はてなキーワード: 腎臓とは
ぶつけようもなく、でも誰かに話したいけど感情的になってしまいそうだから支離滅裂だけど少しぼやかせてほしい。
日曜日に飼い犬が死んだ。女の子で、14歳。あと3か月で15歳。
元々生まれる時に母犬の産道に首をひっかけてしまって、それで脳やら神経やら足やらに影響はあった。身体が丈夫な方ではきっとない。
でも彼女の人生の中で心臓が合計3回止まった事があるのに、蘇生した生命力の強い子だった。
あとお世辞にも賢いとは言えない子だったけど、とても愛嬌のある子だった。
最近、ぜえぜえ言ってるなとは思ってた。土曜日にも少しだけ息を荒げてこちらを見上げる顔は、何となくいつも通りではなかった。
けど腎臓が悪いという事は病院に通っていて分かっていたけど、その他に持病も無かったので風邪なのかな、くらいで思っていた。
ご飯もいつも通りいっぱい食べる。見上げてくる顔は今日も世界で一番可愛かった。
肺炎になってると。まぁでもその日でどうにかなるというわけではないらしいけど、入院という形をとった。
家族で入院一日2万円だって、頑張って工面しないとね、一人で寂しくないかなと話していた。
夕方に病院から電話がかかった。「息が止まった」。私の息が止まりそうだった。
急いで病院に向かったら、息は吹き返していた。触ったら暖かくて、けどつらそうだった。
何度も機械に繋がれている所を見た事はあっても、何だかその日はザワザワして仕方がなかった。
あれよあれよと先生から説明を受けて、結局一晩様子を見ようだなんだ言ってて、でも早い話先生から最終的に言われた事は
「もうきっと、残念ですがダメだと思う」
抱っこして、酸素ボンベを貰って、家に連れて帰って、もしかしたら連れて帰るって時に死んでしまうかもと言われていたのに彼女は酸素ボンベが無くなるまでずっとずっと生きつづけた。
病院から連れて帰る時、抱っこしたのは私だけど、こんなに柔らかかったっけ?って思うくらい、もう彼女の身体には力が入ってなかったけど車の中で撫でながら名前を呼ぶと、力が入っていった。
おしっこを作る力がもう残ってないって説明をされたけど、私は彼女が逝くまでの間、二回おしっこを足にかけられた。
母犬が亡くなった時、私は仕事中で看取れなかったけど、この子の事は看取れた。
充分彼女の強さも垣間見れて看取れて幸せなはずだったのに、心がぽっかり空洞のようになってる。
酸素が切れて、苦しそうに息をする姿も徐々に弱くなる呼吸も頭から離れなかった。忘れようと思う事はない、ずっと覚えておきたい事である。だけど思いだす度に彼女がこの世からいなくなる事が現実のように感じて胸が痛くて仕方がない。
元気に立ち直って、ちゃんと生きていかなくちゃ、受け入れなくちゃとは思ってはいるけど
今朝もふと無意識に彼女の事を撫でようと振りかえってしまった自分にどうしようもなく悲しくなった。
もう使う事の無いオムツ、おやつ、ゲージ、ベッド、洋服、タオル、目に入っても匂いが鼻についても、やけに静かな部屋も、歩くのに地面をする音がしないのも、今は非日常過ぎて夢なのではないのかとしか思えない。
いないと分かっているのに、いない事が信じられない。
突然いなくなったあなたと一緒に遊べない事が信じられない。家に帰っても、いない事が信じられない。
アルバイト試用期間終わってからしばらくたった歯科衛生士です。
先日、腫瘍が見つかりました。
すぐ手術しないといけないけど、回復まで一カ月かかるそうです。
院長に入院のために一カ月休職を相談したんですが、求人広告をかけて募集するので即戦力の人がいたら一カ月後には雇えないかもしれないと言われました
このまま手術やめますので、と言ったら不機嫌になって嫌味の連発してきたんです
もし君がそれで再起不能になったら歯のお掃除の予約してる患者さんはどうなるの?
予約入れにくくなるだろ
俺なんか毎晩血反吐吐くほどブルーワーカーとして働いてるんやで。
腎臓だって悪いのに頑張ってるんやとか説教タイムになりました。
私は体壊しても働け治療断念しろと言う院長の患者ファーストの意見を聞いてなんだか鬱病っぽくなり涙がでてきました。
ちなみに雇用契約ないんです。
溜息
使い捨ての私なんでしょうか
もう分からない
https://anond.hatelabo.jp/20171110125209
過去に別のドナーさんから提供された骨髄を移植したレシピエントさん
https://anond.hatelabo.jp/20171110205203
どちらも普通に生活をしていると全く知り得ない出来事で、マンガやドラマの中によくある「ドナーさえ見つかれば万事解決」的な描かれ方とは程遠い、圧倒的で重くて細かい現実が良くわかる。
いい機会なのでここで骨髄移植について書いておこうと思う。
まず移植というと腎臓移植とかを思い浮かべるだろうし、コメントにもちらほら手術とあるから誤解を受けやすいのだが、骨髄移植に限っては、手術はしない。
ドナーが見つかったら移植日を設定し、そこに合わせて致死量を超える抗がん剤と放射線(移植前処置)により、レシピエントの免疫を完全にゼロに持ち込む。これは一旦Goとなったら止めることはできない。
そしていよいよその日、day0に移植となる。移植自体はむしろ輸血に近い。血管から提供された幹細胞を輸注するのだ。そして生着を待つ。
ここで幹細胞が入れられないと当然レシピエントは死ぬ。移植が受けられなければ、移植前処置とは単なる殺人行為だからだ。ドナーが提供前に危険を伴う行為を制限される理由はこのことに他ならない。
ただし、やはりドナーにおける負担は現状、相当重い。自身の健康を損なう危険がある上、仕事を休んで検査をし、入院して痛みを伴う処置に耐えなければならない。
また、レシピエント側の問題として、ドナーの上記の準備を待つ時間がない、ということもある。その間、少なくともがん細胞をコントロールし続けなくてはならないのだ。
そういう意味で骨髄バンク経由の移植というのは最もハードルが高い。
まず知名度もあり、利用も多いのが臍帯血バンクだ。出産のときに廃棄される臍帯血を保管し、移植に使用するものだ。骨髄バンクとは違い、もともと捨てるものを保管管理するだけなのでドナー側の負担はほぼゼロだ。(出産前に提供の意思表示をするくらい。)
問題点としたら、得られる造血幹細胞が限られており、レシピエントの体格が良いと足りない場合がある、再発した場合に効果が期待できるドナーリンパ球輸注が使えない、臍帯血を採取できる施設が限られており、なおかつ出産はいつ何時始まるかわからないため、週末や年末年始など、採取できないケースが結構ある、などだろう。
骨髄移植は白血球の型(HLA)が全て合うことが望ましいが、これが一致するのが非血縁者間(骨髄バンク)だと一万分の一以下である。
この合致率を下げて、血縁者をドナーとしようではないか、というのがハプロ移植である。血縁だけあって、兄弟なら50%の確率で、親子ならほぼだいたいドナーになることが可能である。縁もゆかりもない他人のためにドナーになるのは負担が大きいが、兄弟や子どもであればどうだろう。しかも、抗がん剤や放射線で叩ききれない残存がん細胞に対する抗腫瘍効果も高いと言われている。
こう書くとまるで夢の治療だが、実際行われているのは日本でも数施設である。なぜか。移植をするということは、他人の免疫細胞を招き入れ、定着させるということである。そして、免疫細胞の役割とは、自己でないものを攻撃することである。
移植された免疫細胞にとって、レシピエントの身体は非自己でしかないため、当然攻撃対象となる。これが移植片対宿主病(GVHD)だ。
消化管に出れば1日何リットル単位での下痢になるし、吐き気が出ることもある。皮膚がぼろぼろになったり、肝臓がやられる場合もある。
そして、何より問題なのが、GVHD に有効な薬剤があまり市販されていないことだ。免疫反応がその実態であるので、免疫抑制剤が主力になる。当然、移植後から全身性の免疫抑制剤は綿密な血中濃度のコントロールを行いながら投与されるのだが、強力な免疫抑制は感染と表裏一体だ。局所のGVHD 制圧のためにはその場所にさえ薬が届けば十分なのだが、なかなかそういう薬はないのだ。
ではどうするか。
作るのだ、病院で。
この、2017年の日本において、薬剤師が、カプセルに、手動で粉薬を、つめている!
また、健康な人の腸内細菌を移植する、と言えば聞こえは良いがその実態はちょっとここでは書けないような、そんな治療も医師が自ら犠牲(犠牲?)になって行われていたりもする。
骨髄移植、それもハプロ移植となれば最先端医療である。しかし、最先端であるが故、市場規模が小さすぎ、まだまだ製薬会社を始めとする企業が手を出しにくい状況であり、医療スタッフが手弁当で補わなければならない部分も多々あることは記しておきたい。
レシピエントの方が書いていた、骨髄移植が生きるか死ぬかぐるぐるポン!というのは確かにその通りであるが、移植後の生存率とQ O Lを少しでも上げるために、現場ではいろいろ、本当にいろいろ、試行錯誤を重ねている。
今いる地点から一番近いいきなりステーキに入る。大抵の店舗の位置は把握している。
最初はレア気味の肉を何もつけずに肉本来の味に、それを引き立てる塩・コショウとのバランスを楽しむ。
フェーズ2はステーキソースをつける。程よく鉄板で温められた肉がまた別の顔を見せる。
フェーズ3及びラストフェーズは少し多めの塩・コショウを用いて心地よい刺激と残った甘みのある脂身を味わう。
このように食べ方にもこだわり、そしてプライドを持っていつもいきなりステーキを食べているのだ。
18時台ともあってあまり混んでおらずコンディションも良い。
待っている間も当然シミュレーションを行う。
まずはそれを嗅覚で感じる。
「なるほど、この店ではこの量が標準なのか」
と思いながらステーキを改めて見る。
ただ、味も見ずにクレームを出すのもおかしいと思い、恐る恐る口にする。
初めて海水を飲んだ時を思い出させるような味だ。
これはもう食べれない。そう思って、店員さんに
「すみません、これって標準的な塩・コショウの量でしょうか?少し濃いような気がして。。。」
と訪ねた。
少し間をおいて「はい、標準です。」と答える。
「標準なのですね、ではこのまま食べます。」
と、納得は行かなかったが、このまま食べることに。
すると、
「あの、、、お口に合わないようでしたら取り替えましょうか。。。?」
と店員は言った。
「いやいや、お口に合わないとかじゃなくて、明らかにコショウかけすぎているものを出してますよね?」
「いえ、標準なんです。。」
「いえ、お取り替えさせていただきます、、、」
「そもそも標準じゃないですよね?食べて見てください。」
「いえ、店内では食べれなくて、、」
「これ標準じゃないですよね?これ標準だとしたら人の腎臓のリソースなんだと思ってるんですか!?」
「標準なんですが、お口に合わないようなのでお取り替えさせていただきます、、、」
「、、、じゃあお願いします」
というやりとりがあり、結局取り替えてもらった。
その後出てきたステーキの塩・コショウの薄さにまたイラっとしたが、
「標準の塩加減なんですよ」
という。
なんなのか。
「すみません、これって標準の塩加減ですか?」
「あ、、すみませんこれはかけすぎですね、、すぐにお作り直します」
「はい〜」
で終わるからね!
それを無駄に、問答させるかね。
そもそも明らかに塩加減を間違えているものを客に出すんじゃないよ、
っていう話もあるけど、ミスは仕方ない。誰にでもある。
ただ、それを認めず、
こちら側を「いきなりステーキの味にフィットしてない客」みたいに
「やれやれ仕方ねぇな変えてやるか」じゃないんだよ!
大叔父の話だ。
豪放磊落な職人で、昔はパンチパーマに紫のサングラスをしていた。
大叔母に聞くと、いま68歳だと。
一昨年あたりから外見が急に変わり、老人というよりは幽鬼のような顔になり、自力では動けなくなっていた。
68歳、人によっては全然元気で、人生を楽しむ時期らしい。現に同い年の俺の親父は元気にバレーボールをやっている。
にもかかわらず、大叔父は来月100歳になるうちの曾祖母(大叔母の母)よりも年をとって見えた。
昔、太かった腕は枯れ枝のようになって筋肉はほとんど溶けてしまった。
厚ぼったい唇もなくなってしまった。
大叔母は俺に微笑んで状況を説明しながら、大叔父の手をさすり、やがて耐え切れずに泣き崩れた。
すでに先月から会話もままならなくなり、本人の体力も先日罹患した肺炎で尽きてしまったということで、現在は透析も行えない。
そして、今後も再開はしない。
ともかく、大叔母は圧倒的に間近に迫った大叔父の死に向き合いながら病室で寝起きをしている。
不可避の事象ではあるけど、長年連れ添った亭主の人生の幕を引く、あるいは幕引きを了承してしまった大叔母の心中も察するに余りある。
*
15歳の頃から鬱病、希死念慮を抱くようになり、自傷、過食嘔吐を繰り返して、果てにはアルコール中毒になり今年肝臓と腎臓が悪くなりすぎて、意識を失い心肺停止状態になり緊急搬送。2週間意識がなかった。
目を覚ましたときは病院のICUにいた。そんな状態になるまでよく生活できてたなという点だけど、私の住んでる地域では精神科に通院している記録があると、一般病院はほとんど入院を受け入れてくれなかった。私のカルテには摂食障害、アルコール依存症、不安障害、男性依存、境界性人格障害、自傷癖などの病名が記されていた。受け入れ拒否も、当たり前といえば当たり前だと思う。(さすがに緊急搬送は受け入れてもらえた)
私の家庭は両親ともにまったく毒親でもなく、たまに「普通の家庭なのになんでそんななの?」と聞かれることもあったが、目を覚ましてからは特に家族によくしてもらった。その献身的な姿や意識が戻ったことに心底喜んでくれている姿は、今までの蛮行のすべてを恥じ入るには十分だった。
目を覚ましてからしばらくは自力で歩くこともままならなかったけど、自分の体がどんどん回復していくことが嬉しかった。
今まで、生きていることがずっと辛かった。世界のどこにも自分がいることが許される場所なんてないと思ってた。犯罪行為などこそ関わったことはなかったものの、色々と恥の多い人生を送ってきた。楽に息が出来る場所を探すのに必死だった。
何をやっても誰といても見つからないから、半ば自暴自棄に生きてきたので、学歴も職歴もなく、現実的な話、今の私は要素で見れば「死の淵から蘇ったもの」ではあるけれど、今までの「最低な自分」と何か変わったことがあるかと言われれば、何もない。
それでも「一回死ぬ」。この経験に、今までの何もかもの価値観をぶっ壊してもらえた。
全生命には意義がある。それはどうかな?と思うけど、少なくとも自分は生きててもそんなに悪しき存在ではないのでは?とポジティブに物を考えるようになった。
今まで、何をしてもされても言われても、変われたことなんて一度もなかった。もがき苦しんでた。でも、死んでしまったら、もがくことすら出来ないんだ、当たり前の事だけど、今まで飲み込めなかったことをすんなり理解した。
「メンヘラは一回死ね」は極論だと思う。真剣に死に取り組んでしまったら、そのまま戻ってこれない可能性の方が高い。
最近、メンヘラヒロインだのやみかわいいだの、心の闇に着目して文化として取り入れる傾向が強くなってる世の中。それだけ、罹患者が多いのだろうし、昔よりは精神病をもつ人が迫害されない世界なのかもしれない。
でも、問題はそこじゃないと私は思う。精神病は他者と共有する問題じゃない。それを生み出した自分との格闘の日々なんだ。
自分が変わらないことには何も変わらない。辛いままの人生が続く。
でも、そんな辛い人生でも、輝いていた時間は少なくても、確実にあったはず。その光をありがたく思うことが出来れば、世界は明るい。
そんなことにすら気付けなかった。一回死んで、何もかもをなくして、はじめて些末なことの有り難みを知った。
これから、私は生きていき、辛いことや悲しいことを今まで以上に味わうかもしれない。でも、死んでたら?
そうなっていたら味わえなかった痛みだと思うと、それもまた愛おしく思える。
自殺幇助が目的なのではない。何をしても変われなかった人間が、たった一回死んだだけで、変わることが出来た。私はできなかったけど、聡い人ならいくらでも、死ぬまではいかなくとも自分を楽にしてあげることは可能だと思う。
人は変わるよ。大丈夫だよ。今の辛さがすべてだと思わないでいてほしい。
「のび太くんって本物いたねー」
何年か前に働いてた所で言われてた。
そんな言葉聞き飽きてる。
ADHDでも種類があると思う。私多動じゃないし。でも障害だと言う事が怖くて逃げ出したから、詳しい事よくわからん。
素直にADHDを話せば嫌煙され、話さなくても失敗を多数起こすので煙たがられる。
見た目は普通となんら変わりない。
行動は違う。
このギャップで苦しむ。
普通の人の行動をしないといけない。
自分のストレス度合いで罵倒や嘲りを言う嫌な奴からならギャップに失望されても、してやったりくらい思っているのでどうでもいい。
少し語弊があるか。
かなり悔しい。けど、心の痛みが少ないからどうでもいいレベル。
我慢出来ないくらい苦しいのは、一生懸命世話を焼いてくれた人だ。
仕事を教えてくれる時、その人「何度でも教えるよ。聞いてね。」
そう言ってくれたから、そのまま何度でも教えてくれて有り難い人だと思った。
これは、建て前の人と、本気で言ってくれる人がいて、建て前の人はそう時間がかからず不満を陰や目の前で言ったり行動にだして仲間を集め始める。
本気で付き合ってくれるお人好しな人は、最後まで投げ出さないでくれた。
今も頻繁にフラッシュバックする。
メモもしたし、時間が上手く使えない所はタイマーを使ったり、チェックは2度は基本で、更にマーカーで色付けてもう1度見るようにした。
ただ、
速くしようと焦り、凡ミスがでる。
ADHDに気付きもしなかった時だったから、本当に申し訳ないことをした。
気付いてからは、少しでもいい人には近づかないようにしてた。
でもこれも結構つらい。
嫌いじゃないし、むしろ好きだから、嬉しかったから、逃げ回らなきゃいけないのがつらい。
少しでも好かれたままでいたいから、近づかない。
そう言う人は、しばらくすると私に嫌われたと思ってしまう。でもその人は、なぜ嫌われてるのかわからない。嫌われてるから嫌いになる。
だから、私は逃げても嫌われる。
こう言う人からの「関わりたくない」や、不機嫌な顔は悲しくてツラい。
届かないの分かってるけど、嫌な思いをさせてごめんなさい。
料理をすれば、扉や引き出しを閉め忘れて青アザ作るし、沸騰させた鍋はカラカラになるまで放置する。
着替えにタイマーつける。
テレビを見ると面白いけど、名前も顔も覚えられない。有名人と興味を著しく引いた人だけ知ってる。
目の前にある鍵を永遠探す。
こんなの幾つでも出てくるけど、言いたいのは、普通に生きようと、生活に全力を出してる。
全く、まったく全力なんかに見えないと思う。
仕事は更に気を使う。
人間にも気を使う。
全く、まったく気を使ったなんて気付かれないけど。
でも、こっちは必死。
家に帰ると、少し力が抜ける。
家の中では迷惑を人にかけない。
タイマーの音に必要以上にドキドキしなくなった。むしろ必要な時だけ携帯のタイマーで済ましてる。
今、親の脛かじりしてる。
親に、面倒見きれないよ。って言われた。
確かにお金がないし、働かなきゃ。
人の幻滅する表情にも、疲れた。
普通と交換してくれるなら、なんでもやるよ。
なんも心配しないで生きたい。
「必死にやって少しのミスはあるけど、生きるのに必要な家事出来るよ。これ以上は治らないからどうにもならないよ!」
この場合も教えて欲しい。
手詰まりで生きていけって教えかな。
こんな生活にも救いはある!
物語は、サラッと見れば覚えてない。
、、、笑えるほど虚しい妥協かも。
疲れたなぁ
もうずっと食事が喉を通らない。
固形物を口に入れた瞬間、それが喉に詰まって窒息したりあるいは気管に入って誤嚥性肺炎を起こすことを想像するからである。いままでモチを詰まらせたことも魚の小骨を引っ掛けたことも無いというのに不思議な話であるが、おれの頭の中では食事と死のイメージとが鮮やかに直結しており、視界に映り込んだ鼻の頭のようにあるいはピンク色をした象のように、意識しだすと止まらない。おれはやがて経腸栄養剤しか口にできず糖分を採りすぎて糖尿病になって失明し脚は壊死して腎臓を壊して透析で苦しんで死ぬ。親が大手病。年収が×××万円以上でなければ、なんとかと云う結婚紹介所におれを登録できないのだと云う。収入の不足分を補うためにかれとかれの母がもつ不動産を相続させるとも云った。過干渉。おれが未婚で長男でキモオタで身の回りの支度ができない無職のプー太郎で優良企業就業済既婚の弟がいるものだからそういう余計なお節介をされるのであろう。自分はその紹介所で妻との縁ができたのでお前もそこに入会せよと云う。おれくらいの年齢の頃、かれはすでに一と三分の二流くらいの企業に勤めていたからかれはその相談所に入会できたわけだが、28歳無職就業経験ゼロという現状そしておれのもつ素質たとえばわが指導教官にそれゆえにお前は研究者に向いてないと直々に云われるほどの社会性の無さなどの資質を鑑みれば、おれがその年収を達成することはとうてい困難なことに思われた。だからおれは早く家を出て住所も電話番号も秘匿して蒸発してしまいたいくらいなのだがおれの学費と生活費と住居費の××年分および奨学金の返済にかれの収入の大部分が充てられているという事実がある以上そういうわけには行かない。ところでかれはおれが野良博士という現代の不可触賤民であるにも関わらず一流有名企業に入れる実力を持っていると勘違いしているようで、どこぞの某大電機メーカーが博士卒を重点的に募集しているなどと有難いタレコミを呉れる。あるいは予備校の講師などしながら企業の研究職を狙えばどうか、などとも云う。博士の就職がいいと云っても景気がいいのは人工知能関連の分野だけだということをどうもかれは理解しておられないようである。おれはと云えば研究室にも行かず×年間も自宅に引篭もってノートの上の数式を弄っていただけの人生だったから、プログラミングのスキルも各種資格もろくに無く、きょうびどこの企業からも御呼びでない。頭の回転も遅く某社のSPIでは酷い点数を取ってしまったために面接すら受けさせてもらえない。これでは受験数学の問題など到底解けないだろう。登録していた就職斡旋屋からは貴方にはシンクタンクなどが向いているでしょうなどと調子の良い言葉をもらったが一か月経ち二か月経っても音沙汰が無い。当たり前である。何かの手違いで某外資社から研究内容を紹介する機会をもらったこともある。おれの能力を試すためにあえてそういうポーズを採ったのかもしれないが、かれらはおれの話を理解するそぶりを全く見せなかった。ショックを受けた。明らかに企業側の需要とのミスマッチが感じられた。おれのプレゼンに問題があった可能性は否定しないが、要するに世界でも十人くらいにしか価値を認めてもらえない仕事を延延黙黙やっていたということは、おれも同意するところである。その十人のうちの一人がわが指導教官だったのは幸運だったのか不運だったのか分からない。もともとおれは数学などで分からない問題があるとイライラが募り便通が悪くなり院試の頃は特に最悪で原因不明の腹痛で入院するくらいで、睡眠時間も食事の回数もゴリゴリと減っていき、歯ぎしりが止まらなくなり、かと思えば今日はサボりの日だと云ってネットサーフィンに明け暮れるものの心はまったく休まらず、夜中唐突に呻きながら自転車で遠出をしたり、風呂も洗濯もせず、機嫌は最悪で周囲に怒鳴り散らし、ただでさえ無口な性格だというのにいっそう塞ぎこんで誰にも相談できなくなり全て自分の力だけで問題解決したくなる人間だったから、博士課程に進学することは当然の帰結であった。おれが天才数学者だったなら上記のエピソードは天才の微笑ましい奇行としてウィキペディアの埋め草にでもなったのだろうが、悲しいことにおれはアホでマヌケでIMOメダリストなどからは程遠い知能の持ち主だったから学位をとるのに結局◆年もかかり(思考速度と問題解決能力が研究能力のすべてではないという当たり前の事実に気づけたことが大学院における唯一の収穫である)今では無職である。元から変だった自意識は余計に拗れメンタルは不調をきたした。食事が怖い。面接が怖い。唐突に脳血管の破裂が怖くなる。あれほど楽しかった学力試験が今では恐ろしい。自分の劣等具合を再確認させられるから。大学院など行かなければよかった。博士課程など行かなければよかった。満期取得退学しておけばよかった。学位など取らなければよかった。高卒で就職すればよかった。以上。