はてなキーワード: 誹謗中傷とは
リテラシーの低さの話を出すなら反暇空サイドも大概だろ
誹謗中傷あたりの話ならともかく、公金の使い方云々の話なんて「市民が行政の活動を監視する」民主主義国家の基本のキみたいなものなのに、そこにあれこれ文句つけてるのはかなりヤバいでしょ
暇アノンというわかりやすいバカを否定することで自分が賢くなった気になるタイプのやつが結構いるぞ実際はバカだから否定の仕方もわからないんだどね
余命≠WBPC問題であることに同意はするけど文章の大意には同意しない
余命は「行け! ファンネル!」しておいて命令者はトンズラしてる=責任から可能な限り逃げてる
暇空は「新たな視点を見つけるのに協力して貰うことはあるかもしれないけど、攻撃するのは俺一人でいい むしろ邪魔だからすっこんでポップコーンとコーラ持って観戦してろ」=責任を全被りしてる
この責任を全被りしてる部分を観客の違法部分までも全被りしてくれるのだと勘違いして暴走したのがまさに避難所氏のような暇アノンであって
俺のような暇空信者はちゃんと資料を見て、わかんないもんはわかんないものとして誹謗中傷などはせず「よし、暇空任せた!!」とぽつぽつ雑談するが、基本的に最高裁の結論が付くであろう10年後くらいまで付き合うくらいの気持ちでワイワイ黙ってコーラ飲んで観客してるだけ
まず大前提として、自分は某暇の人格は到底褒められるものでは無く支持出来ないという立場。
後結構前からブロックされているので個人的にムカついた私怨もある。(多分山本一郎や東野先生をフォローしてたからだと思う。後に後者はミュートからフォロ解)
よくColabo問題は暇空一派(暇アノン)の暴走であり、第二の余命事件だと指摘されている。ブクマカでも同様のコメントは多い。
そういう事にしたいのだろうし実際「お前がそう思うならそうなんだろうな」という感想で特に主張者に対し異論を挟むつもりは無いのだが
よって余命事件と安易に結びつける人間は基本的に党派性エコチェンバーか対立煽りカスなので一切無視して良い。
ブクマカならブロック推奨。問題を語るにおいてはただのノイズでしか無い。
ざっくり言えば思想的に偏った(と認定された)弁護士に対し余命というネトウヨアルファがネトウヨを扇動し大量の懲戒請求をかけた事件である。
表自風に言うのであれば「キャンセルカルチャー」「表現弾圧」の類である。
末路としては哀れネトウヨは返り討ちに遭い余命一派は訴えられて終了した。哀れっすねマジでw
多分自分達だけで無く、当のネトウヨからも黒歴史中の黒歴史扱いされてんじゃないかな?
弁護士の主張がおかしいのであれば言論で対抗すべきで、キャンセルカルチャーを人海戦術で仕掛けるのは頭のおかしい野蛮人がやる事である。
余談だが、当時の肌感で言うのであれば既に「ネトウヨ」が小馬鹿にされつつあった時代であり、余命にしても一部の極まったエコーチェンバーが騒いでいた程度の印象だったが
あの事件と在特会の体たらくが「ネトウヨは暴走し民主主義を否定する愚かな国粋主義集団」であるというイメージを決定づけた様に思う。
余命事件の場合は所詮はごく一部の弁護士が思想的に偏っているだけであり、その職務を妨害し仕事を奪う事に公益性は皆無である。
弁護士がおかしいと思うのなら、おかしいと思い支持しなければ良いだけだからだ。
それに思想信条の自由がある以上、その弁護士とやらが明らかな犯罪や倫理的にアウトな言動をしない限り、個人の自由である。
余命事件は日本国憲法の理念を踏み躙り凌辱しようとした文化的集団レイプ事件であると言えよう。
そこに正義は無い。ある意味憲法が嫌いなネトウヨらしいけどなw
しかしColabo(等の支援団体、社団法人)の場合は、余命事件とは異なる、しかし重大な違いがある。
Colaboらには多額の公金(税金)が支出されている事である。
公金が入っている以上、団体の活動にはある種の公共性・公益性が求められる為
思想信条の極端な偏り、及びそれに伴う公共性に欠けた事業や活動が行われる事は問題を超えた問題である。
公金の源泉である一般市民の公益性に反する可能性が高いからだ。
自分たちが望む政治的な活動がしたいのであれば、支持者の寄付金等の自前資金で活動するべきであり
故アベ首相のモリカケサクラ問題が未だに糾弾されているのも、政権が一個人・団体に便宜を図ったという事実は
①被支援者を政治活動(辺野古基地反対運動など)に参加させた事
③「リーガルハラスメント」「住民訴訟の濫用」等の造語により民主主義を否定した事
強い公共性が求められる公金事業で、本来であれば最優先で保護すべき被支援者を政治活動に繋げた事は
事業内容、ひいては団体の活動理念自体が一般市民の公共性・公益性に反していると認定されても仕方ない。
この点は他のブクマカや増田でも指摘されていたと思うが、本来政治色を最も薄めねばならぬ筈の支援事業で
事もあろうに被支援者(一般市民に含まれる人達)を政治活動に参加させる事は、最もあってはならぬ事である。
「あくまでも自主的に参加しただけ」という言い訳もあったが、支援者と被支援者という権力勾配の関係下において
団体の人間に「参加しよう!」と言われたら、果たして断れるだろうか?
被支援者が断って不利益を被る、と考えてしまうとは思わないだろうか?
ましてや生活困難な若年女性が、その生活を支援されている状況で断固として断る事が出来るのだろうか?
これを「全て問題無い」と言い切れる輩は、党派性エコーチェンバーか公共性の意識に極めて欠けた人間だろう。
政治活動自体は個人の自由ではあるが、その活動を支持しない人間にとっては公益性があるとは言えないだろう。
極端な話をすれば政治活動とはその理念に共感する支持者達だけが享受可能な私益であり公益性からは程遠い。
公金の支出元には、その理念を支持しない人間も当然含まれるからである。
私が与党色の強い政治活動を到底支持出来ない様に、政治的活動・思想を支持しない自由は当然尊重されるべきであり
政治色の強い活動に公金の一部が使われている(疑惑がある)事を容認しない姿勢も同様に尊重されるべきだろう。
会計の問題、疑義についても、公金が入っている以上公明正大な明朗会計が本来は為されるべきではあるのだが
残念ながらその理念に欠けている、または人的資源の問題により達成出来ない諸団体が多いのが現状ではある。
不正というよりは不適切・不適格な会計処理が存在した、というだけの話ではあると思うが
主に政治活動に使用された費用についてはそれは公金なので返金するべき、というのが自分のスタンス。
支援活動と政治活動の境目をなあなあにして不可分にしようとしている(様に見える)点については
個人的には「良かれと思って」やっている事だとは思うが、良かれと思って公共性に反した行為をやって良い訳では無いので
今一度公金、つまり一般市民の税金が使われている自覚を持って、後処理にあたるべきである。
私的な政治活動を団体の活動と繋げたいのであれば、自前の資金でやれば良いだけの話なのだから。
③はColabo及び支持者の主張だが、裁判・住民訴訟を起こす権利は、国民全員に等しく付与されているものであり
何がリーガルハラスメントなのか、住民訴訟の濫用であるかは、法の平等の下、法的に認定される必要性がある。
認定されなければあくまでも一方的な主張であり、その一方的な主張をマスコミを使ってさも事実であると喧伝した事は
法の下の平等の否定、基本的人権の否定、ひいては民主主義社会の否定であるとすら考えられる。
例えどんなに暇空が悪質な人間であろうとも、活動に疑念を感じ裁判を起こす権利、住民訴訟を行う権利は
まるで「何がリーガルハラスメントか濫用かは我々が決める」と言わんばかりの強気な態度は
公共性・公益性が求められる公金事業に関わるべきでは無いし、関わってはいけなかったのでは無いか?
という疑念を強くさせられる。
「良い事をしているのだから良い団体なので何も問題は無い」「良き事をする人達に指摘するのは悪である」
という意見を語るブクマカや増田も散見されるが、まさしく思考停止に陥ったエコーチェンバーに他ならない。
「人の善意は悪意より恐ろしい」という言葉の意味を理解出来ないものだと思われるが
善意だから多少のミスは許せ、公共性に反し被保護者含めた一般市民の公益性に反しても「良い事」だから許せ
というのは、自民党やナチスを盲目的に信用する脳みその無い家畜と何が変わらないのだろうか?
恐らくこういった趣旨の意見を書く増田やブクマカは多いだろう。
「陰謀論だ!」と断定するのは、時期尚早と言わざるを得ない。
そもそも公共性のある問題に対しての疑義を「陰謀論」として片付けるのは
ナチスがユダヤ人の主張を「ユダヤの陰謀」として弾圧したのと同義に思えてならない。
統一教会問題が、山上が最終的事件を起こすまで陰謀論として語られていた事を知らないのだろうか?
北朝鮮拉致事件が「差別主義者の陰謀論」として、有識者や議員までもが堂々と主張していた事実を知らないのだろうか?
ある事象に対する疑義が余程の荒唐無稽では無い限り、真か否かが証明されるのは裁判の判決であったり
少なくとも私には現時点ではかの暇らの疑義が全て陰謀論だと否定する根拠を持たない。(と同時に、全てが真実だと信用たる根拠も持たない)
アノンとカテゴライズし陰謀論者の烙印を押せば全ての疑念が封殺されるのは民主主義の否定に繋がる。
先人達がその血を持って築き上げた市民社会の理を否定する道理があるとするならば、陰謀論を語るものこそその道理を証明すべきだろう。
不可能だと逃げるであれば、それはただの陰謀論を語る陰謀論者でしか無く、余命事件に群がった脳みその無い家畜の群れと同等である。
ネトウヨ版キャンセルカルチャーと言える余命事件には公共性が全く無い一方
公金が支出された事業に対し「公共性(公益性)に反しているのでは無いか?」
例え発端がひょんなきっかけ(笑)であったとしても、実際の行動に公共性・公益性がある以上
それを否定するという事は即ち民主主義の否定に繋がってしまう。
勿論単なる誹謗中傷などは裁判で争って下さい敗訴したら当然の報いを受けろカスとしか言い様が無いが
(そして裁判の結果が確定するまでは 推定有罪で冤罪を発生させた草津事件の再来になってしまう)
その誹謗中傷の中に、「公共性・公益性が求められる団体への疑義」を含めるのは間違っていると考えられる。
公共性・公益性を否定されたのならば、我々の活動には公共性も公益性もあるという事を法的に証明すれば良いだけなのだ。
それをせず、前段階で御用マスコミやしばき隊という左翼版在特会みたいな連中を使って騒ぎレッテルを貼り
あるいは訴訟を匂わせ時には個人情報まで使って威圧し異論を封殺する行為は、権力・権威による一般市民への弾圧そのものであり
これこそまさに、集団による威力業務妨害で弁護士の職務を妨害し、圧力によって黙らせようとした余命事件と同じでは無いか。
マスコミや党派性エコーチェンバー集団を使い大合唱で正当性を主張した所で、単なる迷惑なノイズでしか無く
今まで同様のやり方で正当性を獲得してきたオールド左翼のやり方は極めて公共性が無く公益性に欠ける愚行であるので
悔しいながらも住民訴訟については最後までやり切る事を支持せざるを得ないし
その途上で間違ったレッテルを貼り妨害する愚行も、同様に否定していかなけれなならないのが、リベラリストの苦悩であるとも言える。
党派性エコーチェンバーの下らない反応は予想していたが、概ねテンプレート通りで何より。
右のアホも左のクズも同じなのだが、根拠もまともに示さずにジャーゴンのレッテル貼りを繰り返すばかりでは
サイレントマジョリティからの共感など到底得られそうに無いが、そもそも議論をする気も、議論をしようと試みる理性も無いのだろう。
知性はさておき品性に欠けるのは最近の自称左派の主流になって久しく、リベラリストを自認する者としては甚だ残念である。
過去のネトウヨと同レベルに陥り、失敗したネトウヨが外面を整える事を身につけた結果、相対的に自称左派はネトウヨ以下に成り下がった。
党派性に囚われたエコーチェンバーは知性と品性を貶める証左と言えよう。
アニメ漫画を叩かれてという動機が私怨だから公共性・公益性は無いというブクマカもいたが、これもまた程度の低い人治主義でしか無い。
例えばモリカケサクラ問題を追求した人間の中には安倍首相・安倍夫人に憎悪・敵意を抱いている人間は少なくなかったが
安倍を憎んでいるから不正を追求する事は即ち私怨である、とはならないだろう。
発端がどうであれ実際の行動が公共性・公益性に反する動きを追求する行為から大幅に逸脱していなければ
嫌がらせや妨害では無く(少なくとも法的には)「正しい行為」となる。
正しく無いかどうかは、議論であったり法治主義による判断の結果によって定められるべきである。
藤澤翔馬はあくまでも従犯にすぎず、暇空の莫大な資金に目がくらみ言いなりになって動画制作をしていただけ。
動画の内容自体は暇空が企画立案したもので、そこに藤澤翔馬の意志は介在していない。
藤澤翔馬だけでも許してあげてほしい。
暇空と出会ってしまったせいであんなことになってしまったが、かつての藤澤は好青年だった。
昔、はるかぜ.というグラドルがはるかぜちゃんという愛称を持つ女優の春名風花に「名前をパクられた」「泳ぐ以外で水着を着るとか考えられない」「おっぱいが大きいだけの人」と誹謗中傷されたことがあった。
当時20万人フォロワーのいるインフルエンサーでファンネルをしょっちゅう飛ばす春名に立ち向かえる者はほとんどいなかった。
そんな中で、当時の藤澤はフォロワー100人いるかどうか程度の弱小アカウントだったが、果敢に春名に立ち向かい、はるかぜ.を守っていた。
本来の藤澤とは、暇空のような女嫌い・女憎悪の人間ではなく、大勢に中傷され傷ついているグラドルのためにたった一人で戦うような心優しい青年だった。
春名がブチギレまくり次々とファンネルを送り付けても藤澤は一人ずつ論破し、最終的に春名は発狂して藤澤をブロックして戦いのツイートを削除した。
暇空さえいなければ藤澤はあんなふうにはならなかった。
藤澤に限らず、億の資産を持つ暇空に口説かれれば、大抵の懐の寂しい会社員は落とされてしまう。
藤澤の意志が特別弱かったとか、心根が悪かったというわけではない。
圧倒的な資産差という点で二人の間には権力勾配がある。抗えなかった藤澤は本当に一方的な加害者なのか、被害者の側面も強く持っているのではないか。
生存のためにやること
・嫌いな女の唇を拡大した画像をアイコンにして誹謗中傷を繰り返す垣鍔晶
一応この問題の開始地点は訴状で言われる「あれを炎上させた逆恨み」というのではなく、暇の「ただの絵にそんだけ言うならおめーら後ろめたい部分とかなんにもないやろうな?」ってCがつつかれるところからってのが全体を俯瞰するときに頭入れとかなきゃいけない
自分の整理としては
自分は各種支援活動の支援対象である女性たちについて、多数のオタクたちが遭遇することすら困難だと思うのだが、なぜかイラストが槍玉にあげられる事例が監査請求以前まで頻発していたと認識している
友達ではないオタクは当然仲間ではないとして、大体のショップと職場と家しか行き来しなかったりKomiflo・DLsite・FANZAを周回してるだけの人らが、その趣味だけを根拠として「嫌がられる」ならまあいいが「排斥されるべき」と赤の他人に行動を起こされるのは変なわけだ
フィクションでエロを描いている人に対しての締め付けの強さもおかしいが、これについては現代になって各種研究が揃いつつあるので、この問題と関係なく法整備の体制を憲法や人権と照らし合わせつつ時間をかけて見直すべきだと考える
自分としてはもうまとまっている
ここ最近のジャニーズ騒動は言うまでもないが 自分的にはジャニーズオタクのぶれない
❞好き❞
という一貫性が凄いなあと
作者が炎上したのだの
作品と関係ないところばかり重視して作品そのものから離れるやつが
安いまとめサイトの安いゴシップインフルエンサーの言葉ばかり何故か信じ
自分は間違っていない傷つきたくないとでも言いたいのだろうか
内容だけ見れば炎上なんて言葉が安く感じるくらい人類史上例を見ない性加害事件
事件そのものもジャニーズそのものも叩かれ、なんならそれを擁護してるジャニーズファンまで総出で叩く
ジャニーズのことは一貫して擁護し続け会社名が変わろうとしてもそれを一緒になって盛り上げ
その盛り上がってる様子を周りからけなされバカにされようと自分たちの中にあるジャニーズが
❞好き❞
を徹底して貫いて、
今現在どうだろうか、Twitterでは毎日のようにトレンドに名前が上がり
誹謗中傷していた連中も裸足で逃げていった
外野の都民としては「お金がちゃんとした用途に使われてないのならちゃんと追及して」って感じだったけど追及側で誹謗中傷する人たちがいたからうやむやになってしまった
訴訟の恐れがチラついたりヤフーニュースで「追及側は悪」みたいな空気を作られたら一般人はひとたまりもない
誹謗中傷なんてせずにまともに追及していた人たちもこれで手を引くでしょう
けっきょく強い力には勝てないんだなあ
安倍首相の数々の疑惑も疑惑止まりで強い力にブロックされたらそれ以上はどうしようもなかった
そして逃げ切られた
ああやっぱり今回もそうなるのかあって感じ
なんか、和解条件でインタビュー(つるし上げ?)を受けている「暇アノン」がいるみたいなんですけど、ほとんどの「暇アノン」は警告すら食らってないんですよね。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a626115fcafe95feb9da50ca5b3b6c8e4a61eb3f
それは、もちろん違法ないし不法になるような発言をしていないからで、罵倒したり、真実性と公共性を満たさない名誉棄損となるような誹謗中傷をするような人はごく一部なわけです。
そして、警告を受けていない「暇アノン」である増田はインタビューを受けている彼とは、全く思考が違うということに気づいたんですね。
増田は、暇空とColaboの問題についてはこういう風に考えています。
恐らく、反暇空、反ネトウヨみたいなリベラル人士は「敵は、愚かで邪悪なネトウヨだ」といった確信を深めるんでしょうけど、たぶんそれは一部であって、その理屈で進むと足元すくわれる気がしますね。