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もしも一度でも休日出勤したら、もう二度とお前に純粋な休日は訪れなくなる。
「休日出勤したほうが良かったのかも知れない」という気持ちをいつだって抱えたまま過ごすことになる。
ライブに行ってても、映画館でも、友人の結婚式の二次会、子どもとの遊園地、なにをやっていても、常にお前の頭の中には「休日出勤しておいた方が良かったのかな」という気持ちが張り付いてくるだろう。
取引先からのメールや電話はほぼ0で、社内チャットもほとんど止まっているし、会議の予定もない。
会議や集会が時間変更されたという連絡が来ないか、新人や上司がなにか言いたげにしてないか、そういったことに対してアンテナを張るのに使っていた意識さえも目の前の仕事に全部使える。
普段の倍近い集中力が発揮され、みるみるうちに仕事は片付くだろう。
だが、それと引き換えに、お前の人生から「本当の休日」は永遠に失われる。
会社っていう組織は従業員に様々な負い目を感じさせることで、「自主的にサービス残業をする」ように仕込んでくる。
そもそもお前が勤務時間中に処理できない量の仕事をもたせた上司の戦略ミスだ。
まして新人なら様々な雑用を捺せられているわけだから、それらを巻き取って少しは余裕の有りそうな中堅にやらせることで時間を作ることだって出来たはずだ。
課員の業務進捗と残業時間を管理し、業務量の調整を行うという責務を果たしてもいない上司が「残業を減らせ」ということほど無責任なことはない。
店で注文だけしまくっておいて「これもっと安くならないの?」と文句をつけるようなものなので、クッソつまらん関西やアメ横のの根切りトークみたいなもんだろうなとスルーしておけ。
残業をするなと命じられて仕方なく返ったのならば、終わってない仕事をぶちまけて「帰れと言われましたので」と開き直ってしまえ。
とはいえ、社会人なんだから与えられた時間は期日までに完成させるのが筋ではある。
そのために何が必要なのか?
クオリティを下げることだ。
「クオリティ×完成度=業務量」という式の中で、完成度と業務量が変えられないならクオリティしか弄れる所はないわけだ。
クオリティは駄目駄目でいいからとにかく完成度100%まで持っていって早めに上司に出し、そこからクオリティの改善を残りの時間でやるのが社会人の基本スタイルだ。
とにかく一度完成形に持っていき、最終着地点において修正ポイントを確認しつつ、逆算して何をやればもともと目指していたものに出来るのかを考えるというのは実際に効率がいい。
プラモだってまずは一度素組してから完成形の絵図を描き直すものだ。
100の時間の内90まで来て提出だと軌道修正が間に合わなくなることが多いし、かといって軌道修正が間に合う時間を逆算して残業しまくってもお前が報われることはまずないので、とにかく半分ぐらいの段階でゴミのような出来の仮組みを叩きつけることに専念しろ。
上司や先輩は仮組み段階のゴミのようなクオリティの完成物に大量の赤ペンを引くだろうが、それは彼らの仕事なので気にしなくていい。
日本企業はOJT(お前が・自分で・トレーニング)を採用し学習コストを全て現場に押し付けているので、現場がお前の学習コストを全額払う羽目になるのは組織を最初からそういう仕組みで運用することにした連中の責任だ。
あとは与えられた赤ペンに合わせて修正していけばいいわけだが、そのとおりに修正したはずなのに再修正を食らうこともままあるだろう。
別に相手が嘘をついていたからではなく、あまりにも大量の修正点があったせいで完成形を見出しきれなかったというだけだ。
こういったことを減らす方法は最初に出す仮組の完成度を上げることなのだが、そのために仮組みの提出を遅らせるのはよくない。
とにかく全体の半分の時間で仮組みを出すことが最優先事項だ。
全体の納期は変わらず、自分の能力が気合で上がるわけもなく、でも早めに形にしたい。
そうなったらもうバリバリに残業をし、それでも足りなければ……となってくる。
これはもう社会人の常と言っていい。
仕事をしていると「あのときにもっと早く休日出勤のカードを切っていればギリギリになってこんなに焦られなくても……」と考えてしまうことが何度も何度もある。
だがそこで負けてはいけない。
最初に書いたが、一度でも休日出勤をすれば、全ての休日が「休日出勤をするべきだったかも知れない日」となってしまう。
こうなったらお前の人生に本当の安息が訪れるのは死んだあとだけだ。
たとえ転職したとしても状況は変わらない。
小売に入ろうと「休日に倉庫の整理を進めておけば平日もっと動きやすいな」と考えがよぎってしまうようになれば、もう本当の休日はやってこないわけだ。
もしも休日出勤をするしかない人生になってきたなら、成果提出型の業態で働いて、そもそも最初から全ての日を「平日にしてもいいし、休日にしてもいい日」として過ごしてしまった方がまだ健康的でさえある。
「関口健太郎委員の不穏当な発言の取り消しを求める動議」に対する表現規制反対派の批判集 - Togetter
https://pbs.twimg.com/media/GJrQwy6aIAAW9f4.png
https://pbs.twimg.com/media/GJrRjGDaQAAWAQ1.png
https://pbs.twimg.com/media/GJrRyLdbEAAMZRB.png
https://pbs.twimg.com/media/GJrSFpgakAA_qSH.png
米山氏曰く、萌え絵の規制に矢鱈うるさい「表現の自由騎士」の皆さんは、「議会における表現/言論の自由」には全然興味なさそう? - Togetter
声上げてる人間なら関口さんの引用RPとか探せば速攻で出てくるっていうのに、この嫌味ったらしい因縁ふっかけは本当にうんざりする。
結論が先に来て結論にそぐわない都合が悪い存在は見なかった事にしてるって意味では表現規制推進派の言動行動と変わらん事やってるんよ。
勘弁してほしい
オイラの知っている限り、表現の自由戦士って揶揄されてる中でのインフルエンサーの方々はとっくに非難の声をあげていますし、そうでない人達も相当数抗議をしています。
この人って「お勉強」には強いんだけど
てかあたしらみたいな木端垢は別にしても
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751274509501137248/comment/fugunokamatari
はてブ民は見出ししか読まんから誤解するけどWhataboutismの問題じゃねーから。界隈の垢はかなり声を上げているし、中でも積極的に政治参加してる人らは関口議員支援へしっかり手を動かしていて、よって米山はデマ屋なの
2024/03/29 01:28
↓↓↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751274509501137248/comment/atsushieno
米山が言っていることが結果的に正しいことを全力で立証しに来ている連中がわらわら湧いている
2024/03/29 06:07
大谷選手のスキャンダルだが、日本では報道されすぎて大谷アレルギーを発症している人も多いらしいと聞いた。
しかしカルフォルニアに留学している俺から見ると、多分こちらでは日本以上に報道されまくっている。
注目すべきなのは、普段野球なんて報道しない類のメディアも連日取り上げていることだ。野球のルールすら知らないが、今回の「オオタニ・ゲート」は知っているという現地人も多い。
というのも、そもそも大谷の主張を信じている友人を俺は見たことがない。あまりにも怪しすぎて報道するだけでもウケるスキャンダルと化してしまった。
ということで、この記事では現地の雰囲気と主に注目されている話題を書く。
今回の事件は、FBIが違法賭博業者を捜査している一環で、大谷の口座からの直接送金があったことに行き着いたという流れになっている。
そういうことなので、FBIの主目標は違法賭博業者の摘発であって、大規模盗難事件ではない。
そこで大谷は「捜査機関に被害をReportした」と主張しているわけだが、ここがツッコミどころの一つ。
そもそも現時点で、州警察もFBIも、どこも盗難事件を捜査していない。
そもそも「被害を提出した」というのはかなりおかしな話で、大谷はどこの捜査機関に提出したのかの回答を拒否し、提出の証拠すら拒否しているため、もはや大谷が被害者であるということは「本人の主張」としか思われていない。
弁護士が介入している時点で、もはや誰も事実を聞けるとは思っていない。どれだけ利益を最大化するかという話だからだ。
その意味で、「ストーリーの一貫性」というのはかなり重要視される。
今回の事件では、水原の信用できない話を抜けば、大谷側が主張があまりにも変化しすぎというのがツッコミどころ。
例えば会見で球団長が「大谷が肩代わりした」と言ったと思えば、次には「盗まれた」と言っている。
ストーリーの一貫性、論理性が保ていないのに、それを大真面目に主張しているのだから、もう誰もが嘘をついているという前提に立って、「裏」を好き勝手に推測できる状況になっている。
俺として大いに疑問なのは、この件には危機管理の専門家や弁護士が最初からついていたはずなのに、どうしてここまで酷いことになったんだろうか?ということだ。
俺が現地のメディアを見ていてよく目にするのが、この「30歳の責任ある大人理論」だ。
論調的には
「〜という理由で、オオタニは自らが大規模盗難事件の被害者であると称している。
……しかし今年30歳にもなる社会的責任を持つ大人が、大金の管理をお友達にしてもらい、諸々の書類を一切目にせず、数日前まで完全なる無知であったとは、一体どういうことなのだろうか……?」
という感じになる。
これは実に面白い論調で、メディアは文脈からして小馬鹿にしている雰囲気が感じ取れる。
そもそも通訳に生活のほとんどを頼っていて、ティーンのようにお金の管理までしてもらっているとすれば、それはあまりにも面白すぎる話になる。
金があるなら会計士や税理士を雇って、自らの金銭を適切に管理する「社会的責任」を持つというのが当たり前の価値観として存在する(そうじゃないと、今回のように反社会的な組織に金が流れても責任を待たないということになる)。
CNNがライブ中継するほどで、一体どんな面白いストーリーが出てくるのかに注目が集まっていた。
見出しには「大谷、ショックを受ける」「大谷、悲しむ」と書かれ、これ自体が雰囲気として、ちょっと理解できない謎の会見と思われた。
筋道の通ったストーリーを弁護団と練って発表するのかと思えば、「つらかった」「かなしかった」というティーンでもリジェクトされそうな発表が飛び出し、一体これにはなんの意図があるのかと議論されるぐらい謎であった。
しかし日本のメディアを見ていると、この大谷の会見で「信じる」日本人は多くなったらしい。俺は日本人なので、ある程度は理解できる。つまりは日本では信仰の問題になったということなのだろう。それでいいのかはわからないが。
しかし知りたいのは大谷の悲しみではなく、「違法賭博業者への送金履歴」という事実に関して、どのような論理的なストーリーを提供するかということなのだ。
文章を読むことは他ならぬ知識の蓄積である。しかしながら、脳裏に浮かんだ取り止めのないことも形として残さなければ、それはただ消えゆくのみである。
書けば文学、書かねば妄想。誰が言った言葉かも覚えがないが、実に的確なように思う。
怠惰で自堕落、そして堪え性のない私のことだから、明日は日記を書かないのかもしれない。
習慣化は難しいことで、習慣化してしまうことによって失われるものもきっとある。
自分の思ったことをただ文章に書き連ねていると、それによって分かってくることもある。
書くべきか書かぬべきか。それすらも文字として並べていく。
データは何年も残らない。
自己満足とはなんなのか、追い詰められた人間の搾り滓が文章なのか。
その心の気休めとして書く文章に、私だけは誰よりも価値を見出したい。
文章を書くことが、何よりも真摯に己に向き合うことだと信じて。
この余白の片隅から、誰にも見せない日記、その一節だとしても。
何も出来ない人間なりに、栄えある先達をささやかに見送らせて頂く。
『東京 練馬区・石神井公園駅前の再開発 異例の執行停止のなぜ?』 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240325a.html
異例の執行停止と見出しにあるが確かに。類似する都の都市計画上の手続きだと、昨今一番の話題になった某外苑の再開発でも、イコモスなどに怒られていても差し止めにはなっていないので、これは相当異例。
練馬区のサイトを見ると粛々と淡々とスケジュールがこなされているのが分かる(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.html)。ここまで(借地権の申告:ここで再開発をするので借地を持ってる権利者は早く言ってね保障するから)来て、土地の明け渡し(土地の所有者が再開発に伴いいったん土地を売却し移転する)を差し止める事案は個人的には初めて聞いた。
一般的には、あらかじめ決められている都市計画(建蔽率とか容積率とか住宅専用地域とかそういうやつ、国と地方自治体が決めてる)を超えて特例的な建物(タワーマンションとか馬鹿デカいビルとか、通常の規定以上にデカく建てて儲けようとする建物)を建てる場合は
3東京都の「都市計画審議会」という会議→何度か冷や汗の出る質疑を乗り越えて
と、いくつかの関門を経ないと建てられない(ものすごくざっくりとした説明)。デカイ建物を建てるためには誰もが通る道。
で、この一番最初の「地元で意見集約」がないと、行政は当然すべての再開発事業にOKが絶対に出せない。民間人が所有する不動産を行政が勝手に動かすことは基本出来ないから。例えば木造住宅が密集してて道路が狭くて救急車も入れないようなところを再開発したいよなぁと考えていたとしても無理。なのでこの1「地元で意見集約」がとても大きな要素になる。
そしてこの「集約する」仕事は、多くの場合、ゼネコンやデベロッパーなど「ここにタワマン建てて儲けたいでゲス」という目的がある人たちが行う。
建前はあくまでも地元の住民や地権者から相談を受けて、という形だが、あけすけに言えば、何十人もいる地権者をマイルドに立ち退きさせる仕事だ。平成以降の地上げは昭和のころのように放火してなんてことはしない。毎日街のバーサンの家に茶飲み話をしに行ったり、商店会の「有志の会」とか「〇〇町の未来を考える会」なんて名前になりがちの再開発推進派のオッサンやジーサンどもと夜な夜な地元のスナックで飲み明かしたりして、誰が反対しそうか、どうやったら立ち退いてくれそうかなどを探りながら、数年をかけて『地元住民の意見を集約する』ということをやってる。これを綿密にねちねちと、時にはお金を使ったり(金で移転してくれる人は割とかなり多い)して、ぺんぺん草も生えないほどに賛成派を取りまとめることで「再開発準備組合」という、再開発の準備をするための組合ができる。組合員は地元の地権者、つまり今まで懐柔してきたオッサンオバハン、ジーサンバーサンなどで、「再開発を成功させて無事にみんなで儲けよう」というSameBoatのメンバーになる。
通常、東京都や首都圏の好立地の場合は、地権者は再開発中の住まいの保障なども含めて一銭も金を出さないことがほとんど。地権者は自分がもともと持っていた土地を差し出して、その代わりに、再開発期間中の生活+再開発後の開発利益の一部(建物の中の新しい店舗だったり、タワマンに建て替わった新居だったり)を手に入れる。
あくまでも邪推だが、今回は、このSameBoatに乗りたくなかった地権者か、再開発で不利益を被る可能性がある周辺の関係者(でかい建物が建つのだから周辺環境は一変する)が複数いた可能性があるのかなと思う、まぁ邪推ですけども。
「不利益を被るかもしれない周辺住民・関係者(店やってる人とかね)」は実は、真っ先に懐柔しておくべきキーパーソンなのだが、この手順で業者が雑な仕事をしたんだろうなと思う。私見だが、N村不動産はこういうところがかなり下手というか雑というか、無視する傾向がある。まぁN村が合意形成にかかわってたのかは全然分からないので本当に邪推でしかないですが、当該の再開発予定地の周りにすでに恐らく同様の再開発スキームで建てたプラウドタワーが立っているので「行けるっしょ」ってなったのかもね。まぁ分からんけど、知らんけど。
ちなみにこのプラウドタワーは恐らく建物高さ90mぐらいじゃないかと思うのだが、NHKの記事に掲載されている完成予想パースの、当該建物の左側に白でごくうーっすらと半透明に描かれている建物がそれにあたると思う。こういうズルいことをするのがデベロッパーである。ちな建物の右側に白でごくうーっすらと描かれてるのはやはり再開発のマンション「エミリブ石神井公園」で恐らく建物高さ50m程度。石神井公園の駅前にこんなに青空が広がってるわけがないから!
で、近年に再開発された両隣のタワマンの高さが恐らく90m、50m程度なので、「なんで100mをOKしてんだよ」とツッコミは入るよなとは思う。
まぁ、10数年前にできたプラウドタワー石神井公園よりも高く積まないと今の高騰する事業環境では採算が取れないんだろうなーと予想はできるので、そう言えば裁判で戦えたんじゃとと思うんだけどね。都市計画審議会でそういう言及でもあったら「だってその高さにしないと事業ができません、事業ができないと困る地権者もいるし道の整備もできません」と言えたと思うんだけどなー。さすがに都市計画審議会の議事録を見るのは面倒なので、これもあくまでも邪推。
「街のにぎわいを棄損してる」これは一面では本当にそうなんだけど、一方で、現地を知ってる人やGoogleMapを見た人ならわかると思うが当該地は正直、再開発した方が良い場所ではあると思う。
このあたりとか見るとなぁ。https://maps.app.goo.gl/oacM7JfmgrEmFjsw9 ブッコメにも「まなマート返してくれよ」とあるが、まなマートの辺りとかうっかり火事が出たら大惨事は免れないと思う。私もこういう地元密着スーパー大好物ではあるので気持ちは痛いほどわかるが。特に既に南でも北でも再開発マンションが建ってる石神井公園周辺では最後のオアシスのような路地ではあるので本当に惜しい、が、地震と火事のリスク…。
でも味のある路地と古くからある店がなくなるのは、増田としてもとても寂しいことだよなとは思う(だからこそとても丁寧に反対意見が出ないほどに、広めに地元の人たちと話をする必要があるのだが。これを気合を入れてやったのが小田急と下北沢の再開発)。
「優遇しすぎな面」
計算してないからわからんが、図書館(公共用途)、もともとあった区道を建物を貫いて再保存しているところから、公共用途への供出がそこそこあるプロジェクトのようである。(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.files/jigyoukeikakusyo-2.pdf)そのせいで、ある程度補助金が手厚いのでは、と思う。事業費や公共床の比率などで補助金額には色々制限があるので、この件だけが手厚いということはないのでは…。むしろそうだとしたら大問題だが恐らくそれはないんじゃないかな(適当な言いきり)。
それは広告のイメージ戦略に乗せられておりますな。タワーマンションは容積率の制限の緩和を受けてはじめて建てることが出来る。その代わりに一定の計算式のもとに地面部分に「公開空地」を設けることが法律で決められていて、どのデベロッパーもその最低限度しか公開空地は用意しない。「建物を建てられる面積」は少しでも確保したい、タワー型ならなおさらである。規制より多く空地を設けるのはデベロッパー業界ではほぼ有りえない。
そして分譲マンションとして売るので、ほとんどのデベロッパーは、事業を圧迫しないように最低限確保した公開空地を公園のように整備することが多い。何かいい雰囲気になるからね。これは野村に限った話ではないっすね。そして一方で「いい感じの公園っぽくする」のは住友不動産にだけは当てはまらない。住友のタワマンの足元は本当に管理がしやすそう(で無味乾燥)、そういうのが好きな人もいるよな!管理費も節約できそうな気がする!
ちなみにこの「高いビルやタワマンの足元まわりの公園状のなにか」=公開空地は、「みんなが憩える空間を整備した代わりに容積を許してやったぞ」という空き地なので、みんなどんどん散歩したり休憩したりしようぜ!
「地域を作り替えたい業と地元民として街を守りたい業のせめぎ合い」
このブコメは本当に言いえて妙。上にだらだらと書いたが、「街を守りたい業」の人もいる。この手の件は共産党は必ず絶対に反対に回る、が、本件は商店会の偉い人が表に出てるので共産党とはちょっと違う筋なんじゃないかニャーという気はする、知らんけど。
政治的な話は置いておいても再開発エリアの線引きに入れなくて損した気がする人が反対、なんてのは普通にあるある。どっちも商店会メンバーでどっちもJCにも消防団にも入ってて、それで大ゲンカして大変、とかね。
雨漏りのする傘ってどうよ?って思わない?
その都度ぴしゃ!ってなるんですけどー!
これって傘の役目果たして無くない?って思うし
雨漏りする傘ってそれはそれでいいんだけど、
どこを貫通して雨の玉が落ちてくるのかしら?ってその瞬間を見届けていないので
でも正直分かってるの!
たぶん傘って1枚の布じゃないじゃない。
いくつかの布を縫い合わせて作られているので
その縫い目から雫がそうよ雨の玉が落ちてきて
その都度おでこにぴしゃ!ってなるんだわ!って推測でしかないけれど、
今日でこそ雨脚は強く雨音はショパン並の中の雨量って感じなんだけど、
この強さ程度の雨には耐えられないショパンなのよ。
頑張れショパン!
ご覧よほら!はるかに輝くあの峰を!
ってそれはジョリー!
ビニルの雨傘あれ買うけれど
誰が持って行っちゃうのかしら?って常々日頃からその都度都度思うわけだけど、
たぶんおおかた私がどこかで雨がそんなに強くなくでも傘が必要なぐらいの雨脚で、
何処かのお店に入店した際、
そんで買い物などし終えてお店から出た際にみんな大好きドリカムの歌のように空が晴れていたら
傘忘れちゃうじゃん!
でもまた翌朝その同じお店に行くと傘立てに私の傘がそのまま残っていて無事回収できるってことあるじゃない。
ショパーン!って
この奇跡的な再会を得てそういうケースはマルコが3000里離れたお母さんに会いに行くって
話の内容は1行だけしか知らない『母をたずねて三千里』は肩にリスみたいなサルみたいなキャラクターが鎮座していることしか
その2行しか知らないぐらい、
感動の例えとして現されるぐらいちょうどいいぐらいの感動を覚えたときに使うべく
かさー!ショパーン!って
銭形平次のとっつぁんが
お店の人にさっきこの顔と同じ顔の男が来なかったか?なーにー!そいつがルパンだー!の勢いの
ルパンの言い方でショパーン!って私は傘との再会を喜ぶの。
でもいつもまた気付いたら
それまでは無邪気に過ごしていて脳天気文字通り天気の晴れ空だから
急にそういう天候が急転して雨が降ってきた場合は
それまで忘れていたあなたのことを思い出すのショパーン!って
そんで
店員さんは気を利かせて、
今お使いですか?って包装されているビニルを剥がしてくれる優しさがまるで、
今日はいいことあったんですか?ってバーのマスターみたいな感じで、
私がうつむいていてしばらく顔を上げられない様子でやっとの思いで顔を上げマスターを見ると
お酒の瓶とカクテルを作るステンレスのカップをくるくるお手玉のようにジャグリングしていて、
もう私に優しい声をかけてくれたことなんてすっかり忘れているの
ワールド・カクテル・チャンピオンシップスか!って私のツッコミもむなしく。
正確に言うと私が頼んだのは餃子
ちなみのこのバーが入っているテナントビルの1階は町中華屋さんでそこからこのお店に出前が取れちゃうスタイルなので、
本格的なカクテルが楽しめるバーと言えども本格的な中華も楽しめるでお馴染みのお店なの。
慣れたお客さんはお店のマスターに言って下から出前を取ってもらっているのよ。
なくなっていた元気も取り戻せたよう。
でも私はマスターに呼び止められたの。
え?なに?
そっかー
ここカクテルと餃子は一緒のマスターに払えば良いけれど伝票は別々でややこしいシステムだったんだー!って思い出して、
私は慌てて餃子代を払ってお店をあとにしたわ。
もちろん
そんなご機嫌さんのションテン爆上がりの模様だったので、
傘のことなんてすっかり忘れて
またショパンを置き忘れてきたのよね。
ショパーン!
でもまだ私はそのことにすら気付いていない、
そうショパンってね。
うふふ。
夜「重湯」を作って飲んでお腹を落ち着かせているんだけど、
また別の機会に書くとするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
Windows10 以降のWindowsに標準搭載されるようになった「UDデジタル教科書体」というフォントがある。游ゴシックに並んで書体が美しいフォントで、そこらへんのチラシや張り紙などで濫用されているのをよく目にするだろう。
だがUDデジタル教科書体はバリアントが6種類もあって、それぞれがどんなフォントなのかわかりにくい。Word でバリエーションを選ぼうとすると、一覧にはこんな風に並ぶ。
フォント名を単純に昇順で並べただけで、バリアント順になっていない。これでは何がなんだかわからないので整理してみよう。
書体名 | 和文 | 欧文 | ウエイト |
---|---|---|---|
UD デジタル 教科書体 N-R | 等幅 | 等幅 | 標準 |
UD デジタル 教科書体 N-B | 等幅 | 等幅 | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NP-R | 等幅 | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NP-B | 等幅 | プロポーショナル | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NK-R | プロポーショナル | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NK-B | プロポーショナル | プロポーショナル | 太字 |
各バリアントは
という順列組み合わせになっていることがわかる。
日本語の文面は等幅フォントが読みやすく、英文・英単語はプロポーショナルフォントが読みやすいからだ(メイリオや游ゴシックなどもこの組み合わせである)。その組み合わせの NP ひとつでオールマイティにいける。
なお、和文に強いてプロポーショナルフォントを使う場面はなく、せいぜい見出しやタイトルなどの短いセンテンスや、UI部品のメニューなどスペースが限られる用途などに限定して使うべきだろう。
また、英語の等幅フォントも同様で、桁が揃っていないと見にくい表の数値や、プログラムのコードくらいしか一般的には使い道がない。
つまり「N」や「NK」の出番はほとんどないのである。(誤字訂正しました。指摘サンクス)
繰り返します。UDデジタル教科書体は NP-R/B 一択です。
ちなみに、はてな匿名ダイアリーをWindows環境で閲覧すると、本文の表示には「Meiryo UI」が使われています。この書体はOSのUI用に作られた省スペースフォントで、文字幅を強く圧縮した独特の形状をしています。ファイル名やメニュー項目を表示するには省スペースで重宝ですが、ブログの本文などの長文を表示するような用途にはまったく適していません。ごちゃごちゃと詰まっていてとても読みにくいです。こんなもの、普通は読みものコンテンツの最優先フォントに使ったりはしません。
なぜこんなことになっているのか、スタイルシートを読み解いてみましょう。
font-family: system-ui, -apple-system, BlinkMacSystemFont, "Helvetica Neue", "Hiragino Sans", "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "Noto Sans JP", sans-serif;
まず先頭に "system-ui" という総称フォントが書かれているのが噴飯ものです。
総称フォントとは「指定された固有フォントがひとつも見つからなかった時に最後の手段として代替できるような一般名」のことで、本来はフェイルセーフとして font-family 値の末尾に書き添えます。ブラウザは総称フォントに対しては必ず何らかのフォントを割り当てていますから、どう転んでも何かのフォントは見つかり、最低限の表示が保証されるわけです。
ところがそれを先頭に書いたりしたら一発でフォントが見つかって、それ以降のフォント指定は読み飛ばされてしまいます。system-ui の後ろのカンマ以降の情報は実質的にただのゴミです。書く意味がありません。
なぜこんなスカタンなフォント指定になっているか、だいたいの想像はつきます。
このフォント指定は、MacOS付属の「San Francisco」という粋なフォントを呼び出す裏技として一部で流行していた方法なのです。すごく使いたかったんでしょうね、San Francisco を……。
しかしMacOS以外のOSでも、system-ui にはそのOS固有のフォントが割り当てられています。Windows の場合は長文の表示にまったく適さない Meiryo UI だった、というわけです。
どっちみち San Francisco は記事内の半角英数記号くらいにしか使われませんが、Windows の和文表示をすべて台無しにしてでもそうしたい何か強い理由があったんでしょうか。私には合理的な理由は思い当たりませんが。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
ことについて私はちょっと怒っていた
正確には黄金頭さんは野生のギャル曽根や食べ盛りの運動部員他…までちゃんと想像していて、なんか救われたような気持ちになった
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/03/16/171118
私自身は私の持つマナーや常識や、自信を持って他人のマナーをどうこう言えるほどに誇れる自身の品位なんかの問題でなく単に他人に「この人間は社会をやれてない」と思われたくないがための必死で卑屈な小心ゆえに、
かつ自分が空気を読めない部類の人間であることを知っている不安から状況を深読みしすぎるゆえにお店のきりもりや他の客の感情のことを勝手に考えてこの条件なら一人1.5人前程度はいいだろう…などと余計な思考を巡らせて実際そのように行動しているタイプなので
最初あの話題が盛り上がりかけたとき一人での来店なら1皿追加、二人なら3皿くらいまでいいかな…などと考えていたのだけど、正直自身でも「適切」で「常識的」な範囲は実際何皿なのか?ということはわからなかった
だからブコメが盛り上がるうちにそれはおのずと浮かびあがってくるものだろうと思って追っていた
こんなにも「常識的な範囲」「迷惑でない範囲」ということを知っているだろうブクマカがいるっぽいんだからそうならないはずはないと
しかし実際ブコメでこの件の価格でのやり方なら○○皿が適切だろうという具体的の例示がなくて、でもじゃあ実際何皿ならいいかな?という素朴な疑問もなく、ただただ件の人を愚かだマナーがない品位がないハックだバグ(ハックとバグこれらはさすがにびっくり、全然違わない?と思った)だ店への嫌がらせだというコメントばかりあったからだんだんモヤモヤしてきた これが分からない私という人間も、果たして非常識で迷惑な側として斯様に断じられるのだろうか?
中には「知人なら距離を置くかも、嫌かも」「夫がこういうことをしたら指摘するかも」というようなことを書いている人も何人もいたけど、
えっ、いや、そこでなんで「わたしの思う常識的な食事量の人が欲を出している」想定をするんだろう、そこは「旧知のギャル曽根」か、あるいは「もえのあずきくらい日常的に食べることをこっちもよく知っている夫」を想定しないと思考実験にならなくない?と思った
実際無名時代のギャル曽根がお好み焼き店?だかで出禁(この辺はまさにお店の裁量だろう)を食らった話をかつて本人がしていたと思うけれど(その後和解はされたようだ)、
無名時代の大食い人間が近くにいたらこの人たちはそうやって自分の常識で黙ったまま相手を断じて勝手に軽蔑したりするんだろうな……って気持ちになってなんだか暗くなった
(まあ現在のギャル曽根さんはきっと自分自身で学んできて自分に課したルールに従ってお店ではバランスよく加減しながら大食するだろうタイプの人だとは思いますが)
私は人生において幼稚園から一緒の無二の友人がhttps://anond.hatelabo.jp/20240320101739この増田のようなタイプ(友人の両親もそう)で、
病院にも行って体に問題はないとわかったもののとにかく日常生活において人より大食してエネルギーをとらないと動けなくなるタイプの燃費の悪い高級車みたいな人間もいることを知っているから、悪意やハックなどという意識がなくてもそのくらい食べる人間はいるし、そういう人間について自分の思う範囲の「常識的な食欲・食すべき量」は当てはまるものではないということを知っていたから自然とそういう想像をした
私が今回のことですごく嫌だったのは、「大抵の人間は似たような食事量のはずで、だから自分の知っているまあ常識的な範囲の皿の数以上を食べ放題で頼む人間の行動は、必ず悪意か欲得づくである」というごく「自然」な発想に基づいて、たくさんの人が件の人や食べ放題で同メニューを大食する人をマナーがない、迷惑だと非難している点だった
(50皿同種のものを頼むのさすがに私もだいぶどうやろ…って思うけど、3皿が基準の人ならそれ以上だし5皿が基準の人ならそれ以上になればもうそれでその人は「非常識」「迷惑」な人の範囲に入っちゃうんだよね?
ルール内にはそれだけ幅があって、でも誰も自分のそれを語らない、そんな調子であるならばこの話は「ルールになければ何をしてもいいのか」がテーマでもなければそれで紛糾する以前の話なのではって私は感じたんだけど……)
まあ発端の人についてだけ言うのなら書き方がイキリっぽいとこもあったり読み手に勘違いさせたりわざとしたいのかなって感じもあったりでそういう気持ちも理解できるけど、
「食べ放題で悪意や欲得づくでなく大食する人」を自分のとなりに置く想定もしないほど自分に想像力がないのに、その小さな想像力で実際にはないかもしれない悪意を見出してはその想像力の及ぶ範囲での「常識」を正しいととらえて他人の品位を論評することについてなんの衒いもない人がたくさんいることについては本当に悲しくなった
「知っている飲食店でご飯やキャベツのおかわりがなくなった、回数が少なくなった。これもこういうバカがいたからだろうな~」といったブコメもいくつか見たけど、確かに中にはそういうお店もあるかもしれないが、
ほとんどの場合は普通に原価高騰の状況で削れるところから削っているだけだと思う……なぜなら家族が飲食店で働いていてそういう状況の複数の店の話題をたくさん聞いたから……
実際には状況や原因がわからない現実の事象について、似た場所で何かが起こったらそこから答えを引っ張ってきて当てはめて、自分の思いたいような嫌いな悪人を想像して納得するの、あんまりよくないと感じる
こういうのも上に書いたのと同じで、自分はそうではない(ここ大事)から堂々と他人マナー違反を咎めたり人の間違いを指摘するのって結局気持ちいいからそういう欲求に負けてしまうことって情けないことに結構あるけど、
実際それってすっごい意地悪なことじゃないかと思う
なにかあったときに外側の人や状況について「悪意」や「迷惑」の方からまず想像するの、なんかしんどい
(まあ私もこの増田でだいぶやっていると言えるので情けないが、違和感や怒りや非難の表明はせめて世間や常識に基づいてのものではないごく個人的なものとしたいと思う感情からこの増田は書く)
黄金頭さんが怒りたいのもそういうところだったんじゃないのかなって勝手に私は受け取って思ってしまったので(多分違う上に話題に出してごめんなさい)、「回避能力高ければそもそも触らない」っていうのも違うんじゃないかなって
(このエントリのブクマで見たコメについてhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/278501/1/1/)
自分のエネルギーを多量に消費しようが返ってくるものが苛烈であることが確実であろうがそれでも怒らなきゃならないこと表明しておかなければならないことが時には個たる人間には生じるもので、このことは本当にそうだったんだと思う
その後車いすと映画館の話題でも侃々諤々があり、似た無理解と構造があると感じた
自分が多数の側にいると思われるとき、その自分の想像できる範囲の常識や普通って実際のところかなり狭いということはいつもよく自分に言い聞かせておかないといつでもどこでもすぐさま傲慢な人間になってしまうということについてよく考える
できてないけどやっていくしかないんだよな…
”べつに上のツイート全部が嘘の書き込みであったとしても、思考実験の材料にはなる。そして、おれはこう思った次第である。あんたはどうだろうか。”
私も空気読みができる人間でも社会的に強い側にいる人間でもないので
今回の件では今回のようなこととは他のあらゆるシーンにおいてもこのような状況は生まれ、誤解されたり断じられたりが数多発生していることへの想像に自分の意志とは関係なく脳のリソースを使い、
なんだか自分や他の立場の人が置かれている状況や場を想像しては悲しくなったり不安になったりして上のようなことをいろいろと私は考えました
ブクマを戦争や闘争やプライドの場と思っているのでない限り、ただ素直にこれに応えればいいだけなのだと感じた
(私は3皿かなあとか俺は5皿くらいかな?…とかも普通に答えてよくない?いろんな人の「だいたい」知りたかったよ…黄金頭さんのエントリのブクマは200ブクマ超えたあたりでしんどくて読むのやめちゃったから書いてる人いるかもだけど)
0か100かのブコメがたくさんで落ちこんだよ……
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。
最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。
アジア、アフリカ、中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
ドラマ「おしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんのドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものがもっていた。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。
一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代(都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線を旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
「合法的な殺人(疑似)の発明か」とかいくらでも犯罪者扱いできちゃう。
「ダセェ商売しやがって」と自身の価値観で語るのならまだ表現の自由だけど、自身の価値観に自身がないのでこういう表現になるんだろう。
「グランドシネマサンシャインのIMAXでマナー違反」と「グランドサマナーズ 」は1ミリも関係がない。
でもきっと多くの人が、何故か脳裏に「グランドサマナーズ」という文字列がよぎり「グラサマ」という声が聞こえたことだろう。
何故、映画館が上映前にあれだけ嫌われているのに新作の宣伝を流すのか。
その理由がコレだ。
サブリミナル効果なんて利用するまでもなく、10回でも200回でも繰り返せば、ただそれだけで人間の脳には情報がこびりつくのである。
繰り返し聞かされた「グラサマ」により、俺たちの脳は「グランドシネマサンシャインのIMAXでマナー違反」の中に非実在の「グランドサマナーズ」を見出してしまうのである。
いやぁ?それもオタクなんじゃねぇの?って思う。
とりあえず論点が2箇所あったので分けてみるけど。
これは正直10年前からその論調はあって、その先鋒はそういったライトオタクを毛嫌いするヤマカンだった気がする。
とにかく、この論調は見覚えがあって、そんなコア層10%も居ないんじゃないかって思える。
で、別にオタクであってもコンテンツを楽しめなくなるもアレばグッズに執着を持っていたけど突如失うなんて普通にあるだろって感じ。
ハルヒ辺りのニコニコ動画から入った自分を含めたライト層なんてもういい歳なのよ。
手当たり次第にグッズを集めていた学生も今やそれなりな役職につける年齢で賢くなってる訳で。
そうなると声優なら結婚で下火になるようなブームの終わり、ゲームならサ終、続編のでないアニメとかも経験する。
すると金を持って賢くなったオタクは希少価値の高い=値付けが出来るようなモノを集めるようになるのも理解できる。
ほんで、恐らくそれってレトロゲームマニアとかもそんな感じじゃなかったっけ?と思ったりする。
ちなみにこれはアニメゲーム声優オタクだけでなくて、恐らくそれ以上に知識や経験がモノを言うような
鉄道や虫なんかの非二次元コンテンツ系オタクのかなりディープな友人が居るが彼もまたヤフオクで買ったりしていて
模型なんかは収集家が鬼籍に入られてここで落とされなければゴミとして捨てられるものをまとめて買ったり…
とにかく価値を見出して売買する事を厭わない。むしろ、彼こそが本当のオタクではと思ったりもする。
当然、逆にスペースがなくなり売ったりして手放しているので…話を戻すとそんな彼がオタクでなければなんなのだ…
という具合にもなる。