はてなキーワード: 越後とは
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旗本と思われる匿名の著者の筆になる『世事見聞録』(文化13年)は、農村の身売り事情にについて――
国々の内にも越中・越後・出羽辺より多く出るなり。わづか三両か五両の金子に詰まりて売るといふ。
と述べ、越中(富山県)、越後(新潟県)、出羽(山形・秋田県)の貧農が幼い娘を三~五両で女衒に売っている、と。
不作などで困窮した農村を女衒がまわり、女の子を仕入れていたのである。
「コロナが終息したら絶対面白いことがある。美人さんがお嬢(風俗嬢)をやります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから。今はお金を貯めて踏ん張りましょう」
ある時、森之助の伯父で、先年村上家を出奔して武田家に仕えていた、相木市兵衛という者が塩尻峠を通りかかった。
市兵衛はその山奥で、鹿の背に乗せられ、猿たちに取り囲まれた赤ん坊を見つけた。
不思議に思った市兵衛は赤ん坊を拾って帰り、山の中で鹿に乗っていた子供ということで「山中鹿之介」と名付けた。
その赤ん坊こそ、長坂・跡部の追手と戦ううちに更科姫とはぐれてしまった、彼女の息子であった。
その更科姫は、はぐれた息子を探すうちに山賊の砦に迷いこんでしまい、彼らを打ち倒して親分の座に収まっていた。
しかも、その山賊の一味だった烏勘左衛門という者が、実は武田家と対立する上杉謙信の家臣・蓑田五郎であった。
二人は協力して馬場美濃守を討たんと、手下を商人に変装させて甲府へと送り込んだ。
ところが手下は早々に馬場美濃守に捕まり、一部始終を白状させられてしまった。
馬場美濃守は思案して、私の心底はこの中身を見れば分かると言って、その手下に「長持」を持たせて帰した。
手下から長持を受け取った更科姫がそれを開けてみると、その中から現れたのは死んだはずの森之助であった。
更科姫は、森之助との再会に驚くやら喜ぶやら。
実は、密かに馬場美濃守に助けられていた森之助は、それから馬場美濃守の影武者として活躍していたのだった。
このときすでに村上家は滅び、村上義清は越後へ逃れて、上杉謙信の家臣となっていた。
このまま武田に与して上杉と戦うつもりもなし、世を捨てて閑居しようと語り合い、
上杉と戦う必要はないので、北条今川の押さえとなる諏訪ヶ原城を守ってくれないか、
と頼まれてしまい、恩人の言うことでもあるので、やむなくそれを引き受けた。
http://sharyoemi.hatenablog.com/entry/2019/07/09/215955
ホッテントリにあがっていたお○んこの話題で思い出したので書きました。
私の父は新潟の中越出身で、母は神奈川出身、母方の実家は新潟に親戚があり、そんな縁でお見合いすることになったらしい。
父は背が高く若いころはスマートな感じだったため、母にはそこそこ好印象だったらしい。
ただ、父は地元の稼業を継いでおり母には嫁として新潟に嫁いでほしいということが念頭にあったようだ。
母としては都市部での生活を捨てて新潟に行くことにちょっと抵抗があり、というのもお見合いの席で父の言葉は、かなり訛りがきつくて、田舎くさいと感じてしまったようだ。
#今も父が丁寧に話す時、当人は標準語を話しているつもりでも、こちらからすれば越後弁が多彩に使われている。
結局、私が生まれている事から分かるとおり母は決断し、お見合いは進んだ。
母は、姉妹が3人おり、そのうちの年の近い妹(これが叔母)を引き連れデートのような面談のような会食のようなものに父を誘った。
さて、田舎者の父が都会でのデートのため、半端な知識をもつ近所の若者に相談しながら、何とか計画を立ててデートの日に臨んだ。
まず待ち合わせには原宿で、竹下通りをぶらつきながらご飯でも食べよう。と、そういう計画だったらしい。
都内の電車網に四苦八苦しながらも、何とか時間通りに待ち合わせ場所について母と妹(叔母)に挨拶も済ました。
父「じゃあ、そろそろまんまんしようか」
母、妹(叔母)は、一瞬何を言われたか分からず、「は?」と聞き返したところ、父はもう一度
父「いやあ、まんまんしようかなーと思ってて、妹さんも一緒にどうです?」
と恥ずかしげもなく返したそうだ。
稼業の影響もあって父の地声は人よりも大きいため、周囲の人はみな振り向き、妹(叔母)は「いや私はいいです」とドン引きして走り去り、母は顔面蒼白になり、「このお見合いは最悪なものだった」と絶望した。
越後弁に通じる聡明な方々であれば明らかだと思うけれど、「まんまんしようか」は越後弁で「まんま(ご飯)ん(に)しようか(しませんか?)」である。
叔母から笑い話として聞いた範囲ではここまでなので、この後どのような急転直下があって私という塊が生まれたのか定かではないけれど、
父は今でもお昼時になると「そろそろまんまんしようか」と言い、母は訛りのない言葉で「そうね、もうお昼ね」と笑顔で返す日常が続いている。
俺も、無理矢理に今日の仕事を仕舞いにしたので、立食い蕎麦を食べ終わって帰るところです。
これから電車に乗って、胃の中でこなれてきたくらいに家に着くから、歯だけ磨いたらそのまま寝ちまおうと思う。
その立食い蕎麦屋(厳密には座れる。越後そばなので、スツールがある。)で、先客の二人組は既に酒臭かったんだが、厨房からお盆に乗って渡されたのは、まさかの生ビール。
立食い蕎麦でこういうのもアリなのか。知らなかった。
俺は、紅生姜天麩羅そばを受け取って食い始めると、その二人は酔いもあってか滅茶滅茶うるさい。ありがちだが、同僚や先輩の悪口を言い合って笑ってる。
「あの人、細かいことは気がつくけど、どーでもいいし、何喋ってるかわかんないし、人のことばっかり気がつくよな!自分のことは気がつかないのに。」
今の君たちじゃないのかね、それは!
という話を、ここで書いて発散したいだけ。