はてなキーワード: 自軍とは
今日は成人の日!ということで紅白饅頭とハンディータイプの国語辞典をもらってきて今式を終えて帰ってきたところです。
上位100位の100ケツ見てるとシャープマーカー使ってる人が圧倒的に多いんだけど、
やっぱりそれみるとシャープマーカー使いになりたい私がいるけど
この2ブキがやっぱりフェスでは強いのかしら?
丸一日フェス行けなかったので
実質1日で「えいえん+3」までやり込んだところだけど、
序盤もう全然勝てなくて勝てない波に飲み込まれてノマノマイェーイなんて言ってられないぐらいの30連敗とかもうなんたるちゃー!って
惨憺たるタルタルソースが手に誤射して被弾してしまったぐらいなたる結果!
サブもちゃんと使って運用しないと勝てないからキューバンボムのジェットスターとあとはプロモデラーとでで、
ジェットスターをメインに
もーほんと前半勝てなくて勝てなくて、
暮れの元気なご挨拶の日清オイリオサラダ油のセットの詰め合わせより絶対に全ギア10種類詰め合わせの方が嬉しいじゃない!
300倍マッチでも勝てて魚の冠の名前の上につくマークがもらえなかったことが悔やむわー。
でも後半はいい波のれて
連勝叩き出して良い内容の戦いで勝率も上げられたから良かったわ。
まあやってない人は分からなくて本当に恐縮しまくりまくりまくりすてぃーなんだけど、
あれよくよく考えたら
同じ陣営どうしで戦っても実績詰めないからあれどうにかならない?
例えば全部三すくみで投票した今回は「辛い」「甘い」「酸っぱい」で
この「甘い」で3チームトリカラマッチやっても負けても勝っても
「甘い」軍団の実績は積み重ねられないみたいなのたぶん。
ボム投げて道を作ってさらにシグナルに重なるようにボム設置しつつシグナルゲット、
邪魔するヤツもとりあえず道連れ!
シグナル取れた取れなくても、
そうそう
そのトリカラマッチで出てくるシグナルを取ると味方の陣地にインクが出てくる纏がお助けアイテムとして出てきて、
2人2人対4人だから人数不利な分、
絶対にシグナルゲッツして纏を設置しないと勝ちに行けないのよね!
でも守りのチームになったらなったで攻めてくる突撃してくる敵の相手を撃ち落とすのは、
楽しいけれどもやっぱりシグナルを奪取するゲットのダッシュ一番が楽しいわよ。
トリカラマッチの醍醐味の楽しさの魅力の楽しいのは攻めチームに限るわね。
あとさー
チャレンジとオープンの戦いもあんまりよく分かってなかったんだけど、
今回はオープン多めで戦って、
もうやってない人から見たら何のことだか分からないことだらけで
今日はもう内容成人式に行ってきて紅白饅頭とハンディータイプの国語辞典をもらってきたよ!の内容の増田でいいわ!ってところだけでオーケーって感じよね。
あーでも
ホラ貝ガチャ全ギア10個詰め合わせが一番のお目当てだったのに、
ゲーム中しゃべれる言葉は「ナイス」と「カモン」と「やられた」しかなくてそれでコミュニケーション取るんだけど、
最初の意気込み頑張ってみんなで戦おうね!って「ナイス」かましてナイス返してくれると嬉しいし
あと「カモン」って言われても行けないし行かないし、
急に言われてもねーってカモンの返しが一番困るわ。
「やられた!」はなんかやられたー!って言いたいのよね。
言うだけだけど。
はい!
今おでんの具が
玉子、コンニャク、焼き目のついた木綿豆腐、牛すじのメンバー投入をタイミングを見て見計らって後半戦突入よ!
一回あれおでんのルーシーのスープ漉した方がいいかもしれないわ。
なかなか強力に仕上がってきているので、
一度水もまた足してスープの素も投入かしら?
でね、
支度して準備しておいたんだけど、
結局仕込んでおいて食べてなかった夢中になっていたって訳なのよ。
気が付いたらおでんがその前半のおでんの具のメンバーが鍋のベーナーにパンパンに入っていて、
私スプラトゥーン3のフェスのお供におでん仕込んでいたんだ!って
安価にスーパーで手に入るものと言えばもうゲーミング鉄火巻だわ!
あれはマヨネーズとかがソースが手に付いちゃったらアウトじゃない?
プレイ中にそうなったら元も子もないしエイムの精度が出せないわ!
だからスプラトゥーン3のフェスに良いお供の食べ物はゲーミング鉄火巻で決定!
フタ開けたらおでんの具の前半のメンバーが満載で笑っちゃったわ!
まあ総じてフェスは後半の頑張りが勝率上げられたから良かったわ。
もう結果出てチームは勝てなかったけど!
参加することに意義があるとかは言わないけど、
どちらかというと
参加景品が目当てってところもあるわね。
三すくみのチームがどこが勝とうが実際どうでもいいの。
これも改めて発見よね。
ゲーミング鉄火巻最強説!
トータル栄養的にタンパク質もゲーム中に摂りたいゲーミングたんぱく質でもあるので
今度のフェスは内容「鉄火巻」「カッパ巻き」「かんぴょう巻」でやったらいいのよ!
今晩は前半戦のメンバーのおでんの具のゲーミングおでんを食べるわ。
うふふ。
式典前に腹ごしらえで近所の喫茶店だけど和食モーニングランダム焼き魚の朝定食!
今日は焼き鯖!
なんか鮭と鯖の二択しかなくない?
気のせいか?
柚子葛湯ホッツウォーラー若干ゆるめのシャバシャバのヤツの方がホッツとしては飲みやすいので、
固く練るよりねるねるねるねよ。
飲みやすい方で、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。調べると同じような意見が結構出てきたので、スラムダンクファンの間では長く語られていたようだ。
スラムダンクをリアルタイムで読んでいたころ、おれは10代だった。40代になり、自分には才能も何もない、安西先生に無視される側の人間だと25年かけて思い知らされたいま、当時は気づかなかった安西先生の冷酷さが浮上してきた。レギュラーを取れない補欠としての人生が確定したような、苦い鑑賞体験だった。
スラムダンクを美化しすぎなんだよ。たくさん張った伏線を回収せずに終わらせちゃったのと同じで安西先生の人間性のことなんて作者が何も考えてなかっただけのことだろ。
「井上雄彦は一貫して安西先生を才能にしか興味のないキャラとして描いていた」「当時は気づかなかったが、その後の人生経験を経てそのことに気づいた」という話をしており、この人は真逆のメッセージを受け取っている。まあおれ含め、読者は読みたいように読むもんである。
この手の意見が多いことに困惑した。「いまの価値観から見ると違和感がある」みたいなことは想定していなかったので、なぜ大勢がそう受け取ったのかと不思議だった。
「ケガを放置するなんてありえない」という点を「令和の価値観」と受け取ったのかと考えたが、おれの感覚は異なる。例えば沖縄水産高校の大野倫投手が怪我を押して投げたことで全国的にバッシングされたのは1990年のことで、当時からして「怪我人を強行出場させるなど監督失格」という価値観は定着していたであろう(そもそも安西先生本人がそう言ってる)。「令和の価値観で批判するな」という人とは、この点の見解が食い違っているのかなと感じた。おれからすると「君らは平成のことがわかってない」となるのだが、まあどっちが正しいかは検証が必要であろう。
個人的にあの桜木が怪我した状況はいらなかったと思うんだよな。桜木の選手生命を失うかもしれない自己犠牲の上に成り立たせた感動の試合みたいな展開にはして欲しく無かったんよ。
半分は同感なのだが、山王戦は感動ポイントもりもりのデラックスパフェで、そこにさらに「怪我を押して強行出場」という沖縄マンゴーを乗せて蜂蜜をかけるようなことをしたため、あれほどのエモーションを生んだことは否定し難い。おれが編集者なら(嫌いな展開だが)桜木の怪我は切らない。サービスサービス。
安西って谷沢の一件で指導者を実質引退したんだろ。で、公立高校の顧問でのんびり隠居してたとこにとんでもない才能が現れて、急に昔を思い出してやる気になっただけ。
安西先生やる気全然ない監督で、流川という才能が入ってきたからやる気出したんだよね。そんでさらにまさかの赤毛素人が同じくらいの才能持ってた。
この手の意見は同感。
“安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。”昭和生まれが高校生の頃のの強豪校の運動部はほとんどそんなイメージ。レギュラー以外無視
ブコメでも描かれているが、海南の高頭監督なんかはかなり選手のことを見ていて、神や宮益といった人をきちんとフックアップして戦力に育成している。こういうバランス感覚のある監督を敵将として配置している一方、自軍の大将にいびつな才能の悪魔を置いているあたり、井上雄彦の面白い点だと思う。作品の瑕疵だと言いたいわけではなく、むしろプラスの評価をしている。
0079年11月に、連邦軍によるジオン軍への大攻勢である「オデッサ作戦」が実施された。
作戦の終わり頃になって、降下ジオン軍の指揮官であるマ・クベ大佐は連邦軍に対して「撤退しなければ核を使用する」と脅迫した。
連邦軍の指揮官であるレビル将軍はこれを黙殺し、結果的に核ミサイルが発射された経緯がある(その核はアムロが撃ち落とした)。
私は子供の時にこの作品を見ていたが、当時は「なぜレビル将軍は自軍に被害が出るのを承知の上で進軍したんだろう、おかしいんじゃないの?」と思っていた。
オデッサ作戦前のウクライナ・オデッサは、地球に降下していたジオン軍の拠点であった。
オデッサ自体が鉱物資源地帯であり、ジオン軍のユーラシア大陸侵攻の拠点であり、連邦軍はどんな手段を用いてでも奪還する必要があった。
作戦が終わりつつある時点で、連邦軍は大部隊をオデッサ攻略に使用していて、犠牲も少なくない。
ここで核脅迫に屈してしまうと、今までの連邦軍の犠牲が無駄になるし、大部隊を展開したことも無意味になってしまう。
レビル将軍にとっては、核脅迫を受けようが(政治的に)撤退の選択肢はない。
彼にとって一番怖かったのは、ジオン軍ではなく地球連邦政府や世論だったのではないか。
機動戦士ガンダムの作品に出てくる地球連邦政府とは、おそらく現実世界にあるアメリカ合衆国政府をモデルになっている。
アメリカは民主主義国家なので、世論の動向を恐ろしく気にするので、この問題点をあの作品展開に織り込ませたのだろう。
今のウクライナを見ていても、核戦争の一歩手前になって来ている。
今から25年前の1997年ののこと。当時小学生だった自分の1歳年上の従兄が、夏休みにお婆ちゃんの家にこのゲームを持ってきていたのが全ての始まりだった。
「タクティクスオウガっていうゲームがあるんだ。すげーから一緒にやろうぜ。」
従兄に勧められるままゲームを始めたのだが、タクティクスオウガが『すげー』ことはすぐに分かった。
中世ヨーロッパ風の権謀術数渦巻く世界観。重厚なBGMの中で敵味方がターン関係なく立体的なマップで繰り広げるリアルな戦闘。
背中に翼の生えたキャラクターが民家の屋根の上に移動して弓を射ると放物線上に矢が飛んでいくわ、ふわふわと宙に浮かぶ幽霊が魔法を唱え敵が炎に包まれると足元の草が焼けるわと細部までこだわったビジュアル。
とにかく衝撃的なゲームだった。いてもたってもいられなくなり、従兄がお婆ちゃんの家から帰った直後にお小遣いを握りしめて町のゲーム屋さんに走った。
お店のレジで商品を買うときにすごくドキドキしたのを今でも覚えている。スーパーファミコン版のタクティクスオウガの商品パッケージは英語でタイトルが書かれており、フォントが英語の旧字体みたいな形だったので、読み方があっているかな、間違って別のソフト買っちゃうんじゃないかなとすごく緊張したのだ。ぜんぜん自信が無かったが、店員さんにタイトル合ってるか確認して無事に買うことができた。
ワクワクしながら商品を持ち帰り、ゲームを始めたが小学生にとっては、難易度が高く難しいゲームだった。初回プレイ時にはキャラクターの強さを表すパラメータが多すぎてさっぱり分からなかった。
だけど作りこまれたチュートリアルとオンラインヘルプ等の親切な機能がたくさんついていたおかげで何とかゲームを進めることができた。一番助かったのは戦闘中の中断セーブ機能だ。小学生の時には、1日ゲームは30分までというルールがあったので非常に助かった。
さて、ゲームを買ってから2週間くらいの時のこと。難しいながらも俺はどうにかChapter1の終わりまでシナリオを進めていた。このゲームはプレーヤーが会話中の選択肢を選ぶことでシナリオが分岐するんだけど、途中で出てきた選択肢が衝撃的だったのは今でも忘れられない。ネタバレになるので詳細は伏せるが小学生には重たすぎる内容だった。無茶苦茶悩ましい選択だったが、片方を選んでゲームを先に進めてみた。だが、すぐにゲームに行き詰った。キャラクター育成をよくわからずに進めていたので自軍のユニットが弱く戦闘で勝てなくなったのだ。このまま先に進めないのも悔しかったので攻略本を買うことにした。
ここで話は少々脱線するのだが、俺の生まれ育ったのは日本海側の田舎町だ。町の本屋さんはあまり大きくない。なので、地元の本屋さんの攻略本コーナーにはメジャーな作品のものしか置いてないわけだ。ゼルダの伝説とか、ドラクエとかFFとかまあそれくらい。それらに比べるとタクティクスオウガはマイナーだった。苦労を重ねて隣町の古本屋さんで偶然攻略本を見つけて手に入れるまで1か月かかった。その後は攻略本を熟読してゲームシステムの理解を深めて1から再挑戦したのだが、家の方針で1日のゲーム時間が30分に制限されていたので、クリアするまでにはさらに2ヶ月ほどの時間を要した。だけどその分クリアしたときの達成感は大きかった。興奮冷めやらぬ俺は、小学校の同級生たちにタクティクスオウガのすごさを布教したが上手くいかなかった。俺がタクティクスオウガに出会った1997年当時、家庭用ゲーム機の主役はスーパーファミコンからプレイステーションに移行しつつあり、同級生たちはファイナルファンタジー7やファイナルファンタジータクティクスといったスクウェアの大作ゲームに夢中になっていたのだ。
同級生のN君に、「タクティクスオウガってファイナルファンタジータクティクスのパクリでしょ?」と言われたのは傷ついたなあ。なんていうか、自分がイケてると思ったゲームをディスられるという経験がなかったので。残念ながら、うちの地元では最初にタクティクスオウガを紹介してくれた従兄以外に周りでタクティクスオウガファンを見つけることができなかった。
それから2年後の1999年。俺は中学生になり、田舎町の我が家でもインターネットが使えるようになった。ネットが使えるようになってすぐに、以前はまっていたゲームのタクティクスオウガの攻略情報を調べてみた。地元の田舎町にはいなかったタクティクスオウガファンは、ネットの向こうにはたくさんいるようだった。ファンの集めた情報は膨大で、攻略情報にとどまらずゲームの舞台背景の考察やクリエイターの音楽の趣味までカバーしていて、中学生の俺の知的好奇心はガンガン刺激された。ディレクターの松野氏の名前もこの時に知った。余談だが、「タクティクスオウガとファイナルファンタジータクティクスは主要な開発スタッフが同じ」というのも同時期に知ったので、小学生の時にパクリ呼ばわりしてきたN君に対して「両方同じ人が作ってんだよ、適当言うなざまあ」という気持ちが芽生えたのはここだけの話である。
ネットの情報から刺激を受けた俺はゲームの世界観をもっと味わいたくなって、前作の「伝説のオウガバトル」もプレイしてみた。ディレクターの松野氏が好んでいたらしいQueenの楽曲を聞いてみたくなり、生まれてはじめて洋楽のCDを買いにも行った。コーヒーを飲めるようになった時のように、背伸びして少し大人になった気分がした。
そのうち自分でも似たゲームを作りたくなって、おこづかいでVisual Basicを購入したりもした。プログラミングの入門書片手にそれらしい画面までは作ったが、しょせんは中学生。体系だったプログラミング言語の知識がないためサンプルコードのコピペに終始し、1年くらいかかって紙芝居のようなものが出来て終わった。その後は、高校入試・大学入試で忙しくなったのでしばらくゲームから遠ざかっていた。
そこからさらに時が流れて俺は社会人になった。中学生の時のゲーム作りの経験から、ソフトウェアエンジニアの適性は無いなと思ったのでハード系のエンジニアとして就職した。タクティクスオウガから受けた影響は俺の人生を変えたのである。ゲームから遠ざかっていた俺だが、2010年にタクティクスオウガの1度目のリメイクのニュースを聞いて再び情報を集めだした。そこでたまたま開発者の松野氏のプロフィールを見つけたのだが、なかなかの衝撃だった。
まずはスーパーファミコン版のタクティクスオウガ開発時の年齢。発売日の時点で29歳なのである。ゲームの開発期間が2年くらいだとすると、開発開始時は27歳くらいだろうか。その若さであの革新的なゲームの開発指揮を執ってたのかよ!松野氏と面識のあるゲームクリエイターがインタビュー記事で天才という理由が分かった気がする。次に出身地。新潟県の妙高市となっている。地方出身であのゲームの重厚なシナリオを描くだけの知識を身に着けたのか!というのがもう一つの驚きだ。
先に俺の出身地が日本海側の田舎町だと書いた。地方で育ったからわかるのだが、地方はゲームの攻略本に限らずあらゆる情報が都会に比べて乏しい世界だ。タクティクスオウガの世界観を形成している中世ヨーロッパの歴史や文学の知識を松野氏はどこで得たのだろう?世代的にインターネットが無い時代なので、俺が田舎で育った時よりもさらに情報は手に入れにくいはずである。これは今でも気になっているので、今度出る予定のリメイク版の開発者インタビューでだれか聞いてみてほしいところである。
最後になったが、今回出る2回目のリメイク版もすごく楽しみにしている。なんていうか2回もリメイクが出るだけでもすごいのに、2回ともオリジナルの開発メンバーがかかわっているのがまた驚きなのだ。
発売元のスクウェア・エニックスはFF・ドラクエ等の過去の作品をよくリメイクしているけど、オリジナルのスタッフが何度もかかわるケースは珍しくないだろうか?しかも開発者の松野氏はリメイク前にスクウェアを退社しているのだ。それでも声がかかるのだから、本人のカリスマ性がメチャクチャ高いのだろう。過去に会社を辞めた人が2回も開発現場に呼ばれるって相当なことだと思うんよね。
例えば、プロスポーツ、サッカーとか野球なら嫌いなチームを叩くのは当たり前として
それ以上にライバルチームに対して負けが続くと必ず応援してるチームにも文句や不満が噴出する
けど、こと政治になると負け続けてる自軍への成果を出す為の改善を突きつけないんだよな
自民党を叩かないのはおかしいって言われるけど、そんなん当たり前なんだよ
自民党が一番支持されてて、選挙でも勝ち続けてるんだから批判する人がそもそも少ないに決まってるんだよ
10年連続リーグ優勝してるチームがファンから叩かれるわけないだろ
としてもわざわざ優勝してるチームを叩く理由はない
単におめでとうで終わりだよ
野党支持者はもっと自分が応援してるチームに勝てるように圧力かけたほうがいいよ
いや、分かるよ
十年の時が経った。
満を持したペルシア軍の大遠征が始まる。十年前のマラトンの戦いの規模を遥かに上回る戦力(十五万人程度と言われている)を前に、ギリシア世界は当然のごとくパニックに陥った。
しかし、ギリシア軍は自国の陸軍の主体を成す重装歩兵に絶大な信頼を置いており、特に、ギリシア連合軍の雄たる都市国家スパルタは、強大な軍事力を背景にペルシア軍に対する陸上決戦を提案し、その決戦をスパルタ自身に主導させようと画策する。しかし、テミストクレスがそこで動いた。
テミストクレスは海上決戦以外に活路が無いことを、十年前から看破し、その準備を着々と進めていた。そのため、軍事力を背景に陸上決戦を主張するスパルタ陣営を確実に抑え込む必要があった。また、スパルタの主張する決戦案は、バルカン半島南方のコリントス地峡において、複数の都市国家を犠牲にすることによって最終的な決戦に持ち込む、一種の焦土作戦の体を成しており、当然ながらテミストクレスはそのようなスパルタの立案を容れることができなかった。そのため彼は当時ギリシア市民に信頼されていたデルフォイの神託を利用することに決める。
ギリシア諸侯の要請に対してデルフォイから下った神託は以下のようなものであった。『陸上決戦を避け、木の砦を頼れ』。
テミストクレスは、この『木の砦』こそが、アテナイが着々と準備を進めていた軍艦なのだと主張し、海軍によってペルシア軍を打倒する海上決戦案にギリシア諸侯の意識を誘導することに成功する。また、自軍の立案を妨害され立腹するスパルタに対しては、海上決戦の際の軍事的イニシアチブを譲ると確約することによって、何とか説き伏せることにも成功した。
(なお、艦船の保有数の関係上アテナイは海上決戦においてスパルタに対して大きな影響力を持っていたため、スパルタはあくまで形式的な海上決戦の総司令官に任命されたに過ぎなかった)
また、このデルフォイの神託は、恐らく事前にテミストクレスが賄賂を贈ることによって歪曲された結果であると、後世の歴史家たちによって推測されている。
以下は歴史の辿った事実の列挙である。ギリシア連合軍は、陸路においてスパルタ陸軍、また海路においてアテナイ海軍が主力をなす軍隊を、それぞれ沿岸の主要な陸路と海路に布陣させ、海峡と山際の隘路という大軍の利を発揮させにくい地形を戦場に選ぶことで、ペルシアの侵攻を食い止める作戦に出た。
しかし、要衝であるテルモピュレーにてスパルタ軍は味方の裏切りに遭い、精強を誇ったスパルタ陸軍は時のスパルタ王であるレオニダス一世の指揮の下で壮絶に奮戦したものの、全滅を遂げる。その情報を聞きつけたギリシア海軍は、実質的な指揮官であるテミストクレスの指示の元、南下、後退し、最終的にはアテナイに程近いサラミス海峡へと撤退することによって、当初の予定通り最終的な海上決戦にてペルシア海軍を撃滅することを画策していた。
テルモピュレーを突破したペルシア陸軍が急速に南下を続け、アテナイへと到達し、故郷が陥落したというニュースであった。
ギリシア諸侯において絶大な信頼を誇っていたアテナイの陥落に、周囲からテミストクレスに対して注がれる視線は冷ややかであった。しかし、テミストクレスは冷静であった。事前に彼はアテナイ市民をサラミス島やその他の土地に疎開させていたため、人的な被害が殆ど出なかったことが幸いした。テミストクレスは諸侯に対して、アテナイの保有するギリシア海軍の半数以上に及ぶ軍船の存在を主張し、未だアテナイはその国土を失っていないと説得すると、依然軍議における主導権を確保したままに、海軍を南下させ続けた。やがて、テミストクレス率いるギリシア海軍は、サラミス海峡の隘路に布陣し、静かにペルシア海軍の来襲を待った。
この際、テミストクレスはペルシャの首脳陣と使者を交わすことで内通していた。ギリシャ陣営の内部情報をペルシャへと流し続けていたのである。
テミストクレスは誰も信用していなかった。敵に対しても、味方に対しても、一切の信用を持たなかった。この内通が、ペルシア侵攻の初期の段階から行われていたという説さえ存在している。
テミストクレスは膠着状態が続く中で、ギリシャ陣営内において撤退論、転進論が巻き起こっていることをペルシャ王であるクセルクセスへと伝えると、さらにサラミス海峡の出口を塞ぐことができれば、艦隊は撤退も不可能となり、必ずやギリシア海軍は撃滅され、ペルシア軍は勝利の栄光に浴することができるだろう、とクセルクセスを焚き付けていた。また、テミストクレスはクセルクセスに対して、海上決戦の際にはアテナイはギリシア陣営を裏切り、ペルシアの勝利に手を貸すことを約束していた。テミストクレスの思惑通り、クセルクセスはサラミス海峡へと向かわせていた七百隻の主力艦隊を二つに分けると、二百隻に海峡の出口を包囲させ、また残りの五百隻を以てサラミス海峡に立て籠るギリシア海軍を撃滅しようとした。テミストクレスは謀略によって、まんまと敵艦隊を二つに分断したのである。
敵艦隊が二手に別れたことを知ったテミストクレスは、ギリシア諸将に対して海峡が包囲されていると伝えると、撤退や転進は不可能であり決戦のみが活路であると諸将を誘導した。そのようにして諸将の士気を奮起させたテミストクレスは、海峡へと侵入してくる五百のペルシア艦船を静かに待ち受けた。
当初、ペルシア海軍は海峡の奥深くで待ち受けるギリシア海軍を発見した際に、攻撃を急がず機を見計らっていた。内通者であるテミストクレスの情報通り、アテナイが離反しギリシア海軍が劣勢に立たされるのを待ったのである。
しかし、ペルシア軍の目に映ったのは異様な光景であった。ギリシア陣営の旗の上に、戦意を鼓舞するための戦場ラッパの音色が鳴り響き、そしてギリシア艦船が淀みなく戦陣を整え始めたのである。
それでもペルシア軍は攻撃を保留し続けた。ペルシア軍は最後までテミストクレスの情報に踊らされ続けた。
◇
テミストクレスの号令一下、突撃を開始したギリシア艦隊の前に、ペルシア軍には動揺が走った。テミストクレスが離反するという事前の情報との乖離も影響した。密集体形で海峡の奥深くへと侵入していたペルシア艦隊は、有効な機動を取ることができず見る見る間に壊走を始める。更には、後方から押し寄せたペルシア艦隊の援軍までもが、ペルシア前衛艦隊の撤退を妨げることとなった。
ペルシア海軍は大混乱へと陥り、急速に戦闘能力を喪っていった。ギリシア海軍の勝利が決定づけられたのである。
◇
主力艦隊の大部分を喪失したペルシア軍は、このサラミス海峡の戦いの敗戦を重く受け止め、海上部隊の撤退を決断する。テミストクレスが当初画策していた、海上兵站を寸断する計略は成功し、ペロポネソス半島への侵略を行っていたペルシア陸軍も急速にその影響力を喪っていった。最終的に、ギリシア連合軍の反撃によってペルシア陸軍もギリシア世界から追い出され、十年を費やしたペルシア帝国の大遠征は失敗に終わり、ギリシア世界の完全勝利となったのである。
当然、この勝利の立役者となったのは英雄テミストクレスであった。テミストクレスはまさしく英雄であり、一度は終わってしまった世界、喪われた故郷を彼は取り戻した。ペルシア戦争の勝利はひとえに彼の超人的な洞察力、長期的な戦略立案能力、謀略や陰謀を駆使し敵と味方をコントロールする政治力、それらの能力によって成し遂げられた勝利であった。
とは言え、テミストクレスはあまりにも優秀すぎ、また、あまりにも自分の能力を過信し過ぎていた。
最終的に、テミストクレスはギリシア世界にとっての危険人物であると判断され、政治的指導者の地位から失脚させられ、かつての仇敵であるペルシアへと亡命している(相変わらずペルシアと内通を行っていた)。その後、ペルシア軍によってギリシア再攻撃の責任者へと任命されるのだが、母国に弓引くことをよしとせず、毒を呷って自決したと言われている。
テミストクレスは間違いなく英雄であり、凡庸な人間とは違う視野を持って生きた人物であった。とは言え、狡兎死して走狗烹らるという言葉の例に漏れず、自国民から危険視された英雄の最期は、あまりにも物悲しい。
空前の規模を誇るペルシアの軍団は紀元前480年、テルモピュレーの戦いにおいてギリシア陸軍の主力であるスパルタ軍を激戦の末に破り、スパルタの王であるレオニダス一世を戦死させた。スパルタ軍という防波堤を失ったギリシア本土は容赦なく侵攻され、ギリシアの中心都市であるアテナイがペルシア陸軍によって陥落するに至り、アテナイの軍人テミストクレス率いるギリシア海軍は絶望していた。「帰る国が無いのに、このまま戦ったところで何になる?」と。
しかし、彼らのリーダーであるテミストクレスだけは絶望していなかった。
絶望に染まる軍人たちの中で、彼は唯一希望を手放していなかった。彼は言った。「さあ、世界を取り戻しにいこう」と。
◇
ペルシア戦争の戦乱の始まりをどこに求めるかは諸説あるが、紀元前480年以降のペルシア軍の大規模侵略より10年前、先駆けて起こったマラトンの戦いにおいて既に戦端は開いていた、とする説が有力である。
紀元前490年、マラトンの戦いにおいて沿岸に押し寄せたペルシア軍を、アテナイ軍を主力とするギリシャ連合軍は完膚なきまでに破った。二倍に比するペルシア軍に対して、旺盛な士気を原動力に戦ったギリシア連合軍は、5000人以上にものぼるペルシア軍の戦死者に対して、僅かに戦死者200人足らずに留まる圧倒的な戦果を以てペルシア軍を退けたのである。勝利に沸くギリシアの民衆は口々にギリシアの精強な陸軍を讃え、自らの勝利を誇った。それほどまでに完璧な勝利だったのである。
一方、自軍主力の三割を一挙に失ったペルシア軍は撤退を始める。ギリシア世界のアジアに対する完全な勝利であった。
しかしただ一人、アテナイの政治家であり軍人でもあるテミストクレスだけは絶望していた。
◇
アテナイはギリシアの中心都市であるが、しかしこの都市が円熟を迎えるまでに辿った経緯は涙を誘う。ギリシアにはいわゆる都市国家と呼ばれる、一つの都市が国家を成す統治形態で政治が行われていたのだが、これら都市国家が成立する以前の、ギリシアの暗黒時代においてはギリシア半島(ペロポネソス半島)には大量の異民族が流入しており、戦乱の嵐が吹き荒れていた。
そのような戦乱のさなか、開闢におけるアテナイがいかにして生き延びたのか?
アテナイは極めて痩せた厳しい土地であった。地中海性の気候の中、雨量は少なく、養えるだけの人口は決して多くない。要するに、戦乱の時代においては重要性の極めて低い土地だったのである。そのため、アテナイは暗黒時代における異民族の侵略において、常に見逃され続け、戦乱からは遠ざけられ、その地盤と地歩を少しずつ伸長させてきた。最終的には、ギリシアにおける最も優秀な文化都市としての地位を確立するに至ったのである。
さて、そのような経緯もあり、スパルタやアテナイ、あるいはテーベといったギリシアの主要都市は基本的に国力に乏しく、幾ら軍制を整えたところで養える軍隊には限界があった。当時のアテナイの人口については諸説あるが、最盛期における人口は十万人程度だったと言われ、まともな軍隊として機能する人員は精々一万人を上回る程度だったであろう。
一方、ペルシアは現在におけるアフリカ、中東、中央アジア、南アジアの北部にまで跨る大帝国であり、根本的な軍事力、そして人口においてはギリシアに対して天地の差があった。そのような地政学的要因をテミストクレスは紀元前480年以前から看破しており、このまま仮に戦争が継続すれば、最終的にギリシアが間違いなく敗北するという未来を予見していたのである。
しかし、テミストクレスは絶望してばかりではいなかった。来るべきペルシア本軍の大遠征に向けて、着々と準備を開始した。
彼が最初に行ったのは、海軍備の増強である。これは正に慧眼であり、ギリシアの絶望的な状況を打破する最善手にほかならなかった。
無論、軍事力が精強なペルシアの海軍備は相当なものであり、実際、ペルシア戦争が激化した際の艦船の保有数は、ギリシアが保有する400隻足らずの軍艦に比べ、ペルシア軍のそれは3倍から4倍の1500隻以上(輸送船を含む)に達していた。ギリシア軍は結局のところ、陸軍備においても劣り、海軍備においても劣っていたのである。そのため、不足している海軍備の増強に多少着手したところで、いずれ来る黄昏を打破する目覚ましい一手にはなり難い――そう目するギリシア市民や政治家も決して少なくはなかった。というか、そもそもギリシア軍は精強な陸軍を抱えているのだから、海軍備の増強は不要であると楽観論に耽るギリシア市民が圧倒的だった。テミストクレスは頭を抱えた。
テミストクレスは異常者であった。常に真実を見ることしかできない目を持ち、常に真実しか思考できぬ頭脳を持ち得ていた。
テミストクレスは十年に渡って、世界の終りをただ一人、真摯に見据えていた。やがてギリシアは滅びる。しかし、その寿命を一秒でも長く保つこと、その呼吸が、須臾の間なりとも長く伸びることを目指し続けていた。また、テミストクレスは軍人である前に政治家であった。そのため、テミストクレスは数多くの権謀術数を駆使することを厭わなかった。彼の謀略が活かされるのは、決して外敵に対してばかりではない。むしろ、同じくギリシアに属する味方勢力に対して、しばしばその陰謀は向けられていた。
ともかく、海軍備の増強に前向きでないアテナイ首脳部を説き伏せるためにテミストクレスは一計を案じる。海軍備の増強に消極的であったアテナイ首脳を説得するために、テミストクレスは同じくギリシアの海洋都市国家であるアイギナと呼ばれる都市国家の脅威を説いたのである。
アイギナはギリシア世界においては珍しく、海軍備を主体とする軍制を整えた都市国家であった。地理的にはアテナイの属する沿岸から僅かに南下した地点に位置しており、当時のアテナイ首脳や市民にとっては、遠くアジアの大国ペルシア帝国よりも、海洋国家アイギナはよほど身近な脅威に映っていた。テミストクレスはその心理を利用したのである。まずはこの手近なライバルとなり得るアイギナの脅威を喧伝することで、テミストクレスは徐々にアテナイ首脳の意識を海軍備の増強へと向けさせることに成功した。
さて、この時アテナイが新造した艦船の数は200隻程度で、かつて備えていた旧式の軍艦の凡そ十倍にあたる新型の艦船を建造しおおせたのである。とは言え、先述の通りそれでもなおペルシア軍の海軍備に比べれば、アテナイの所有していた軍艦の数は圧倒的に劣っていた。それでも、テミストクレスの企てた長期的な戦略は間違いなく最善のものであったと言えた。結果的に、海軍備の増強という手段以外にペルシアを打倒し得る勝ち筋は無かったのである。
何故か。
ペルシア軍は強大な軍事力を動員するだけの国力を備えていた。軍事力、インフラを整備する技術力、そして、兵士を養うために必要な兵糧を創出する農業力、それらの総合力において、ペルシアは明らかにギリシアの力を上回っていた。しかし、そのような強大な力は、反面ある種の脆弱性を抱えることにもなる。テミストクレスはそこに目を付けた。
テミストクレスが着目したのは、ペルシア軍における高度な兵站戦略である。ペルシア軍は圧倒的な数の軍隊を抱えるが故に、その大軍を支えるための兵站戦略を整備していた。中継都市や本国から創出した食料を、効率的に前線へと運び届けるインフラを整備し、兵の士気が低下しないための細心の注意を払っていた。
しかし、ギリシアが属するバルカン半島並びにペロポネソス半島の海岸線は長く、その補給路は長大に達し、沿岸の陸路は決して効率の良い輸送ルートとは言えなかった。陸路における兵站戦略が決して最善のものでないことを、ペルシア軍は理解していたのである。したがって、ペルシア軍の兵站は必然的に海路に依存していた。
艦船による食料の輸送は、陸上のそれに対して圧倒的に効率的である。大軍を支えるために行われる、ペルシア軍の必然的な兵站の形態を、実際にペルシア軍が襲来する十年前の段階で、テミストクレスは明察していた。更には、そのペルシア軍が抱える唯一の弱点を攻撃するための、唯一の手段を十年前から整備し続けていたのである。
つまり、海上の兵站を破壊し、ペルシア陸軍を機能不全にすること。それが、それだけがギリシアがペルシア軍を打倒するための唯一の方策であった。
◇
ウクライナ情勢が最終的にどうなるかまだわからんが、現状において孫子の兵法から考えてみたい。
まず、短期決戦想定なら、それが失敗した時に手を引くべきだったね。
キーウに空挺降して奇襲(斬首作戦)に失敗した時に手を引いていればもっと傷は浅かったと思う。
孫子でいう「小敵の堅は大敵の擒なり」に反してる(敵が予想以上に強いなら引けと)。
自軍が強いからごり押しいけると思ったのなら「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」に反している(自軍を過大評価して、敵を過小評価しすぎた)。
追い詰めすぎてゼレンスキー覚醒して「窮寇には追ることなかれ」に反した(窮鼠猫を噛むから追い詰めすぎるな)。
なにより、兵を動かしての侵略戦争は、「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」にも反してる(戦争は莫大なコストがかかるから、戦わずに勝つの最善)。
プーチンは変な愛国本読んだのかどうかは知らんがルースキーミールに嵌るぐらいなら、孫子の兵法を読むべきだったな。
第2章ドンバスの戦いについてなら、「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」に反している(戦う前から勝つルートを考えろ、戦いを始めたから勝ちルートを考えていたら負ける)。
不必要に民間人を虐殺したり、強制移住政策をしたことで、「将とは、智、信、仁、勇、厳なり。」にも反している。
逆にプーチンができたことは、「兵は詭道なり」かな(用兵とは騙し合いだ)。
開戦前は攻撃の意図はないと嘘を付き、偽装の撤退をして油断させてからの進撃を行った。全部偵察衛星でばれてたみたいだけど。
他にもこれに反しているとか間違ってるよとかの意見があったら教えて。
DER SPIEGEL:では、はっきりさせておきましょう。あなたもSPDもドイツ国民も平和主義者ではありません。ではなぜ、ウクライナをロシアに対して軍事的に支援するために全力を尽くさないのでしょうか?
ショルツ:まさにそうしています。
DER SPIEGEL:ここ数日、キエフとその同盟国、そして外相を含むあなたの政府連合の政治家たちは、重火器の提供を迫っています。なぜそれをしないのですか?
ショルツ:まず、我々が行っていることについてお話ししましょう。我々はドイツ軍の在庫から対戦車兵器、対空装備、弾薬、車両、そして多くの物資を供給しており、それはウクライナの自衛の戦いを直接助けている--何十もの同盟国が行っているのと同じようにだ。このことは、ウクライナ軍の軍事的成功の中に見ることができます。
DER SPIEGEL:数週間前、ウクライナ側は緊急に必要とする武器のリストを送ってきました。なぜ、そのリストをできるだけ早く処理しないのですか?
ショルツ:ドイツ連邦軍の武器庫からさらに武器を供給する選択肢は、ほとんど尽きています。しかし、対戦車兵器、対戦車地雷、砲弾など、まだ利用可能なものは必ず提供するつもりです。そのため、ドイツの産業界と協議して、迅速に納入可能な軍備のリストを作成し、ウクライナ国防省と協議しているのです。つまり、従来通り、防御用の武器や砲撃用の迫撃砲などです。これらの武器納入のための費用は、私たちが負担しています。ドイツは合計20億ユーロを提供しており、その大部分がウクライナに直接恩恵をもたらすことになる。
DER SPIEGEL: 他の国は重装備を供給していますが、ドイツは小切手を出しています。それがこの戦争における役割分担なのでしょうか?
ショルツ:間違っている。米国、フランス、イタリア、英国、カナダと緊密に協力し、ウクライナ東部での今後の戦闘に必要な兵器を納入しました。兵員輸送車や大砲はすぐに配備可能です。そのため、これらの機器に関する迅速な訓練で同盟国を支援し、適切な装備がまだこちら側から入手可能かどうかを確認する用意があるのです。軍備は、長時間の訓練やさらなるロジスティックス、そして我が国の兵士がいなくても配備できるものでなければなりません。そのためには、ウクライナ人がよく知っている旧ソ連の兵器を使うのが最も手っ取り早い。そのため、東欧のNATO加盟国数カ国がこれらの兵器を供給していること、そしてどの加盟国もこれまで西側戦車を供給してこなかったことは偶然ではないでしょう。私たちは、スロベニアのケースで述べたように、パートナーによるこれらの納入によって生じたギャップを、ドイツからの代替品で順次埋めていくことができます。中期的には、ウクライナの防衛力整備を、やはり西側兵器で支援する。
DER SPIEGEL:つまり、アンドリー・メルニク駐ドイツウクライナ大使がドイツのマーダー戦車を要求するとき、彼は自軍がその操作さえできない事実を無視しているのですか?
ショルツ:またしてもです。我々は現在、同盟国が合意した枠組みに沿って、ウクライナ政府が武器を調達できるよう支援しています。そして、ロシアの東部での大規模な攻勢を阻止するために、できるだけ早くこれを行う。世界を見渡すと、すべてのパートナーが、私たちと同じように合意の枠組みの中で活動していることがわかります。
DER SPIEGEL:カナダ、米国、オランダは、ウクライナに重機を迅速に届けたいと考えています。なぜ私たちは遅れをとっているのでしょうか?
ショルツ:持っているもの、渡せるものしか届けられない。どの機材がいつ、どの程度使えるのか、よく見極めなければなりません。どんな機関銃でも撃ち抜けるような車両を提供しても、ウクライナ軍の役には立たないのです。
DER SPIEGEL:キエフは、ドイツが連邦軍から配備可能な装備を継続的に供給し、その後徐々に置き換えていくことを提案しています。それに対する反論は?
ショルツ:同盟国の領土を常に防衛できるようにする必要がある。ロシアからのNATO領域への脅威は続いているため、パートナーとともに常に行わなければならない難しいバランス感覚です。特にバルト海沿岸のパートナーからは、連邦軍のプレゼンスを高めるよう求められています。そのため、私たちはスロバキアやリトアニアなどの部隊と緊密に連携しています。NATOは、通常攻撃を受けても弾薬と装備で12日間持ちこたえられるようにすることを目標として掲げています。特に現在の脅威の状況下では、この公約を忘れることなく最大限の努力をするつもりです。
DER SPIEGEL: 米国政府は、ジョー・バイデン氏の署名からウクライナへの武器納入が開始されるまで48時間しかかからなかったと発表しています。私たちにとっては48日というところでしょうか。
ショルツ:私もそれは読みました。私たちのストックからの納入も早かった。米軍の在庫はかなり多い。ここ数十年のドイツ連邦軍の削減は、その痕跡を残しています。今、それを変えようとしているのです。
DER SPIEGEL:あなたは、重火器の納入を求める批判者たちを、知識をググった「少年少女」だと断じました。
ショルツ:ラジオのインタビューでの発言が即座に侮辱と受け取られるのは、状況がいかに緊迫しているかを物語っています。武器輸出のような争点になると、もちろん私とは違う意見を持つ人も多く、それを公言することもあります。それが良い民主主義の一部なのです。
DER SPIEGEL:あなたは常に重火器納入に対する新たな議論を持ち出しているようですね。ウクライナ人の訓練が十分でないこともあれば、武器の準備が整っていないこともあり、また、私たち自身が何も提供できないこともあります。このようなメッセージの変化がどれほど混乱を招くか、おわかりでしょうか。
ショルツ ドイツにとって、この紛争地帯に武器を供給すると発表したことは、大きな方向転換となりました。そのことを改めて申し上げたい。過去にこの措置を断固として拒否した多くの人々が、今では、問題の正確な事実を知りもしないのに、より多くのものを提供するよう要求し、自らを凌駕している。そのことには留意している。しかし、このような状況では、冷静な判断と慎重な決断が必要です。なぜなら、わが国はヨーロッパ全体の平和と安全保障に責任を負っているからです。ドイツとNATOがウクライナの戦争の当事者となることは正当化されないと思う。
★ できない言い訳を次々発明してるみたいなんですけど? というツッコミ
わかってる人はわかってるけれども、そこまで軍事に明るくない人たちが現代戦はジャベリンが物凄く有効みたいに勘違いしているようで、日本が有事に巻き込まれた際に誤った認識へ陥るのを避けるため情報共有として断言しなければならないとし、このエントリは作成された。
長々と語っても読まない人が居るので直ぐに断言しよう。
現代戦の基本では指定エリアで本作戦を実行する前に、砲弾やミサイルなどで爆撃をし、2次元平面的に指定エリアを一掃してから本作戦を実行するので、本来ならば個人携行兵器をバカスカ撃てる環境は存在しないとされている。
ロシアでジャベリンなど個人携行兵器が効果を見せているのは、ウクライナ軍が誘導したのか偶然なのかは別として、ロシア軍が何故か2次元平面的に指定エリアを一掃できていないからであり、物量で押しつぶそうとする敵軍へ対して個人携行兵器は対抗手段とならないのが普通だ。
普通じゃない戦況で個人携行兵器を主兵装とする普通じゃない戦術が選ばれているだけなので、例えば「これからの時代は大量破壊兵器よりもジャベリンだ」などと勘違いしちゃ絶対にダメ。
本来、物量を抑え込むのにはより広範囲を一掃できる大量破壊兵器が必要というのが基本なので、日本国自衛隊の装備を個人携行兵器主体にしようなどと勘違いしては絶対にいけない。
古代からの戦術基本は「如何に敵軍の攻撃を受けず如何に自軍が一方的に攻撃するか?」である。
それが投石であり、ストーンスリング(石もっこ)であり、弓矢であり、鉄砲であり、大砲であり、ミサイルである。
個人携行兵器の射程や効果範囲など大量破壊兵器と比較すると限定的に過ぎず、日本国自衛隊が個人携行兵器主体になれば侵略しようとする国々はミサイルなどの物量でアウトレンジから一方的に攻撃を仕掛けるのは明白。
勘違いしてはいけない。ウクライナの戦況は基本から外れた珍しい戦況に過ぎず、珍しいからこそ個人携行兵器が珍しく効果的に活躍してるんだ。
ウクライナ軍は非常に素晴らしい。この点に関しては諸手をあげて喝采を送りたい。
しかしウクライナ軍の戦術をそのまま日本へ置き換えては決してダメだ。
どうしても日本国自衛隊の装備を個人携行兵器主体にしたいならば、侵略してくる敵軍へ個人携行兵器主体の戦術が効果的になるような戦況を押し付ける戦術戦略がまず必要。
それをせずに日本国自衛隊の装備を個人携行兵器主体にするという発想は愚の骨頂、危険思想なのでジャベリンが現代戦でものすごい効果を発揮すると勘違いしていた人は、ジャベリンが効果的になる戦況も稀にはある程度に認識を改めておこう。
このエントリは別に日本国自衛隊へより一層の大量破壊兵器を配備せよ軍備を強化せよと皆さんの意志を誘導しようとするものではないのです。
ジャベリンSUGEEEE!!!現代戦は個人携行兵器やで!!!!!となってしまっているのにちょっと待ったをかけたいだけです。
ただ、感情だけじゃなく論理も必要、更にはタイミングもだし利得もかな。
ゼレンスキーが就任してミンスク合意破棄しようと奔走し、挑発行動を繰り返した後に、トランプからバイデンになったとかね。
ゼレンスキーじゃなければだったり、トランプが継続してたら、恐らくこうはならんかっただろうな。意味のない仮定だけど。
あとは、これだけ激おこなのは期待していた分の裏返しという側面もある。これはアメリカへのだと思うがな。
国際的に非難されてはいるけど、国際法は破ってない。ちゃんと論理が成立するまで準備はしてる。
本気で潰したいなら核をさっさと打てばいいけどしない。
威嚇するにしても、例えば事前に勧告を出して、過疎地に小型核を打ち込む等、いくらでも方法はある。
打っちまった方が自軍の損害は少ないけどな。自国への損害は、、、まぁ今よりはひどいだろうけど。
現状ではポーズをとりはするけど、戦術核すら発射できる状態には程遠い。
オプションの一つではあるだろうけど、可能性はまだ結構低い。長期化すればするほど可能性は上がるけど。
感情任せではなく、怒りながらも確実に一歩一歩駒をすすめてまっせ。
これまでの流れを見れば分かる通り、ちゃんとターン制バトルよ。
まぁヤ○ザまがいだと思うけど(言い分とか手段とか諸々ね