニスダブルスゲームっぽい「ボール遊び」ができる程度。


それで、具体的に球技の何が苦手なのか考えてみると色々あるけど、その中でも致命的な問題なのが、おそらく

体重移動理解していなかった

だと思う。

バットラケットを使う系の球技バレーサーブだと「手打ちするな」という注意はよく聞くし、投げる系の球技ダメな投げ方が「女の子投げ」と揶揄されたり、サッカー利き足じゃない方踏み込みはかなり大事と聞く。

で、ココらへんは全て体重移動の話なわけで、自分テニスを習うまで自覚できなかった。

自覚できなかったので、とにかくどんな球技でもボールが全く飛ばず、結果学校の体育は筆記試験水泳スコアを稼ぎ、なんとか通信簿評価1を免れる体たらくだった。

でも当時は足腰の使い方の問題であるとは気づかず、腕の使い方ばっかり気にしていた。

そして結局、打球でも投球でも最低限のお約束として、利き手の反対側の足を踏み込むのが大事ということに、後で教えられるまで気づかなかったと。

まさしく運動音痴の見本だ。


というわけで、どうにかフットワーク重要性に気づいたのだが、それでもなお

「足を踏み込んだときとそうじゃないときで、なんでこうもボールの飛びが違うんだ?意味わからん

という疑問を、長年抱いていた。

それがようやく最近理解できたのだが、わかってみれば結構簡単(高校物理でほぼ最初に習う、基本中の基本の話)だった。

要は、ボールに伝わる力は、身体で動かした部分の質量加速度の積であり、加速度が一緒なら、力は質量に比例する。

から手だけ動かすのと、足を踏み込んで体全体を動かしたのでは、実のところ腕の質量と体の全質量という大きな違いがあり、それがそのままボールの飛びの大きな違いになると。

運動エネルギーもまた公式の通りなので、ボールの速さだって断然違ってくると。


なんだよ、そういうことかよ、なんで誰も早く教えてくれないんだよーと思った。

とはいえ、得意な人は多分こういう小難しい原理的な話を知らなくてもできてしまうので、教えてくれというのは無理筋だよなあとも同時に思わされた。

からプロ指導者必要なんだろうなという他力本願結論で、とりあえず締めることにする。

2020-07-23

anond:20200723042831

きじゃないというか、共通話題踏み込むメリットがないというか。

個人情報は明け渡したくないし、いずれは別れる間柄だからなあ。相手幸福があろうが不幸があろうがぶっちゃけ関係ない。仕事がこっちに来なきゃ良いなと思ってるだけ。

でも、インターネットもそうなんだよな。SNSがなければ相手の事を知る必要も影響受ける必要もない。

一ヶ月くらい、赤の他人と暮らす事になっても何ら問題は無い訳で。特に個性日本人は尚更、皆同じような個体に見えるね

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