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はてなキーワード: 自動詞とは

2020-06-06

“#Black Lives Matter”どんな訳をつける?

文型を説明すると、

Black lives = 複数形のS

Matter = 自動詞 V

のわかりやす第一文型。単語意味はググって。

直訳すると

「#黒人の命は重要だ」

中学生でも簡単翻訳できるが、直訳の文章特有の“堅さ”が残る。

実際のアメリカ人達はもっと口語的に、感情的に、このハッシュタグを使っているのではないか

パッと思いついた物だと、

「#黒人の命を軽視するな」

けれど、やはりどこか堅い。難しいね

2020-05-29

単語帳は覚えるな、読め

https://anond.hatelabo.jp/20200525180903に引き続き、効率の悪い勉強法について。

単語帳を赤シート等で隠して単語意味当てゲームをしている受験生は多いが、本当に効率が悪いと思う。

それよりも、単語帳は覚えようとせず読んでしまい、短いスパン(たとえば2000語の単語帳を2週間とか)で繰り返した方が身に付く。

記憶の定着には、知識同士の繋がり、そして反復が何より重要である英単語日本語の照応をじっくりやっているのは、本当に効率が悪い。たいていの単語帳は、カテゴリーごとに関連語がまとめられており、語源や例文、注意すべき語法などが載っているから、その流れを理解した方が良い。また、そのサイクルは短く、何度も繰り返した方がいい。

言うまでもないが、全く知らない用法が出てきたら、辞書を引いたり、Googleで調べたりして、具体的な用例を通じて記憶する。単語意味だけではなく、自動詞なのか他動詞なのか、前置詞は何を取るのかといった語法もチェックする。といったことは当然するべきだ。

そもそも根本的な間違いを犯している人が多いが、単語帳はあくまで補助的な教材であり、本来語彙力は長文読解や英作文を通じて増強すべきである英検一級などの極めて特殊試験は別としても、大学入試程度であればそれで合格必要な語彙力は十分身につく。

2020-02-11

中学範囲他動詞自動詞区別をすればいいのに

中学範囲ではあんまりやらないみたいけどなぜだろう。

どうせいるしそんなに難しくもないんだからやれば良いのに。

2020-01-09

面白い時代だなAKB

 

無謀な夢は覚めることがない(他動詞

無謀な夢を見続ける(自動詞

 

まり あなたにとって無謀な夢というものは、覚めたいかもしれないけど、外圧でさめないという意味なのだろうか

私の場合は、自分意思で夢を見続けているか違和感がある

もちろん、それもありだからAKBだろうが

 

自分の夢を自分で見続けられないたすけて

そうなのかもね

 

あるいみ、自分の夢ぐらい他人のせいにするなとはおもうが、

夢が覚めてしまうのはたしかに国が悪いのかもな

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件2

(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。

論文日本語文法事象を中心に扱っており、その記述分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語目的語自動詞他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧パラダイムによる言語研究標準的使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。

日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念のものの再検討を迫るという点で、本論文日本語研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論憶測ではなく、万葉集源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。

論文共時的言語事例と通時的言語事例とを並行的に分析し、日本語言語現象全般個別現象の解明を目指した統合研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点提供している点で、学術価値は高いと判断される。

よって、本論文博士人間環境学)の学位論文として価値あるものと認める。

また、平成26年11月26日論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果、合格と認めた。

まさにお墨付きだ。

最後ちょっと真面目な話。『認知言語類型原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこ自体問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判したことで将来不利益を被ることがあってはならない。

それにしても、どうして『認知言語類型原理』は『日本語主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語主語はいらない』は大手出版から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型原理』は学術専門出版から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-10-20

日本語にエ段音が連続しづらいのは現在日本語のエ段音は新しい音だから

[追記あり]

この増田について解説

 

anond:20191019223745

 

日本語母音は昔からアイウエオ5段だったわけではなく、時代によって変遷があった

50音図やいろは歌が広まった平安時代以降は概ねアイウエオ5段だったんだけど

万葉仮名の分類を行った結果、かつては

(ア)(イ甲)(イ乙)(ウ)(エ甲)(エ乙)(オ甲)(オ乙)という8段の母音があった

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3

 

という話を前提として。

この8音はどの音も平均して使われていたわけではなく、出現頻度の高い音と低い音があることを大野晋という学者発見した

  • [出現頻度高] : (ア)(イ甲)(ウ)(オ乙)
  • [出現頻度低] : (イ乙)(エ甲)(エ乙)(オ甲)

 

https://www.dai3gen.net/boin.htm

 

なぜこのような分布の差ができたかという理由について、大野晋

出現頻度の低い4つの母音本来日本語母音ではなく、他の2つの母音が融合してできたものだという説を出し、現在概ね受け入れられている

 

  • イ乙 → オ/ウ+イ甲
  • エ甲 → イ甲+ア
  • エ乙 → ア+イ甲
  • オ甲 → ア+ウ

 

(被覆形・露出形/動詞活用の期限 などで調べるともっと詳しい話がわかると思う)

http://shouyouki.web.fc2.com/sakaya.htm

このなかで、エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない

特に擬声語擬態語では「デレデレ」など新しく作られた言葉くらいしか現れない

 

[追記]

 

被覆形・露出形に補足してくれたブコメありがとう

これは概ね賛成。露出形・被覆形についてはhttp://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2019/02/23/011616

この法則複合名詞の時に一部の母音が交替する現象説明したものなんだけど

例)

 酒 サケ乙 : 酒蔵 サグラ

 爪 ツメ乙 : 爪先 ツサキ

 木 キ乙  : 木陰 カゲ乙

 身 ミ乙  : 躯 ムロ甲

 

この他にも上二段・下二段活用の未然や連用形で出てくるイ段・エ段音は乙類であるって法則があり、

その場合関連する自動詞他動詞ペアでは上記被覆-露出の交替と同じような母音が現れることが知られている

ちょっと説明が複雑になったんでこれも例で説明すると(わかりやす現代上下一段動詞を前に//でつけて説明)

例)

 詰める//詰め ツメ乙 : 詰まる//詰ま ツ

 起きる//起き オキ乙 : 起こす//起こ オコ乙

こんな風に、エ乙とアが、イ乙とオ・ウが密接な関係にあることがわかると思う

これがなぜア・オ・ウにイ甲がついたものだと言われているかと言うと

嘆き ナゲ乙キ甲 が 長息 ナガ + イ甲キ甲 が縮まってできたものだったり

日本語の 神 カミ乙 が アイヌ語に kamuy という単語で借用されてたりなどの

様々な証拠から推測されている

"エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない"ってエ段の母音の発生が遅かったから少ないという意味平安時代には存在して1000年たっててもまだ足りないのだろうか

1000年は結構時間な気がするけどそれでも足りないみたいだね

例えば撥音「ん」は50音図やいろは歌成立時点では存在せず、今の漢字音が定着した時代に広まった(平安時代末期くらい?)んだけど

それでも「ん」が頭に来る単語ほとんど作られてなくて、それゆえにしりとりルールが成立する

 

なお日本語2000年ほど前に分岐したと言われている琉球方言では「ん」が頭に来る単語がたくさんある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%93

宮古島「んみゃーち」など

 

その他のブコメに対してもコメントしま

 

ら抜きをすることでエ段音の連続になって言いづらいのにら抜きを強行してる人を見ると、なんでそこまでらを言いたくないのか疑問に思ってる(続ける、見せる、食べるなど

やや話がずれるけど、ら抜き言葉自発可能を言い分けるために可能動詞から類推派生したといわれていて

発音の制約より意味の使い分けの方が重要だとみんなが思い始めたから広く使われるようになったんだろう

現代日本人にとってエ段音は特に言いにくい音でもないしね

 

ちなみに「続ける」「見せる」「食べる」自体特にら抜き言葉でもないんだけど

「続けれる」「見せれる」「食べれる」と言いたかったんだよね?(100文字の制約下で正確にものを言うのは難しいと思うんで)

 

ただ大野晋自身は後にこの説を放棄し、タミル語母音に合せて、日本語は初めからa,i,u,e,oの5母音だったと修正している

タミル語説には近づくな

ラ行とパ行も新しいってなんか大学で習ったような習ってないような

ラ行音は特に新しい音でもない。が、日本固有の単語では頭は出てこない

これまたしりとりしたらわかると思うけど、ラ行で始まる音で返そうと思ったら

林檎みたいに漢語由来の言葉を使うかラッパのような外来語を使うか

 

この原因は色々推測されてるけど、朝鮮北東アジア一帯に似たような性質を持つ言語がいっぱいあるので

古くはこうした地域特有発音方法だったんじゃないかって言われている

(※もっと踏み込んで、直接祖先が一緒だったんじゃないかという説もあるんだけどアルタイ語説には近づくな)

 

パ行は発音の変化の結果分離した。古くはハ行がパ行の発音だった

北京が「ペキン」なのはホクという読みが昔は「ポク」に近かったことを示してるし

上海が「シャンハイなのは「ハイ」という音がなく、海の読みに近い音である「カイ」を使っていた証拠

 

ハ行転呼音で調べると詳しく出てくる

2019-05-10

anond:20190426211521

この記事に関する限り脱字はなさそう。だが、誤字誤変換に加えて衍字がある。認知の歪みも激しい。

「当事の私」

→当時の私

「でてくることよくあることだ」

→でてくることはよくあることだ、が正しい。「こと」を二度使う必要はないから「でてくることはよくある」でいい。

「指摘してくる人にもその人以外には」

→指摘してくる人もその人以外には、が正しい。「人」を二度使う必要はないから「指摘してくるのもその人以外には」でいい。

「心がざらついた」

→「ざわついた」の間違いではないか

「まぁお察しとの通り」

→まぁお察しの通り

以下は誤字の指摘ではなく、記述内容に対する突っ込みである

「どうにもできない現状に指摘がくるというのは」

ウェブに正誤表を出せばいい。「どうにもできない」わけではない。

「誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら」

⇒誰もそんなことは言っていないだろう。「完璧じゃないなら本を出すな」ともAさんは言っていない。藁人形論法になってしまっている。Aさんは、あなたの誤字だらけの「作品」をせっせと買って読んでくれているじゃないか

「誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ」

⇒だからこそ減らすべきものである。「多かれ少なかれあるもんだから気にすんな」と言いたいのかもしれないが、本を出して売る立場からそれを主張するのは我田引水で図々しすぎる。本を買って読む側が言うならまだしも。

「筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね」

⇒元はと言えば、作者が誤字脱字をしなければいいだけの話である。また「筆を折る」というのは「文筆活動をやめる。筆を断つ」という自動詞的な表現だ。他人の文筆活動をやめさせる、の意味なら「筆を折ってやりたい」などの表現に置き換えるのがよい。「誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると」も語順おかしく「新刊のたびに誤字脱字を報告すると」のほうがいい。

「逆にすごくないか?」

⇒「逆に」の使い方がおかしい。Aさんの注意力は「逆」でも何でもなく、普通にすごい。賞賛に値する。たぶんプロ校正者として報酬を取れるぐらい。しかしAさんは、その仕事無料でやってくれている。

「本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ」

あなた個人の感じ方や願望を勝手一般化している。そのような社会的合意存在するわけではない。「私が希望してない限りは」と書くのが正確だろう。そしてあなたは「誤字脱字誤変換の指摘はやめてください」という単純な要求をAさんに伝えることができず(なぜならその要求無理筋で見っともないことを内心では知っているから)Aさんと無関係アノニマスダイアリー愚痴をぶちまけ、共感と同情を求め、Aさんから反論が出ないであろう場所でこっそり自己正当化を企てている。実に潔くない、卑怯な態度である

「この文章に誤字脱字誤変換の指摘は一切不要です」

いくら「一切不要」と言っても、自分が書いたもの公表したら他人からあれこれ言われるのは不可避で当然のことである。それは商業出版であろうと同人誌であろうと増田であろうと私信であろうと同じだ。どうやら「私が貰って嬉しいと思うタイプ感想」だけをくれというのがあなた本音のように見える。だとすると極めて虫がいい話で、読者はあなたの自惚れ鏡じゃないんだよ。

2019-02-25

辞書単語を覚えるのはナンセンス

言葉は、基本的に文の形で聞くなり見るなり書くなり喋るものだ。単語は、文の中でどう使われ、その中で何を意味しているのかを知ることが大事なのだappreciate感謝として使う例を取れば、出会ったときに一緒に覚えておくべきなのはこの動詞に続く前置詞の有無(自動詞他動詞か)であったり、主語のとり方であったり、定型文、thankやoweといった頻出類義語との違い、使い分けである。紙の辞書単語を覚えるというのは非常に非効率的ナンセンスなのだ

appreciateには別の意味で「評価」もある、というのは、また同様に文の中での使われ方を体系化する必要がある。そこまできてやっと、appreciateには複数意味があって……とさらに上位のカテゴリーとして複合、体系化できる。

つの意味を調べている段階では、このような上位の体系化はまだ早いといえる。下位の体系化、つまり主語の摂り方や定型文、類義語との関連を覚えるので精一杯だろう。もちろん、一気に複数の体系化ができる素地がそだっていればその限りではないだろうが(知恵袋降臨した英語専門家はきっとそうなのだろう)初学者であれば記憶の体系化過程無駄に複雑にするだけだ。私はこういう、無駄なことを初学者に薦める英語専門家が大嫌いだ。

2018-07-17

「間違った」と「間違えた」の使い分けを解説する

まり自信ないが、誰かが適当に書いておけば別の誰かが補足してくれるだろう。とにかくこの二つの動詞混同している人が多すぎる。誰かが指摘しなければならない。

まず、原形の確認から。「間違った」の原形は「間違う」。対して、「間違えた」の原形は「間違える」。「間違える」は他動詞で、原形でも過去形でも連用形でも頻繁に使われる。なにかを正しく行わなかったときに使う。他動詞から目的語がある。「言葉の使い方を間違える」とか。一方で「間違う」は、原形で使われることはあまりない。ほとんどの場合連用形未然形である。「間違う」が原形で使われることがほとんどないことが混乱の一因であるように思う。

この二つの動詞、「間違う」と「間違える」の違いは大きく分けて二つある。自動詞他動詞かと言うことが一つ。もう一つは、動作を表すか状態を表すかと言う違いだ。

まず、自他について。

「間違えた」は、他動詞であり、「なにを」の部分がなくてはならない。もちろん、なくてはならないというのは、必ず発音されるという意味ではない。「なにを」の部分は意味としてだけ存在していて口にはされないこともある。

一方、「間違った」は、主として自動詞であり、「なにを」の部分は基本的存在しない。「なにが」のみが問題となる。ちなみに、「間違う」は、「間違える」の代わりに使うことができる。この場合はもちろん他動詞である。ただし、「間違う」の代わりに「間違える」を使うことはできない。この非対称性も混乱の原因かと思う。

次に、瞬間か状態かと言う問題

「間違えた」と言ったら、過去の瞬間的な動作として、何かを間違えたと言う意味である。たとえば、「漢字の書き方を間違えた」と言うのであれば、漢字を書くと言う動作をしている瞬間に、その書き方を間違えたと言う瞬間的な動作を表している。

他方、「間違った」は、状態を表す語である。「漢字の書き方を間違った」とはまあ実は言えないわけではないのだが、それは先述したように「間違える」の代わりに使えるケースだからである。繰り返しになるが、「間違う」は「間違える」の代わりに使うことができるが、「間違える」を「間違う」の代わりに使うことはできない。例えば:

あなたは間違ってる!」

ヒロインが悪役に言う時、きっと悪役は「なにかを」間違えたのであろうから他動詞として「間違えてる」といえそうな気もするが、「間違ってる」というのは別に悪役が過去動作について何かを間違えたということを言いたいのではなくて、現在状態として、こいつは間違っているということを言いたいのだから状態を表す「間違ってる」を使わなければならない。

まとめると、

  • 「間違えた」は他動詞で瞬間を表す語であり
  • 「間違った」は自動詞状態を表す語であり、
  • 「間違えた」の代わりに「間違った」ということはできるが、
  • 「間違った」の代わりに「間違えた」ということはできない。

2018-05-17

英語力無いやつがプログラム書くと、スペルミスは頻発するし、単数・複数の使い分けもないし、自動詞他動詞もごっちゃだし、それどころか名詞動詞もごっちゃだし

それを「大した問題じゃない、細かいことに文句を言うな」ってなるし

2018-03-16

anond:20180311214151

「苔のむすまで」は苔がみずから生じる自動詞

「むすめ」もおのずから生ずるおんなだからセーフ。

2017-02-22

必要とする」とは言わない

必要とする」ってどこのことばなんだろうか。もともとそんな言い方は無い。おそらく、"need" の逐語訳としての奇怪な言い回しが、今や異和感すら覚えられずに流行してしまったんだろう

「要する」でしょ。字数のムダ。資源無駄遣い。「〜が要る」のように自動詞型でもよい

動詞である漢語に「す」(する)を付けると、日本語としても動詞になる。「信ず」、「愛す」、「請求す」などなど、漢語+「す」による動詞

今の日本人というものは、まともな言語教育を受けていないんだ。「信じる」とか「愛する」とかいうのは漢語由来でもともと話し言葉ではないんだけど、こうした言葉を話したり歌ったりすることに異和感を覚えないみたいね

同時に、話し言葉であるやまとことば和語)の語彙が忘れ去られてしまっている。「信ず」は「たのむ」とか「たよる」とか、「愛す」は「めでる」とか「もとむ」とか「こう」(乞う)とかいうようにニュアンス次第でさまざまな言い方があるのに、今の人々はこういう言い方をやれない。語彙をもたず、どっかの猿真似みたい

「恋と愛の違いはなに?」という問いがあるけれど、まずはじめに、「恋」(こい)はやまとことば、「愛」(アイ)は漢語

2016-02-07

大学院生の僕が思う高校生勉強の仕方

家庭教師先の生徒さんへ

時間あるときに読んでね


勉強する上での心構え

できない言い訳をして欲しくないのと,勉強をどうやってやればいいのか感じて欲しい.

http://b.log456.com/entry/20120110/p1

しのごの録

「僕は自分が思っているほどは頭がよくなかった」


これ以降の章は必要に応じて読んで下さい.


数学勉強法

家庭教師で伝えきれなかった点をカバーしたい.

まずは数学勉強の仕方についての心構え.

質を重視派(王道

http://kosotatu.jp/study/特別講義数学が得意になる勉強法!/

量を重視派(全体像が速く掴める)

http://wankora.blog31.fc2.com/blog-entry-1295.html


もう少し具体的な日々の勉強法について.

基本的には授業にしっかりついていくこと.質を重視派で言っているやり方で理解していけば良いと思う.

予習はしてもいいし,しなくてもいいと思う.授業についていくこと(=復習)が大切.

これプラス,習った範囲で少し上のレベル参考書を取り組めたら塾や通信教育と同じような効果が得られるだろう.

好きな参考書を買えば良いと思うが,

1対1対応の演習(東京出版

おすすめ

東大京大東工大以外はこの本を完璧にできたら(難易度的には)数学は満点とれるはず.


問題を解く時には

論理的考察を進める

・簡単な実験して,答えを予測する

計算が合っているかチェックしながら問題を解く

技術をどこかから学びとって下さい.


あとは,おすすめ参考書

・はっと目覚める確率安田亨)

まじで分かりやすい.確率で分からなくなったら読んで下さい.

数学を極めにいくなら

月刊 大学への数学

基礎ができたら(1対1対応の演習がほぼ仕上がっている状態)これの学力コンテストを毎月提出してほしい.

難しめの良問が並んでいてかなり力がつくと思う.

・やさしい理系数学

上であげた月刊誌を毎月買うのはお金がかかるので,1対1対応の演習がほぼ仕上がったら大学への数学の代わりにこの本に取り組んでも良い.

その後は過去問へ.

英語勉強法

(1)長文読解(2)文法,語法(3)リスニング

(1)(2)が特に大事だと思う.

(1)は学校勉強の予習,復習,課題をしっかりやるべき.

ちゃんと習うだけでなく,かなり慣れが必要.たくさん文章を読むべし.

(2)特にいい先生出会ってほしい分野

文法を知っていると,読みが速く正確になるからちゃんと取り組むべき.

高校で知るべきは,残りの文法事項(仮定法,過去完了とか?),

プラス

(a)品詞分解(SVOC補語

(b)基本動詞理解自動詞他動詞か.第何文型を取るか,前置詞をからめた”群動詞”っていう使い方)

(3)単語の正しい発音を知っていることが必要

日常勉強発音もチェックしながら勉強するべき.(リスニング大学によって難易度異なる)

物理勉強法

物理エッセンス という本を授業と並行して読むとよい.

もし余裕があれば,微積を使った物理勉強すると分かりやすい.


以下の二つは大学選びについて考え始めたら読んで欲しい.

大学学部選び

大学学部自分の好きor得意なことで選ぶと後悔が少ない.得意で選んだ方がさらに失敗は少ないと思う.就職就職する気があるなら何とかなる.


それでも,もし決めきれないなら,数学プログラムに触れることのできるコースに行くと賢くなれるし以外と就職がある.数学ができる人材は重宝されるから

学歴必要か?

良い大学に行くメリット存在する

受験勉強を上手く使えば頭が良くなれる.

取り組み方を間違えなければ,数学物理から抽象的な思考力・英語の基礎・現代文から読解力が身に付くと思う.後の科目は教養になる.

・もう一つ大事な点は,自分ポテンシャル証明できるということ.それにより将来次の組織に入る時優遇されやすから,将来自分のやりたいことが比較的やりやすい.もちろん他に自分の力を証明することができれば問題ないけどね.

・めちゃくちゃ頭のいい人がいる.教員学生に.

大学設備が整っている.実験設備や広い図書館予算をたくさんもらっているだけはある.

と,ここまではいい点を書いたけど,僕の通っていた学科では,良い授業は数えた方が速いくらいには少なかった.

そういう観点については,(学科は違うけど)

京大受験生のための京大退学エントリ」を

http://anond.hatelabo.jp/20151115183959

話半分に読んだら内部事情がよく分かると思う.

でも研究をやるにはいいところだと思うよ.

講義はあれだけど.


いい教育も受けたい場合海外大学に行くといいと思うよ.


学歴に関しては,(書いてて思ったけど)僕のアドバイスよりも尊敬する大学先生メールで聞いてみたらどうかな.

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自分はこんなことに(何となく)興味があります

将来,チャンスがあれば研究者になりたいと思っています公的機関企業かも決まっていません.教員になるかもしれません.よく決まってはいません.

自分エスカレーターでこの大学に行けます大学ランク関係ありますか.どの大学へ行くのが良いか正直分かりません.

お忙しいとは思いますが,何かアドバイスがあればよろしくお願いします.

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みたいな.自分流に再構成してメール体裁を整えて.

聞くだけ聞いておいても悪くないと思うけど.

意外と(?)優しい先生が多いから,いろいろ教えてくれるかもしれない.

忙しいから返事は来ないかもしれない.

最後

そこそこ頭良いと思うから,たまにはがんばってね

適当教師すみませんでした.

2015-10-12

lots of dissention in the ranks of those “authorities” pro-fessing to knowの解釈について

前の投稿で、「knowの目的語はthose thoseは"authorities"を修飾してるわけじゃない。」というトラックバックhttp://anond.hatelabo.jp/20151012181641)を頂いた。

「those “authorities” pro-fessing to know」の構造がどうしても気になったので、某所でネイティブに聞いてみた。

得られた解答を元にすると、

「those “authorities”」が現在分詞 pro-fessing to knowで後置修飾されてるという理解で正しいみたい。

thoseの品詞は、「determiner」、つまり限定詞(=《常に名詞の前に置かれる機能語で,冠詞形容詞用法の指示および不定代名詞代名詞および名詞の所有格などをいう》.)

だと教えられた。

thoseは、“authorities”を前から限定しているのであって、単独代名詞として働いてるんじゃない。

ここから引用http://ejje.weblio.jp/content/determiner

まり、このknowは自動詞である理解するべきみたい。

結局、「those “authorities” pro-fessing to know」は、「(英文法について)理解しきっているつもりになっている(自称権威者たち」みたいな意味みたい。

トラックバックしてくれた人には申し訳ないけど、「knowの目的語はthose」である解釈すると、いくつか不自然さがある。

①「those」のみがofの目的語だとすると、関係代名詞 which,thatが省略されていることになる。

 省略可能なのかもしれないけど。英文法学者じゃないのでわからない。

②those が knowの目的語だとすると、

 those “authorities” is pro-fessing to know

 “authorities”を主語と捉えて、is pro-fessing to knowという形にしなきゃいけなくなると思う。

 “authorities”が単独でpro-fessingで後置修飾されてると考えると、“authorities”が文章構造の中で浮いちゃう

 

lots of dissention in the ranks of those “authorities” pro-fessing to know.

「Grammar in Your Pocket Series Introduction」の1節。

If you’re still in doubt, go to your nearest library or bookstore,

find the Reference Department,

and pull down a bunch of grammar books.

Scour the “rules” and compare them with each other and with your own premises.

Very soon you will discover,

as I did,

that U.S. grammar is all sixes and sevens:

lots of dissention in the ranks of those “authorities” pro-fessing to know.

論点は「those “authorities” pro-fessing to know」の部分。

「lots of dissention~」の前にコロンがあるから

U.S. grammar is all sixes and sevens の「sixes and sevens」の言い換えで、

「U.S. grammar」=「lots of dissention~」っていう理解で合ってるだろう。

「to know」の解釈は2通りしかない。

①those “authorities”にかかる不定詞

②pro-fessing の目的語としての不定詞

those “authorities”のthoseが指すのは、「Scour the “rules”」の「the “rules”」で合ってるはず。

「pro-fessing to be known」じゃなくて、「pro-fessing to know」なんだよね。

①だと解釈すると、“authorities”to know(知っておくべき権威?)が、pro-fessingしているとなる。

professは一応自動詞として使えるみたいだけど、どうも意味不明だ。

②だと解釈すると、knowの目的語がないからやっぱり意味不明

knowが自動詞だとしても、意味理解できない。

ちょっとさすがにお手上げだ。

●追記

「pro-fessing」を名詞解釈すればいい?

those “authorities”の言い換え?

名詞だと解釈すると、to knowとすっきり連結すると思えるけど。

からない。

2015-02-12

「バブみ」

今日、「バブみ」という言葉を知り、日本語の持つ奥深さとオタク文化の繊細さに感銘を受けた。

「バブ」が「バブバブ」という赤ちゃん擬音語から来ており、対象母性を感じるという意味で使用されているのは明らかとして、この言葉の発案者はそれに「み」を付けた。「バブい」でも「バブさ」でもなく、「バブみ」。

「み」とは「味」である。「旨味」や「エグ味」などに並ぶものとしての「バブみ」。「バブい」ではその度合いが表現できず、「バブさ」では程度を測るようで、対象に対する敬意に欠ける。ほのかに醸し出される「味わい」としての母性を、彼(おそらく)は「バブみ」と表現した。

そこには、オタク文化ならではの「対象との繊細かつ一方的距離感」がある。「味わい」という繊細で多次元的な評価軸を持ち、さらに、あくまで甘える側から視点である「バブバブ」を使用することで、対象主観排除している。矛盾するかもしれないが、対象に敬意を込めることと、対象をこちら側に巻き込まないことは、オタク文化にとっては同義である。「萌え」も同様で、草木が伸びる様を表す自動詞で自らを表現することで、間接的に対象表現している。そこに対象主観はないが、それを無視したのではなく、敢えて入れなかったのである

そういった脈々と連なる想いがどこからともなく湧きあがり、2015年言葉として顕在化したのが「バブみ」なのではないだろうか。

(オチはありません)

2014-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20140415144453

一言だけの欲求に対する返答は5W1Hのいずれかが適用されるのではないだろうか


「会話をしたいです!」

→これは確かに「どんな?」だ

セックスしたいです!」

→これは「どんな?」ではなく「誰と?」だな

旅行したいです!」

→「どこに?」が大多数、「いつ?」と思う人も多少いるだろう

「食事したいです!」

→「何を?」

死にたいです!」

→「なぜ?」かな


こうして考えると英文法みたいだな、V with + 人、的な


あと「風呂入りたいです!」と「ウンコしたいです!」は自動詞というか第一文型っぽいのでそこで完結しているイメージ

これは語学に明るい人の意見が欲しいところ

2012-10-19

「地味すぎて気づかれにくい日本語の変化」にケチをつける

地味すぎて気づかれにくい日本語の変化 - アスペ日記

http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20121017/1350465781

1.について

  1. 金融界を揺るがせている
  2. 将来に思いを巡らせる
  3. 五感を研ぎ澄ませて楽しむ
  4. 名刺を切らせてしまった

これらの表現違和感があるでしょうか。

まったくないという人もいるかもしれません。

しかし、「揺るがせる」「巡らせる」等は、辞書を見てもないことが多いのです。

辞書には、「揺るがす」「巡らす」として載っています

「揺るがす」のほうは、「す」という使役形を含んでいます

これは、元々は下二段活用(否定は「せず」)だったのが、下二段活用がなくなるとともに、五段の「す」(否定は「さない」)と下一段の「せる」(否定は「せない」)に分かれた片割れです。

(用例番号は引用者付記)

1.は「ガ行五段活用の動詞「揺るぐ」の未然形である「揺るが」に、使役の助動詞「せる」が付いた『揺らがせる』の進行形。」

2.は「ラ行五段活用の動詞「巡る」の未然形である「巡ら」に、使役の助動詞「せる」が付いた形。」

以下略

であって、「揺るがす」「巡らす」とは別の単語変化ではなくて、分化と呼ぶべき。他も同様。特に1.のような報道関係によく見られる文章になると、客観性の保持からか、使役を伴う表現が増える。(主体性の問題)

変わってるんじゃなくて、使い分けてるのであって、置き換わってるわけでもない。

ちなみに、上記用例はすべてヲ格を伴う他動詞であり、自動詞他動詞一対一対応するわけではなく、自動詞ひとつに複数の他動詞存在するのはたくさんあるわけで、結局のところ、これを微細であれ変化と認めるのは難しい。

2.について

スマッシュで打とうとしてミスって空振

優秀な社員を飼い殺してはもったいない

秋なのに桜が狂い咲いている

これらはいずれも名詞の中でも「転成名詞」と呼ばれるものであり、転成名詞はすべてが他の品詞から派生して名詞になったものである

ゆえに、これらは「名詞動詞になった」ではなくて「転成名詞がもとの品詞のものとして扱われている」と解釈すべきであり、そしてそれは転成名詞の成立上他の名詞より柔軟に使えるからサ変名詞より馴染みやすく、楽に受け入れられることが容易に想像できる。そしてこれを変化とみるかというのは、やはり難しい。

3.について

複合動詞を作る時に、もともと意味として自然なのは自動詞+自動詞」「他動詞+他動詞」という作り方です。「たちなおる/たてなおす」・「おちいる/おとしいれる」のようなものがありますしかし、このようにしていったん固まった形から自動詞他動詞化や他動詞自動詞化が起こることがあります

自動詞には自動詞他動詞には他動詞を結びつけることが意味として自然であるわけではない。

http://nihongo.do-bunkyodai.ac.jp/qandaDisp.php?id=104

たまたま「立て上げる/立ち上がる」の対立が琴線に触れただけで、探せばたくさんあるのだから、そういう分類自体が意味を成していなかったと見るべき。


なんというか、現代曲を古典和声で説明つけようとして破綻するのと同じ有様を見ているようで、感慨深い。

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