はてなキーワード: 萌え4コマとは
分からないなら無視すればいいんじゃないですか。んで、萌え4コマ読んで愉しんでる人を心の中でバカにすればいい。無理に理解しようとしなくてもいいよ。
不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。
僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ!
ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか?
いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。
「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人や、そもそも萌え4コマのようなものが嫌いな人には評判がよろしくないけれど、『らき☆すた』は演出、カット割、その他もろもろ非常に細かいところまで心くばりがなされていて、とても心地よく見ることができるものになっていますよ。
というわけで「山本寛が京アニとして許せないレベルの駄作を作ったから」ではなく「フィルムのクオリティ以外の面で監督として至らなかった」という点に絞って、いろいろ調べてみたのですが、大阪のアニメ制作スタジオ「スタジオワンパック」が下請けした作品の実績をサイトで公開していました。
それによると4月8日に#1がオンエアされた『らき☆すた』の動画が以下のようなスケジュールで撒かれていることがわかります。
3月
『グレンラガン』#7(489枚):参考
4月
『らき☆すた』#6(510枚)
『らき☆すた』#7(409枚)
『らき☆すた』#8(410枚)
参考までに、3月に同社で制作された『天元突破グレンラガン』のデータも併記していますが、これと比べても「制作スケジュールに大幅なマージンを設けることで、高いクオリティを実現する」といわれている
山本寛は音楽と動きを完璧なまでに支配下において、極上の快楽を生み出している。
もう毎日みちゃうよ。
本編は、萌え4コマのアニメ化という、ぬるめの題材を、上手く料理している。
同様の作品としては、新房演出ならではの「間」と「すかし」によって成功した「ひだまりスケッチ」があるが、それとは対照的に、動き、台詞、その他もろもろ、過剰なまでの情報量で作品全体を支配する京アニのスタイルで、萌え4コマを作るとこうなるのか!と舌を巻いた。
ゆるすぎもせず、スピードで押し切るでもなく、キャラ同士のやりとりから生まれるにじみ出る様な“おかしさ”がキチンとつたわってきた。うん、これは見事なアニメの『らき☆すた』だ。
『ハルヒ』みたいな何かを期待していたのに、そうじゃなかったといってガッカリしている人は、ちょっともったいないなあと思う。サンライズだからロボットだせよとかそういうの? でもアイドルマスターにロボがでたらイヤなんでしょ?
『アイドルマスター XENOGLOSSIA』は、『舞-HIME』みたいなハジけた側面があるサンライズの新しいロボットアニメとして、とてもよくできているよ。
『ギガンティック・フォーミュラ』は、作画崩壊じゃないよ。藪野浩二の絵はキャラクターの感情を繊細な動きの表現で見せてくれるよ。影なんて飾りだよ。
『グレンラガン』はエウレカセブンの二次創作じゃないよ。今石洋之っていうアニメがアニメたる所以をすべてのカットで体現する天才アニメーターの見せる本当にいい仕事だよ。
これだけ色々な作品があるんだから、解りやすい煽りのフレーズにのせられる前に、自分の眼でみたアニメを楽しまない?
それでつまらないとおもったら、増田に文句のひとつでも書けばいいんだから。
観ても観てもおわらない。
本当に改編期は地獄だぜーーーー!!HAHAHA!!!
アニメ「らき☆すた」に対し難色を示し、挙句の果てに「京アニは終わった」「京アニにはがっかりした」などと言ってしまう輩は
少なくとも原作を読んで「らき☆すたとはこういう作風の作品だ」と理解しておけば、アニメを見た上で京アニに対して
落胆などするはずもないどころか、全く逆に京アニがこれまでの作品同様こだわりを持って作っているかが容易に理解できる。
(読んでも理解できない人間は問題外)
それを一部の人間は「ハルヒ」という幻想に取り付かれ、勝手に期待し、落胆した。実に愚かである。
一歩でも足を前に動かせばこんな憐れな事にはならなかったのに、動かず、座したままでいた上に、口を尖らせる。
翻訳:原作を読めば京アニは悪くないということが分かるのに、どうして読まないんだ。
情報公開からずっと「なぜ京アニが萌え4コママンガの『らき☆すた』なのか?」という疑問があったが、
「大ヒット作」の後遺症として生まれる、こう言う種の人間の目を覚まさせるための「らき☆すた」なのかもしれない。
だからと言って「エヴァ」の後の「彼氏彼女の事情」のように奇抜な事はせず、全力を持って「らき☆すた」を作っている事が
京都アニメーションが絶対的な支持を得る理由なのは誰の目にも明らかだろう。
翻訳:京アニは全力で作ってるんだから、つまらないとしたら原作のせいなんだよ、みんなで京アニを礼賛しようね。
ハルヒは見ましたよ。
むしろどうして「ハルヒ見てないんなら納得」なのかが分からないですよ。
ついに始まったこの春の最大の話題作、京都アニメーション最新TVアニメ「らき☆すた」、
その特殊な作風ゆえに賛否両論が巻き起こっているのは周知の事実であるが、是も非もともかく一つの問題が浮かび上がる。
アニメ「らき☆すた」に対し難色を示し、挙句の果てに「京アニは終わった」「京アニにはがっかりした」などと言ってしまう輩は
「京アニが『らき☆すた』のTVアニメを手がける」と情報が出てから、放送までの間に原作コミックを買って読んだり、
原作に関しての情報を仕入れたりといった『行動』を一切していない人間だと言う事だ。
少なくとも原作を読んで「らき☆すたとはこういう作風の作品だ」と理解しておけば、アニメを見た上で京アニに対して
落胆などするはずもないどころか、全く逆に京アニがこれまでの作品同様こだわりを持って作っているかが容易に理解できる。
(読んでも理解できない人間は問題外)
それを一部の人間は「ハルヒ」という幻想に取り付かれ、勝手に期待し、落胆した。実に愚かである。
一歩でも足を前に動かせばこんな憐れな事にはならなかったのに、動かず、座したままでいた上に、口を尖らせる。
情報公開からずっと「なぜ京アニが萌え4コママンガの『らき☆すた』なのか?」という疑問があったが、
「大ヒット作」の後遺症として生まれる、こう言う種の人間の目を覚まさせるための「らき☆すた」なのかもしれない。
だからと言って「エヴァ」の後の「彼氏彼女の事情」のように奇抜な事はせず、全力を持って「らき☆すた」を作っている事が
京都アニメーションが絶対的な支持を得る理由なのは誰の目にも明らかだろう。