はてなキーワード: 被写体とは
2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509
社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。
そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。
だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。
もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。
モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミのカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。
話は少し違うが、増田は現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客の写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真がマスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。
そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。
しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミのカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。
おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。
ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。
んー?児童ポルノの被写体の受ける被害って撮影時に起きた出来事だけじゃないと思うんだけど?
撮影されたメディアが全世界にばら撒かれる、それが消費されることも含めて被害として認定されてるのでは?
それって本人の意思に基づかないものだから。
盗撮だって、盗撮した本人だけがひっそり楽しんでて外に出さないなら被害は最小限だけど別にお金取らなくたってばんばん外部に頒布したら被害が大きくなるっていう理解だけど。
一度流通しちゃったそういう写真がどんどん拡散しちゃうのは「仕方がない/止めづらい」ことかもしれないけど「問題ない」というのとは明らかに違うと思うよ。
anond:20080318031119を書いた増田です。
ふと思ったことを何気なくつぶやいたつもりだったんですが、たくさんトラックバックやはてブコメントをいただいていてびっくりしました。
まず最初に、お詫びしたいことがあります。
私は「女性なら誰でもアダルト表現を見て傷つくものである。そうでない女性は繊細さが足りない」などというつもりで最初の一文を書いた訳ではありません。
むしろ自分は少し神経質な方だと思っていますし、気にならないのならその方が暮らしやすいと思います。
表現の仕方でそう受け取られた方がいらっしゃったようなので、そう受け取って不快になられた方にはお詫びします。
コメントを拝見すると、大まかに「見たくないのなら見なければいいのでは」というご意見と、「ナイーブ過ぎるのでは。そういうものに溢れているこの世の中でそんなことを言っていたら生きていけない。慣れるしかない」というご意見の2通りがあるように思いました。
前者については、残念ながら難しいのが現状です。
メールチェックをすれば1日に数十通、アダルトSPAMメールが届いています。
自分のサイトに設置している掲示板には1-2週間に1度の割合でアダルトサイトへの誘導コメントが書き込まれます。
はてブからブログを読みに行けば、いろんなところでアダルトSPAMトラックバックを目にします。
これらはネットの話ですが、例えば郵便受けにも裏ビデオのカタログやデリヘルのチラシが時々入っています。
現状は、こういう情報は、望まなくても、目に入ってきてしまう状態なのです。
「男性だってBLコンテンツを見たら同じように傷つく」とコメントされていた方は、BLコンテンツのSPAMメールやSPAMコメントやSPAMトラックバックやチラシが同じように溢れている状況を想像していただけると、少しはご理解していただけるでしょうか。
実情としては、後者のご意見のように「慣れるしかない」状態なのが現実です。
「傷つく」という表現が、少しきつかったのかもしれないと思います。
ただ、それは「傷つく」というよりは「不快感」なのではないかというコメントをいただいていますが、「不快感」という怒りに近い感情よりは、心の一部が磨耗するような感覚です。SPAMメールをタイトルで確認して消していく時、掲示板のSPAMコメントを消して、そこに含まれているアダルト表現を以後書き込み禁止ワードとして登録していく時、郵便受けに入っているチラシをなるべく見ないようにしてゴミ箱に入れる時、ちょっとずつではありますが、確実に気力が消耗していくのです。
児童ポルノ規制に関する議論を読んでいて気になったのが、「被写体が実在しないもの(2次元)は誰も傷つけることがない」という意見でした。
私はそうではないのです。2次元/3次元問わず、そういったものを、心の準備ができていない時に不意に提示されると、ぐったりします。
疲れて帰宅した日には、そういう文面のタイトルを見る気力がなくてメールチェックすらできない時があります。
かつて「週刊わたしのおにいちゃん」が話題になっていた頃は、様々なブログで、性的なメタファが込められているあのフィギュア画像が紹介されていたりアマゾンアフィリエイト画像として自動掲載されていたりしたため、疲れてブラウズをやめたこともしばしばでした。
コメントを拝見する限り、やはり私はかなりナイーブな方なのだと思います。
けれど、知り合いには、やはりアダルト表現の不意打ちは苦手、という女性は少なくないです。
ネット上で私の目に入ったところでは、そういう意見があまり見かけられず、そういう表現で傷つくような人は本当にいるのか?と懐疑的な意見も見かけられたので、自分はそうだということと、なるべく想像してもらえるようにその理由を書いてみたのが前回のエントリーでした。
「だから規制するべきだ」とは思っていません。表現の規制というのは非常に大きな危険性を孕む問題だと思っています。
けれどその昔、公衆電話ボックスにあふれていたピンクチラシがある時期を境に一掃されたのはやっぱりほっとしたのです。
2次元/3次元を問わず、そういうアダルト表現は望まなければ目に入らない状況になってくれればいいのにな、と思うのは事実です。
ただ、思ったより今の事態を気にしていない人が多いのだな、ということはコメントから実感しました。
だからこその現状なのかもしれませんね。
ほら、明らかに空想することそのものを規制しようとしてるじゃん。白々しい。
>子どもを性虐待する内容のマンガは、実在の子どもたちがそういった性対象として見られる可能性がある。
性的対象としてみることそのものを規制対象にしようとしてるよね、これは。
そのような規制が仮に肯定されうるとしても、少なくとも児ポ法でやることじゃない。
>マンガは、実際の子どもを被害に遭わせているのではないという主張があるが、実際に性的空想や行動のために利用されている。
性的空想を規制しようとしてるじゃん。内心の自由とかガンムシですよこの人たち。
まあそういうのも確かにいるけど、そんなのばかりじゃないでしょ。
あと、絵の規制に反対している人たちは、そもそも絵は児童ポルノに含めるべきではない、と主張しているんだから、
>自分が暴力ゲーム/児童ポルノ手に入らなくなるのが嫌だ』と言うだけだけど
というようにまとめたらそりゃ怒るよ。論点先取だもの。
90年代は概ねそんな感じだったと思うけど、それってやっぱり80年代の『写真時代』の流れを受け継いでるんだよね。
『スーパー写真塾』なんて『写真時代』の一コーナーを独立させたものだったはず。みんな末井昭チルドレンだよ。
90年代だとリリー・フランキーや根本敬、浅草キッドあたりがコラム連載陣だったが、『写真時代』はアラーキーに赤瀬川原平、糸井重里という超強力なメンバーが連載を持っていた。アラーキー撮影のロリータヌードなんか掲載されてた。
盗撮も80年代からすでに始まっていた。本人の承諾なし+被写体が未成年中心だから現代なら二重に犯罪だと思うが。
まあセクハラという概念もなかったし、11PMみたいな深夜放送だけじゃなく、ゴールデンタイムにも女の裸が出てきてほとんど問題にならなかった時代だから、日本全体でそういうモラル意識は低かったと思うね。
この時代の投稿雑誌に載ってた写真は児ポ法の定義でいうと第二条第3項の三「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」に該当すると思う。
ブルセラブームやそれに便乗したU??15雑誌になると、第二条第3項の二「他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」に近いものが多くなった。でも、その手の雑誌はやっぱ当局の圧力があったのか、1年前後で消えた(『フィフティーン・クラブ』等)。第二条第3項の一「児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態」はさすがに一般書店で買える投稿雑誌やロリコン誌でもタブーで完全にアングラのものだった。裏ビデオの通販広告なんかにはタイトルが出てたけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080312121901
前回の続き。
これらの雑誌は女子高生(または女子高生風のモデル)を被写体にしていたわけだが、必ずしもロリコン向けというわけでもなかった。今でもそうなのかもしれないが、女子高生好きはロリコンにカウントされていなかった記憶がある。「男は女子高生が好きなもの」というのはあからさまじゃなくても、暗黙の共通認識になっていたと思う。
こういう事情があったからか、これら雑誌にはブルセラショップの広告やブルセラビデオの内容紹介も普通に掲載されていた。ブルセラビデオの類は東京を中心とした少数のショップが販売拠点となっており、地方にはそこから通販される形であった。だからマニア向けの商品であることは間違いなかったが、雑誌に紹介ページがあったことで地方在住の高校生であった増田にも内容が把握できたのであった。
90年代はエロ業界以外でも女子高生がやたらとフィーチャーされることが多かった。「コギャル」という言葉が生まれたのも90年代の半ばか。こうした世間の風潮との相乗効果もあって、投稿系雑誌はブルセラや女子高生エロスを強化する方向に進んでいった。
ちなみに1993年にウッチャンナンチャンの南原清隆氏がテレビ番組「ウンナン世界征服宣言」の企画で、女子高生Tバックアイドルユニット「メロン組」をプロデュースしている(この番組、ウッチャンが女子高生デートクラブに行く企画もやってたと思う)。地上波テレビにTバック女子高生が出演できるくらいなので、エロ本業界は推して知るべしだ。でも具体的に言うと「Tフロント女子高生」みたいな雑誌もあったな。ただ、91年の樋口可南子、宮沢りえを皮切りにヘアヌードが解禁されはじめた時期だったのにもかかわらず、女子高生ヘアヌードというのはあまり見た記憶がない。
最近でいう「着エロ」というジャンルの走りなんだろうが、女子高生ものにおけるこうした流れにロリコン向け雑誌も合流するケースもあった。増刊として「モデルは全員15歳以下!」と銘打って、際どい水着写真やセミヌード、そしてヌードグラビアも掲載した雑誌が出されたこともあった。やはり盗撮コーナーもあった気がする。この時期にはコギャルよりもさらに低年齢の「マゴギャル」という言葉も生まれていた。ただ、これらの雑誌はさすがに際どすぎたためか、いずれも短命に終わっていたはず。
一方、女子高生中心の投稿系雑誌は「爽やかなお色気」のイメージがあったためか、トラバしてくれた人も指摘するようにコンビニの成人雑誌コーナーにも置かれていた。「日本ではコンビニで堂々と児童ポルノを販売している」なんて欧米に批判されることもあるが、このような事実をかんがみれば、その批判も故なきものではないと思う。
しかし、90年代後半にはブルセラが社会問題となり糾弾されショップが撤退しはじめた。さらに援助交際が問題視され、各都道府県で青少年育成条例が厳格化されるようになってきた。国会でも児童ポルノ問題が語られ始めるようになる。
児童ポルノ法が成立・施行される前の議論の段階で、女子高生をフィーチャーした雑誌はリニューアルを余儀なくされた。しかし、それは雑誌の売りをすべて捨ててしまうことと同義だった。
私増田はその頃大学生で、エロ的欲求のはけ口を雑誌よりもAVに求めるようになっていたのに加え、編集者側の自主規制によって投稿系エロ雑誌の内容がヌルくなっていたので見なくなっていた。したがって、これら雑誌の断末魔を知らない。しかし、児童ポルノ法施行以前にこれら雑誌の命脈は尽きていたように思われる。
だいたい自分が語れるのはこれくらいのことだ。要は児童ポルノ法以前にはガチのロリコン向けポルノでなくとも児ポ法の定義でいう「児童ポルノ」は広く流通していた、ということだ。未成年のセミヌードや未成年素人の盗撮映像などが全国の普通の書店に出回ったりしていたわけで、今から考えるととんでもない時代だったと思う。かといって、ガチのロリコン向けコンテンツを手に入れるハードルはそれなりに高かったわけで、児ポ法以前はロリコンにとって天国だった、とか、日本では児童ポルノが野放しだった、とか言われると、時代の生き証人、語り部としては「それはちょっと違うんじゃね?」と言いたくなる気持ちはある。もっとも、自分がモデルと同世代だったことでそれらを「ガチのロリコン向け」と思わなかったということもあるかもしれない。現在の価値観を持ったままタイムマシンに乗って90年代に戻れば「なんちゅうワイセツなもんが流通しとるんじゃ!」と思うかもしれないな。
以上、かなり不十分な叙述だと思うので批判・訂正・補完を大いに求めます。
最後に付け加えておくと、こうした投稿系雑誌(のコラム・コーナー)がリリー・フランキーの才能を見出したり、根本敬に活動の場を与えてきた功績はもっと讃えられてもいいと思う。リリーさん、当時から面白かったけど、こんな大作家になるとはなあ…
なおかつ、上記のような行為は現在の感覚では、被写体が低年齢であることやプライバシーの侵害など許しがたい犯罪だとされるだろうが、当時としてはむしろ「爽やかなお色気」のノリだったのである。それより成人したAV女優の絡みの写真の方が不潔なように見られていた、と個人的には思う。現在の価値観で過去を裁いてはならないというのはこのことだ。ほんの10数年前なんだが。
別にこの感覚は今でも変わってないんじゃ?通行人やクラスの男子でも(タイミングさえ合えば)目にしてる光景と、AV女優でもなきゃ人前でしないポーズとシチュエーションなら、後者の方が猥雑度高いだろう。
ただ、写真そのものの猥雑度と、その写真が存在するプロセスの問題はまた別であって、当時は盗撮に対する意識が緩かった。その辺をごっちゃにして書いてあるように感じたので、念のため。
あと盗撮への規制が緩かったのも、そういった行為の存在自体が(今よりは)マイナーであまり警戒されていなかったというお目こぼし状態の話なので、「現在の価値観で過去を裁いてはならない」はかなり危険な表現だと思った。持ってる側の意識として、投稿パンチラ写真より本物の絡みの方が非日常であるがゆえに罪悪感強かったみたいな表現なら分かる。
なおかつ、上記のような行為は現在の感覚では、被写体が低年齢であることやプライバシーの侵害など許しがたい犯罪だとされるだろうが、当時としてはむしろ「爽やかなお色気」のノリだったのである。それより成人したAV女優の絡みの写真の方が不潔なように見られていた、と個人的には思う。現在の価値観で過去を裁いてはならないというのはこのことだ。ほんの10数年前なんだが。
当時大学生だった私は、コンビニの雑誌の棚に「投稿写真」が置いてあるのを初めて見た時、ものすごいショックと嫌悪感を感じました。
表紙の煽りにある「盗撮」の文字を見て最初に思ったのは、自分もそういう対象にされていたらどうしよう、ということ。
そういう雑誌が堂々と誰でも出入りできるコンビニの誰でも見られる位置に置いてあるというのが衝撃でした。
当時の男性にとってはそういうのは『「爽やかなお色気」のノリで、AV女優の絡みの方が不潔』という感覚だったんですか?
私は当時、プロならともかく素人の未成年を対象にしているなんて卑劣でキモチ悪い(当時はそういうのにやらせがあるとか思ってなかったので)と思ったんですが。
http://anond.hatelabo.jp/20080312084355
けっこうブクマついてるね。
推敲してないから文章ごちゃごちゃですいません。
それから極私的記憶なのでブクマやトラバで訂正や補完もお願いし増田。
前回をまとめると
そういうエロ本はいかにもエロスな感じの色っぽいお姉さんが表紙になったエロ本とは違って、制服姿の少女が表紙だったりして、一見爽やかな印象を与えるものだった。そうした雑誌はいくつかあって、それらにはAV女優やプロのモデルのヌードはもちろんあったが、何よりも読者からの写真投稿コーナーが名物になっていた。雑誌名をいくつかあげれば「投稿写真」、「熱烈投稿」、「スーパー写真塾」、「アクションプレス」などなど。
どんな写真を投稿するかといえば、アイドルや女子高生を始めとしたパンチラ(被写体が素人の場合、盗撮の場合もあれば、ナンパして合意の上で撮影する場合もあった)、アイドルの登下校の姿を盗撮、街で見かけた美少女を勝手に撮影(そういえば目線などは入れてなかったなあ)、女子中高生の体育時の様子を盗撮などなど。ちなみに当時、体操服はブルマが基本だった。体育の盗撮写真の雰囲気を味わいたければ、ttp://blue.kakiko.com/bloom/p1.htmlなど見てくれ。風呂盗撮とかもっと過激なのもあった気がするが、記憶が定かではない。
ともかく、ことほど左様に女子高生がもてはやされていた時代があったのである(今も?)。
なおかつ、上記のような行為は現在の感覚では、被写体が低年齢であることやプライバシーの侵害など許しがたい犯罪だとされるだろうが、当時としてはむしろ「爽やかなお色気」のノリだったのである。それより成人したAV女優の絡みの写真の方が不潔なように見られていた、と個人的には思う。現在の価値観で過去を裁いてはならないというのはこのことだ。ほんの10数年前なんだが。
これらと平行する形で本格的ロリコンのための雑誌(こちらはグラビアよりもむしろ小説や読者体験談が中心だった気がするな)も全国的に流通していたのだが、これら投稿系の雑誌は被写体に女子中高生が多かったわりに必ずしもロリコン向けというわけでもなかったと思う。
しかし、これら投稿系雑誌における制服に対するフェティシズムは90年代半ばまでに台頭してきたブルセラブームと極めて相性がよかったと言えるだろう。
(まだ続く)
議事録待つ間に忘れられそうなんで
・有村治子
時間が限られておりますので早口になりますけれども、ひとつ最後に児童ポルノについてお伺いをさせていただきたいと存じます。
質問、時間が限られておりますので、総理に一言求めたいと思います。
大変残念で不名誉なことですが今、日本は全世界において有数の児童ポルノの発信国、消費国としての現状があります。
朝日新聞の朝刊、今年1月30日に掲載されたトーマス・シーファー駐日アメリカ大使の寄稿文を拝見し、心を揺り動かされました。
この記事は、下院議員としてアメリカの国政にも参加されていた大使が外交全般ではなく、児童ポルノという分野でやむにやまれぬ思いで執筆された日本人への呼びかけです。
事の本質を見事に喝破された説得力のある論文なので、本日委員の皆様には配布しておりますが、世論を形成される日本全国の皆様にもこの問題を共有し、子供達のために是非手を貸していただきたいと、ご紹介をさせていただきます。 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20080201-72.html
曰く、シーファー大使が仰るには児童ポルノと言う言葉は犯罪のおぞましい性質を正確にあらわしていない。
成人ポルノとは違い、子供達は自発的に被写体となったのではなく、報酬も得ていない。
そのポルノの画像は凶暴で残忍だが、子供の多くは12歳未満なんだ。実態は児童レイプだと仰っています。
被害者の子供は傷や感染症だけではなく、鬱や引き篭もりなどの精神障害も生涯続けて、成人後も苛まれます。
性的虐待を受けたことに加えて、画像がインターネットで世界中に配信されることで子供の人生は永久的に変えられてしまいます。
主要8カ国の中で児童ポルノ所有を非合法化していないのは日本とロシアだけだと名指しをされています。
日本では児童ポルノの所有が違法では無いため、捜査は極めて制限をされています。
カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、米国、英国はプライバシーと言論の自由に高い価値を置きながら、児童ポルノの非合法化は可能だと判断をしています。
子供を犠牲にするための行為を保護する必要はありません。日米間の協力が関係強化がなされれば世界中で子供の現状が改善される。
今こそ日米が連携して児童ポルノに対して立ち上がるべきだと主張をされています。
実在する子供を被写体にした児童ポルノの所持が、子供の人格と人間としての尊厳を踏みにじる市場を拡大させ、意図せず被写体となってしまった子供達の、
生涯に及ぶ被害があまりにも甚大なことから、児童ポルノの規制をすべきだと、所持も規制をすべきだと思います。
子供達を守る前線に立っていただく、内閣総理大臣の御所見を伺います。
・鳩山邦夫
あの、残念ながらシーファー大使のご指摘や、あなたのお話は正しいと思います。
この児童ポルノというのは、性的虐待と密接に絡んでおって、えー、実際この件数がですね、うなぎのぼりに増えておりまして、
平成18年が起訴と略式起訴と、まぁ非行少年の場合は家裁送致合わせますと640件。
大変な忌まわしい、いわばマーケットが有るということになるんでありましょう。
しかも写真であれば回収すれば済みますが、インターネットへ出回ったものは永久に世界を巡ってしまう。
だから、そのお子さんの人生が未来永劫破壊されるようなそういう要素があるので、
えー、あなたのご指摘は、児童ポルノの商売目的は以前から禁止をされて処罰対象ですが、単純所持も処罰せよということでありましょう。
私は、あのそういう方向にあって良いと思います。単純所持を処罰できるようになれば、そこがこう穴になってどうしてもうまくいかないというのがあるんでしょう。
でー、平成11年に法律が出来て、16年の時にその単純所持を禁止する、しかし罰則は無い、とこういう案だったんでしょうが、まぁ私はこういうことは厳しくていい。
罰則があっていい、そう思っています。
・福田康夫
あのー、児童ポルノと申しますか、青少年を対象にしたそのポルノというのは、今から十数年前は、あの、漫画ございましたね。漫画ポルノ。
ま、あれもあの時問題になりましたけれども、やっぱりですね、日本はそういうものを許容するそういう社会、なんでしょうか。
まぁ、これはけして誇るべき社会でないと思います。
で、そういう観点からこの問題についてはしっかりと対応すべきであり、私もこれは、あの、なんらかの手を打たなきゃいかんと、こう思っております。
・有村治子
はい、今、少子化の進む日本において官民あげて、与野党あげて守っていかなければならないのは、子供達の未来です。
品格の有る国家を目指すためにも、その国家をなす私達一人一人が、品位のある生き方を実践していかなければ、世界から尊敬される日本には成り得ません。
えー、去年内閣府がした世論調査でも、有害情報は規制すべきと答えた人が初めて9割を超えました。
子供の安全と人格を守るためには、有害情報を規制すべきという風な、世論の大きな後押しがここ近年出ています。
そういう意味で、世界有数の児童ポルノ王国と名指しされ、一部の心無い人たちがあどけない子供達を買うために行われる人身売買についても、
悪名高き日本の汚名を今こそ勇気をもって、社会あげて、返上すべき時だと思います。
この点についての福田政権、福田内閣総理大臣はじめ、みなさまのご協力と私達自身も与野党あげて頑張っていきたいという意思を明確にして、
もちろん例外はあるし、敢えてやる場合もあるのは承知の上で、とりあえずカメラのことを何も知らない人がちょっとでもましな写真を取るには、こんなものかな?意見求む。
集中的に被写体になってたことがあるんだけど、
色んな表情で撮ってもらって、いい記念になった。
後から見てつらいこともないよ。
万が一つらかったら見なくなるだけだし、
残しておかないことの方が後悔するよ。
今って、デジカメばっかだから、
整理してたら、ここ数年来の写真がなくて愕然とした。
30に入ってから数年は自分でも好きな感じだったから、
撮っておけばよかったと軽く後悔してる。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/saga/20070929/20070929_001.shtml
( ´ー`)フゥー...
議員さんおつかれ様です。
1:資金回収の可能性。
県の全負担が1800万とする。んで入場料が一人頭900円平均なら2万人でなんとかなる計算。
800人の被写体の人がいるからその関係者が積極的に来れば、そうそう無理のある数とも思えない。
2:芸術性について
芸術性を専門家でない議員さんが云々すること自体どうかと思うんだよなぁ。
どんなんだったら資金投入していいわけだ?
3:一番の問題点
多分佐賀県の文化振興のビジョンがはっきりしてないことだろう。
それは当然はっきりさせてこなかった議員にも問題があることだと思う。
少なくとも企画を否定・肯定するためにはどういう意図で美術館が立ってて、
もし美術館のミッションがペイすることを強く掲げているんであれば
たぶん今回の選択肢は正しい。
美術館の地位向上をめざしていると言うのであれば、コレはコレで否定できない気がする。
アラーキーつかまえてヌード写真という認識のない議員の方がかっこ悪いと思うんだぜ俺は。
……まぁ、またまとまったら議事録も読ませてもらおうかねぇ。
コレについて取り上げてる2ちゃんのスレも見たんだけど、財政難だから芸術は後っていう話もあるが
それはそれでどうなんだろうねぇ。田舎のほうこそ俺は必要だと思うんだが、
定住促進にも可能性があると思うんだがね。そいから精神的な充足ってのは
正しいかどうかはともかく、納得できる話。
そのとおりだ。不快な思いをするかどうかが問題。マスコミだって相手を不快にさせたら訴えられることもある。だけどマスコミ(報道目的)の場合、社会的な説得力をもった撮影であるということが安心感を抱かせる。
ヘンタイの場合、それが悪意を持って利用されることへの不快感が強いのだ。オナニーや流出・売買といった目的が見え隠れしているどころか「モロ出し」である。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミというフィルターがいかに強力な説得力を持っているかを教えてくれる。
肉眼で鑑賞するのはオッケーで録画するのはダメ、というのは、なんというか本人の人格が介在するかどうかの問題というか、「カラダだけを見ている」度の違いだと思う。
これも納得。カメラのファインダーを通すという行為=風景のトリミングであることは言うまでもない。もっと言うなれば、撮影者が個人であるということで、被写体と一対一のコミュニケーションが成立してしまうという。しかも相手は得体が知れず、悪質な可能性が高い。
対してマスコミは、社会性、組織性というコンテクストが特定の被写体とのコミュニケーションを成立させにくい。集団は集団を撮るのである。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミという社会的な集団組織が特定の選手を狙ったために民衆の不快感をあおったのである。
ゴスロリの衣装を身に纏い、バイブを陰部に当てながら、静かに吐息を漏らして喘ぐ男……数年前の自分だ。
まだ10代で簡単にお金を稼ぎたかった自分は、出入りしていたゲイバーで知り合った人にそそのかされてある話に乗った。
女装オナニービデオを撮ること。自己紹介をし、ちょっとしたインタビューに答え、オナニーを披露するという内容。
それは特殊な嗜好の人間が集まる上映会で流される一本で、会では同じようなビデオが複数人分流されると聞いた。
被写体を気に入った会の参加者は、主催者を通じて被写体に連絡を取ることができる。
被写体は連絡がきたら無視してもいいし、援助交際してもいいし、普通に付き合ってもいい……。
自分には二人から連絡があり、それぞれお金をもらって数回行為に及んだ。
今にして思えば割の合わないことだけど、当時の感覚では短い時間で高いお金の貰える最高のバイトだった。
そんなバカで向こう見ずで、でもまだ若くて可愛かった時代の自分の映像が今全世界に配信されている。
……不思議と怒りや恐れは湧かず、むしろ嬉しい。英語で動画を賛美するコメントが10ほどついていた。
元々露出狂でMの気があるので、自分のオナニーが色んな国の人を興奮させていると思うと、自分も興奮してくる。
http://anond.hatelabo.jp/20070426155727
・元絵の著作権
・文章配置に関わる著作権
・フォント利用の使用権
このうち、フォントは自由に使えるものだけを使っている。表示デザインの著作権は知恵蔵裁判で争われているけど、たぶんここでは関係ないと考えていいと思う。これらに問題があると考える人は根拠を含めてトラックバックで反論して欲しい。
元絵の著作権は、元の絵を描いた人が保持していて、もしかしたらそれを加工した際に加工した人の二次的な著作権が発生しているかもしれない。元の絵を描いた人が「ご自由にお使いください」と公言していれば問題ない。二次著作の著作権については微妙だが、元々ご自由にお使いください、と公言していたものの単純な加工をもって著作権を主張する二次著作者もいないだろうと思う。
そうでないものは、当然元の絵を描いた人、元の被写体に関わる諸々の知的財産権などを侵害した状態である可能性がある。ただしこれをはてなは把握していないので、はてなから許諾できる状態にはなく、少なくとも元著作者から直接許可を得る必要がある。(その他被写体から許可を得る必要があるかどうかは個別判断)
セリフに関しては、それがオリジナルの場合、どこかからのコピペの場合がある。オリジナルの場合はもちろん著作権ははセリを投稿した人にあるわけで、これは規約等で「流用可」することも可能だろうけどそんな規約はないよね。よって法律的には利用には元著作者の許可が必要。まあ流用しても怒られることはないでしょ。
どこかからのコピペの場合、無断で使えるかどうかはそれが引用にあたる必要がある。法律的には引用以外での流用は認められていないから。でもってはセリの作品はことごとく引用の条件を満たしていないので、これは引用ではない。よってこれも元著作者の許可が必要。まあ、作者不明のコピペの場合は自由に利用出来る状態にあると考えても困らないんじゃないかとは思う。
セリフがどちらにせよ、はてなは許諾の有無を把握していないので、許諾出来る状態にない。よって、はてなに「使えますか?」と聞いても、許諾は出てこない。
法的に真っ白な状態で使いたいなら、
・元絵が自由に利用可能か、元絵のはセリでの利用を許諾していることが明らかなモノを選び、そうでない場合は元絵の著作者を探して許諾を得る。
・元のセリフがオリジナルか、自由に利用出来ることが明らかなモノを選び、そうでない場合は元文章の著作者を探して許諾を得る。
の二つを満たすことが必要。
ま、面倒くさいからそのままやっちゃうんだろうね、たぶん。
おぉ。元記事さんいらっしゃ~い。
まず一眼レフか否かだけど、そのような目的なら、無理してでも一眼レフが良いんじゃないかと思う。
絞りやシャッタースピードがマニュアル設定できるコンパクト機もあるが、それらの使い勝手を考えると積極的にその効果を感じるために使うものではない気がするから。一方、一眼レフならマニュアル設定できるのが当たり前。
さて、D40Xだけど、老舗の最廉価+αという位置づけだけに
飽きずに長い付き合いができそうなカメラ
これは少し厳しい感じがするなぁ。
さらにFマウントなのにAFで使えるレンズが限られるのが難点かな。
しかしAFは必ずしも必要としない被写体なら、MFで撮るのも楽しいかも。
ま、そんな感じで、粗を探せばちょっとネガな点もあるかな。
そこで、代替案だが、キスデジ、ペンタ、Sony、オリンとかになるが、、、
その前に予算的に考えると、手振れ補正は要らないだろう。もちろんD40Xにも付いてないし。
画素数はもし600万で不満を覚えるなら、それが1000万でも時間の問題かとおもう。
以上を踏まえて7万未満のレンズキット(LK)を一気に上げると、
キャノ キスデジN LK ¥69,780
オリン E-500 LK ¥51,198
ペンタ *ist DL2 LK ¥54,499
ペンタ *ist DS2 LK ¥62,000
ペンタ K100D LK ¥63,455
http://kakaku.com/itemlist/I0049000000P202/
それぞれ個性のある機種だけど、私自身が買うとしたらK100Dかな。やっぱり手振れ補正欲しいしw
次点はDS。この価格でペンタプリズムはすごい。ファインダーは大切。
・・・ごめん。ペンタが好きなんだ。この3行は無視してくれ。