はてなキーワード: 複数形とは
「リアス式海岸」が「リアス海岸」と表記されるようになったのはなぜですか。
「リアス(rias)」とは、スペイン語で入り江を意味する「リア(ria)」の複数形です。スペイン北西部のガリシア地方には入り江が多く見られ、「リアスバハス海岸」とよばれています。この「リアス」を由来として、山地や丘陵の谷に海水が浸入してできた入り江が顕著に連なってみられる海岸地形のことを、「rias coast」(英語)というようになりました。この和訳として「リアス式海岸」という表記が昭和30年代以降使用され、定着してきました。しかし、「リアス」そのものが入り江の地形を表す語であるので、あえて「式」を入れる必要はなく、地理学・地形学の学術用語としては「リアス海岸」という表記がより適切であるとされるようになりました。
地図帳・教科書でも、長らく「リアス式海岸」と表記していましたが、こうした近年の学界等の動向をふまえ、平成20年度用のものから「リアス海岸」に表記を変更しました。
それを元にした作品にハケンアニメ!があり実写映画化もされたりした。
円盤の価格は、例えばぼっちざろっく!を基準にすると¥5,000~¥6000だ。
一般の歌手のアルバムを今時買う人も少なくなっているのだが、買う人は複数形態を購入する場合が多数であり二形態くらい買うだろう。3000円くらいだとすると2枚で6000円になる。
世間で「そこそこ」人気で「ミリオンとかじゃないけど」「時々歌番組にでるアイドルのアルバム」が30万枚くらいだ。
アニメ円盤売上で覇権とは言うが、数字をちゃんと俯瞰すると、動かす経済圏や人数はアニメ円盤基準だと狭すぎやしないだろうか。
どう考えても楽曲を制作するよりアニメを制作するほうが金はかかるので返ってくる金額が少なすぎる。1億ちょっとじゃ都内でちゃんとした家も買えない。
そうなるとアニメ商売に視聴者数が多い配信事業は欠かせないものであろう。
「視聴者一人あたり円盤の売上があるわけではない」が「総数が多ければお金は入ってくる」。
ボンズはそのやり方で視聴率も円盤も伸びずMBSに蹴られたヒロアカを制作し続けてきた。
グッズ売上なども考慮されてくる。または原作売上がのびれば出版社が出資という形を取ることもできる。
メディアミックスは「原作ありのアニメ」だけではなく沢山のメディアで利益を生み出すことが重要なのだろう。社会現象はここまでを含めなければいけない。
上記のことは誰でもわかっているのだろうが…
にしたって令和5年、2023年にもなって円盤売上で煽り合う文化が未だに残り続けているのは少々異様である。
さらに言えば未だに「オリコン」を基準にしているのも不可思議だ。
オリコン加盟していない独自店舗で販売する会社も多く、時代らしい取り組みだ。
配信抜きでもCD売上を基準に見ると、ビルボード集計のほうで数万枚計算に上ブレが出たりするので、もうアニメ円盤界隈以外ではオリコン基準を古いものだとする流れができている。
要するに円盤売上の数が数年前よりもさらに正確に把握できない状況になったはずなのだ。
(もちろん制作側は実数を知っているので、コケた成功したが消えるわけではない)
アニメ円盤売上を注視する界隈は、他の売上を見守っている界隈からも大きく取り残されている。
さらに独自ルールの計算方法を作り、サイトにまとめて「議論」しているのだ。
そこのルールブックにはデータが分からないような売り方をしたアニメが悪いような言い方で解説されている。何一つ建設的ではない。
そもそもアニメ円盤より、人気の洋画とかが特典付き1万円とかで凄い枚数売れてたりするのだが、そこであまり言い争うようなものを見たことがない。
円盤にこだわる彼らは一体そこでなにをしているんだろうか。
映画ハケンアニメ!は大規模に公開され、SNS口コミを頑張ったので名前は聞いたことが多いと思うが、実際のところ売上は1.8億のところで記録が止まっているほどの大コケ映画になった。
原作が発売されたのは2014年で、その時点でも少し題材として古かったかもしれないが、
シュレーディンガーは形而上学は物理学の後に来るのではなく、物理学に先行するという信念を表明していた。彼の技術的な思考は、より大きな形而上学的(宗教的)な問題に触発されていたのである。
「外界(心に依存しない)世界が存在する」「別々の心が存在する」という仮定がある。シュレーディンガーによれば、どちらの主張も経験的な証拠を得ることはできない。第一に、二つのタイプの現実(心-物質)の関係をどのように考えるかという問題。なぜ純粋に物理的な世界に住んでいるように見えるのか。第二は、異なる心の関係をどう考えるかという問題。なぜ、どのように互いに違うのか。彼は還元的唯物論や主観的観念論と呼ばれる伝統的な西洋の考え方を支持せず、非西洋、特にインドの哲学にインスピレーションを見いだしていたらしい。
「第二のシュレーディンガー方程式」とは、インド哲学に古くから伝わる、自己(アートマン)が宇宙の究極の実在(ブラフマン)と同一であるという教えであり、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えの中心を成しているものである。シュレーディンガーは、この「自己」は個人の自己と混同してはならず、むしろ個人の自己は単なる側面に過ぎない宇宙的、普遍的な存在であることを付け加えた。
シュレーディンガーは、この考えを説明するために、光を屈折させてさまざまな色(個々の自己)を作り出す水晶(宇宙の本質に等しい宇宙的自己のこと)に喩えることを好んで行った。「あなたや私は、現実の本質を形成している一つの心の側面に過ぎない。」彼はこれを同一性の教義とも呼んだ。したがって、意識の非二元的な形態は、その単一の側面と混同されてはならず、単一の世界に住む別々の自己への(単に見かけ上の)区別の反証を根拠づけるものである。
シュレーディンガーは、このことから驚くべき結果を導き出した。例えば、彼はどんな人間でも、その人以前に生きていた他のどの人間とも同じであると信じていた。初期のエッセイの中で、彼は目の前の山々を眺めることについて書いている。何千年も前に、他の男たちも同じようにこの景色を楽しんでいたのだ。しかしなぜ、自分はこのような前の人たちと区別されると思い込まなければならないのだろうか。自分の経験と他の人の経験を区別するような科学的事実があるのだろうか。何があなたをあなたたらしめて、他の誰かではないのだろうか?かつてジョン・ホイーラーが、宇宙には本当に一つの電子しか存在しないと仮定したように、シュレーディンガーも、本当に一つの心しか存在しないと仮定した。シュレーディンガーは、「意識は決して複数形ではなく、単数形でしか経験されないという経験的事実」がこれを裏付けていると考えた。私たちの誰一人として複数の意識を経験したことがないばかりか、それが起こったという状況証拠も世界のどこにも跡形もない。
現代の意識の科学的研究において、物質がどのように、そしてなぜ意識的経験を生み出すのかという問題を、「意識は脳を備えたいくつかの物理システムが自らに語る幻想の物語である」という、そもそも難しい問題があるように見える理由(実際には何もないのだが)で回避しようと試みている。シュレーディンガーは、意識の実在についての幻想的な立場を受け入れるには程遠かったが、非常に似たような観点から、たった一つの心(「アートマン=ブラフマン」)があるのに、なぜ複数の心が存在するように見えるのかを問うている:多くの別々の心が存在するというのは、混乱した個人が自分に語る幻想の物語なのだ。そうでないと、私たちは常に他の存在(最終的には、現在、非生物的物質と呼ばれるものとも)とつながっていることに気づかず、ある意味で根本的に孤立しているという誤った信念を持つことになる。難しい問題の場合とは異なり、私たちの最初の信念が本物であることを示す経験的証拠はない。
シュレーディンガーの形而上学的、哲学的な教えへの取り組み方の重要な特徴は、合理的、科学的な方法論を堅持する慎重さであった。同一性の教義は、無批判に採用することはできない。つまり、新しい形而上学を採用しつつも、科学的方法は維持しなければならない。科学理論には東洋思想からの輸血が必要だが、輸血は常に凝血を防ぐために大きな予防措置を必要とする。科学的思考が到達した、どの時代にもどこにもない論理的精度を失いたくはない。
シュレーディンガーが求めていたもの、彼が最も高く評価していたであろうものは、数学的な正確さをもって意識を研究するための科学的アプローチである。そのような意識の理論にとって同一性の教義から続く重要な制約は、その非常に基本的な構造において、個々の意識のある存在が(切断された個人ではなく)より高次で統一的なエージェントの側面であり、(電子、岩、脳といった多くのものの中の一つに過ぎず)そのような存在の集合全体が現実の究極の性質を構成すると認めていることであるだろう。
シュレーディンガーは、意識の実在を認める根本的な一元論を望んだのである。意識の研究における現在の理論的状況を考えると、「意識的行為者の理論」はこれらの要件に最も適合しているように思われる。それは、意識が何をするのかについて正確で明確な定式化を目指しており、2つ以上の意識的エージェントのいかなる組み合わせも、それ自体が別のエージェントであることを提案している。また、エージェントの集合体全体が現実の本質を構成しているという考えにも適合するように思われるが、そのためには、この集合体から物理的世界がどのように発生しうるか(そして、それとは別に何も存在しないか)というモデルを理論が考え出すことが必要である。
シュレーディンガーは、哲学の分野で以前から提起されていたいくつかの議論(例えばカント)に依拠したが、彼の立場は次のように集約される:我々が物理的世界と呼ぶものは、シュレーディンガーが「客観化」と呼んだプロセスの結果である。すなわち、一つの自己世界(アートマン=ブラフマン)が、容易に概念化でき、客観的に研究できるもの、したがって主観的性質を完全に排除したもの、へと変化することである。意識的行為者の理論では、これは「インターフェース」の創造に相当する。このようなインターフェースは、効率的な行動を可能にするために、起こっていることを単純化する。優れたインターフェースは、複雑さを隠す。インターフェイスは、現実をありのままに見せるのではなく、自分にとって都合の良いように見せる。「物理的世界」と呼んでいるものは、非二元意識を高度に単純化した表現に過ぎない。
この物理的世界もまた、そこに向けられた多数の対象を抱いているように見える。自律した物理的世界という誤った印象をもたらした客観化のプロセスは、まさに、異なる肉体に住む異なる形態の意識を想定する誤りにつながる。非心理的な世界に心的特性を加えるという手っ取り早い方法では、先に述べたような問題を本当に解決することはできないだろう。なぜ他の誰かではなく、あなたなのか?ある主題のセットをより上位のものにまとめるにはどうすればいいのか?しかしそれらの問題は、そもそも分離した多数の自己に対抗する一つの物理的世界の存在という形而上学的前提に屈しないことで回避することができる。意識的行為者の理論によれば、根本的に分離した自己という考え方は、インターフェース上に見えるものと非二元的な意識という真の現実を混同している場合にのみ生じる便利なフィクションである。
意識的行為者の理論は、シュレーディンガーの問いに対する興味深い答えを提示している。なぜ、私たちは特質のない物理的な世界に生きているように見えるのか?なぜ、そしてどのように私たちは互いに異なっているのだろうか?それは、意識的なエージェントのダイナミクスが、現実の本当の姿を隠すようなインターフェイスを生み出すからだ。私たちは同じでありながら、異なるように見えることがある。ある視点から見ると、すべてのエージェントは一つの世界に等しい一つのものに結合する。別の視点から見ると、この単一のエージェントは、それぞれの世界に住む異なるエージェントのネットワークと等しくなる。どちらの視点を選ぶかは、何を説明したいかによる。
コロナ禍でうっかりジャニーズにハマってしまい、それなりに楽しく、ライブ行ったり、遠征したり、円盤買って鑑賞会したり、CDを複数買わせるのは解せなかったけど、まぁ3形態渋々買ったり、ジャニショで写真買ったり、雑誌の表紙は嬉々として買い、まぁいわゆる普通のジャニオタを続けてきたわけだけど。
ジャニーズ好きになればなるほど、推しが頑張れば頑張るほど。やっぱりあの事務所とジャニオタは変だなって思うところがあった。
Jrのやりがい搾取は当たり前だし、ジャニー・H・北川プロデュースの舞台はトンチキの極みで、共感性羞恥心で恥ずかしくなるところを、推しの頑張る姿を見て、じっと堪えた。何が面白いんだかちっとも分からない。
ゴシップ大好きだから、ジャニーさんが小児性愛者で、裁判でそれを明かされているのも知ってる。本当に許せないことだし、なんでこんなにもてはやされてるのかが、理解できない。
でも、ジャニーズ事務所のタレントたちは愛おしそうにジャニーさんの話をするから、本当は嘘なんじゃないかと頭がパニックになり、いつしかそのことは箱に入れてそっとしまってしまうのだ。
そして重度のジャニオタは、ジャニーさんを神格化し、大きな仕事が決まれば、ジャニーに祈りをささげる。(Twitterで)
でもジャニオタたちは目を背け、ジャニーの才能に今日も感謝してる。マジで意味わからん。
他にも、チケットの高額取引が横行してるのに、いつまでたっても公式リセールを作らず、FCを複数名義作らせて、金を稼ぐ。
小賢しいジャニオタは金稼ぎに、FCに入り、少なくとも数万、うまくいけば数十万を手に入れ、その金で自分の推しに金をかける。
泥沼すぎて笑う。そんなことを10代の未成年の子もやってるから、本当に怖い。たまに見せしめのように、チケット詐欺で逮捕者でるけど、まじでコンサート中のTwitterなんて、ツアレポか高額取引しか流れてこないんだけど。
さらに最近では、定価で譲るけど、1口100円でルーレット応募に参加できますなど、巧妙に。
おそらく誰も当たらないけど、まぁ2万円くらいは集まるんじゃないかな。
ジャニーズのコンサートは基本入場するまで席がわからないから、入場後は最前列を求めて札束が飛ぶ。
#グループ名発券済
それを事務所は知ってるのに、我関せず。
いい加減にしろ。
2022年11月は立て続けにいろんなことが起きすぎた。その全てが車のスモークガラスのように、黒くけぶり、どんなにのぞきこんでも輪郭が見えない。
そしてオタクたちは、謎の憶測に苛まれて、我を忘れて誰かれかまわず攻撃する。
この大丈夫そ?
は、心配してるわけではなく、煽り言葉としてジャニオタたちの間でよく使われてる。
推しが好きなのはいいけど、盲目すぎるし、Twitterの中でしか生きてなくて、もうちょっと現実見てほしい。
さらには、謎の絵文字暗号を使って、住んでるところや行きつけの店などの情報取引、またお繋げ企画という、推しと会わせてあげるから、金よこせ系など、情報垢と呼ばれるものもはびこっている。ちなみにほとんど嘘だよ。
さらには、会場で隠し撮りした動画や音声、写真なども流出。モラルがなさすぎるファンが多すぎて、毎度気持ち悪くなる。
もちろん普通に応援してる人が大多数なんだけど、正直モラルがないファンが目に余りすぎる。
ジャニーズ事務所はいろいろなことを放置しすぎだし、オタクもそれをわかってエスカレートしていく。
もう疲れたよ。
タレントたちはすごく頑張ってる。
と鼻で笑ってる人たちがビックリするほど、歌も踊りも進化している。それはやはり彼らの努力なしでは語れない。そんなひたむきな彼らを応援したいだけなのに、無駄なノイズが入って、ぐったりと疲れてしまう。
応援していたこの数年、本当に楽しかった。それは嘘じゃない。だけど、もうお金は落とさないかな。茶の間ファンとしてこれからも応援していくね。
"I sprang upon the swift ship in the form of a dolphin, pray to me as Apollo Delphinius; also the altar itself shall be called Delphinius and overlooked forever." - Homer
っていうあれね。
訳すと
私はイルカの姿で快速船にとびかかった。デルフォイのアポロンとしての私に祈れ。祭壇もデルフィニウスとよばれ、永遠に見渡されるであろう。
って感じかな。
ホメーロスのどんなところに出ているか、「イーリアス」にも「オデュッセイア」にもなかった気がしたので、英語版のウィキペディアの「Delphi」で調べたら、「ホメーロス風讃歌」の「アポローン讃歌」からの引用みたい
邦訳はあるっぽい。
で、wiktionaryで語源を調べるとデルフォイΔελφοίの語源はデルフスδελφύς (delphús)子宮の複数形かららしくて、ドルフィンと語源は同じだね。
chatGPTってのは、質問したら色々それっぽい答えをしてくれるAIです。
・適当な日本語の箇条書きから、それっぽい文章をそれっぽく作ってくれる。
最初はとにかく、最初から最後まで論文を埋めてみる作業から入るのですが、これが爆速になりました!
一回通して書くのが一番時間かかるので、これは論文の生産性上げてくれそう。
・明らかに今までよりレベルが高い単語や言い回しを教えてくれる!
・「文章を短くする」と言うのが、増田の能力を圧倒的に超えており、スッキリした文章になる。
これは、実はかなりでかい。
なぜなら、論文が受かるかどうかは、内容というよりは完成度という説がある。(ソース:松尾組の英語論文の書き方)
文章が短いということは、重複や意味的に重なることを統合してくたりするってこと。chatGPTはここが今までのAIより遥かにうまい!
・単語や文法のレベルが増田の能力を超えてるので、ググったりしないと厳しい。
DeepLって翻訳ソフトやGrammaryも使えるようなブラウザ機能使ってますので、文法ミスはそれなりに防げるのですが。
自分の能力を超えた文法や単語が出てくると、人間側のフィルターを鍛える必要があり、ググりまくってAIの意図を勉強する感じになります。
例えば、「A or B 動詞」だと、動詞の複数形か単数系かは、B依存でAは関係ない。とか、「The A and the B」ではなく、「The A and B」が普通、とか。
そういう文法を意識するのって、DeepLやGrammaryではないですが、chatGPT使うと、その辺りが確信持てない。増田の能力の問題。
DeepLでは、日本語入れてみて、それっぽい訳になるまで訂正を繰り返しますが。chatGPTは、文章に対して、4つくらい翻訳例を出させてます。
今までの、4倍の英語の文章を読んで、それをそれぞれいいところどりして文章にしますので、翻訳に時間がかかりますね。脳も4倍くらい疲れます。
当たり前ですが、論文は新しい概念や用語が出ますので、そんなの知らないchatGPTさんからは厳しい。
独自概念とか独自用語が多い文章だと、増田がDeepL使った方が早い。
chatという形式なので、こちらが持っている論文を読み込ませることができない。
なので、全体と協調した部分の書き方みたいなのが難しい。部分最適になってしまう。
そもそも、このようなAIが出てきたおかげで、選択肢が増えて、人間の能力が拡張されたのは超絶ありがたい。
その上での話ですが。
論文の効率自体は、今まで2週間かかったのが、今回も同じくらいやっぱりかかってるので、今回に限れば、そんなに効率はアップしていない。人間側の慣れで今後9日くらいになるような気もします。
論文のクオリティは明らかにこれまでより上がったように思います。まず、第一稿を仕上げるスピードが段違いに早くなったので、見直しや文法の細かいところに気を遣う時間が増えたように思います。また、chatGPT先生に教えていただく単語や文法や短いうまい言い回しをかなり学べます。また、参考文献も力を入れて書けるので、論文の内容的な厚みがこれまでよりアップしたように思います。
・chatGPTの進化に期待
そもそも、chatGPTはまだまだ進化の余地を残しています。今より良くなることは確実。
現状は、1時間の問い合わせ数が制限されたり、長い文章を出力できなくていまいち制限が厳しいです。
来年は、LatexやPDF読み込ませて論文書いてくれないかなあ。
そもそも、増田は難しい英単語や文法を使わないので、chatGPT先生の指導を受けて、かなり今回単語や文法の勉強になった、これに慣れていって実力を育む必要がある。
また、大量の英語の文章を読むため、このような読解能力を高める必要がある。DeepLのおかげで、英語の論文とかほぼ読英語では読まなくなったのですが、ここに来て、その読解力の重要性が高まってしまいましたね。
人間なので、印刷して声に出して論文を読むと、ミスを見つけやすいですね。AIが指摘できないミス(独自概念や用語に合わせた説明や文法など)を大量に発見できます。そういう人間的な能力でAIを補完するのが大事かもしれない。