はてなキーワード: 落ち着けとは
まあ冷静に落ち着け。フィクションは悪いものではない。事件起こしたやつが悪い
ちょっと言葉を変えて否定語を入れたら真逆になるので、それはまさしくフィクションである。
まあ類似性は残るが。
フィクションと言うことはこの創作劇を見たところでそれで現実を知った気になって実在の人物を責めるのはお門違いだし、なんならあれはフィクションだからで片付けられる。
論理が飛躍してるように見えるので整理すると、
ここで上で書いたように実在人がフィクションを理由に片付けるパターンが2パターンある。
でも、このときも悪いのは言い逃れしている実在人のほうで、侮辱してる(値する)のも実在人である。
フィクションや模倣のいいところ(美学の哲学の分野にある)は、事実とある程度切り離して考えることができる点よ(被害者からクレーム来てるのであまり切り離せてなさそうだが)。一応、作品があることで、この作品の元ネタはXX事件であるという情報が残り続けて風化しにくくなるのは良い点ではなかろうか。
PMS(月経前症候群)、人によって色んな症状があるけど、自分の場合はとにかく落ち込むことが多い。何も悲しいことはないのに気分がどんよりして、とにかく今すぐ消えてしまいたい!って思うことが多かったけど、PMSだってわかってるから少しは落ち着けた。
でも、ここ2年くらい、3ヶ月に1回くらいの頻度で無性にイライラする症状がでる。
イライラするのもよくあるPMSの症状だけど、落ち込みと違って慣れてないぶん、しんどさのレベルが違う。
なんの理由もなくイライラして、かといって怒ってる対象がないから冷静に考え直してみるとか、忘れて別のもので昇華するとかができなくて、ただただわけもなくイライラ。
今のところ人に怒りをぶつけることは全力で耐え抜いてるけど、もはや話しかけられることすらイライラしてしまうから、もしかしたら多少態度に出てしまってるかもしれない。最悪。
普段は怒ることなんてほとんどないから、無限にわいてくる怒りの感情のわけのわからなさにパニックになるし、なぜか自然と涙が出てくる。
涙のリラックス効果で気持ちが落ち着くから、体が本能的に涙を出してくれてるのかなと思う。体ってうまく出来てるな。
とにかく、イライラするのがとてもつらい。気分が落ち込む症状には少し慣れてきたというか、上手く付き合っていく術を覚えてきたから、今度はイライラとも上手く向き合っていかないといけないな。
理路整然と為になることが書かれていて非常に好ましい文章だ。
自分も一時期はあなたと同じ様に考え行動して成果も出していた様に思うが、労働で疲弊して何も出来なくなり老いもあって空っぽな毎日だ。
仕事に疲れて帰宅して最低限のことをしてから臥床する際、ごちゃごちゃと思考が騒ぎ立ててくるけれども
なんとか生きていく為にとても大切なスキルだ。
あと、運動することで精神や頭脳の強化が図れることも経験済みだ。
心の充足や安寧、人に対する愛情を感じられる一番単純な方法だと思う。
今は瞑想も運動もする気力が無いけれども、なんとかして再びその境地へ舞い戻りたいと思っている。
我々には彼等を真似る気力が無い。
人と繋がるには可也な熱量が必要だ。たとえ相手が穏やかな人であろうとも。
自分のことで手一杯な状態では誰かとリアルで繋がる余裕は無い。
息切れしながら生きている人間には「孤独じゃない人の生活を真似る」はハードルが高い。
矢張り、先ずは粛々と己を落ち着けて気力を漲らせ他者に対する興味や愛情を持つことで、自ずと人との繋がりが出来ていく様に思う。
数学の基礎ができてないと思ったら中学校の数学まで戻ってちゃんと勉強するって、センスがありますね。それが大事だと言われているんだけど、そういう事を面倒くさがってやらない人がほとんどなんですよね。数学は積み上げが大事だから最初からキチンとやって行くしかないんですよね。中学レベルをやってる途中でも小学校レベルで自信が無いところがあったら、やはりちゃんと戻って復習する必要があるんだけど、それも嫌がる人が多いんですよね。
プログラミングの方も、ちゃんと専門学校で勉強してたんだし、C言語に遭遇しても尻尾を巻いて逃げ出してないんだし、スタートは順調だったんじゃないでしょうか。全然向いてない人だとC言語なんか最初からお手上げみたいですから。😝
僕が思うに、あなたの場合は今まで環境に恵まれなかっただけであって、そのへんが落ち着けば全くマトモな生活がじゅうぶん出来るように思いますよ。
Mi2 on Twitter: "↓の立憲民主党の動画に対して立憲民主党からDMCA砲が飛んできた。 その言い分が「悪意を持って拡散しているツイートを認めるわけにはいきません」と驚きの主張。 別に主観を述べてるわけでもないのにどこが悪意のあるツイートなのか謎。 気… https://t.co/d0tC2oluyh"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mi2_yes/status/1482195687790231552
DMCAなんて虚偽申請が容易で未だ根本的な解決がなされてないだろうに。
このツイートに対して現時点で「こんなことをする立憲民主党はダメだ!」とか逆に「これは立憲民主党を陥れるための罠だ!」とか
行ってみた店の居心地が悪かった。店はイタリアン系居酒屋で、パスタ好きの私は期待して入店しただけに残念。
まず、カウンター席は、明らかに座面が小さい、硬い椅子だった。座り心地は、大学によくある、座っていないときに自動で上がる木製の講義室の椅子以下である。マックの丸椅子のほうが100倍マシだ。この小さい椅子は回転率を上げるためのものだろうが、それでも明らかに小さい、余程細い人か子供の利用を想定したような椅子を置くのはやりすぎだと思う。来店時カウンター席に座っている人はいなかった。
店は比較的空いており、カウンターの他に、いくつかの4人席と長テーブルが空いていた。
空いている4人席の近くでは別のグループが食事をしながら歓談中、そこで、一番人口密度が低い席を選ぼうとして、空いている長テーブルの席を選んだ。すると、店員に「一人席」に案内された。その「一人席」が自分にとっては苛立つものであった。
「一人席」として案内された席がパーテーションで隔てただけの4人席で、他の客が食事をしていた。相席同然のように思え、気まずかった。これでは落ち着けない。この店員は、空いている電車でわざわざ誰かの隣に座るタイプの人間なのだろうか。それとも、一人で外出したり食事をすることをあまり想定しないタイプの人間なのだろうか。はたまた、このあと団体客が予約でもしているのだろうか(予約済のプレートを置くなりすればいいと思う)。
この店は、テイクアウトは活発な店だった。コロナ禍で積極的にテイクアウトに参入する店は、一人での利用をあまり考えていないのかもしれないと思った。
某医師が布マスクを備蓄に向いているというツイートをしたが、布マスクが向いている一面もありつつ総合的に考えれば向かない
というのが私の考えである。
現在韓国などでは感染症の猛威がまだ続いているが、オミクロン型の重症度は低いと言われるなど収束の兆しを見せている。
また、凶悪な呼吸器感染症の危機はH5N1などあれど、世界的規模のものは約100年前のスペイン風邪まで遡る。
世界規模にさえならなければトイレットペーパーのように一時的な流通の混乱だけで終わるため、呼吸器感染症のためのマスクを備蓄する意義は薄い。
では、マスクの備蓄が役に立つときというのは地震や水害のような災害等で局所的に流通がストップする時である。
布マスクは不織布マスクに比べフィルタ性能は落ちるものの再利用を前提としている。
また災害時ではフィルターのターゲットは塵や埃なので性能をそこまで追求せずとも良く、以下のような利点がある。
・追加の供給が少なくてすみ、他の物資の供給にリソースを使える。
ただし、この優位点は再利用するための水や空間がなければ発揮されない。
私は兵站というか物資の備蓄供給(以下兵站)を4つの要素がサイクルしているものと考えている。
※分配(調達・流通)は立場の違いで言葉が違うもので同じカテゴリとして扱っている。
災害時の備蓄は調達してから消費されまで数年かかるものと考えたほうがよく、生産も数年に一度のものを作っているということになる。
ということは生産量も少なく製造ノウハウが積み上がらないため質が低くなる。
備蓄で足りなくなって急に大量生産しようとしても、ノウハウの積み上げから始まるので質の低いものがぼちぼちできてくるだけである。
兵站のサイクルが長いものは急激な需要増に耐えられないため備蓄のスタンダードには向かないというのが私の考えだ。
そして消費されなければ問題点の洗い出しもされず、前例主義によって備蓄に向かないものが再度調達されることもある。
普段使いするものであればローリングストックでこれらはあまり問題とはならなくなる。
緊急時には「無いよりマシ」で備えるべきだと私は考える。
つまり緊急時の備えは質より量なので事態が落ち着けば質が担保されたものと置き換えて、廃棄することもセットとして考えなければならない。
そのため、廃棄費用も「政策の失敗・無駄」と考えるのではなく「緊急時における”無いよりマシ”にかかる経費」と思ったほうが良い。