はてなキーワード: 観光業とは
↑を読んで思い出した
日本のスキー場が外国人だらけで日本人がいけなくなってるとかいう話に対して
ホテルの人が、そもそも日本の観光地が人口減少と地方の過疎化のダブルパンチで寂れてて大変って話だったんだが?
みたいに答えてた
それでインバウンドに力入れて2013年ごろから観光が回復し始めたって話
https://www.tourism.jp/tourism-database/stats/inbound/
そういえば10年前は、観光地が寂れてるってニュースが多かったよなって
それを無理やりアイディアでやりくりしてる人達を特集してたよね
あの有名なUSJ建て直したとかいう人もそういう流れで知ったし、ハウステンボスのHISとかも特集されてた
結局左翼って被災者盾にして政権批判できればそれでいいから嫌われるんだよな
そして被災者を「いい被災者」と「悪い被災者」に分けるのも左翼
旅行支援するとは何事か!と観光業で打撃受けてる被災者の気持ちは無視
これが左翼かとここ数日でよくわかったわ
能登の人間の中にも2月には無事なところに移転や間借りをしてして仕事再開する店も多く
観光客向けにどんどん商品卸したい製造業は無事なところには一刻も早く観光に来てくれと思ってるよ
かわいそうじゃない加賀には金落としたくない!かわいそうな能登にだけ金落としたい!じゃねえよ
元々能登の人間も加賀で働いてんの!マジでこのまま消費落ち込んで俺のボーナスでなかったらどうすんのすでにその瀬戸際だよ俺の実家能登だし金いるのにさ
コタツに入っていつ手元に来るかわからない募金をポチった後は被災者は被災者らしく施しの金で復興するまで黙ってろと言う人間に比べりゃ
東京も観光都市だが、東京の人間は地方からやってくる観光客に媚び売るなんてしないな。
その2。筆が続くうちに書いておくわ。
つくづく思ったのが、観光都市ってのは惨めなもんだっていう事。俺の住む金沢ってのは観光都市らしいが、こんな災害の時にまで、県外の人間、特に都会や海外の金持ち連中に、飯奢ったり媚売ったりしないと生きていけないっていうのが、心の底から惨めだった。
夜職の女がTwitterでクソ客の事を愚痴ってるが、正直言って、笑えねえなと思う。観光業やサービス業ってのも、体の代わりに飯なり快適さなり相手に自分より良い思いをさせて、それで稼いでるって意味じゃ、夜職と大して変わらねえな。
遊郭では路地裏にスラムができるが、観光都市も華やかなのは客が見にくる表通り、金沢なら兼六園・東茶屋街・近江町あたりだけで、それ以外はなーんにも活気なんてない。「◯◯商店街」なんて名乗ってるだけの、地元の人通りのない寂れたスラム街を、子供の頃は「普通の平均的な商店街」だと思ってたが、どうやらそれは違ったらしい。
都会の連中は、「観光都市」ってものに幻想を持ち過ぎてるんだよな。「北陸はご飯が美味しい、本当に素敵な場所!」とか言ってるけど、お前らは北陸の飯が好きなだけで、北陸が好きなわけじゃないじゃん。そんなに言うなら住む場所代わってやってもいいぞ?住めるんなら。
だいいち、わざわざ押し掛けて来なくても、北陸の食糧なんて東京行けばいくらでも流れてくるんだから、東京で食えばいいじゃん。「食べて応援!」なんていう呑気な有難いご支援のツイートを見て、つくづく風俗嬢ってこういう気持ちなんだろうと思ったよ。金づるだから表立ってケチは付けられないけど、内心どれだけムカついてるのかよく分かるわ。
そして東京の政治家はまた「北陸応援割」なんていうふざけた作戦をやるらしい。つまり「旅行とか考える余裕のある県外の金持ちを応援するので、地元民は頑張って搾取されてください笑」というわけですね。ふざけんなよ。何かハジけるポップなものでも事務所宛に送ってやろうか?
これに乗って「北陸行こう!」とか言ってる連中も、ナイナイ岡本の「コロナで貧しくなった女性を風俗で買い叩ける!笑」って発言と同じような精神性を感じるわ。罪悪感がない分余計に殺意が湧いてくる。
という具合で、とりあえずフラストレーションに任せて書いた。夜職云々の例えは「体の価値は比較できない!例えが良くない!」って叩かれるかもしれんけど、それは謝っとく。貧乏人の田舎者の僻みっぽいってのも承知してるが、とりあえず本音を書かせてもらった。あともう1つ書くかも。では。
以下 メールより
沖縄県条例(案)から「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除してください
11,290人が公益財団法人 どうぶつ基金さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数15,000を一緒に目指しましょう!
公益財団法人どうぶつ基金と連名者は沖縄県知事と沖縄県議会議長宛に
「沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」の削除を求める要望書を提出します。
私たちは、沖縄県動物愛護及び管理に関する条例(案)第13条について深刻な懸念を抱いています。
第13条 何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。
というこの規定は、具体的な餌やり禁止の条件が「県又は市町村が定める方法によらず」としか示されておらず、その方法以外では、飢餓状態の野良猫に対して給餌や給水を禁止するというものです。
この規定は日本国憲法第13条で保障された幸福追求権を侵害し、動物愛護管理法に抵触する可能性があります。また、市民団体から要求された「条例(案)策定過程の議事録の開示」が拒否される等透明性も欠如しています。
私たちは社会全体でノラ猫問題を解決すべきだと考えています。そのため、沖縄県条例(案)から第13条「ノラ猫への餌やり禁止条項」を削除することを求めます。
この問題は私たち全員が関与すべき重要な課題です。今こそ声を上げ、行動に移しましょう。
今スグ!署名して、ノラ猫たちの命と幸せを守る一歩としてください。
沖縄県条例(案)から第13条「何人も、飼い主のいない猫に対し、県又は市町村が定める方法によらず、給餌又は給水を行ってはならない。」を削除すべき理由
愛護動物である猫に対してみだりに、給餌又は給水をやめ、衰弱させることは、動物愛護管理法第44条2項に例示された虐待行為であり、1年以下の懲役刑又は100万円以下の罰金刑が法定刑として定められています。
ノラ猫問題は住民、県民一丸となって取組むべき重大な社会的課題であるのに、ノラ猫への給餌給水に何らかの条件や制限を設けることは、(猫好きVS猫嫌い)のような対立構造を生み出し住民同士の不要な分断を招きます。
また「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養」「人と動物の共生する社会の実現を図る」という動物愛護管理法の目的を阻害しかねません。
無秩序な餌の配散や後片付けの懈怠(置き餌)など周辺環境を汚染する行為に対しては、動物愛護管理法第25条に定める「動物の飼養、保管又は給餌若しくは給水に起因した騒音又は悪臭の発生、動物の毛の飛散、多数の昆虫の発生等によって周辺の生活環境が損なわれている事態」として都道府県知事は必要な指導又は助言、勧告、命令をすることができます。
また、生活環境の保全や公衆衛生上に支障が出るまでの悪質な行為に対しては、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で対応すべき問題です。
そして、生活環境の悪化の原因は飼い主のいない猫に限ったことではありません。
にもかかわらず、このような猫に特化した条例を作ることは、殊更に飼い主のいない猫が住環境を悪化させる(悪者)ものとして印象付け、排除する意図を表徴しており、動物愛護の良俗に反するものです。
【ノラ猫が増える原因と減らす方法】
ノラ猫が増える原因は餌やりではなく、
第一に猫を遺棄すること。
現時点、増えてしまったノラ猫問題の解決方法は給餌給水の制限ではなく、唯一、繁殖制限手術を迅速に実施することです。
(沖縄県行政が2022年度、行った飼い主不明猫や地域猫に対する無料不妊手術は42頭、過去10年間で見てもたった235頭にすぎません)
沖縄県の現状は、「猫を遺棄した者」を取り締まらず、ノラ猫、地域猫の行政による無料不妊手術をほとんど実施せず、多頭の猫の手術を実施できる体制も構築してこなかった無責任な行政の不作為の結果です。
【教育的側面への悪影響】
条例が施行された場合、例えば小さく弱き者に思いやりの心を持った子供が、お腹を空かせてやせ細っているノラ猫にえさを与える行為も、「違法である」と蔑まれる可能性すらあります。
弱き者に手を差し伸べる素朴な優しい気持ちが非難される状況は、果たして、未来を担う子供たちに胸を張って誇れるものでしょうか。
【観光産業への打撃】
世界中から多くの観光客が来訪する沖縄県ですが、素朴で温かい沖縄に住む人との触れ合いもダイナミックな景観と並ぶ大きな魅力です。もし13条案が施行されると、観光客がやせ細った野良猫にエサを与える行為が違法と非難され、衰弱した猫を放置する沖縄県という風評が立ち、イメージに悪影響を与えることが懸念されます。このような評判が広まれば、「気温は高いが、弱者や動物に冷たい沖縄」というイメージが広がり、観光業に大きな打撃を与える可能性があります。
文鮮明と統一教会のヤバさ(カルト、洗脳、北、麻薬)についてChatGPTに聞いてみた。
ChatGPT:文鮮明と彼の組織である統一教会に対する評価は多様で主観的である。彼らに対する意見は様々であり、支持者と批判者の両方がいることに注意することが重要である。ここでは、文鮮明と統一教会について提起されている一般的な批判や懸念のいくつかを紹介しよう:
論争の的となっている信仰 文鮮明氏の教えは、しばしば異端視され、様々な宗教界や学界から懐疑的な目で見られてきた。文鮮明自身を「真の父母」や「メシア」とする考えなど、彼の神学的概念のいくつかは、論争を呼ぶ型破りなものとみなされてきた。
カルトの告発: 統一教会は、その階層的な構造、会員の生活に対する厳格な管理、操作や孤立の事例が報告されていることから、カルトであるという非難に直面してきた。しかし、どのような宗教団体であれ、「カルト」であるというレッテルを貼ることは、複雑で論争の的となる問題であることに注意することが重要である。
財務上の懸念: 資金調達、什分の一、財務の透明性に関する問題を含め、統一教会内では財務上の不正行為が疑われている。一部の元会員は、組織に多額の寄付をするよう圧力をかけられたと主張している。
勧誘戦術: 統一教会はその勧誘方法について批判されており、その勧誘方法には新会員を引き付け、維持するための欺瞞的あるいは高圧的な戦術が含まれていると主張する者もいる。このような勧誘方法は、インフォームド・コンセントや個人の自主性についての懸念を引き起こしている。
孤立と家族への影響: 元会員からの報告によれば、統一教会への関与は、その偏狭な性質と集団のアイデンティティを強調するために、時には組織外の家族や友人との緊張した関係につながることがある。
(略)
増田:統一教会が信者に行ってきたマインドコントロールについて教えて
ChatGPT:「マインド・コントロール」という用語は複雑で物議を醸すものであり、宗教的あるいはイデオロギー的なグループ内の様々な心理的・社会的力学を説明するためにしばしば用いられる。統一教会がその信者たちに対してマインド・コントロールと考えられるような行為を行っているという疑惑や懸念がある一方で、ニュアンスをもってこのトピックに接近し、大雑把な一般化を避けることが重要である。
統一教会の一部の批評家や元信者は、統一教会が操作的あるいは支配的と解釈され得る特定の実践を採用していると主張している。以下は、強調されているいくつかの側面である:
外部からの影響からの隔離: 一部の元信者は、統一教会に属していない友人や家族から距離を置くように勧められたと報告している。このような外部からの影響からの孤立は、潜在的にグループとその教えに対する依存感を助長する可能性がある。
集団のアイデンティティーと忠誠心: 統一教会は強い共同体意識とグループの使命に対する忠誠心を強調する。これは個人のアイデンティティよりも集団のアイデンティティを優先させることにつながり、信者の信念や行動に影響を与える可能性がある。
情報の統制: 批評家たちは、特に統一教会に関する否定的な報道や批判に関連して、統一教会が信者が入手できる情報を統制していると主張してきた。異なる視点に触れることを制限することは、信者たちが十分な情報に基づいた意思決定を行う能力に影響を与えるかもしれない。
認知的不協和: 認知的不協和とは、自分の信念や行動が互いに矛盾するときに、個人が不快感を経験する心理現象である。統一教会は、組織の教えを採用し、反対意見を退けることによって認知的不協和を解消するよう信者を奨励しているのではないかという意見もある。
要求の高い行動: 元メンバーからの報告によれば、大規模な資金集めや勧誘活動など、高レベルの献身に従事するようプレッシャーがあったことが示唆されており、これはグループに対する義務感や依存につながる可能性がある。
(略)
ChatGPT:文鮮明と統一教会は、北朝鮮と複雑かつ多面的な関係を築いてきた。この関係は時を経て発展してきたものであり、さまざまな解釈が可能であることに注意することが重要である。以下は考慮すべき重要なポイントである:
初期の関わり: 文鮮明はもともと北朝鮮出身で、朝鮮戦争中に韓国に逃れてきた。宗教活動の初期において、彼は分断された朝鮮半島を和解させたいという願望を表明し、その過程において自らの運動が役割を果たすと考えた。
北朝鮮の指導者との関わり: 文鮮明と統一教会は、北朝鮮と韓国のより良い関係を促進することを目的とした様々なイニシアチブに関与した。これらのイニシアティブには、文化交流、人道的努力、南北朝鮮間の対話を促進する試みなどが含まれる。
ビジネス・ベンチャー: 文鮮明と統一教会は、観光業、製造業、農業など、北朝鮮におけるさまざまな事業に投資した。これらの事業は、南北朝鮮間の経済協力を促進し、統一朝鮮の理念を推進することを目的としていた。
批判と論争: 文鮮明と北朝鮮との交流は、支持と批判の両方にさらされた。批評家たちは、文鮮明のイニシアチブは北朝鮮の体制を正当化する試みと見なされる可能性があると主張し、一方支持者たちは、平和と和解に貢献するための努力と見なした。
政治的・宗教的配慮: 文鮮明が朝鮮半島の統一を提唱し、北朝鮮の指導者たちと関わったのは、政治的動機と宗教的動機の両方によるものであった。文鮮明は、統一朝鮮が世界的な調和と平和のビジョンにおいて中心的な役割を果たすと信じていた。
力学の変化: 時間の経過とともに、文鮮明と統一教会、そして北朝鮮との関係は変化していった。北朝鮮と国際社会との間の緊張を含む外交的、地政学的な動きが、両者の相互作用の性質に影響を与えた。
文鮮明の死: 文鮮明は2012年に死去し、その死は統一教会の北朝鮮との関わりにおける転換点となった。対話と和解を促進するための教会の努力は続いているが、それらは現在、文鮮明の後継者たちによって率いられている。
(略)
増田:南米で犯罪組織が行ってきた麻薬ビジネスの歴史と規模を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織は歴史的に、麻薬取引のさまざまな側面、特にコカインや、それほどではないがマリファナなどの違法薬物の生産と取引に関与してきた。麻薬取引は、この地域に大きな社会的、経済的、政治的影響を及ぼしてきた。ここでは、南米の犯罪組織が行う麻薬ビジネスの歴史と規模について概観する:
コカイン生産ブーム:20世紀後半、南米諸国、特にコロンビア、ペルー、ボリビアでは、コカ栽培とコカイン生産が急増した。1970年代と1980年代がこの拡大のピークであった。
カルテルの支配 この時期、パブロ・エスコバル率いるメデジン・カルテルやコロンビアのカリ・カルテルなど、強力な麻薬カルテルが台頭した。これらのカルテルはコカイン取引の大部分を支配し、暴力と汚職を駆使して事業を維持した。
(略)
規模
コカイン生産: 南米諸国、特にコロンビアは依然としてコカインの主要生産国である。コカインは主にアンデス地域で栽培されるコカ植物から得られる。
ルートと密売: 犯罪組織は、南米から国際市場へ麻薬を移動させる複雑な密売ルートを確立しており、多くの場合、中米やカリブ海諸国を経由地としている。
暴力と腐敗: 麻薬取引は暴力、組織犯罪、汚職と結びついている。犯罪組織は自分たちの利益を守り、競争相手を排除するために武力を行使してきた。
社会への影響: 麻薬取引は暴力を煽り、統治を弱体化させ、南米の一部地域では社会的不安定を助長してきた。また、コカ栽培や麻薬生産活動による環境悪化にもつながっている。
(略)
増田:南米の犯罪組織による麻薬ビジネスによるアメリカ国民の麻薬中毒への影響を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織が行う麻薬取引は、特にアメリカ国民の薬物中毒や関連問題に大きな影響を与えている。麻薬取引が薬物中毒に与える影響は多面的で、薬物の入手可能性、価格、効能、社会的力学などの要因が含まれます。ここでは、南米の犯罪組織による麻薬ビジネスが、アメリカ国民の薬物中毒にどのような影響を及ぼしているかをいくつか紹介します:
南米の犯罪組織は、米国への違法薬物、特にコカインの主要な供給者である。大量に麻薬を生産し流通させる彼らの能力は、アメリカの地域社会でこれらの麻薬を入手しやすくする一因となっている。
南米からのコカインやその他の薬物の大量供給は、時として価格の低下につながり、潜在的な使用者にとって、これらの薬物をより手頃な価格で入手しやすくしている。
南米の犯罪組織が製造するコカインやその他の薬物の効能は、中毒のリスクを高める可能性がある。より強力な薬物は、より迅速かつ強烈な効果をもたらし、使用者が依存症を発症する可能性を高める可能性がある。
(略)
増田:ロバート・パリー氏のメディアサイト内の記事「Dark Side of Rev. Moon (Cont.): Drug Allies」(https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html)の内容を箇条書きで説明して
ChatGPT:ロバート・パリーによる記事 "Dark Side of Rev. Moon (Cont.): 1997年に掲載されたロバート・パリーによる記事「麻薬の盟友たち」は、文鮮明と麻薬関連活動、および政治的影響力の買収活動との間に疑惑があることを強調している。この記事は、文師と南米の麻薬密売人や右翼政治家とのつながりに焦点を当て、文の影の金融慣行や疑わしい団体に光を当てている。記事の要点は以下の通り:
文鮮明の政治的影響力買収作戦: 記事はまず、文鮮明の膨大な政治的影響力買収活動に対する関心の高さを取り上げている。記事は、文の組織が主要な政治家への秘密裏の支払いによって影響力を購入し、『ワシントン・タイムズ』のようなメディアに資金を提供していることを示唆している。
文師の財務慣行に関する疑惑: 記事では、文氏の組織が資金洗浄や、文氏の息子であるヒョジン氏のためにコカインを購入するなど、個人的な贅沢のために資金を流用していると非難されていることを強調している。これらの行為は、1982年に文氏が脱税で有罪判決を受けた犯罪になぞらえられる。
麻薬に汚染された暴力団とのつながり: アジアの組織犯罪やラテンアメリカの麻薬取引とつながりのある極右主義者との文氏のつながりが議論されている。文氏の麻薬密輸や組織犯罪に関わる人物とのつながりは、アジアにおける統一教会の初期にまでさかのぼる。
文鮮明とヤクザの関係 文氏の組織は、日本のヤクザ組織のリーダーであった笹川良一氏から支援を受けていた。この支援は、麻薬密輸やその他の犯罪活動とつながりのあった日本と韓国で、文氏の組織が進出していくのに役立った。
世界反共産主義者同盟(WACL)との結びつき: 文の組織は、世界反共産主義者同盟のような組織で重要な役割を果たした。世界反共産主義者同盟は、元ナチスや右翼の人物とつながりがあった。文の信奉者たちは、これらの組織を通じてCIAと密接な関係を保っていた。
南米における文鮮明の活動 南米や右翼の軍事指導者たちとのつながりを探る。ボリビアやアルゼンチンといった国々における文の存在は、右翼政権の台頭や麻薬密売活動の疑惑と重なる。
コカインクーデターへの文の関与: この記事では、1980年にボリビアで起きた「コカイン・クーデター」への文鮮明の関与について詳述している。クーデター後、文の組織は主要なクーデター実行者や麻薬密売人とつながりがあると報告されている。
文鮮明の拡大と影響力 ウルグアイやアルゼンチンへの投資を含め、南米における文鮮明の継続的な拡大について記事は論じている。文氏の経済的、政治的基盤の拡大が、監視の目を逃れるための活動の変化とともに指摘されている。
文の政治的コネクションの意味するもの: この記事は、文が影響力を買い、アメリカの有力政治家とのコネクションを持つことで、立ち入った調査から文を守ることができるかもしれないと示唆している。(後略)
解釈:文鮮明は脱北後も北の工作員同然の活動を続け、南米のコカイン利権に食い込み宗教団体に偽装した巨大な犯罪シンジケートを構築。日米他の有力政治家に利益供与を行い庇護を受けつつ、国際政治に大きな影響を与える反米親北の大物フィクサーに成長。死後、妻の韓鶴子(マザームーン)に権力が移行。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230810/k10014159471000.html
s****** 外国人観光客の消費はGDPの1%に満たない。55%を占める国内の個人消費を喚起する政策を優先すべき。そもそも観光に依存する経済・商売は脆弱であり、それが外国人観光客となれば尚更。コロナ禍の経験から学ばなかった?
自動車産業だってGDPは2.5%しかないのでほとんどの産業は「GDPの1%に満たない」。この言い方は卑怯。
また、観光業は諸外国でGDPの4%ほどを占めているので日本はまだまだ伸びしろがある。自動車産業がもう一つできるってこと。
実質賃金1%も上がっていない生活苦しい分際で賢しらぶって経済評論してないで、とっとと中国人にレモネード売れって。そっちのほうがよほど豊かになれるぞ。
基本的に観光客は外からやってきて騒音とゴミと迷惑をばらまくだけの害悪でしかないけど、金を払うからみんななぁなぁで誤魔化してきただけ。
そこにコロナのイベント中止で「実は観光客とかいないほうがよくね?観光業関係は金もらえるんだろうけどそれ以外にとってはただの迷惑じゃん」
ってみんなほんのりと気づき始めたから、アフターコロナのイベントは「観光客は迷惑な害悪」ということを前提に「それを直接的な利益がない地元民や周辺住民ににどう受け入れて貰うか」が今まで以上に重要になってくと思う
関西は、文化的な趣味(美術や音楽、古伝を基礎にした先端の感性に触れる)機会があって、けっこう楽しかった。
大阪、京都、神戸。どこも自分の住んでいた古い町よりも深くて大きくて驚いた。驚くことで調べて地元の深さ広さ高さ長さも知った。「大阪」や「東京」という一語にくくれない。どんな都市の文化だってそうだ。自分の街も関西についても0.4%だって知らなかったなってイキり散らした間抜けな自分にダメージ。
最先端のものを追いかけて、日本初上陸のサムシングに群がる有象無象のクルクルパー・ムーブって虚しいなと思った。彼/彼女らは、たいてい東京に3店舗くらい来て3年待たず撤退する不良債権みたいな事業ばかりを追いかけてる。殺虫灯に走っていく夏の夜の虫みたい。
もちろん、東京にしかないものもあるだろう。人口が多いから成立する商売だ。たしかに5%くらいは東京のものかもしれない。でも5%なら、その他の市町村にも固有性はあるんじゃないだろうか。語彙「文化」は、まさに、そういった普遍性と固有性を汲み上げるための教養であり、それを支え、そこに参与していく主体性と不可分ではないだろうか。
だから、東京に住んでいることだけで、自分たちを文化の中心にいると勘違いしてる人を見ると哀れだなと、としみじみ思った。
出張に行くことも増えてきた。
そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市の豊かさに心打たれるようになった。
ここには、東京でやった展覧会の巡回展も来てくれない。海外アーティストのライブだってやらない。でも国会図書館にはアクセスできる。
こういう場所に暮らしている人々もまた、それぞれに趣味を楽しみ文化をつくっている。自分のいる場所が中心じゃない。
大人になると誰でも、この程度は判る話だ。
辛くならないんだろうか。東京に住んでるだけ、海外文化の消費者の第一人者を自称することで、文化つくってる気になるなんて。
まあ、地方だって展覧会には行列ができる。でも東京で数時間ならんで観るくらいなら、その時間で、もっと文化的で豊かなことできそうだけど。
なんか、悲しくなってきた。
【追記】
地方の文化なんて単なる消費じゃないか!みたいな意見が大きな釣り針で垂らされていて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「海外から東京地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
もしくは深く長く高く広い伝統文化と、そこから湧出する人類普遍の文化的性質との邂逅。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが人間の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
「文化」は東京に住んでるだけでつくれるモノじゃ、ないんです。
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかける人々にも出会えない程度の人脈と教養しかなかった君のどこが文化的なの?
まあ東京に4世代前から住んでいて、かつての東京の深みのようなものを、ある程度まで理解してるなら別だけど、住んでるだけなら、もはや首都神話や観光業界が生み出したファンタジーだって分かると思うけど。
東京はサロン文化だなんて言うけど、どこでももサロン文化あるからね。明治維新の頃に、日本が近代化したの知ってるかな。
東京の文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが都市生活の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
美術は美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかりやすく書いただけだよ)
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?
まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。
関西でも、文化的な趣味(美術や音楽、最先端の海外文化など)って、けっこうキツかった。
最先端のものはほぼないし、日本初上陸のサムシングも、たいていは東京に3店舗くらい出来てから、関西に来る。
もちろん、趣味の95%はカバーできるんだと思うけど、上澄みの5%は東京にしかない。
言ってみれば、京都が首都だった頃の一級品は京都にしかないのと同じだ。
だから、東京に戻ってきたときは、ああこんなに恵まれてるんだな、としみじみ思った。
そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市に行くわけだ。
ここには、東京でやった展覧会の巡回展も来てくれない。海外アーティストのライブだってやらない。国会図書館だってない。
そういう場所に暮らしている人って、どうやって趣味を楽しんでいるんだろうか。
辛くならないんだろうか。
なんか、悲しくなってきた。
【追記】
東京の文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが都市生活の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
美術は美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかりやすく書いただけだよ)
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?
まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。