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はてなキーワード: 諦観とは

2023-07-28

anond:20230728003653

イキってるんじゃなくて諦観の果てだと思うよ、少なくとも俺はそうだった

対等でありたいしそう接してきたけどなんかうまくいかんな…

→頭の中プリン詰まってるし小学生相手みたいな接し方と話し方してた方がうまくいくやんけ

ペット小学生のつもりで面倒見るしか無いなあ…

これ

あと彼氏から洗脳簡単に引っかかるなって他人彼女見ててもよく思う

2023-07-15

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である

この作品宮崎駿自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面バックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマ一貫性を保っている。

彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアしかからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品オマージュという形で追想しているのだ。

そしてここから重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。

戦闘機の風防を量産する軍需工場経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦左翼に傾倒して東映アニメーション高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。

これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。

だがそれは一部のマニアけが知るものとなり、実際に「大人である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品ストーリーアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである

それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。

いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。

そうして作った過去作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。

まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なもの攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカル表現である

そして現代日本人代表するように庵野のような表現個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。

こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界スタジオジブリのものである自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ

作家経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。

この作品を単なる消費物としてみたとき評価駄作であろう。

だが、この作品は紛れもなく宮崎駿自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかである

追記

残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeレビューをするだろう。

2023-07-09

anond:20230709144938

つーか、だいたいの職業はある程度の諦観がないとギャップに悩むよ。

オラオラでいけるのはサイコパスだけ。

2023-07-02

ジャニーズ問題はどうなればいいの?

記事への反応を見てたらわかんなくなってきたので教えて。

ジャニーさんショタ好きなのはぼんやりとは知ってたけど、合意もなしにほぼ全員毒牙にかけたみたいな話でここまで酷いとは思っていなかった。

ここでジャニーさんが存命なら辞任は元より強姦による刑事罰を受けるべきだと思うんだがね。

ただ既に故人であり、加害者が既に居ない訳じゃない?当事者はとっくに不在じゃんかよ。

今後も権力者の牙が向く可能性もあるから再発防止云々も効果がない訳じゃないけどもさ。当座の問題はとっくに解消しているわけじゃん。

から、あとは粛々と損害賠償かに応じる程度かなと思ってたんだが、皆は違うの?

個人的には社長が白々しく知らんかったという発言をしたのは納得が行ってない。

しかそもそもが前面に出る人じゃないか社長辞任しても株主だしどうにでもなっちゃうだろうから、辞任とか溜飲を下げるだけで解決策にもならん気がする。

人によっては事務所が潰れるまで許さんくらいの勢いで書いてる人をよく見るんだが、それが本当に必要ことなの?

ようやく被害を受けずに済むようになったタレントが、今度は職場を失って我慢のし損になればいいの??

追記1:

会社共同正犯または幇助であるという意見は頷ける。被害者が内側にいる状況下で会社にも責任を問うべきかは意見割れている気がする。主な論点はそこかなぁ。

同様にメディア責任を挙げている人がいて、過去検証大事だし進めるべき。タレントをそのまま採用し続けていることへの批判については上と同じで被害者にダメージが行く方法からね。

例えば過去番組も全部配信なしね、とか。って確か配信NGなんじゃなかったっけ。じゃぁそれすら今とあんまりかわらんじゃない。

意見の中で社名変えるというのがあり、それは別に良いけど現社長もそこまで「ジャニーズ」という名称にこだわってるとは思わないけどなぁ。名称変更によるダメージっていうほど少なくない?

タレント会社を切り離して別会社移籍させるというのは流石に安直で、そんなことが一存でできるならとっくにやっているだろうという。流石に世の中そこまで単純にできてない。

まぁホリエモンライブドア事件の際に役職取り上げられて株も強制的に売ることになったから、似たようなことだしやれなくはないのかも知れんけども。

感情はおいといて、法的根拠鑑みるにそこまでさせる正当性がないよね。

あと一部届いてなかったから俺の意見も改めて述べるけど、この内容では過去被害者に対して損害賠償をするのがせいぜいで、それによる金銭ダメージ社会から信用失墜が落とし所なのかなと思ってる。

追記2:

一部権力もたせたらやばそうな発言してる人も含めてはてな村民度が気になるところもあったよ。スカッジャパンコンテンツが無くならない理由なんだろうな。

なお、そのスカッコンテンツについては、立法で「権力者による性的搾取を取り締まる懲罰的損害賠償法(通称ジャニー法案)」みたいの作ってあげると溜飲が下ろせるのかも知れんね。

本件は、大多数の発言ははやり問題意識は持っていて、許せないという思いが共通してあったことは安心したよ。こんなことは繰り返させちゃいけない。

落とし所が人それぞれ違うなぁっていうのはよくわかって大変参考になった。

このまま風化させないことで社会責任を問うというのは大事だと思うので、この投稿も少しでも問題提起に繋がったのなら良かったと思う。

追記3:

増田プロファイル勝手ジャニオタ女子にされてたのでそれだけはないと言わせてくれ。

俺はどっちかというとSMAPごと飯島氏を追い出したメリーにブチギレてた勢だから

ただ功労者を追い出す権力者という構図が許せないという義憤もつが、一方でTVアイドルにもそんなに興味がないんだわ。

この件は単なるゴシップを超えて権力者による性的搾取という問題から気にはしてるが、広末不倫くらいの話だったらお好きにどうぞで流す程度にしか芸能界は興味ないんだわ。

追記4(2023/09/16):

俺は無意識日本を侮っていたのかも知れない。こんなふうに世間が動くはずがないという諦観があったが良い意味で予想を裏切られた。自浄作用あったんだな。

TV局も徐々にスポンサー包囲網が敷かれ、タレント降板の話もチラホラ出てきた。まぁ事なかれ主義的なTV局は自浄作用は働いてない気がしているけど。

ともあれ、前時代的な対応は許されないというのが社会的に認知されてきたなぁと実感する。良いことだね。

なお、最後の「ようやく被害を受けずに済むようになったタレントが、今度は職場を失って我慢のし損になればいいの??」という疑問についても解が得られた。残念ながらこれを受け入れるしかないのだね。

新疆綿は「強制労働」による搾取があり、働いている人たちに罪はなくても結果として搾取構造是認につながるので不買するべきである

本件はそれと同じロジックであるという話だ。とても納得できた。

https://acejapan.org/blog/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%96%B0%E8%81%9E%E5%A4%95%E5%88%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%80%8C%E7%B4%99%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81%A6%E3%80%8D/31052

2023-06-21

今年で40になる俺にはゲームを楽しむ才能がある。

既婚、子持ちである

年末届いたsteamからプレイレポを今になって見た。2022年20本の新作をプレイし、400個ほど実績をアンロックしたらしい。3本ほど積んでいるが、ほぼクリアしている。加えてPS5でもちょいちょい遊んでいるのだから、これはもう才能と言って良いのではないか

中年過ぎてゲームに夢中になれない/クリアまでモチベーション維持できないみたいな声を良く聞く。俺は今でも、ゲームへのワクワクで仕事を定時に上がっている。子育てあるから実際始めるのは寝かしつけ後だが、一緒に寝落ちしないのはゲームの続きがやりたいからだ。

この文章ゲームを楽しめなくなった中年へのマウンティングのために書いているが、できればみんなにもっとゲームをして欲しいので、アドバイス的なことを試みたい。

※なお、ここでいうゲームとは、いわゆるPS5とかSwitchの、画面の前に座ってやるやつだ。スマホは専門外。

ゲームPCを買え

PS5もSwitchも悪くないが、手に入るゲームの多彩さで言えばPCが圧倒的だ。それに安い過去名作ソフトも多い。ゲームPCは高いが、ゲーム好きであれば費用対は決して悪くない。

クリアしなくても良い

子どもの頃のくせで、ゲームクリアしなければと思っているかも知れない。俺もそうだった。ただ、クリア目的にするとできなかったとき挫折感というか、変な諦観が沁みつくように思う。自分の稼ぎで買ったゲームなんだから、飽きたら次のゲームを買えば良いのだ。ゲームクリアする権利はあるが、義務はない。

・合わないゲームは切れ

上記の続きだが、大作だろうが名作だろうが、合うゲーム合わないゲームというのはある。俺はなぜかティアキンがダメだった。過去でいうとFalloutダメだった。俺ほどの才能があってもそうなのだ。合わないと感じたら諦めてゲームをとっかえひっかえしろ不思議もので、今はダメでも後から楽しくなることがある。俺にとってはウィッチャー3がそうだった。

攻略サイトを見るな

時間がなくて最大効率を求めたくなる気持ちは分かるが、攻略サイトを見た途端にゲームを消化するためだけの歯車になる。そんなのは仕事だけにしておけ。攻略サイトゲームの全要素をしゃぶりつくすためにある。気に入ったゲームだけ、クリア後に見ればよろしい(シミュレーション系は除く)。

感想を書き留めろ

感想というか、言語化しておくのが重要で、何が楽しかたかダメだったか自分に蓄積されていくことで、全然知らんゲームの目利きが聞いてくるし、一見して楽しめなさそうなゲームの楽しみ方が見えてくる。

とはいえ最近は俺も、大作ばかりで中々新しいものに手を出せていない。サイバーパンクエルデンリング、Horizon、合間にStellaris、シヴィライゼーション、DysonSpherProgramといった感じで、もうちょっと冒険したい。最近買ったゲームだとStranger of Paradise(FFアクションゲーム)が気楽にできて面白かった。FF16楽しみですね。

2023-06-20

anond:20230620203931

諦観の向こうに希望があればいいよなあ いつかは俺も恋愛結婚もできるんだろうか まあ戦争かにはならないでほしいね

anond:20230620202841

諦観本質を見きわめる、悟って超然とすることを意味する。

この際、言葉通り諦めの向こうに何かを見出すことを期待する。

世の中の残酷な真理

今この瞬間自分が不幸でも、他人幸福であるという事は普通にあるんだよね 当たり前っちゃ当たり前だけど。社会幸福度というのは本当に不公平にできていて、それを諦観し始めたのが最近、36になってから

俺は保育園小中高大全部いじめにあって家でも虐待されたけど、全くいじめにあうこともなく家庭円満普通に人生過ごして、友人に囲まれながら恋愛をして結婚して子供作ってエスカレーターに乗って出世していく人もたくさんいるわけで。

当然だけど社会需要後者の方が高くなる可能性がずっと高い。

実際俺の中学の友人は俺の年で上場企業取締役だかをやってるらしい。 

俺は18で悪徳経営者の下で新聞奨学生をやって大学留年20代うつ病と慢性ヘルニア人生ドロップアウト職歴もなく、もう肉体労働もやれない。 

今はフリーターやりながらコツコツ貯めた貯金投資に回して細々と食ってるただの無職

カネが尽きたら終わり。俺より不幸な奴はいないという事はないだろうけど、客観的に見たら俺もかなりひどい人生を送っているとは思う。 

別にその人たちがいたら、俺が幸福になるわけでもないし。

割合で言うと1000分の1位には不幸な人生を送っているとは思う、つまり俺みたいな人間は1000人に一人ってこと。

人の幸福度を100としたら、自分幸福度は20もないと思う。今の5倍くらい幸福人生を送ってみたいなあ、まあ無理なんだろうけど。 

2023-06-14

迸る加齢臭の雑創作 anond:20230614172339

まぁおっさんおばさんの集落高校生女子大生です🥺ってやるよかええけどね

●みなさんは未婚のシングルについてどう思われますか?
  • 言わなきゃ誰にもバレないのだが、なぜバレたり・わざわざカミングアウトする設定なのか? 雑創作よ、そういうとこだぞ

 

 

 

●私はどう息子を育てていくべきでしょうか?(親のことなんて気にならないようにしてあげたいですが、大きくなってどう説明したらいいのか、学校で虐められないか)

 

 

●今の日本性教育ではどこまで学校で教えてくれるのでしょうか?

これ気になるね。令和はどうなってるのかしら

 

ワイは通ってた学校はなんかのモデル校だったか海外性教育アニメ見せられたな

ノリノリでズッコンバッコンバッタンしとったけど、それを見て子どもが笑うと言う演出が作中にあった

あの時の冷え冷えとした空気感が忘れられないわ

そのあと例によって例のごとく感想文を書かされたのだけど、その時の空気感も忘れられない

仏教用語的にも日常使いのあきらめ受け入れるみたいなニュアンスでも『諦観』ってこういう時に使うんやなって・・・

あと、『コンドームは完全に避妊できないよ』もやったな。中学

 

けど、性教育学校以前に親の仕事だぞ。今も昔も親が子どもの発達に合わせて教えるもの

 

2023-06-07

anond:20230606210035

別に俺はどうにかしようとしていないし諦観しているが、現代社会制度享受している以上は子供産んでくれる人にはありがとう以外ないだろボケ

あとやけに老人のせいにしたがるお前はそいつら以下の無能なの自覚しろよ、お前がその時代に生きててどうにか出来たんか?

2023-05-29

惡の華、プンプン、オナマス青春ジュブナイルが大好き。

青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。

凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…

みたいな。

中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマ理解してなかった。

なんか変態的でショッキング作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。

まあ青春当事者青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。

若さ大事しろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。

何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。

でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。

読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。

この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。

もちろんその結論大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。

それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。

スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期自意識というテーマからちょっとズレる。

普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?

美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間自己弁護だが?

でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にいから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?

つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。

そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。

ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。

そもそもまれなさそう。

まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。

ただ、中年危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。

ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?

今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。

フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイヨナラと決別できるものではないっぽい。

押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。

これは邪推だけど、思春期延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。

何かしらの納得という重しもなく雰囲気ふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。

まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。

例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。

これはジュブナイル作品主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生リアリティがありましたと。

あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。

私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズ愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。

このまま40,50になったらもう妖怪になってしまうな。

そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。

それが社会性ってもんなので。

なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。

ラストシーン映画部の底辺オタク神木隆之介イケてるグループ東出昌大の会話がとても良かった。

8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有早口で嬉しそうに説明する神木

カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木

予算撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画

きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。

フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。

「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。

素敵な作品だなと思いました。

言ったら自己満足趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。

それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。

思春期自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。

あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。

でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。

だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。

古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。

でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。

もっと真摯カルチャーを愛したい。

ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいねクソムシでなく。

まあホントは今でも全然草野マサムネ志村正彦みたいに思春期イノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~

2023-04-24

ああ言えばこう言う、デモデモダッテな30代男性

ってほんと救いようがないよな。俺のことなんだけど。

この歳になってくるとさ、自分の周囲の同年代の友人も結婚する/したって話を聞くこともちょっとずつ増えてきた。

もちろんそれはおめでたい純粋に祝福するんだけど、同時に自分自身に対する焦りか、自己嫌悪か、あるいは諦観か、よくわからない感情も渦巻く。

何もないのはお前だけ。

って書くと、なんだか恋愛コンプレックスとか結婚コンプレックスみたいだよな。本来そんなんじゃないはずだったんだ。

からアニメゲームに漬かって生きてきた典型的陰キャオタクで、恋愛とか交際とか結婚とか、自分には全く関係ない話だと思っていた。

いや正確には、都合良い言い訳ばっかり考えて目を背けてきた。自分のことを騙してきたと言ってもいい。

「俺のこと好きになる女の子なんているわけないし、期待なんて持つだけ無駄

「今の時代結婚して一人前とかい昭和価値観ではもう無いんだし」

「好きなことして生きて行く方がいいに決まってる」

なんと耳触りのいい言葉だ。

もちろん、それで独身のままの人生を貫いてる人もいるし、それも立派な生き方だと思う。

でも俺にはどうやらそれを貫く意志がなかったらしい。

ただ逃げの言い訳にしていただけだったらしい。

からこうして悶々としながら匿名ネットの片隅に言葉を吐き出しているんだな。

そもそも今までの人生あんまり女の子と会話してこなかった。

小中学生の頃軽いいじめに遭っていたこともあって、自分キモさは自覚していた。

トラウマになるようなひどいいじめではなかったけど、当時の俺は女の子と話すのを避けるようになった。

キモい俺が関わっち相手にとっても迷惑だろう」

なんて考えていたのを覚えている。

高校の頃はいじめなんて無かったけど、女の子とはあまりさなかった。

結局「俺に話しかけられても迷惑だろう」って考えは抜けなかったんだ。

流行りの音楽なんかも興味持ってなかったから、共通話題もないしね。

大学、そして就職後はもう周囲ほぼ男しかいない環境だ。もちろん女の子と会話する機会なんてものはない。

なんて言ってるうちにほら、会話すらできないモンスターの完成だ。

できるのは業務的な会話と、男オタク同士の身内ノリのじゃれ合いだけ。

三十数年生きて来て、日常会話の経験値中学生くらいのレベルしかない。

理想女の子が空から降って来るなら別だけど、そういうわけにもいかないので、出会いの場がないなら自分が動くしかない。その通り。

でも街コン?とかそういうのには行きたくない。正確に言うと、行くハードルがめちゃくちゃ高くてしんどい

そもそも当たり障りのない日常会話ができないのに、何をしに行くのか。

行く前から諦めてしまっている。行っても意味ないと。

「服を買いに行くための服が無い」ってやつだ。

どっちかというと、プレイ時間の長さで敵が強化されるゲームで、Lv1のまま時間だけ過ごしてしまって詰んだ、って状態か。

レベル上げしに行くための最低限のレベルが無ぇ。これも言い訳なんだけどね。

オタク趣味オフ会女の子出会う機会とかは、あった。

なんだ、あるじゃんオフ会なら当然話も合うだろうし。なんで活かさないの。

自分の、趣味に対する矜持があった。

出会い目的オフ会来たと思われるのは嫌だったし、日常会話の練習の場にしたくもなかった。

相手からしても、趣味について語りたかったのに男に色目使われるのも嫌だろう。

趣味話題だけで終始し、そこから何かあるなんてことは無かった。たぶん今後もない。

じゃあさ、風俗とか、あるいは健全女の子とお喋りできるお店とか、そういうの行けよ。

金さえ払えば会話の練習なんてなんぼでもできるぞ。

そうなんだよ。でも行ったことない。

仮に練習だと割り切ったとして、何を話せば良いのかもわからない。

風俗は…なんか怖い。

いや性欲自体は人並み程度にはあると思うんだけど、それはそれとして、なんか怖い。

もうね、おしまいだよ。

自分でもどうしようもない奴だってわかってる。

変えたい、どうにかしたいのならせめて変えようと動くしかないってのもわかってる。

でもやらない。自分から動くのが怖いから。

ああ言えばこう言う、デモデモダッテな30代男性

やらない理由ばっかり探して、自分から何もしようとせず、何者にもなれない。

このまま異常独身男性を経て俺もいずれ害悪おじさんにクラスチェンジするんだろうな。

10代、20代の頃は害悪おじさんにはなりたくない、そうならないようにしよう、って思ってたけど、やっぱりなるんだろうな。

そう思っても尚、自分から変わる勇気はない。

2023-04-06

anond:20230406213726

元増田がどういう状況で、どういう仕事してるのか、どういう立場にあるかもわからないが、

誤った状況把握をしていないのであれば、基本的正論正論

 

でもまぁ組織において正論が歓迎されることは無いでしょうね

スカッジャパンドラマだけの話なのだ

 

そしてベンチャー増田が多いので定期的に見る話題なんよな

大企業増田諦観してるが

ワイも諦観を学んでる最中・・・

2023-04-03

キミはコンサルじゃあないでしょ anond:20230402211939

訴えられたら嫌なので名指しはしないが○にも普通にIT部隊(開発、運用)があって、困ったちゃんをいっぱい飼ってるぞ

 

財閥系(メーカー系)は日立けがまともとで

日立以外は技術向上心もヤベーの多いんだけど日系で激詰めがないからかおっとりしてる人が多いんだよね

あと年功序列諦観があるからか『まぁいいか』がある

 

けど外資系の〜コンサル系の〜IT部隊(開発、運用)の子らは〜

技術向上心もヤベー上に上長から外資コンサル的な詰め方されるからか『まぁいいか』がねぇのよね

そのあふれる情熱あなたの足りな過ぎるスキル向上に是非まわして?と思いながらヨシヨシしてるよ

 

キミがいまアサインされているのはIT部隊メンバーであって、コンサルとしていまアサインされていないよ?ってヘッドホン強制装着させて24h聴かせたい

 

関連増田コンサルだけど同業ツイッタラーにクソムカついた愚痴 https://anond.hatelabo.jp/20210318022825

 ↓

そもそもコンサルハイスペック代名詞みたいになってるのはMとかBとかの外資系トップティ戦略コンサルのこと(O氏とかH氏とかM大臣とかN女史とかK女史とか錚々たる面々。年齢順。間違ってたらスマン)

数が多いか会計系(AとかDとかEとか)がコンサルと思ってる人が多いけど、あれは単価が高いだけのSIerですから

だまされて夢を見て入社する方が悪いっちゃそれまでだけど、昔は客を掴んで独立果たして稼いでた人もいたんだけどねえ

 ↓

社内のキャリアパスがどうなっているのかは知らんけど

会計系は最初からIT部隊メンバーとして求人掛けてたりもするよ

そしてみんなやばい

そして増田会計で括ってないのにもIT部隊いるぞ

そしてやはりやばい

 

というかお題目通りコンサルごっこした後に

どこぞの会社CTOにおさまったりシステム部門部長に収まったりする方々も

例外なくやべぇから

まぁ経営陣は『技術』を重要視しないでそのポジションに添えたのだと思われるので

外野がどうこういうことではないのでしょうけど

 

で、これ外資コンサルだけだと思うじゃないですか?

まぁそんなことなくて某シンクタンクもこんなかんじっすね

IT部隊メンバーなのにそれ以外の何かだと思っていてスキル低いし向上心ないけど『まぁいいか』が無い

上に激詰めされるからかな?

 

これらの相手すんごいめんどくさいよ!!!

額大したことないので、しっしっってやりたいけど、営業くんに怒られるから

2023-03-28

MMD日本3DCG破壊たか、について

https://anond.hatelabo.jp/20190128220133

https://anond.hatelabo.jp/20190128220133

https://web.archive.org/web/20220817181952/https://tottotoittoiee.hatenablog.com/entry/2022/01/03/154918

https://web.archive.org/web/20220817181952/https://tottotoittoiee.hatenablog.com/entry/2022/08/16/105314

↑この2つ、言い方が過激すぎる

https://note.com/storch/n/n71a4cefbd759

↑半分正しいと思うが半分感情論入ってるようにみえ

https://note.com/nagatsuki_chaka/n/ne5f448555b6b

↑一番理性的理解できる。

なにか批判あれば上記記事全部読んでからにして。

増田上記記事の筆者ではない。

住み分け問題という話はわかるが、BiliBiliに比べてニコ動ユーザー3DCGに関する審美眼価値観時代遅れなのは事実だし、一つのコミュニティとして見劣りする部分はあると思う。

才能はコミュニティきっかけに生まれることが多いと思う。うごメモに親しんだ子供が、将来凄腕のアニメーターになるように。

そのコミュニティレベルが低ければ、生まれる才能に少なからず影響があるように思えるのは偏見だろうか、

MMDからプロ3DCGクリエイターになった人もいるという。それは良いことだ。けれども、MMDに親しんだ人のうち、どれだけの割合の人がそうなったのか。

絵を親しむ人の全てがプロイラストレーターになるべきと言いたいわけではない。

ただ、もしMMDコミュニティが今よりも新しい技術に明るかったら、排出される若き才能が少しでも増えるか、より質が良くなっていたのでは、と思わずにいれない。

問題なのはMMDコミュニティ全体の審美眼価値観が前時代的すぎることだ。

高水準の技術に触れられる環境は大切だと思う。大成したミュージシャンアーティストの子供は、同じように一芸に秀でる人物になることが多いように見受けられる。

いつまでも古い技術で満足し続けている現在MMDコミュニティは、古い技術で満足し続けるフォロワーを生みかねないのでは。

趣味でやっていることなのだからとやかく言うなとなれば、それはそうだと言い返すしかない。

けれども、それで済ますにはMMDというコミュニティはあまりにも大きすぎるし、それにしては進歩がなさすぎる。

あと、いつまでも同じステージでとどまっていることに、趣味言い訳にするのは、どこか諦観的で情けないように思う。

ツールの習熟度は上がるだろう。しかし、そのツール限界が来ている。明らかに時代に即していない、となれば話は別ではないか

例えるなら、

みたいなものか。

そういったツールを使い続けること自体趣味になっている。

理解した、だからこそ、彼らはモデラーでもアニメーターでもレイアウトアーティストでもなく、MMDerと名乗るのか。

あえてそうやっているのだな。なるほどな。つまり、もう先に進むことを諦めた人たちしかいないのだな。

諦めた人たち同士で好きにやっているから、放っておいてくれということなんだな。

みじめだ。

2023-03-26

anond:20230326143022

自分が25歳までは「美」側にいたから美醜を気にする必要が無かっただけで、26を越えて「醜」側に足を踏み入れてから気にし始めて、30越えたあたりからリアルに「醜」側の人生を感じて辛くなってるだけだろ

そうなんだろうか。そういうことなんだろうか?

25まで「美」側にいたのか?

自他共に認める全盛期は26だった。26で初めて「自分にも美というやつがあるのかもしれない」と思えたし、初めて人から綺麗だと言われたのでそういうことにしている。体重も今よりだいぶ軽かった。

それより前に美側にいたとはちょっと思えない。

最後彼氏()いたの小6だった。イチャイチャどころか手もろくにつないでない、おしゃべりするだけのパピーズラブ。初めての「好きな人」。中学上がって自然消滅した。以降は恋人とかずっといない。恋人が欲しいという感覚が非常に薄い。そもそも恋人って何?定義してからじゃないとよくわかんない。発達あるあるじゃないでしょうかこういうの。

しかし30超えて醜側に行ったというのは否定できない。太ったからな…全盛期比で8キロくらい…腹の肉がたるんでてみっともないのはイヤでもわかる…

ただそもそもの話として、「美側」「醜側」がピンとこない。

「醜側」に行くというのはどうやってそれとわかるものなのか?

太ると衣服とかで冒険できなくなるので自意識が醜側に傾くというのは話としてはわかるが、今どき太ったら太ったなりに服を似合わせる手段はあるし、自分に限れば太ってなかった時期も服で冒険別にしてなかった。「ああ…これが…美か…」みたいになるトリガーとしては弱い。

だいたい「自分が醜くなると美に対しての感性が鋭くなる」というのは理屈としてなんか意味不明じゃない?

お手数ですがもうちょっと詳しくしてほしい。「美側」「醜側」って何?

ついでに言うとそれがさらっと「強側」「弱側」にすり替わってるのもよくわからない。

美しいと強いは常にイコールじゃないし、醜いと弱いも常にイコールではない。強さが醜いことも弱さが美しいことも普通にあるやつでは?美しい側は常に強いとか、醜い側は常に弱いとかもちょっと怪しい。「同じスペックならかわいい方よ」のコピペ示唆する通り、「他の条件が同じである上のプラスアルファ」の域を出ないんじゃない?

「弱い側としてやっていく」もちょっと意味がわからない。弱い側って何?

普通に考えれば、発達障害絡み以外では(まだ)大病もしてなくて五体満足で、不満がないとは言わんが職があって、貯金ゼロではなく奨学金含む借金もない、という時点で、私はあんまり弱者ではない。ので税金免除されたりしてない。いや、自立支援取ってるから発達関連に関しては病院代は安くなってるか。あと女性なので「女性であるが故」系は全部被っているし今後もある程度までは被らざるを得まい。

でもその程度にしか弱者ではない。

そしてそれは26のころと今とで変わってない。

であるのになにゆえに、美に対して鋭敏になった今、醜側で弱側として「諦観」せねばならないのか。何もわからない。

実家が太い旨を書いたのは「みんなビンボーが悪いんや」的な帰結になるのはアレだったからです。そりゃみんなビンボーが悪いとは思うが、私個人は幸いにも貧乏ではなかった。だから原因は貧乏ではない他の点にあるはずだということ。そも親ガチャSSRマウントにはならんしょ…親からすれば子ガチャ大失敗ってことなので恥の開陳に近い心境…

2023-03-15

10代のころ、なんであんなに彼女が欲しかったんだろう

とにかく欲しかった。誰かが好きになるというかは誰かを彼女にしたかった。

ただ積極的ではないので、空から美少女が降ってくれればいいみたいな夢想をしていた。

あと、積極的モテるようなファッションをするというのは負けとおもっていたのでそんなモテたい素振りをしないようにしていた。今思えばどうしてそれをしなかったんだと思うが…

高校生の頃、彼女ができる夢を見た。特定の誰かではなく、架空人物、その時僕はついに「ついに僕にもできたぁぁ!!」という気持ちで、今でもその高揚感を覚えている。そして目が覚めた時にそれが夢だと分かったときの落胆ぶりも覚えている。

好きな人と付き合いたいではなく、誰かと付き合いたいだった。

90年代は、何かと恋愛文化重要視されていて、ドラマ恋愛ものほとんどだったし、やらずに二十歳を超えることを「ヤラハタ」と言われて童貞は恥ずべきものというのが男どもの共通認識であった。

今ほど多様性が許されてはいなかった。

彼女ができるというのは、その社会での一つ上のステップにいけるという気持ちだったのかもしれない。

いわゆるトロフィーってやつ。

19のときに初彼女ができた。しかし1か月で別れた。それでもなお僕は「彼女いたことがある人間だぜ。20歳前にできたんだぜ」という気持ちになった。

大学合格したときみたいな気持ちだった。

完全にトロフィーだよね。何を勉強するかではなく偏差値大学を決めている人間と同じだったわけだ。

彼女と別れた後も、付き合っている状態じゃないとダメだという気持ちになった、フラフラし始めてしまったが、

その後いろいろあって大人になって、大学時代にできた彼女と(前述の人の次に付き合った人)そのまま卒業と同時に結婚した。

ステータス世間体じゃなく人として見るということを教えてもらったんだね。なお妻は大学生ではなく、自分の周りとは違った価値観を教えてくれた。年もだいぶ違ったし。

19歳の頃初彼女ができなかったり、今の妻に出会えなかったりして、あの頃のトロフィーを求める気持ちをもったまま今の年齢になっていたらどんな人間になっていたんだろうと思うことがある。

ある時から諦観していたと思う。僕を選ばない側が悪いと思っただろう。それには根拠があって、こじれていた16くらいの頃はでも、チャラい男を選ぶ女が目がないという気持ちになっていたからね。

勉強ができる僕のような人がいいだろうとも思っていた。

その気持ちはおそらくずっと増幅されることになっただろう。

あと、当時のスクールカースト上位の男子たちを疎ましくも思いつつも、どこかあこがれているところがあった。

僕は本当はおしゃれしたいけれど、気恥ずかしさがあってできない。それをやすやすと越えている連中はすごいという気持ちもあったが、鬱屈しているメンタリティは素直になれない。

当時の僕は連中がなんでモテるのかの分析もできていなかった。

強そうだからモテるとか、イケメンからもてるとか、はやりのファッションをきているからだとか、体育会系からとか、表面的な分析しかならないわけだ。

から、連中のことを嫌だと思いつつ、自分にないものを持っていて社会に認められているとも思っている。つまり強さとか男らしさというモノの価値を逆説的に認めちゃっている状態だった。

このまま僕があのまま年を取っていたら、男らしさというモノへの羨望と恨みで鬱屈した感情を持つかもしれない。

「僕は男らしさを持てなかった。男らしさは低俗ものだ。粗暴だ。だからあえて持たなかったともいえる。でもそれでは女からは見向きもされない。女どもは男らしさを無くせというが、その結果が俺みたいなもんなんだぞ」と思っていそうだ。

2023-03-08

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2023-02-27

ポケモンアニメサトシがいなくなるのが時間の流れを感じて辛い

これは大人になりきれないクソオタク戯言である

自分は93〜97のどこかで生まれた(無駄な年齢フェイク)人間。初めてのポケモンピカチュウ版。幼少の頃、アニメポケモンは空前の大ブーム友達兄弟も皆ポケモンが好きだった。

勿論自分例外ではない。特にアニメ世界観サトシピカチュウそして仲間達がポケモン世界を旅する姿を見ているのがとても好きだった。

ポケモンアニメを見た夜は、布団の中で自分ポケモンアニメ世界ポケモンと一緒に旅をする夢想をしていた。欲しいドラえもんの道具はもしもボックスで、理由は「ポケモン世界」を現実にしたかたから。

ポケモンという存在は、ポケモンアニメでは動物としていうにはあまり人間に都合がいいほど、人間言葉理解し、友達でいてくれる。まさに、自分にとってサトシピカチュウ子供のための夢の世界だったのだ。

しかし、子供は成長する。ポケモンアニメAG中盤くらいで自然卒業した。

しかし、生まれた時からクソオタクだったのと、ポケモンコンテンツが巨大な供給力をもっていたことにより、ハマり具合に波はあるものの、なんだかんだゲームは大体全部プレイするなどして、ずっと自分ポケモンという存在と付き合うことになった。そして、歳を重ねるごとにポケモンとの思い出も増えた。

ポケモンシリーズプレイした時の楽しかった記憶交流サイトポケモンの絵を描いたら褒められた思い出。ポケモン漫画友達に借りた記憶友達ゲーム感想を語ったり、交換して初めて自分ゴースト進化させた記憶……。

気づけばポケモンアニメサン&ムーンシリーズから見出していた。たまたま観た回が面白く(21話)、その後の話もキャラポケモンがわちゃわちゃして楽しい話が多く、飽きずに見続けていた。けれど、ジャンルとしては「日常学園もの」となっていたので、初代とは大きく雰囲気が異なっており別物として見ていた。

ポケモンアニメにどうしようもない「懐かしさ」を感じ、自分の中の温度感おかしい感じになったのは、初代ポケモンアニメリメイク映画「キミにきめた!」がきっかけだ。

上映時、仕事で大きな報告会があり疲労困憊だった帰り道のたった1回見たっきりなので内容をあまり覚えていない。観た理由も、ポケモンが好きだからなんとなくだ。

けれど、所々の初代でなんとなく見たシーンのリメイクに懐かしさを覚え、ピカチュウサトシに何かを伝えるシーン(数年経った映画ネタバレ防止)にグッときた。そして何より、「サトシポケモンのいない現実世界、という夢を見るも最後は夢から覚めてピカチュウと共に旅を続ける」という展開に無性に心が揺さぶられ、上映後ぼろぼろと泣いてしまった。

このサトシポケモンがいない現実世界存在行く話は、今は亡き初代アニメのシリーズ構成の方がアニメ最終回の時に考えていた案だ。(そのシリ構さんが書いたブログも随分前に読んだっきりなのでうろ覚えなのだが)このポケモン映画はその案を部分的に取り入れている。

シリ構さんとしては、子ども達が夢の世界からちゃん大人になれるように…みたいな意図があって考えてた案らしいのだが、まあこの映画ではそれを取り入れつつも最後サトシピカチュウの旅は続く。

この時、なんとなく「自分はまだポケモンや他のコンテンツを拠り所にしていいんだ」と安心した記憶がある。社会人になりたてで、仕事会社が辛くてしょうがなかった時だった。この会社一年後くらいに辞めた。

それくらいからか、たまに無性に昔のポケモンアニメが見返したくなる衝動に陥り、ミュウツーの逆襲〜ジラーチ辺りの見たことある映画を見て懐かしさに浸っていた。時にはそれじゃあ飽き足らず、観てない映画開拓しては、やっぱり自分が1番観てた頃が面白いよなあとか思う夜もあった。

劇場版も、みんなの物語やココと言った作品映画館で観るようになった。

過去映画や、キミきめ以降の映画を見ていた時は大人になっても楽しむと同時に、子ども時代の楽しかったあの頃を思い出すように観ていたんだと思う。

そんなことをしては、もう2度とその時間には戻れないという現実直視して憂鬱諦観に苛まれるのだが。

逆にサンムーンアニメは楽しく観ていたのだが、終盤チャンピオンリーグ差し掛かる頃から話が当然日常系ではなくなり、同時期に仕事ストレスMAXとなった結果、観る気力がなくなってしまった。今では非常に後悔している。いつか観たい。

無印は序盤がなんだか面白くないな…(個人の感想)と思い早々に見なくなった。

そしてつい3ヶ月前ほど、サトシピカチュウがポケアニの主人公ではなくなるということが発表された。

この発表を知った時は、「そうか…」という微かな寂しさも感じたが、「まあそりゃそうだよな。長くやってるし、何よりよく知らないけど凄い最終回みたいなチャンピオン戦やったらしいしなあ」という納得のが大きかった。

しかし、それを機にサトシピカチュウ冒険を締めくくるシリーズ「めざせ!ポケモンマスター」を見始めたこと、そしてなんとなく初代アニメを見返し始めたことで再び温度感の狂った懐かしさが爆発し始めた。

子供記憶力とは恐ろしい。昔の回を見ているだけでリアタイ時の感情が生々しく蘇る。

また、配信も恐ろしい。本来記憶の中で朧げに美化され遠くなり、いつかは思い出という存在になっていくはずの現実に、いとも容易く触れられる。

そのせいで時間感覚が一瞬バグった。初代アニメをこんなに見返して、その時の感情も覚えているのに、もう20年以上も経っているだなんて……。

クレヨンしんちゃんモーレツ!オトナ帝国でひろしが「懐かしさで頭がおかしくなりそうなんだよ!!」と叫ぶシーンがあったがそれに近い。流石にあそこまで切羽詰まってはないが。

そう、あそこまで切羽詰まってはいない。社会人になって数年経ち、仕事転職し、今はキミにきめた!の時よりかは精神状態は落ち着いている。

でも、凄まじく人生好転したワケでもない。仕事毎日疲れるし、けれど稼いでるわけでもない。人生目標があるわけでもない。夢もあったが、自分限界に数年前に気づいてからは一層やる気がなくなった。自分には才能も、努力できる根気もなかったのだ。

趣味は程々に楽しいが、そもそも週5・8時間くらい働かないといけないのでそれにずっとかまけてもいられない。

数少ない友人はそのうち結婚仕事等で自分から離れていくんだと思っている。

結婚願望はそもそも24時間人と関わりつづけたくないという思いから、特にない。

動物好きでペットは飼っていたが、数年前に看取った時とても悲しかったのと、また再び世話をする気力がわかなくて手を出せないでいる。

精神状態は落ち着いてはいるが、停滞した人生に倦んでいるだけかもしれない。宝石の国の月人みたいだ。(月人の説明をしようと思ったけどネタバレになりそうなので読んでください)

父親定年退職して趣味謳歌して楽しそうだが、コロナ禍とか物価高とか少子高齢化とか世界情勢も相まって、自分の明るい未来など想像できない。

別に死んだって構わないが、死の恐怖を乗り越えられるほど劇的な実行理由もない。

こんなうつのあがらない自分諦観に包まれていると、一層ポケモンアニメに浸っていた頃の自分が眩しくなってしまうのだ。

しかし、無情にも時間は進み、サトシピカチュウ冒険アニポケカメラからは姿を消す。

大人世界辟易し、虚構世界と思い出に夢想する人間だけを置いて。

サトシピカチュウというキャラクターに凄まじい愛着があるわけでもない。

それでも彼らの別れが辛いのは、ただ、自分の子時代が本当に遠くなるという事実、結局昔からほとんど変わっていないという現実が突きつけられることがやるせないかなのだろう。

多分、ひろしみたいに今が充実している人間はこんな気持ちにならないんだろうな。

いやでも最近アニメを見ていたらピカチュウが一周回ってすごく可愛く思えてきたので、それがいなくなるの普通に辛い。新しいシリーズにも別ピカチュウが出るみたいだが……。

2023-02-21

anond:20230221163757

それらって真面目にされてる研究なのか?どうもある種の諦観があるというかそんな雰囲気

もっと真顔になりながら社会リソースの一部を割り振るぐらい真剣にやってほしいと思っている

2022-12-31

これから日本は衰退する一方なんだからそろそろ教科書に「人類は衰退しました」を掲載するべきだ。

子供の頃から諦観を埋め込めていかねば。

2022-12-27

だよねぇじゃないです。ワイはb:Id:pptppc2ちゃんブコメ付けて欲しくない派です

b:Id:pptppc2pptppc2 「まぁ増田と同じく何を書くかは別に自由からな」だよねぇ。 / そもそも俺が向いてる方向性増田じゃなくて他ブクマカなことが多いので、書く場所ブコメにしたいんよ。「会話」したいのはブクマカの方なんで。 2022/12/27

数々ある媒体の中でわざわざ増田選んで書き散らしてるので諦観してるだけです

anond:20221227070528

2022-12-25

anond:20221225010242

基本的子供は親を信頼して尊敬しているので、自分の親がキチガイだとはなかなか気づかない。

キチガイ言動を見てはいるが、その環境の中でスクスクと育っているのでそれがノーマルだと考えている。

そういう家庭環境なので当然の結果として高卒者となって社会の荒波へと早期にリリースされることになる。

その荒波で揉まれていくうちに仕事を覚え、人並みに人との付き合い方を覚えるうちにある日、ふと気づく。

俺の親は、ちょっとおかしいやつらじゃないのか?と。

わかりやす宗教にハマっているとかだったら判別やすいのだがキチガイ親も世の中のキチガイと同じくキチガイキチガイなりに社会に溶け込んで「一般人」として生きている。

そのことと人間基本的に備える家族に対する「愛」という2つの要素によってなかなか気づくことが出来ないのだが、でもそれでもある日、ふと気づく。

俺の親はだいぶおかしい、と。

そこからはこれまでの人生で首を傾げつつ、傾げていることに気づかないふりをしていた、首を傾げていた事柄に対してドミノ倒しのように納得していくことになる。

その現象が起こってから親を恨むか、人間とはそういうものから仕方ないと諦観するかは、その個人性格によるのだろう。

Colaboの件に限らずいつも思うのは

大体においてQ(Quesiton)に対してまともなアンサーを返さないんだよね。

批判者へのレッテル貼り暴言人格批判殆ど

テスト問題に対し「出題者は馬鹿から答える必要なんてねーよw」と答案用紙に書いて提出するイキったガキと同じ。


勿論一般的社会では通用しない筈なんだけど、「声が大きいヤツが騒いでると周りが逃げて声が大きいヤツだけが残る」

という社会バグ技を使って、今まで相手ネトウヨだのオタクだのデッドネーミングして貶めて質問批判意見自体シャットアウトしてきた訳だ。

今回もすっかり暇アノン連呼で、Colaboへの疑問=アノンカルトの言う事だから聞く価値ありませ~んって態度を示している。


から左翼とか女性って話が通じないんだなってつくづく諦観

論理的にとか言わないけど、せめてQに対しては何らかのAを返して貰わないと困るよね。

話が通じない人達じゃ無いんだからさ。

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