「誘導尋問」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 誘導尋問とは

2008-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20080620003423

この3人で遊んでると、誘導尋問形式が本当に100%近く通っちゃうんだよ…。あまりにも通り過ぎるから、

「2人は本当にそれでいいと思っているんだろうか、心では(増田って自分の意見ばっか言って好き勝手やって…強引すぎ)って思われてるんじゃ」

って勘繰って落ち込むんです…。

それで今回「閉じた質問」ベースでやってみようと思ったんだけど、このありさまだ!どうすればいいんだ!!

成田離婚」なんて言葉もあったけど、旅行はお互いのやな所が見えたりして、大変だからね??。

増田は優しすぎて、ちょっとロジカルな子だから、悩んじゃうけど、

誘導尋問で100%とおるのは、二人から増田が信頼されてる証じゃね?

増田と一緒なら、楽しい所につれてってくれるって思ってるから、安心して身を委ね得てくれるんだと思う。そう思おう。

だから、二人のこと気にしないで、楽しんだほうが気が楽だで。

元増田見直して気になったのが、URL出してても見ない人もいる。(パソコンとかなれてない人って、けっこう見ない)

1から10まで説明しなくても、要領よくまとめてざっくり3パターンくらい書いて送るか、勝手に決めるかしたほうがいい。

あんま気に病むな。他人を楽しませることも大事だけど、自分が楽しむことも大事だで。

二人の子と忘れて暴走するくらいの勢いでいんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20080620003423

質問の仕方として、

「開いた質問」と「閉じた質問」と、「誘導尋問」がある。

「開いた質問」は「何処行きたい?」と相手に回答を丸投げするやり方。

最初に目的とかを決めるのに、質問する時には適切。

「閉じた質問」は増田がやってるような、「AとBどちらにするか」というやり方。

多少優柔不断な人には、メリットデメリットも説明してこれをやるのがいい。

誘導尋問」は「●●するんだったらAにしようよ」という動機と絡めて決めつけるやり方。

たぶん友人二人はほんとにどっちでもいい(決められない人たち)だから、勝手に決めちゃった方がいいよ。

で、旅行の時は、「また来た時にこっちも行こうよ」とか流す。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320124915

大元増田は「引っ掛け問題」を増田に書く事で規制論を推進しようとしている工作員(笑)で、

これはそうだと思ってるよ。工作員ってのは大げさだがな。このくらいの誘導尋問は誰でもやるから。

その意見に賛同する(orそうだと件の増田が認定した)書き込みも全部大元増田だと思っているんだろうか…

>この女性と君が別人だとしてだが、

>この女性と君が別人だとしてだが、

>この女性と君が別人だとしてだが、

2008-03-18

日本中世か 中島らも  

日本中世か、というタイトルにしたのは、またもやあちこちで「魔女狩り」が始まりかけているからである。契機となったのは宮崎某による幼女殺人事件である。まずここで「おたく族」がやりだまにあげられた。「おたく族」とは少女マンガアニメの総称である。年に何度か開かれるコミックマーケットのようなものに行って、先鋭化したマニア向けの同人誌などを買いあさる。情報交換などするときに「おたくの場合さあ・・・」といった口調でしゃべるので「おたく族」と呼ばれる。宮崎はこの「おたく族」だったのか、部屋の中に多数のアニメビデオや専門誌を置いていた。こうしたアニメコミックの中ではロリコンものやパロディポルノに需要が多い。人気番組キャラクターを使ってエッチなことをさせる。同人誌の多くははっきりと性器を描いた、完全なポルノである。ロリコンものにしても、現実少女を使うとたいへんな事になるが、アニメコミックですれば問題はさしあたって起こらない。そういう世界では、たとえば8歳の少女セックスメカノイドとの激しいセックスが描かれていたりする。僕もそうしたコミック誌やアニメを見たが、これは確かに立つ。おたく族の青年が、もはや現実女性セクシュアリティを感じなくなる、というのも分かる気がする。ところで、おたく族を現実逃避だの男性性の欠如だの気味悪いだの小太り色白だのと陰口をたたくのは勝手である。そうした陰口は吐いた本人の品性の貧しさをあらわすだけで、実際に論陣を張れば、シャープで理知的なおたく族の前ではひとたまりも無いだろう。おたく族というのは実際、一本のアニメをより理解する為にフィリップ・k・ディックから南方熊楠までまで読んでしまうような、そういう人種だからである。ところがここに至って、宮崎某がおたく族であったという事実が、世のおたく族嫌いを有頂天にさせているようだ。「宮崎おたく族」であっても、この場合逆もまた真なりとはならない。正しくは「宮崎おたく族のうち一人」である。しかし、魔女狩りをする群集には理も否もありはしない。現実にあるロリコンアニメをつきつけては、どうだどうだと迫る。「おまえも、こんなことしてみたいといっつも思ってるんだろうが、えっ!?」

もちろん彼らはそう思っている。思って思って自分と戦った結果、道義的責任のないアニメ世界に安住場所を見つけたのである。

二次元世界しか欲望の対象を持たない彼らは、およそこの現実世界では一番犯罪を起こしにくい人種なのだ。嘘だと思うなら、この世の中からロリコンアニメをすべて撤収してしまうといい。その場合、幼女姦が増えるかを統計的に見れば分かるはずだ。その場合、幼女姦が増えたとして、その責任は誰がどうとるのか。同じことがホラーに対しても言える。宮崎の事件を契機にしてスプラッターホラーへの抑圧が始まっている。これはやはり宮崎の部屋に「ギニー・ピッグ」のシリーズが置いてあったことに端を発している。「ギニー・ピッグ」は僕自身は最初の一本目と、シリーズ中の「ピーター悪魔の女医さん」というのを見た。ピーターの方は大笑いのブラックコメディ集である。一本目の方は監禁した女の子をなぶり殺しにする過程をビデオに収めた、という設定で、アメリカに実際ある「殺人ビデオ」の雰囲気を出そうと苦労している。スタッフは苦労しただろうが、見ているこっちはうそ寒くて鼻で笑うしかないような作品だ。

しかし、世の中で事件が起きると必ずこの手の反動が起きる。「ギニーピッグ」をかばうわけでも何でもないが、犯罪が起きるとマスコミはその犯罪の尻をどこかに持っていってつじつまを合わせたくなるようだ。知能犯罪が起きれば犯人本棚からその手口のもととなった推理小説を探す。その結果、著者がコメントを求められて、「私の小説が動機となったのなら、残念なことだ」と述べたりする。

この場合「動機」は小説ではない。「金ほしさ」である。僕がもしこの作家の立場に立たされたらはっきりとこう反論する。

犯人の反抗に対して私の作品が与えた因果関係を、誘導尋問によらず自白させてほしい。その上でそれが犯人の自分の犯行に対する他への責任転嫁ではという、なんらかの証明をしてほしい。加えて、犯人がもし私の作品に接していなければ犯行に至らなかったどうか。なぜ私の作品に接した多数の人間の中で、”犯人以外の”大多数は犯行に至らなかったのか。それを説明してほしい」

ロリコンものの場合も、一般のポルノの場合も、スプラッタホラーの場合も同じことである。何らかの表現行為に起因して犯罪が起こるというのは空論だ。すべての表現、たとえそれが芸術的に無価値な、便所の落書きのようなものであったとしても許容されなければならない。ただし、見たくない人は見ずにすむという「自由」の上においてだが。そういう意味ではスイッチを押せばどんな画像が出てくるか分からないテレビなどのメディアは、この条件を満たせない。しかし、映画ビデオや出版物はそうではない。パブリックメディアとパーソナルなメディアを混同されては困る。その上に、異常者の犯罪と表現メディアを対にして考えては困る。そして、もっともっと困るのは、犯罪者とその家族をいっしょくたにして考えられることだろう。それこそ中世の「一連托生」の考え方なのだが、マスコミはそうした前近代的なことを平気でやってのける。今回の宮崎の事件にしても、僕は某誌の「誰も書かなかった真実」なるレポートをみて驚いた。

そこには宮崎のおじいさんの代にわたって家庭内のことが掘り起こしてあったのだ。おじいさんに愛人がいて夫婦仲が悪かっただの、お父さんの性格が「お調子物」だの、etc。そうした家庭環境が犯行の遠因になっていたかのような書き方だが、それはレポーター大義名分に過ぎない。本質的にはこうした家人のことというのは「ご近所のヒソヒソ話」であって、オフィシャルに出されるものではない。犯罪者の家人だからこそさわってはいけない。殺された子供の親同様、この人たちもいやされようの犠牲者であるからだ。それをじいさんの女関係までさかのぼって掘り返すとはどういう神経なのかと思う。こんな事件のせいで、おたく族もホラーファンも犯人親族も大迷惑をこうむってるわけだが、少なくともこうしたことだけは宮崎一人のせいではない。人間の中の魔女狩りの古い記憶、「はらい」や「みそぎ」の感覚、ならびに窃視願望がこうした見当違いの弾圧を起こさせるのだ。「時の勢い」というのは恐ろしいものだから一度はずみのついたこうした力は加速度持っていくことも考えられる。ホラーアニメ誰かさんの総チェックを受けるようなことにになるかもしれない。

人間とはどうしてこう干渉や規制が好きな動物なのだろう。人の楽しみはほうっておけばいい。禁止しても放置しても、犯罪は起こるのだ。

2008-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20080315214501

その調査の誘導尋問じみた調査方法は問題があり散々ツッコまれていたのを知らないのかね。

それはそうと成立する危険性が高いことには同意。

世の中には思ったよりもバカが多い。

表現の自由の大切さとか、ちゃんと啓蒙できてればこういう動きも出ないのかもしれないが、残念ながら人々の意識は低い。

2008-01-16

裁判リテラシー講座第二回 棄却? 却下?>

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回

コンセプトは、ニュースなんかで裁判の話が出たときに、そのことをきちんと理解して、

その内容を適切に評価する能力の涵養、です。

棄却却下

よく民事裁判ニュースなんかを見ていると、

「請求が棄却された」という場合と「請求が却下された」という場合があることに気づきます。

また、法廷ドラマありがちなのが、弁護人が「誘導尋問です!」(ざわざわ・・・)と発語したのに対して、

裁判官が「異議を却下します。」(ぐにゃー)なんていうシーンがあります(刑事の場合。実は民事ではフリーパス)。

でもあれ、棄却却下って、なにが違うんでしょうか。

請求が却下された、棄却された

先の通り、これは民事手続での話です。

これは、原告が求めている請求がどうなったかという裁判官の終局的な判断、つまり判決の内容なのです。

ちゃんと判決主文に記載される事項です。それぞれ却下判決棄却判決といいます。

これに対し、請求が通った場合、つまり勝訴した場合は認容判決といいます。

では、却下判決棄却判決では、なにが違うのでしょうか。

却下判決は、訴訟を提起するのに必要な前提事項(訴訟要件といいます)が欠けていた場合に出されます。

訴訟要件とは、裁判費用を納めていることとか、実際に原告存在することとかです。

基本的に、備えていて当たり前の、手続き上当然に要求されるモノを欠いている場合です。

一般的な用語法として、「却下」には「問題外」的なイメージがありますが、まさにその通りなのです。

訴訟要件とは、こういう問題外な訴訟を「門前払い」にして裁判所の負担を減らすためにあるのです。

なので通常、こんなアホくさいマヌケな判決ニュースにはなりません。

しかし!! 特別法によって、この訴訟要件が厳しい訴訟があります。第一回に簡単に触れた「行政訴訟」です。

行政事件訴訟法では、行政の運営を円滑にするために、原告となれる資格を絞ったりして問題外な訴訟の範囲を広めているのです。

ですが、問題外の部分が広くなり過ぎると、国民の権利が守られなくなって不当です。

なので行政事件の訴訟要件について解釈をした判決には、それが却下判決であっても注目が集まるのです。

難しい話になるので具体的には述べませんが、興味のある方は「小田急判決」について調べてみてください。

棄却判決は、前提事項は満たしたものの、その請求自体が認められないものだった場合に出されます。

棄却判決は、訴訟要件を満たした上で、請求が成り立っているかどうかの判断にNOを突きつけるものです。

たとえば、金返せという訴訟で、ちゃんと手続は踏んだけど、「そもそもお前貸してねーだろw」という場合です。

請求権そのものが成立しない場合でなくとも、すでに返していた、時効に掛かっているとかの理由でも棄却となります。

要するに、「請求している権利が不存在であったり行使が禁じられていた場合」です(請求に理由がないと表現します)。

一般に言う敗訴判決といったらこれを指す場合が多いです。

また、一部認容・一部棄却判決というのもあります。

500万円の貸し金のうち、200万円はすでに返済されているので、300万円に限って認容します、というようなものです。

この場合は一部勝訴ないし一部敗訴と呼ばれます。

刑事の場合は、マニアックですが、棄却判決無罪判決却下判決は免訴・公訴棄却などに対応しそうです。

なお、「上告棄却却下判決」というのは、ここでいうのとちょっと性質が異なる(しかもややこしい)ので、

項を改めて説明したいと思います。

異議を却下します

民事に限らず刑事においても、訴訟に関する裁判官の終局的な判断を判決と言います。

しかしながら、訴訟内においても細かい点で裁判官が判断することがあります。

上記に上げた誘導尋問(刑事)かどうかの判断や、訴訟に補助参加させるか(民事)どうかの判断などです。

これについては、裁判官は「決定」という手続で判断を宣告します(命令ってのもありますが省略)。

基本的には判決の規定が準用されるのですが、いきなり宣告していい、不服申立の手続が異なるなどの細かい違いがあります。

そして、この「決定」についても棄却却下があるという寸法です。

民事においては、上に述べたことがそのまんま当てはまります。

しかし刑事は問題です。なんと棄却却下が、「門前払い」か「理由なし」かでごっちゃになってます(!)。

たとえば再審請求について、法令上の方式に違反する場合、却下となりそうなもんですが、決定で棄却することになってます(刑訴446条)。

もちろん、民事のような区別をしているところもあるにはあります。見分けるには、条文を見るしかないです。

誘導尋問の例を振り返ってみましょう。

証拠調べに対する異議申し立てに対する判断は、刑訴規則205条の4以下に規定されています。

それを見ると、民事と同様で異議に理由がないときは棄却、異議が遅延目的など不適法なときは却下とされています。

そうだとすると、ここからは実務の人間でもなんでもない者の一見解ですが、

「適法に異議を述べたが、違法な誘導尋問には当たらない」という場合には、その異議は、

ドラマでよく見られる「却下」ではなく、「棄却」されるべきなのではないかと思われるのですがどうなんでしょう。

テレビ的には、裁判官が強権的なさまを演出するために「却下」と言わせてそうな気がするんですが。

誰か詳しい人いたら教えてください。

2007-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20071026212159

なんだか結局言わされてる気がしてるんですが、あんたらは誘導尋問のプロですか。

ジャニゴスは外れました

同人コスプレです。

つまり三次元に興味がないっていうよくあるパターンのやつですよ。

2007-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20070805005556

それでホントに人間幸せになれるんだろうか。

金しか目標の無かった人間が金だけ儲けて金にあかせて醜いことを色々してるのを見て、本当に羨ましいかい。

オッサンの世代の人間が「金じゃなくて夢を持て」と言うのは、結局金しか価値観がなくてその結果金儲けできても金に振り回されて駄目になった人間を沢山見て知ってるからであって、彼らが「現実に目を背けてる」のは現実を知らないからじゃないと思う。金が汚いものだから「金は汚い」と言ってるんじゃない。人間それ自体が汚れていると考えるからこそ、まだ駄目になってない人間に「キレイになれ」と言いたくなるわけなんだよ。

なぜ「金持ちになりたい」という目標だけ、そんな事まで突っ込まれるのか。

幸せになれるか?そんな事は人それぞれで、夢を追いかけたら幸せになれるとも限らない。金持ちになれて幸せになれるかもしれない。

金儲けできてもダメになった人間もいれば、夢を追いかけすぎてダメになった人間もいる。それもまた現実。仮に彼らは実は現実を見ているからこそだとしよう、それならばなぜ、片一方の現実だけについて言及するのか?

結局、「金は汚い」と思っているからだ。

そもそも金が欲しい、とか、そういう正直な欲望を、俺は汚れていると思わない。夢を追いかけるほうがより高尚とも思わない。どちらも同レベルだ。どちらも「そうしたい」という欲望なのだ。それを、金が絡むときだけやたらに、憤り、悪いけど君も、「金しか目標の無かった人間が金だけ儲けて金にあかせて醜いことを色々してるのを見て、本当に羨ましいかい」などと、公平でない、悪意のある誘導尋問(君は自然にやってしまったのだろうが)をしたりする。

そもそも、「金持ちになりたい」というのも「夢」なのだ。そこを分離している時点で、既に「そういう目」で見てしまっている証拠なんだ。前提として、「金持ちになりたいなんてのは汚い欲望」そんな辺りの感情が入ってしまっている。自分の好みで、人の目標を高尚かそうでないかに分けている。スポーツ嫌いなオッサンが、「何?スポーツ選手になりたい?あんなもんになってどうする、呆れたね、それよりもっと学者経営者とかを目指すべきだ、全く今時の若者は云々……」と言っているのと同レベルなのだ。

金持ちになりたいなんて不潔、汚い、不純だ、と思うのは勝手だが、それは自分の好みで相手の目標を高尚かそうでないかに分けているだけだということに気付いていないのが問題だ。それも学生に対して教師(だっけ?)がそれじゃ、問題だろう。

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