「自体」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自体とは

2024-09-06

anond:20240906005552

メンタル診断書もらうには医師の診察を受けないといけなくて、それは本当にうつ病になってなければ無理だよ。

 

なのでお勧めは、いちどギリギリ懲戒免職にならないくらいの大きなやらかしをして、停職以下の懲戒処分を食らうこと。

そうすると人事記録に「こいつやらかし過去あり」となって、重要責任のある部署ポジションにはまわされなくなる。

公務員が減点主義なのを逆手にとって、減点くらって楽(責任を負わされにくい)ポジションに行くの。

出先の庶務担当とかね。

自分が壊れたり自殺するよりは、周りに迷惑かけたほうがマシだと割り切るんだ。経験からアドバイスだ。

 

俺のやらかしは、ほんらい決裁が必要文書を決裁なしで発出してしまたこと。

まり業務が多くて忙しくて手が回りきらず、でも上司も周りも自分以上に忙しいので助けを求めることもできず、文書発出が遅れると相手迷惑をかけるので遅らせることもできず、育児があるので夜中までの残業もできず、

自分の手持ち業務範囲内で省ける時間を省こうとしたら、文書作成したら起案せずにすぐ出してしまうことだった。

当時は公印審査もゆるゆる(形だけはあったが、実質ノーチェックで自分で押せた)だったのでそれができた。(俺がやらかしから厳格化されて勝手に押せなくなったが)

そういう処理が何件と積み重なって、翌年の内部監査で当然発覚して大問題になって懲戒処分となった。

 

うちは夫婦フルタイム共働きで、懲戒処分されて次の異動からは俺の残業は無くなって妻のほうが帰宅が遅いので、俺は毎日5時15分で退勤して保育園に迎えに行って、自宅で子供と遊んで晩御飯作って一緒に食べてる。

俺がやらかしてなかったら育児が立ちいかなくなって詰んでただろうから結果的にはよかったと思ってる。

 

追記

毎年「意向調査」というのがあって、異動希望も書くことができるので、やらかし部署に配属される前年に第三希望まで出先を書いて、任意記述欄にも「もうすぐ子供が産まれて、妻は自分より忙しい職種自分育児主体になるだろうから残業の少ない出先を希望します」と書いてあったのに、本庁のクソ忙しい課に配属されたので

「俺が悪いんじゃないわ、人事課が悪いわ」と半ば開き直ってたところもあった…

さすがに監査でその書類見られて無起案が判明した瞬間は、バレるにきまってるとわかってたのに血の気が引いて頭クラクラしたし、その後に上司が同僚が後始末で苦労してるとしきは申し訳なさすぎて退職も考えたけどな!

「俺がやめたら子供の将来の教育費はどうする、妻が一馬力で苦労するぞ」と思ってしがみついた。

 

追記追記

ブコメ「 有印文書偽造でクビにならないのってさすが公務員だなーって感じ」

ほんらい出してはいけない文書自分意志で創出したのなら偽造なんだろうけど、

俺の場合は「受けるべき内部決済を受けてないだけで、文書自体法律上さなければいけないものを、基準に沿った内容でちゃん審査して作って出した」状態だったので、偽造にはあたらなかったみたい。

(部の主管課が顧問弁護士相談して得た回答をもとに、三役まで判断を仰いでの結論。いやほんと大ごとだった。)

なので「年度を越えた事後決裁」という特例措置をすることになって、上司をかけずりまわさせることになってしまった。

anond:20240906114025

人身攻撃は、ある論証や事実の主張に対して、その主張自体に具体的に反論するのではなく、主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法

牛角女性半額キャンペーンへの反応の何が気持ち悪いって、

矛先が牛角自体よりも明らかに『女』に向いているのが気持ち悪いんだよな

奴等が本当に求めているのが平等でも何でもなく、女を叩く口実なのがよーーく分かる。

ジェンダー絡みの話題相対的に軽いものばかりが盛り上がる

牛角問題炎上に関連して、改めて思うことは、どうしてジェンダー絡みの話題相対的に軽いものばかりが盛り上がるのか、ということだ。

例えば、「女性差別」の現れとなる現象としては以下のようなものを列挙することができる。


(1)非正規雇用比率の多さと平均賃金の低さ

(2)独身女性特に中高年とシングルマザー)の貧困率の高さ

(3)性被害に遭う確率の高さ

(4)管理職の少なさやキャリア形成格差

(5)家事育児の分担比率の偏り

(6)ジェンダーバイアスに基づく公人男性言動

(7)広告における女性表象


この中で議論余地なく重い女性差別は(3)までである。(3)はさすがによく話題になっているが、(1)と(2)はなぜか滅多に話題になることはない。


フェミニストが憤るのは(3)を除くと主に(4)(5)(6)が多い。しかし、(4)キャリア立身出世)を目指すこと自体は最低限の生活水準はるかに超えた問題であり、(5)家事育児については分担以前にそもそも「楽をする」「手を抜く」という発想がなさすぎなことを問題にすべきであり、(6)公人言動も直接政策に反映されていないならそこまで問題視する必要はない、という意味では「軽い」問題である。少なくとも、キャリアを目指せる人、安定した仕事パートナーに恵まれている人、政治的知識や関心がある人たちの関心事であっても、このカテゴリー入らない「弱者女性」にとってはほとんど関係のない話題である


もちろん、(1)(2)の問題があること自体は、よく知られている。しかし、フェミニストからも、この問題言及されることは意外なほど少ない。むしろ労働問題については、「103万円の壁問題など、女性貧困と間接的にも関係が薄いテーマばかりに反応する傾向が強い。私見では「103万円の壁」はそもそも問題ですらないと思うが、ネット上のフェミニストの間では女性貧困低賃金よりも深刻な問題として扱われている。



岸田首相についても、すくなくとも女性が圧倒的に多いケア労働者賃上げについては尽力していることを正当に評価すべきだと思うが、そうした声を聞いたことは一度もない。逆に「女性ならではの視点を」という断片的なフレーズにやたらに激怒している人がいた。明らかに怒りの矛先の配分がおかしいだろう。


ちなみにアンチフェミ勢については、反応するのはほぼ(7)の問題に集中し、逆にそれ以外の話題についてはあきれるほど無関心か、言及する際も社会構造としての女性差別否定して、「女が自分で選んだんだろ」という自己責任論で応答している。主張の内容以前に、人間としてクズしか言いようがないだろう。

名実況者が女装写真上げまくってて憂鬱

まぁクオリティは悪くないが、顔面全部隠れててフィルターもかかってたらそりゃ可愛くならないわけないじゃん、俺だって可愛くなるわそんなん

お前のツイートが伸びてるのは女装かわいいとかじゃなくて、最初から有名なやつの女装から伸びてるんじゃん

まぁX自体収益化はそんなに金が入らないからいいんだけど、今度はそいつコスプレしてみたって動画出すかも」とか言いだすじゃん

お前ゆっくり実況者だよな???んでどうせ動画信者にいっぱい再生されるわけでしょ?そういうマネタイズ方法もあるのか…

夜行バス嫌い

いかバスでいいかって思って長距離夜行バスに乗ったことが人生で3回あるけど3回とも不快な思いをした

1回目は高校卒業したとき春休み 大阪から東京まで

友達と4人で乗ったけど、私の前の席の人が途中で嘔吐していた

すみません…って言われて思わず大丈夫ですよって言ったけど

出発して間もなく吐いて、落ち着いたと思ったら1時間後にまた吐いてた 着くまでに3回ぐらい吐いてた

換気が悪くて臭いからこっちも吐きそうになった というか隣の席の友達は吐いてた

2回目は大学時代夏休み 大阪から高知まで

隣の席の人がずっと体中掻きむしっていて気味悪かった

虫刺されで痒いとかそういうレベルではなく、血が出るぐらいまでずっとかいていて、床にめくれた皮がポロポロ落ちていて汚かった

たまたま席が空いていたので、休憩のとき運転手さんに相談して他の席に移動させてもらえた ありがたかったが、服や荷物に皮がついたんじゃないか心配で気分は最悪だった

3回目は就活をしていたとき 大阪から東京まで

3列式でゆとりのあるシートで、これなら大丈夫!と安心していたが駄目だった

隣の人がやはり汚かった

乗ってきた瞬間に刺激臭が凄くて、あーヤバい人だな、と覚悟した

ちょうどコロナ禍の頃だったので、ずっとくしゃみをしているのも嫌だった

見るからに変わった人だったのであまり見ないようにしたが移動中ずっと、髭を引っ張って抜いて床に落としていた 気持ち悪かった

また席を変わろうかとも思ったが、車内に二人しかいない状況で移動したらトラブルになるかもしれないと思い、怖くて移動できなかった

昼行便で車内が明るいので移動したら目立つの理由だった

というか、前日時点でガラガラなのになんでわざわざ隣の席を予約したのか分からなかった

百歩譲って隣の席を選んだとして、隣に人がいるのだから髭を抜いたりするのはやめてほしかった

折角新しいスーツを着ていたのに

降りて悪臭と髭から解放された瞬間、安心して泣きそうになった


なんでこんなに自分だけついてないのか分からない

年代の人は夜行バスなんてへっちゃらという人が多いが、嫌な思いをしたことがないんだと思う

何がいいんだよバスって 汚い人ばっかじゃん

(※3回ともメジャーバス会社の便なので、バス自体の質が悪いというわけではない)

anond:20240906020859

しかも顔のつくり自体が生まれ持ったもの関係するから、肌もいい傾向にあるんだよな

同じケアでも

肌のきれいなチー牛は普通顔の同程度の肌のきれいな奴よりはるかケアしてるのに評価されない

公務員1X年目の元ニート40代限界が来ているので「辞める」「精神病になる」「ギブアップする」の三択と向き合っている

ガチ進学校

深海魚

引きこもり

浪人

ニッコマ大学

中退

ニート

年齢制限ギリギリ公務員

1X年務めるも未だに平

平だけどメンタルがそろそろ死にそう ←NOW on NOW

公務員の何が凄いって平でもそこそこ責任のある仕事を「押し付け」て貰えること。

役所に積み上がっている仕事のうち8割は強い責任感が求められる仕事だ。

世の中に責任感が求められない仕事なんて全くないと言っていいだろうが、それでも強い責任感を求められるのはベテランや一部のブルシットぐらいで、その中でも公務員はブルシットかつハイプレッシャーにおいて突出している。

プレッシャーに押しつぶされて人生をのたうち回ったはずの自分が、目先の安定を求めて公務員になったのが紛れもなく失敗だった。


特に何が辛いって35を過ぎたあとの転職先のなさ。

同業他社とも言える他の公務員がその辺りに年齢制限しかけてきて途中入場を完全に断り、同時に他業種が新規参入を断ってくるのも35ぐらいから。

ここまでの間に公務員以外の業界転職しなかった場合は、一生同じ職場で過ごすか、辞めてから「異常に入るのが簡単業界」に潜り込むしかなくなる。

もちろん、「死ぬ」という選択肢もあるにはあるが、それは全てをやりきったあとの話なので今話しても意味がない。

俺は公務員に入るまでの間にあまり人生無駄にしすぎた人間であり、速攻で公務員に見切りをつけた場合は「公務員も◯年しか出来なかった中卒元ニート」として転職市場に飛び込むことになる。

それはマジでヤバイからと踏みとどまっているうちに、結果として今度は年齢制限により行き先を失ってしまった。

俺が今から公務員をやめて入れる業界は本当の3K業界だけだ。

まりビル清掃員、ライン工警備員運送業者、ウーバーイーツといった正真正銘の「受け皿」である

面白みもなければ待遇も良くない業界に行くぐらいなら、つまらなくてプレッシャーまみれでも公務員のほうがまだボーナスぐらいは貰えてマシだとは言える。

だが俺はもう日々のプレッシャーに耐えられるだけの体力がない。

月の残業は平均60時間程度でそこまで絶望的というわけでもないのだが、とにかく毎日仕事苦痛すぎるとそれも耐えられなくなってくる。

仕事自体は、単にやってきた案件を適切な所にばら撒き直すだけの郵便仕分け装置のような立場しかいから超つまらないし、そうしてつながりのあるあらゆる界隈から「お前が完璧仕事をこなさないと困るんだが」と凄い勢いでケチをつけられ続ける。

自分たちが適当にグチャグチャやったあとの後始末をぶん投げいるだけの癖に「速攻で完璧にやるのがお前の役目では?」とやたら強気相手にいつもイライラさせられながら、自分の手にはなんのスキルも身につかないままに誰かの力を借りて片付けてもらう無能手配師として日々を生きている。

組織トップ達が「俺の手柄、これマジで凄い」とアピールするための玩具パーティーを用意するために雑に予算を奪い続けてきたせいで、職場のあらゆる資源が枯渇しており、パソコンFAXさえもボロボロな状況の中で必死にやりくりする日々に泣きそうになる。

それでも頑張っている中で、上から降りてきた仕事をただそのままウォーターフォールさせてはロクに管理もしない上司から「なんで早めに終わらせてないの?」と「なんで残業減らせないの?」をダブルバインド自覚もないままに日々繰り返し聞かされることこそが最大の辛さなのではという気もする。

社会からズレた場所でただ降りてくる仕事ライン工のようにこなし続けてきた人間に、管理分野の仕事なんて務まるはずがないのにそれを押し付け組織問題があるわけだが、このままここであと10年もやっていれば、自分がまさにそのクソったれた管理者となり、自分の役目はこれだとばかりにただ部下への催促を繰り返し忖度をおねだりするだけのゴミになる未来を想起するだけで気が遠くなりそうだ。

俺はもうこの仕事が嫌いすぎる。

こんな無能共が階級社会迎合してロクに組織改革もせずに税金無駄に垂れ流していることも許せないが、それを変えられるだけの力はこんな所でダラダラと人生を潰してきた自分たちカスにはあるはずもない。

致命的な無能として生き続ける日々、その中で無能同士なりのシンパシーがあるでもなく奴隷同士の内輪もめを繰り返して生きていくのは流石にしんどすぎる。

俺はもういい加減辞めたい。

降りたい。

せめて残業を月20時間ぐらいにして欲しい。

というわけで、「辞める」「精神病診断書を貰う」「上司ギブアップを伝える」の三枚のカードを心のなかでいつも睨みつけて働いている。

どの選択肢もそれぞれにデメリットがあり、そして間違いないく一方通行だ。

段階として、まずはギブアップを伝え、それで駄目なら精神科に行き、そして最後に辞めるという順序もあるだろう。

精神科で下手に診断を貰ってしまう前に辞めるという選択もあるし、辞めるために行動を起こすことで環境が変わる可能性もある。

一つ言えるのは、それぞれのデメリットが大きすぎるから何も考えずに同時にやるべきではないってことだろう。

まずはどれか一つだ。

どれを選ぶべきか。

上司ギブアップを伝える」というのは実は何度かやっているが、ただ「もう無理です。仕事減らしてください」と伝えただけであり、それに対して「でもさあ、お前と同い年の人はもっと沢山働いてるのに、自分だけ仕事が少なかったら恥ずかしいよね?」とパワハラまがいの反論を食らうだけだった。

我が職場情報保全意識が高いので職場ICレコーダーを持ち込めないから、上司のこの発言は虚空に消え私の心の中に響くのみというのが虚しさを加速させる。

この職場は、官僚社会は、構成する人間を守ろうとする意思が極めて弱く、構成員は犠牲になるだけの歯車、いや歯車に塗られたグリス、それを磨くためのウェス、ギアを回すためのエンジンにくべられる薪の一束、存在価値など虚無に等しくいらくでも変えの効く消耗品なのだ

許しがたい組織だ。

だが俺のようなニート中卒に人並みの給料を払ってくれそうな職場はここぐらいしか思いつかず、その地位に思わず飛びついたのは俺だ。

地位」によって給料が決まるという今時の言説を真に受けて人生を選んだが、そもそもその話は「地位を選べるような技術を身に着けろ」という話であって、「技術を身につけることを諦めてでも地位にしがみつけ」というのは、短期的にはよくても長期的には袋小路しか待っていないのだろう。

俺はもう無理だ。

うきゃー~~~~^だfだっさfだ!Fdfsfsda!!!!!!!!!!!!資格を取ってビルメンになるんだ~~~~!RFSsっふぁsうわぁぁぁああああああああああうい

と頭がおかしくなりそうなにるのをいつも必死に堪えている。

ビルメンになった先にあるのは、同じように人生を転げ落ちた人間同士の平和な傷の舐め合いなんかじゃない。

下に落ちれば落ちるほどに、底辺階級同士の醜い奪い合いが起きているものだ。

そして、そこでは今以上に「換えの効く人材」としての酷使が待っている。

から安易に逃げ出すべきじゃないんだ。

逃げ出すべきじゃなかったんだ。

「逃げる」という必殺のカードを使うタイミング人生の序盤に持ってきすぎた。

もうこのカードはこれ以上切れない。

俺の人生はどん詰まりだ。

だけど、偶然を信じてもう一度「逃げる」という手を叩きつけ、盤面で何かが起こることに期待しないといけない時が近づいている。

たった60時間残業でも、上司から顧客から理解を得られない環境で働き続けるというのは恐ろしいほどに消耗するんだ。

同僚同士で愚痴り合っているときに感じる「ああ、俺がおかしいんじゃなくて、やっぱり俺達の周りにおかしい奴らがいるだけなんだ」という安心感と、ボーナスを込みで考えれば最低賃金とは比べ物ににならないような給料けが俺を支えている。

間違いなく言えるのは、今俺達の上にふんぞり返って「俺こそがお前達を活かしてやっているのだ」という顔をしているアイツは、俺達の心を降りながら自分の保身をしているだけのカスだってことだ。

そして、上司となるための技術が全く身につかない日々を送っている俺が、もう10年か15年からしたら、あの席に座ってカスとして皆から嫌われて寂しく生きるだろうってことだ。

権力が人を変えるのではなく、権力に近い立場にいる人間押し付けられる席がカスにならなければ生き残れないカスのような役割であることが多いってことなんだろうな。

辛いよ。

下っ端の頃も辛かったし、中堅になった今も辛くて、上に行っても辛いんだ。

ずっと辛い。

ずっと辛いことが分かっているけど、転がり落ちてタクシートラック運転する人生だってきっと同じように辛いのなら、せめて給料ぐらいは安定してそこそこ貰いたい。

嫌な人生だ。

収入が低くてもいいから、自分社会価値提供していると信じられる仕事についたほうがいいんだろうか。

でも、安い給料は心が壊れた時に自分を守ってくれない。

俺の溜め込んだ給料は、税金を払って病院に通い続けても3年ぐらいは俺の命を守ってくれる。

ドン詰まった人生を終えて死ぬまでに3年間あるのと3ヶ月しかないのとでは、やっぱり何かが大いに違うと思うんだよな。

悲しいのは3年ニートしてから社会に戻るって選択をきっと俺は選べないってことだ。

というかな、俺なんかが3年ニートしたあとに社会に戻してもらえる気がしないんだよな。

社会はさ、能力もないのに逃げる人間に厳しいからな。

だって無能である人間にできることは「逃げないこと」ぐらいだから

手に職を身につけることなく、地位にしがみつくことで生き抜こうとした無能の末路がこれだ。

他の無能共は、人生の道を誤らないでくれ。

地位大事だけど、まずは技術だよ。

anond:20240905235651

「その成分が実際効くかどうか」というのも、数字では表せないところがあって難しい

現状の科学領域では測りきれてない効能機能がたくさんある

これから科学進化によって、もっとそういう領域が増えていく

これはその通り。そのような領域存在することは勿論否定しない。

しかし、であれば一定再現性が確保できた段階になってから効果を謳うべきだろう。最悪、薬機法景品表示法といった制約があるとはいえ、まだ解明されていないだけかもしれないからなんて理由である事ない事アピールしていたら早晩信用を損なうだろうし、リテラシーの高い潜在消費者に訴求することも難しくなるんじゃないだろうか。

そういうことから、「美容品の消費者の大半がSTEM比率の低い女性である」っていうのはちょっと失礼というか、

それはそれで非科学的なのでは…?証拠あるの?

そこは「これは統計的差別だが~~疑っている」とあることから分かるかと思うが、当増田による根拠のない憶測に過ぎない。勿論、賢明美容ユーザー女性もたくさんいるだろうし、逆に男性消費者が多いであろうフィットネスAGAでも怪しい商品は少なから存在している。

あと追記だけど、官能検査については、例えば嗅覚信号のもの効果を測るような場合被験者側の盲検性を確保するのが難しい等の試験デザイン上の課題はありそうとは言え、留保を置いた上で定量的評価自体可能なのであって、官能検査から誤解されやすいとか数値で測れないみたいな話はよく分からなかった。

2024-09-05

anond:20240905180330

任意入力任意の出力に変換するのが人民役割であり、頑張りどころであるはずだ。

常にリーダー大目標を示し、人民はどうすれば大目標を達成できるのか、それこそ一億総火の玉となって考えるのだ。

無論、達成できなければ、原因となった人物責任をとることになる。つまり、究極的には首をくくる。ゆえに達成できないなどということは考えること自体自殺的で、許されず、また不自然力学でもある。文字通り死ぬ気でしゃにむにやるだけである

上記普遍的原理は、洋の東西を問わず常に真理であった。

ところがこのところの日本男児は情けない者が増えた。大目標のために体を張ろうという気概のあるものは随分珍しくなった。豊かさの反動とでもいうべきか、これはこれとして喜べる点もあろうかと思うが、リーダーとしてはいただけない。弾丸が不足すれば、戦の行方など望むべくもない。

そこで女子から気概のあるものを取り立てることとする。大変画期的先進的な考え方を導入するのである。考えてみれば総人口のおよそ半数は女子であるから、優秀な男子が足りなければ、自然、優秀な女子を求めることとなる。

それから外国人にはまだまだ気概のある若者が多い。かつての我が国のように、未来を見据えて意気揚々と取り組む若者外国には滅法多い。こうした新たな血を取り入れることで、国力の底上げを図るわけである

これらの労働力というのは、情けない今日日本男児のけつを拭く役回りではあるものの、絶対数として切れる首の数は確保しなければ、やはり回る首も回らないというのが現実である

私の要点は、つまりあなた論理は自らの役割放棄した全く無責任絵空事であるということだ。自らが何をすべきか?それはつまり大目標に向けてひたすら前進することである。何が大目であるべきか、などと考えを巡らせる必要はないし、越権的思い上がりと言うべき代物である大目標に意見を持つということは、つまり体制に対する反逆を企図していることに他ならない。もしも真に述べるべき価値のある意見があると信じるならば、相応しい立場に上るその日まで口を閉ざすのが賢明である。相応しい立場にない者が意見を持っても、所詮床屋談義の域を出ないのである。そのことを自身で弁えているからこそ、力を求めて刻苦勉励を重ねるよりは、安易言論じみた同化を演じてしまうわけでもある。

もしもあなた若いならば、考えを改めるチャンスがある。与えられた役割を全うせず、遠き天の彼方に唾を吐くのか、それとも国家安寧のために微力を尽くすのか、選ぶことができる。真剣に考えてみてもらいたい。それこそ、命をかけて黙考されたい。

anond:20240905223407

言い方とかタイミングとか根回し的なものかに気をつければ、主張自体は受け入れられるものがボチボチあるんだが、問題は言い方とかタイミングとか根回し的なものが今一つ。

あと、抜本的な主張が多いんで、それ実現できたら良いけど、骨抜き、腰砕けになったら、目も当てられんなとも思ったりする。一応、期待はしている。

そもそも「高額バイト」と検索して合法求人は出てくるのか?

もう「高額バイト」と検索すること自体違法とした方が手っ取り早くね?

主にアビドス三章とプロジェクトKVについて

色々と情報錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。

ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメテキスト差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか

 

まず、対策委員会編三章に関して

ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音吐露できないでいたホシノ(アニメ水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。

 

ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。

 

私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデント対立のくだり

この辺りに関しては敵対者コロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデント大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。

この辺りは直近のイベント等でちゃん説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブトラブル担当にされていたので、モブNPC性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。

アニメや最終編でノノミ描写から実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。

 

シロコ*テラーがみんなの武器を捨てるシーンに関して

スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。

果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクター大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。

 

地下生活者に関して

今回の章での先生結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わず干渉し、チートめいた現実干渉本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。

だがその上で、どこまでが地下生活者仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンド執事プレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈しか見ていない様子で、地下生活者台詞呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実認識曖昧になっていたのかもしれない。

しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。

先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリア無効化されてきた手段意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオ更新ストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。

メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激ユーザー揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタ風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤー元ネタになるのも自然な話だし、それ自体別に良いと思う。しかユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性キャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険メッセージ性が生まれてこないだろうか。

ただ問題キャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたもの説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか

表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかたかそもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。

 

朝霧スオウに関して

よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリ対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミ誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。

ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。

ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。

 

セトに関して

ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。

セトに関しては戦闘フィールド名前元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無からまれボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。

それが新規コンテンツボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。

 

ホシノとヒナの対決に関して

スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。

ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。

ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉淡々提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。

事実真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナ重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。

頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナ精神性はもともとコミュニケーション不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。

 

後輩の成長に関して

ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫描写が多かったように思う。

セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。

今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?

 

ユメに関して

ホシノの物語登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤー視点としては先生として世界観測するゲームで、生徒には無限可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。

全てを許してくれる聖母のような立ち位置先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しか先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレル存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出し列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者干渉範囲ネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。

どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。

ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサク代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。

しかギャグパートシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。

ミームの件も合わせて考えると自分シナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。

 

対策委員会編二章とエデン条約編の焼き増しではないか

対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。

ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。

本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザー軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。

 

最近イベント

細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。

ーve Alive!ではアイリ意図勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか

say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事ものを本人の意図関係なく尊重し、しかアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。

seaside outsideでは、人殺し教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。

月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキ門主就任仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキ Permalink | 記事への反応(1) | 19:52

anond:20240905192230

厚生労働省の発表によれば近年はそう

肺炎肺炎で5位ぐらいにあるけど

老衰自体が死因として微妙概念から昔は別の理由記載されてたのが老衰に分類されるようになっただけってことはあるかも

何が差別か、何が許されるかって

結局、性別に触れることが、全て今はアウトなんだと思う

差別って言いだせばきりがないし線引きが不明瞭なものばかりだ

母子家庭への補助は差別

ヤクザ排除差別

老人が無料市バスに乗れるのも不当な優遇

子供が安くなるのは差別

こんなの言いだせばきりないし、そこにはっきりした線引きを提示できる人はいない

困ってたら、弱い立場なら、優しくしてあげたらいいんじゃない?というのがかつてのみんなの気持ちだったし、女性優遇もその流れのひとつしかない

ただ、今はそれが許されなくなった

性別待遇に差がつくこと以上に、性別にことさら触れること自体が、差別とは何ぞや、という話以上に、現代ではタブーになってしまったって感じがする

河野太郎国民確定申告制は昔から理想的税制とされてきた

河野太郎が、「年末調整廃止して全納税者確定申告する税制にする」とXで宣言して炎上賛同やらされている問題。これはずっと以前から理想的税制として語られてきたもので、別に太郎が急に閃いた事ではない。

https://x.com/konotarogomame/status/1830737429361504665/photo/1

https://nordot.app/1203999108206085074

 

シャウプ勧告

元々はGHQ戦前日本旧弊で反民主的税制是正せんとした税制改造(シャウプ勧告)に端を発する。つまり民主的税制である

戦前日本では納税単位がイエ単位であったり、戦時増税として物品税が多く設定されている為に市場じゃなくて個人売買した方がお得とか、税務署自体もやたら威張っているなどの問題があった。イエ単位納税個人がイエに縛られている事を前提とするので反自由、反民主的であり、会社員世帯が税額の面で不利になる。戦前資本主義が未発達で会社員は限られたエリート的な身分だったが、これが大衆化して給与も下がったら不公平は看過しえないものになる。また地方自治体の税収源が少なすぎる為にを国家中央が握る地方交付金依存しすぎているのがファシズムの浸透の原因にもなった。

 

こういう判断アメリカ型の税制の更に理想的な形を日本施行して、根幹から民主的資本主義国家の骨格を持たせようとした。

それで導入されたのが、法人税青色申告複式簿記固定資産税などだ。戦前では土地税金地租家屋税金家屋税で、共に国税であった。これを廃止して地方税の固定資産税として納税先は自治体となった。

 

で、問題源泉徴収年末調整だが、これも廃止して個人確定申告にする事がシャウプ勧告に入っていた。だが困難という事で見送りされてしまったのである

それはまず取りっぱぐれの問題税務署会社を押さえておけば効率的所得税は見逃しなく徴税出来るが、社員個人確定申告のみとしたらバックれる奴が出てくるに決まってるし確認作業も大変だ。

もう一つは社員確定申告に来るのが大変だという問題確定申告の為には一日休まなきゃならない。そして税務署で延々並んで…というのをやらないといけない。当時産業殆ど吹っ飛んでしまって生きるのも大変な時期に金を払う為に一日休めるか、会社社員がごっそり来ないという状態是認できるか。

こういう反対意見に押し切られて天引き源泉徴収年末調整のままになってしまった。

 

確定申告理想

シャウプ勧告には有ったのに見送られてしまった総確定申告制だが、その後も理想的税制として導入を訴える声はあった。

それはまず、太郎も言っているが税の仕組みが判るようになり、使われ方にも分解能が上がるだろうという事。

ブクマページなどでは「この機会に簡素化して控除も無くそう」みたいな事言ってる人がいるが、逆だよ逆。どういう行動の支出に控除があるのか、自分はどの控除が掛かっているのかという事を知る事が出来る。「控除も無くそう」というのは天引き以外の納税を知らない意見だ。「所得税」の欄の数字所得から単純に出てると思ってる。だがこの数字会社が控除額を計算して算出しているのだ。

控除がどこに掛かるかを知れば、現在の国が不公平是正する為に会社員のどこの負担を認めて差っ引いているかが判るようになる。

もう一つは利害の誘導。国がどのような行動をして欲しいか、というのが控除に現れる。マイホームを買ってローンを組んで欲しいか(見かけ上通流通量の増加→インフレ)、子供を産み育てて欲しいかなどだ。これは法人税青色申告だともっと鮮明に意図が見える。

 

納税者意識は確実に高まるしその使われ方にも興味が行き易い。

今までは確定申告の為に一日休んで税務署に行くというのが負担だった。年度内で転職したのに確定申告に行かない(行けば取り過ぎ分還付されるのに)人も多かった。

でも電子納税なら夜でも出来るし時間も掛からない。税務署で並ぶ必要もない。負担にならないのだ。テック万歳である

 

という事は増田太郎意見賛同していると思うじゃん?残念だが反対なのだ

 

ネオリベラリズム残滓問題

太郎意見ではこの施策

所得情報を迅速に把握できるので、必要な人にピンポイントでプッシュ型支援を行うことができる

としている。だが「所得情報を迅速に把握」と「ピンポイントでプッシュ型支援」は繋がるのだろうか?

この二つは別の問題じゃないのか?

更に現在でも源泉徴収の為に社員マイナンバー必須となっている。総確定申告化で何か変化があるのか?何もない。

因みに自治体によっては低所得者向けに交通チケット給付金、買い物券などの支援をやっている。現在でも納税額を見てプッシュ型でそれら申込書を送ったりしている。「ピンポイントでプッシュ型支援」されているのだ。

但し地方自治体所得額を把握するには、国税所得税確定→それを基に自治体住民税確定と段階を踏むので、時期は6月辺りになる。太郎はそれを前提に「所得情報を迅速に把握」としたのだろうが、白色申告時期の3月から3か月程度でしかない。この文章を読んで「たった3か月じゃん」と思えないのはダメである

 

だが問題は何故こういう力点作用点が違う事象を言っているのに通ってしまうかという事である

それは2000年代前半の日本ネオリベ流行した為なのだ

 

日本でのネオリベ流行には特徴があり、支持者に経済音痴が大変多い。商取引での慣行法制度、更には経済事件は非破廉恥罪で社会善悪感情と異なるという常識すらない者が多い。

また「メンバーシップ会社から自由な」個人を謳っているくせに経済事象給与所得者の延長で考える事が多い。多いというか専らだ。つまりB層問題だ。

賛同する政策というのは何かを壊す(入力)というものが多く、その結果は任意の好ましいものになる(出力)という根拠がないものだ。

例えば郵便局株式会社化して上場させるという入力に、サービス向上という出力が発生すると素朴に考える。だが普通に考えれば配当が欲しい株主離島過疎地でのユニバーサルサービス継続に賛成する筈がないよなぁ。

また、賃貸家賃を安くする(出力)為に土地建物相続廃止入力)して不動産会社が取得すべきという意見も見られた。これは既得権益者の地主などにも諭されていたが、物件取得費を家賃で回収する必要があるから安い物件なんて無くなるわなぁ。

太郎が今言ってる解雇自由化(入力)で雇用流動性という出力が得られる論も同じで、入力と出力が結びついていない。それを結びつけるのにはどうするか?という設問が出ない言論空間をアテにしているのだな。

 

こういうややこしい社会制度を解体したら望ましく自分が得する結果になる筈!というのは90年代まではリベラルがやっていた。自分が抑圧されているのは社会のせいだ、と。また海外出羽守も同じことを言っていた。

2000年以後になるとリベラルは退潮し、代わりにネオリベ流行した。これは市場を喰われたって事である

だが実際に導入されてみるとこんな考えだったB層達は解放されず、勝者はノウハウを集積出来る法人であった。

また単に市場シュリンクさせ余剰を無くして全体の賃金を縮小させデフレを進行させただけだった。日本からはGAFAMは現れず、Ankerも現れず、3Dプリンタなどの新しい技術を売る会社日本企業の名はない。成長してLGサムソンになる会社もいなかった。

これらが出来なくなる基盤だけを提供したのである日本ネオリベ米韓のそれは性質が違うのだ。

 

ところがそんな入力と出力の間を繋げる努力も無しに任意入力すれば任意の出力が得られると言って憚らない連中は残存している。彼らが持つ社会へのルサンチマン入力と出力の必然性を彼等の中で担保しているのである

そんな連中に向けた言葉を語っているのが太郎なのだ

今回の太郎の表明に「複雑な税制が無くなって控除が廃止される事」を望んでいる意見が寄せられているのがその証拠である天引きサラリーマンから見たら控除の必要性なんて判らない。それでそれを敷延して判り易い世界が来る事を期待してしまうのだ。もうこういう支持のされ方をする政治家は落とした方がいいだろう。

 

太郎アカンみ

太郎はかなり面白い来歴の人物だ。Wikipediaにもあるがアメリカ大学政治学を学んでいるしその途中でポーランド留学している。その間に後に初代ポーランド大統領になったワレサ連帯議長を訪ねている。当時はまだゴルバチョフペレストロイアの前で、連帯反体制運動と見做されていて太郎公安警察にしょっ引かれている。

連帯自由主義寄りだったユーゴスラビア自主労組のような組織で、共産党独裁が前提のソ連勢力圏では「修正主義」と見なされて弾圧されていた。だが後の東欧自由化の先陣を切った運動であった。

その連帯ワレサ議長に、ゴルバチョフ以前に会いに行くというのはすごい行動力だ。筋金入りのリベラルといっていい。

 

だがこういうリベラル保守側に転向した際に最悪となるエピソードというのは多い。一番判り易いのがアメリカネオコンサバティブで、その中心人物スターリン左翼偏向と詰られたトロツキストだった。

国益』誌でソ連崩壊アメリカ民主体制勝利歴史の終わり)とする一派を押しのけて軍拡競争の為と総括した連中が911の衝撃に乗じて共和党内の穏健派を追い出し、宗教右派と手を組んで共和党ジャックしてしまった。その結果イラク戦争を起こし、イラク国内を平定出来ずにISIS活動を許し、中東を戦乱の渦に巻き込んでしまった。責任を問われて失脚し、穏健派パージしていたので今の共和党宗教右派陰謀論のトランピアンに乗っ取られた、アメリカ覇権の内なる脅威みたいなもんになっている。

太郎場合実効性や結果のフィードバックを取り込んで行動していない。設計→実行→修正行政組織の行動葎を取り込まずに、設計しっぱなしなのだ。イージス・アショア配備で断念する旨の報道が出たのに「自分は知らないか誤報」と言って後で泣き言言っていたのを覚えているだろうか?防衛省内の報連相サイクルからパージされていたという事だ。

ワクチン担当でも残数ショート産業医接種を突然停止させ、その余波で通常の大規模接種も長く停止してしまったのに、それは外部の問題だと言って憚らなかった。自分の行動が及ぼす影響を考えず、自分設計は正しいと言うだけだった。

どうも安倍時代に初入閣してそれが通ると覚えたようである

 

Xのブロック問題も初めは「変なネトウヨ」(本人談)をブロックしていただけだった。紅の傭兵の息子だから中国スパイだろお前は、的なもの相手にする必要はない。だが入閣後は自分行為評価している人全てブロックになって、マスコミ質問ブロック、となるとただ設計があるだけで、それが適切な出力となって社会作用するか?という事を問われる環境に居た事が無い。

 

そうすると源泉徴収年末調整廃止と総確定申告化が如何にシャウプ勧告に基づき、ずっと議論されてきた理がある方策だとしても反対するしかない。

しかもこれが「ピンポイントのプッシュ型支援に繋がる」と、入力とまるで関係がない出力が得られる、と言っていれば猶更だ。これは20年遅れのB層設計しっぱなしの政治家が語っているというだけの下らん話である。それは騙しがデフォルトコミュニケーションをしているだけに過ぎないのである

anond:20240828151536

ほら、問題ないってよ。

https://x.com/kopppepan/status/1831593957144588498

安全性検証

安全性検証については、建築構造設計専門家が様々な専門家の知見を加えながら構造計算を行って計画安全性をチェックしています。その上で民間指定確認検査機関にて工作物確認申請を行い、構造計算の内容も含めて審査を受けており、建築基準法に基づく構造安全性に適合した計画となっています

「パーゴラの構造計算概要説明

建築基準第法88条の規定により同法20 条に準じた安全確認必要となりますが、その方法として常時荷重、風荷重地震荷重に対する許容応力計算を行っています。各種構成部材の安全性検証に加え、石を吊るすケーブルにおいては、災害時でも石同士の衝突が起こらないよう解析結果を設計フィードバックし、安全性の確保に努めています。石自体安全性については、先行事例が少ないことから構造計算に加え、実験モックアップによる検証も踏まえながら、細心の注意を払って設計・監理を行っています

構造計算で想定している風や地震について」

荷重について、昨今の異常気象を鑑みて、大型台風を想定した最大級の風圧や動的風圧力に対して検証を行い、建築基準法で定められた一般的建築物に求められる耐風性能を上回る安全性確認しています。また地震動については、仮設の工作物ではありますが、同規模の建築物に求められる以上の耐震性能を主架構にて確保しています。石を吊るすケーブルにおいては、その周期特性も鑑みて南海トラフ巨大地震を想定した長周期地震動に対しても安全性確認しています

〇石の安全性について

「石の強度について」

大学教育機関実験室で岩石の研究者の協力のもと、今回使用する4種類の石(花こう岩)の引張強度試験を行っています。石はコンクリートと同様に圧縮に強く引張に弱いという特性があり、石を吊り下げたときケーブルとの接触部分に発生する引張力が、割裂破壊を引き起こさないことを検証するための試験になります

試験方法は圧裂引張強度試験です。圧裂引張強度試験とは、石材の引張強度を求める際に用いられる一般的試験方法で、円柱形の試験片に線荷重を加えて破壊し,引張強さを求める試験方法です。

研究者の監修の元、十分なサンプル数の試験を行い、すべての試験片において、構造計算にて算出した石の引張応力を十分に上回る耐力を確認しています

「石の検品方法・孔あけについて」

自然石は工場製品のように品質が均一ではないため、割れ可能性のある石が混入しないよう、熟練の石工による打診検査目視検査を入念に行い、検品クリアした石のみをパーゴラに採用しています

石への孔あけは、熟練の石工による異方性の確認を行った上で行います。石に孔をあける方法一般的にはコアドリルを用いることが多いのですが、コアドリルの孔あけでは、石の内部にクラックが入っていても孔をあけられてしまうというデメリットがあります。そこで今回は、削岩機を用いた孔あけを実施しています。削岩機での孔あけは、石を打撃することで孔をあけるため、内部にクラックが入っている石は孔あけの最中割れることになり、孔あけと検品を兼ねることが出来るメリットがあります

実証実験等による台風等の影響について

「原寸大模型モックアップ)の概要試験結果について。」

原寸大のモックアップ作成し、一定期間存置しながら、石やケーブルの様子、強風時の挙動確認をおこなっています。また施工手順や施工精度の確認も併せて実施しました。設置から9カ月経過していますが、石の割裂やケーブルの破断は確認されず、設計者が想定している強度の確保ができていることを確認しています

また先述の通り、大型台風等の非常時においても石同士がぶつからないよう、構造計算結果を元に石を吊るしたケーブル間には十分な間隔を確保しております。先日の台風10号においても、多少の揺れは確認できましたが、石同士がぶつかるといった大きな揺れは確認されず、問題はありませんでした。

anond:20240905171058

もっと分析踏み込むなら、こういうキャラが居ること自体はよくて、こういうキャラしかいないことが問題だった。

多様性の欠如(!)。

客の広いニーズにこたえる気が無い。

 

リュウケン春麗がいなくて、エドモンド本田ダルシムしかいない。

anond:20240905101906

これは話のすり替え。今回の牛角の件においては、統計的に男女に差があるときにそれを反映した価格付けを私企業が行うことは社会通念上許容されるのか、が中心であって、(一般的には強い立場にあるとされる男性が不利を被る)男性差別のものから許容しようという意見はほぼない。あっても論拠となる可能性の一つとして挙げられる程度。だから女性差別の解消を望むのであれば男性差別に対しても敏感なれ、というのは少なくとも牛角の件においては明後日の方を向いた話となる。たとえその方針自体妥当ものであっても。

小島受刑者も中受すれば、特性に合わせた教育を受けられたかもしれないのにな。

勉強自体は好きだったらしいから、歯車が噛み合えば東大理一まで射程に入ったかも。

anond:20240905124049

ほとんど全ての点で男のほうが暴力的という生物的な違いを無視しすぎだよな

そもそも元増田発言自体

「男女という人類最大のグループ間で、『我々のほうが上位の存在だ(すなわちお前らは劣等な存在なので我々の支配を受けるべきだ)』という競争の一環」

しか見えない

 

男のほうが攻撃性が高い以上、

女に律しろいう前にお前らが「男の攻撃性の高さは人類全体にとって極めて有害である」を自覚すべきだ

女に攻撃性がないとは言ってないぞ?

たいていの男、どころか攻撃性が高い男よりも攻撃的な女というのもいる

だが平均的な性差としては女のほうが攻撃性が低く社会性が高い

さらに言えばたとえば殺人事件

性別ごとの組み合わせを見ると男が男性を殺すケースが最も多い。

では女が加害者男が被害者になるケースで今のところ報告されている動機で最も多いのは

被害男性から日常的な暴力に晒された女がとうとう反撃した結果、男を殺してしまった」という報告がある

男の攻撃性の高さが女の反撃を誘発している例はその逆よりはるかに多いはずだ

 

ヒステリーという言葉子宮語源に持ち、当時から「女の怠惰わがまま病」と認識されてきた

しかしこれの原因は、女性にのみ加えられた抑圧が心身症離人症となって現れるというものである

次代はビクトリア朝家具の足すら性的過ぎるという理由で隠された時代女性に加えられていた抑圧は現代人の想像を絶する

そして”ヒステリー”を起こす女性は幼少期から定期的な性的虐待を受けているがそれを告発することが許されなかった

彼女らはただ微笑みながら父兄従順であることが求められた(夜は父兄らの友人に性的おもちゃとして貸し出されていたとしてもだ)

さらコルセットという、骨格が歪むほどの装身具が身だしなみ、淑女はすぐ失神するものだという風潮

 

この環境女性に"ヒステリー"を引き起こしたのだ

(なお、これを突き止めた精神科医告発をためらった。

 なぜなら彼女らはウィーン上流階級の娘であり、その父兄告発すると言うことはすなわち国中の権力者を敵に回すことを意味している。

 彼は逃げた。なおフロイトのほうは直接的告発ではなく、「心を抑圧すると身体に症状が出る」と昇華して発表し、精神医学の祖となった。)

詳しくは「心的外傷と回復」あたりを読むと良い。

現代人がこれらの事例から学ぶのであれば、必要以上の攻撃不適切だということ、

誰かの攻撃の結果招いた精神不安定を本人のせいにだけする以外のアプローチ考慮すべきだろう。

anond:20240904104151

そもそも結婚相談所自体利用する人がほとんどいないか

マッチングアプリ」または「職場の同僚・先輩・後輩」と回答した人がそれぞれ25・0%いた。その他は、「友人・知人の紹介」(13・5%)▽「学校同級生・先輩・後輩」(9・4%)▽「婚活パーティー婚活イベント」(7・3%)――などと続いた。「見合い」「ナンパ」はそれぞれ1・0%あった。

夫婦出会い、4人に1人がマッチングアプリ 職場と同率首位に | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20231116/k00/00m/040/181000c

anond:20240904192539

差別について議論するなら、以下のような内容は「文系」的には常識なので、わざわざ「賢い僕が発見したよ!」みたいに主張されると萎える。

そもそも人間思考言語構造自体が、何かと何かを分けてグルーピングすることによってしか成立しないので、あらゆる区別差別と呼ぶなら、極論すれば(たとえばニワトリニワトリ女性女性と呼ぶことまで含めて)全ては「差別」であり、それが不当であるか否かは「程度問題である

・従って、通常は「世間的に見て『不当』と判断するもの」を「差別」と呼ぶことになっており、そのため一般的用語としての「差別」という語には、「不当なものである」という含意がある。(従って自民党の付け加えは無意味であり、逆に余計な含意をもってしまうので有害ですらある。)

・図示するとこんな感じ。( /数字/ は その語の使い分けにおける境界線を指す。たとえば⑴は「A混沌(と呼ばれるもの)」と「B区別(と呼ばれるもの)」の間の境界線意味している。)

 A混沌 /⑴/ B区別 /⑵/ Cグレー領域 /⑶/ D差別

⑴ 唯一絶対的境界線

 ただし、何者も区別しない「A混沌」については、何も思考することができない、言語以前の領域なので、思考し論じる対象にならない。

⑵ 単なる相対的境界線

 通常ここに明確な境界線があると考えている人が多いがそれは誤解である。確かに、「時代文化が変わっても、明白(に見える根拠)があり、人為が働かない(ように見える)弁別がある」違いというものはあるため、たとえば液体と固体、水と氷を分けることは明白に「B区別」であり人為が関与しないかに見えるのも事実だが、たとえば水と湯を分ける境界線日本語英語で異なり、色の弁別言語によって曖昧であるように、「認識」が関与する限りそこに見いだされた「差」は人為的なものであり、人の「価値観(すなわち偏見)」から自由になることはない。その意味で「B区別」と「Cグレー」の差も所詮「程度問題であるスポーツにおける男女分け、のように、かつては「B区別」と考えられていたものが、ジェンダー論の発展や女性地位向上など諸々の状況から、「本当に合理的区別であるか」が問い直されている、などの例は、「B区別から「Cグレー」ではないかという議論が起きている例であり、逆に、近代以前は大人と一緒くたにされていた「子ども」を取り出して教育の機会を与え、社会保護しようという風に変化したのは、「Cグレー」から「B区別」へと変化した例である

⑶ 単なる相対的境界線

 ここを明確に区分できるというのは、いわゆる「ためにする」差別議論を行う人の大きな誤解である。この境界線は決して「明確に区分定義」はできず日々揺らいでおり、またその状態もっと健全状態であるあくまで、どこで線引きをすることが社会の安定と発展のために寄与するのか、を主眼として、「D差別(明らかに行ってはならない区分け)」なのか「Cグレー(判断がつきにくい、不当に見えるが法的な規制も行き届かない)」の判断は、常に慎重に検討される必要がある。その際、社会全体主義的(全体の幸福のために少数の犠牲は許容される)なのか民主主義的(少数の意見も他の意見と同等に重視される)なのか、によっても当然判断は異なることになる。また、Cと判断されたからオッケーではない、というのも重要な点であって、その判断妥当かどうか、いま必要重要問題かどうか、判断時点からの状況変化、対象曖昧でないかどうか、など、不断議論が欠かせない。

 さて、それを踏まえて話を牛角に戻そう。

 サービス業における女性優遇キャンペーンの是非、いわゆる「レディスデー」問題は、男女という一見明確な「B区別」に依拠しているように見えても、その区分合理性自体が「程度問題」に過ぎないこと、また、「女性の受けるサービス料金は男性負担させられているのでは」という疑念が拭えないことなから、「Cグレー」である判断されるが、ではそれを「D差別(明確に是正すべき不当な行為)」と判断すべきか否かについては、行き過ぎと感じる人も多いのが現状かと思う。そのことは、牛角に限らず、多くの「レディスデー」キャンペーン実施する店舗で、逆に男性から忌避されるなどの大きな営業上の不利益が出ていないことから了解される。そもそも映画にせよ焼き肉にせよ、提供者も多いことから忌避するにしても他の選択肢があるわけで、ぶっちゃけ「大多数の人にとってはどうでもいい」問題に属する。では、なぜ「差別だ」と騒ぐ人がいるのか。

 話が変わるように感じるかもしれないが、類似の例として、一部の広告を取り上げて「女性差別だ」と騒ぐ事例を考えたい。企業営利目的でやっていることで、それ自体積極的被害引き起こし法的に規制する必要があるとまでは多くの人が認識しない(つまりDではないがC)ものだが、これについても「差別だ」と騒ぐ人がいる。これは、何も学問的に見て明確にCとDを峻別してDだと判断できる、という話をしているわけではなく(もしそう信じている人がいるとしたら、それは相当に×××)、騒ぐことそれ自体によって人々の気分を醸成し、結果として社会状況自体を変化させようという社会運動一種デモ、まさにデモンストレーションという意味で。)の一種なのだ。誤解されているが、今日フェミニズムと呼ばれているものの多くはこの「デモ」であって「学問」ではない。(※)だから、騒ぐ人たちはおおむね一般常識とは異なることを主張する(常識的なことをデモで声高に述べる意味はない)が、その人たちが声高に述べることが「正しい」と証明されているわけではないし、その人たちも積極的にそれが「正しい」ことを証明したりはしない(証明できるならデモより論文で書く)。騒ぎになることこそ、デモの狙いなのだ。つまり、これに顔を真っ赤にして反論しようとするのは無意味というよりむしろデモ側の応援をしているのと同じである。従って、意見に賛成できない場合も、デモ自体スルーして別のところで意見表明なり社会行動をするなりした方がよいと思う。


 これを踏まえて、もう少し具体的に書く。「たわわ」や「宇崎ちゃん」を批判したフェミニストの狙いは激しい批判を巻き起こすことであり、それは社会運動として一定成功した。では「牛角批判をする人は、男権主義者として失われた権利を獲得するため戦略的意図デモを行っているのだろうか、それとも、論理的に「レデイスデーはDである証明できる」と考えて証明しようとしている人なのか、あるいは単に「この件で女性相手憂さ晴らししたい」というルサンチマンに過ぎないのか。私は、そのいずれであってもこれは無意味な行動だと言いたい。

  「たわわ」も「宇崎ちゃん」も、それらが女性差別「的」かと言えばそう論じることはもちろん可能だろうが、それを「D差別だ」などと言い切れば社会的には表現規制を強め過ぎる無意味有害な主張であると思うし、それ以前に指摘し是正すべき有害で明確に「D差別」な女性差別が世の中にあふれているのだから風俗業、芸能界などにおける性的搾取などはその典型だ)運動論としても拙劣だと思っているが、それらが激しい反応を引き起こしたという一点では運動論として評価することも可能かと思うし、その結果が女性地位向上にわずかでもつながったのなら全く無意味とまでは言えないと思うが、「牛角・レディスデー」問題については、まず男権主義をこれ以上社会で伸張させることにはおそらく社会合意は得られないだろうし、論理的証明は上で述べたようにほぼ不可能であり無意味でもあるし、ルサンチマンならそのエネルギーはもう少し建設的なことに使用した方がよいと思っているので、運動論としても学問的な意味でも、また俗論としても、とるべきところのない議論だなあと思っている。

 仮に、真剣にいわゆる「弱者男性問題を憂えているのなら、男権主義の伸張という方向でそれが解決されることはもう無い(過去一時的にあった「男というだけで威張ってるオッサン」があふれる社会に戻したい、などという主張は、当の男性からのものも含めて今後社会合意を得ることはできないだろう。可能になるとすれば、そういう一派を集めてたとえばイスラム教勢力と結託し革命を起こして政権を奪取するくらいしかないだろう。)ので、機会平等社会の下で結果平等いかに実現するかを考えるしかなく、つまり一種アファーマティブアクションしか対処方法がない。なので、そのためにはまずいわゆる「弱者男性」とそのルサンチマン可視化し、それを救う方策を具体的に検討するのが近道だと思う。将来的には、たとえばVR空間へのアクセス権やアンドロイドの配布などが現実的な解かもしれない。いずれにせよ、牛角女性サービスするかどうかなんて、それらに比べればおおよそ「どうでもいい」話で、議論したところで現実弱者男性は一つも救われず、差別に関する社会認識理解など1ミリも深まらないし、一瞬の憂さ晴らしにしてはただの焼肉屋迷惑がすぎるので、さっさと辞めた方がいいと思う。


※…もう少し丁寧に言うなら、主に「社会運動」を企図した活動であって、多くの人に認められうるような論理に基づき常識解体・構築する「学問」的活動とはまた異なるところに主眼がある、ということ。後者観測対象描写分析記述するものだが、前者は積極的観測対象を変化させることを目的としている。なお、社会学者の中には、学問存在価値現実を変革し社会運動となることにこそあると主張する人もいるが、その場合も、分析記述に十分な力があるなら、それは自然社会常識解体・再構築するであろう、という意味であり、観測対象描写分析記述が"いい加減"であっても社会を変革できればいーや、という意味ではないと思う。

anond:20240905101624

民間人殺す時点でダメ差別以前の問題でしょ(´・ω・`)

民間企業による差別OKなら民間企業による民間人虐殺もいいのか!」って

いか自体レスバに毒されすぎて頭おかしなっとるで(´・ω・`)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん