はてなキーワード: 賛成論とは
なんて思いつつある。
特に、一度入社した社員を辞めさせづらいという日本にはマッチするように思う。
BI賛成論者が言うには、
1)生活保護、失業保険、医療保険等の社会保障の維持運用コストをBI費用に転化できる
2)負の生産性を持つ人が働かなくなることで、結果としてプラスに働く
というのが主な論点で、1だけじゃ足りないし、
2に関してはごく一部を拡大解釈しているだけでそんなケースは稀だ、と思っていた。
なので、BIの実現は不可能かと思っていた。
だけど、このところ負の生産性を出す社員数名に立て続けて遭遇することで、
もしかして、負の生産性を出す結構居るのでは・・・と思うようになった。
当の社員は、今年の7月から配属され、このところ頭角を現してきた。
勝手に動いてかき回して、私を含む周囲の社員はその尻拭いに稼動を取られる。
何故、そうなるのかを考えたが
その社員を一言で言うなら「プライドが異様に高い、無能」である。
自らを無能と思わないばかりか、有能と思っている節があるので、
確認行為をすっ飛ばして、誤った方向に物事を進めて、ゴチャゴチャにするのであろう。
本人は上記の行為に悪気が無く、何故そうなるのかと首をかしげている。
結果、まじめだけど成果が出せない社員という扱いになっているようで
クビにならずに今も働いている、のではないかと思っている。
こういった、負の生産性を出す人間が働かないだけで今の職場はずいぶんプラスになる。
1.自称有能
無能は淘汰されて当然、解雇規制緩和されてこそ無能が駆逐され優秀な人が正しく評価される社会になる
解雇規制のせいで仕事に対してまともな報酬が出てこない、今の正社員は過保護すぎる
毎日時間に縛られて働くのが辛い、解雇規制緩和と同時に裁量労働制が導入されれば自分にあったワークスタイルを実現できる
解雇規制のせいで会社が苦しい思いをしている、経営者判断で人を好きなように切っていければ業務の効率化と給与の増加が見込める
解雇規制が緩和され人材の流動化が進めばミスマッチで労働者が苦しむことはないし、転職もしやすくなり日本の労働環境が良くなる
今の転職市場では「年代ごとの役割」と言うものが要求され、あてはまらない人は厳しい立場に置かれる
クジラックスのマンガの件で過去の例に漏れず「表現の自由」信者がネットであふれかえっていて本当にうんざりしてる。
ああいった事件の後でなおも迷わずに「表現の自由を守れ」と声高々に主張する方々に聞きたいのだが、君たちはその発言が「表現の自由を守るためには、多少の公益や子供の安全を損なう結果になっても仕方ないと思ってます」と言っていると同義だとちゃんと理解しているのだろうか?別にコレについては批判するわけじゃない。権利を守るというのは時としてそういうモノだ。たとえば凶悪事件の犯罪者の人権を過度に守ろうとするとその犯罪被害者の人権を侵害することが多々あるし、音楽や書籍などコンテンツの著作者の権利や利益を過度に守ると、今度は消費者が不利益をこうむることなど多々ある。すべての権利を平等に尊重するのは不可能で、片方の権利を過度に守ろうとするとそれに相対する別の権利を侵害することになるからだ。だからそういう意識があって「表現の自由」を訴えているならいいのだが、どうもネットの書き込みの大半からはこういう葛藤など一切感じられず、純粋に「表現の自由を守ることが絶対正義」と信じて疑わないような連中が多すぎるんじゃないか?と思ってしまう。
たしかに「表現の自由」というのは近代社会の中では守られるべき価値観の上位にあがるものである。なぜなら「表現の自由」は往々にして「権力の監視」「権力からの自由」に密接に関係してくるから、国家の権力の暴走を防ぐには必要不可欠である。ただ「表現の自由」の名の下になんでも表現していいというわけではない。たとえば欧米では「表現の自由」のなかに児童ポルノやレイシズムを煽るような表現には厳しい制限がかかる。児童ポルノコンテンツや欧米人には子供にしか見えないアニメ顔のエロコンテンツは所有しただけで逮捕される国も珍しくないし、ヒトラーの「我が闘争」は発禁扱い。ヘイトスピーチデモも表現の自由には認められない。少なくてもクジラックスのマンガをこれらの国で自主出版でもしたら確実に逮捕事案である。これを「表現の自由なんていって欺瞞じゃないか!」と批判するのはお門違い。だって「表現の自由」は絶対的ではないんだよ。
ここまで書くと「それじゃ殺人やレイプ描写がある小説、ドラマ、映画も規制しろよ」などと反論してくる連中がでてくるだろう。まったく馬鹿げた反論だ。一口に「殺人シーン」といっても、その作品内の背景とかストーリー上の設定などで意味合いがまったく変わってくるからだ。たとえば同じ惨殺シーンでも「羊たちの沈黙」のように主要登場人物の異常性・神秘性を演出するために使われたり、戦争映画のように人間が虫けらのように殺される描写で戦争の凄惨さ、残酷さを演出したり、または復讐ジャンル映画では家族を殺された主人公がどれほど強い動機で相手に復讐していくか演出するなど様々である。小説、ドラマ、映画で殺人やレイプシーンが許容されているのは、人間のコアな部分を演出するには、時には人間の暗黒面をちゃんと見せることも重要だからである。それにこういった作品でもどのように陰惨に殺害されたか、激しくレイプされたかなんて長い尺をつかって表現するコンテンツなんてごく一部だ。(「食人族」とか)
もちろんその殺人シーンやレイプシーンが「ストーリー上それは必要不可欠なのか」「ただの過剰演出ではないか」という疑問は常につきないものだが、今回のマンガの件ではその議論以前の問題である。概要を読むだけであれは「未成年の女の子を大人が騙してレイプする行為を楽しむコンテンツ」以外に何者でもないことが明白だからだ。だからもしあの作品を他の実写映画でたとえるなら女性や女の子をもつ親御さんにとっては「ストーリーなど特になく、哀れな被害者が凶悪殺人魔に追い詰められジワジワと惨殺されていく映像を延々と見せられるだけ」な内容と同義である。君たちが「表現の自由」の名の下に守ろうとしているコンテンツとはそういったモノなのだよ。
ただああいった作品が実際に性犯罪を誘発しているか?という疑問はさすがにわからないとしかいえない。もちろんゼロとはいえないだろうが、それ以上の事は調査する人のバイアスや価値観によってどちらにも転ぶ内容だと思う。これについては結論はでないだろうから議論するのは無駄だと思う。ただああいった作品が自主出版とはいえその気になれば個人で入手できる状態だという事実の一つ一つが日本の性風俗文化を少しずつ形成しているのは間違いない。
児童ポルノや児童買春について絶対的に厳しい価値観の欧米(かといって厳しくすればするほどその禁忌を破ろうとする人間がでてくるのも悩ましい)にとって、先進国でありながら日本の性風俗のゆるさはやはり衝撃的だろう。風俗禁止法というものがありながらソープみたいなサービスが当たり前のように存在し、AKBみたいな大半が子供にしか見ないような女性グループが下着がもろに見えるダンスをしながらテレビで踊っている。これらから彼らが感じることは「法律上では児童ポルノって駄目だけどさ、本音では若い子のほうがいいっしょ?20代30代のおばさんより10代の女の子のほうが興奮するよね」という空気ではないだろうか?欧米の知識人が日本の性風俗文化を軽蔑するのも無理はないと思う。
さてここまで長々と書いても、大半の「表現の自由」信者には俺はただの欺瞞者で権力者側の規制賛成論者にしか見えないのだろう。別にそれはどうでもいい。ただ最後に忠告するのは、これからも「表現の自由」で何やっても許されるのが当然だと思っていたら、最後にしっぺ返しを食らうのは君らだということだ。今回のような事件は単発であって欲しいと願ってはいるが、もし何かの間違いで1年の間に何回も立て続けのように起こったら、それこそ日本の世論の大半は一気に「あんな児童レイプを助長するようなマンガを許すな!国はちゃんと規制しろ!」に傾くだろう。そのときにネット住民や一部の知識人が馬鹿の一つ覚えにように「表現の自由の重要さ」だけを訴えたところで大半の世論からは「ただのロリコンの似非リベラル」のレッテルしか貼られないだろう。そもそも児童ポルノ関係では日本よりはるかに厳しい欧米のほうがちゃんとメディアによる権力チェックができてるんだから、「エロコンテンツの規制を認めたら権力の暴走を招く」論はまったく理屈が通ってないのである。
もし俺の予想するような最悪なシナリオがおきて日本の性風俗に関する規制が厳しくなったとき、おそらく君らは日本人の不寛容さ、無教養を嘆くんだろう。違うから。君たちの救いがたい傲慢さが原因だよ。もし今後も欧米よりもゆるい日本独自の性風俗や表現を守っていきたいと思うなら、むしろ君たちこそが行き過ぎた表現にはちゃんと警告をだして業界内で自浄作用が起こるように注意しなきゃならない。「こりゃ論理的にやばいだろ」ってコンテンツ見つけたら乙武張りに「超えちゃいけないライン考えろ?」って冷や水ぶっかける努力を続けないとならないんだよ。
ま、たぶん無理だろうけどね。
最近、周りで死刑制度の是非について聞くことが多くなったので自分の意見を具体的に言葉にしてみようかなと。
まず、反対派の主張をずらっと挙げてみます。
②再犯の可能性があるからと言うけれど、犯罪を犯す可能性があるのは人間なら誰だって同じである
大きくこの四つですね。
僕は死刑賛成派なので、これについて反証していきたいと思います。
犯罪抑止効果は確実にあると言えるでしょう。実験をして科学的に証明をしたりせずとも、それは分かり切っていることです。
そもそも一般人は罪を犯しません。不可抗力や軽度のものならまだしも、死刑判決を食らうような大罪は犯しません。普通の倫理観を持っているなら。
死刑判決を食らう犯罪者達はその「普通の倫理観」を持ちません。若しくは一般的に広く人々が持っているであろう「罪の意識」や「やってはいけない事」の意識が圧倒的に低いです。
では、そんな犯罪者達と一般人を比べて犯罪を犯す確率が高いのはどちらでしょうか?
正解です。言うまでもなく前者ですね。
③
恐らくこれが一番の論点です。「人権が~」「人としての尊厳~」云々が一番の問題だ!と言う人もいるかもしれませんが、そんな曖昧模糊とした適当な概念について語るつもりは毛頭ありません。
司法には推定無罪の原則というものがありますが、その上で物的証拠も何もかも揃い、本人の自白も取れて死刑判決が下された場合、まだ冤罪がどうとか言ってられますかね?
とは思うのですが、それでもなお万が一にでも冤罪だった場合の話をします。
冤罪なのに処刑された人は既に死亡していて、責任をとることはできません。
…難しいですね。これについて僕は蟠りを覚えているのです。ひとまず保留として、よく考えてから機会があれば書きたいと思います。
④
応報刑論(目には目を、歯には歯を)というけれど、それなら犯罪者を処刑した刑務官も死んで償うべきではないの?
というものですね。これを聞いたとき、応報刑論を持ち出して死刑制度賛成のスタンスを示していた僕は「なるほどなー」と思いました。
これについては、僕はこういう風に考えています。
まず、『目には目を、歯には歯を』と言っても、「命」を取られてしまえば被害者はその時点で相手の「命」を取ることはできません。
つまり刑務官は「被害者の代役」となって加害者の「命」を取るわけですね。
「目には目を、歯には歯を」まではできますが、「命には命を」は相討ちでもない限り不可能です。ならば別の人間がするまで、ということです。
しかし、三点目の「万が一の冤罪」は未だに良い反論が見つかりません。
詳しい方、誰か教えてください~。
人工知能技術が進む一方で、仕事が無くなるなんて逆、むしろ仕事は増えるんだ、
といった論調を言ってる専門家気取りがいるけれど、こういう人の言う事を逐一読んでると、
人工知能によって、よりプログラマーが必要になるから労働需要は増えるんだ、中には、判断は人間がするので仕事は無くならない、という呑気な意見もある。
要するに、情報処理産業の労働需要が増えて、他の労働需要は減っていく、という事だ。
百歩譲って労働量が仮に増えたとしても、情報関係だって一時的需要増にすぎず、今までの人間の仕事が人工知能に置き換えられていく事には変わりなく、失業件数が増えるのは必須。年齢上がってからの職種変更なんてきついだろうから、ニートかホームレスも多くなるだろう。
人工知能もそうだし、外国人労働者もTPPによって増えるだろう。そうなったら、ごく一部の職種以外、職にあぶれる人間は増えてくる。じわじわと。
今だって年間自殺者ん万人。そのうち年間自殺者10万人も夢じゃない。まだ戦争してた方が死ぬ人間少ないんじゃないか、てくらいの数字になるかも。
まるでバブルはじける直前の頃のような気配。一部のメディアではバブルはじける記事や本が出されるが、まさかという雰囲気がしばらく流れ、銀行が潰れ、倒産した企業が続出した。あの時期と近いものを感じる。リーマンショックの時も、似たような感じだったんだろう。
人工知能賛成論者はこういう考え方を意図的に無視しているか、さもなくば本気に気付かないで専門家気取りしているなら小保方並みだと思う。
労働組合のみなさん、もうちょっと、これ考えた方がいいよ。選挙活動や政治活動なんか二の次でしょ?本来の仕事やりなよ。
じゃないと、そもそもの労働者人数が減って、自分らの給料も減額間違いなしだぞ。
どうせ、またこれも無視されるんだろうけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/255602402/comment/deztecjp
http://b.hatena.ne.jp/entry/255602402/comment/nekora
http://b.hatena.ne.jp/entry/255602402/comment/REV
http://b.hatena.ne.jp/entry/255602402/comment/sakurasuisan
http://b.hatena.ne.jp/entry/255602402/comment/k_oniisan
http://b.hatena.ne.jp/entry/255602402/comment/xevra
id:REVは、なにやら「前事業仕分けをしてた人々」のほうに一生懸命因縁をつけたいところだけが見えているけど、当時事業仕分け批判してた層と今批判していた層はけっこうかぶってるよね。同一視すべきかどうかも微妙だしね。それにしても、本題から目を逸らしたその無意味な皮肉の先になにがあるんだろね。
とりあえず7年前のことについて引き合いに出したくてしかたないみたいなので、7年後この人の言動をひっぱりだせるように、他の同類とともにこうやって残しておこうね。
それにしても、揃いも揃って「入って出ていく学生」についてしか見えてないのが笑うしかないね。ま、いかにも「同類」っぽいカタガタが総理大臣だのなんだのやってるんだからそうなるかね。
今やるべきことは、誰がこれに安直な賛成論を残したか、きちんと言動を記録しておくことだろうな。さいわい、今の日本には、壊れたレコードのように「地上の楽園がどうのこうの」「ミンスガー」を繰り返せば相手がそれを発言したかどうかにすら関係なく、何かを黙らせることができると思い込んでいる人たちがいっぱいいる。まさにここでのid:REVがそうだよね。
このひとたちは要は因縁をつけるためのネタが欲しいだけなんだろうけど、しかし過去のことをきちんと論うことは見習うべきだ。少なくとも、今それを熱心にやっている人たちについては、自分たちに同じことを向けられる覚悟を当然、しているに違いない。
もちろん、今いる人たちのレベルに堕さないためには、そこには言質がないといけない。だから、あとあときちんと論うための資料を残しておく必要があるだろう。
ところで個人的な観測範囲でいうなら、事業仕分けでスパコンが仕分けられたときに死人が出る!と叫んでいた人がなぜか政権交代からこっちはまったくこの周辺の話に言及しない、というケースの心理状態が気になるんですけどね。