仮に政治家や芸能人、有名人らの親族や秘書や親しい人が何か事件起こしたら、とりあえず無関係とされてる筈の本体の方をノータイムで叩き始めるし、何なら無根拠に「共犯に決まっている」くらい言い始めるじゃないですか。
そういう中で、大谷翔平には異様に寛容で理解があり、邪推を避け、記事に書かれた内容から逸脱しない様なコメントを徹底できてるの、何故?
普段はツッパッてても、なんだかんだで「白人に認められた日本の英雄が大好きで、同じ日本人として誇らしい」から、みたいな感じ?
それとも今まで全くやって来なかった『アップデート』とやらが、今になって急に全部実施したのか?
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特に後者は「法が裁けぬなら俺が裁く」みたいな暴走しそうでな
]]>なので独身時代の様に2chのスレ読みながらみんなと同じスピードで進めてくリアル感は無くなったしリアルでは「○○どこまで進んだ?」なんて小学生時代の会話も無くなりました
取り返しのつかない要素を後から知って2週目は攻略サイトを見ながらというやり方からある程度時間経ってから始めて情報が一通り揃ってる中で取りこぼすことなく1回クリアするやり方になりました
新品を定価で買う事にメリットが無くなり、興味があったゲームがワゴンとか聞くと嬉しくなったりもします
とりあえずユニコーンオーバーロードと百英雄伝は安くなるのが楽しみ
ちなみにプリンセスメーカーは発売日に買うと思う。というか予約済み
]]>両親はなんかデキ婚みたいな感じだったらしく、彼氏が小さい頃は離婚寸前みたいな喧嘩の仕方をしていたそうだ。
母が専業で、父が2回転職して、経済的にもゴタついて、両親二人ともメンタルが安定しておらず空気が荒廃していたと。
弟が生まれて弟の物心がつく頃には、父親の仕事が安定していて、母親もパートをしていて、経済的に安定し始めたし喧嘩もしなくなっていたと。
しかし弟から見ると、自分は保育園で兄は幼稚園だったと。そして兄の頃には家にカネが無かったにもかかわらず習い事をピアノと空手と公文といくつかやらされていると。
そして兄の時は父が若かったから運動会に父が出るコーナーで無双したのが伝説になっていると。しかもまだ父が瘦せていたと。
兄弟の父は今は太っている(会ったことある)。でも彼氏が小学生で運動会に参加したころには瘦せていて、
顔がかっこよくて背も高いしほかの父親たちと比べて若いのでものすごく目立ったし、活躍して英雄だったと。それを聞かされて羨ましかったと。
あと兄のお下がりが多かった、兄の写真のほうが残ってる、などなど弟から怒涛の不満が出てきた。
なんか彼氏のほうの不満(親が若くてメンタルが不安定で余裕がなかった)についても、弟のほうの不満(手を抜かれた感じがする)についても、
言ってることはわかるし、つまり完璧な時期って無いんじゃねえかな…?って気がしてくる。
私としてはまあ…着床した彼氏を堕ろして別れるってことになってたら彼氏が存在してなかったから、まあデキ婚してくれてよかったし、
彼氏が小さい頃の大喧嘩が激化して離婚してたら彼氏の弟も存在してなかったから、まあ関係が改善されるまで保ってくれてよかったなというか…。
人間の存在って儚いなあ。いわゆる痴話喧嘩とか、そういうあれこれで存在したかしなかったかが決まっているわけで。私自身の存在もそんなもんなんだろう。
]]>弱者男性の腐った漬物みたいなお金を世間に回した英雄だろ?無罪どころか表彰モノやん
]]>朝鮮の英雄やぞ、もし君が朝鮮人なら崇めるべき。
]]>画太郎先生
河田雄志
スイカ(森とんかつ)
このヒーラーめんどくさい
必見!!海田課長の会社を生き抜く1番の秘訣 https://rookie.shonenjump.com/series/pGBIkZlTvJw
先輩頑張りましょう https://pokapokasyouga.web.fc2.com/sengan/sengan.html
吸血鬼すぐ死ぬ
ねこに転生したおじさん
ギャグマンガ日和(しばらく読んで無い)
メメメメメメメメメメンヘラぁ…
ーーー推したいコメディ作品ーーー
『僕以外全員転生者かよ』 ←万人向け。天才だと思う。売り出しかたの問題と違う?
『J←→M』『女子高生除霊師アカネ』 ← ひなまつりの人
『阿武ノーマル』 ← サイコパスな発達コメディ。だいたい悪気はない。怖いと感じる人もいる模様
『地元のいじめっ子達に仕返ししようとしたら、別の戦いが始まった。』 ←萌えエロ大丈夫な人向けね。ギャグのキレが好き
『令和のダラさん』 ← 濃い人向け
『OLとアザトース』 ← 自称一般OLとアザトースが同居している漫画
ーーーなろう発コメディ作品ーーー
『ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~』
女児向けはこれでいいんだよというお気楽ほっこりコメディ。お気楽コメディだけど説教にならぬ程度に割と道徳的なことも言ってる原作もおすすめ(人を裁いてはならない、赦そう)
アニメはミーアの作画とすみぺは可愛かったけど冒頭の曇らせアニメスタッフの趣味でしかないと思いました。あれで取りこぼしたの多そう
『俺は全てを【パリイ】する』
人の話もすべてパリイする。ブレイバーンの人の話を聞かない感じが刺さった人ならツボると思う
『僕は今すぐ前世の記憶を捨てたい。~憧れの田舎は人外魔境でした~』
現代日本が舞台化と思いきや現代日本ではなかったでござるの巻
前世の知識で無双ではなくそれが足枷になるストーリー
なお、周囲は子どもだから初めてが怖いんだなと思っている模様
『底辺領主の勘違い英雄譚』
登場人物全員あたおか。白痴の王ってこういう解釈もあるのかぁと思いました。原作完走したので今月で終わっちゃった
『"るれくちぇ"がネームやってるやつ、暗黒兵士、万能開拓』
萌えエロ大丈夫な人向けね。シュールさとギャグのキレが好き
]]>こうした資本主義的功利主義的価値観を持つ一方で、見返りを期待せずに何かをしてあげるのも縁という。
一見すると良心の施しであるが、実際はポジティブなスクリーニングなのだろう。
つまり、無私の奉仕を無頓着に受け取るような人間に次はなく、利害関係について厳密に感覚を研ぎ澄ませてきた人間はなんとかしてその恩に報いようとするのだから、次も会おうと思うわけである。
人助けでもあるし、人試しでもある。
慈しみの心と冷厳な眼差しを同居させるのが経営者であり、英雄と呼ばれる人々なのだろう。
]]>「ショーグン」の黒人はどこにいる?
ウィリアム・スパイビー 2024 年 3 月 8 日 3 分で読めます
日本のことわざに、武士が勇敢であるためには少しでも黒人の血が必要だというものがあります。そうだとしたらFXのモンスターヒット作「ショーグン」には怖い剣士がたくさん出てくる
(中略)
2024 年版では、日本の視点にさらに重点が置かれています。最初のエピソードに登場するポルトガル、スペイン、イングランド、オランダを代表する白人キャラクターは、決して英雄的とは言えません。 しかし、現在コスモ・ジャービスが演じるジョン・ブラックソーンというキャラクターはすでに重要な人物であり、数人の日本人キャラクターとともにヒーローとなる予定です。他の人たちはすでに、10 部構成の新しいシリーズを 1980 年版からの文化的な大きな変化として賞賛しています。私は 1980 年には素朴にも尋ねなかった質問を、今になって尋ねます。黒人はどこにいるのでしょうか?
私が質問したのは、歴史的に正確ではなかったときの表現を見たいからではありません。私が尋ねたのは、1600 年以前にも日本に黒人がいたからだ。ただし、日本はフロリダに歴史の書き換えについて何かを教えることはできるだろうが。複数の情報源によると、初期の実在の将軍の一人である坂上田村麻呂 (758 ~ 811) は黒人でしたが、他の人は否定しています。彼が純粋な日本人ではないということではコンセンサスがあり、 強制同化と植民地化の対象となった北日本の肌の色の黒い先住民族であるアイヌの子孫であると考えられることが多い。
歴史家マーク・ハイマンは著書の中で田村麻呂を讃える像について説明しています 。
「彼が讃えられている寺院で見られるように、マロの像は他の貢献者よりも背が高かった」とハイマンは書いている、「彼の髪はカールしていてしっかりしており、目は大きく、幅が広く、茶色でした。鼻の穴は広がっていて、額は広がっていました」幅は広く、顎は厚く、わずかに突き出ていました。」
清水寺の田村麻呂像は通常は非公開となっています。清水寺は778年の創建以来、度重なる火災に見舞われ、何度も再建されました。現在の像には、ハイマンが説明した黒人の特徴はまったくありません。
多くの研究者は、日本におけるアフリカ人の示唆と存在を記録しており、その起源は 22,000 年前、将軍シリーズの多くが行われた大阪近郊で遡ります。
「アジアの海岸に到達した黒人の推定数は、その大陸で彼らが発見された広い地域によってある程度推定できるかもしれない」とロイ・マイユー・ジョーンズは述べた。インド洋に面し、東海岸に沿って日本に至る南アジアの国々。当時「チパンゴ」と呼ばれていたその遠い土地に到達した人々によって語られた興味深い物語が数多くあります。日本の歴史の中で最も著名な人物の一人は、サカノウエ田村麻呂と呼ばれる黒人戦士でした。」
(中略)
『ショーグン』の主な舞台は大阪で、 シリーズの期間中、大阪は日本の経済の中心地であり文化の中心地でした。日本のどこかに黒人がいるとしたら(実際にいたのですが)、大阪にもいるでしょう。必ずしも人々の間を自由に生きたり歩き回ったりするわけではありませんが、ヨーロッパの使者のグループの一員であることは確かです。おそらく、2024 年版のショーグンは今後のエピソードで画期的な展開となり、1980 年には登場しませんでしたが、当時存在していた黒人も登場するでしょう。描かれている日本人にはさまざまな色合いがあります。おそらくそのうちの一人は黒人であることが判明するでしょう。今後、日本の船とヨーロッパの船を戦わせる海軍のシーンがいくつかあるため、黒人船員の一部が歴史的な正確さを反映することが期待されています。
]]>リベラルやフェミニストにとっては英雄
]]>この新聞広告の費用を出したのがロシアのスパイではないかという話である
また、NATO支援から米国は手を引く可能性も高い
よって、我々日本はアメリカの核の傘から抜け出さざるをえなくなる
核のない日本はウクライナと同様である
近い将来、日本はロシアと中国に支配される日が来るだろう
そして、山上は教科書に英雄として掲載されるだろう
なぜなら、共産主義と敵対する統一教会から日本を守ったからである
]]>堀口
あと一人は?
]]>もちろん、よく働いてくれた君たちのお陰で今の日本がある。
でもすまないが老いた家畜は使い物にならないから、どうなればいいかわかるよね?
まさか未だに自分が人だと思ってはないよね?
ゴミのように酷使され一生を無駄にさせられるのは家畜だよ。
さあ、もう老いて役割を果たすことはできないのだから家畜としての老いを歩みなさい。
って政府と若い奴は思ってると思うよ。
]]>第二次世界大戦の正義と悪、勝者と敗者と聞いて真っ先に誰が思い浮かぶ?
みんな正義で勝者がアメリカ、イギリスと悪で敗者がドイツ、日本を考えるんじゃない?
もちろんアジアではアメリカと日本という認識でいいと思うんだけど、ヨーロッパはどう?
そっちもそんな認識じゃない?
でも実際はロシアが多大な犠牲を払ってヨーロッパをナチから救ったってのが正しくない?
ナチスドイツ軍の死者の8割9割は独ソ戦で出てるんだよ
アメリカは今と同じで卑怯な武器屋だしね
ナチスドイツを倒したのはロシアと言っても過言ではないよ
なぜか米英仏辺りが英雄面してるけどさ
みずからの血でもってナチを倒した、という自負をロシアが持つのも当然じゃない?
西側諸国はなんかそれを軽んじてない?
それどころかロシアを馬鹿にしてるよね
対立の原点ってそういうところにあるんじゃないの
]]>景気悪い時に新卒からひたすら企業でパワハラモラハラブラック残業に耐えて、
今の日本企業の高収益化や基盤を作った
さらに下の世代にはパワハラやセクハラもしていないもちろん賃金も多く払ってる
どれだけ氷河期を使い潰して犠牲にしたかみんな意識するべき
氷河期がこの国を救ったし英雄だよ
でも企業も国も氷河期を切り捨てた
]]>ワンピースも呪術も鬼滅もナルトもみんな先人が仕留めきれなかった過去の巨悪を主人公が完全に滅ぼすってストーリーやろ。
話の盛り上がり所作りやすいし、過去編を差し込んで話の引き延ばしとかもし易いし、その気になればスピンオフも作れるしな。
バトル物は作者が意識して話の骨子やギミックを作り込まないと編集にこのテンプレへ誘導されちゃうのかなって思うわ。
]]>肉親を殺した相手の元で粛々と暮らす両者が決定的な決別を前に振り向きざまに発する言葉だ。
大きな違いは、かたや国家転覆を行えるほどの力を持ち、かたやただ状況に流されるしかない奴隷であるという点だ。
エウメネスは物語の英雄への憧れを持ち、数々の英雄譚を諳んじるほどに読み込んできた。
時には自身が物語の英雄のように知恵を回して窮地を脱するだけの才覚を持つ。
だが、その力は書にしたためられた伝説の勇者と比べれば余りにも非力だ。
その差は、運命の岐路に立たされた時、その道を自分で選ぶことは出来るかどうかという形で現れる。
ハルパゴスが振り向きざまに発した言葉は別離の言葉であると同時に、王国をひっくり返すだけの決定的な宣言であった。
だがエウメネスが同じく振り向きざまに発した言葉は、家族であった者達の心にわずかばかりの爪痕を残すことが精一杯だった。
このシーンは両者の対比により、幼いエウメネスの持つ非力さを表しているのではないだろうか。
同時に、持てるばかりの知恵をもって、少しでも世界に己の爪痕を残さんとする執念、気位を表現しているようにも見える。
我々はインターネットで何度も見てきたコマを漫画に見つけると、ついついそれがネットの元ネタであることばかりに注目してしまう。
だが、そもそもをしてネットで何度も使われるほどの力を持つコマというものは、それ自体が物語の中で強い力を持ち、読者の心に深く刻まれるシーンなのではないか?
何故、ヒストリエのこの「だましてくれたなああああ」と「ば~~~~っかじゃねぇの!?」がここまで読者の心を惹きつけるのか。
何故、作者はそれほどの気持ちを込めてこの2つの場面を描いたのか。
対比のためだったのではないか?
後々に対比するために読者に強烈に印象付け、また片割れを思い出させるために再び強烈な印象を持って描いたのではないか?
国を一つひっくり返すに至ったハルパゴスの力を持て、エウメネスの非力を印象づける。
その意図、魂がこもっているのではないだろうか?
]]>だからこのクズはおそらく集団でいじめをしたとも思っていないしメンバー間で立てられた計画や後輩を追い詰めて気力を削いで排斥した行為を本気で正当な功績だと思ってるよ。
女の集団なんてそんなもん。
]]>これで優秀だったら若かりし頃の英雄譚にもなろうが、ガチで無能だったから恥ずかしい。
結果、1年目が満了した時点で左遷されてそこから15年経った現在に至るまで一度も浮上できていない。
年収はようやく500万に到達。
さすがに年の功で仕事は覚えているので若い後輩や同僚から憎まれたりはしていないが、思いっきりバカにされているのは伝わる。
ぶっちゃけそこに怒りは感じない。本当に自尊心を破壊されて丸くなったと思う。
一人がとにかく寂しくて無理で、休日を一人自宅で過ごすというのが考えられないという外向きタイプだったので、28歳あたりで婚活を始めてさっさと結婚。
人見知り全くしない性格と明るくハキハキした態度が功を奏した。
自分の人生には立身出世ルートが存在しないので家庭にエネルギーを全振りするのは自然な帰結だろう。
早速子供を2人作り、子育てに命をかけている。SNSは子供の写真と育児ネタと家事ネタの投稿で100%だ。
世帯年収は700~800万で今後大幅に上がることはないので都会で子二人育てるには正直心もとない。
だが、持ち家を諦め実家で親と二世帯で暮らしているのでかなりゆとりがある。父親の遺産もあるので家計の危機は訪れそうもない。
仕事も干されているので同じくらいの年齢の社員と比べて残業が異様に少なく本当に家庭に100%目を向けられる。
子供二人には中学受験をさせるつもり。
まあ親のレガシーのおかげでまるでエリートかのような充実した家族生活をできているわけだけど、俺みたいな奴は結構多いと思う。
でも俺は子にそういうものは残せん。
]]>第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
ゲームはごっこ遊びの場所だ。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
これには配信やSNSも関係している。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
考察が盛り上がるタイプのゲームということだ。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
だが簡単にはいかない。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
現代のゲームに求められるのは「自分は成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。
ゲームにおけるストーリーの良し悪しは、脚本ではなく、プレーヤーのナラティブによって決定されている。
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