はてなキーワード: 観音とは
2018年10月7日、六甲山で最難関ルートだとされる大月地獄谷ルート(渦森橋~みよし観音)を登った。2018年の台風ののちに、みよし観音を目指して登った人が他にいるかが、検索しても見つからなかったので、私のような登山素人に向けて書き残したい(これが検索でヒットするかはまた別の話)。画像はない。ちなみに天狗岩へ抜けるルートで登っている人は確認されているが、こちらの方が容易だとされているようだ。なお登っても、達成感を感じる前に、泥だらけのボロボロの服装で、おしゃれキラキラカップルと遭遇することになるので、極度のマゾヒストにしかお勧めしない。
天気 : 快晴 (気温27度)、前日早朝は雨
服装 : 破れてもいい服(長袖)、軍手、トレッキングシューズ
持ち物 : 昼食(おにぎり)、補給食(ゼリー系のやつ)、ポカリ、お茶、参考にしたサイトのコピー、遭難しても少し生き延びれるようにカロリーメイトいくつか
虫除けスプレー、山と高原地図等は同行者が持っていた。感謝。(逆に持ってない私がやばい)
ヘッドライトなども持っている方が良いでしょう。
主に下記のサイトを参考にさせて頂いた。呼び名などもこちらから拝借している。
https://tokiwatrekking.web.fc2.com/pages/y20160813.htm
http://shousam.fc2web.com/081018ootukijigoku.html
霊園の手前から谷に入り、沢沿いを歩いていく。
本格的な山登りは荒神山第二堰堤から始まる。ここを右から高巻く。当然ながら整備されている道ではないので、一発目にしては重め。頂点付近で少し無理やり登る必要がある。腕力である。
次は荒神山第三堰堤。左から高巻く。途中まではロープがあるが、道自体もそこまで険しくはないので、あくまで補助的に使う。ロープのかかっている木のうちで、少し弱くなっているところがあったので、油断は禁物。
ちなみに、ここを右から高巻くと、死にかける(体験談)。右側は急峻な上、堰堤の上端と同じ高さまで登ったのちに、ほぼ支えになるものが何もない状態でトラバースしなければならない。高さ18mなので落ちるときっと楽しい。
続く荒神山第四堰堤は、手前にある石積み堰堤を右から高巻くとそのまま巻道が見つかる。
次は紅葉谷堰堤。とうとう荒神山堰堤ゾーンを抜けて紅葉谷ゾーン。左手にあるロープからかなり上に登りそして降ってくる。一部、ほぼロープに頼らなければ進めない箇所があるので注意。確かに周りを見渡せば紅葉の葉っぱが見つかる。
紅葉谷第四砂防ダムは上目から、ロープを頼りに越えていく。この辺りになると結構感覚をつかみ出してきていて、どうやらいけそうだと感じ始めたが、それは幻想だった。
このエリアが終わると、滝が続きハードになってくる。複数の意味でハードになる。滝を登るため体力と、意味のわからないロープを信じなくてはならないため精神と。
紅葉滝は、右手手前に巻道、滝のすぐそばにロープがあった。右手手前の巻道はかなり斜度が高く、その上足元が滑りやすいという有様だった。同行者のうちの一人がロープ、もう一人が巻道から登り始めたが、私はどうにももっと手前に巻道があるような気がしたため、少しためらった。しかし、結局心もとないがロープを信じて登るルートの方が簡単なようで、信じて直登することに。案外いける...だが誰がいつ設置したのかわからないロープに命を預けたという事実が残る。
タラップ付きの堰堤が現れる。ダムから出ている水量が多く、タラップの場所まで行くのに身体中がずぶ濡れになる。体温がかなり上がっていたのでそこまで気にしなかったが、普通に考えて危険である。ダム自体は特に問題なくタラップから登りきれば、鋼製堰堤。下をくぐるが、足元が濡れる。
大月地獄大滝に到着。実際に滝を見ようとすると、生い茂る藪を超えて行く必要があった。また、この薮の手前から巻道が......滝を見ずに巻道へ。こんな薮、進めやしない、とその時の私は思っていた。
すぐそばにF2滝。巻道は見つからず、ロープを信じて直登する。できる限りロープに頼らないでいたかったが、頼らざるをえない部分がいくつか。しかしロープの根元を見てみると、理解しがたいほど不安定そう......。よくもまあこれを信じれたものである。ふと自分の体が震えているのに気づく。膝が笑っている。潜在意識も生命の危機を感じていたのだろうか。同行者の様子を伺うと、全員足が震えていた。愚かにも山を登ろうなどとするからこうなるのだ。
次のダム二つはタラップがついており、越えるのは簡単。しかし、越えた先がかなり深い池になっており素直には降りられない。滝を越えてしまった今、もう後にも引けず、無理やり脇道から池を越える。
A-7標識を越えるとF5滝。右の巻道を進むが、斜度がかなりある上に少ない木の根などを頼りに登って行く、本格的なクライミング。永遠にきつい時間が続くのかと思うほど、滝のかなり上まで進むが、くだるポイントが見当たらない。途中、堰堤が下に見えたがこれもスルーしてそのまま上から抜けた。ここの滝では、左に巻道があるとされていたのだが、明らかに崩壊しており、右から行くしかなかった。
ここから少し進み、小さい滝を越えて行くと、本格的に薮ゾーン。正しい進路がどこなのか、一見しただけではわからない。無理矢理川のありそうなところを目指して進む。さらに進むと土砂崩れの影響か、川はなくなる。本当に道が分からないのだが、とにかく信じて直進し続ける。テープも見当たらず、この道は正しいのか、という自問自答を繰り返して行くと、大きなダムが見える。
このダムは2016年に完成したもののようで、いくつかのサイトによると、2015年時点でみよし観音直下に建設中のダムがあるという情報があったので、ここはほぼゴールに間違いない!
ということでダムを目指す。足元は雑草のみで歩きやすく、木もないので視界が晴れてくる。左手にタラップがある、という案内板が見え、大きいが楽に越えられそう、と思ったのが甘かった。先の災害の影響か、左手側が完全に崩壊している。仕方なく、右手にあるステップを無理矢理腕力で登る。
この次にも似たようなダムがあるが、高さがさほどなく、そのまま越える。すると、眼前には森のみで、この先には道がないように見える。しかし、GPSを確認するとどう考えても正しい場所にいる。このまま突っ込んで行くしかない、と思ったところ右手に木製の階段が!久々に見たダム以外の人工物に喜び、何を口にしているかも分からないままわめきながら階段を上っていった。
抜けた先にあったのはJFE健康保険組合。みよし観音ではなかった。もう少し右手側を進んでいればみよし観音だったようだが、未確認。とにかく人のいる地に帰ってきたのだ。泥まみれの状態で、おそらく六甲山のキラキラしたイベントに行っていたであろうカップル達と出会う。そのまま下っていき、帰りはロープウェイで帰った。ロープウェイから見える木々に時々ピンクのテープが括り付けられており、新たな旅の可能性を見た。
とりあえずまとまりなく思いついたまま書いてみる。
ストリップ見に行くの自体は初めてではないが、今回行った場所は初めてだった。
もう明らかに還暦を過ぎたと思われるおばあさんが局部を意図的にさらしながら踊ってるのを、もっと歳いったおじいさん達がとても有難そうに眺めていた。
俺は別にそれが目当てだったわけじゃなかったので、なんだこれ?と思って、最初はちょっと引き気味に眺めてた。
今度は別のおじいさんが、しみじみと、おばあさんと握手をしていた。「ありがとうございます」という、静かだがはっきりとした声が聞こえた。
観音様を拝む様子ってこういうのか、なるほど、って思った。
そしたら何だか涙がこみあげてきた。
この人達はたった今こうやって今日も生きる糧を得た、そして命をつないだんだ。
踊り子も、おじいさんも。
人が生きていく上で、望みや救いは欠かせない。
はたからみればこんなの、卑しくてしょうもなく映るのかもしれない。
俺も最初はそうだった。
だけどある時から、もしかしたら違うかもってだんだん思えてきた。
俺はいわゆる就職氷河期世代の、いい年して収入も人並みとは言えず、結婚もできてない、間違いなく社会の落ちこぼれだ。学ぶべきことを学べず、学んだとしても遅すぎたし、今までさんざん世の中に迷惑をかけてきたし、都合のいいようにこき使われ、利用され、汚され、踏みつけられてきて、何が尊くて何が卑しいのか、わからなくなりそうな人生だったし今もそうだ。さんざん迷ったし今も迷っている。
世の中には、救いのないぎりぎりのところでかろうじて命をつないでなんとか生きている人がたくさんいる。その姿は必ずしも傍から見て美しいものではないのかもしれない。
こんなことを知り合いにも友人にも言えない。悲しいけど言えない。理解してもらえる自信がない。所詮その程度の人間関係しか築けなかった自分が悪い。
とにかくあのお年寄りたちの姿は尊いと思った。誰かにそれを伝えたいと思った。
こうやって人は生きていけるんだって思った。
何かに似てると思った。
漫画のcity hunterで冴羽僚が地元の町のおじいさん達と飲んでる姿だ。
ここまで書いて振り返ってみると、あのおじいさんたちの生活背景など俺が知るよしもなく、勝手にギリギリの生活をしているように決めつけてるだけかもしれないが、正直、あんまり裕福そうな感じではなかった。
そしてこの文章がネット上に明らかになった時、俺の至らぬ点がどれだけ熾烈に糾弾されることになるのか、それともかすかな知的好奇心を満たす者がいるのか、はたまた共感を得られるのか、予測はつかない。
家で一人でオナニーしていると、どこからともなく軽快な音楽が。すると玄関や窓、押入れが同時に勢いよく開き、アノニマスの仮面を付けた人間達が土足で侵入。音楽に合わせて踊り狂う。呆然と眺めていると今度は近くの畳が観音開き。スモークと色とりどりのライトの中からバタフライマスクで顔を覆ったバニーガール登場。ハイヒールを畳にねじ込むようにゆっくりこちらに歩み寄る。股間の前まで来ると右足を天に向かって高く上げ、振り降ろす。逸物に突き刺さるハイヒール。絶頂する私。
ハッと目が覚める。股間にべたべたとした気持ち悪い感触がする。どう処理したものかと悩んでいると、どこからともなく軽快な、そして聞き覚えのある音楽が…。
先に結論を言っておく。女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪いせいで、ミソジニーじみて見えるというのが私の見解だ。設定と描写のバランスが悪い。それに尽きる。それが悪いとか良いとかそういうことを言う気は全くない。
この見解にいたるまでの経緯は下に書いた。気になる人が以下の長く枝葉の伸びた文章を読んでくれ。いや、クソ読みづらい文章だから読む必要がない。自分が納得するためだけに書いた。言いたいことは上に述べた通りだ。
ヒプノシスマイクを知ったのは春。独歩という語をタイムラインで見かけ、「国木田独歩のことか。文ストか、文アルか。いや、一二三って誰だ。寂雷って誰だ。ヒプマイってなんだ。雰囲気的にソシャゲか。まあソシャゲはいいや」と調べることなく初夏を迎え、「ジャニオタがヒプマイにハマる」というような名前の記事を見かけて「ソシャゲじゃないのか。ラップか。面白そうだな」と調べた結果、見事にハマった。
ヒプノシスマイクにハマった要因は、シンプルに「人間の声ってすげぇな」という感動と、「さらっと面白いことを言っていて面白いな」という感動である。二重の感動。感動に感動が私の首に輪をかけて括ってきた。(輪をかけてを使いたいがために発生したクソみたいな誤用)
これは単なる私の好みでしかなく羅列すればキリがないが、突っ込みどころのある言葉や音がよい。いわゆる音MADで遊ばれていそうなコンテンツ(概念)が好きなので、ラップで人が死ぬ世界観やさらっと繰り出される面白リリックとかがたまらない。
あらゆる人が言及している通り、「俺のベロ見ろ俺はミケランジェロ」に「お前は次郎だ」と突っ込んだし、「君がくれた愛の形」が月収の「12345600円」という生々しさにも笑った。「ガチャーンドゥルルルチリンチリンチリン」で笑ったし、「泣けど泣けどnekkidフルモンティ」の完成度に感動したし、「ハマのしきたり」や「男ならラップができる」などの主語のデカさにも突っ込んだし、どことなく山寺宏一に似た入間銃兎のテンションの高さも気に入っている。ついでに言えば、観音坂独歩がキレると笑ってしまうし、一二三が麻天狼のローテンション曲の中で一人高テンションなのも面白い。何でお前だけ動画で輝いてんだよ。
決してバカにしているわけではない。むしろ、この突き抜けた感じを清々しく思う。かっこよいだけではない絶妙に耳に残る言葉に引っかかってハマった人は多いのではないだろうか。人間の声のすごさも相まってこの言葉たちはハマった人間の頭蓋骨の中で反響していることと思う。中毒性がすごいよね。
また、池袋→横浜→渋谷→新宿にいたるまでにキャラクターが奇抜になっていくのも面白い。アンセムやバトルでは歌う順番を考慮しているんだろうなと思う。人の目を引く(耳を引くか?)方法を熟知しているんだなと思いながら楽しんでいる。だって寂雷先生のときだけ曲調が変わるの面白すぎません? 一二三の合いの手も相まってじわじわきますよね。
さて、ここまで長々と書いたのは、私がどのような観点でヒプノシスマイクを楽しんでいるのかを表明し、立ち位置を設定した方がよいと思ったからだ。これを踏まえて、最近話題になっている「ヒプマイってミソジニー要素があるのでは問題」に入る。
私はドラマCDを聞かない人生を送ってきたので、ヒプノシスマイクで初めてのドラマCD体験をした。曲をから感じられるキャラクターの印象とは違った面が見られて面白く感じた。特に、観音坂独歩に関しては話し方が穏やかだったので意外だった。正直、もっとクソ早口でボソボソしている印象があった。話し方が早くてもキモがられるけど、ゆっくりはゆっくりでイラつかれる現象に見舞われてんのか? 観音坂独歩は。一二三のテンションというか話し方のギャップもよかったし、池袋の兄弟が仕事できていてすごいなあと思ったし、食事のアレで横浜は関係性のできた人間に対しては気遣いを持てるいい人たちだったというのも確認できた。渋谷に関しては夢野幻太郎の剽軽さや有栖川帝統のコミカルなキャラクターに親しみを抱いたし、飴村乱数が人の臓器を売ることに躊躇しない鮮烈さを持っていることに妙な興奮を覚えた。キャラクターに厚みができていく感覚が面白い。渋谷VS新宿のドラマトラックも面白かったですね。ヨコハマの血の気がある人たち「クソボケ」ってワード大好きですね。左馬刻様はチャラチャラしてたり口で自己紹介できない奴嫌いなんだなってのが分かって面白い。多分左馬刻様はメールしたら電話しろってキレるだろうし、電話したら直接会いに来いとか言いそう。あと、一二三はツイッターとかで定期的に礼節欠いて炎上しそう。あと飴村乱数の先生への話し方から「私あなたのこと嫌いだけど気遣って話しかけてあげてますよ」感が滲み出ていて好きです。
では、本題に入る。私はこのドラマトラックにミソジニーを感じてしまった。正直、女尊男卑という設定は読んでいなかった。言葉で戦うという設定に目がいっていた。気付いたのは池袋VS横浜のドラマトラックで山田兄弟が壁に対して税金の話をした辺りだ。その後登場する左馬刻様の件の発言は「そんなキャラなのかな」程度に流していた(乱暴なキャラクターは女をゴミかゴミ箱のように扱うという偏見がある。雑な一般化をしてすまない乱暴なキャラクターたち。)ため、件のはてなブログで確かにと思った。
で、税金の話。男が女の十倍の税金を払っている。その金でこの壁が作られた。この内容に引っかかった。リアルに考えれば、男の方が高い所得であるためにバランスを取っているんだろうなあ(さすがに十倍は現実味がない気もするが)という見解が妥当に思う。それゆえに、ここで税金に言及している山田三郎と観音坂独歩については、彼らは他の男性よりも所得が低いのかもしれない(三郎はまだ中学生なので、一郎の苦労を見てきたのか、大人の話を聞いて知識を得ていたのか、その辺だと思うので、除外してよい気がする。社畜は休む暇がないから金が貯まるというが、このパターンだとより地獄じみてきて観音坂独歩がより幸の薄い(といっても、幼馴染の手厚い保護があるので悲壮感は薄れるもののそういう感じの)人間になりますね。ストロングゼロ飲んでそう)。(ついでに、山田一郎と左馬刻様と寂雷先生も壁について言及しているが、金というよりも権力への言及に感じるので、彼らに関しては所得的に不満があるわけではないような印象を覚えます。)
なぜ、男の方が納税額が多いのかがよく分からないが、男にとっては不条理な税負担なのかもしれない。しかし、その割には観音坂が愚痴る人物はハゲ課長のみであり、女性から不当な扱いを受けているような表現は見当たらない。一二三に関しては特殊なケースのように扱われているため、女性が日常的に男性を虐げることはないように思える。何より、左馬刻様が女に対して直接普通に「クソ女」って言えているというのは、安定して女を罵倒してよい環境にいるってことだもんな。ここぞというときの「クソ女」ではなく日常的な「クソ女」でしょアレは。山田一郎も無花果に対して好戦的に話しているし、(野蛮とか低能みたいな侮蔑は受けているものの、)言葉遣いであれこれ言われて抑圧される描写ではない。言われても反骨するヤンキー的な描写なんだろうか。そういう理由からキャラクター的には不自然ではない感じがして受け入れてしまうよね。
頭に残る女の話は税金の話とヒステリーなストーカーと高圧的な無花果さんくらいである。後は普通の印象があって女尊男卑感はあまりない(私は鈍い人間なんでその辺りは鋭い人が指摘してくれ)。だから、「女という強者によって不当な扱いを受けていることへの反発」というより「女によって搾取されている」というより「女を大事にしなくてはならないせいで要らない負担を強いられている」という感じがある。もっと適切な表現があるかもしれない。なんだろう語彙力がないから分からない。あと、三郎の「ホスト風情」という表現から女性に奉仕する職業は馬鹿にされるものなのかもしれない感じもある。男を支配する女に媚売る裏切者って感じなんだろうか。
何というか、女尊男卑の世界なのに優位な側(女)からの一方的な蹂躙がないのが不思議なんだよ。それが見たいというわけではなく、わざわざ設定を付ける必要があったのかという疑問。だって、税金と壁と可視化されているのって中王区(政治)からの疎外くらいじゃないか。いや、政治から疎外されるって結構な痛手だよね。しかし、入間が結構な権力を持っているのを見ると、そこまで疎外されてなくないかと思ってしまう。いや、あれも男だけの世界だから自由が利くだけだろうか。女子高や女子大にいる女はのびのびと生きているみたいなものと解釈すべきか。しかし、横領したあの人が女である可能性も否定できない。語られていないことは推測しかできず、語りえない。
話の枝葉が分かれすぎてしまってアレだが、要するに、女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪くって、ミソジニーじみて見える。これは最初に言った。ここに来るまでアホみたいに長い文章を書いてしまった。以上。
早く、内容の全容が知りたい。全て知ってからまた判断したい。飴村乱数さんが何かしてくれそうな感じあるので、どうなっていくか気になるところだ。
ごちゃついたことを考えるのも、何も考えずに享受するのも楽しめるので、特にヒプマイというコンテンツを批判する意図はない。書いてすっきりした。よかった。
35歳でチビハゲデブ、非正規ブラックやってたら頭おかしくなっちゃうんじゃねえのかな
元増田は救いのねえクソ野郎だけど、更生してなかったら死ぬしかなかったんじゃないか?
汚ねえおっさんにぶつかられる女は誰から見てもかわいそうだし、友達に話したらそりゃあもう慰めてくれるだろ。
35のチビハゲデブで、趣味は知らない女に突然体当たりすることですって、そんな最低なやつ、誰にも救ってもらえないよ。
でもそんなゴミみたいなやつだって生きてて、親がいて、友達だって一人くらいはいたはずなんだよ。
誰にもちゃんと関わってもらえないなら、もうおっさんには優しそうな、自分を傷つけなさそうな人に体当たりするぐらいしかなかったんじゃねえのか。
自転車のお姉さんは偉かったよな。
もうどこにも行けずに人の間で腐っていくしかないおっさんを叱って、人間同士が生きてる世界なんだってことを思い出させてやったんだから。
でも人間同士だろ。
言わなきゃいけないことぐらいは言ってやってもいいし、お姉さんはツイッターでお仲間に愚痴るだけじゃなくて、おっさんにちゃんと関わってやったんだよな。
ドアにアールがついているとか
観音開きの出窓があるとか
サッシが木目調とか
壁紙が白ではないとか
あるいは、珪藻土とか
ようは、シルバニアファミリーの「赤い屋根の大きなお家」的な
『けものフレンズ』は1話を見たきり。あとはネットで祭りの経緯を横目で眺めていたオタクだが、たつき監督が外された原因は当初うっすら想像ついていた。
また、たつき氏が例のツイートで取った手段にも懐疑的だった。案の定公式声明では的中していた。
明らかに、たつき氏が関係各社に無断で制作してニコニコ動画とYouTubeに無料公開した12.1 話『ばすてき』の権利関係だった。アウトで当然だ。
最後の打ち合わせで、終わった後も自由に作っていいですよって言ったらたつき監督の目がキラーンってした気がしてたんだけど…まさか!— 吉崎 観音 (@yosRRX) 2017年4月4日
一連の騒動で過激派たつきシンパ(と恐らく関係各社から警告を受けたたつき氏自身)が盾にしているこの発言を踏まえたうえで言うが
いくら原案者が吉崎観音氏と言えど、TVアニメで絡む様々な権利を彼が有している訳ではない。
こんなものは飲み会の口約束と同じで、社会常識的には「許可を取った」内に入る訳がないのだ。正式な契約文書か、せめて制作会社やプロデュース会社の幹部一同の立会が無ければ認められるはずがない。
しかも言い方から見るに、吉崎氏自身も具体的にたつき氏が何を作ろうとしているのか全く知らされて居なかった模様。
「許可を取ったぞ」と言い張りその正当性を訴えるなら、ゲリラ的に独断公開せず最低限吉崎氏には『ばすてき』制作の旨を事前に伝えておくのが筋ではないのか?(無論サプライズ感を出すための協力はお願いしたうえでだが)
普通の常識を持ったアニメ監督ならせいぜいツイッターにCGイラストか描き下ろしラフを公開する位で留めるから、おそらくその範囲内を想定してOKを出したのに
まさかOPED主題歌、BGM、声優のアフレコ収録まで完備された事実上の続編アニメ話をまるまる一本勝手に作られるとは思っておらずさぞ驚愕した事だろう。
「ここまで好きにしていいとは言ってない!」と思って後悔したとしても、ツイッターで「たつき神」として熱狂的に祭り上げられている現状を見ると今更下手な事を言って水も差せない。
「許可」の範囲が一方的に、法にも触れるかも知れない所まで拡大解釈されたあげく、オタク大好き「ネットの力」で物言いを封殺された吉崎観音氏もいい被害者だったのではないか。
そしてこの状況はアニメの著作権的に甚大な被害を負わされながらネットの狂乱により巨悪に仕立てられたカドカワにもそのまま当てはまる。
せめて無難な1シーンだけを切り抜いたサイレントアニメなら比較的まだセーフだったろうが、例の動画には作品内の主題歌やBGMまでガッツリ使ったうえ『けものフレンズ 12.1話「ばすてき」』という副題まで付けているのだ。
「ようこそジャパリパークへ」の販売元レーベルはビクターですよね? 音楽は立山秋航氏ですよね? 必要な所から全部許可取ったの? 取ってたら怒られる訳ないよね?
うっすらロゴをぼかす予防線を貼っていた事から、おそらくたつき氏自身も本来ダメな事をしているという自覚はあったと思われるけど(それもアウトだと思うけど)
ツイッター・ネットでの大反響や再生数を盾に全ての関係者に泣き寝入りを強いてたんですよね?
「もう数百万再生されてるんですよ。今更グチグチ著作権がどうとかで削除要請したらファンからヘイトが向かうのはあなた達ですよ?」というプレッシャーを与えてふんぞり返って。
だが、ここで折れたら権利を扱うメディアとしての信用問題に関わるのでカドカワは折れる訳にはいかなかった。水面下での再三の警告をするも、SNSでの承認欲求の虜になったたつき氏は聞く耳持たない。
「ネットでゲリラ的に動画公開して盛り上げたからけもフレ人気が拡大した」「もはやけもフレは“たつき神”ありきの宗教コンテンツ」
そんなものカドカワも百も承知だったがコンテンツの権利を内部から無茶苦茶にするたつき氏を切らざるを得なかった。
たつき氏がけものフレンズ2期から外れるとなれば一大炎上騒動は火を見るより明らかだから、発表のタイミングは各社相談したうえで慎重に様子を見なければいけない。
突然ですが、けものフレンズのアニメから外れる事になりました。ざっくりカドカワさん方面よりのお達しみたいです。すみません、僕もとても残念です— たつき/irodori (@irodori7) 2017年9月25日
しかし、SNS中毒のたつき氏はそれを全てわかったうえで自分の有利に運ぶために再び1人勝手にツイッターで先回り暴露。理由は明らかなのにそこは伏せて、“俺を下ろした敵”だけは名指しという完全に炎上を煽るやり方でだ。
カドカワは荒らされ続けて株価にも影響が出て殺害予告まで出て吉崎観音氏にまで危害的な凸が多発する惨状だが、煽ったたつき氏は悲劇のヒーローポジションを勝ち取ってしてやったりとダンマリを貫いている。
決して特別でないごく一般的な社会常識の元、全てを整理するとこういう図式しか見えないのだが、それでも狂信的に「たつきを信じろ」して攻撃性を剥き出しにしているオタク達が信じられない。
オタクだけじゃなくて、あろうことかクリエイターに属する人間までもがたつき氏のツイートだけで一方的にカドカワを非難したり、
たつき炎上テロで早急な釈明を強いられた公式側から無断利用の経緯を丁寧に説明されても「たつきが悪いという事にするカドカワは悪」と聞く耳を持たないのが出来の悪いSFみたいで怖い。
少なくとも例えば同人作家とか、著作権に少しでも関心のあるオタクなら『ばすてき』に違和感を持つはずだし、吉崎観音氏の口約束があるからOKなどという支離滅裂な主張はしないはずだ。
少なくとも企業同士の組織で動く人間ならば、そこでの重大な決め事を無断かつ公式発表よりも先に暴露するやり方、自分に都合の悪い情報は伏せてカドカワを名指しするというあたかも信者の非難を誘導するようなやり方に嫌悪感を持つはずだ。
幸いにもブシロードの社長はまともだったし、他のまともなアニメ監督がたつき氏に迎合しなかったのは救いではあるが、
世論がどんどん「ツイッターで覇権を取るオタク(たつき氏含む)」の狂騒中心で進み、本来大人として彼らに釘を刺さなければいけない他メディアやコメンテーターがどんどん排除されている様子が日増しに強くなってきて気が滅入る。
結論:世にはビジネス的な大人の常識よりもツイッターで神と崇められる事を優先するたつき氏のような承認欲求モンスターが存在するから、今後のアニメ監督のSNSも素早く釘刺して監視しなきゃいけないね。少なくともまともな企業は今後一切たつき氏とは仕事しないでしょ。
園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。
開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。
なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。
目次 [非表示]
1 歴史
2 伽藍
3 黄不動
4 文化財
4.2 国宝
4.3 重要文化財
4.4 その他
5 御詠歌
7 交通
8 周辺
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
三井寺は7世紀に大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。
三井寺の起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子の大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱で大友皇子と敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在の三井寺には創建時に遡る遺物はほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係も史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。
三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏に就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である。円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡(香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認の正規の僧となり、円珍と改名した。その後、比叡山の規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山や熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺は修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行。青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本へ帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行の道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍に伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教、密教に加えて修験道を兼学する円珍の伝法は、これによって政府の公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍は天台宗最高の地位である天台座主に就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。
円珍の没後、比叡山は円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀あまりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山を下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。
三井寺は、平安時代には朝廷や貴族の尊崇を集め、中でも藤原道長、白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力者からの寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺も荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家の信仰も集めた。源氏は、源頼義が三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代の尊崇が篤く、源頼政が平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝の意思を継いだ北条政子もこの方針を継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺を大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京の御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺で僧侶として育てられていた源頼家の子公暁が叔父である源実朝を暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当に就任すると再興され、続く南北朝の内乱でも北朝・足利氏を支持したことから、室町幕府の保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺の勢力を牽制するために園城寺に対して一定の支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。
文禄4年(1595年)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領の没収、事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺の本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである。
関東に来たら、地域にある小さな神社や寺を楽しむ術を身につけることをお勧めする。
たとえば神社の境内には、縁起の碑、末社、御神木、忠魂碑、ほかには伊勢神宮参拝記念碑、何か地元の偉い人の銅像などがあったりする。観光地の寺社のようにわかりやすい歴史はないが、その地域の歴史に対する想像力をかきたてるものがそこかしこにある。
たまたま人がいれば、気軽に話しに応じてくれることが多い。ある小さな町の観音堂で、管理している地元のおじさんから、お茶をもらいながら2時間くらい、堂の管理方法から息子の自慢話までを延々聞かされたこともある。観光地ではこういうことは基本的に経験できない。
寺社の建築や仏像などが好きだとか、門前町の賑わいが好きだとかいう場合はまた話は変わってくるけど、歴史が好きなのであれば、小さな地域の寺社も楽しみ方次第だと思う。
・当然のように犬のフレンズが贔屓される。
・音楽はもちろん川井憲次。日常系からエスニックまでできる天才なので意外と適任。OPは80年代アイドルソング風。
・ボスのデザインについて「これではジャングルなどの中での活動ができない」などと言って観音おにいさんと喧嘩する。
・動物解説の代わりに毎話冒頭に鳥の子育てに関する蘊蓄が挿入される。
・アルパカが経営しているのはジャパリカフェではなく立ち食い蕎麦屋。
・登場する人間の遺物が大体兵器(主にヘリコプター)監督曰く「堕天使の化石のイメージ」
・PPPのライブシーンで観客席含めて空間の全てを緻密な3DCGで作り、その中でカメラを実際に回して撮影したかのような映像を作ろうとする。
Aちゃんに連れられて、とあるビルの中にあるラウンジなるところへ連れて行かれた。
担当の方はとても落ち着いたにこやかな方で、好印象だった。
そこで、肌のことなどいろいろ聞かれる。
………30万!!!!
ちらりとAちゃんを見ると、「機能を考えると安いくらいだよ、一生モノだから」と。
えっと…テクノロジーは日々進化して行く時代、きっと美容業界も進化しているはず。
ちなみにAちゃんは10年ほど前に購入したそうだ。
いつの時代のテクノロジーを使って作られたかわからないけど、時代遅れの美顔器なのか?
軽く混乱しつつ、一応すごーい的な感じを装う。
そして「ではお手入れしましょうか」ってことで、洗顔してから個室ブースのようなところへ案内される。
そこには家庭用プリンターのようなどっしりした機械があり、観音開きのような感じで開くと、棒状の機械などが入っている。
中央からスチーマーが出てきて、それを浴びながら、スタッフさんがガラス管のようなもので私の頰を撫でる。
この美顔器を使って日々3分のお手入れを続けると、徐々に美肌になるらしい。
そしてメイクをしてもらい、お手入れ終了。
ちなみにAちゃんも体験の時には毛穴洗浄できず、肌の調子が整ってからしばらくして自分の美顔器でできたそうな。
…それ、初めに言ってよね。
そして美顔器の種類など聞いて、この日は終了。
即断るのもねぇ。
Aちゃんは帰る道中も熱く語ってくれ、それに一応乗っかっておいた。
疑問と言うか、感じたり思ったこと。
① スタッフの方はにこやかで前向きで朗らかなのに、スタッフ間でガン無視したり、険悪な感じがあったりした。
そんなことはつゆ知らず、他のスタッフの方に挨拶したら露骨に無視された。
② Aちゃんは常に私の側にして、私を誉めちぎり、美顔器を褒めちぎり、会話にちょいちょい美顔器を購入する利点を挟んでくる。
それにスタッフさんが乗って、まことしやかに美顔器は正義的なトークを繰り広げる。
こんなトークに引っかかる人がいるんだろうか。