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2022-11-20

anond:20221120220255

まぁ全く理解できないは言い過ぎた。そうなんだろうなとは思ったけども。

じゃあ人と喋るのはいいのか?(その店はいいっぽい。「コロナから喋るな」という張り紙はあるのに)

本を読むのはいいのか?(スマホダメだけど本は読んでも怒られないバーはある)

なぜスマホだけダメなのか。スマホ視覚的に美しくないから?ラーメンを食べる礼儀を欠くのか?

まぁ美しくないんだろうけど、現代社会スマホ触れない店って?日常的に使うラーメン屋で?すき家とは違うと。

特にダメという張り紙があるわけでもないのに、店側が野暮ったい客を見て追い出すのは理不尽さを感じるな。

自分はもう行かないだろうから、その店にとっては合理的判断だっただろうけど。

anond:20221120215839

この感覚はまったく理解できなかったな

この感覚がわからないわ。店主が選定したどんぶり内装も綺麗に掃除したカウンターも綺麗な盛り付け視覚情報はどうでもいいってことやろ。家で食えよ。

2022-11-14

3交代シフトとか言う人体構造に反する拷問

月:日勤 8:00~17:00

火:日勤 8:00~17:00

水:夜勤17:00~24:00

木:実質休み

金:深勤 0:00~ 8:00

土:休み

日:日勤 8:00~17:00

 

木曜日の実質休みがクセモノで

これって木曜日の0:00に業務が終わってその日の24:00には出勤しないといけないんだよ

そう考えると水曜日夜勤明けにすぐに寝ると大体の場合木曜日の朝に目が覚めるから

そこからずっと起きていると金曜日の深夜勤中に眠くなる

なので、水曜の夜勤が終わった後は木曜朝のそれなりの時間まで起きている必要がある

まずこれが辛い

 

次に金曜の深夜勤明けも難しくて、徹夜仕事してよっしゃ終わった寝るか!ってすると

間違いなく夕方か夜あたりで目が覚めてそのまままた徹夜モード

そうすると土曜の朝らへんに眠たくなって土曜で何とか立て直さないと日曜の日勤に遅刻する

対処法は2つしかない

1.金曜の深夜勤明けても寝ない、何とか夜まで頑張って夜になってから寝る

2.金曜も徹夜して土曜の昼からなんとしても寝ない、何とか夜まで頑張って夜になってから寝る

おすすめは1

2の場合土曜日の総起動時間が長いので疲労睡眠不足が蓄積し、日曜の朝の寝坊率が極めて高まる

 

夜勤日勤シフト者にパチンカスが多いのはこれに一因がある

※もろちん夜勤日勤シフト者に底辺労働者が多いのも原因の一つではある

夜勤明けに何とか眠らずに夜まで時間を潰す一番いい方法パチンコ屋に入ることだから

聴覚的にすげーうるさいうえに視覚的な刺激も高く演出が来るとアドレナリンドーパミンが出る

もう疲れて死にかけている脳をなんとか騙して夜まで頑張らせるのにうってつけなのである

 

そうこうしている間に身体も脳もボロボロになってシフトはいなくなっていく

ワイ者も自律神経を破壊されて社会復帰するまで2年かかった

はっきり言って日勤夜勤シフトするくらいなら限定夜勤のほうが100000倍マシ

日勤夜勤シフトなんか夜勤シフトじゃない日は給料ウンコだし

死ぬ

2022-11-12

まんこ視覚的魅力について考えてたけど、なかった。

普通にグロいもんな。

やっぱりあれは女についてるから魅力的な訳であって、あれが男に付いてたら🤮となるだけだ。

結論として、女というだけで許せる部分があるということだ。

女はイージーモード

2022-11-10

anond:20221110114360

認知特性から仕方ない気がする。

視覚優位だと声を聞き流しながら作業できるけど、音の高低の判別が苦手だったり、発音の違いがわからなかったりする。

あと音楽の感じ方。耳のいい人が見せるコード進行に対する反応の良さは素直に羨ましいなって思う。

2022-11-07

anond:20221107112452

優しい男は相手が女だろうが男だろうが優しいし、優しくない男は女には性的見返り(性的興奮をもたらす視覚嗅覚等の刺激程度のものか、より直截的なものかはともかく)が男にはまた別のものがなければ優しくないというだけの話なので、男はみな性欲で動くと主張する増田も元々優しくない男に優しさを求めるフェミも不当

2022-11-06

メンヘラ好きは一生そのメンヘラ女と閉じた世界で暮らせ

メンヘラ女が好きな奴は一生その閉じた世界に引きこもってて欲しいんだよな。

その時に視覚の外に捨てたブスに後から求婚しないでほしい。

素行が悪くて、気に食わないことがあると暴れるメンヘラ女を増長させる男もはや存在公害から

その生活コストを誰かに肩代わりさせようとしたり、自分だけ逃げて

から自分だけは正常な結婚しようとするとか、都合良すぎなんで

一生メンヘラ女と閉じた世界で暮らせ

2022-11-04

やっぱりキャラの魅力って大事だなと思った

https://anond.hatelabo.jp/20221102221741

キャラの魅力と言えば今話題になってるジャンプラのこれ、

https://shonenjumpplus.com/episode/316190246926677072

トランスヘイト云々以前の問題として、そもそも漫画になってないと思うんだよね。とにかくキャラの魅力というものが皆無過ぎると思った。要は漫画として、感想を言うに値する土俵にすら立ってない。

ここでいう「キャラの魅力」とは単に可愛いかっこいいといった問題だけではなく、そのバックボーン説得力があるか、理解できるか、要はここで話題になっていた「ストーリーや設定」そのものと言ってもいい。

例えば話の途中で主人公細川は実は女性であった事が明かされるが、何故彼女が男になりたいと思ったのかがさっぱり分からない。

作中の描写だと以前の職場社長からセクハラを受けたようだが、どうしてこんなに行動力のある主人公がその社長に直接復讐しなかったのか。無理がありすぎるよ、全く説得力がない。

しかも初っぱなから主人公非正規雇用である旨が明かされ、10年以上働いているならもう30歳過ぎの筈なのにそれに対して特に危機感を持つでもない不自然さ。

非正規雇用でも独身で一人で暮らすだけならまあ何とかなるにしても、蛇なんてマイナーペットを飼っていたらそれなりにお金はかかるだろうにそこに特に悩むでもないのが不自然過ぎる

主人公が30歳を越えた大人思考回路をしていない。これなら普通に学園ものでよくない?

主人公ターゲットとなるパワハラ上司にしても、顔がそれなりというだけのただ単に嫌な奴でしかなく、何の魅力もない。

まあ魅力的に描くつもりはなかったのかもしれないが、深みのある漫画ならこういうパワハラクズ野郎が妻子には優しくてまともな家庭人やってるという二面性を描いたりするんだよなあ…この漫画はそういう描写ゼロなので、キャラクターがあまりに浅すぎる。人間が描けていないというか端から描こうとする気もなく、単にスカッとするだけのサンドバッグ要員なんだろうけれど。

そしてそのパワハラ上司主人公に言われただけで自分を女だったと思い込むのは、いくら何でも不自然過ぎる。こんな奴いねえだろ。

パワハラ上司にざまあwするコンテンツならば離婚して妻子に捨てられて終われば十分なので、スカッジャパンコンテンツにすらなっていない。

これなら最初からトランスジェンダー要素なんて入れずに普通にBLで良かっただろ…

あと、主人公パワハラ上司以外があまりにも書き割りのモブ過ぎて…読み切りでも普通はもうちょっと他のキャラも立てるもんでしょ。掘り下げられたキャラクターが最低3人は欲しいよ。例えば同僚の田中も実はパワハラを嫌がっていて主人公に協力しようとするとか、中原さんも本人がセクシャルマイノリティ主人公の正体に気付くとか、そういうドラマも作れそうなのに。

どうしてもリアル描写が出来ないならSFファンタジーにして逃げるか、学生主人公にすればいいと思うんだけどねえ。どうして30代のキャラクターでやってしまうのか。


twitter比較して持ち出されていたタコピー原罪はその点上手かったよ、主人公タコピーが異常なまでに無垢宇宙人常識を知らない事、メインの子供達も所詮小学生で狭い範囲しか物事を見ていない事を生かした演出漫画を魅力的に魅せている。

その認識現実とのズレは東くんとその兄とのやり取りで視覚的にも分かりやすくなっているし

最初はいじめっ子としか思えなかったまりちゃんの家庭の事情が後から明かされたり、ただただいじめにじっと耐えてきたしずかちゃんまりちゃんの死で満面の笑顔になるなどのギャップ描写も上手く、

ヘイトコントロールが行き届いている。

そしていわゆる「毒親である大人達についても少ない出番でそれなりに保身や社会的秩序遵守に長けた大人としての側面が描かれ

こういう人いるよねーという実感を持って読者に受け入れられ、

漫画的な過剰表現として切り捨てられない説得力を与えている。

まあタコピーは連載だったかキャラを掘り下げる余裕は十分あったとはいえ

ジャンプラには読み切りに限ってもその限られたページ数でちゃんキャラクターを魅力的に、説得力をもって描いている読み切りは沢山あるよね

例えばこないだの薙刀読み切り『静と弁慶』とか。

https://shonenjumpplus.com/episode/316112896822206488

家庭の事情翻弄される小学生の話『さくらの詩』とか。

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496885813688

女性同士の同性愛を描いた『その日に残るかけらのために』でも、社会人ならではの経済的な悩みには一応触れているし

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496463141040


そこに行くとこの読み切りはあまりにもキャラの魅力もないし社会性もなさすぎるんだよなー。別に長々と描かなくてもいいから、一言触れるだけでも全然違うのに。

ほんと魚と野菜を買ってきて何の調理もしないで皿にも乗せる事さえしないで、テーブルの上にただドンと置いただけって感じ

レベルTwitterの呟きの域を出てないんだよ、良し悪しを語る以前に漫画になってない

2022-10-31

anond:20221030104354

禁止することは難しいと思う。

安全性騒音に比べて視覚的な煩雑さはかなり許容されうるので非難するならそっちからかな。

2022-10-29

休日別に買いたいものもないのに雑多なドンキとかイオンとかリサイクルショップに行ってしまう。あえて視覚から仕事以外の情報入れまくって思考シャットダウンさせてるんじゃないかと思えてきた。平日仕事ばかりでほぼ毎日深夜前まで残業してると寝ても頭が仕事から切り替えられないんだよなあ。

2022-10-26

anond:20221026084608

視覚優位、聴覚優位、言語優位で検索してみてほしい。

その人が作ったパワポ見れば、本人がどれ優位かよくわかるのが面白いよね、プレゼン

2022-10-23

左右盲がどうとかって話を聞いて思い出したこと

「右と左の区別がつかんからタトゥー入れた」みたいなツイートみて思い出した

昔、妄想してただけの疑問なんだけど、

「生まれつき、すべての知覚が左右反転してしまっている人がいたとして、本人はそのことに気が付くのか?」

というもの

確か、「左右反転するメガネ」をかけると意外にすぐ適応する、って実験を見て湧いた疑問だった気がする

じゃぁ、生まれつきそのような疾患を持っていても、本人含め誰も気が付かないのでは?と。

そもそも右と左ってなんだ?俺がそうでない確証はあるのか?俺が観てる・感じてる右とみんなが観てる右って本当に同じなのか?

と、考えるのがしんどく無くて放り出した。誰か答えを知ってたら教えて欲しい。

#追記

いわゆる「左右盲」はどうでもよくて、

「「視覚を含めた全ての知覚が左右反転してる架空の人」が存在したとして、その人の日常生活には支障がでるのか?何も問題ないのでは?」が疑問である

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(2)※末尾に追記

(1)anond:20221023223518からの続き

 いくら視覚的な識別手段機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。

 例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。

 「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というもの存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」

 二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。

 このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦言葉想像力による夢幻世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。

 ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。

 視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。

 それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなた想像産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。

 もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。

 もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレント言葉なのではないだろうか。

 『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品執筆したものと思われる。

 『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ甘露寺蜜璃のような「本当の自分他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実世界にも多数存在するように思われる。

 そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。

 それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である

 そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである

(了)

(2022/10/25追記)香り嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

―――――――――――――――――――――――――――――

 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-10-21

ワートリのセクハラが叩かれるのって

あの漫画が「セクハラしなさそうな漫画」だからだよね。

トリオン体だとかベイルアウトだとかの肉体性を廃した設定で、絵柄もあって生々しくないんだわ。群像劇感もあって女性受けもしてるし、視覚的な読者サービス要素も特にないし。性欲なさそうな漫画雰囲気があるんだと思う。

そんな雰囲気なのに味方キャラギャグ的なセクハラ。サイドエフェクト大事にしない女だけ予知して狙ってるとかい痴漢常習者みたいな設定。カバー裏カップ数。

女がしょっちゅう全裸になるエロコメがアレでもそんなもんって感じだけどワートリはああい漫画からこそ性的サービスキモさが際立つんでしょ。

言葉

まり書かれたり話されたりしたものとしての言語は、私の思考装置では何の役割果たしていないと思われる。

心のなかにあって、思考の要素として役に立っていると思われるのは、ある種の記号や、視覚的で力強いタイプの……明確だったり不明確だったりするイメージなのである

習慣的な言葉をはじめとする記号が、細心の注意を払って探求されなければならなくなるのは、ようやく第二段階に入ってからことなのだ。

アインシュタイン 「どのように思考をはたらかせているのか」と問われての返答より

2022-10-18

初めてソープに行った

27歳。昨日初めてソープランドに行った。

これまで、セックス経験はあったし風俗経験もあった。

ちゃんと付き合った彼女は4人ぐらい。

風俗は主にデリヘル20〜30回ぐらい。

デリヘルでもお願いすると大抵は本番させてくれる。だから風俗での挿入経験はあった。

それでもいわゆるソープには一度も行ったことがなかった。

まずソープがある場所が限られている。東京なら吉原

普段行かない場所で駅からも遠い。

マンガ映画江戸遊郭現代吉原を描いた作品を読んでたこともあり気軽に近づける雰囲気ではないと思っていた。

また、ネットで知り合った女性の友人に1人だけ元高級ソープランドで働いていた人がいて、彼女から仕事の大変さと厳しさみたいなことを聞いたことがあったので余計に気軽には行けないと思っていた。

日曜日夕方、ふとその彼女のことを思い出し、昔彼女から「いつかソープに行ったら感想教えてね!」と言われていたことを思い出した。

人生長いわけだし一度体験してみたい。そう思いスマホ検索した。スマホ検索すると色々多すぎて調べづらかったのでPCに移動。

タブを駆使して調べまくり、結果として「ピカソ」という店を選んだ。

理由はいくつかあって、まず行くなら1番いい店に行って最高の体験をしたかたから。ピカソは“日本三大ソープランド”として歴史もあり有名らしかった。

大手風俗情報サイトCityHeavenに掲載されていないのもポイントだった。個人的にCityHeavenは食べログ風俗版みたいなものだと思っていて店舗から広告料をもらうビジネスモデルなのでそこでプッシュされているお店はあまり信用していない。それでもほとんど100%に近い店が掲載だけはしているのだが(食べログ広告料を払わなくても掲載されているように)、ピカソは載っていなかった。つまりこの時代Webポータルサイトを経由しなくてもお客さんが集まっている証拠だ。

最後に、初回は女の子指名できないというこだわり。好みの女の子要望を店が聞いて合いそうな女の子を選んでくれるそうで、このスタイルを取っているのはピカソぐらいだということだった。

そういった歴史権威があるからこそ取れるスタイルに信頼感を持ってピカソにすることにした。

ちなみに価格は入浴料(お店のお金)が33,000円、サービス料(女の子お金)が50,000円の、総額83,000円だ(店側だけプラス消費税っぽい金額になっていることに女の子脱税雰囲気を察したが気にしない)。

当日の予約では埋まっていることも多いそうだがラッキーなことにすぐに予約を取ることができた。

女の子の好みは「巨乳、色白、歯が綺麗で清潔感・清楚感がある、若い雰囲気でいうとアイドルっぽい可愛い子」というオーダーをした。

山手線鶯谷駅からタクシー10分ほどで店に到着し、控室に通されると他のお客さんが一緒だった。お互い顔も丸見え状態で少し恥ずかしい。もし知り合いと会ったら気まずいことこの上ない。

というのも始まる時間が18:00〜、20:00〜、22:00〜、など2時間ごとで決まっていて、まるでコース料理専門の高級料理店のように、全お客さん一斉に始まるのだ。

古いホテルフロントのようなその控室でホテルのようなメニューからドリンクを選ばされ、少し待つ。

1人づつ準備ができたとボーイから声をかけられて控室を出ると、煌びやかなドレスに身を包んだ美しい女性、という小説のような表現のもの女の子が待っていた。

うん。思っていたのより1.75倍ぐらい可愛い!よかった!

芸能やってるほどじゃないけど(仕事芸能やっている女の子をたまに見ることがある)、小さい頃からクラスで1番可愛いって言われてきただろうなという感じ。

以前港区の高級会員制ラウンジに連れて行ってもらったときには「全員芸能レベル可愛い」というネットの前情報を聞いていたので、期待値が高すぎてガッカリしたことがあったが、今回は期待値を上回った。

このレベル可愛い子はデリヘルだったら同じ8万ぐらいの超高級デリヘルとかじゃないといないだろう。

部屋に入って、軽く話をしつつ服を脱がせてくれる。

AVとかで見るソープって三つ指ついて、、みたいな感じだけどそこまでかしこまってはいなかった。

めっちゃ丁寧だけど、恐縮しない程度にはラフみたいな。

そこから即尺からのベッドでセックス

よく増田とかでは童貞が上手くセックスできるようにアシストするみたいなこと書いてあったから、入れられる側でどうアシストするんだろうと期待してたけど、別に何もなかった。

うん、普通セックスだ、ちょっと喘ぎ声がオーバーな。

ちなみにあとでまとめて書くが感じている演技は正直気になった。

そのあと交代して騎乗位。騎乗位の上手さは別格だった。

元高級ソープ嬢の友達もそうだけど、騎乗位が一般人女の子と比べて別次元で上手い。

そもそも普通女の子騎乗位しても1、2分も動いたら疲れてもう無理〜ってなると思うが、5〜8分ぐらいしてもらった気がする。

しかも同時に乳首も責めるという余裕っぷり。

自分ちょっとM気質があるので、その自分の弄ばれっぷりに興奮して射精た。

イった反動で寝ていると「飲み物何か飲む?」と聞いてくれて、ポカリを飲んだ。切ったレモンが入っていてオシャレ。高級ホテルみたい。

の子は梅こぶ茶を2杯頼んでいた。美味しいか自分の分も頼んでくれて「一緒に飲もっ!」ってことだろうと思った。

自分ポカリを、女の子は梅こぶ茶を飲んで少し落ち着いて話をする。

女の子が梅こぶ茶を1杯飲み終わり、2杯目を飲もうとしたとき「え!? 自分で飲むの?」ととっさに心の声が出た。

自分のためにもう1杯頼んでくれたのかと思ったと説明すると、なんと普段から必ず2杯飲むそうなのだ

「2杯飲むことを驚かれることはあるけど自分の分だと勘違いされたのは初めて」と言っていた。

「次からは3杯頼むといいかもしれない。2杯は自分のため、1杯はお客さんのために。どうせセックスのあとの男は冷たい飲み物を頼むんだから『冷たいのだけじゃお腹冷えるかなと思って。それに美味しいから一緒に飲みたいなって。』と言われて惚れない男はいないと思う。もしいらないと言われたら3杯飲めばいいよ。」とアドバイスした。

女の子がされて喜びそうなそういう気遣いを、普段男はされることが珍しいので、一発で嬉しくなっちゃうと思う。

お茶をしながら好きなものの話をしたときには素が出ていてよかった。

プロフィール上は20歳、実年齢も高くても25歳ぐらいな雰囲気だったので年齢が近めで素の話ができたのかもしれない。

好きなマンガの話になって、進撃の巨人を15ぐらいで断念した話をしたら必ず読んで欲しい!!!あとちょっと面白くなるから!と熱くなっていた。

さっきまでのお淑やかな雰囲気はどうした(笑)と思いながら、あーこのちょっと素が見える感じいいな、と思った。

そこから風呂に入って待っている間にマットプレイを用意してくれた。

当然マットプレイは初めてやってもらったが新感覚だった。

普通めっちゃしかったしなんかテンション上がる!

AVでよくある、視覚的に1番エロい足の裏をおっぱいで洗うとか、スイーって動くとかがうつ伏せになってるから見えないというのが残念だった。ラブホみたいに横に鏡があればいいのに。

口で背中とかおしりを舐められる?吸われる?のが気持ちよかったけど、特に今まで感じたことない感覚だった。

背中なのでどういう動きをしているかは見えないのだが、目を瞑って感覚だけを頼りに想像すると、なぜか水槽掃除するマグネットのやつをやられてるみたいだなと思った(笑)

ピッタリくっついてちょっとザラザラしたもの(舌?)で擦られている感覚

マットのまま仰向けになり挿入。

あのヌルヌルの中手際よくゴムをつけるのがさすが。

遅漏気味の自分は2回目は騎乗位でイけなかった。

そのままずっと動いてもらうこともできたが、ヌルヌルの中動くのが見ていてめっちゃ疲れそうだし大変そうだなと思ってしまってちょっと申し訳ない気持ちになってしまった…

なので乳首を舐めてもらいながら目を見てもらって自分でシゴいた。

最後はイク直前で口に鬼頭だけ含んでもらい口内射精

ローションを洗い流してもらって、自分はもう一度湯船へ。

女の子はマットの片付け。

片付けを見ながら、

ネットで知っていた情報みたいなもの再確認する感じがメタ面白かった。

ローション混ぜるお湯は火傷するぐらい熱い、何度も身体を洗うから肌が傷む・保湿めっちゃやらなきゃいけないとかは、見ててそうだろうな〜みたいな。

キリのいいところで風呂を上がって着替えていたらちょうどピッタリ21:50になり、終了時間だった。

タイムキープはさすがのプロ

先ほどの待合室の反対側にある、終わった人用の待合室に通され、そこで新しいドリンクをもらいながらアンケートを書く。

その後初めて全員の女の子顔写真が写ったアルバムを見ることができる。ピカソ以外は入店時や予約時に見れるそうだが、ピカソでは初回はお任せのみなので、このときに初めて見れて以降は指名をできるようになるそうだ。

88,000円は安くはないが納得する満足感だった。

不満点は2つだけ。

1つ目は女の子が恐らくタバコを吸っていて口が少しタバコ臭かったこと。最初ディープキスをしようとしたが、フレンチに制止されたのもそれを気づかれないようにするためのような気がする。

まあ、自分体験して、10分前まで前のお客さんの身体を吸っていたことを実感した後でディープキスしたいかと言われると微妙だが。

2つ目は喘ぎ声や気持ちいい身体の反応などの演技が過剰なこと。

これは一般女性セックスしたことなくてAVしかたことない男だと高ポイントになるかもしれないので難しいが、自分萎えた。

ちょっと触っただけで脚を痙攣させたり、短いセックス中に2回も中イキした演技をされると、流石に嘘やんと白けるのだ。

リアリティーのある感じている表情や仕草を知っているとそのエロさを超えられない。

もちろん当然、リアリティーのあるブス <<<< 演技の美人 なので、高級ソープにいる女の子ぐらいの可愛さの女の子の感じている表情を見たことがなければ大満足だろう。

残念ながら自分は今回担当してくれた女の子よりも可愛い女の子と寝たことがあったので、そのエロ可愛さには勝てないなと素直に感じてしまった。

総じて満足度は高かったし、行ってよかったと思った。

こうして気持ちの悪い文章を書くことも出来たので満足だ。

2022-10-17

障害児産んじゃっても

の子おっさんになる30年後には遺伝子治療一般化してるだろうし

治るんじゃね

それより脳に電極埋めたりVRヘッドセット聴覚視覚を刺激して神経をうまい事調整する感じになるかな

2022-10-14

おせちって何であんな不味そうに見えるんだろ

青空レストランおせち企画見て毎回思うんだけど、1つ1つの素材は放送当時素直に「うまそ~~~~!」と思えるのに

いざおせちとしてまとめてお出しされるとあんまり美味しそうに見えない

https://www.ntv.co.jp/aozora/static/osechi.html

 

分かってくれる人はいるだろうか

あの四角いおせちの箱に詰められた段階でかなり視覚的なデバフがかかる

カレーを銀の深皿に入れた場合の逆というか

 

たぶんこれまでの人生で食べたおせち料理に良い思い出がないからだと思う

まあ子ども舌と言われたらそれまでなんだが

 

それにしても今年のおせち発表回のゲスト鬼越トマホークか。出世したなあ

2022-10-12

anond:20221011190030

人間反論されると間違いを認められないのが人間なので、AI議論論理判断善悪判断はしない)をしてそれを表示するサポート機能必要

少なくとも論理矛盾無しに展開される議論有意義からな。

もしくは、議論が発展した時に前にした主張を撤回できるオプション提供されるべきだろう。見てる限り、現状論理矛盾しながら発言する人が大部分なので、それが視覚化されればもっと気軽に前言撤回できるようになって、本質的議論が深まって良いと思う。

2022-10-11

セクマイ交流、見せる様のネット自分、ゆるく繋がるSNS

アセクシャル(女)のTwitterアカウントを見ると漏れなく地獄で草。高確率で昔の彼氏ガーとかセクハラがーとか男ガーキイイイイイイとかやってる

いやそれアセクシャルじゃなくてただの性嫌悪やんけ・・・っていう

まぁわざわざTwitter自分セックスについて世界中に向けて発信しようって言うんだから

LGBTQAに限らず、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』が原動力になっているのは必然

 

人のむちゃくちゃ多い東京に出る機会があったのでせっかくだからセクマイ交流に参加してみようかなと思ったけどなんか難しそうやな

 

あと人となりがわかって交流がしやすい?ってことなのかTwitterベースにしてるの多いな

いやいや何が楽しくてTwitter自分セックスについて熱心に発信せなアカンねん

さっきも書いた通り、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』があるか、ジェンダーにまつわる活動家じゃないと無理くない?

 

どうしてもTwitterでやるなら仕事関係者に見せても大丈夫な『見せる様のネット自分』を作ってそれに紐づけるかだな

最近名刺プロモーション代わりに見せる様のネット自分があっても良いかなと思い始めている

けどインスタ映えみたいな事に時間を割くのって増田無為に過ごす以上にどうなの?とも同時に思っている

増田ストレス解消や考えの整理に役立つけど、オンラインサロンみたいのでメシ食う心づもりがあるわけでもないのに

インスタ映え(類すること)・・・な。虚無るわ

 

便利かどうかはわからないが、視覚的にはとりあえず新しく、手触り・操作感がいい、

見せる様の自分をゆるくげられるSNS作っても良いかなぁとぼんやり思ったり

マイノリティー向けに限定したSNS作ってもいいかなって一瞬思ったけど、昔作って運営してた時は手間ほど得るものはなかったので、

マイノリティーには限定せず、最初から人に見せていい自分でお願いする

あとメタバースな。1秒も関わってないけど見せる様ならうってつけな気はする

とりあえずモデリングから始めるか・・・

2022-10-09

anond:20221009201753

視覚を失った時に備えて

脳のどのへんに電気を流したら望むものと同等の体験をした気分になれるかについての機械学習も進めてほしい

anond:20221009190416 anond:20221009192855

そもそも新しい絵柄とか鼻で笑えるので

君たち2歳児の描いた絵で抜かないでしょ

2歳児の描いた絵という情報があれば特殊性壁の人たちなら抜くかも・・・?だが、視覚で拾える情報では抜いてない

なぜならウケる絵柄ってのはパターンがあるからだ。パターンがあるもの学習するのはむしろ機械のが人間よりも得意

パターンに沿ってカスタムするだけで、ハイ!新しいキャラクター・絵柄やん

簡単操作アプリもとっくの昔に国産で出てるぞ

Crypkoについて https://crypko.ai/

Crypkoは、深層学習を応用した画像生成モデルの1つである敵対的生成ネットワーク」(generative adversarial networks、GAN)を使ったキャラクター生成プラットフォームで、PFNが2022年4月から提供を開始しています。Crypkoでは所定のアプリポイント(Crypko Point、クリプコポイント)を消費して、人間イラストレーターが描画したような高品質キャラクターの生成、融合、属性変更可能です。また、生成したキャラクターライブラリ登録・公開したり、他のユーザーキャラクターお気に入り登録したりすることで、Crypkoプラットフォーム上の新たな創作コミュニティに参加することができます現在、Crypkoには8万人以上のユーザー登録しており、すでに300万点以上のキャラクターが生成されています。また、有料プラン日本韓国中華圏・米国からの決済が可能です。

 

動作イメージ(2019年コミケで公開されたヤツ)→ https://youtu.be/TZqNlpJpXjc

"AI絵師"は何枚の画像学習しているか

23億枚。

https://waxy.org/2022/08/exploring-12-million-of-the-images-used-to-train-stable-diffusions-image-generator/

この事実を聞いて、

人間にそんなに多くの絵を見ることは不可能だ。やはり人間人工知能に勝つことはできない」

考える人いるかもしれない。

でも、こう考えてみてはどうだろうか。

人間は1秒間に数十枚の画像を、起きているほとんどの間認識している。

1日に16時間、秒間60枚の画像認識していると仮定すると、

20年間で60*60*60*16*365*20 = 25228800000枚…約252億枚の画像が脳に刻み込まれていることになる。

もちろんその中にはほとんど同じ景色であるようなものも含まれているが、

それを考慮しても人工知能特権(と、一般的に思われている)である膨大な量の学習

遜色ない量をすでに私達は学習していると言えるのではないだろうか。

それに加えて私達は、視覚情報以外にも、聴覚、触覚といった他の感覚器官、

そこから得た情報歴史的価値文学的表現といった形而上的な概念学習している。

機械学習においてこうした複数の種類の情報統合して学習することは1種類の学習よりも遥かに難易度が高く、

多くの研究者を悩ませている。

だがどうだろう?

我々はすでにそのような、様々な感覚から学習し、それらを統合する技術を既に身に着けているではないか

そして、視覚情報と同様にそれらも常に変化し続けてきたものを我々は学習する。

視覚聴覚嗅覚・触覚・味覚の五感温度や痛覚などのその他の感覚さらにそれらの持つ意味

これらの相互に繋がった数百億、数千億の情報を我々は「体験」する。

ただバラバラ情報ではなく、それらの繋がりさえも学習し、記憶する。

さら人間の優れた能力として、我々は他人体験を「追体験」することができる。

個人から離れた異質の経験は、既存情報に新しい繋がりを提供する。

それは学習効率を飛躍的に向上させる一種魔法である

この魔法が、人々に全く新しい情熱や感嘆や絶望や感動――私達の心の動きの全て――を生み出す源なのである

そして、これが最も重要な点であるが、上で述べた学習内容は、「人によって異なる」のである

全ての人生には個性存在する。

まり個人の今までの人生

誰に育てられ、どの学校に通い、どんな友達と遊び、何を食べ、…

それらの経験が我々の学習内容に影響を及ぼす。

そして小さな経験の違いが脳に影響を与え、行動に影響を与え、その結果異なる事象経験し、異なる反応をし、さらに異なる事象が生まれる…

結果として同じ脳はこの世に2つ存在し得ないのである

まとめ。

AIが膨大な量の画像学習していたところで、それは恐れるべきことではない。

人間はそれよりも遥かに多くの情報、それも人によって異なる70億種類のデータセットを日々学習しているのだから

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