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はてなキーワード: 評論とは

2024-01-25

漫画将太の寿司

・これは国民の息子

・百目の辰、将太くんのこと好きすぎ

 みんな将太くん大好きだが特に好き好き勢

・将太くんがみんなにしゅきしゅきされるのは

 主人公補正でなく与えよ、さらば与えられんなのが

 いい…

・お店潰し評論おじさん、お茶ミス指摘したあと

 「また来る」なの草 もう将太くんのこと

 好きになっちゃってるじゃん…

・将太くん、天使…?

きれいな笹木

・本編もさながら過酷ヒロインレース

 目を離せなかった

 ヒロイン多ない?

 同郷幼馴染悪役令嬢ヒロイン笹木

 ギャルゲ友達お助けキャラヒロイン辰さん

 切磋琢磨ライバルヒロイン佐治さん

 恵体質実剛健やや天然ヒロイン大年寺さん

 ツンデレヒロイン鶴江さん

・最終戦の「将太は来る」の佐治さんのヒロインカンストしてた

 

・一番面白かったとこ鶴江おじさんが弁当即落ち済みコマ 次に佐治さんが最終戦築地を「ドン」ってアクション漫画みたくスタートダッシュきめるの面白かった

・ダレることなく駆け抜けていった…

2024-01-17

何故増田ブログtwitterを読んでも読解力や語彙力が上がらないのか?

ちなみにラノベとか評論とか読むと読解力が上がる。普通の本も。

2024-01-15

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

ブルマー増田まとめ、その5。それから少しだけ返信。

返信

質問文は原意をくんで変更してある。

記事面白かったので令和6年能登半島地震さらに1万円募金した。

そうおっしゃっていただけると大変ありがたい。

これだけでブルマー増田として記事を書いてきた甲斐があったというものだ。

コミケ評論系の同人誌として出せば手堅いのでは?

実はコミックマーケットには行ったことが無い。

前述のエロマンガソムリエの友人も実は評論島に足を運ぶらしく、全国のエスカレーター機器分析だとか、その土地ならではの文物を記録した優れた同人存在を教えてくれた。また、先行研究としてはこちらがある。

ブルマーの歴史・改訂版 [オペレーション・ボックス(しづみつるぎ)] オリジナル - 同人誌のとらのあな全年齢向け通販

ウィキペディアに載っていないような、英語圏共産圏ショーツ型のブルマー分布について論じているのも、自分だけだという自負はある。

ただ、自分コミケで出店することはあまり考えていない。

単純にブルマー増田の素顔・正体を見られたくないというのもあるのだが、そもそも売り物にするだけの水準に達していないと考えている。確かに書き溜めてきた量はそれなりになるが、例えば事実確認がいい加減だ。

また、出版するならば引用元サイト画像転載許可を願わねばならないが、これも膨大な量になる。

それを考えると、無料で公開している現状がいいのではないか

もっとも、はてなという企業に万一のことがあれば、この研究というか随筆を誰も読めなくなってしまうのは損失かもしれないという、迷いはゼロではない

韓国ブルマーについて扱った記事で)アフリカ文化を紹介すると称して、トップレスで釣っているyoutubeチャンネル批判しているが、タイトルに「おっぱい」を引用し、そのくせ対して議論を深めていない貴君も同罪ではないか

雑談のつもりだったのでそういう意図はなかったが、言われてみればその通りだ。

やりかたが不適切だったかもしれない。異国の文化なのでもっと敬意を持って扱うべきだった。謝罪したい。

トップレスについてはいずれ真面目に考えてみたいと考えている。

自分海外で何度かヌーディストビーチ混浴サウナ経験があり、性的でない裸体を実践してきた。その点でも大変興味がある。隠せば隠すほど性的視線を向けたくなる一方、全裸でも堂々としていれば爽やかだというのが実体である

ところで、次項にまとめた表や、過去ブルマー増田まとめを見ていただくと、実はブルマーだけについて議論した記事よりも、ブルマー以外のものについて語っている記事のほうがブクマは伸びている。

露出度が増えれば増えるほど伸びているのだ。

特に100以上のブクマを稼いだのは、デビュー作のインパクトがあったイギリスのブルマーを除けば、手塚ブッダのおっぱい陸上ブルマー(ビキニタイプ)それからビーチバレーのビキニ記事である

まとめ

投稿記事ブクマ
2023/5/23ソ連のノーパンブルマー少女3
2023/6/29体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより14
2023/7/10エアロビのレオタードとタイツ、60年代から90年代まで12
2023/8/28anond:20230828074847(無題)1
2023/12/28スイスのブルマーと各国のブルマーの呼称、VtuberとパンチラMV18
2024/1/4韓国のブルマーについての短信、あとアフリカのトップレス92
2024/1/8ブルガリアのブルマー、台湾とルーマニア、手塚漫画と少女漫画39
2024/1/11チェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマ男の子ブルマーについて書いた)2


一旦ここでまとめておこうと思ったのは、たとえば旧ユーゴスラビアブルマーを調べても、画像があまりヒットしなかったので段々面倒くさくなり、ここで区切ろうかという気持ちになったからだ。

はじめのうちは、旧ユーゴスラビアブルマーについてまとめて書こうと思っていたのだが、独立した七か国について並行して調べているうちに目移りしてしまい、調査が体系的に進まなかった。

また、前回はバルト三国をまとめて記載してしまったが、本来は各国の体操着の変遷については一か国ごとにまとめて記事を書くべきだろう。以前はポーランドチェコドイツブルマーについては記事独立して記載している。歴史はそれだけの深みがあるはずだ。

しかも、考えてみれば、旧ユーゴスラビアコーカサス地方の国々については、そもそも地理歴史ほとんど知らない。バルト三国東欧諸国二十世紀歴史を扱った書物で多少聞きかじっているし、その国ごとのイメージや著名な出身者を思い浮かべることをできるが、前述の国々についてはそうではない。旧ユーゴスラビアと聞いて最初に出てくるのがチトーミロシェビッチだ。あとはドブロブニクくらい。

その国のブルマー事情について調べる前に、まずは当該地域の基礎知識を身に着けるべきではないか。それが礼儀ではないのか。

あと、コーカサス地方では文字ラテンアルファベットキリル文字でもない。自動翻訳に書けるので困らないのだが、キリル文字ギリシア文字を知っていると読みが推測できる一方、アルメニアジョージア文字は全く推測できないので心理的な壁を感じる。

調べていない国もまだたくさんあると気づいた。

ベネルクス三国デンマークもまだだ。オーストリアについてもドイツの陰に隠れてしまっている。

しかし、膨大になるのでいったんここで一休みだ。

これくらいの数で区切ったもう一つの理由が、記事なら見返すときに便利だからだ。

あと、最初のうちはanond:でリンクを貼れば、http:のようにリンク制限に引っかからないと気づかず、8~9個でまとめていたのだけど、その名残り。

検索に使ったキーワード

途中経過のもの

スロバキアスパルタキアダ

https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek

旧ソ連ブルマー動画ベラルーシブルマーを探していたら見つかった動画

https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU

クロアチアブルマー(ただしバレーボールなので学校体育とは違う)

https://www.redbull.com/hr-hr/stvari-koje-moras-znati-o-odbojci

今後の展望について

はっきり言ってわからないことだらけだ。

そもそも各国のブルマーがどんな素材でできているのかはあまりわかってない。

また、色合いについてもあいまいだ。意外と白黒写真が多いため、例えばドイツブルマーが黒だったことは文章からわかった。画像が荒く、提灯ブルマーショーツブルマーかはっきりしないことも多々ある。

国によっていつからいつまでブルマーだったのかも、正確な数字はわからない。

日本国内でさえ地域差があったのだからはっきりしないのは当たり前かもしれないが、日本ほど体操服の変遷を記録しているのは英語圏くらいしかない。

ブルマフェチいるかどうかという問題だけでなく、その国の歴史をどれくらいアーカイブ化しているか、また、その国のネット利用者数や総人口という問題ともかかわっていそうだ。実際、人口が数百万規模の国だと検索してもヒット率が格段に落ちる。数千万規模の国とは格段の違いがある印象だ。

あとは、以前にちらりと新聞広告SNSなどで調べたいとも書いたのだけれど、それ以外にアーカイブ資料を使いたいと感じている。

実際、韓国のブルマー写真は「Korea Democracy Foundation」というNPO画像だし、ポーランドの場合ポーランドポズナンデジタルアーカイブだ。

しかしたら各国のデジタルアーカイブが、ブルマーについて調べる良い資料となるかもしれない。

あとはdeviantartフェチの人のつぶやき

各国のブルマー事情を考えると、アメリカだとバスケットボールときブルマーだったという証言があるし、バレーボール部もブルマーだったようだ。つまり、同じ体育の授業でも内容によって服装が違っていた可能性がある。

実際、国内でも創作ダンスの授業でレオタードだったという例もあるようだ。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14254151119

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12227793622

まり、例えばバレーボールではブルマーが広く使われていたが、それが体育の授業一般ではどうだったかははっきりしない。バレー部がブルマーでも授業は短パンってこともあるだろう。

個人的には、バレーボールだけの画像積極的に探さなかった理由がそれだ。自分が知りたかったのは、ブルマーが体育の授業の制服として使用されていたかどうかだった。バレーボールで検索すると、プロ選手画像がヒットし、学校教育での実態がわからなくなる。

最初調査理由がそれだった。ときどき、何のために調べていたのかがぶれてしまうので、そのあたりは気を付けたい。

一旦ブルマーを休んで、へそ出しやトップレスヌーディズムについて調べてもいいだろう。

というか、いい加減にネットだけの調査だけでなく、書籍で調べるべきなのだろうが、積んである本が多すぎる。

それにしても、ブルマーに対する執着の根っこにあるのが、小学生時代に憧れていたお姉さんの、パンツのようなハイカットブルマーだとしたら、初恋? をこじらせ過ぎである

過去ブルマー増田まとめ

バズる増田の書き方と、ブルマー増田のまとめ

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

ブルマー増田まとめ、その3

ブルマー増田まとめ、その4

スペシャルサンクス

anond:20240108080849

今気づいた。

ブルガリア語のキーワードについてかなり突っ込んで考察してくださっている。

やはり熱意のある方の増田は読んでいて嬉しくなる。

それに、過去投稿にも言及していただいている。

時間を見つけて精読させていただく。

深く感謝申し上げます

トップレスの民族はフツーに現存するやんけ anond:20201102080505

こちらも。感謝感謝

以上。

2024-01-14

anond:20240113212025

家族彼氏彼女料理お菓子作りに凝り始めた時は「頑張って作ってくれたから褒めよう、お礼を言おう」と考えるより評論や採点をするイメージで考えた方がいいよ

評論といっても、「こういうところが美味しいと思った、この部分は前回に比べてこう良くなったと感じた、この部分はこう改善した方がいい」といった課題点や長所分析した具体的な感想を言うよう気をつけるだけだけど

私も娘がYouTube見てお菓子作りをするようになったか赤ペン先生気持ちでここが良いここがダメを都度しっかり考えて伝えるようにしたら1年で驚くほど上達したよ

2024-01-13

漫画アニメ評価に対して「売れているものが良いものだ」とか「覇権」とかいう言い方が幅をきかせるのは、漫画アニメ評論してその位置付けを行う、権威となる評論家の不在、評価の中心点が無いことが影響してるんだろうな

まぁそれが無いことによって自由に読んだり見たりすることができるという面もあるだろうが

2024-01-12

コミケ女性けが相性が悪い話

https://togetter.com/li/2293203

この方はn=1としてC99の体験の話をしているけれど、C99に限らず直近のC103(冬コミ)まで参加して相性悪いよなあ、と思ったので書こうと思います

C99に矮小化してしまってるので、「あの回は特別で他のジャンルも似た感じだった」というコメント散見され、自分もそこを加味してしまうとよくないなあ、と思ったのと、

どう考えてもブコメ100字で足りないので。

書いているのはC100まで女性向けサークルサークル参加(と日によっては一般参加)、以後は一般参加のみの人です。

また便宜上女性向け・男性向けという呼び方を使い、比較として現在女性向けの主流である赤ブーブー主催イベントの内容を書いています

あくま個人見解であり、これもまたn=1の話というのは念頭に置いておいてください。

まず筆頭として「午後チケット」というもの女性向けと相性が悪すぎます

公式によると午後チケットの人は12時30分から入場とありますが、C103は午前チケット11時頃着の12時頃会場入りできたので、実際はもう少し後だったのではないか、と思います

Togetterコメントなどにもありますが、女性向けサークル撤収が早い傾向にあります

これは

・アフター(打ち上げ聖地巡礼等)がある

飛行機新幹線・家(子を預けている、帰省する等)の関係

特定ジャンルCPのみを買うので一般参加者が長居しない

という理由がよく挙げられますが(最後男性向けもそうじゃないかと思いますが)

・搬出で並ぶのが大変

というのもあります

マンレポでも「箱を持って並んでいたが台車に乗せてもらえて助かった」というのは鉄板投稿内容です。

https://www.comiket.co.jp/info-a/MR/mr.html

箱1個でも本(紙)がみっちり詰まっていると重たく、腕力のない女性は搬出大変です。それを抱えてずっと並ぶのは結構きつい。

コミケの搬出は並びます。この辺りも過去マンレポを参照してもらえると明白なんですが、閉会間際に出そうと思うと1時間は見込まないといけなかったです。

なので、早めに撤収し、列が出来る前に搬出してしまいたい、というのがあります

昔はウエストウイングもHakoBookもなく、翌週にある赤ブーブーのイベント搬入クロネコヤマトのみというものあり、長蛇となっていました。しんどかった。

赤ブーブーは現在セルフ出荷といって予め専用伝票を受け取り、それを貼った箱を搬出場に持っていって渡して完了というシステムがあります。すごく楽です。

長くなりましたが、「女性向けの場合撤収が早い為、一般参加者の中で午後チケットという選択肢は除外されてしまう」という話でした。

次いで一般参加者が多いというのがあります

それはそうだろう、と言われそうですが、赤ブーブーのイベント現在でも10時開始で遅くとも12時には一般待機列はなくなります

規模が小さいイベントだったけれども、一番早かった時は10時30分に一般待機列が解消していた記憶があります

コミケも以前は12時~13時頃にはフリー入場になっていたと思いますが、現在上記の通り午前チケット・午後チケット別で並ばなければいけません。

並んでも買いたい本があれば別ですが、女性向けサークル数も減ってる現在ではちょっと遊びに行く程度では参加がしにくくなっています

それならば通販を使って並ばず確実に手に入れたい、となってしまうのも道理です。

また、コミケ一般参加者は男性の方が比率が高いです。少し古い情報ですが、下記の資料が公開されています

https://www.comiket.co.jp/info-a/C81/C81Ctlg35AnqReprot.pdf

女性けが減った今では更に男性比率が増えているのではないかと推測出来ますが、それは一度おいておきます

もうこれはどうしようもないですが、それが参加者がほぼ女性の赤ブーブーのイベントと比べて忌避される理由になります

何故か。「男波」というものがあるからです。

個々の体格差問題ではなく、女性1000人より男性1000人の方が質量が大きいです。またパワーもあります

一般入場列が来ると机が揺れます。揺れるだけならいいですが、ずれます。机上の本が落ちます。押さえていても負けます

「走らないでください」と言われてもお目当てを目指して早歩きになるし、あちこちに方向転換することによってえらいことになります

また、一般参加で動くにも男波に揉まれると移動が大変です。容易に埋もれます。あとリュックが顔に当たります

それと抽選というのもコミケを避ける要因になっていると思います

ただでさえお盆年末なのでスケジュールのやり繰りが必要になるのに、当落が出るのは1~2ヶ月前です。

C103ですと12月30日31日の開催で1110日に当落が出るスケジュールでした。

シフト制の職の人はもうシフトの締切後かもしれないですし、遠方の場合は繁忙期なので新幹線飛行機ホテルを早く手配しなければなりません。

また、予約を万全にしておいても落選していたらキャンセルをして行かないということも充分あり得ます

一方赤ブーブーは基本先着順で、満了近くなるとSNSサイトで告知もあります。申し込めば不備などを除きスペースは用意されます

まり申し込んだ時点から参加に向けてのスケジュールなどのやり繰りが出来るのです。

スケジュールといえば盆・年末という日程がそもそも無理という人もいますジェンダーバイアスになりますが嫁仕事というやつです。

逆に「コミケは申し込みから日が長いかジャンルスパンが短い女性向けにあっていない」ということについては懐疑的です。

例えば2024年6月に開催される赤ブーブーのイベントがもうすぐ満了と告知されています

こちらは募集スペースが倍になってからの早期満了であり、特定CPジャンル)のみのイベントです。

https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1739187539360260448

https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1744545230106599600

ジャンルスパンについても昔は男性向けの方が短いと言われていた(「クール毎に嫁が変わる」など)ので、差はないと考えています

つらつら長くなりましたが、元々C99以前から女性向け参加者が減っていたところ、更に追い打ちとしてチケット制で更に減ったというのが個人的な意見です。

減ったのはサークル参加者が先か、一般参加者が先か、については不明ですが、因果スパイラルになって減っていっていることは確かだと思います

ではコミケはこのままでいいのか、ということについては個人的にはこのままでいいと思っていますし、今更女性向け参加者を増やすことは難しいでしょう。

かにコミケと赤ブーブーのイベントでは空気感も違いますし、評論系の同人誌などは後者ではあまりありません。

しかし、コミケは規模が大きくメディア露出などもしていますが、いってしまえば同人即売会の一つです。

先述の評論系ならば「文学フリマ」「おもしろ同人誌バザール」「コミティア」、さら特定ジャンルに絞れば「技術書同人誌博覧会」「めしけっと」などのイベントもあります

なんでも一強の時代というのは長く続きません。色々な同人即売会存在し、それぞれが盛り上がっていた方がいいのでは、と個人的には思います

(なお女性けが赤ブーブーの一強になっているのはちょっと懸念していますがそれはまた別の話)

2024-01-10

anond:20240110220807

簡単パスしないでくれ

文句だけ言ってフリーライドするのは今日でやめにするのだ

スクレイピングツールoctpusで「https://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F2022&sort=count

スクレイピング

②①をgoogleスプレッドシートに貼り付ける

ブクマ数上位から下記増田を削除して、50件とか100件ほど増田文学ぽいのを厳選する

 記事が消えているもの

 批判ばっか

 アンケート

 お役立ち情報が強いもの

  例)投資IT家事やら

 短文質問いかけ系

 政治色が強いもの

④これ排除したら、タグが「増田文学」って付いてるのを拾う

⑤もう一度見直して、明らかに文学じゃねーな、ってのを削除

 評論とか、個人体験記的なのが残っているはず

見出しブクマ数、カテゴリー、備考を載せて整形チェック

 タイトルが表示されないものは備考に適当記事タイトルを付けてやる

 ※この作業はなくてもいいか

⑦表になるように増田に貼り付けて確認

おしまい

2024-01-07

anond:20240107145636

これを書いた増田40歳前後だな。

大学は人文系学部卒で、卒業後はマスコミ系の正社員就職だろ?

でも現役ではなく、もう辞めて別業界で働いてるだろ?

現役で働いているのなら、たとえ匿名とはいえ大御所芸人評論をするのは気が引けることだろうからな。

日曜日イオン漫画を買いに行った

昨日、博多駅丸善ユリイカpanpanya特集号とpanpanya漫画を買いに行った

panpanya漫画大分前に全部手放してしまたから、買いなおして評論と読み比べながらニヤニヤしようと思ったのだけど、漫画の方は一冊も売ってなかった

バスターミナルの方も行ってみたけど、こちらも一冊も置いてなかった

仕方ないのでユリイカだけ買って、今日地元イオンヴィレッジヴァンガードに行くことにした

久しぶりに渡るイオン建物二つをつなぐ陸橋は塗装が剥げたり、階段部分の金具が錆びたりしていて時の流れを感じさせた

陸橋を歩く間に祖父母小学生くらいの子供という組み合わせにのみ二度すれ違い、60歳で第二次性徴来る世界みたいだって思った

建物の中に入って、エスカレーターに乗った時にそば硬貨を入れて動かすタイプマッサージチェアが3つ並んでいた

頭まで覆いかぶさるタイプ近未来的なデザインのやつで、見たままをいうと宇宙船の操縦席みたいなやつ

三席とも埋まっていたんだけど、一番右端の席の人が気持ち良すぎて眠ってしまったのだろう

ももの上とかに置いていただろう、アクエリアスペットボトルオロナミンCを床に落としてしまっていた

陶芸体験をやっていて、子供たちが手を泥だらけにしているのがエスカレーターから見えた

人があまり集まっておらず、ショッピングモールの煌々とした照明とつるっつるの照り返しのある床の間での陶芸は少し異質に思えた

清潔感を保ちながら誰かの生活になじんでいるイオンには、子供時代に読んだSF小説で描かれた未来生活感を少し思い出した

他に目的もなかったのでヴィレッジヴァンガードpanpanya漫画数冊と座薬みたいな見た目のソフトキャンデーを買って帰った

ユリイカを読んだら、panpanya漫画って私小説な感じとか、写真から風景を起こして書いている感じとか、水木しげるとかつげ義春の影響あるよねとか書いてあった

路上観察とかの赤瀬川源平系譜だと思って読んでいたので、そういう考え方もあるかと思いながらパキッとソフトキャンデーの皮膜を奥歯で噛んで潰してねちっこい甘さを味わった

浅野いにお写真加工で風景作っていたよなと思い出し、手で書かれているか加工しているかの違いこそあれ、ヴィレッジヴァンガード風景写真元な漫画を好んで置く習性があると思った午後だ

2024-01-06

anond:20240106074429

おー。今年行けなかったけどワシは評論島でたいして興味のない同人誌を買う人間でな。

どうやらここ何年かは全体的に表紙買いが減ってるらしいからこんなだろなあって思ったんや。

遅刻して2冊なら3、4冊くらいポテンシャルあったんちゃうか。

(評論同人誌は遅い時間から売れ始める傾向があるらしいが)

2024-01-02

anond:20240102200907

あんなどうでもいい論争?に時間を使って評論してる連中の気が知れない

文字通り時間無駄と思う

2023-12-26

anond:20231225152405

追記

非常に氷河期的なナラティブを、氷河期よりも30歳年下で全く別の体験をしてきた今のティーンに寄り添うつもりで押し付けながら、

今のティーン向けに生きづらさや克服や救済を描いたつもりでいるのがおかしいって言ってるんです。


じゃあもう見なきゃ良いじゃん。否定すりゃいいじゃん。バカかね。


あのさぁ。作品づくりってのは「ソイツの人生の中での体験」でしか作れないんだよ。

オマエみたいな甘ったれ平成キッズ(笑)の端っこが作るものが「何かを捉えられる」なんて思えないんだよ。

オマエラの世代だけだろ、それ分かるの。オマエラ人口比率マイノリティなんだぞ。


人口の話=売上の話なんだが、オマエラはそういうとすぐに「本質じゃない!」って発狂するけどな(発狂理由は分かってるオマエラだって多数派に勝てないって本質的に分かってるからだろ)。

人の心にリーチするには、数が必要なんだよ。「オマエだけ」なんてのがメディアであっていいわけねぇんだよ。

メディアに乗っかるコンテンツ本質は多数にリーチして、その上でマイノリティの心に刺さった上、多数派から面白かったね!(俺の物語だ!)」って思わせることなんだから

バカリベサヨLGPTQ+共はすぐ「物語簒奪するな!」って言うけど、そういうもんだよ、多数派に刺さるってのは。オマエの物語じゃねぇんだから黙ってろカス共。


さっさとオマエラの世代作品を作って世に出せるようになるといいな。そろそろエロゲ世代(新海世代)を駆逐してやってくれ。

評論って愚痴に逃げ込む小賢しいクリエイターよりも、全世代からバカか!死ね!」ぐらい言われるようなものを作るクリエイターを期待したい。

2023-12-22

anond:20231217183346

>何年もかけてイスラエルを油断させつつ武器を溜め込み、

誤認がある。「何年もかけて」ではない。「2年半にも満たない短期間で」だ。前回の大規模衝突は2021年5月NHK中東解体新書が素晴らしくよく出来たサイト作ってるので貼っておく。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/gaza-israel-conflict-2021/

当事者の2万字インタビューとか、ハマス反省会とか、10.7攻撃調査報告書とかがあるわけじゃないから断言はできないが、ハマス専門家100人いたら99人は、この衝突の終了後から今回の攻撃計画が始まったと答えるだろう。

>何百人かのイスラエル人や他国の人を殺害し、拉致した。その結果として、イスラエルがマジギレしてパレスチナが壊滅的な被害を受けている。

これは過去の衝突で何回・何十回と起きた事で、意外性はゼロハマスによる攻撃第一報を聞いた国際政治専門家100万人いたら、100万人が(程度の差はあれ)この展開を予想できたはずである

>僕はてっきり二の矢三の矢があるのかと思ったけどそうでもなかった。もしかしてそれをイスラエルに阻止されたの?

あるかないかで言えば、物理的には兵器、例えばロケット弾とかは相当数あったと思われる。ただし、人手が絶対的に足りなく、また、イスラエル空軍が大っぴらに介入してくる状況で、ロケット弾の飽和攻撃(大量一斉発射)は不可能であり、さりとて小規模な発射であれば、それへの対応イスラエルにとっては日常業務であり、阻止されるのは攻撃から誰でも分かっていたはずである普通に考えれば、ハマス第一撃に全力をベットする決断を下し、そして、それは十分な成功を収めたと言える。

>それとも、あの10/7の攻撃が最大の攻撃目標を達成できなかった?

目的が何か、というのを素人部外者深読みしがちであるが、そもそもハマスの存立基盤は(腐敗して頼りならないファタハと違って)反イスラエルを貫き続けることであり、攻撃を行ってイスラエル(がスルーできずに大規模反撃に乗り出す程度)に損害を与えれば、それで「目標を達成でき」たとしか言えない。それに付随した成果・結果は色々とあるが、それは極論すれば外野勝手評論であって、ハマス的には二次的な要素に過ぎない。

たとえばアブラハム合意以来進んでいるイスラエルアラブ諸国の接近の阻止が云々、というのは指摘されがちだが、じゃあ交渉が不調だったら攻撃をしなかったとか、逆に交渉が順調だったら攻撃を早めたのかと言えば、それはどちらも寝言は寝て言えである攻撃が最大の成功を収められるタイミング(それが50年前と同じくヨム・キップルの日になったのは偶然だが必然でもある)に攻撃した、以上の意味は(たとえばそれがハマス人間から出た言葉だったとしても)すべて後付けでしかない。

>あるいは、世界の注目を浴びることが目的だったのならそれは成功はしていると思うけど…

まあ広い意味では目的だとは言える。ハマスが存続するためにはパレスチナの人々(ガザに住む人だけでなく)から支援以外にも、主にイスラムからやってくる経済的な援助や政治的な同情も必要であり、それを得る手っ取り早い手段は、イスラエルに損害を与え、報復攻撃を受けてパレスチナ人が被害を受けることである

残念ながら過去75年間、パレスチナ人は酷い目にあいつづけており、イスラム圏では「同情疲れ」とでも言うべき状況にある。パレスチナ難民の総数は600万人以上で、その大部分が国籍も何もない難民暮らしを強いられ、二級国民未満の扱いに甘んじている。無論、受入側の国にも事情があり、彼らに安易国籍を与えると忽ちそこがパレスチナ人の国となり、そうなるとまず間違いなくイスラエル(とその後ろ楯であるアメリカ)は、パレスチナ問題の「最終的解決」として、西岸ガザパレスチナ人をその国の国民位置づけた上で全員追放してしまうだろう。これは勝手想像ではなく、少なくとも40年前、レーガン政権当時のアメリカイスラエルの一部で、ヨルダンパレスチナ化を和平の手段として探っていた。

話が逸れたが、そういうわけで、パレスチナ問題を人々の意識に浮上させるために、ハマスは「成果」と「被害」を適宜発生させる必要がある。現時点での印象をまとめると、

アメリカの若年層など、事前に想像された以上に反イスラエル感情が噴出したことは予想外の成果。ただし、肝心要のアラブ諸国政府の反応は期待よりも低い」

ぐらいだろうか。ここは詳しく書くとキリがない(過去の反応との差分を全部出す必要がある)ので省く。

>何年もかけて準備した結果、「相手に痛い目見せてやりましたぜ。一矢報いた。その結果俺達ぼろくそやられることになったけど知るもんか」ってことなのかな。この辺が全然からない。

を正しく書き換えると、

わずか2年半の準備でイスラエルに前代未聞の大損害を与えられた。予想通り民衆を大量に巻き込む攻撃を行ってきたが、予想以上に国際世論が反イスラエルに傾いてて正直ビックリアッラーアクバル!」

ぐらいになるだろうか。

2023-12-19

anond:20231219130128

あいつ、典型的世界が狭い奴だよ。

自分範囲しか他人想像出来ず、計れず、評論できない奴なんだと思うぞ。他のブコメみても。

おそらくそれも、自分自身が「やってる事は借金してガチャ回したりパチンコ行ったりする連中」だからあいてもそれも同じだと思い込んで自分杓子定規批判するし、

他にもダブスルスタンダード批判しているコメントをしてるけど、普段からお気に入りに入れてみてると「お前が言うのかよ」って感じだし、たぶん自分でもそれを自覚しているからこそ批判するんだろうし

党派制のコメントに至っては、自分がどっぷりネトウヨコメントしてるもんだから自分が盲信するもの批判する奴も党派制でやっていると思い込んでる節がある。

世界が狭いってのはああいうことを言うんだと思ったよ。あんな風になっちゃお終いだわ。自戒の為にお気に入りに入れてる。

2023-12-18

ゴジマイ評

アメリカ人日本原爆を落としたという負い目を持っている

なので、戦後すぐなのに日本人が元気で、頑張ってゴジラを倒すという物語

彼らの罪悪感を軽減させる都合の良いものであり、したがってアメリカでの大ヒットに繋がったのだ

という嘘評論考えたけど、別にアメリカ人罪悪感持ってなさそうだしダメだな

2023-12-17

anond:20231217181338

事実関係を整理した上での評論感想なんですか?ちゃんと本書いてる人もいます

それあなた感想ですよね?

2023-12-06

この世界の片隅に

アニメ映画も、最近はすぐに政治の分断に使われて、普通の論評ができないのが馬鹿馬鹿しい。

自身リベラルで、かつ、この映画評価しない。けど、それは別に政治的な主張が良い悪いという理由じゃない。

単に、あまりにも記号的な書き方が芸術として評価できないだけだ。

 

流石にもう「ネタバレ」とは言われないだろうけど、終盤主人公空爆で腕を失くす。

それがあまりにも痛くなさそうで、しかあんな状況なのに処置が綺麗で、虫も沸かない血も滲まない。

エンディングに腐乱死体が出てくるけど、いしいひさいちあたりが描くギャグ漫画ゾンビ描写みたい。

すべての表現が徹底的に記号化されて、戦争空気感が「無痛化」「無臭化」されている。

これで「日常リアルを描いた」って、もうそれだけで表現としては噴飯ものしかない。

右も左も関係ない。芸術的な濃度を求める感性があれば、こんな病人食のようなもの評価できるわけがない。

 

そういうリアリティのなさが単純にすべて馬鹿馬鹿しくて、政治的に良い悪いの問題じゃない。

強いて言えば、そういう政治的な問題意識が、「はだしのゲンレベルでも耐えられない精神なお子様向けのものであることが問題っていうあたり。

こんな幼稚園児向けの絵本レベルに誤摩化さないと、日本大人って、戦争の痛みが受け止められないの? って。

 

そういう根本的な表現幼児性にまったく引っかからずに、ただ作家監督政治思想が云々って語るのに何の意味がある?

それ自体ごっこ遊び政治評論モドキとしか言いようがない。

幼稚なネットユーザー政治ごっこ劣化し続ける日本言論文化にはもうまっぴら。

2023-11-27

anond:20231127144156

ジャンプ漫画支持者なんてほぼほぼみんな「流行りに乗るタイプ」やろ。

ジャンプって媒体のもの流行りの塊なのは自明やろ、ジャンプに限らず評論ごっこしてる寂しいオタクフリーレンに限らずいろんな漫画ケチつけてるだけやと思うやで。

2023-11-18

anond:20231116212314

そら地頭が良くて文化的に恵まれていて、学力も高くて文章うまくないと、ちゃんとした評論なんてできないからな。

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-07

anond:20231107174847

お前卵産めないんだから、二度と卵の評論すんなよ?

2023-10-26

anond:20231025074032

中学だったか高校だったか国語でこういう評論文で読んだなー

その評論文では、日本人は藩が国家同然だった時の名残で今も地方アイデンティティがあるという解説だった気がする

2023-10-23

記号攻撃することのバカバカしさ

簡単記号原色の色使いを攻撃するのがバカバカしい

同様に簡単記号意味に過剰に文脈を読み込んで批評する評論バカバカしい

(というか、そういう評論文脈の通じる者同士でのすごく狭い領域を前提に限られた界隈で読むためのもので、その領域を外れたとこまでフォローしてない)

記号って「大まかにまとめる」ために使うので、そもそもかい差異無視して使う前提で使うようになってる

まり多様性配慮するという考え方とそもそも正反対の使い方を想定してる

ひらがな50字は50字で森羅万象の音を表現するという無茶な簡略化をしてるが、「そういう使い方をする」という了解がないと使えない

現代では専門性が深まりすぎたのと、情報拡散が容易になりすぎた結果、

使われた記号文脈を使われたそのタイミング解説聞きながら視聴するようなスタイルが出来てしまったけど(ウマ娘ガルパンニコ動解説のような)

それに乗じて読解の正当性を万人が主張しあってたら、記号本来の使い方(簡単にまとめて、簡単に伝える)が機能しなくなる

というか、もう既に、そういう機能不全を意識して狙ってやってるやつがい

みんな、頭が良くなり過ぎだと思う。もう少し無頓着バカでいい

ハッキリ言って性差問題になるのは結局は所得格差なんだから社会主義的と言われようが金の再分配だけやってれば解決する話が大半である

意識高い系って、金の分配の話から目を逸らしたくて、マイノリティとか性差とか歴史とか言ってるだけだろ

実際は金で解決するのが一番簡単もっと記号的で色がつかなくて配りやすいのが金だから)なのに、金の話をしたくないせいで、どんどんややこしくなっている

バカバカしい以外に言いようがない

2023-10-19

anond:20231019165450

文学評論やろ

作者の真意なんてどうでもええんや

我々がどう読むか、どう読めるかのほうが重要なんや

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