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はてなキーワード: 自由民主とは

2022-07-13

anond:20220713093642

なんだ、自民党結党以来って言うから

いかと思ったら、俺が小学校のころからじゃん。

民主自由党の合同による「自由民主党」は、とりあえず鳩山一郎緒方竹虎大野伴睦三木武吉の四氏を総裁代行委員として、全国民待望のうちに

昭和三十年十一月十五日、東京神田中央大学講堂において、華々しく結成大会を開き、ここに戦後最大の単一自由民主主義政党として歴史的な発足をみました。

2022-07-09

政策批判の脱・属人化。元首相の死に際して

映画批評みたいになるべき

政治を語るなら「政策1は最高。2は駄作。うーん両方に関わってる政治家Aは当たり外れ大きい人なんだなぁ」みたいな映画批評みたいな形になるべき。政策IDをつけて、政治家はタグの1つと位置付けるべき。

ほとんどの政治家は2つ以上の政策を出している。(以降ここでは、立案実施した政策とか諸々の活動成果物政策と呼んでしまう。)一方で政策の方には沢山の人が関わって完成したものなんだからデータの持ち方的にも政策に着目すべきだろう。

政治批判したい時に政治家を批判すると、しばしば、そいつ政策に全部批判が飛んでいく。ほとんどの政治家は利益になることと損になること両方やってる(誰の視点から見ても)。

絶対おかしいよな。やっぱり「政治家Aの政策1は最高、政治家Aの政策2はクソ」って批判の仕方をするべきだよな。

AIかいうフードミキサーにたよる

なんでこうなってないか。みんな個々の政策なんか気にしたこともない。せいぜい中身よくわかんないけどインフルエンサー解説したのを信じこんだり。

こんなのどうだろう。インフルエンサーに代わってAI政策評価するんだ。ここでいうAIキッチンにあるフードミキサーみたいな便利道具で政策にくっついてる属性(関わった政治家、成立年度とか)を全部ぶち込むと2次元くらいの特徴量、一種の「値」を出してくれる。それをもとにグラフに書いたり分類したりなんなりする。

で、自分に得になる政策を選んでって「値」を信仰するんだ。あるいは「値」をもとに政策四象限に割り振って、その象限を盲信してもいい。人間適当にぶちこんでAIあやふやに放り出した「値」を神と崇めろ。

当たり前のことに気付け

文字通りの凶弾に斃れた最長任期元首相に死体撃ちするのも、正当な自由民主主義活動四十九日の喪に服すのもおかしいだろ。

2022-06-26

リベラルあなたへ

リベラルでもなんでもない自分を考える」を書いた増田という者である

選挙権を持ってから地方選挙でも国政選挙でも、自分はほぼ一貫して共産党投票し続けてきた。来月の参議院選挙でも選挙区比例代表制の両方で共産党投票する予定だ。

選挙期間中に選挙公報が届けられると、いちおう各政党政策をチェックして投票している。共産党政策パッケージは少なくとも保守ではないと思って、投票というかたちで政治行動してきた。

そこで昨日の投稿に所感を綴ったところ、自分中世的な保守人間であるという論評を含めて、さまざまなコメントが寄せられ、面白かった。

だれかがコメントを寄せていたように、自由民主主義とは、さまざまな勢力自己利益を実現するためのせめぎ合いが常態だと自分は考えている。

まり、論争が続いていることが、民主主義健全機能している証拠だと考えている。

なので、さまざまな「マイノリティ」が自己利益の実現を目指して主張をするのは、まこともっともなことだと思っている。

だが、自分自身がその主張に耳を貸すかどうかは別問題だ。

あなた意見を表明する自由を私は侵害はしないが、あなたのその意見を私が受けいれるかどうかは全く別の話だといっているだけだ。

あなた自身意見に私が耳を貸さないからと言って、真理に反する者、正義に反するものとしてあなたが私を非難するのなら、私はますますあなた意見に耳を貸さないだろう、といっているだけだ。

ましてや、あなたのたんなる意見に過ぎないものに私を従わせようとして、力づくで服従させようとするなら、私は絶対に従わないだろうといっているだけだ。

意見を表明するならどうぞ。それはあなた自由なので。私はその自由侵害しない。

だが、あなた意見に私が同調して行動するかどうかは別の話だ。

なぜなら、私はあなたではないので。

この自己他者区別ができない人がどれほどいるのだろうか。


リベラルでもなんでもない自分を考える」を読んで、この記事保守政党クラウドソーシング発注したものだと断定し、何事かを成し遂げたと思っている人が見られた。

また、「夜道に気をつけろや」的な脅迫めいたコメントを残した人もいた。

このようなことをする人は、自分リベラルだと思っているのだろうか。とても面白いのでお伺いしてみたい。

少なくとも自分リベラルでも何でもないという自覚を持っていることは、先の記事で書いた通りなのだが……

https://anond.hatelabo.jp/20220625110258

2022-06-20

anond:20220620110322

何も理解してないやん

ピクサークリエイターたちが同性愛表現をしたがったのをディズニー検閲して削除させてたことが公になって、ディズニー同性愛表現を削除できなくなって同性愛表現可能になったが、自由民主主義体制にない国家がその表現検閲したって流れだぞ?

これを批判しないのに表現の自由とか語らないでくださいねw

2022-06-12

anond:20220612003649

SSR生活をNの生活しか持ってないプレイヤーに見せることで射幸心煽って働かせるのが自由民主主義というものやで

なおSSR排出率は0.00000001%の模様

2022-05-24

anond:20220523184058

もともと人口政策とか疫学政策とかは、「共同体全体の利益のために、個人自由一定程度制約する」っていう全体主義的な性質内包せざるを得ない。

自由民主主義国家であっても、ここに一切の政策的介入をせず、すべて個人選択に委ねる、ということはほとんどないけど、とはいえ個人自由に直接に強力に介入することもできないし、すべきでない。

から基本的には国民自由意志と選択に任せつつ、行政側では色々なインセンティブや逆インセンティブ提示して、国家が考える好ましい状態国民誘導する。

人口維持でいえば、育児費用負担したり、教育費を無償化したり、非課税限度額を調整したりする。

コロナ対策でいえば、強制ではないけど、ワクチン政策を強力に推進したり、マスク着用の要請をしたり、営業停止した飲食店金銭的な援助をしたりする。

ここで重要なのはあくまで「第一義には国民自身福祉のために」「国民自身選択に任せつつ」やる、という基本姿勢。ここを見誤って「国家のために」を前に出しすぎてしまうと、人口政策や防疫政策はしだいに全体主義的な色合いを帯びていくことになる。だから戦後日本は、基本的にそういうメッセージは出してこなかった。「個人自由意志」「個人利益」「国家社会利益」の3つの要素を見極めながら、自由民主主義国家で許されるギリギリラインを攻めるような慎重さでこうした問題にあたってきたと思う。それが時には少子化対策の不充分さや的外れさ、コロナ対策の煮え切らなさの一因にもつながっていたのかもしれないけど、ともかくそういう原則大事にしてきた。

吉村知事表現は、そういう意味では不用意に「国家のために」を前に出しすぎていたと思う。為政者人口政策について「リターン」「投資」「効果」という言葉を使うとき国民国家の維持存続と運営必要な駒なり投資商品のように見立てられている。国が利害の主体で、国民はそのために操作される客体という構図。この物言いは、先の一線を少し踏み越えてしまっているところがあって、増田批判してるブコメもそこに違和感を感じたんだろうと思った。

とはいえ吉村知事の言ったことには意外性もあった。

自分は、維新という政党基本的に「一方では改革と言ってカネをけちり、もう一方では商都としての返り咲きを目指して怪しげな案件にド派手にbetする(IR大阪ワクチンなどなど)ことで支持を得てきた」政党だと思っていて、正直、人口国防といった国政レベルグランドデザインについてはまだまだ党内の議論熟成されてないと思っている。出産育児についても、例のケチケチ感覚敷衍して「貧乏人が子どもをたくさん生んでも意味がない」「育児支援は甘え」とか言いそうだなと思っていたので。

2022-05-14

anond:20220514194511

ワテはあんな時に投げる金が神様に本気で祈ってる奴を救う時に効果を発揮したらええなぁと思うだけやで

まぁ現代は金自体ちゃんと効力があって金が集まったところがたまに慈善事業とか社会福祉かに金を使うんやからそれでええんやと思うわ

 

信じる信じないやなくて神様の手からワテらは離れたんやな

その上で死のうが死ぬまいが神様が処理するんやのうて、火葬場やら特殊清掃の人達が上手いこと頑張ってくれるんやな

 

日本人はみんなツンデレからそうやって人間が作り上げた神である社会に対してアレもダメじゃないコレもダメじゃないと言うけど

なんだかんだ美味しい水は啜ってるんや、その言葉を本気にしてしまってこの社会という神様には甘えられる場所が無いと断じてしまうのが結構な頻度で現れとるけど

そいつらも気付かんうちに社会という神の恩恵を受けとるんや

 

結局神様名前なんて符号しか無いけども

それでも昔はその符号の下に様々なことをやってもらったんやからそりゃ形式上でも感謝はするわな

今の社会はみんな人権というものが生まれしまってダニノミ並みに役に立たなくなった奴等でも社会という神の名の下に人間扱いさせてもろうとるせいで、よくわかっとらんねんな

 

こうやって日本語喋れんのも不満を欠けるのも社会の教え、社会規律の名の下にやっとるだけよ

それが宗教国家に代わって神様道理大量虐殺されてないだけなんや

ワテらはいつでもこの神様名前を変えることが出来る

今は自由民主主義、もしくは平和主義って神様に従っとるだけなんや

その権能は今ここにあるものが全てや

ありがとう平和主義ありがとうワテを人間やと思うてくれるみんな。三大義務には従ってやるから勘弁な。

2022-05-11

anond:20220511184710

この国の保守革新の構図は民主主義志向社会主義志向下位互換から

欧米中心の自由民主主義陣営を維持しようとするとどうしても保守にならざるをえない

2022-04-25

anond:20220423103153

自由と発展って難しいバランスだよね

アメリカって60点+100点の国だって話をよくするんだけど

自由民主主義を俺なりに表現するなら80点主義でさ

人間20点くらい失敗する生き物だからそれ前提動くシステムだと思っている

そんな民主主義日本は95点主義をやってしまった国だと思う

95点目指しちゃったもんだから受験が大変だし、部活ブラックだし、残業だし

それでイノベーションは起きない

最近はさすがにゆるくなって90点主義くくらいにはなったが

欧米に比べると失敗に非寛容だよね

でもじゃあ受験戦争やめたらどうなるっておれはさらに没落していくとおもうよ

なんでって発展のためには教育必要から

矛盾してるこのことを両立しなきゃいけないのが現代社会


社会主義/共産主義は100点主義

管理さえしてれば失敗なんて起きないという完璧主義がこれだ

いま中国必死ゼロコロナかいって100点をもってこない人民をいたぶっている教育ママみたいなことをやっているが

社会主義においてママは95点じゃ許さないの、100点を持ってこいとしばかれる

改革開放で表面上は市場経済論理を受け入れたかに見えた中国だが

やはり中身は100点主義共産党だというのを再確認した


で、アメリカだけど、あの国は70点か60点かそのくらいだ

ドラッグはあふれ、殺人事件日本の数十倍公教育崩壊している

まともな掛け算もできない大人があふれているのに

なんでアメリカハイテク産業が維持できるかって

外国から移民がまともだから

アメリカ大学院にいけば頭のいい奴はみんな留学生/移民だってことがわかる

どいつもこいつも留学生/移民だ、一流大学留学生率は異常

この60点の国の現状と、大学の100点留学生がとんでもないパワーをもたらすんだよ

ふつうだと大学崩壊してまともな人材は育たないが、アメリカの一流移民ハイテク産業

結果的アメリカは寛容でありながらハイテクも維持できる国家になった

普通両立できないんだよね

でもできちゃうわけアメリカ

IT産業みてみなよ

移民だらけだ

AMD社長も、nvidia社長も、google社長も、みんな移民

だけどそれで回ってるんだからすごいと思う

それで掛け算もできない高卒子供バンバン生むから少子化心配もない

移民もいるし国内産業がそりゃ盛り上がるよね

アメリカ外国が育てた高等教育の上澄みを移民という形でとれるわけ

この状況、ハイパワーPDCAが回せるよね

問題が起きるし、解決する技術が生まれやすいし

そら発展するよ

anond:20220425031123

G7に参加している。

そしてG7に参加しているメンバーIMF国際通貨基金)曰く「最も裕福な自由民主主義国であり、グループ多元主義と代議制政府という共通価値観に基づいて公式組織されている」としている。

日本先進国じゃないならG7G2かになるレベルじゃない?

2022-01-19

日本って政治批判しにくくない?

自由民主主義ではあるらしいけど、強めに批判したら消されるし、

なんかテレビ政治に対しては曖昧表現しかしないように見える

2021-12-07

anond:20211207131231

政治思想従属するわけでもなし、そこはどうとでもなるでしょ。

  .... うーん、どうなんでしょう。錦の御旗というか大義名分があると強いよ。

日本イギリスドイツはともかく、自由民主主義陣営の中核たる米国は言ってみれば思想国家を作っている面が強いから、啓蒙主義自然権思想自由主義民主主義が揺らいだら国家自体の存続も危ういのではなかろうか。たぶんフランスも。(そしてたぶん多かれ少なかれ自由主義陣営諸国の多くも)

2021-10-29

anond:20211029185408

全体的によくわからん

意識高い系はなるべく早く死んでください。

SDGsを推進するのは意識高い系国連世界銀行日本政府も国際金融機関も全部消滅すべきってこと?アナーキーだなあ。。

MDGs成功を誇るにせよ、その過半は未達でSDGsに衣替えしただけの腐った先延ばしだということも認めてください。

先延ばしなのは確かだけど、なんで「腐った」?できなかったら改めて目標設定するしかないと思うんだけど。全部目標通りに達成されないと許せない潔癖系?

あとは成長率逓減のリアル考慮してください。

んー、まあねえ。MDGs達成にあたって、2000年代ブームは大きかったと思うけど、SDGsって成長率があまり必要じゃないものばかりだと思う。

ついでに歴史絡みで言うと西側自由主義陣営東側に対する精神性の優越喧伝するために達成してきた成果こそがMDGsに先駆けてあり、そうした古き良き資本主義自由民主主義果実破壊したのが敵対者亡き後に台頭してきた新自由主義なのも踏まえたうえで、それが中国というキメラを生み出してしまたことの反省と総括もなしに先に進めるなどとは思わないでください。

かに中国プーさんヒトラー越えを狙っているのかみたいな大悪人ルートだし、自由民主主義的なトピックSDGsに入っていないのは中国圧力じゃないかと思うが、最近は再分配頑張りだしたよね?毛沢東とか考えると、中国暴走しているのは西側責任、みたいなのは白人の影響力を過大に見てるんじゃないかね。中国はでかい国だし、自分の都合で動くだろう。

新自由主義のもたらした意識の変革を再度転換しうる、と考えるのはあまりにも楽観的。

新自由主義」って何を指しているのが具体的によくわからないんだよね。国際金融資本利益だけを求めて世界中荒らしまわる的な話だったら、本文で書いたように国際金融資本利益至上主義はすでに変わって、社会的責任を考えるようになってるよ。

https://koken-publication.com/archives/1126

anond:20211029160423

意識高い系はなるべく早く死んでください。

MDGs成功を誇るにせよ、その過半は未達でSDGsに衣替えしただけの腐った先延ばしだということも認めてください。

あとは成長率逓減のリアル考慮してください。

ついでに歴史絡みで言うと西側自由主義陣営東側に対する精神性の優越喧伝するために達成してきた成果こそがMDGsに先駆けてあり、そうした古き良き資本主義自由民主主義果実破壊したのが敵対者亡き後に台頭してきた新自由主義なのも踏まえたうえで、それが中国というキメラを生み出してしまたことの反省と総括もなしに先に進めるなどとは思わないでください。

新自由主義のもたらした意識の変革を再度転換しうる、と考えるのはあまりにも楽観的。

2021-10-21

anond:20211021212939

ありがとう、こんな厳しいんか。日本はこうならないように反対するし中国は多少同情するけど、韓国選挙政治家を選べる自由民主主義の国だからね。性犯罪外国作品パクリ減るといいねって感じ。

2021-10-14

自民党自由民主義なのか共産主義が入っているかを選ぶ選挙だ」

立憲民主も閣外協力とはいえ共産党と組むってことは、自民党からこう批判されるということだよね。

からでも遅くないから、立憲民主共産党を切れば?

2021-04-21

anond:20210421171641

そもそも外圧が起きてないし、今後もほぼ起こりえないので意味のない仮定だとしか思えませんね

もちろん欧米諸国中国のように私企業権限を奪えるような体制に移行するなら別ですが、それは自由民主主義資本主義の敗北を意味するので本末転倒だと思いますけどね

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想

この記事が注目を浴び、多くのブコメが集まっている。

"カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ"

https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b

まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼定義リベラル定義の困難さ、特に現在日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラルであると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトポリティカルコンパスでは、

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

61.1% 左派, 72.2% 自由主義者

という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である混同している人は気をつけてほしい。

そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。

まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論フェイクニュース似非科学歴史改竄代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。

たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党本来ワクチン否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政要求したりしてきた。しか副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しか現在出ている科学検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。

この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判原告団体については、補償範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告支援する左派政党や団体に共通する問題として挙げた。

しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。

"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思いますリベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快ものかもしれません。

しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"

ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。

シグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。

語ることがリベラル専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的文学芸術を愛する少数のインテリ世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリ傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚発言だとは気づいているのだろうか。

シグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

自由民主主義」の社会享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。

日本左翼をやっていると、自分投票した候補者当選することも少ない。民族的性的、その他さまざまなマイノリティ権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界いか存在認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動第一歩になる。言うまでもない前提だ。

上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者多様性重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。

また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家ブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。

しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティ運動の中などでは特に当事者が自ら語ることを重視する。当事者心中を非当事者想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想立場の違う作家いかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。

その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステート洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。

シグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論原則としては全くその通りであるしか現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論ヘイトスピーチへの対処現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラル原則現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。

"「トランプ陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"

https://finders.me/articles.php?id=2529

私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。

また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外から解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報さらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象特に感情からまなくも起きる。平凡な思想感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論フェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。

ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本記者によるものさえある。

"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html

シグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。

続きはこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213813

2021-03-02

id:muchonov さんは嫌いと規制混同していませんか?

anond:20210302093544

偏見という根拠のない前提は止めませんか?

「(内心で)嫌う自由」と「(偏見に基づいて)嫌いだと口にする自由」は全く別のことだよ。

もとの文章には偏見にもとづいているとは書いてありません。「マイノリティを嫌いになるのは偏見しかない」とmuchonovさんも偏見に基づいているのではありませんか?「増田さんの嫌いは偏見だ」と根拠のない前提をおけば、増田さんに対して、偏見を口にするなとmuchonovさんは言えますが、増田さんの心には届かないでしょう。

根拠な「嫌いと公言=黙らせる」「嫌いと公言差別」という置き換え

増田は「私の自由規制されている、私を規制するな」と主張するけど、「偏見にもとづいてマイノリティを嫌いだと公言する自由をよこせ」というのは「彼らを黙らせる自由、彼らを抑圧する自由をよこせ」と言っているのと同じなんだ。

なぜ同じなのでしょう?誰かひとりからでも嫌われているなら、彼らは黙らなければいけない、という掟があるのですか?

容姿に恵まれない、知性に欠ける、収入が乏しいなど、人は簡単に嫌われますが、これらに関して嫌いを公言するのも、muchonovさんにとってはダメなんですか?

で、自由民主主義社会価値観のなかでどちらが優先されるべき自由かと言えば、〈誰かを公に差別する自由、嫌いと表明する自由〉よりも、〈誰かが(他者の同じ権利侵害しない限り)自分自身として存在できる自由本来のかたちで生存する自由〉のほうだ。

差別と嫌いと表明することは、違いませんか?

過去コメントから

muchonovさんはあるコメント

ここ重要批判規制>「左翼リベラル派の中で、最近、「問題だと思われる表現」に対して、それを批判していくことと、表現規制することが混同されてしまう傾向が出てきていて、正直かなり気になっていました」

と書いています。「嫌い」は批判と同じように規制ではありません。増田さんは嫌いだから規制しよう(規制する社会にしよう)とは書いていません。この重要な点をmuchonovさんは無視して、嫌いと規制混同していないでしょうか?

このコメントでmuchonovさんは

自分はチキ氏と逆で、他大の院から成城大学大学院博士課程に行きました

と書いています大学院学問を修めたのであれば、自分の主張に便利な前提や置き換えを使わず説明し、自分重要と考える点を踏まえたほうが良いのではないでしょうか?

増田は2つの「嫌う自由」を混同してるぞ

増田文章の中では、直結させちゃいけないこと、混ぜちゃいけないことが色々と混ざって、飛躍した結論を導いてるけど、社会的少数派を「(内心で)嫌う自由」と「(偏見に基づいて)嫌いだと口にする自由」は全く別のことだよ。

まず、女性男性について。「男性なのにクネクネしていたり、男性なのに女性みたいな服装をしたりしているのはどうしても受け入れられない」。非典型的ジェンダー表現所作を身に付けた男性ゲイだとは限らないし、ゲイがみんなそうしてるとも限らないけど、まあとにかく増田はそれを気持ち悪い、受け入れられないと思っている。で、それが「わたしが彼らを嫌いだということも認められるべきだ」と繋がる。主観として何かを気持ち悪い、受けいられないと「思う」ことと、他人(その中には当然、LGBT人達いるかもしれない)に向けて彼らを嫌いだと「言う」ことは全然別だ。

次に、アフリカ系の男性について。「わたしは正直に黒人男性が怖い。体も大きいし、意思の読み取れない表情も怖い。黒人男性を怖がる自由わたしにのこされているのだろうか」。それが偏見に基づいている感情だとしても、増田が何かを怖いと感じること自体規制する方法はない。その意味増田は「黒人男性を怖がる自由」を持っている。でも、「黒人男性は体も大きいし、意思の読み取れない表情も怖いから、彼らが嫌いだ」と公に「言う」ことは、それとは次元の違う話だ。

「思うこと」と「言うこと」は全く違う効果を持つ。特にマジョリティマイノリティに対しての嫌悪や恐怖を公に「言う」ことが当然のように許されたら、増田の言う「差別のない世界」=「誰もが当たり前に存在して、誰もが当たり前に自分に正直でいられる世界」は成り立たない社会的多数派が少数派を「クネクネしてて気持ち悪い」とか「表情から意志を読み取れない」から「嫌い」だと公言するのは「私たちあなたたちがこの社会の中で当たり前に存在することを許さない」という価値観の表明で、それは彼らに対する抑圧に直結する。

増田がそういうことを公言し、それを誰もが咎めず暗黙裏に合意するような社会空間では、たとえば本当は女性的な所作表現も交えつつ生活したい男性(繰り返すけど、それがゲイとは限らない)は、本来自分がそうしたいと思っている振る舞いを抑制したり、(ゲイやMtFTSGなら)セクシュアリティ性自認を隠さなければならなくなるだろう。これは明らかに「誰もが当たり前に自分に正直でいられる世界」じゃない。

増田は内心で思っていることを「言わない、言えない」という状態が著しい自由の制約だと感じているのかもしれないけど、世の中には「自分が何者なのか隠さない」という自由すら持っていない人達がいっぱいいる。増田は「私の自由規制されている、私を規制するな」と主張するけど、偏見にもとづいてマイノリティを嫌いだと公言する自由をよこせ」というのは「彼らを黙らせる自由、彼らを抑圧する自由をよこせ」と言っているのと同じなんだ。で、自由民主主義社会価値観のなかでどちらが優先されるべき自由かと言えば、〈誰かを公に差別する自由、嫌いと表明する自由〉よりも、〈誰かが(他者の同じ権利侵害しない限り)自分自身として存在できる自由本来のかたちで生存する自由〉のほうだ。

から増田は、社会的少数派を偏見に基づいて「嫌いだ」と口にする自由は制約される(ヘイトスピーチ法/条例抵触する範囲では法的に制約されるし、そうした見解批判する立場から言論によって---増田が「周囲から攻撃を食らった」ように---社会的に制約されることもある)けど、彼らを内心で嫌う自由はある。マジョリティ100%保障されたその自由を、存分に享受してほしい。それって、すごい特権だと思わないか だってマイノリティにはさまざまな社会的抑圧や差別によって、内心ですら自分自身を100%受容・肯定することがままならない人達もたくさんいるんだぜ。

最後の「「嫌いだ」と口にする自由は制約される」のところに少し追記しました。


anond:20210301102544

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