はてなキーワード: 自己暗示とは
http://anond.hatelabo.jp/20090313153918
自分が左寄りだと認識した上で自分の考えを言うのなら嫌いじゃない。そういう人は相手と摩擦が起こらないように話し方に工夫をするしな。でも、そういうことを認識しないまま、左寄りな意見が世論そのものみたいに考えちゃってる人がいるような気がしてならない。
これはもう、「俺はサヨクである」という強烈な自負をもって活動的ブクマをしている人たちに他ならない。
快不快のみで物事を決定して動物的にコメするネトウヨに対して、はてサは「今までの経験から鑑みて、『はてサ』ならこう言うだろう」というある程度計算に基づいたテンプレ回答を返してくる。なぜはてサにはそのような打算をせねばいけないのか。
それはつまるところ、2chウヨとはてサの誕生する過程の違いなのだ。
匿名はリアルより簡単にマジョリティを演出できる(もちろん一人や二人では無理だけど)システムだ。
「空気」さえ作ることができれば後は楽勝だ。
ゲームやお笑いを餌にして、イノセントなおガキ樣を釣れば教化は八割完了したようなもんだ。
しかしだからこその問題もある。名無しである以上、彼ら自身のグループの中から可視的オピニオンリーダーを選ぶことは難しいのだ。
彼ら自身が識別可能な唯一の仲間、それは自分自身に他ならない。
大多数の仲で、浮き彫りとなってエンファサイズされた己の存在を認識した瞬間、ネトウヨの中で記憶と認識の捏造が生じる。
「みんなが言ってるから正しい」という受身な姿勢から「俺の主張にみんな賛成してくれている。俺は正しい!」という世界の中心で俺を叫ぶ姿勢への転換だ。つまりは自意識の発露だ。なるほど、ネトウヨが十代にウケるのも道理かもしれない。
「己に対するトートロジカルな自信」と「圧倒的な(と自分では思ってる)賛同者数」。後者の権威は強固だ。非難しても揺らいだのかどうかすらわからない。だが、その存在の曖昧さが不安を覚える者だっている。奇妙な盲信に嫌悪感を抱き反発する若者を、ひいては血気盛んなマイノリティを生み出す。では、そんな怒れるはみ出し者たちはどこへ行くのか?
はてサは生まれついての少数派だ。
まず、母体となるはてなー自体の数も2ch比べて圧倒的に少ない。
宗教法人よろしく信者数の捏造なんてできない。数では自信が持てない。
ではどうするか。はてな特有の武器はあるか。idだ。ではidをどうやって使う?
馴れ合いに、だ。
匿名文化には生まれ得なかったオピニオンリーダーたちを輩出させ、
そいつらに"繋がらせる"。そいつらと繋がらせる。
それにぞれに対応した権威付け方法がある。
つながり乞食の相互確認手段でしかなかったはずのこれらの馴れ合い手段。
しかし外から見た人間たちは誤解する。「ああ、こんなに人気があるのか」と。
「言われてみれば、正しいような気がする。面白いような気がする」
数が生まれる。決して人数は多くない。だからこそ徹底して教育してやる必要がある。
その教育施設として最も悪名高いのが「はてな村」と呼ばれる場所だ。他人の揉め事ほど面白いものはない。
エンターテイメントを売り物にする点ではそうはてサとネトウヨの手管に違いはない。
対岸の揉め事やネタを通して、信徒は論者たちのキャラに対しての理解も深め、やがては親近感を覚えるまでに至る。
畏怖憧れ尊敬同調蔑視性的好意その他様々なものが交じり合って人と人の結びつきは強くなる。(そのほとんどは「自分が一方的に深くつながってるつもりなだけ」だけど。だからオフ会で「お前は俺のことご存知だけど、俺はお前を存知ねぇよ」的なエピソードがばんばん出てくる)。はてサにとっての正しさとはつきつめれば「俺が信頼している○○さんが正しいから正しい」だ。信頼に強調打ってもいい。信頼
そして、敵がいる。ウヨにとっての在日だとかアカだとか、そんなヒキコモリにとっては想像上の生物でしかないよーな敵ではない。もっと卑近である種の親近感を覚えやすいやつらだ。ワンクリックでアクセスできるご近所さん。2chねらーだ。
はてなーは大抵2chからの流民だったりする。自分が前に所属していたグループを見下すほどの快感はこの世に存在しない。
そこからつまはじきにされた元いじめられっこなら尚更だ。
「尻の青いがきどもめ。貴様らはまだそんなところに這いつくばっているのか」
人はそれを高二病と呼ぶ。
はてサにとっての教化はまさにこのステージへの移行をもって完了とする。
あとはその状態をいかに維持するか。単純だ。延々とネトウヨをクソがきと馬鹿にしておけばよい。
そのためにはまず強力に「俺ははてサである」という自己暗示をかける必要がある。
だから彼らには"そういうこと(はてサであること)を認識しないまま~"というのは当てはまらないし、有得ない。
そう、はてサは常にネトウヨの存在が前提にある。自然、態度は後出しじゃんけんにならざるをえない。
"嘲笑"は彼らにとって義務だ。"ねちねちしたコメにスターをつける"のも同様。
互いに即座に代わりが聞かない存在である以上、仲間内で権威付けをしあわなければいけない。敵を貶めなくてはいけない、"摩擦"を起こせ。
ブクマコメがテンプレ的になるのも、コメ対象となる「問題」に常に「正答」が存在するからだ。はてサとしての100点回答が。
一億と二千回繰り広げられてきた問答で先輩たちが血を吐くような思いでひねり出してきた知識のリサイクル。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
新しいものを作りたければ、ワシを乗り越えてからにせぃわっはっはっ。
と言うわけで、老害の反論こそが
「排除の団結」ではなくどうか「一致の団結」
かなぁと思っているので
http://www.technorch.com/2008/12/134--.html
2. 自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
の順で応答します。
1.
んー、言い方が悪かったか。伝わっていないようなので素直に謝ります。ごめんなさい。
「若さ」という「不可避の理由」
とあるように、年齢に関わらず、「全人類はバカ」なんだよと言う話です。
まぁ、無知に対する絶望とか、無知の知だぜぇとかいう自己暗示的なハッタリだとか、
感覚を殺していく作業とかだけじゃ人間は生きていけないから「カーニヴァル」が必要なんだけど、
毎日牛追い祭するんじゃねぇぞってことです。
鬼ごっこの楽しさという青さはそこまで否定されることなのでしょうか。私はそこがどうしても納得がいきません。
ジュリ扇(ジュリアナ東京の扇子)持った荒木師匠とか青田典子がジュリアナ復活祭で
コンプレックスがないジュリアナの遊び人(引用元は「オタク」)というモノがどれ程強烈な熱狂を産み出すのか
とかマジ顔で言ってたら違和感感じませんか?「何でも切り捨てるのイクナイ!」とかは百も承知で、
ある程度「歴史」という大きな視点で物事を判断するようにした方がいいよって話っす。
(萌芽を秘めてるかもしれないシーンでも悲観的であれということではなく、熱中しつつも頭の片隅はクールにねってことで)
デンパに限らず、クラブが楽しいのってカラオケBOXが楽しいのと同じ理由だと思ってます。
暗い部屋でかわいいおねぇちゃんと酒飲みながらオイオイやってりゃそりゃ楽しいって、と。
初カラの友達に「合唱でもオペラでもないこの感じ。機械による空オケという代替可能性。これぞ!」
とか言われても「ふーん」ですよね?まぁ、音楽の消費形態が変わったとか言えちゃうけど、この文脈じゃないのでパス。
「マックはガチでうまいんだからジャンクって言うな!」って言われても、
よつば父のように「体に悪いから週に1食だけだぞぉ」としかいえないっす。
yuaaa 全然関係ないけど、ジャンクフードってうまいんだよあれ。そんなんだから病気になりやすいんだけど。
inumash クラブ・カルチャーの本質は“バカで軽薄”以外の何者でもないので、ここは素直に居直っちゃっていいと思うよ。「感動」とか言ってると卓球に笑われちゃうぜ!
この程度の意味合いです。
(例証として挙げますが、2 Many DJ’sの開き直りには迫力すら感じています)
http://www.higher-frequency.com/j_database/dj_producer/2_many_djs/index.htm
http://jp.youtube.com/watch?v=tGBaBast1KU&feature=related
私そして彼らの感動は本物です。
まぁ、さっきも言ったけどマックがうまいのは真実っす。たまに食いたくなるし。
そう感じるように味付けしてありますし。2ちゃん的に言うと「27時間テレビ乙」「オウム乙」という斜め上からの視点。
(音的に新しい/新しくないよ論争をしたいんじゃなくて、頭の片隅はクールでいてくださいねという話です)
2.
しかし「自意識の段階が低い」から「超ライト」であるから即ち「低レベル」だとは言えないのがこのイベントの面白いところです。
「自意識の段階が低い」から即ち「低レベル」とは俺も言ってねぇっす。
「自意識の段階が低いよね」とは言ってるけど。
(ついでに言うと、嫌な言い方かもしれませんが「若いってそういうことだよね」とも言っています)
(知識たんねぇんでやんのプギャーとは言っていません。思ってもいないからこそ、こうやって時間割いて書いてるわけで)
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eventに関して感じたこと
【DENPA!!! 第八夜】 DJ TECHNORCH (HD)
http://jp.youtube.com/watch?v=aO4VTW2REOc
↑みてすぐに思ったんだけど、
それこそ東氏の言うところの「順列組み合わせ」かなぁと。
オシャレにもオタにも属性があってそれこそ「ビート」で踊りたい人が集まって…。
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[オタク]DENPAが従来のコスプレダンパ文化とどう違うのか誰か教えて欲しい
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20081221/denpa
違いと言うわけではないけど、因数分解した方向性の先には
乱痴気っぷりだとやはり日本最強は・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=KmwEUHIRgh0
SCHIUMA PARTY @ AMNESIA IBIZA
「ビート」が身体に与える影響だと・・・
x-dream @ karahana
http://jp.youtube.com/watch?v=Q-vTZLAkNk8
Chance2Trance - psytrance party 9.7.98
http://jp.youtube.com/watch?v=Rbv_uRMlOo0
Karahana 1997(←間違い。gathering2002)
(人の多さ=多様性。あと、群集後方は遠すぎて「ディスク・ジョッキー」というキャラを消費できない)
takkyu ishino(denki groove) love parade '98 berlin
音声は
Dimitri from Paris - Love Love Mode long version
http://jp.youtube.com/watch?v=zYT8whXO_sk
Ishkur's Guide to Electronic Music
のhardcore-harddance-happy hardcore あたりか?
ハードコア/ハッピー・ハードコア/ナードコアあたりには詳しくないす。すまそ。
RAINBOW2000 @Mt.FUJI 1996 石野卓球
http://jp.youtube.com/watch?v=4tAnu_Mh7bU
Underworld - Born Slippy (Nuxx) [Everything, Everything]
http://jp.youtube.com/watch?v=sWv2juM01T0
Underworld - Rez [Everything, Everything]
「DENPA!!でやってることなんて、もうすでにやったしwwww」とかじゃなくて、
今ある技術とか音楽はそれこそ「歴史」の上に積み重なっていて、
歴史が偉大であったからこそ(日本の)おっさん連中は乗り越えられなくてもがいてるわけで。
「手を取り合っていくべ」と言うことで、資本と才能の相乗効果で生まれたモンスターたちを紹介してみた。
やはり、さいごは、
新しいものを作りたければ、ワシを乗り越えてからにせぃわっはっはっ。
ですかねぇ。
(一応追記。なにも本気で「乗り越えてくれ」とか思ってるわけではなく、
カルチュラル・スタディーズ(大二病)の残りカスみたいな文脈で「ジャパニメーションはすごい」
とか「輸出できる唯一のコンテンツ産業」とかの変な空気感にはご注意してくだせぇという意味)
(もいっちょ追記。個別名は避けるけど、「焼畑」な甘言にご注意ってことで)
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おまけ
RAINBOW2000 @Mt.FUJI 1996 COSMIC GROUND
http://jp.youtube.com/watch?v=8lAuiR4XDIA
VITAMIN Q 1997
http://jp.youtube.com/watch?v=KteYe7IBxl4
http://jp.youtube.com/watch?v=bQ5Y7ririMw
8/25第27回浅草サンバカーニバル 仲見世バルバロス
http://jp.youtube.com/watch?v=G9I2plGM1HY
http://jp.youtube.com/watch?v=W2w7JiOFxpc
http://jp.youtube.com/watch?v=-PXKa5LS51g
Amazing African Dance Group choregraphy with Djembe druming
.
ダイアリーのほうは訳あって閉鎖中でね。
お前らさあ、これまでの人生で、新しい環境に足を踏み入れたことって何回もあるでしょ?
そこで、「全員の」男と仲良くなれたか?
嫌いなやつ、ウマの合わないやつ、何人もいなかったか?いただろう。(反語表現)
でも、そういう「合わない」奴らと仲良くできなかった、嫌われたからってそこまで落ち込んだか?
いや、落ち込む人間も中にはいるかもしれないが……
別に、他の男と友達になったりすればいい話だろう。
さて、これが対女となるとどうだお前ら。
そのコミュニティに属する「たった1人の」女に邪険にされた、
ひどいときには「仲良くなれなかった」からって、異常に傷ついてないか?
「俺はもてないんだ」とか自己暗示をかけてないか?
全員の男と仲良くなれないことなんてザラにある。いはんや全員の異性をや。
「いけそうな女にだけアタック汁」とかいう助言がよくあるが、あれは要するに
「合わない女に冷たくされたからってショックを受けるな」ってことだからな。
え?「全部の女に冷たくされた」って?
ドンマイ。
煙草をやめて1年が過ぎました。
煙草をやめるコツと、吸う前と後で変わったことを自分なりにまとめてみます。
9年くらいの間、2日に1箱くらい。ライトスモーカーなのでいつでもやめられると思いきや、意外と大変。ちなみに一度挫折してます。このときは禁煙する意思自体が余りなかったというのが主因ですが。
では早速こつを。
何故か僕は人からネタにされやすいタイプなので、禁煙してるということをしばらく人に言いませんでした。これが思いのほか効果がありました。他人は自分が思うほど煙草を吸ってるのかなんて気にしないものです。特に周りが非喫煙者の場合は喫煙者が煙草を吸い出すタイミングというものが理解できないため、煙草を吸わない自分をナチュラルに受け入れてくれます。
公言したのは2ヶ月ほどたってから。このタイミングまで禁煙を気付かなかった同僚もいました。このくらいまで経つと禁煙をネタにされても余裕でかわせます。
吸わないというルールにする。もともと自分で決めたルールを破ることに嫌悪感を持つ性格だったので、健康に悪いとか、お金がかかるとかではなく、単純に吸わないという「ルール」を設定しました。これで飲み会で煙草の煙がもうもうとしていても自分には関係ありません。しかしこれが後述するフラッシュバックに繋がります。。
そう。禁煙は起きてる時だけでなく、寝ている時も続きます。煙草をやめてから1週間ほどしたら夢の中で煙草を吸っていました。あわてて起きて夢であったことに安堵していましたが、この夢は禁煙してから10ヶ月くらいは定期的に見ました。自己暗示をかけるように禁煙のルールを決めているからか、吸った時の罪悪感はリアリティがあります。
とはいえ、そんな夢を見るたび最初は慌てていましたが、そのうち夢であることに気がついて動じなくなります。
禁煙すると嗅覚が鋭敏になります。というか、元に戻るんでしょうね。結果として食事はおいしくなります。香りの強い旬の野菜のおいしさを噛みしめましょう。おいしくなったフルーツと野菜を多くとり、煙草をやめることで肌つやも良くなりました。
体を思いっきり叩きました。SMのスパンキングの要領です。より強い刺激でかき消します。禁煙中ずっと吸いたくなるわけではなく波があるはずです。要はその波をさらに大きな波で飲み込んでしまえば問題ありません。ないったらない。
煙草を吸っていた頃は寝起きに煙草を吸いながらだんだん覚醒したのですが、その必要は無くなりました。相変わらず二度寝は続きますが、寝起き自体はすっきりです。
禁煙者は、喫煙者と非喫煙者の気持ちを両方とも体感しています。僕はもう二度と吸うことはないでしょうが、禁煙のプロセスも含めてなかなか貴重な体験でした。よく言われる喫煙者は臭いというのは、煙草の匂いで臭いのと、煙草の匂いでごまかされている口臭という二つの意味があると気付きます。特に非喫煙者の方が嗅覚が鋭敏なので、なかなか罪作りな状況ですね。
あと面白いのは喫煙や禁煙は伝播しやすいようで、僕が禁煙すると同僚や部下の子たちも禁煙を始めました。別に勧めたわけではないんですけどね。では皆さんもレッツトライ。増田に広めよう禁煙の輪。
自分は、周りに好きなんでしょ?とか言われて「あぁ、自分ってやっぱ好きなのかな」なんて感じで自己暗示みたく増幅されていく感じかなあw
「嫁に浮気がばれて家を追い出された(T_T)今からそっち行く」
って突然メールが来たwww
あーあww私達の関係オワタなwww
とりあえず「こっちくんな」って送っといた
今すごい動揺してる。
彼は奥さんに、「離婚だあああ!!」と泣き叫びながら包丁を突きつけられたそうだ。
そりゃそーだ。3人目の子供が生まれた日に、20の小娘に中田氏しまくってたんだぜ?
最低な男だ。そしてそんな男に本気で惚れきって、若さを武器にたぶらかしてる女はもっと最低だな。
それにしても奥さんが不憫でならない。何も悪いことしてないのに。
私と同じか、それ以上に彼を愛してたのに。亭主関白な彼のために尽くしてたのに。
毎日おいしい料理を用意して、毎日きれいに掃除洗濯して、3人の子供の面倒も見て、彼の身の回りの世話もなにからなにまでしてあげてたのに。
「浮気じゃないだろうか、いや疑うなんて彼に悪い、きっと私達のために一生懸命仕事してくれてるはず」とか思いながら、
そんな疑念を振り払うために家事に没頭したり。全くの想像ですけど。
包丁の向けられた先は彼ではなく、彼の中の私だったんだろう。
今は私を憎んでるというよりは、生理的な気持ちの悪さを感じてるんじゃないだろうか。ゴキブリに対する嫌悪感と同じ種類の。いや別に私が自分をゴキブリ以下の存在だと卑下したい訳じゃないんだけど。いやしたいけど。でもなぁんの意味もないよねぇー。
ひょっとしたら幽霊に近い恐怖かも知れないね。なんでバレたのかは知らんがメールでも見られたんじゃないの。あーだとしたら私の顔も見られてるかも。まあそれはともかく、彼女には限られた情報しか渡ってない訳で、彼女にとって私はすごく得体の知れない存在のはずだよね。うわあ怖い。気持ち悪い。誰だお前は!?ってふつーは思う。
3人のお子さんも、両親のただならぬ雰囲気を察して怯えてるだろう。今日土曜日だしね。包丁見ちゃったら確実にトラウマだよね。大きい子は中学生だから、なにがあったのか感づいてるかも。
4人の家族はなんにも悪いことしてないのに。あまりにも可哀想すぎるよね。
彼も彼で奥さんに小さな不満はあったんだろうが、まーこれはちょっとひどすぎるね。とにかく今の私には、彼が反省して私と別れ、家族を本当に愛してくれるよう祈るしかない。
じゃあ私の話をしよう。お前らこっからが本番だぞぉー。
上の話は罪滅ぼしのつもりかなんかだよね。こんな話をしたところで許される訳でもなんでもないのに、ていうか私は言い訳をしたいだけなんでしょ?
増田で懺悔したらなんかいいことでもあると思ってるの?叩かれるだけですけどwwまあでも私ドMだからねー。叩かれたいのかもしれないね。
私は未成年のうちに飲酒喫煙をしたことがない。信号無視は出来ない。当然万引きやチャリパクったりとか出来る訳もないwww
校則違反も出来ませんでした。とにかく、世間の規則を破ったりタブーを侵したりして、非難されるのがすごく怖い。「悪いこと」が殆ど出来ない。
だからと言ってそれらの「悪いこと」が平気で出来る人を嫌ったりとかはなくて、むしろへーすごーいうらやましーいって感じ。
そんな頭の固い人間が不倫って超予想外。そもそも私には長年付き合ってる彼氏がいて、一生そいつだけを愛して生きるんだと思ってた。
あとね、私は、人を非難することが出来ない。どんなことをされても、申し訳なさそうな顔で「ごめん」と言われたら、許さざるを得ない。
そんな感じで当時の彼氏に私は使われていた。いや、彼は悪いやつじゃあないんだぜ。でも無意識に私を頼って、使って、振り回してたんだよね。私がにこにこ笑って、なんの文句も言わないから。
私の不満は溜まっていったよ。それでも文句は言わなかった。最初はよく言ってたんだけど、彼も彼でちょっと頭が悪くて、私の指摘を理解することが出来なかった。数年後に「あの時言ってたことが今分かったよ!あの時はごめん!」とか言われたりするんですが、まあその頃は私がちょっとやんわり文句を言うだけでもすぐキレられてたので、私はぜーんぶ妥協することにした。それがいつしか習慣になり、自然にドMに調教されていったりとか。
まあでも不満は募るわけ。ごくごくたまーに人に愚痴ると「その扱いはねーよwwwやばいから今すぐ別れろ」とみんな口を揃えて言いました。私もこれはやべえと思ってたけどでも、彼とこれからもこのまま付き合ってれば、「次の人」を探す必要がないじゃない。とにかく自己評価が低いので、私を愛せる人間は彼以外いる訳ねーよと思っておりました。
そしてこの不倫男ね。この人は私の一回り以上年上。個性と才能を強烈に持った人で、ずっと私の憧れでした。ストーリーを作ったり絵を描いたり、まあヲタ業界なんですが。でも家庭があることも知ってたし、私にとっては手の届かない、雲の上のような存在でした。
で、あるとき「今度作る話の登場人物のモデルにしたい。君の事色々教えてよ」と言われ、私歓喜。憧れのあの人とお近づきになれる!!でもねーそもそも私は、ヲタ丸出しで友達もロクに作れなかったし、自分のことを誰かに話すことが全然出来ない子だったんだよ。精神科医にも言えなかったんだぜ?お前病院通う意味ねーだろっていうwwww
うんメンヘラだよ。でもなんだかんだ言ってみんな夜寝るの苦手なんだろ?仲間なんだろ?え違うの?まあいいや。
とにかくね、普段全然人と話すの苦手な癖に、多分誰かに自分を知って欲しいって気持ちは強くて、このときは「いいシナリオを書くためだから!」という大義名分を脳内で繰り返し、とても饒舌に自分の生い立ちを話したのだよね。親について、友達について、学校について、彼氏について。
まあなんかそしたら自分自身でもなんか自分を見つめなおしてしまい、話しただけなのになんか色々自分のことについて気づいたりしたんだよね。なんという名カウンセラーwww
そして彼は私の必死ぶりを見て「こいつ確実に俺に惚れてるじゃねーかwww」と気づく。憧れだけど実際はかなり前から惚れてたんだね。でも私には彼氏もいたし不倫なんぞしてたまるかwwっていうのもあったし、好きとかじゃないから!違うから!と無意識に自己暗示をかけ続けていたのであった。
しかしその後、私は彼の誘いにホイホイついていって、寝た。ちんこでかかった。「そんな冷たい彼氏より俺の方がいいだろ」とか言われて、まあ一夜限りの関係だしwwセックス中だしwwとか思って「うん(*'ω`*)」って言ったらいつの間にか恋人だということになっていた。おいおい待てそれはまずいだろ、ていうか恋人ww愛人の間違いだからwwって思っても、だって私優柔不断だしかなり好きだったし!言えなかった!それに据え膳食わぬは恥って言うじゃん?だめ?どう見てもテラビッチですよねーwww
それでね、気がついたらお互い本気で恋愛になっていた。私は長年付き合った彼を捨てた。これは未だに正しかったのかよく分からない。
ピル飲んでたので、度々お泊りして中田氏し放題。でもね、男性諸君、ピル飲んでる子とするときも出来ればゴムつけたほうがいいよ。性病も怖いし、ピル飲み忘れてたらどうしようとか、どうしようもなく怖くなるから。彼がどう思ってたかは知らんが、私はおmんkから垂れる精液を見る度にどうしようもなく恐ろしくなった。
それでも彼に頭を撫でられたり、腕枕してもらうのがたまらなく好きだった。
私、多分大人にあんま褒められてこなくて、叱られてばっかりだったんだと思うんだよね。親の愛に恵まれなかった子よりはマシなんだけど、だから年上の人に褒められたり愛されたくなって、憧れを持っちゃうんだと思う。中学生のとき、先生に変に憧れを持ったりしたけど、それもそういうことだったような。今思うとねー。
もうコンプレックスを埋めるためだから、必死。べったべたに甘えてた。彼が引くぐらい。でもそんな私をますます可愛がってくれて、嬉しくて仕方なかったなあ。
でも、彼は私と会うとき以外はずっと指輪を身につけていた。たまに指輪を外し忘れてて、その左手を見る度に私はそのまま線路に飛び込みたくなった。
まあなんかそんな感じで、愛されるのが嬉しくてたまらない反面、尋常でない罪悪感に苦しめられることとなった。
そして今日ね。そうかあ。別れるんだなあ。突然で心の準備出来てないよ。
でも、いつこうなってもおかしくなかったんだよね。
本気で愛しちゃってたなあ。辛いねえ。
でも奥さんはもっと辛いんだよねー。
私は心底私に死んで欲しいが、本当に死ぬと奥さんを傷つけてしまうことになるよね。だから出来ない。
奥さんには幸せになって欲しい。
私には地獄に堕ちて欲しい。
地獄っていうのは罪人のためにあるんだろうな、多分。死後の永遠の苦しみが手に入れば、罪が軽くなったような錯覚を受けることが出来る。
それにしても私ってば、なんという喪女+ビッチ=メンヘラ女≒ヤンデレwww
全く、明日からどうやって生きよう。
なんかなんにもないって感じー。
mixiに書いたものなんだけど、大学院を中退しました。に触発されて、公表してみたくなった。
(一部加筆・修正)
最近転職を考えているんだけど、院中退というポジションはいろいろとめんどくさい。
長い間入院していると、世間的なお金の感覚というのが分からなくなるので、去年仕事を見つけるときも、世間的な基準から見たら年相応の年収からは相当安い月収で履歴書を書いた。
当時としては、社会人経験もないことだし、仕事上のスキルもないわけだから、このぐらいの安月給から始めないと仕事は見つからないだろう、と思っての求職活動だったのだけれど、実際に仕事を始めてみると、たぶん院に進学する人種というのは学習効率が非常に高いので、仕事上のあれやこれやについての飲み込みや吸収はとても早いということを自覚するようになった。そうすると、自分の中に「こんなことなら安売りするんじゃなかった」的な気持ちが出てくることになる。
もちろん、そうしたポテンシャリティなんてものは求職中には分かるはずもなく、気づきもしなくて、結局なんか労働力の大安売りをしてしまったのだし、そうでもしなければ社会人経験のない30男に就職先なんて見つかるわけがないんだという暗示にかかっていたのでしょうがないことだと思う。企業だって、安く買いたたけるものは安く買っとけみたいな気持ちで採用したのだとも思うけれども、でも実際に仕事を始めて仕事を覚えていくと、どうにもこうにも当初の給料とは釣り合わなくなってくる。で、年一回の昇給分を考えても釣り合わないので、転職を考える、ということになってしまう。
なんかね、退院して一般企業に就職するというとき、なんかワンクッションあったほうがいいと思うのですよ。「院卒は社会人経験がないから役立たずだ」みたいな世間に流布した言説に毒されてしまうと、結局自分のポテンシャリティを見失ってしまって本当の役立たずになってしまいかねない。たぶんだけど、対社会ということを意識した場合、院生の自己評価というのは、同世代の社会人と比べた場合、かなり低くなってしまうんでは、とも思う。
ついでに大学院に希望することとしては、抱えた院生の全員が研究者になるなんてことはどう考えてもあり得ないことなので、博士課程の院生に対しては、後の一般企業での職務に就いた場合の自分のポテンシャリティというものを十分に自覚できるようなソーシャルスキル・トレーニングをカリキュラムとして取り入れるべきだと思う。そういうトレーニングをきちんとできてれば、「院生は役立たず」みたいな妙な自己暗示にかかって自己卑下をすることもなくなるだろうし、適切な年収で適切な職に就くことができるようになると思うよ。少なくとも「社●●●士」なんて誰も知らないような資格を取らせるために、●●調●系の講義を取らせるよりもずっと役に立つはずだ。
↑の記事の趣旨には賛同するものの、内容的には大事なところが欠けているような気がしたので、自分なりに脱大学生ファッションの基本を考えてみました。以下、ファッションオタクでもなんでもないので、ブランドや専門用語のあやまりなどあるかもしれませんがご了承下さい。
ファッションについて考えるときにぼくがいつも念頭においているのはこの言葉です。要は、自分がそうである以上のものにはなれない、ということです。服装は想像以上にその人そのものをあらわしているもので、客観的にみておおかれすくなかれ「お似合い」ではない服を着ているひとってほとんどいないような気がします。
イタイかそうでないかを決めるのは、第一にその場のコードとずれてないかどうかということであり、第二に、本人の自意識の乱れが透けてみえやしないか、ということであると思います。正直、10代のファッションはたいていすごくイタイ。なぜかというと、いまの自分ではない自分になりたいという自意識の乱れがまたまだうまく解消されていない時期だから。そういった迷いが内面のいちばん外側であるファッションに透けてみえるから、こまかいファッションの知識だのセンスだの云々をぬきにして、どうしたってイタくなる。田舎から東京にでてきたとき、東京生まれ東京育ちのひとたちが、大した服を着ているわけでもないのに、妙にあかぬけてみえた記憶があります。それは、彼らはダサい恰好でもダサいなりにさらりと着こなしていて、田舎から出てきたぼくのような「成り上がり」特有の自意識の下品さをもっていなかったからであったと思います。
脱大学生ファッションの根本は、こうした青さのイタさからの脱却にあると思っています。20代もなかばにさしかかれば自意識の問題もほとんど解決が済んで自分を前よりはうまく受け入れられるようになっていることでしょう。一方でまだ成し遂げるべきことはたくさんあって、内側にはより現実的なエネルギーが満ちている。そういった時期の自分にあった、余裕と力強さを感じさせる服装をしていたい。これが、脱大学生の時期の自分のファッションを考えるにあたっていちばん基礎においていたコンセプトです。
夏にはカットソーなりシャツを一枚着て、暑さもやわらぎはじめたら薄手のジャケットを一枚はおる。秋が深まれば冬物のジャケットにとりかえて、寒くなったらその上にコートを着る。冬本番になったらさらにマフラーを巻く。春のきざしがみえたら、マフラーをはずし、日差しのなかにあたたかさも感じられるようになってきたら、コートを脱ぐ。以下、逆順で着るものを薄くしていき、また夏を迎える。男性のファッションなんて、いってしまえば、インナー+ジャケット+コートの組み合わせに尽きる。慣れてしまえば失敗のしようがない。お洒落がわからないの意味がわからない。それくらい、すごくシンプルなものではないでしょうか。この一年のサイクルをぐるぐるまわして、損耗したものを買い替えていきつつ、品目の数を増やしていったり、品物の質を上げていく。
人にもよるかもしれませんが、ぼくは、シャツやズボンなどの服本体には色などのポイントを極力入れないようにしています。色は黒、紺、茶、グレー、白のどれか。それだけでは寂しい印象になってしまうというのは当然のこと。それではどこに力を入れるのかというと、生地の良さと手入れの良さ。シンプルな服ほど生地の良さのちがいがきわだつ。生地にだけは手をぬかないようにしています。日焼けした服や襟がよれてしまった服は捨てる。そうなるともったいないので、普段からネットにいれてあらうなりクリーニングに出すなり、手入れには気をつかうようにしている。シャツには当然しっかりアイロンをきかせる。手入れのいきとどいたいい生地のシンプルな服装に勝るものはないのではという気がします。
下はたいていデニムをはきます。スーツを着なければならないような場所ならほとんどこれでいけるし、スーツを着なければならない場所ならスーツを着ればいい。高級感のあるトップスと合わせれば、気品も十分でる。ただ、これは、「成り上がり」特有の内面の気性のあらさとそれを表現しうる服装のちょっとした粗野な雰囲気を失わずにいたいという個人的な理由にもとずく選択だと思われるので、ひとの参考にはならないかもしれません。
男性ファッションの「色気」担当は小物にあると考えてます。小物の種類としては、個人的に大事だとおもう順番に、靴、鞄、時計、ベルト、眼鏡、財布、アクセサリーなど。服装本体をシンプルにしたぶん、ポイントには小物をうまくつかうよう心がけています。ポイントの種類は大きくわけて、異素材、色、柄の三つ。異素材の代表は皮と金属。仕立てのいいシンプルな服装に皮と金属はよく映えます。色は季節感をだすのに使います。
男の小物でいちばん重要なのは、やっぱり靴。女性に聞いてもいちばんよくみているのが靴ではないでしょうか。そして、靴で一番重要だと思われるのは、やはり、手入れがいきとどいているかどうか。ピカピカに光っていない靴は履くだけ品位を下げます。そんなわけで、靴は同時に二、三足買うようにしています。毎日家に帰れば、最低限タオルで(革靴はストッキングで)全体の汚れをおとして詰め物をして日替わりで違う靴を履くようにする。歩くのが早いせいもあって、以前はシューズなど半年で底に穴をあけてしまうこともあったのですが、最近は二、三足同時に買って履き回しするようにしたので、随分綺麗なまま長持ちしています。
靴選びのコツは個人の趣味なのでよくわかりませんが、シューズではドラゴンベアードやプーマのルドルフダスラー、オニツカタイガーあたりを愛用しています。さすがにこの年になってコンバースははかないようになりました。ドラゴンベアードは一万円代で買えるのにちょっとした高級感や遊び心もあって、友人にオススメを聞かれたときにはこれを推しています。ぼくは今履いているので四代目です。鞄は、ひとつ推せといわれればフェリージをあげます。5万円くらいです。今愛用しているのは紺地に明るい茶色の革の縁取りがついたもので、「どんな服装とも合うシンプルさ」と「それ単品でコーディネートの顔になれるようなキャラ立ち」の双方を求めた結果、その鞄になりました。鞄を買うときにはこの二つのコンセプトをはずさないようにしています。
ファッションの全体感をととのえるためにも、今の自分にしっくりくるようなコンセプトを自分の中で決めておくと、服選びの参照軸になります。たとえば、ぼく自身は、ここ数年来、「リラックス&ラグジュアル」をコンセプトにしています。これは、力の抜けた、余裕のあるたたずまいをもちつつ、それがだらしなさや気の抜けた感じに堕すことのないよう、そこはかとない品位をつねに保つように意識する、ということです。服えらびに際しては、フォーマルな服をみて「これだとかっちりしすぎててリラックス感がないなあ」とか、妙にファッションファッションしている服をみて「これじゃがんばりすぎ」とかいう風に選択肢を切るのに使います。リラックス―ラグジュアルのように、共通点をもちつつ相反する要素もあるような二つのキーワードをならべるというのが、簡単で、しかも使えるティップスかもしれません。ちなみに、大学時代のコンセプトは「インテリ歌舞伎者」でした。どんなものかは想像におまかせします。
男のひとで香水をつける人というのは意外に多くはないようです。が、ぼくは、香水は必ずつけるようにした方がいいと思います。それは、人生のなかでの自分のステージの変化をいちばん敏感に映し出してくれるのが香水だと思うからです。香水をつける意味は多々あります。身だしなみとして、自己暗示として、お洒落に気をつかっているという印象を与えるため、朝、1日の始まりの儀式として、女性に自分の印象を香りとともに記憶してもらうため…。こうした効能からも香水の使用は推奨できます。しかし、やはり、香水をつけることの最大の意味は、自分の人生のステージを確認すること、であるように思います。これは極私的な意見にすぎないかもしれませんが。
大学時代、社会人になってから、その後と、不思議と、つけていたいという香水は変わっていくものです。ぼくは、大学時代はニコスのフォーメンという乳酸系の甘い香りの香水を、社会人になってからはディオールのファーレンハイトという、夏の夜の雰囲気の情熱的な香水を、一年ほど前からは、ディオールのオーソバージュという、一切甘味のない、野蛮な気品を感じさせる香水をつかっています。人生の転機を迎えると、自然に、以前使っていた香水が自分から乖離していることに気づきます。その度に自分にフィットする新しい香水がみつかります。その新しい香水は、香りで与えられた先のコンセプトなようなもので、自分のファッション全体を統御してくれます。
香水売り場に行くのを躊躇する男性も多いと思いますが、実際に香りをたしかめずに香水を選ぶのはよくないと思います。香水選びに前知識は必要なく、とにかく売り場にいって、いろいろかいで、しっくりくれば買う、こなければ買わない。男性が一日に一回つけるのであれば小さな瓶でも一年はもつので、気に入ったものを、あまり浮気せず、気に入らなくなるまで使いつづけるのがよいように思います。
蛇足ですが、香りといえばボールドなどの柔軟剤の効力は意外に大きいように思います。以前つきあっていた女性が、やたら「服からいい香りがする」と繰り返すので、なぜなのかと思っていたのですが、家の洗面所わきにおいてあったボールドをみて「これだ!」と言ってました。なんでも、「男性がてっとりばやくモテるためにはボールドをつかえばいいのではないか。それぐらいいい香りがする」のだそうです。さすがP&G。あちこちのセミナーでボールドの日本での成功譚を吹きまくるのもうなずけます。
服屋に行って店員に話しかけられるのがすごくいやだという人はよくいます。とても勿体ないことだと思います。専門知識をもっているひととの直接の会話ほど役に立つものはありません。むかしむかしの就職活動で学んだことですが、いろいろ聞かれていやならば、逆にこちらから踏みこんでいろいろと質問をしてみればよいのです。専門家はやっぱりいろいろなことを勉強しているし、勉強した成果は話したい。質問をすれば、喜んでためになる情報を与えてくれます。ぼくは、いつも、店員さんとは仲良くなって、最後は名刺までいただくことがしばしです。
店員さんにはいろいろなことを聞きます。このインナーに合うジャケットはどのようなものがありますか?と聞いていろいろもってきてもらって試したり、家にこんな服があるんですけど、それと合いますかね、と聞いたり、今年の流行りを聞いたり、手入れの仕方を聞いたり。本当に彼らはいろいろなことを知ってます。「ベルトは真ん中の穴でとめたときにいちばん綺麗なシルエットになるようにデザインされているのでサイズには気をつけてくださいね」だとか「この服は後ろ側に絞りがはいっているので、前からはわかりませんが、後ろ姿が映えますよ」だとか。
信用できる店員を見分けるこつは、個人的な意見を具体的に挙げられるひとがどうか、であるように思います。たとえば、ある服を買おうかどうか迷っているときには「なにかこう、この服を買いたいと思わせるような、この服への愛着がわいちゃうような、ヒトコエを下さいよ」とか聞いたりします。そこで、たとえば「マニアックなはなしなんですが、このシャツはそでの部分を立体裁断しているので、さっくり一枚はおっただけでも横からみた姿がすごく綺麗だと思うんです」など言ってもらえると、信用できるな、という気になります。あとは、店員とはいえ、そのシーズンのラインすべてを気に入っているわけでもないので、「正直、今シーズンのラインでも好きじゃないものとかってあったりするんですよね」だとか質問をして、こうこうこういう理由でたしかにこの商品とかは個人的には気に入っていないんですよね、などと正直に答えてくれる店員も信用できます。あとは、「このブランドってどういう顧客をターゲットにしてるんですか?」であるとか「この二、三年で景気がよくなったりわるくなったりしましたけど、そのたびにお客さんのファッションへの嗜好で変化したなと思うところとかあったりしますか」など、経営面からの質問もぶつけてみると楽しいし、どれだけまじめに普段から仕事のことん考えている人なのかもわかったりします。女性の店員なら、恋人と服を選びにきたつもりで「これ着て○○に行くとかありですかねー」とか楽しく会話をしながら服を選びます。
これだけ質問したり試着をたくさんしたりすると、買わないわけにはいかなくなるのではないか、と心配される方もいらっしゃると思います。しかし、これがまったく逆で、仲良くなればなるほど別段試着をたくさんしても買わずに済むのです。なぜなら、営業の人間にとって、一個のものをただ売るよりも、一人の顧客と深いリレーションをつくることの方がずっと大事だからです。これだけ会話をして名刺まで交換すると、店員としても「顧客と関係が築けた」という満足感が得られます。だから「ほかもちょっとみてから予算もあわせて考えてみます」と言ったとき、喜んで「またのお越しをお待ちしていますね」と言ってもらえるのです。
実際、ぼくは新宿の伊勢丹メンズ館で買い物をすることが多いのですが、そのときは、上から下までめぼしいものをみてから、予算を考えて買いに戻ります。そのとき、さんざつきあってもらったのに買わずに帰ってしまうお店には、「さっきは恰好いいジャケットをみせてもらったのにすみません。やっぱり今日はシャツを買いに来たという初心にかえることにします。予算的にも今厳しいので(笑)また次のシーズンによろしくお願いします」などひとこえかけます。それで気持ちよく送ってくれない店員はいません。
最初に「外見は内面のいちばん外側」ということを書きましたが、その外見を客観的にみてくれるのは他人です。服装にみょうな自意識がみえかくれすると絶対にあか抜けたかんじにはなりませんが、そういう自意識の乱れほど、他人からみて気づきやすいものはありません。新しい服を買ったときは人前に来ていって、反応をみてみます。ほんとにしっくりいった恰好をしていたら、100%の確率で、二人以上のひとから独立にこちらがら促してもいないのに、「それ恰好いい!」とか「それかわいい!」とかいってもらえるはずです。経験則上、ファッションに限らず、二人以上の人から独立に同じことを言われたら、それは、自分に関する真である命題だと考えてほぼまちがいありません。ファッションとは直接の関係はありませんが、たとえばそれが自分の性格に関することであったりするならば、それを直す努力をしてみる意味はあると思います。
女性と服を買いにいくのは、自分のファッションのなかに新しい要素をとりいれるためのいちばんいい方法だと思います。たいてい、自分の趣味とはちょっとズレたものをオススメされますが、どうしてもいやだと思うのでないかぎり、そうしたひとのオススメに素直に乗ってみて損はしないと思います。最初はちょっとアレだなと思っていた服もしばらく着ていれば「お似合い」になってくるものです。それは、その相手との関係を通じて自分の中の何かが変わった証拠かもしれません。
香水の段のはなしにしても、このパラグラフの話にしてもそうなのですが、「外見は内面のいちばん外側」という理解に立つならば、ファッションとは、絶えず少しずつ変化していく自分の有り様を素直に受け入れ、それを素直にたたずまいの中に表出していく、ということ以外のなにものでもないように思えます。そして、青い時代を終えた20代こそ、余裕をもってファッションというものに向き合うのに最適な時期なのではないかと思うのです。
自分らしく生きようと思って毅然とした態度をとらないと、必然性の面をしてやってくるのは、自分が思い描く選択肢の中でまちがいなく一番つまらない人生。ようするに、自分で当たりくじを用意して引かないかぎり、100パーセントの確率でスカを引かされるようにこのゲームはできているのである。それはどこかの金儲けのうまい人間、一度も会ったこともない人間が書いたシナリオをそれが世間の常識であるかのようにだまくらかされて、つかまされているだけ。
封建制でない社会では、自分で責任をとることを条件に、そのようなシナリオを拒否してもよい。
しかし、最終的に誰かが何とかしてくれるはずだと心の底で思っているうちは、何をやってもうまくいかないし、うまくいかないことを他人のせいにしたがる。凡人というものはそのようにしてできる。
ようするに、本当に好きなことをやる代償として自分の人生の責任を引き受ける勇気がないのだ。ほかに誰が引き受けてくれるのかじつは知らないのだが。
老い先短い人生で一日でも多く鬱々とした日があるというのはまったくもって馬鹿馬鹿しい。それがいったいなんの得になるというのか。そういうことをして自分以外の誰が満足しているのか。
日本では、「いまこれをやっておかないと将来ひどいことになりますよ」というかたちで、親切な忠告めかして、やんわりと、ねっとりとからみついて脅しをかけてくるやましい輩が多すぎる。そういうことをする奴らはようするに他人が自分より面白い人生を送ることに我慢がならないか、たんに金が欲しいだけなので、よけいに腹立たしい。よく外国人が、日本では真綿で首を絞められるような苦しさがあるというが、そういうことだろう。上品に見えてこれは本当に卑しい心根である。
日本に長くいるとそういうことが自然になってしまって、気がついたら鬱になったりしているので、卑しい馬鹿は尻を蹴飛ばしてやらないかぎりどこにも行かないということをときどき思い出さなくてはならない。
http://anond.hatelabo.jp/20070718102914
それは鬱病(大鬱病, Major Depression)ではなくて、回避性人格障害(最近は人権派を恐れるのもあってパーソナリティ障害というか)か、病気だとしてもせいぜい適応障害じゃないのか?精神科は患者に病名を告げにくいから、「軽い鬱のようなものですね」ってとりあえず言っておくのが定石なんだよ。とりあえず「まともな」精神科を受診し(続け)ろ。内科医が苦労人の相談にのって助けてやってる気になって(共依存)掲げてる、本来は心因性の「体の病気を治す科である」心療内科だったり、若い医者が精神保健指定とった程度ですぐにビル開業したクリニックなんかじゃなくな。退職した大病院の院長なんかが開業したビルクリニックなら行きやすいだろ。
Major Depressionならば、5年間も沈みっぱなしなんてことはまずあり得ない。そんなひどい状態なら、体を動かすことすら出来ず一日中無動状態で蝋屈様になっているかしている。単に「やる気が出ない」「色んなことが面倒」「人生に希望が持てない」「そう言えば寝付きも悪いし朝早く目覚める(主に日中に動かない為だったり)」「食欲も無い(主に日中に動かない為だったり)」程度で、鬱病だと自己診断するなよ?そんなの「誰にでもある」ことだ。本当の鬱病エピソードを味わってみるといい。こんなところに文章を書く気にすらならないから。
何度もここで書いてるのだが、婚約者が亡くなって3年目の命日が来ようとしている。正直、この時期になると辛い。
向こうの家族からは「いい人見つかった?」とか「貴方の元気な姿を見るのが私たちの喜びです」と言われている。
が、現実、彼女をつくってもやはりどこかで亡くなった彼女の事を出してしまい前に進む事が怖い自分がいる。
昨日も半年つきあった彼女と別れ話になった。原因は僕が亡くなった彼女の話をした際にひどく傷つたという。向こうから過去の彼女の話を聞きたいというので話したのだが・・。それ以降、何も彼女に言えなくなってしまった。
それと自分でも意識がない部分で彼女を傷つけていた事にひどく落ち込んだ。
常日頃、自分を客観視して、相手の気持を考えたいと意識している自分であったが、やはり無理であった。元々が自己本位な自分だからある意味仕方ないのかも知れない。
一緒に住もうとか「好きだよ」とか何度言われて自分も心の中でも好きなのに一歩踏み出せない現実。その現実から前へ抜け出そうとすればするほど過去の想い出が消えるのが怖くなってしまう。
(それは過去にも書いた)
忘れる事と想い出を秘めておく事が違う事だとは自分でも解っているのだが、無意識の自分がそうはさせてくれないようだ。
前へ向け、前進しなくちゃいけない、過去に囚われるな、未来から逃げちゃいけない逃げちゃいけないんだ!と自己暗示を何度かけたか。
その都度にやはりあの彼女の最期を看取った光景や彼女と遊びに行った場所、空気、肌触り、声、感触。自分の五感に残る全てがフラッシュバックしてくる。
それを記憶から忘却させる事ができない、かと言ってそれを忘れなければ前進できない。
幸いにも今、半年つきあった彼女は精神カウンセリング資格ももっており言葉を聴くと癒される。
ありがたい・・・。
未だに思い出します。
晴れ渡った2月の青空にお父さんが愛娘への想いと闘病を懇々と語ったあの空の青さと春めいた一陣の風が吹いていた時の事を。