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はてなキーワード: 調停とは

2023-11-22

調停審判裁判は、完結後の次段階の手続は違うが、それ以外は何が違うの?が良く分からない

テキストブック欲しい

いちおう

調停は出席しなければ不成立、

審判裁判は出席しないと負ける、

家事事件民事調停は非公開、裁判は公開、

はわかる

民訴法では求釈明や当事者照会や文書提出命令申立できます和解もできます

家事事件手続法ではできるとは明文化されてない、でもこの条文で可能です、とか

諸説あって混乱するんだけど

2023-11-02

遅くても2025年には現在ライン停戦だね

https://www.sankei.com/article/20231102-WVPZREIMFRLJNLCTK3V3M5M4EU/

ロシア侵略が続くウクライナ情勢を巡り、イタリアメロー首相が「みんなが疲れている」と欧州の「本音」を漏らした音声会話がインターネット上に流出した。アフリカ首脳を装ったロシアコメディアンのいたずら電話で語ったもので、伊首相府は1日、偽電話被害にあったことを認めた。

メローニ氏は会話の中で、ロシアに対するウクライナの反攻は「期待したようにいかないだろう。紛争行方を変えなかった」と発言。「解決策を見つけないと(紛争は)何年も続くとみんなが気づいている」として、調停必要性に触れた。

2023-10-16

BBCがクソみたいな直リプ飛ばしてきた件

 BBC公式がクソみたいな直リプ、もといクソリプ飛ばしてきた。

 ことの発端はBBCjapanが公開した次の動画である


発端

https://www.youtube.com/watch?v=O0fFLbLSmKw&t=54s

パレスチナ平和求めた活動家の安否は……「愛してる」と息子に送信 自宅は全焼 - BBC


 これはイスラエル平和活動に取り組んでいたヴィヴィアンさんというイスラエル女性が家を焼かれ、現状行方不明で安否不明になっているというニュースだ。

 このニュース動画では悲嘆に暮れるヴィヴィアンさんの息子と、その他のイスラエル人の声に触れられており、概ね真っ当なニュース構成になっている。幾分イスラエル寄りの報道ではあるが、現地で裏を取ったきちんとした報道だと言えるだろう。

 最後の三十秒を除けば。


ヴィヴィアンさんたち平和活動家は、約100年に渡る対立軍事的解決しようとしたのは失敗だったと主張してきました。

しかし、多くのイスラエル人にとって、この家の残骸とキベツ(村)の破壊こそ、ヴィヴィアンさんたちが危険なほど間違っていたと示す証拠になってしまいました」


 当のニュース動画最後で語られたのは、結局家を焼かれ、村を破壊され、安否不明になっているのだからヴィヴィアンさんの平和活動無駄だったどころか、間違っていたという主張だ。

 この発言はあまりにも大きな問題を含んでいる。

 端的に言えば、その問題とはヴィヴィアンさんが平和活動をすることになったそもそもの発端が、イギリス外交にあるということだ。

 三枚舌外交について説明する必要は無いだろうが、そのイギリスの尻拭いとして平和活動を行った結果として、村を破壊され家を焼かれ、殺害されてしまった可能性さえある彼女に対して、仮にも問題の原因であるイギリス国営放送が「間違っていた」と述べることは、あまりにも度し難い。


BBCからクソリプ

 というわけでこのクソみたいな発言に関してブチ切れて批判ツイートを展開していたところ、BBCjapanの公式アカウントからリプライが飛ばされてきた。

 それは以下の発言である


https://twitter.com/bbcnewsjapan/status/1713050077567373469

それは特派員の主張ではなく、「多くのイスラエル人にとって」という前提での説明です。字幕もそのようになっています


 要するに、

「『多くのイスラエル人にとって』という但し書きがあるため、この文責はBBCには無いし、何ならイスラエル人にその文責はある」

 というリプライである


 率直に申し上げて、あまりにも拙劣発言である

 まず、「多くのイスラエル人にとって」という言い方をBBCはしているものの、そもそも動画中のイスラエル人は一人として、「ヴィヴィアンさんの平和活動は結果として間違いであたことが証明された」などとは言っていない。つまり、この発言は少なくとも報道文脈においてイスラエル人の発言ではなく、BBCという主体による発言である

 その文責をBBCは負わず、『イスラエル人にとって』という一言を付記することによって、イスラエル人たちに文責を転嫁し、押し付けている。

 ジャーナリズム主体としてあまりにも有り得ない。コンビニに売ってある泡沫カストリ誌にでも取り上げられていそうなレベル言動だ。しかも、それを世界拡散しているのである


まとめ

 その後、上記の主旨の発言を当リプライに対して申し上げたところ、BBCからの反応は無かった。

 イギリスは先日ハマスに対して「テロリスト」という呼称は避ける、というリベラル寄りの発言をしていたことで話題になった。

 しかし、その実態はこれである


 BBCは、イギリス外交によって生じた民族間不和調停するために活動していた女性活動家の安否不明を利用し、「村を焼かれ家を焼かれたことは、平和活動が間違っていた証拠だ」と発言し、挙句の果てにその文責を当地イスラエル人になすりつけた。

 はっきり言おう、BBCゴミ以下の報道機関だ。

2023-10-14

ヨーロッパ - パレスチナ - イスラエル:最悪のシナリオ

エレナ・カラエワ

 ブリュッセルでは、行政当局(フォン・デア・ライエン欧州委員長)と立法当局(メツォラ欧州議会議長)の大幹部が前日イスラエルに赴き、現地で言われているように「正しい側」を選択しようと常に努力している。歴史。" 「歴史の右側」は常に変化しているため、その試みはほとんどの場合失敗します。それは欧州エリート自身ビジネス上の利益関係、そして大西洋の反対側から欧州連合の立場がどのように見られるかによって決まります

 ブリュッセルでは、行政当局(フォン・デア・ライエン欧州委員長)と立法当局(メツォラ欧州議会議長)の大幹部が前日イスラエルに赴き、現地で言われているように「正しい側」を選択しようと常に努力している。歴史。" 「歴史の右側」は常に変化しているため、その試みはほとんどの場合失敗します。それは欧州エリート自身ビジネス上の利益関係、そして大西洋の反対側から欧州連合の立場がどのように見られるかによって決まります

現代西ヨーロッパ政治圏は、大陸自体地球規模の両方で軍事紛争可能性を排除し、紛争当事者の一人になるという誘惑を避けるために、建国の父たちによって考案されました。

 避雷針かかし、そしてパートタイムの「悪者」の役割ソ連が演じた。彼らは「悪いロシア人から資源を買ったが、イデオロギー的には我々と戦った。

 「レッドプロジェクト」が存在しなくなるとすぐに、EUは途方に暮れました - 敵は敗北し、同じ規模のものは他にありませんでしたが、大陸を見回して今は戦う必要があると判断しました「ソ連の影響が残っている」ため、ブリュッセルバルカン半島を揺るがし始めた。彼らはユーゴスラビア内戦とSFRYと呼ばれる国の消滅まで揺れ動いた。そして彼らはしばらく静かになりました。バルカン半島の緊張の原因は、とりわけ ロシアの援助により、少なくとも緩和された。

 同時に、イスラエル責任ある政治家たちは、オスロ合意として歴史に残る協定パレスチナ人と締結した。この文書の主な考え方は、領土と引き換えの平和原則と、国連の二国家決議へのコミットメント宣言でした。

 少なくとも表面的には平穏中東は、混乱から金儲けをする者にとってはビジネス上の利益のための死刑宣告だ。状況を血なまぐさい絶対的ものにする必要があり、それは緊急に必要でした。パレスチナとの協定締結から2年後、和平プロセス立案者の一人、イツハク・ラビン暗殺された。そしてそれよりも早く、ノルウェー調停者を通じた和平交渉が始まったことを知り、ラビン同意しない人々は相手側と浮気し始めた。これもパレスチナ人代表だが、アラファトとは違って狂信的だった。その後、この運動ハマスという名前になりました。

 当時、外交政策において少なくとも独立の見かけを保持していたヨーロッパ政治家たちは、アラファトと彼のファタハ運動代表されるパレスチナ財政的に積極的支援した。まず第一に、選挙でのイスラム教徒投票石油とガスの供給の両方が重要だったため、自己保存の感覚からです。旧世界グランドマスターたちは巧みに操縦することで、好き嫌いバランスを保つことに成功した。「ヨーロッパ反ユダヤ主義」の非難は時折聞かれましたが、公開および非公開の議論において妥協点を見つけることは可能でした。

(編注:これは事実ハマスを作ったのは欧米

 しかし、白と黒チェッカーボードの前に座って、その上で駒を動かしている人々は、大西洋パートナーがすべての「シチリア守備」よりもバールの一撃を好むとは知りませんでした。自分自身コストが最小限に抑えられ、他人の血が最大限に流されるように。なぜなら、その方がビジネスがやりやすいからです。重要なことは、適切な瞬間を選択することです。そして打撃を正確に計算します。実際、EUパートナーである米国外交政策全体は、結局は際限のない暴力であり、米国政府にはそれ以外に手段がなかったのです。

 現在中東危機により、ヨーロッパ諸国は、パレスチナとの関係維持が必要な和平交渉の試みからも、これまでのところ撤退余儀なくされている。ブリュッセルは、米国同盟国の対イスラエル義務が履行されていないという事実を見て見ぬふりをした。アメリカNSA地球全体の声に耳を傾けていることは、この意思決定センターではないにしても、どこでよく知られているでしょうか。たとえワシントンに徹底的に忠誠を誓っている彼らにとってさえも、何らかの理由アメリカがその意見を聞いていることを排除するのは困難です。国家安全保障局は、軍やハマス政治指導者とみなした人々の意見に耳を傾けなかった。そして彼女は盗聴データイスラエル当局に報告しなかった。

 同様に、かなり大規模なユダヤ人イスラム教徒コミュニティを擁し、新たな難民の波の可能性を考慮に入れても、欧州連合が単純に内部から引き裂かれる可能性があることをワシントン理解していないとは考えにくい。そして、この危険は、アラブ東の産油国が、いわば地政学的な方向性の変化を理由EU禁輸措置を課した場合、同じ石油製品が不足するのと同じくらい重大である

 状況がさら悪化し、さらに多くの死傷者と流血が発生した場合アメリカはいとも簡単EUからスケープゴートを作ることができる 。

 私たちはこれがどのように起こるのかを見てきました。ワシントンは十分な経験を蓄積しています

 はい、これまでのところ、これは恐ろしい仮説のように見えますしかし、同じくらい信じられないのは、ハマスが千人以上のイスラエル人を殺害し、数百人を人質に取るという想定だった。したがって、かつては外交上機知に富んだ奇跡を示す方法を知っていた欧州は、明らかに、最悪のシナリオに基づいて、最悪のシナリオに従って、ブロック内での出来事の展開に備える必要があるようだ。

Европа — Палестина — Израиль: по худшему из сценариев RIA Novosi

2023-10-03

anond:20231003014331

せやで。

不倫して別れた篠田麻里子広末涼子親権は女持ちや。で、男の側は不倫されたのに養育費を元妻に納めにゃならんのや。

裁判調停)しても男側が勝つことはまずない。

それが日本司法現実

それが不服で、ネットで抗議の声を上げたら「共同親権カルト」扱いされてぶっ叩かれるんや。

気を付けて結婚生活送れよ。

2023-09-27

anond:20230927204927

被害者としての立場を逆手にとったモラハラ精神DV

仮に離婚調停になった場合にこの事実調停委員に明らかになれば委員心証は悪いだろうな。

まあお金はいらないみたいだから関係いか

2023-08-31

anond:20230828170113

何度強弁しても、親権子供を主に養育している側が有利な「だけ」ではないよ

一般には、「母子優先の原則」といって、10歳未満の子供は母親と一緒に暮らすことの方が子供福祉にかなう判断されます

子供の親権/監護権|公正証書jp

裁判所親権者を決める際に判断する基準の1つであり、子ども親権者には母親を優先的に選ぶという原則のことです。

離婚する際に、夫婦で話し合いをしても離婚協議離婚)が成立しない場合には、離婚調停申し立てて争うことになります

そして、調停でも離婚条件などに合意できないときは、裁判官が、どちらが親権者にふさわしいのかを判断します。この判断基準の1つが、「母性優先の原則」です。

この原則は、離婚する夫婦乳幼児や年少の子どもがいる場合に、特に考慮されます子ども母親のもとで暮らした方が生育上望ましいことから母親親権者として優先的に判断されることになります

母性優先の原則[ぼせいゆうせんのげんそく] とは?|浮気・不倫の慰謝料請求、離婚相談に強い弁護士法人プロテクトスタンス

母性優先の原則とは、子の福祉観点から子ども父親よりも母親暮らした方が望ましいという一般原則です。

特に子どもが小さければ小さいほど、この原則が重視される傾向にあります乳児(0歳)や幼児(1歳~5歳)であれば、なおさらです。

この判断基準によって、親権争いでは、一般的には母親よりも父親の方が不利になります

子どもの親権争いは父親と母親のどちらが有利か | 横浜の離婚に強い弁護士なら上大岡法律事務所

親権者決定においては「母子優先」の原則があるため、父親が不利になりやすいでしょう。

とくに乳幼児場合特別事情がない限り、母親親権を持つべきという考え方があります

子どもが小さいうちは母親によるきめ細かな養育が不可欠で、子ども幸せのためになるとみなされているからです。

父親が親権を取れる確率は?重視されるポイント・親権獲得のためにすべきことを解説 | 離婚・不倫慰謝料相談 弁護士ほっとライン

「幼い子供にとって母親必要不可欠な存在であり、子供母親暮らし方が幸せである」という考え方があります。これを「母性優先の原則」といいます

実際に、特に乳幼児など、子供の年齢が幼ければ幼いほど、母性優先の原則が重視され、親権争いでは母親の方が有利であるというのが実情です。

離婚と親権|親権者とは?5つの要件や母親がなれないケースなど | 法律事務所へ離婚相談 | 弁護士法人ALG&Associates

2023-08-29

anond:20230828132426

他の増田が言う通り、Aが不利なので、平等じゃないね

これは調停者がAに「お前が平等に分けないのがいけない!」と理屈を言って黙らせることができるというだけ。

ちなみに、AおよびBに半分だと思う位置を言ってもらい、二人のいった位置の間で分け、ランダムに分けたものが割り振られるというのが今知られている最良の方法だったかと。

2023-08-21

弱者男性から見た「男らしさから降りる」とは何か?

なんか、この増田 そもそも女性の言う「男らしさから降りる」って何? とか「男らしさから降りる」ってことについて話題になってるので、弱者男性当事者から見た「男らしさから降りる」の定義を考えたい。

なお、増田当事者性を示すと、独身、低収入氷河期障害者交際経験しなので、十分と言えると考える。

慈悲的差別を行わない

いわゆるレディファースト、重い荷物を持つ、デート費用負担するなど、父権主義的、騎士道精神的な行動を行わない。

これは、SNSで「フェミ騎士」とか「チン騎士」と言われるような、フェミニストの主張を擁護し、他の男性を(時に過剰に)批判するような姿勢を含む。

利害が対立したとき一方的に譲歩しない

「宇崎ちゃん」や「月曜日のたわわ」といった、フェミニストとオタクの利害が鋭く対立する問題がある。このようなときに、妥当な交換条件や、譲歩を得られないままに、一方的に譲歩しない。

相手が、一方的な譲歩を求め、政治的な力で圧力をかけてきた場合は、弱者なりに反撃する。それは、例えば暇空茜にカンパするといった手段などが考えられる。

弱者男性から奪うことを許さな

ただでさえ、弱者男性の分け前は少ない。だから私たちから奪うことは許さない。

これは、「男女共同参画」に大きな予算がつき、貧困女性支援からエリート女性クォータ制まで政策課題として推進されるのに対して、男性自殺問題など「ガラスの地下室」が一向に顧みられない状況も含む。

しかし、そもそも弱者男性女性と異なり顧みられない存在、どうでもいい存在社会ゴミお荷物なので、助けてくれと言っても無駄だ。だから社会に対する非協力、拡大自殺と呼ばれるような暴力で無理やりにでも「社会問題」にするしかない。

責任拒否

責任を負うことは、典型的な男らしさだろう。

から、まず、例えば家族を養うなどの男らしさを放棄することが考えられる。一家大黒柱が、いきなり仕事をやめるのは、男らしさの否定である。あるいは、別居に伴う婚費の支払い、婚費の負担に耐えかね調停で不利な条件を飲む、その後の養育費の支払い負わされるといった例が珍しくないが、資産処分退職自殺といった焦土作戦は非常に男らしくないだろう。

結婚していない弱者男性場合は、社会の中でただでさえ少ない分け前しかもらえない中で、責任を負うことなどできない。むしろそもそも責任を負わせてくれることもない。だから、非社会的に振舞い、責任回避し「お荷物」になり続けるしかない。

2023-08-10

anond:20230810095525

調停裁判ではないのだが何を言ってるんだ?和解混同してる?

anond:20230810095525

「話合いにより自主的解決を図る制度」だからこそ、片方が調停を続ける意思を失ったらそれで終わりなのよ。それが、国家権力による判断を求める裁判制度との根本的な違い。

本質部分に言及した上で現実法制度と真逆結論に至るのセンスいから、きみは法律話題に触れない方が良いよ。

anond:20230810091900

どこから引っ張ってきたか知らんが、

> >

なお裁判場合

<<

と書いてあるとおり、後半は調停ではなく裁判場合に関する記述。だから相手被告)」って書いてあるだろ?相手が「被告なのは民事訴訟だけ。調停では「被告」とは言わない。

anond:20230810095525

調停裁判では無いぞ。

裁判ってのは、判決・決定・命令を発出する手続きのことで、調停はこれに含まれない。

anond:20230810091900

調停一方的に取り下げ可、裁判はだめ、って内容なわけで

増田って時々読解力が壊滅してる人出るよね

こんな短くて易しい文章意味取り違えられるのが分からん

anond:20230810064811

訴訟と違って調停の取り下げには相手方同意不要から、通るか通らないかで言えば100%通るぞ。

2023-08-09

anond:20230809181021

いちおう離婚後であっても2年以内なら財産分与請求できる(民法768条)。

ただ、普通離婚協議の中でやるので、普通離婚前に財産分与の中身は分かってる。だいたい無職財産分与無しで離婚したら、財産分与調停審判成立までの生活費が無いしな。

いちおう極めてレアな考え方をすれば、離婚だけ先に決めることで騙し討ちできるみたいな浅はかな考えだった可能性も無くは無い。

2023-07-26

共同親権推進派の界隈、色々すごい

しばらく共同親権界隈の出来事を見守っていて、いやはやこれはすごいことになってるわと思った。たぶんこういう世界に関わり合いのない人達からすると、目も眩むようなような世界が広がっている。

共同親権絡みの話題って、ネットで目にするものだけ追ってると、「別居親(特に父親側)みんなが共同親権求めてる」みたいな印象持っちゃうけど、そもそも別居親みんなが共同親権くれくれ派ではないのよね。

現時点で別居親の境遇にあって、子どもとの面会交流の機会が充分に持てないなかで、「子との面会交流の機会を持ちたい」って希望をかなえるために頑張ってる人達がいる。そゆ人達は、別居に到った理由(たとえば自分のモラ傾向とか)を反省しつつ、同じ境遇の別居親アカウント情報交換したり慰め合ったり愚痴を言い合ったりしつつ、一生懸命に元妻や元子どもに誠意をアピールし、時には「全面屈服」みたいな自虐的表現も交えつつ、うまくいった人は徐々に面会交流の回数や時間を増やしたりもしてる。中には「元家族から『よりを戻そう』という申し出を受ける」という幸福な段階に至れた人もいる。つまり子どもに会う機会が欲しい」という自分目的がわかってて、そのためにやれることを地道にやってるクラスタ。このあたりは、AAとかの依存症自助団体に似た雰囲気もある。自分を見つめ直し、自己問題を受け入れましょう、そこからスタートです、的な(実際、そういう当事者団体もある)。こういう人達はおおむね自己葛藤を繰り返しつつ目的のために誠実に実績を積み上げてる。目的手段合致してるといってもいい。彼らの多くは共同親権制度化についても賛同はしてるけど、そこに望みを託してるわけじゃないし、「共同親権界隈の運動」のことは醒めた目で見てる。

そのネットの「共同親権推進派」のほうは、「そもそもそういうことができない別居親たち」の吹きだまりになってる。別居親当事者がこの界隈を指してしばしば使う言葉に「他責思考」ってのがあるんだけど、ほんとその通りで、とにかく全般的論調がめちゃめちゃ他責的。今の自分が別居親という境遇にあるのは、妻が悪いからだ、あるいは義実家が悪いからだ、人権派弁護士が悪いからだ、家裁が悪いからだ…と、とにかく理不尽不条理な「敵」の悪意や攻撃被害者として自分をとらえてる。

んで、自分をそのような境遇に陥れた元配偶者やそれを支援する人達を、連れ去り事案だ、実子誘拐だ、片親疎外だ、児童虐待だ、洗脳だ、国際的スタンダードに則してないと罵倒し、同じような考えの別居親当事者とつるんで怪気炎を上げる。自分家族とは無関係な、共同親権に対して慎重な弁護士たちの懲戒請求をする。面会交流支援施設での写真ネット晒してその仕組みの不当性を訴える。いつできるかもわからず、自分がその恩恵を受けられるかもわからん法律の成立のために、ネット上で支離滅裂な「運動」するよりも、今すぐに取り組めて実効性もある「もっと子どもと会うためにやれること」はいっぱいあるはずなのに、それはやらない。

さらに怖いのが、その「俺は一切悪くない」の人達の中に、「ちょっと手を上げられた程度で」「一度『出て行け』と言ったくらいで」とか普通にTwitterに書いちゃうやつが一定数いること。自分自身がDVをやったり追い出しをかけたり(どっちも法定離婚事由の「悪意の遺棄」にあたる)した有責配偶者であることを認めてるのに、でも「俺は悪くない」という認知ツイートで「虚偽DV」みたいな言葉を振りかざす人達も、そのことは咎めない。そんな雰囲気から、今回のハッシーの件も、共同親権界隈にはハッシーの行動を擁護する声も多い。自分自身が「出ていけ」と言い放った妻子に対して、言われたとおりに出て行った後で「連れ去りだ」と激怒する支離滅裂メンタリティが、問題視されずに「そうだそうだ」と受け入れられている。クワ持って殺人未遂事件を起こしたやつは悪くない、悪いのは実子誘拐をしたヨメや片親親権という悪法だ、ということになってしまう。

こういうタイプの人は、仮に一念発起して家裁の面会交流調停弁護士に依頼しても、途中で辞任されるケースが多いらしい。なんせ弁護士アドバイスをまともに聞かない。事前に「不利になるからNG」と念を押されていても、堂々と「妻が暴力を振るわれてもしかたない理由があった」「家族なんだからそれぐらいは当たり前」みたいなことを平気で言っちゃうんだから調停がうまく行くわけがない。離婚案件に詳しい堀井亜生弁護士によると、モラハラ夫の依頼者は「弁護士を変える、必要証拠を提出しない、遅刻する、裁判官意見に納得ができないと怒る」みたいなことが多いそうな。さもありなん。

そういう連中の語りを読み続けて薄々わかってきたのは、彼らにとって共同親権というのは、結局「子どもとの面会交流の機会を得るための手段」じゃないってこと。「かつて、自分自身の振る舞いのせいで失ったもの家族というリソースと、それを一時は所有・支配していた自分の権能とメンツ)を、自分の側は一切の譲歩も努力も歩み寄りも謝罪もせずに、法的な強制力によって、コスト0で取り戻すための手段」なの。「俺は悪くない」の変形で、報復

もちろん共同親権推進派にも、運動論的な目線で「そんなこと言ってたら、世間的に共同親権推進派は頭おかしいやつばっかりだと思われる」「批判すべきは批判すべきだ」という良識派はいるんだけど、主流派からは叩かれたり黙殺されたりしている。ネット共同親権界隈のメインストリームは「憎悪他責共同体」みたいなところがあって、その仲間意識を乱すような、自己批判や自浄を促すような言説を一切受け入れない当事者も多い。本当にきつい界隈だなと思う。

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
1531年享禄・天文の乱浄土真宗本願寺派権力闘争である享禄の錯乱管領細川晴元一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文錯乱
1532年北部九州天文の乱大内氏大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前筑前肥前を平定した。
1533年稲村の変安房里見当主里見義豊が、叔父里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。
1536年花倉の乱駿河守護今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳勝利今川義元を名乗った。
1537年河東の乱北条氏今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏今川領に攻め込み河東地域占領した。
1542年天文の乱伊達当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。
1550年二階崩れの変豊後大名大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。
1551年大寧寺の変周防大名大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。
1565年永禄の変畿内勢力を誇る三好氏が、将軍足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。
1568年本庄繁長の乱越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。
1569年本圀寺の変本圀寺にいた将軍足利義昭三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。
1569年大内輝弘の乱九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防挙兵させた。毛利元就九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。
1570年元亀の変伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族粛清追放された。
1574年天正最上の乱出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。
1576年三瀬の変伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族粛清された。
1578年御館の乱上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。
1578年天正伊賀の乱伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。
1582本能寺の変織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺宿泊していた主君織田信長を襲撃した。信長自害した。
1582天正壬午の乱織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川北条上杉が三つ巴で争った。
1585年粟ノ巣の変伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。
1591年九戸政実の乱南部晴政の死去に起因する後継争いか南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。
1599年庄内の乱島津忠恒重臣伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。
1637年島原の乱島原天草苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍鎮圧された。
1651年慶安の変軍学者由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪自決した。
1652年承応の変軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。
1837年大塩平八郎の乱腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商失望した元・町与力大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日鎮圧された。
1837年生田万の乱国学者生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。
1860年桜田門外の変攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄引き起こし水戸藩を圧迫していた開国派の大老井伊直弼を襲撃し、暗殺した。
1862年坂下門外の変攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体推し進めていた開国派の老中安藤信正を襲撃し、負傷させた。
1863年朔平門外の変破約攘夷派の公家代表格であった姉小路公知暗殺され、薩摩藩田中新兵衛逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相不明
1863年天誅組の変尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国挙兵したが、幕府鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。
1863年生野の変長州支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国挙兵をしたが、幕府鎮圧された。
1864年天狗党の乱水戸藩内の尊攘過激派天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山挙兵したが、幕府鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。
1864年禁門の変前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵会津藩薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。
1874年喰違の変征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。
1874年佐賀の乱征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族佐賀県挙兵したが、政府軍により鎮圧された。
1876年神風連の乱熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府熊本鎮台軍により鎮圧された。
1876年秋月の乱神風連の乱呼応して、福岡県で不平士族挙兵したが、政府小倉鎮台軍により鎮圧された。
1876年萩の乱神風連の乱呼応して、山口県で不平士族挙兵したが、政府広島鎮台軍により鎮圧された。
1877年福岡の変西南戦争呼応して、福岡県で不平士族挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。
1878年紀尾井坂の変石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。

Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)

明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。

〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺粛清・失脚など。権力上下関係ない。成功たか失敗したか関係ない。

〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功たか失敗したか関係ない。

こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍足利義教暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。

あとついでに。

〜の役:大規模な軍役。必然的辺境への遠征対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役後三年の役富山の役・文禄の役慶長の役など。

〜の陣:長期間の在陣。遠征戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。

という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-07-20

離別した父親に連絡を取るべきか悩んでいる

ここ数年、15年前に離別した父親に連絡を取るべきかどうか定期的に悩んでいる。

両親の離婚に絡んだ話で周囲の人には話すのもはばかられ、誰にも相談できないのでよかったら聞いてほしい。

ここへ投稿するのは初めてなので、読みにくいところがあったらごめんなさい。

※昼頃に投稿したんですが間違えて消してしまい、迷ったのですがせっかく書いたので上げ直しました。すみません

・父:70歳。生死含め現在は何をしているか不明離婚当時は大手企業部長。激務で平日はほぼ顔を合わせることはなかったが、私は割と父に懐いていた。おとなしいオタクタイプだが時々激昂することがあった。

・母:65歳。飲食業正社員離婚当時は専業主婦。父がほとんど家にいないため、家のことは全て母が仕切っていた。普段は天然でのほほんとしているが、かなりの気分屋。教育ママ過保護だったが、私が社会人になってから関係は良好。

・私:アラサー女。私大卒業後、社会人をしている。昨年結婚離婚当時は高校生

・弟:アラサー離婚当時は中学生


両親は15年前に離婚した。

父は仕事が忙しく、物心ついてから一緒に家族旅行に出かけた記憶もない。大手企業出世していたため、比較的裕福な生活は送らせてもらっていた。

夫婦仲はあまり良くなかったようで、表立って喧嘩するところはほとんど見たことがなかったが仲が良さそうに見えることもなく、父がいない時に母から父の陰口を聞かされることも時々あった。

けれど、オタクタイプの父と私は気が合うところもあり、一緒に海外ドラマDVDを深夜まで見たり、カメラを買いに連れて行ってもらったりと、私個人は父に懐いていたし父のことは割と好きだった。

逆に、教育熱心で過保護わがままで時々ヒステリックな母に対しては委縮してしまうことも多く、学生の頃は母の言いなりになっていた私はむしろ母のほうが苦手だった。


母は度々熟年離婚するつもりと言っていたが、当時の私はまさか本当に離婚するとは思っていなかった。

事が起こったのは私が高校1年生だった頃のように思う。

夜中に両親が大声で言い争うことが増え、母が父の陰口を言うことが増えた。

ある日、「お父さん不倫してるみたい」と母が言い出した。

父の車にあった口紅のついたペットボトルを見せられたり、母が突き止めた不倫相手職業などを聞かされたり、不倫相手の家を見に行くという母に一緒に車で連れて行かれたり、「2人のことはお母さんが守るからね」と母に泣かれたりした。

離婚話はどうやらこじれたようで、調停になったようだった。

結局、母いわく「早く離婚しないと共有財産を使い込むと脅された。早く離婚たかたか不倫の話は出さなかった」とのことで、詳細は分からないがとにかく離婚となった。

正直、当時は母がいちいちこういったことを話してくるのでそのたびに傷ついていたし、不倫して私たちを捨てる父を心底憎んでいたし、辛い現実から逃げたかったのであまり関わらないようにしていた。

父が出て行った日のことも全く覚えていない。

父がいなくなってからは、私は受験で荒れていたし、弟は不登校になるしで大変だった。


父が出て行ってからは、3度だけ連絡があった。

1度目は、父が出て行った年の私の誕生日誕生日カード図書券が届いた。私を捨てたくせに今さら何なんだと思い、特にお礼は言わなかった。

2度目は、私が大学合格したときに、おめでとうとメールが来た。その時も、父を殺したいくらい憎んでいたので無視した。

3度目は、大学3年生のときに母と大喧嘩をしたときに私からメールをした。実家を出たいかお金が欲しいと連絡して、父は心配する返信をしてくれた。結局母とは和解して、父には特に連絡しなかったように思う。

それからからは連絡はない。

その後、いつ頃か忘れたが父から母あてに間違いメールがあり、どうやら再婚したようだった。

から見せられたそれは再婚相手の連れ子あてのメールだったようで「父の日プレゼントありがとう」という内容だった。

それで本当に、父はもう私の父ではなくなったのだなと思った。


父のことは関わりが少ないながらも好きだった。

けれど、母の言うことを鵜呑みにして「父は私たちを捨てた」と思っていたし、好きだったからこそ裏切られて辛いし自分がかわいそうだと思っていた。

精一杯育ててくれた母には勿論感謝しているが、自分大人になってから夫婦としての母は未熟だったのだろうなと感じることも増えたし、離婚したくなる気持ちも分かるようになった。

そして、母の一方的な言い分だけを信じ、父からの精一杯の連絡もことごとく無視していた自分はなんて愚かだったのだろうと後悔するようになった。

正直、父のことを思うと未だに複雑な感情がわき上がってきて泣きそうになる。


母との関係現在良好ではあるけれど、調停の内容も離婚の条件も一切知らないし、私のなかでは未だに離婚話題タブーなので聞くこともためらわれる。(母はあっけらかんとしており、私も気にしていないと思っているようだが…)

からは、私が父に連絡を取るのは私の自由だと以前から言われている。

父に連絡を取って、当時の父の事情真実を知りたいと思う。

昨年に結婚もしたので、その報告もしたい。

その一方で、母の言っていたことが本当だったらどうしようと思いや、父は私のことなどもう忘れてしまっていて、連絡などしたら逆に迷惑なのではないかという思いもある。

自分に冷たくしてきた実子より、新しい家庭の方が大切なのは当然だと思うので。

連絡は取ろうと思えば取れる。Facebokで検索したら本人が出てきたし、それで連絡が取れなくても戸籍を辿ればいいだけだ。


あとは自分気持ち次第だと思うけど、踏ん切りがつかない。

このまま父が死んだら後悔すると思う一方で、もう傷つきたくない。

ここ数年ずっと悩み続けている。

2023-07-17

anond:20230717020835

年子幼児2人の40代主婦モラハラDVから身一つで逃げ(追い出され)別居→調停離婚成立/毒親から逃げ→シェルター母子寮→団地暮らしうつ病になり障害年金受給中/ディズニー好き

プロフィール欄はこれだが、ネタアカウントでないとするとこんなの本人も知的障害かキツめの発達障害かなんかだろ。子持ちとか以前の話。

2023-07-12

anond:20230712162517

協議が話し合い離婚だよ。

調停裁判所でやるやつよ。

 

本文にあるとおり前妻は調停勝てると思って調停には乗り気だったよ。

(もちろん、あの女まったく勝てる証拠もってなかったけど)

 

俺が義両親に言いたかったのは、

 

このまま行くと調停裁判でほぼ確実に離婚するし、

仮にできなくても告訴しますよ。

説得に協力してくれるなら、協議で終わらせる努力しますよ。

弁護士に要らん金払って何ヶ月も裁判所に通うくらいなら(その間に自殺成功される可能性もあるし)ましじゃないですか?

 

という話。

ようやく離婚成立した!!!

離婚届出してきた!!

妻とは行かなかった。

不倫相手と行った。

不倫相手は車にて待っていてもらったけど。

 

ようやくDV糞女と別れられた。

嬉しい。

不倫はバレてなかったので、慰謝料ゼロ

有責は妻、いや前妻か。なので、慰謝料かわりに家をもらって、預金年金だけ分割にして、俺に損はなし。

 

元々前妻にはレスられてて、外でセックスしてこいといわれてたので、そうしてた。

今の彼女はそうして関係を持った。最初セックスできればいいと思ってただけだったが、付き合いが深まるに連れ、

前妻と別れて彼女と一緒になりたくなったのだ。

 

ある日、前妻と口論になったとき(俺たちの間ではよくあることだった)、今なら乗って来るんじゃないかと思って、

「もう離婚しようぜ」と言った。

そしたら妻は「ええそうしましょう。明日離婚届持って帰ってくる」と!!

俺は嬉しかった。じゃあ今すぐまず両親に報告しよう。と、俺は実家に連絡したし、前妻にもそうさせた。

 

それから一週間。前妻は離婚届を持って帰ってくる気配を一切見せない。

どころか、ニンテンドーダイレクトを見て、「ピクミン4出るんだ!スイッチもう一台買わなきゃね」

とか言ってた。いつまでここにいる気だよ。死ねよ。

 

改めて「離婚届、いつんなったら持って帰ってくんの?」と問いただした。

そしたら前妻は泣きながら「別れたくない」といい出した。

ふざけんな。俺のこともう嫌いだ、二度と好きになりはしないといったくせに。セックスしないと言ったくせに。散々人格否定してきたくせに、ふざけんな。

「俺は別れる気しかない」と突っぱねた。「お前が取りに行かないなら俺が取りに行くよ。離婚届。」そう言ってその日は終わった。

翌日前妻は起きた瞬間首を吊り始めた。気色悪い。

「何が不満なの?」と聞いたら、「離婚するなら首を吊る」と言って脅してきた。

俺は、こっそりスマホボイスレコーダーをオンにして、「どうしたら首吊りやめてくれるの?」と聞いた。

前妻は、「首吊られたくなかったら離婚するな」といった。

その日の仕事帰りに、警察に提出して相談した。

 

数日後に離婚の話し合いを持ちかけた。

前妻に、「他に大切にした女性がいる。だから離婚絶対だ」と言った。

前妻は持っていたグラスを俺に投げつけてきた。

破片は床や俺の足を切り裂いた。

その時の録音と写真警察に提出し、相談した。傷は病院にいって診断書を作ってもらった。

 

彼女と飲んで、終電で帰った日。

前妻は「不倫女と飲んでたんでしょう!!」と大暴れ。

不倫女に連絡させて」と言って聞かない妻。連絡取って、どうするの?と聞くと、

不倫相手職場を問いただす。職場に乗り込んで殺す!」と言った。

念のため、録音を警察に提出した。

 

ある日、彼女に送るために弾き語り動画撮影していた。ラブソングの笑

離婚したいしたいと言っている俺が楽しそうにラブソング弾き語りをしているのを聞いた前妻は、

包丁を持って撮影部屋に乗り込んできた。

スマホを見せろ。でないと殺す。と脅してきた。頭突きして刃物を奪い取った。

ちょうど回っていたカメラに写った映像とともに、警察相談した。

 

そろそろハッタリには十分と思い、離婚調停をしたいからそちらも弁護士を選んでおいてほしいと伝えた。

前妻は、「あんたが浮気したんでしょ!戦うから!」と血気盛んだった。

しかし俺も馬鹿ではない。前妻に彼女存在を打ち明けてから彼女不貞行為に及んだことは一度もない。戦えるほどの証拠があるなら出してみろというものだ。

俺は俺で弁護士に頼んで警察の調書を取り寄せてもらった。

 

遠方に住む前妻の両親に、「前妻さんが首を吊りたがって困るので、助けてください」と連絡して、呼び出した。

そして取り寄せた調書をつきつけ、

「前妻さんが離婚になかなか応じてくれないので、これらをもって調停裁判、もしくは告訴を考えています

前妻さんはこんな感じで、僕の手に追えるものではないため、客観的に見て離婚妥当と思います

ただ、前妻さんのご両親が、前妻さんの説得に協力していただけるのなら、もう少し寛容に判断します。」

と告げた。

 

義両親はあわてて前妻の説得に協力してくれたよ。娘溺愛の義両親は、娘を告訴なんてされたらたまらんだろうからなあ。

前妻本人はヒスって話にならんし、本当に首つられても迷惑だし、助かった。

慰謝料はいいですよ」と言ったけど、

前妻は遠方の地元に帰る他なかったようで、どうせ家はいらないし、ローンもまだあるしで、ローンごと貰い受けた。

まあ、この家のローンも、頭金として義両親が1000万ほど出してくれたおかげで、たいした額じゃない。

まだ1年も住んでないからきれいだし、彼女が気にならないならこのままここで一緒に暮らせばいいと思ってる。

 

離婚したいけどしてくれないゴミ妻がいるみんな!!

警察病院はしっかり利用しろよ!!

2023-07-10

なぜインボイス反対運動はできて偽装請負反対運動はできないのか

もちろんインボイス制度というか日本納税制度全体に事務コストや逆進性などの欠陥が多いのは確かだ。

しかしそれよりはるかに致命的な欠陥は労働環境にあり、少なくとも声の大きいインボイス反対派が抱えている問題はこれが主因だろう。

端的に言うと「直接雇用関係のある正社員以外の【労使】間のパワーバランスがまったく調停されない」という点だ。

あえて【労使】と書いたのは、直接雇用関係がない正社員以外で事実上労使関係といえるような状況でも

業界の慣習で「これは労使関係ではありません」というふざけたレトリック普通にまかり通っていることを受けている。

あいわゆる偽装請負ですね。


冷静に考えていただきたいのだが

「零細個人事業主は税システム変更という事業者努力回避不可能事象に由来するコストアップすら全く上流にコスト転嫁できません」

「上流が強すぎて交渉不能です、というか交渉とか他に行くとかいうのは事実上不可能です、ゆえに丸呑みして死にます

ということが「前提」として認識されている現状、何かおかしいと思わないのだろうか?


極端な例でいうとインボイス反対派として声を上げていた日本アニメ声優業界は完全に狂っており

日本俳優連合がほぼすべての声優独自のギャラ制度管理しており、最上位以外は価格交渉権すらない」

「ギャラは固定時給制ですらなく出演時間による、しかも出演時間が倍になってもギャラは倍にならない謎のシステム

事務所に所属価格交渉以外の直接交渉権もほぼない」

「だけど個人事業主として扱われており労働者としての保護は無い」

業界はめちゃくちゃ狭いため制度破りしようとすると干される」

などという、偽装請負労働者どころか農奴制から市場」を導入したばかりの独裁国家

謎レートで農産物を「公定価格」(作物の量に比例するとは言っていない)で買い上げる謎システムのほうがむしろ近いぐらいの面白システムである


ここで少し常識がある人々は「日本には独占禁止法かいうのありませんでしたっけ?」という少し常識的なアイディアを思いつくだろう

しかし残念ながらそれだけでは日本常識が十分に身についているとは言い難い。

独占禁止法には適用除外団体があり、ざっくり言えば小規模事業者が全体の利益のためにやる場合を多少除外するという理屈なのだ

なんと日本俳優連合のケースはそのうちの【生活協同組合団体交渉のためにやってる場合】だから適用除外となるのだ。ハイ終了。合法なので一切問題はない、いいね

いやでもそれならランク制とやらの価格はさすがに団体交渉してるんじゃないの?と多少の常識判断をしてしまったあなたはやはり常識不足。

なんと【1991年ランク制発足以来】、ベースのギャラは全く変動していません。

馬鹿か?

こんなの偽装請負ならぬ偽装組合だろ。

一応擁護すると、1991年ランク確立以前はさらにひどい状況だったので成立時点では賃上げになり、そのために当時の芸能界労働運動の一環としてそれなりに戦ったそうです。

まあ30年前の話だけど。

それ以降生活協同組合に期待されるような労働の需給バランスの調整とかも当然全くやってない。それをやるならそれこそ組合加入条件を絞って声優業界参入障壁をって話になるが

ワナビーから学費取れないと声優業界の貴重な収入源がなくなっちゃうからね。まあ価格交渉すらしてない体たらくでそんな複雑なことできるわけないわな。常識的に考えよう。

そりゃ偽装請負反対運動とかできるわけないですよね。

んでそんな業界がなぜインボイス反対運動はできるかといえば、今まで上流(当然課税事業者だ)が受けていた仕入税控除がなくなっちゃうから、これに尽きる。

労働者だけでなく使用者側にも不利なときだけ「運動」が許可されるという本気で腐った労働運動だ。

あ、労働者じゃないので労働運動じゃないんでしたね、個人事業主の嘆きでしたね。



しかし考えれば考えるほど見事なデッドロックシステムだ。

実質的労働者個人事業主にする】+【個人事業主組合使用者に有利なシステムを作らせて順守させる】

これだけで労働者としての保護個人事業主としての自由競争も防いだまま完全な独占システムを作って誰にも介入させないことが可能になる。

もう一度言うけど馬鹿か?

まあさすがに日本といえども前者はともかく後者までやってる業界は珍しいだろうが

何がヤバいってこれが法的に許されるならほかの業界だってやろうと思えば可能ってことだ。

他人事だと思うな、関係ない業界でも実質増税になるぞ、ニーメラー警句だ、インボイス制度に反対しよう」ってのはまあ一理あるけど

その理屈で言うならよっぽどやばい偽装請負+偽装組合という糞コンボについてまず全労働者が騒ぐべきではないだろうか。

2023-06-26

オメガを経て天獄零式を野良で踏破した話

ざっくり言うと愚痴である



共鳴から零式を始めた。

きっかけはコロナパッチ間隔が長くなり、暇になったことだったと思う。

1層だけはなぜか行ってたので2層から野良レンジデビューして、パーティーの入りづらさに辟易して固定を探し加入した…という感じだったように思う。

この固定主には割と長いこと世話になった。

絶固定まで誘ってもらって、3絶+竜詩はこの固定でクリアしたくらいだ。



まぁ絶の固定としては竜詩までお世話になったのだが、辺獄から自分の固定を組んでみたくなり知り合いを何人か誘って後は募集で…という形で固定を組んだ。

ものすごく気が合わない人が一人いて、固定の時間がとても憂鬱だった。



その後の竜詩は、初めてのパッチ内絶ということもあって、めちゃくちゃギスギスしたのを覚えている。

パッチクリアしたが、その後周回などはしなかった。

ただ固定主とは未だに仲良くさせてもらっている。良い人だと思う。



煉獄は辺獄の反省を生かして気が合いそうな人を選んだ。

一部の人はそのまま誘って、気が合わなかった人を入れ替えという感じで固定を組んだのだ。

正直Twitterも見たし、ヤバそうな人は落としたりもしたかいがあって、そこまで変なトラブルはなかったように思う。

予定より踏破に時間がかかってしまって、正直それが一番イライラしてしまった。

今思うとここで止めておくべきだったんじゃないかなと思う。



オメガ仕事の都合で2人入れ替えになった。

二人とも子どもがいる親御さんだったが、一人だけ子どもがまだ赤ちゃんだった。

Twitterを漁ってそれは知っていたのだが、本人に聞いたところ「配偶者が見てくれる。理解がある」とのことだったので固定に入れた。



オメガが始まったが、赤ん坊の泣き声がVCに入ることは予想以上のストレスだった。

結構デバフだったんじゃないかと思う。

私もそれとなく大丈夫ですか?と聞いていたが、最後まで赤ん坊の泣き声は入り続けた。



それに加えて、人柄重視で採用したツケなのかミスがとても多かった。

範囲を踏む、無敵が出来ない、男殴るはずが女しか殴れなくなってる、整列ができない、目に轢かれる、ハロワで移動が雑、塔に乗れてない、早く近付きすぎる、遠すぎる…こういうミスが本当に最後まで続いた。

本当に本当に嫌だった。

せめて4月中にと言っていたのに、終わったのはパッチ内の本当ギリギリだった。

あらかじめ分かっていただろう予定を直前に言ったり、そのせいでスケジュールを組み直したりもあって非常に疲れたし、固定の時間が本当に嫌になった。

何よりもメンバーのことを好きだったし、この人たちなら頑張れるなと思って始めたのにいらつく自分がとても嫌だった。



なので私は天獄零式は固定を継続しないと伝えた。



私は野良で踏破したが、固定に入ったメンバー野良に行ったメンバーもいたし、零式を休止したメンバーもいた。

野良フェーズ詐欺にもあったし、ミスってないのにボンドやペア割り、調停で殺されたりもあったが気楽な毎日だった。

零式中にめんどくさくなって休んだり、遊びに行ったりして、4層前半にものすごい詰まったりしたがなんだかんだで4週目にはクリアした。



固定は本当に楽しかった。

リーダーやらせてもらったし、やるならまた誘ってほしいとも言われたのですごく嬉しかった。

ただ、赤ん坊の泣き声、無断遅刻体調不良や予定を言わない、ギミックミスなどが重なって疲れてしまったのは事実だ。



これから固定主をやる人にはこう言いたい。

赤ん坊持ちを入れるな

ギミックミスの内容にもよるが、あまりにも多い人には少しキツく言っても良い

ダメそうなら入れ替えろ



そしてこれから固定に入りたい人にはこう言いたい。

赤ん坊いるなら我慢してほしい

・予定はわかり次第言え

ミスは共有しろ、分からないならすぐ相談しろ



同じような性格、同じようなスキルレベルの人が集まれば言うことはないと思う。

ただそんなことは難しいだろう。



私はしばらくは固定を組みたいとは思わないし、次の絶も決めてない。

漆黒に入ったら絶行きたい…くらいにしか考えてない。

なのでまぁ、このエントリーをもし見た方は覚え書きの愚痴程度だと思って見てほしい。

もし心当たりがあるなという人だったとしても、私は決してあなたのことを嫌いではない。

好きでいたいから離れたのだと理解してくれたら嬉しい。



このエントリーを読んだみんながいい攻略方法出会えることを祈っている。

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