はてなキーワード: 視覚とは
○とか□とかの図形は高齢者ヘイトにつながる危険性を無視できないから、アウトだと思う。
メインデザイナーはロバート・ウッドヘッド(Robert Woodhead)とアンドリュー・グリーンバーグ(Andrew C. Greenberg)である。
当時、コーネル大学の学生だった2人がそれぞれ作成していた『パラディン』『ダンジョンオブディスペア』というゲームを互いに評価し、
に代表されるRPGを、大学でのコンピュータ支援教育に用いられていたメインフレームよりも規模の小さな個人向けのパソコンで再現するため製作したものが、本作のシナリオ#1である。
マジだ!へー!知らんかったわ!
TVゲームのRPGってそう考えるとTRPGを一人でも遊べて視覚的にもわかりやすく仕上げたゲームって感じなんだな。
視野が広がったわ。
【anond:20230208195420 の続き】
仕事帰り、烏丸六角のファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。
この男性はどうにもこういうところがある。
母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。
昔の人は、ある種なんとも露骨だ。
「子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子どもの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。
そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞれ男性にとって誰なのかについては知っていたが、「健一」についてはさっぱり心当たりがない。
「亡くなったそうです」という伝聞形も、得意の呼び捨てにしている割に、どことなく距離を感じさせる。
「誰だかわからないけどご愁傷さまです」とも言いづらく、LINEの返事に詰まってしまった。ファミマを出てから、同じビルのスタバの前あたりに立ち止まり、LINEを閉じたり開いたり。
ふと顔を上げると、よく茂った松の枝を一本、片手に握りしめたビジネススーツ姿の中年男性が目に入った。四条方向に足ばやに歩いていく。
ただのちょっと変わった人なのか、はたまた池坊関係者なのか、この烏丸六角という場所においてのみ、ものすごく迷うところだ。
スマホの中のメッセージと、よくわからない通行人。二重に困惑してしまったが、とりあえず「健一」とは誰なのかときけば、男性の義理の父親だという。
男性はその昔、一族の都合で健一の養子に入りはしたが、そのころから今に至るまでほぼ没交渉であったので、なんだかそんなに悲しそうでもなく、その後のLINEも淡々としたものだった。
だけれども数日後、男性の家にいったら、ワーキングデスクの上に知らないおじさんの遺影が立てかけてあった。
アイパッドやノートパソコン、積読と同じノリで遺影が並べておいてあり、それはちょっと異様な光景だった。遺影はそれらのものより一回り大きいので、あまりに存在感がありすぎる。
「あーこれが健一」
と、思わずつられて呼び捨ててから、「なんで遺影、こんなとこおいてんの?」ときいた。
妙に若くて、ちょっとつぶらな瞳で、その目線が斜めにいっていて、ぎこちない笑顔。むりやり引き延ばした昔の写真独特の、ざらざらと色の薄いテクスチャ。
「いや、向こうの家に置いとくとこもないし、とりあえず持って帰ってきた」
男性の答えは妙にずれている。
「机においてんのは?」
異様ではあるが、別になにもおもしろくはない。この人がおもしろさを感じるツボは、たまによくわからない。
それで「ああ、そう」とだけ返すと、男性は
「親戚みんなで家探ししたけど全然いい写真なかってん。中途半端に若いときの写真しかなかったわ」といった。
「どうりで目線もさだまってないっていうか、カメラのレンズみてないね」
健一の目線は、健一からは右方向、相対する私たちからは左方向にずれている。そっちの方向にはベッドがあった。この時点で正直なんだかかなりいやだな…と思ったが、ひとまず一般的な配慮として、それを口には出さなかった。
そのまま、自分たちに戒名をつけるならどんなものがいいかという話でひとしきり盛り上がり、お互いに将来の戒名もきまってきりがよかったので、我々はセックスをすることにした。
そこで私は「健一の視線がベッドのほうにきてるのなんか嫌だ」と、一度は飲み込んだことを吐き出してしまった。
相手の義理の父親の遺影の前でセックスするのは、明確にその理由を語れずとも、なんだかとにかくすごく嫌だと思った。
遺影がそこに鎮座している「なんかおもろい」という理由は、私にとって共感しがたい。私がその「なんか」の機微を正確に理解できないように、男性もまた、このわたしの「なんだかとにかくすごく」という心の機微が正確に理解できたとは思いづらい。
けれども男性は、「わかったー」と間延びした返事をして、遺影をおもむろに裏返して立てかけなおした。
いやそうじゃなくてしっかりどこかにしまってくれ、と思ったが、それを言うのももう面倒だし、やるとなったらさっさとセックスしたかったし、もちろん乳首もさわりたかったので、私はそこで妥協した。結局は、花より団子で機微よりセックスだ。たいがい適当な人間ではある。
そうやってセックスして、寝て、起きたら健一は寝起きの私を見ていた。
私より先に起きた男性が、律義に遺影を表に戻していたのだった。
私の機微は相手の義理の父親に、遺影であっても義理の息子の乳首を吸っている様などを見られたくないことだが、男性の機微は、遺影をいつまでも裏返したまま視覚を奪うのは気の毒だ、というところにあるのだな、と、寝ぼけた頭で考えた。
それは少し理解できなくもない。
結局のところ、ただの紙に載ったインクでしかないはずの遺影に、生きた人間めいたなにかを感じていることは通底しており、その表出のアプローチが異なっているだけの話なのだろう。
机上に健一が出現してから、何度か男性の家にお邪魔してはセックスをし、わたしはそのたびに「健一裏返して」とリクエストしていた。
そしてその日はやってきた。
健一が机上に出現して何日目のことだったのか、私はちょっと覚えていない。
夜も更けてきてそろそろ寝るか、という雰囲気になったとき、男性がおもむろに立ち上がり、私の指図なしに、ふいと健一の遺影を裏返した。
その、遺影を裏返す行為こそが、紛れもなく「さ、セックスしますか」の意思表示となっていることに、私はそのときはじめて気がついた。
みずから「裏返して」とお願いしてそうしてもらっていたときには考えつかなかったことだった。
私も男性に続いて立ち上がりながら、「つまり今からセックスするってことか」というと、男性は「あれやな…なんか…イエス・ノー枕みたいやな」と答えた。
そうだ。
これはまさしく、イエス・ノー枕だ。
物体の表と裏を巧みに使い、その夜について性行為のありやなしやの意思表示と予告をする、その原理はまったく同じだ。
【今夜セックス】の露骨かつ言外の通告。あれを我々は今、気がつけば、男性の義理の父親・健一の遺影でやっているのだ。
不謹慎が過ぎる。さすがに戦慄が走ったところで、男性がぽつりと「イエス・ノー健一やな」と言った。
その日から私は、「イエス・ノー遺影」「イエス・ノー健一」という、この、罰当たりで不謹慎で、あまりに強烈な言葉が頭からこびりついて離れない。
忘れようにも忘れられない。だからここに書いた。
それはとても寂しいことではあろうけれど、いつかこの男性と会わなくなる日が来たとして、その先に男性の名前を忘れる日が来たとして、イエス・ノー遺影という言葉と、健一の名前だけは、それでも生涯忘れないだろうと思う。
(※登場人物に配慮して、文中に出てきた名前はすべて本当の名前とは変えてあります)
【追記】
・烏丸御池~四条烏丸あたりに、冬の間、ビニール袋を巧みかつ何百枚も使用して衣服と靴にしたて、万全の防寒している人がうろついているのだけど、この間その人がビニール袋十枚がさねくらいの軽装になっていて、桜の開花よりも断然春のおとないを感じた。だからそのこともついでに書いてもっと季節感あふれる増田にしようとしていたのにうっかり入れ忘れた。
・(ブコメの方へ)小学生だったころは…あります…!(男性はたまにおぼかたさんの真似をします。全然おもしろくない)
あのころ思っていたことでいまだに覚えていること、いつか書きたいです。もしそのとき、たまたまみつけたらぜひ読んでほしいです。
・(ブコメの方へ)もしそこにおばあちゃんの写真があったらセックスできなかったと思うんですが、おばあちゃんのことをしゃべりながらは全然大丈夫です。
こういう「あれはだめだけどこれはセーフ」って感覚はいつどこで身につくのだろうかと思ったりしました。笑ってくれてうれしいです。
大人になってから手術で視覚がよくなった被験者に牛乳パックくらいのサイズのキリン(※ジラフのほうのキリンね)のフィギュアを見せて「この動物は何ですか?」と尋ねる。
被験者はじーっとキリンを見ている(形が見えてはいる)のだが「(うーん…わからん…)」となっている。
ここで「では触ってみてください」と言ってフィギュアを触ってもらう。
そうすると即座に「あーキリンです」と正解が出る。
なんか首が細長い動物という特徴をミニチュアを触った感じ+言葉での説明としてわかっていれば
見ただけでもなんか顔の下のとこが長いなキリンかなということがわかりそうなものだが
目で見るとこんな感じのものが細長いものなんだよいうことはマジで触覚とか言葉の知識として持ってたとしても自動的には視覚の助け(?)にはならないものらしい
俺は説明が下手
ので、感想を書き残す。
スネイルズハウスくん、DJ下手なんやね。ぶつ切り繋ぎ、アンセム連発、DJ歴半年の子かと思った。
いい曲かくし、remix上手いのにまさかmixが下手やとは意外だった。
モエショップ、好き。曲が好きなのが大きいけどBPM低めでノリやすいし、計算されたセトリに丁寧なmix、わかりやすい煽りで安心感があった。
ぴっこさん、やるやん。正直あんまり曲知らんというか、前にちょっと聞いてみた時は未来茶系サウンドの焼き直し感があって、またkawaii系のフォロワーか、もうおなか一杯やわと思ってたけど、生で通しで聞いてみたらええやんと思ったね。
あれだけ可愛いで埋め尽くすセトリ、エリアのテーマにぴったり合ってて仕事できるなと思った。
まあでも一番キてたのはkawaii系からハカハカの潰れたサウンドへの流れ。この日を通して一番トべるポイントだった。
ネコハカ、煽るのが上手い、安定感しかない。でも曲が全く刺さらんのよね、ごめんなさい。どうしてもギターが邪魔に聞こえる。
これは俺の好みの問題でしかないのでネコハカのお二人には何の非もないです。パフォーマンス力は文句なしのトップ。
norくん。客のレスがイマイチなことにキレて、音止めてやり直したところで、おいおいやってんねえ!となった。数十人規模の小さい箱ならよくやるけど、企業主催の公式のホールイベントであれやる度胸ない。さすがだわ。バカ広い会場でいつも通りのクラブのDJやってくれる安心感よな。
Yunomi大先生、コンテンポラリーアートっすか?
うごくちゃんのミニマルミュージック風remixからの枕もとにゴースト。
たぶん何か意味があるんだろうけどそれを読み解けるほどうごくちゃんのこと知らないんよね。
何年前だったか、京都の南座に🍵見に行ったら、デカマスクにデカグラサンの青髪の女性が歌ってて、そのときはへー、この人人気の配信者なんや、くらいにしか思わなかったけど、そのあと何年かして自ら命を絶ったってニュースを目にして、少し悲しくなった。そんなことを、思い出したわ。
そんなスタートだったからか、全体的に重く、悲しい雰囲気があったね。明るくキラキラした曲も素直に楽しめないというか。まあ夜の部のコンセプト的に間違ってはいないと思うけど。
それにしてもYunomi大先生はどこに向かってるんやろね。俺はまだフォローしてくつもりだが、ここ数年の転向以降ついてけないオタクも多いんじゃないか。
電音部史上最高やないか?昼の部の小道具大道具モリモリで視覚的にハラジュクをわからせにくるのよかったし、夜の部は夜の部で変化がわかりやすかった。照明、音響文句なし。
ライブパートで字幕が出てくるの、ありがたかったな。新曲でも言葉がスッと入ってきて、ミュージカルみたいに楽しめた。
そう、ミュージカルみたいに楽しめたのが大きい。
原作?の物語を舞台上で表現するっていう一本の筋が通ったことで、全体が一つにまとまってて、いい感じやった。
いままでの電音部のイベントって正直な話、いろんな界隈のオタクを集めてわーわー騒いでるだけっていう、なんかよくわからんもんやったけど、今回のは違ったね。
ようやくバンナムが電音部をやる意味が出てきたんやないかと思ったわ。
アニソンフェスみたいなもんは文脈を共有してるから成立してるわけで、アニメ化ゲーム化してない小説だけの電音部は文脈が薄すぎてなんかようわからんかった。
もちろんオタクが集まってわーわー騒ぐのも楽しいけど、そんなもんはバンナムがやるまでもなく、いろんなオーガナイザーが低コストでやってくれてるし、バンナム謹製のお高いチケットには見合わんのよな。
なんにせよ光明が見えてきた感あるし今後が楽しみやわ。
お前らいつになったら昭和から令和的思考にアップデートされるんだよ。
奢る奢らないということは正しい間違ってるの話ではなくて、ただ単にコミュニティ形成のための選択肢でしかないということをまず理解しろ。
どっちが正しいか間違ってるかという論争をする時点で間違い。意見の押し付けをしているだけ。
それを数の暴力で解決しようとするのはただのイジメ。まじでクソ。
奢る奢らないということは、ただ単にそれによって相手を選んでいるという行為にすぎない。
奢られて喜ぶ人間はその後も行動を共にするし、喜ばない人間は距離を置くだけ。
男性陣だけでこっそり支払いをすることだってそう。嫌なら距離を置けばいいだけのこと。
もちろん内心では嫌だと思っていても、そのコミュニティに寄り添っていれば結果的にプラスになるという打算であっても構わない。
それを突然外野がやってきて、「間違ってますキリッ」みたいなのいらないから。
もちろん自分たちのやり方だけが至高。ほか全て間違いってのもクソ。
でもさ、「自分たちはこういう感じでやってます」くらいは自由じゃない?よっぴーだそうだったかどうかは知らないけど、少なくとも批判する側は「勝手にやってろよ」以上のコメントは必要ないと思うよ。
俺なんかはめちゃくちゃ冷めた目で見て、「あぁ今だにね。」くらいには思ってたけど、わざわざそれを口にコメントにしないしましてや増田に反論書いたりしないよ。(はてなブックマークの存在否定してすまん。)
そうやって世論形成されてしまうことで、自分もそうしなきゃいけないような同調圧力があることは否定しないけけど、そんなものは世の中の流れに乗るか自力で泳ぎ切るかの違いなんだから、自分で考えて選べよ。
世論形成したいっていうなら別だけど、いちいち意見に顔真っ赤にして反論してたって一個人が吠えた程度の力じゃ流れは変わらんのよ。残念ながら。
相手の発信力だって一朝一夕で作られたものじゃないんだから、それに対してアンフェアを叫んだって無理筋ってものでしょ。
例えば恋愛だって小さなコミュニティと言えるのだから、価値観を相手に押し付けるんじゃなくて、同じ価値観の相手を探したほうが早いよねということ。
「男として奢るということを認めてくれる相手がいい」という人は高らかに奢る宣言をすればいいし、「女性として奢ってくれないと嫌」という人は高らかに奢ってくれ宣言をすればよいだけのこと。
もちろん「男女平等世界において割り勘が基本」ということだっていいし、「女性の社会進出を実感したいから自分が奢る」ということだっていい。
大事なことは、それを宣言することは個人(もしくはそのコミュニティ)に許された権利であるということ。
それを寄ってたかってあれが違うこれが違うということが間違い。間違いというか悪。行き過ぎれば暴力だってことが言いたい。
ただし、高らかに「相手を選びます」宣言する人間を許せないという気持ちは理解できなくもない。
だけど、よくよく理解してほしいのは、「相手を選ぶ」ということは当然「相手に選ばれる」ということが同時に発生するということ。
その時点で十分な代償を受け取っているということに気がついてほしい。
本人の自覚があるかどうかは別。
例えばよっぴーが「奢ったほうが楽」と思って奢り続けているという話だけど、「脳死で奢ってくる人は苦手」という女性がいれば当然そのコミュニティからはいなくなっているよねということ。
「男だけで割り勘」を続けていれば、それに納得できない男もとっくにいなくなっているわけだから。
(さっきも書いたけど他に打算があれば別。人は利害で集まる生き物だから。)
だからこそ冷めて目で見られるし、別にそのことに対して「あなた選ばれてますよ!」とかいまさら言わない。本人がどうなろうと知ったこっちゃないから。
例えば「自分は遅刻癖があるので遅刻を許してくれる人を選んで生活しています」という人がいる。
それはたしかにそうとも言えるのだけど、逆を返せば「あなたの遅刻を許せない人はあなたには近づかない」ということになる。
「遅刻にゆるい職場を選ぶ」も当然そう。「遅刻する人間は採用しない」職場からは選ばれていないということ。
「選ぶ」という行為には当然「選ばれる」という代償が伴うということ。
本人に自覚があるかどうかは別として、「選ぶ」ということの代償は君たちが罰を与えなくても十分に払ってるのだよ。
それに対して「私は奢られるのは嫌です!」とか、なんの接点もない人間が突然噛みつくのどうなの?
百歩譲って批判はいいけど、言葉の暴力で殴りかかるのってそんなのただの暴力以外の何ものでもなくない?
嫌いなら相手殴っていいんですか?
他人のブログ見に行って「傷つきました。殴り返します。」って、それは当たり屋っていうのではないですか?
今のはてなが終わってるのは、こういう暴力を肯定する方法ばっかりが目立って、否定する手段が視覚化されづらいところにあると思ってる。
自分の場合は他の人みたいに解決案をもたないので、最近はホッテントリを眺めて話題性か炎上かを判断するだけのためにトップコメントをいくつか眺める程度にしか使ってないけど。
奢る奢らない論争は、そもそも、個人の趣味嗜好でしかないのだから、一回食事してみて合わなければ距離を置けばいいだけの話でしかない。
その一回すら失敗したくないっていうなら家から出るな。人と交わるな。それくらいの授業料も払わないやつが何を学べるというのか。
問題は、そうした個人の趣向でしかないものを、善悪の話に置き換えて、あまつさえそこから自らの暴力の正当化に利用しようとしているはてな仕草にある。
過去の炎上を遡っても、例えば「身長170cmない男性は人権がない」発言だって、「170cmない男性は恋愛対象にない」という個人の嗜好の話だと理解すれば終わる話だよ。
「そんなこと言う相手は嫌だな」でキーワードブロックするか、出てきても開かなきゃいいだけの話だろ。
そろそろ、「好きと嫌い」を発信することの自由と、それに対する暴力の加害性を切り離して考える思考のアップデートが必要なんじゃないですかね。
インターネット当たり屋が多すぎるし、それを称賛する奴らの多さにも本当にうんざりする。
奢る奢らない論争は個人の趣向。嫌なら近づくな。一回くらい授業料ケチるな。そんなことよりそれを理由に暴力を正当化すること自体が諸悪の根源。今のはてなはそういう人間の巣窟になってますよね。ということ。
以上。
【前回の話↓】
https://anond.hatelabo.jp/20230206125929
【WAISの結果】
全検査…123
知覚推理…118
ワーキングメモリー…106
聴覚的な情報を一時的に記憶し、それを使って処理したり、対象に注意を向ける力
処理速度…130
100切るものがなかったのは素直にうれしい。「全然ダメ」と思ったものも、世間的にはそうでもなかったらしい。幼稚園のお受験侮れず。
ADHDの診断は既に下りているので、IQの値は関係ないというのがまた一つ証明された形。
・口頭の指示や会話を聞き取ったり、聞くのと同時に作業したりは当社比苦手かも
一見褒められてる風だけど、「大体わかるから〜と人の話を聞かずに調子乗って変なことするクソガキ」から変わってないんだなとしみじみ。
全検査123は上位6%、学歴と概ね等しい感じ。知能に問題がないのはよかったけれど、それはそれとして「発達の歪みが障害となっている」と認定されるような日々を過ごしていることもまた事実なわけで……
心理士さんに「喋ってて多動を感じるか」尋ねたところ、「一対一でこうして喋っている分にはあまり。刺激的な情報が多い場所だと、環境との相互作用で行動特性が強く現れるのかも」とのこと。確かに職場は刺激的だし、心理相談室は配慮されている。
「発達障害者にありがちらしいけれど、人の目を見て話せないのはなぜ?」という問いには「人の視線が刺激になっているんだと思います」「別に目見て話す必要ないですよ」と。納得だしやさしい。
ちなみに今回WAISを受けたのは「手先と身体が不器用すぎる→それはADHDだからとは言えないので知能検査を受けてみては」という流れ。運動得意なADHDいっぱいいるもんね。
結果、処理速度やワーキングメモリーの値を見るに知能のせいでもないらしい。あちこちぶつかったり食べ物こぼしたりは注意欠如のせいもある気がするが、ボール投げたり走ったりもイカれてるから……体能に問題あり。
次回はWAISの結果を持って、服薬の話をしに心療内科へ参ります。副作用について調べたら気が引けてきたけどどうしよう。心理士さんには非常に遠回しに、かつやわらか〜く服薬を勧められた気もするが。気が散りやすいから悩みが持続しないんだよな。前向きな多動。
【↓続き書きました】
ゲームさんぽが終わってしまった。いや正確にはまだ終わったわけじゃないけど、自分がYouTubeに齧り付くきっかけとなったチャンネルなので、どこか名残惜しい。
ゲームさんぽを知って、こんな「教養のお裾分け」をしてくれるものが転がっているという事に驚き、それからYouTubeで似たようなチャンネルを探し回っていた。しかし素直に「教育」とか「教養」のジャンルを検索しても、出てくるのは中田のあっちゃんかDaiGoか、あるいはアフィリエイトのにおいのするチャンネルで、ちょっと違うなぁという感じ。とりあえず興味のあるものを片っ端から再生して、関連動画にサジェストされるものを集めて回った。
良い機会だと思って、その中から特に気に入ったものをリストアップしてみた。選出の目安は次のとおり。
・参考文献が明示されていること
(今回はよびのりたくみさんのような、机と椅子に座ってガチで観るべきものは除かせて頂く)
また、最初は動画へのリンクも載せていたのだが、リンクが多すぎてはてなにスパム扱いされたためか、投稿できなかった。
そのため大変恐縮ながらリンクは無効化した。気になったら各自でYouTube検索して欲しい。
東大の生物学系専門家集団による動植物の解説チャンネル。ゲームさんぽをきっかけに作られたというだけあって、どうぶつの森やポケモンなどの考察動画が多め。本家livedoorのゲームさんぽにも出演あり。
専門家がはしゃいでるところが好きな人ならハマると思う。今でも十分面白いけれど、今後はゲームさんぽ系以外の企画も増えてくれると個人的には嬉しい。(自分がまだ見てないだけかもしれないけど)各自の専門分野についてガチでじっくり語るやつとか見たい。
オリジナルゆっくりキャラであるきつねさん、たぬきさんが解説する、生物学系のチャンネル。へんないきもの、という名前になっているが、身近な犬猫から魚類、昆虫、植物、古生物と、動植物ならなんでもアリ。丁寧な説明と、動物と接するときの啓発的内容もあり、子供向けとしても良いチャンネルだと思う。
科学系専門家集団「薬理凶室」に所属する怪人(専門家)たちのチャンネル。普段は立派な専門家だが、匿名の「怪人」になることで、表の立場では言えないちょっと危ないことも言える、というのがコンセプトとのこと。主な活動は雑誌(ラジオライフ)や書籍(アリエナイ理科シリーズ)が中心のようだが、Youtubeでは一般にあふれる疑似科学の解説したり、実験をする動画が多め。中心メンバーのくられ先生が化学専門ということもあり、中高生向けの化学解説シリーズ動画もあったりする。
ゆる言語学ラジオの元ネタ。歴史に詳しい深井さん、楊さんが語り手、樋口さんが聞き手となって、歴史のあれやこれやを語るラジオ。(最近は動画によって聞き手、語り手がちょいちょい変わる。)
特徴は、とにかく一つのテーマを深堀りすること。例えば鎌倉幕府の説明をする(シリーズ全12回)ために、まず前提として平安時代以前の話から始まる。最初の1~4回は律令制や藤原道長、平家の説明をして、シリーズ5回目でやっと源頼朝が登場した。ラジオというだけあってYouTubeでも視覚資料は使わず、全て語りだけになっている。とにかく長尺なので、ながら聞き推奨。
クレオパトラとマリー・アントワネットがかわいいゆっくりキャラになって歴史のあれこれを解説する。コテンラジオは歴史のど真ん中の出来事をガッツリ解説するのだが、こちらは反対に人々の生活やものの移り変わりなどに注目した内容で、少し肩の力を抜いて観ることができる。同じ中の人が以前投稿していた「旧ゆっくりモンドちゃんねる」もおすすめ。
僕は古代エジプトが好きだ。子供のころにかこさとしの絵本を読んだのをきっかけに、世界ふしぎ発見のエジプト回は欠かさず見るようになった。そして令和の今、YouTubeで古代エジプトの遺跡や文化について解説してくれているのが河江先生だ。ギザの大ピラミッドの3次元計測という一大プロジェクトを垣間見れるだけで、古代エジプト好き垂涎の的である。古代エジプトに関するオカルトが好きな人にもおすすめ。
「まいど~、ドクターキャピタルですぅ~。音楽博士やさかいに、ドクターやねん。」というあいさつでおなじみ、ギターの上手い関西弁のおっちゃんが、お気に入りのJ-Popの曲を解説してくれるチャンネル。一通り解説した後、最後はその曲をギターの弾き語りで歌ってくれるので見応えあり。
自分は音楽理論に全然詳しくないのだが、実際に弾き語りを見せられて「どや、このコード、ちょっと○○な感じするやろ~」って言われると、いつも「する!する!」って思って見てしまう。
絵画に詳しい山田五郎さんによる美術のチャンネル。ワダ(25)さんからの質問をもとに、各回に1人の画家にスポットを当てて、その半生を解説するというスタイル。自分は絵画を楽しめる素養が無いと思っていたけど、画家の人生はうんちくとしてものすごく楽しめている。モロに影響を受けて、BSの五郎さんの番組も見てるし、去年の印象派展にも行った。
雑誌のWIREDの日本語版YouTubeチャンネル。動画ごとに色んな専門家が出てくるので、ゲームさんぽと同じくらいジャンルは広め。専門家がTwitterからの質問に答える「Tech Support」、一つのテーマに対して子供向け〜同じ専門家向けに説明のレベルを変えていく「5 Levels」なんかがある。僕は寿司職人と葬儀師の動画が好き。
霊夢と魔理沙が、倒産したり不祥事を起こしたりした「しくじり企業」についてゆっくり解説するチャンネル。中の人が係長だからカカチャンネルという名前らしい。知らんけど。
このチャンネルを見始めてから、自分でも企業の調査報告書をちょいちょい見てみるようになった。ミートホープとか聞いて「そういえばそんなのあったなあ」と思って開いてみたら、あれってマジで肉を水増し(肉に注射器で水入れてた)っていうので驚き。
これは説明不要かも。自分もメンバーシップに加入している。最近、のれん分けから始まった生態学、哲学、天文学、書道、音楽、民俗学のゆる○○学ラジオもそれぞれ面白いので、その他ジャンルとした。
僕が思うに、彼らは動画のクオリティだけでなく、コミュニティづくりも上手い。彼らのメンバーシップコミュニティにの中で、いろんな人が勝手に創作活動を始めており、ラジオ以外のプロジェクトも複数動いている模様。このままフォロワーが増え続ければ、彼らの「ゆる○○学ラジオ」のフォーマットも、ゲームさんぽに続く新しいジャンルのひとつになるかもしれない。
ゲームさんぽはYoutube教養コンテンツ界隈の巨塔だった。専門家と一緒にゲームをして、気になったものを解説してもらうというフォーマットを確立し、他のYoutubeチャンネルでもゲームさんぽスタイルの動画を投稿する人たちが現れ始めた。
僕は書籍化プロジェクトのときに真っ先に投げ銭して、寄進表に自分の名前が載ったのは今でも誇りである。いいださん、ますださんの退職は大変残念ではあるが、いいださんは個人で次の活動を企画されているとのことだし、またゲームさんぽのフォーマットを引き継いで面白いことをする人は今後も現れると思っている。それに一人のファンとして、今でも名越先生のDetroit Become Human解説の続きを待っている。
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というわけで、まだまだ発掘し足りないから、みんなも好きなYoutubeの教養系チャンネルを教えておくれよ~(∩´∀`)∩
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追記:
いつの間にやらこんなに伸びてた。みんなありがとう。自分も知らないチャンネルたくさん教えてくれたから、これを書いて良かったよ。こういうの発掘するのもすごく楽しいから。
あと、本当に良いチャンネルだと思ったなら、この投稿に反応するだけじゃなくて、ちゃんとチャンネル登録といいねをしに行こう。それじゃあね~(・∀・)ノシ
嘲笑欲をどう裁くかよね。
名誉感情の侵害をもっと強めに訴えていくとかしたら潮目変わるかもしれないし、すでにそういう流れは来てる。
実際、かつてはセクハラもコミュニケーションの一環として流されてたけど被害者側が声を上げることで変わってきたわけだし、嘲笑されたら人格権侵害だって言って相手の社会的立場とか叩き潰すような運動していけばいいんじゃない?味方になってくれる弁護士探すとこからだよね。
女性にも性欲あるのと同様、男性にも嘲笑欲はあるし、そこは男性差別という問題ではないよ。
あと、女性の性欲って視覚優位ではないから盗撮に結びつかないだけで、過剰なボディタッチおばさんとかはセクハラで訴えればいいと思うんだけどね。
光が赤色を有している根拠は、光の波長によるものです。光の波長が長いほど、人間の目には赤色に見えます。物理学的には、光の波長は電磁波の一種であり、電磁波は電場と磁場の振動によって生じます。
光の波長が長い場合、電場と磁場の振動がゆっくりと繰り返されます。これに対して、波長が短い場合は、振動が速く繰り返されます。人間の目は、これらの振動数に応じて、色を認識します。
赤色の光は、波長が約620〜750ナノメートル(nm)の範囲にあるため、目には赤く見えます。一方、青色の光は、波長が約450〜495nmの範囲にあるため、目には青く見えます。
このように、光の色は、電磁波の波長によって決まります。色とは、私たちが視覚的に認識するものであり、波長の長短によって変化します。
においの言語化は難しい。
既に表現が固まってるものはもちろん簡単だが、そうでないとなかなか伝わる書き方を捻り出せない。
たとえば俺がサイクリングで走るいつもの道のある区間で感じられる匂いは、青臭いのだが、じめっとした土っぽさを彷彿される苦味の混ざったような感じの青臭さだ、というふうにしか書けない。
富士樹海を散策してるとき通常漂っている匂いという言い方もありそうな気がしたが、どうにもあの甘い感じもする心地よい匂いとは違うのだ。おそらくそっちの表現を採用しても読み手には俺が感じたのとは全然別の匂いを喚起させるだけだろう。リアリティーがない。
理屈を言うというときは俺ぐらいの人間でもすらすら言葉が出て来るが、こういう五感の言語化は難しいものだ。嗅覚と視覚はその双璧じゃなかろうか。
世の中ネットも理屈とそれによるぶつかり合いに溢れている。理屈めいた文章は供給過多でみんな飽き飽きしてるのだと思う。
ちなみに視覚表現も同じぐらい難しい。これはその表現されたものを理解することが俺には難しいことも関連してるのかもしれない。
たとえばジャイロスコープがなんのことか分からなかったときにまず百科事典を見て見たら
「互いに直交する三つの軸の周りに回転する金属環の内側に支え」なんて具合だ。どんな状況かなんとか頭の中で軸と輪を独楽の組立てを試みるが、なかなか記述に整合するものが出来上がってこない。智慧の輪でも解いているようなそんな気分だ。
理解出来ない表現と同様の表現は書くこともできないみたいなやつだろう。特に外国語学習でよく言われるようなことに通じてるのかもしれない。