はてなキーワード: 自己暗示とは
視界に入るもの全てが、目にとって刺激が強すぎて、というか情報過多だった。
ポスターの字やプリントの題字も、全てが意味を訴えかけてくる。
耳に入ってくる音もそうだ。人の言葉はどれも、バラバラの文法を使ってつむぐ文章であり、頭の中で適切な漢字変換までする必要がある。
学校の先生は、黒板に字を書きながら喋る。私は人の言葉と字として書かれた文章の情報を同時に処理することができなかったので、どちらかを捨てる必要があった。
私は黒板の字を選択した。自分のノートに、自分のペースで、書き写す。チョークの色を変えられたら、こっちも色を変える。筆箱の中にはチョークと同じ色のペンが揃っていた。ただ黄色は紙に書くと見えにくいので、蛍光ペンで書いてから鉛筆でなぞっていた。鉛筆で書いてから蛍光ペンを重ねると滲んでしまうのでそうしていた。
たまに、喋るのがメインで、黒板にはキーワードのみを書く先生がいた。そういうとき、私は、キーワードのみをノートに書いた。話はあまり聞いていなかった気がする。
音に関してもそうだった。全てが耳に入る、ここまではいいとして、それを頭が次々に処理しようとする。
たまたま絶対音感を持っていた私は、例えばクラシックのような音楽は聞くに耐えなかった。これは絶対音感を持っていない人には伝わりにくいのだけれど、絶対音感を持っていると、五線譜に載るようなわかりやすい音の場合、それが「ド」「レ」「ミ」といった風に、言葉として頭が処理をする。つまりクラシック音楽を聞いていると、複数の人が同時に別々の言葉を喋っているように聞こえるのだ。
「ファーミーレードー」「ミラソファー」「レドシラソファミレ」「ラファソラーファソラ」「ソシラソドレミ」こんな感じに。もう、全然落ち着かない。
それから、食事に関しての興味が大変に薄かった。というよりも、周囲の食事に対する興味と、自分の食事に対する興味のギャップがひどすぎて、これには大変に苦労した。
まず、給食の時間になると、周りの児童たちはとても楽しそうにする。献立を気にして、好きなものを多くとる。楽しそうに話をしながら食べて、おかわりまでする子もいた。
一方私は、「食事をする」という行為がそもそも、例えば注射が苦手な子供にとっての注射のように、その度に緊張して、ドキドキして、というかできれば避けたかった。
何も口にできなかったわけではないけれど、周囲がその食事に盛り上がれば盛り上がるほど、自分の食事に対する嫌悪感のようなものが浮き彫りになって、余計に辛かった。
だって、なんだかよくわからないけど食べ物として扱われているその物体を、あろうことか口の中に突っ込んで、歯で噛み砕き、それぞれの味や食感が口の中いっぱいで、それからここが大変なところなんだけれど、飲み込まなければならない。喉を異物が通るという恐怖。嚥下してしまえば、胃という体内の臓器にそれが収まっていく。気持ち悪い。もうこれを元に戻すには嘔吐するしかない。嘔吐はとても怖い。喉をいわゆる汚物が逆流するのだ。胃にこれが残っている限りはその可能性に怯え続けなければならない。なんでこんなことしなきゃいけないの?
そういう私をよそめに、学校の先生は「残さず食べましょう」なんて標語?を掲げたりする。勉強なら、できない子がいても、どうすればいいか教えてくれるのに。体育だって、跳び箱の飛び方とか、鉄棒のつかみ方とか、教えてくれるのに。なんで給食は無条件に「食べれるでしょ?なにさぼってるの?大事なことでしょ?当たり前でしょ?」みたいな顔してくるの。
家では親が「ちゃんと食べなさい」と言う。私は「おなかが痛い」と言って食事を残す。母はがっかりした顔をしたり、呆れた顔をしたりする。結局私の茶碗は、中学に入るまで、幼稚園児サイズだったし、よそわれるご飯もその半分だった。
当時、このように言葉にできたかどうかはわからない。でも、今でもあの感覚は覚えているし、こうして文章に書き起こすことができる。というか、今でもその感覚に陥ることがあるのだけれど、場合によってはなんとか自己暗示をかけて回避する、という術を身につけたので、幾分マシである。
先日ある人にこういうことをなんとなく語ったら、興味深そうにしていたから、文書化してみた。
http://getnews.jp/archives/627737
既卒無職男。名前も知れない大学を出て、4月からニートを続けながら、暑くなってきたのでそろそろ自殺しようと思う今日この頃。
高校生の頃にはすでに僕の人生は終わっていると感じていた。24歳で死のうと思っていた。大学出て、二年ぐらいなら貯金もあるし、少し遊んで、それで死のうと思ってた。
働く気なんかさらさらなかった。大学の求人票や説明会に来てるのは飲食、介護、販売とお察しの業界が顔を揃えているし、それ以外だって良くて中小の営業職、いくら探しても魅力的な会社なんてなかった。もっとやりたいことも他にあった。
だから、就活はしなかった。新卒カードはどぶに捨てた。死ぬつもりだったから。ここ三年ぐらい、死なねばならないって自分に言い聞かせて、自己暗示をかけてきた。声に出して、癖になるぐらい言った。
作家になりたかった。ラノベ作家でよかった。ラノベ好きだし。ある新人賞で担当編集がついたはいいものの、デビューには程遠い。作家になりたかった。クリエイターなりたい病にかかっている。
もしデビュー出来たら、もう少し生きてみようと思ってた。でも、書きはじめた頃みたいな、新人賞に投稿し始めたときのような書いていて、自分の作品にドキドキしたりする感覚がなくなってしまった。妄想が止まらない感覚がなくなってしまった。作家として一番重要な書いていて楽しい感覚が失われてしまった。
僕は多分、作家としてはもう死んでいる。あと2年耐えるのが辛い。もう死にたい。
最近、死にたい病が凄まじいので耐えられない。本当は精神科に行きたい。でもお薬は飲みたくない。書けなくなりそうだから。
少し前までは死を前にした幸福感みたいなものがあった。でも今はまた悲しい気持ちばかりが溢れている。一番怖いのは半身不随とかで生き残ること。これが怖くて飛び込みも飛び降りも決心がつかない。それに痛いのも怖い。縄を買ってきて平日昼間に決行すればまず間違いなく逝けると思うんだけど、失敗が怖い。
おやすみ。
自分は医学部という奴に在籍しているんだが、周りの人間に次のような質問をすることが多い。
「なんで、医学部に入ったの?大変だし、医学部入る頭あるなら他の職業でも稼げるでしょ」
そうすると、実に多くの人間が次のように言うわけだ。
「””親しい人を亡くす等の悲しい出来事””があって、そういった人を救いたいと思って、それで僕は医者を目指すんだ」
絶対に嘘だ。いやその言葉自身は嘘ではないかもしれない。
ガンで死んだ人を目の当たりにして、ガンに罹った人を救いたいから、医者になる?
救えるわけないだろと。それだったら研究者になるべきなんじゃないかと。研究者になれないのは、お前の頭が悪いからだからなのではと。そう言いたい。
それで、私は次のように考えるようになった。
「ああ、この人勉強できたんだろうな。特に理由もなく理系に行って、勉強できたから、とりあえず医学部入ったんだろうな。でもそういう、とりあえずっていうのが恥ずかしくって、大層な理由をこじつけてんだ。そういう自己暗示してんだ」と。
そういう人は案外多いのではないだろうか。
俺もその一人だ。
単調なあえぎ声や非現実的な潮吹きなどに興奮している輩とは友達になれそうもない。
もとより自慰行為には、もっと有意義なやり方があるのにもかかわらず、真っ裸の女をオカズにして欲求を満たすのはどれだけもったいないことか。
きょうは馬鹿な男どもに自慰行為の醍醐味を教えてやろうとおもう。
なにげなくテレビを見ながら、「おっ、かわいいな」って思ったその子を本日のターゲットに決めると、パソコンかスマホを開き、グーグルで名前を画像検索してみる。
グラビアアイドルならばその時点で大量の水着画像が出てくるものの、初々しい女優やアイドルとなると、着衣画像が大半を占めることが多いので、名前の隣にスペースを拵え、「水着」だの「ビキニ」だのと入れて再検索。
するとどうだろう、テレビで清楚な様子をしていたあの子が、胸と股間とを申し訳ばかりに隠し、誘惑するようにほほ笑んでいるではないか!
ほかの誰でもない、彼女は俺に向かってほほ笑んでいるのである。「恥ずかしいな.....でも、俺君とならいいかな」。彼女はたしかにそう言っている。
「大丈夫だよ。やさしくするね。」そう答えたら、おもむろにパンツを下ろし、画像をまじまじ見て息子をふくらませる。
ここで肝心なのは、今から自分はこの子とセックスをするのだと自己暗示すること。このどす黒いものを、うら若い女の秘部に包んでもらいながら出して入れてを繰り返し、やがては夢の世界へ放出する。生で放出する。そう信じ込むんだ。
彼女の瞳をまっすぐに見つめて、みずみずしい口唇のあたりに目線をうつし、ディープキスをする。
まっしろな首筋、やわらかいおっっぱい、さらにおまんじゅうまで好き放題にすると、さっきチューした唇の奥からは、ほそく鋭い美声が部屋中にひびく。
そんな想像を数分間つづける。何をしたっていい。バイブやローターを使ったっていい。あそこを舐めても、舐めてもらってもいい。もしあなたがAVのような過激プレイが好きならば、それを愛しのあの子にしてやればいいんだ。
いよいよ射精感が沸きあがる。
そのころになったら、今まで凝視していたパソコンやスマホから目を離し、そっと瞼を閉じるのがおすすめだ。
想像力をフルに働かせ、数分間ずっと見てきたビキニの深部へ、おもいっきり射精する。
部屋にだれもいないのなら、声を出したっていい。「○○ちゃん、○○ちゃん、いくよ、いくよ!」
以上のような自慰行為をしてきて妙に思うのは、どんなに素晴らしいターゲットを見つけたとしても、せいぜいその子で5回も抜けば飽きてくるという事実だ。
これは結婚してからセックスレスに陥る問題と深くかかわっている気がする。
それはともかく、このやり方においては、飽きたら別のターゲットを探してセックスすればいいだけなのだから、なんら心配はない。
自慰というのは本来自由であるべきものなのだ。自由、自由、自由。なんと爽快な響きであることか!
勿論、射精した後の虚無感については言うまでもないが。
【スペック】
31歳
先週、2ヶ月勤めた求人広告のコピーライター(契約社員)、契約更新に至らず、現在無職。┗(^o^ )┓
「ADHDはただの努力不足論」と「脳の特性やからうまく付き合っていくんやで理論」のはざまで揺れ動いている。
【経歴】
今までの職場では、「まわりが当たり前にできることができない。」ことばかりだった。
・「ひとつの仕事に集中しすぎて、他の仕事の締め切りに遅れる」
・「人が40分でできる仕事を一ヶ月半たっても90分かかっている」
・「人から自分の仕事について聞かれるも、把握してないのでその場で即答できない、ニュアンスを違えて把握している」
など。
自分でもあやしいと思い、ADHDを疑い始め関連の本、2chのまとめ、はてなでの投稿などを読みあさる。
病院での診断は受けていないが、ADHDの自己テストではナイス高得点を叩き出してた。
ジョブカフェで適性診断を受けると
営業・事務職系→E適性
クリエイター系→A適性
との診断。
自分自身、アイデアを考えたり、人を笑わせる事は昔から好きで、
人から評価されることといえばユーモアのセンスと企画作りくらいしかマジで覚えがない。
(学生時代、ビジネス立案コンペに応募するとすんなり入賞した。)
それまでに機械問屋、居酒屋、タクシーのコールセンター、パチ屋店員と職を転々としてきたが
そこで「好きを仕事にしてみよかー」と思い、某有名講座を受講、
以前から興味があったことと自分の適性が活かせそうなコピーライターの仕事を探し始めた。
「クリエイティブ系の仕事は専門の学校出た人だけがなる」と思い込んでいたので
講座の課題を集めたものや、コンペに応募した作品をまとめ製作会社に片っ端から応募する。
そして講座受講から17ヶ月目、
念願かなって今年の1月、契約社員で、求人広告製作会社のコピーライター職になる。
「やっとアイデアを活かせる仕事や!ADHD気味のワイのちからを発揮できるんや!」
と意気揚々入社する。
しかし先週、2ヶ月目で契約を更新に至らず、今は無職┗(^o^ )┛
理由は2点。
②「言われたこと、やろうとしてたことをすぐ忘れてしまう。途中で何かがあると、やろうとしてたことを忘れる。」
→優先準備を組み立てられない。差し込みで入った緊急度の高い案件に集中しすぎて他の仕事の締め切りを覚えていない。
ほかにも、「人の話が本当に聞こえない、言ってることがわからない」「すぐ焦る、パニックになる」など。
付箋を色分けしてタイムスケジュールをとる、メモしながら話を聞く、など工夫したが
振り返ってみて自分の努力不足や仕事の取り組み方が悪かったように思える。
求人広告作りはアイデア云々よりも製作スピードが重視される業界。
アイデアで勝負したかったんだから首は気にしない、とは考えられない。
どんな仕事でもつきまとう、
「締め切りを守ること」等の必要不可欠なことができなかったことに
「他の仕事でもやっていけるのか」と将来にビビる。┗(^o^ )┛
【思うこと】
同級生の友達は第二子が生まれたり、都内で新築高層マンションの一室を買ったりしている。
「ADHDだからと」どこかで諦め、成長しない自分に不安感と諦めを感じている。
ADHDの人は仕事ができない自分に絶望を感じて鬱になりやすい傾向があるらしい。
アドラーの勇気づけや事実を受け入れる心がけでなんとか前向きにやっているが。
┏(^o^ )┓
一方、ADHD気質でも、自分の特性を理解し、うまく社会に適応しているひともいる、はず。
NLPとか引き寄せの法則を使って、自己暗示や失敗を繰り返すパターンからの脱却を
身に付ける必要がある。
同じADHDの人の稼ぎ方として個人でアフィリエイト等で稼いでる人のまとめをよくみる。
【これからの身の振り方】
バイトで食いつなぎながら、企画系のコンペに応募したり、Webの勉強、今持っているWEBサービスのアイデアを個人で作ってみる。
個人でやっていくか、作品集を作って就職するか両方の可能性を探りつづける。
最悪「もう無理ポ」となったら、、、そん時考えよう┗(^o^)┓┏(^o^)┛┗(^o^)┛┏(^o^)┓
◆ADHD
【参考書籍】
それって、大人のADHDかもしれません (アスコムBOOKS) 星野仁彦
大人のADHDの認知行動療法<本人のためのワークブック> S・A・サフレン、 坂野雄二 (2011/12/1)
めざせ!ポジティブADHD あーさ、 山下 裕史朗/水間 宗幸
ササッとわかる最新「ADHD」対処法 (図解 大安心シリーズ) 榊原 洋一
発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) 星野仁彦 (2010/1/30)
おっちょこちょいにつけるクスリ―ADHDなど発達障害のある子の本当の支援
脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方 ジョン J. レイティ、
さあ、どうやってお金を稼ごう?―LD、ADHDの人のための将来設計ガイド 就職活動編
他10冊位
KAMONのたとえ話シリーズ 発達障碍編 ~ADHDって、脳みそのどこが動かないの? 車に例えて考える。
◆セルフヘルプ系
◆NLP系
苫米地英人の本
自我がしっかりと芽生え始めて小学校高学年の頃から理不尽な事を憎んでいた。
貧富の差、戦争、虐待、児童ポルノ等、この世から消えて欲しかったし出来るなら自分の手で救い出したいと思っていた。
しかし今はそういった理不尽な事に対し怒りも悲しみも救いたいという気持ちも湧いてこない。
近所に生後数ヶ月の子猫達が居た。2匹の兄弟と思わしきその子猫たちは目やにで目が殆ど開けられていなかったしガリガリに痩せていた。
昔の私だったら早急に餌を上げたり目やにを取ってあげたりしただろう。
お金に余裕があったら病院に連れて行って避妊手術もさせてただろう。(ちなみに当時預金もほぼ空で家賃も滞納するぐらいお金がなかった)
誰かが助けてくれるだろうという期待もあった。
でも日に日に猫は弱っていった。
片方の猫が寝たきりのまま動かなくなったあたりで私はその子猫たちが居る場所へ通うのを辞めた。
「飼えもしない猫を助けるなんて偽善だ」
「自分の事も危ういのに」
周りの人間も助けようとはしていないし、助けるのは間違ってると言う人も少なくはないと思う。
「可哀想だし自分が助けたいのなら助けるのも自由だし、何もしなかった時の悲しみを感じるぐらいなら出来る限りの事をしてもいいのでは」
「この世界から悲しい事を無くすには、自分が悲しまなければ良い」と。
その結論に至った。
この思考は自分の過去のトラウマや心身症を拭う為に、自己暗示してきた考え方だ。
実際にこの思考が自分の中に浸透すればするほど、私は精神が安定してきた。
世の中の理不尽な出来事に悲しみも怒りも覚えなくなった。
その代わり自分が居なくなっていくような虚無感が現れて無気力になる。
この無気力は心地が良い所が危うい。
幸せだから布団の上で1日中何もしないで一生過ごせてしまいそうになる。
次に弱ってる捨て猫を見つけたら助けたいと思う。
しかし、それは国を背負ってとかそんな話ではなく、彼らはただインタビューに嘘を答えているからに他ならない。
メダルに手が届くと言われるほどのトップ選手であるならば、良い結果が得られなかったことを踏まえて本人しかわからないいろいろ思うことがあるはず。
競技前だったら、リラックスして望むためにあえて「楽しむ」という言葉で自己暗示にかけてるだけじゃん。
「心境は?」「楽しめました」もう何だかつまらない様式美が出来上がってしまっている。
素直に「悔しい」とか、「全力を出しきったので悔いはない」とか、「今はちょっと何も考えられない」とかあるだろう。
なんでみんな判で押したように「楽しめた」っつうんだよ。
語彙が少ないの?
競技に負けて「楽しかった」わけ無いだろ。
「タカシは期待されたオリンピックという大舞台でメダルを逃したが、その時のタカシの気持ちを次の中から選べ」という設問に
a. 楽しかった
とかいう選択肢があったら、確かにタカシは楽しめたって言ってるからって、何の疑問もなく◯つけるのかよ。
強がりか負け惜しみか、何と戦っているのか知らないけど「楽しんだ」とかこれぽっちの内容もない、明らかに嘘くさいコメントを吐くくらいなら黙っとけばいい。
http://togetter.com/li/605410 コメント欄より
「不謹慎だ」と怒っていらっしゃる方々は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。社主が大人しくなったら「ザマァ」とか言って笑うんですかね?それこそ不謹慎なんだけど、ブーメランの自覚ないんですかね。
namihei_twit 6 hours ago 4
(´-`).。oO(つまり、というか、むしろ、というべきか、言い訳、開き直り、をしているのは、組織票で真っ赤な人達の方、であろう、と。)
namihei_twit 2 hours ago
ツイッターのTLを見てみると、どういう性質の人が虚構新聞を支持しているのかよく分かる
https://twitter.com/namihei_twit
@namihei_twit
対処療法より体質改善。今、何をすべきか考えるのが好き。悪「者」
捜しは嫌い。■フォローはお気軽に。アンフォローもご自由に。こちら
も気分でフォローさせてもらってます。●固い呟きが多いですが、ユル
くお付き合いください。★突然のリプご容赦ください。
【@kyoko_np の件に思ったこと】「不謹慎だ」といつも何かに怒っていらっしゃる人達は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
言葉の怖さを知ったこと、と、言葉を発することを怖がること、は、くっつけたらイカンよ。ヽ(´ー`)ノ10;皆が思い思いに好き勝手に発した言葉で、皆、日々、励まされたり、傷ついたりしてるんだからさ。10;10;RT @harukazechan いまは文章をつづることも、こわくなってしまった— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
「レイシストを許さない」で、いいの?10;10;「レイシストにはならない」10;「レイシズムを許さない、認めない」じゃないの?10;10;すごく細かいことを言っているのは重々承知なんだけど、違いが分からん、とか言われたら物凄く恐ろしいことなので。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
レイシズムは嫌いだし、レイシズムに反対だけど、レイシスト差別はよくないと思うわけ。10;10;貼りつけられたレッテルが「レイシスト」なら、差別していいの?10;10;それ、自己矛盾で自己崩壊しない?— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
@namihei_twitがRT
マスコミが猪瀬さんを執拗に叩くってのはマスコミにとって「邪魔者」かもしくは金を貰ってやってるってに決まっている。そこには正義などないよ。— ヒトラー総統 (@hitler_soto) 2013, 12月 18
@namihei_twitがRT
私は猪瀬知事の続投を支持します。10;10;なぜなら10;都議員の民主をはじめ無能議員が知事を責めあげ、10;マスコミが相乗りで猪瀬知事を攻撃しているから。10;10;これは10;「自分たちに都合の悪い人物を潰したい」という意図。10;10;この現象は10;マスコミと朝鮮の癒着という10;「暗黒の民主政権で学んだ」からです— sakuhana (@mina005) 2013, 12月 17
@namihei_twitがRT
結局のとこ、マスコミと我々民衆が都知事をやめさせるわけでしょ。で、たかだか5千万円の事で、都知事選で50億円使うと。— 金本茂 Shigeru KANEMOTO (@ssci) 2013, 12月 18
自己暗示をかけて殻に閉じ籠る、浮世離れしてるたぐいの方々が、ネットというツールのおかげで、あちらこちらで殻から漏れ出している、という。これも、可視化?見える化?みたいに呼んでいいのでしょうか?ヽ(´.. http://t.co/H0Snoq4suq— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 16
誰にも負けない強さを持ち、あらゆる相手を打ち負かす人など何処にも居ないと思う。10;10;全てに万能な人間など非現実的だから。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
しかし、あらゆる人から味方をして貰える人に成れたなら、どうだろう。10;誰にも太刀打ち出来なくてもいいのだ。10;10;勝負にならなくたって「敵無し」なわけで。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
相手を打ち負かし屈服させる力とは、自分を蝕んでいく負の力だ。 反撃に怯え、近づく者を拒み、敵を作り続け、自らを孤立させる力だと思う。10;10;適材適所で適度に使う分には構わないだろうが、自らの強さを誇示するため、敵を作っては打ち負かす、というのは愚かと言う他ない。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
メモ(一人言)10;10;性善説、性悪説、「性弱説」10;10;「状況の奴隷」10;10;発想の冒険10;10;未知への挑戦10;10;好奇心10;10;可能性— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
イイワケの域を出ていない。自分を奮い立たせるのは良いけれど、自分をよく見せるため自分が満足するためで、お客に満足してもらうためお客に喜んでもらうため、じゃないよねソレ。満足する部分もあればこそまぁ仕.. http://t.co/kbIAOQLbwZ— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
「こんな思いをしてまで自分では望んでない者になってるのに、アイツ等あんなに好き勝手にやりやがって、ムキー」10;10;(´-`).。oO(望んでないモノかもしれないが、あなたが選んだモノだよ。選ばせてくれなかった?今はもう選んで選り好みしても良いものだと認識してるよね)— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
https://twitter.com/namihei_twit/status/411692962871910400から
だから、人の目が怖くなるんだよ。 10;だから、面と向かって目を見て人と話せなくなるんだよ。 10;だから、相手の話に耳を貸さず、ひたすらまくしたてて逃げるんだよ。10;10;さらには、自分自身すら誤魔化すために「勝ち名乗り」とかあげちゃったりしてな。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
自分が「変な人ですね」って言われることが最高の褒め言葉だなんて思っているようなヤツだから、こんな変なヤツを好きだなんてどんな変なヤツだよ、と好感度が上がってしまうのだが。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
(コメ欄が本題からどんどん遠ざかっていってるけど、遠ざけようとしているのは誰か、遠ざかりたがっているのは誰なのか、目を背けているのは誰か、読んでる人達はちゃぁんと生暖かく観てますからね。シメシメとか.. http://t.co/nnug16JB0L— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
@azukiglg 誰も真相を知らないことをいいことに、見てきたかのようにデタラメを垂れ流す人には、どのように不幸が訪れるのでしょうか。知らないフリをしてはいるけれど、ソイツの言葉に根も葉もないことを知っている人は、しらを切り続ける以外無いのでしょうか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
検証ができずホラ吹きの暴走が止められないと、何も知らない人は成す術なく間違った情報を植え付けられてしまう(信じる信じないはともかく)。秘密になっている情報が、過小評価や過大評価をして勝手に右往左往してくれるのは大歓迎、という類であればそれも良しなんですが。 @azukiglg— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
世界と繋がれない人、が居る。10;誰かの言葉にただひたすら従う人。自分で考えようとしない人、自分の考えで動くことに戸惑う人。10;一見、指示をする誰かの手足になることで繋がっているように誤解されるが、そこに自分という実体が存在していない、つまり、世界の中に自分は居ない、ということ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 7
指示に忠実に動いても、自分の考えを挟むことをためらうことがあっても、自分の意志行動の決定を自分でしたうえでなら、そこに自分は存在している。10;自分の考えとして取り込み、自分の意志として行動する限り、私は私であり、私はここに存在している。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
「~してくれない」って騒ぐこと、騒ぐ人に付き合うことの、空虚さは、「~してくれない」と騒いでいる人の空虚さ、自分の無さや希薄さに通じていると思う。10;10;そこに自分が存在していれば「~してほしい」と言い替えれられる。10;10;そこに他人しか存在していないから「~してくれない」になる。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
誰かが相手をしてくれている間だけ、いや、誰かが自分の望む通りの相手をしてくれている間だけ、心が安らぐ。10;常に、自分に目を向け自分に対して時間を割き続けることを、誰かに求めているわけで、そこに際限は無い。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
保身に走って、自分が痛くならないうちに切り捨てよう、とか、この痛みを押し付けよう、ってするから、反発を受けるんだよねぇ。10;10;自分が相手にそんなことをされたら当然の如く反発し抵抗するのに、自分がそれをするときは反発するな抵抗するなと?10;10;どの口が言うか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 6
好きはどこにでもあるっていうけど、たとえば最低賃金でパン工場であんぱんに延々ごまをふりつづける仕事があるとするじゃないですか?死ぬほど退屈だと思ってたけど、あんぱんは好きだからあんぱんに関わる仕事をしてる自分って幸せだなあって考え方できるようになったとする。
それって自己暗示をかけて好きを妥協していることを粉飾しているだけなんじゃないですかね。
どちらかといえば好きってなものは世の中にいくらでもあるんでしょうけど、そうやって好きを拡大していった結果、やりがいの搾取問題といっしょで、きみたちは好きな仕事に関われて精神的に充足してるから給料安くてもいいよねって押し付けたがる黒い経営者に非常に都合の良い考えに自分を洗脳していくことになりゃしませんかね。
感情労働って言い方ありますよね。感情的に嫌なことを表に出さずに我慢して働くからその分の対価が発生する類の労働。嫌なことを嫌なまま関わって生きてもべつにいいんじゃないですかね。その代わりに嫌なことを我慢している分の見返りは要求すると。好きなもの探しをして好きなこと以外に目をそむけて生きるよう自己洗脳してしまうと、自分が社会から不当な扱いを受けても気づけなくなっちゃいますよ。きっと。
今日もまた、
はてな匿名ダイアリーで書いた記事に「釣りか?」から始まるコメントをもらった。
こんなコメントをもらうたびに思うんだけど、
釣り記事を意識しすぎたり、警戒しすぎたりしてる人ってネット上に意外と多いね。
そういう記事を意識しすぎると、素直に楽しめないでしょ。
ネット上に「釣り記事」というものの存在を知っていれば、別にだまされてもいいじゃん。
「あ、釣り記事っぽいな」という感覚になったら、そのままスルーすればいいじゃん。
強く警戒してしまうのは「騙される側」の思考だぜ?
「騙されたくない。騙されたくない。騙されたくない。・・・」
そんな人ほど、言葉や文章のとおりに素直に動くんだよ。
とりあえず一回ここで自己暗示しとこうぜ。
「騙されてもいい。騙されてもいい。騙されてもいい。・・・」ってね。
オーケー?
「別に騙されてもいい」っていう考えも持ってなきゃ、自分がマジで騙されてることに気づけないし、
騙すのが下手なヤツに騙されていたことが分かっても、無駄に起こる必要がなくなるからね。
騙されていることを知らず、真相をあとで知って、「オウフwやられちまったぜぇ。」っていう反応が健全だと思うよ。
「今日も1つ学んだな」くらいに思っておけばいいの。
彼氏が冷たい。
遠距離恋愛が原因なのか、あっちが一言も返信できないレベルで忙しいのか、体調悪くて死んでるのか、さっぱり分からないけど、とにかく冷たい。
優しかったほんの1か月前のチャット履歴読んだら目を背けたくなるくらい仲良しラブラブだった。今はその面影もないくらい冷たい。
来月旅行の約束だったり、来年から同棲の予定だったり、結婚だって考えてるくらいなのに、いきなり冷たくなっちゃって、どうしたらいいか分からなくなって情緒不安定になりつつある。
もともと男に依存気味だから、この一気に突き落とされた感が結構ツライ。
浮気はしてないけど、夢のなかでは何度か違う男と仲良くしてたりして、自分やべーなと思い始めてる。
もともと人恋しくてワンチャンばっか繰り返してたビッチ(笑)だから、遠距離中に彼氏が連絡くれないとすごく不安になる。
心がまったく満たされないから、ぬくもりを求めちゃいそうで、というか実際いま求めてる自分と制御してる自分がいるから、そこが不安。
10代の頃からそう言い続け、大人になったら変わると周りに言われ続けてきたけど今のところ変更なし。
中学生の時分より、周囲からえ?!と言われるような男性としか交際してこなかった。
そんな私だが、一昨年出会った素晴らしい男の人(仮にAさんと呼ぶ)とお付き合いをはじめ、とんとん拍子に同棲。
短気で喧嘩っ早い私にとっては奇跡的なことに、一緒に暮らしてからも一度もこじれたことがない。
家族仲があまり良好でなかったこともあり、日常という意識が乏しかった私にとって、初めて帰りたいと思える家が出来た。
(大人になってからは家族とはうまくやっているけれど、帰る場所という感覚はあまりない)
ところが、一点だけ影を落とすのが表題の件。
一緒に暮らし始める前にも話し合いをしたが、その時点ではお互いに歩み寄れる可能性に賭ける、ということになっていた。
お互いに若いし、生活スタイルが変わる節目にいたこともあって、価値観が変わる可能性も多いにあったからだ。
でも、どんなにうまくいっていても、幸せな日々を送っていても、
結婚したいと思えない。
子どもが欲しいと思えない。
何の不満もないのに、仲良く暮らしているのに、どうしてかわからない。
3ヶ月ほど前、同棲解消について話し合い、ひとまず目安の時期が決定した。
Aさんは、私にとって99%の人で、この人と共に過ごせば幸せでいられることはわかっている。
でも彼は家庭を子どもをもうけるべき人なのだという確信がある。
彼の友人に聞いてもみなそう答えるだろう。
家族ができることがものすごくプラスに働くタイプの人っているじゃない。
仕方がないけれど、切なすぎる。
結婚願望がない自分の子どもも欲しくないと思う私は、女として何かが欠けているのだろうか。
そう思った矢先の、
番号を登録していなかったため、うっかり出てしまったのだ。
子どもながらに、この人が私の運命のひと、と心に決めていた人。
不器用ながらに、愛していた人。
まともに付き合っていた期間は、よく覚えていないけど一年にも満たなかったと思う。
あとは主にkに恋人がいるとき、いるかすらわからないときもあったが、いつでもお互いのための特別枠があった。
どんなに酷いことをされても、憎めなかった人。
しかし8、9年ほど前に、いわゆるリベンジポルノに匹敵するような出来事が発覚した。
後からわかったのだが、ほぼ実名で、私がkを信頼してかつて託した出来事を、たくさんの知り合いに晒された形。
(未だに、それにコメントを残していた本来人畜無害であろう同級生たちとは関わることができない。
そんなこと誰も覚えていないと頭ではわかるが、心がついてこない)
それまではなんでも許してきたけれど、さすがにこれを許してはいけない、と、断腸の思いで連絡を絶った。
それまでなかなか捨てられなかった思い出の品もすべて捨てた。
共通の知り合いとも、ごく少数を除いて全員と縁を切った。
忘れよう忘れようと自己暗示をかけ、数年前からは思い出すこともほとんどなくなっていた。
旧友として再会して、まあ順当に世間話でもして、例の件はとりあえず謝罪させて、お互いの幻想を打ち破り今度こそさよならをするつもりだった。
だったのだけど、信じられないことに、また恋に落ちてしまった。
それで、不思議なことなのだが、急に結婚願望とでも呼ぶべきものがふつふつと湧き上がっているのだ。
過去の執念を清算しているだけかと思いきや、新しい未来への妄想がつい膨らんでしまう。
kを目の前にすると、やっぱり昔のように、この人と会うために生きてきたと感じる。
いい歳して、まったく成長していないことにがっかりだ。
ただ、kは無事に添い遂げられるタイプの男ではないのかもしれない。
99%ダメでも、私が絶対に妥協できない1%をkは握っている。
少し、違う気もしている。
コミュ障の奴の特徴的なものを羅列されているのはよく見るけど、実際どう変えていったらいいか誰か教えて下さいよ!といつも思っているので、
自分がやってみた事とその結果を書いてみようと思う
これだけでだいぶ違う
あまり過剰過ぎるとわざとらしいが、少しオーバーめの方がいいと思う
以上の事を心がけた結果、そこそこ優良な人間関係を築く事ができた。帰りに飲みに誘われたり。
でもこんな事言われてもできねーよ!と思いますよね。相槌とかどんな事言ったらいいかわかんないし。
そこで次の方法です
その人を観察して、どんな話し方か、どういう風に受け答えをしているかを徹底的に研究して、真似をしてみる。
なので、リアルに周りに居る人だとリスキーになりがちなため、一人だけを模倣しないようにするとか、模倣している事を悟られないようにした方がいいです。
基本的に自分の考えは捨てる。(これは自分の考えがマイノリティ気味だったため、浮きやすかった事から自分はそうするようになりました)
周りの信頼を得て、友好的な人たちが増え仕事もやりやすくなった
しかし多かれ少なかれ周囲に嘘をついているようなものなので、非常に空々しいし、好かれても別に嬉しくもなんともないし心も安らがない
そして思ってもないことが口から出てくる事が増え、恐ろしくなってやめた
その後いろいろあって仕事もやめたのでここまで極端な事はしなくなったけど、無理しない程度に上記のことは続けています
非常に空々しいけどみんな優しくしてくれるよ☆
でも本音で喋ってないって分かる人には分かる事みたいだから(自分は指摘された事はないです)程々にってことなんでしょうね