はてなキーワード: 腎臓とは
年始めに入院し、危篤状態で我が家に帰ってきた猫(獣医に「このままだとここで息を引き取ることになります。連れて帰りますか?」と訊かれた為連れ帰った)
死に水ではないが、母がミルクを飲ませようとすると健気にペロペロしたと聞き、大急ぎで違う病院へ連れて行った。
ミルクを飲む力があるのなら助かるのではないか?とセカンドオピニオンした(以前通っていた病院だが)
ぐったりはしているものの、彼が家に居てくれるだけで幸せだった。
最初は毎日。次第に3日おき、一週間おき。最近では二週間おきで病院に通った。
獣医に「にゃあ!」と挨拶し、注射に「いてー!」と反抗する元気が出てきて安心していた。
日差しが強くなり気温が上がる頃には自力で家の中の快適な所へ勝手に出向いてドテンと転がっていることもしばしばだった。
うちには3匹猫が居るが、一番下の猫もとても心配して様子を見てくれていた。
容態が安定してから定期検査は2ヶ月に一回になっていた。次は9月の予定だった。
私は毎月検査して欲しいと思っていたが、獣医がそう言うなら良いかとも思った。
しかし先月末、突然療法食を食べなくなった。
猫缶は食べていたが、買っておいた腎臓病用のリキッドを飲ませてみようとした(飲まなかった)
検査すると内蔵全体が悪くなっていた。肺にも白い影がかかっていた。
各種数値は非常に悪い。
帰る時、猫の様子を見るといつも通りゴロゴロと喉を鳴らしていた。
がんばるんだよ。と声を掛け、後ろ髪を引かれる思いで帰宅。
どきどきしながら一晩過ごし、翌日仕事前に見舞いに行った。
その時、母の顔を見てニャー!と一声鳴いた。
こんなに苦しそうなのに、頑張れなどと声をかけることも出来ない。
そう思ったけれども、なんとか生き抜いて家に帰ってきて欲しいと願わずにはいられなかった。
また長く入院して苦しめることになるのかなあと思いながら。
仕事に行き、夕方の休憩時間にスマホを見ると母から着信が入っていた。
力が抜ける思いでLINEを開くと「息を引き取りました」とあった。
ぼんやりしながら仕事をこなし帰宅すると、氷に囲まれて冷え切って固くなった彼が横たわっていた。
冷たくて固いけど、見た目は寝ている様にしか見えない。
腹を撫でると毛並みがさざめいて息をしている様だ。
抱え上げると、病院に連れて行った時よりも重みを感じた。
入院する2日ほど前の夜、私の部屋にドタドタと駆け込んできて何やら沢山鳴いていた。
否、ここ半月程やたら鳴いて甘えていた。
「具合悪い!」と訴えていたのかもしれない。
具合が悪いから、いっぱいよしよししてくれと言っていたのかもしれない。
それなのに、あの日私は「うんうん。どうした?」と顔を覗き込んで頭を撫でるだけだった。
なんで膝に上げてやらなかったんだろう。
元々人の膝で寝るのが大好きな猫だった。
年老いて体が難儀なせいか、その体勢が辛い様であまり上がらなくなっていた。
こちらも気を使って抱え上げたりすることがなくなっていた。
あの温かく柔らかい重みをこの手に抱える最後のチャンスを捨ててしまったのが悔やまれてならない。
彼は本当に人間が大好きな猫だった。
そして何故か私の手を舐めまくるのが好きだった。
ひとしきり舐めさせて手を引っ込めようとすると、爪を出して押し止めるくらい。
美味しかったのだろうか?
他の人間の手を舐めることはなかったので、何かしら意味があったのだろう。
遺骸になった猫を撫で付けながらそんなことを思い出すと涙が止まらなかった。
このまま家の庭に埋葬するのはなんだかとても嫌だった。
部屋に寝かせている姿は以前のままだったから。
家まで来て貰い、家族みんなでお弔いをした。
炉に横たえた彼はやっぱり生前のままだった。
ツヤツヤの白い毛並みの大きな体は、2時間ほどで白い骨になった。
しっかりとした骨を桐の小箱に詰めていく。
股関節が悪くてドタドタ歩いてたけど、骨は立派なままだった。
でも不思議と落ち着いている。
酷いペットロスになるのではないかと思っていたが、何故か一区切りついた様な感覚だ。
亡くなった猫について人と話したり、こうして文章にしたりするとやっぱり涙が止まらないけれども。
前回倒れて奇跡的に回復し、この半年強という時間を与えられ、みんなで見守り続けて出来るだけのことをしたという感覚があるからだろうか。
思い返せば悔やまれることもあるけれども。
病院に居たせいで、家族の誰も看取ってやることが出来なかったのも辛いけれども。
今月7日で18歳になる筈だった彼。
苦しかっただろうに、7ヶ月以上も頑張って生きてくれた。
とても愛しく、大切な子だよ。
これまで傍に居てくれて本当にありがとう。
あと『パンプキン・シザーズ』の「金は血液だ!」を貼ってる奴ら
あのな、GoToキャンペーンに文句無いの。ただあの手のキャンペーンって水害とか台風とかで被害受けた地域が安全になってからやって効果が出るキャンペーンなの。去年の南房総とか、以前の熊本とか
今回も新型コロナが落ち着いたら大々的にやればいいよ。でも今回は違う。そもそも安全になってない。正式には安全かどうか分からない
「金は血液だ!」で言うなら、その血液運ぶ奴が病原菌で、その箇所を病気にしてしまうかもしれないんだよ。それこそ壊死して終了だよ
GoToキャンペーンに文句あるんじゃない。今やるべきじゃないの。みんな嫌がるけど、ぶっちゃけ国が金を地方にばら撒くしか無い。国民に運ばせるな。悪いこと起きるかも知れないし、足りないかもしれないけど仕方ないんだよ
GoToキャンペーンは病気から回復時の点滴やリハビリであって、いま必要なのは人工心肺装置みたいな延命措置。このままGoToキャンペーンするのは腎臓が死んでるようなもの
らしい。生後一年以内の赤ちゃんは大人よりもずっと味覚が敏感で、特に酸味や苦味のような命に関わる味(腐敗したものの味)は受け付けない。
命取りになる味といえば塩味だってそうで、乳幼児の腎臓は未発達であり、成人が摂取するほどの塩分でも継続的に録れば腎臓に障害を負ってしまうほど。なのに赤ちゃんは全然といっていいほど塩味に反応しないし、結構大きくなるまで塩味には鈍く、大人がぎょっとするほどの塩辛いものを平気で食べてしまったりする。
いつだったか、一歳くらいの赤ちゃんに対して保育士が高濃度の塩分入りの飲み物を飲ませて塩中毒で死なせてしまうという事件があった。あのとき、どんだけ酷い強要をしたらそんなもんを赤ちゃんに飲ませることができたのか! というブコメだかツイートだかを見たけれど、それは単純なことで、赤ちゃんは塩味に対して鈍感だから、ミルクや好物のジュースなんかに塩を入れられても気づかないで飲むというだけだ。
赤ちゃんが何故塩味に対して鈍感なのかというと、もっぱら母親の乳を吸って生きているからだろう。母乳の質というのは母親がどんな食生活をしていても一定なのだそうで、つまり母親が塩分過多な食生活をしてても赤ちゃんが母乳から摂取する塩分に変化はない。乳飲み子は塩分過多で病気になったり死んだりすることに対策を取る必要がないわけだ。
あとは、塩分というのは赤ちゃんが口に入れるほどにはそこらの環境には転がっていない、レアな物質なんだろうなということ。赤ちゃんとってというより、人間にとって塩というのはレアものなのだろう。
そんなことをこの↓増田を見てふと思った。
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、20年前にボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしているので、今年も行ってきた。
昔はワクチン注射もしていたけど、17歳の時に室内一匹飼いだし、老ねこには負担にもなるので。と先生がおっしゃったので注射はしなくなった。
幸いなことに腎臓の数値はまだそこまで悪くない。毎年ちょっとづつ減ってきた体重も今年は減らなかった(といっても2.7キロしかないやせっぽちだけど)。
ひと一人ねこ一匹の暮らしなので、平日の日中は20年間ほぼ留守番させていたのだけど、3月から在宅勤務になって今も継続しているので、これまで経験したことのないような距離感でねこと暮らしている。まあ、老猫なんでほぼ寝てるのだけど。
カリカリは常に出しっ放しだったけど、今までは朝と夜しかあげられなかったパウチのウェットフードも欲しいと言われればお出しできるし、ブラッシングしろ抱っこしろと言われたら可能な限り対応させていただいている。
私がずっと家にいるせいか、もしくは彼女の歳のせいか赤ちゃん帰りしているようなところもあるので、私のことを常に監視下においておかないとイヤみたいな雰囲気もあって、業務中振り向くとそこで寝てたりする。
病院の先生から体重が減らなかったことを褒められて嬉しかった。でも、あと足の関節痛が結構あるようですねとも言われた。確かにここ1年でよろよろするようになった。爪も大きく変形して切られるのを嫌がるようになった。
朝ごはんのために相変わらず朝5時には起こしてくれる。夜中にふと気がつくと顔の横にくっついて寝ている。さっきまで寝てたくせにテレ会議が始まってわたしが話し出した途端に大きな声で何か訴え出す。
もう残り時間も少ないと思うけど、その時まではこのままこうやって何気なく共に暮らしていきたいなと思ってます。
(以下追記)
みなさん、増田のうちにいるねこの長寿をことほいでくれてありがとう。
実家も含め、増田の周囲には20歳前後まで生きているねこが多かったのであまり意識してなかったのですが、振り返ると15歳過ぎるとみんなそこそこ持病を抱えていたので、うちのねこはかなり恵まれているのだと思います。
蛇足になるかと思いますが、一度くらいは人気エントリになった増田(!)に追記してみたいと常々夢見ていたので、ちょっと浮かれています点ご容赦ください。
目やにで固まった目を見開いて、見捨てたらお前を呪い殺すぞと唸りながらすがりついてきたこねこの顔をはっきりと覚えています。人馴れしていて、しかもしばらく前から周囲で鳴き声が聞こえていたらしいので、捨てられてしまったのかもしれません。そんな状況から一人暮らしの増田に引き取られたので、人への依存心が強いねこになったように思います。こねこの頃は実家ねこたちとも一緒に遊んでいましたが、世代交代した新参ものたちにちょっかい出されるのはたいそう気に入らないご様子です。
関節痛のお薬についても情報ありがとう。ソファやベッドに飛び乗るくらいはまだ大丈夫みたいだし、良いうんこが出た後のダッシュは今も健在です。なかなかの加速です。コンビニで買うおせんべいの口を縛っているきんいろにモールされた針金をひねったやつが大好きで、目の前にぽんと投げさせて、まえ足ではたき落とす遊びをよく嗜まれます。年取って動くのめんどくさくなってからは、おもにこたつで膝の上に乗った際に興が乗って気分良く遊んでいただけるようです。
ねこには九つの命がある。という説があることを浅学な増田はサクラノートというゲームで知ったのですが、うちのねこはまだそれほど回数をこなしていないようで、彼女からはまだまだこの先楽しい生活が何回も待っていることを確信している風情を感じます。九回目の最後の方に、ああそういえばこういう時もあったなあと思い返してもらえればうれしいなと思っています。ちなみにサクラノートに登場するトロイメライというねこのモデルになったねこさまは、増田ねこより年上にも関わらず今もますます美しくご健在です。という豆知識を持ってお礼にかえさせていただきます。
部屋で腰を下ろしたときに、腰に鈍痛を覚えた。座るときに知らずと無理な体制になって、
そこらの筋肉を捻ったか、今までにも何度も経験したことのある痛みだった。しばらくしたら治る。
しかしそのときは30分経っても痛いままだった。その間に身体を動かして筋肉をほぐそうとしたり、
手をぐーにしてどんどんどんと叩いてみたり、横になったり、立ってても痛いままだった。
痛みとゆうのは、時間が経てば痛みがひいたり、頭痛や歯痛みたいに「ずきんずきん」したり、
強弱があるものだけど、ずーっと背中の右側が痛い。それもだんだん痛みが強くなっている。
脂汗が出てきて気持ちも悪くなった。布団を丸めて抱き抱える体勢がいちばん楽だった。
1時間過ぎ、痛みの原因が分からないし、これだけ痛いなら救急車を呼んでもいいだろう、
と母に呼んでもらった。そのとき母が「119番って何番だっけ」と漫画みたいなことを言ったのを聞いた。
出入り口までは歩いて、担架の上にやっと横たわって、丸くなった。
救急隊員の人が声をかけててくれた。「痛がってもいいですよ」と聞こえたけど、
それだと何か話が通じないから別の内容かもしれない。
しかし実はこの時、何だかだんだんと痛みがひいてるときだった。
僕はそのまま救急外来のベッドに寝て、何人もの看護師さんや医者さんがてきぱきと僕を助けようとしてるのに感動してた。
最後に先生からの説明があって、撮ったCT画像を見るとちゃんと白い石が写ってた。
「腎臓から膀胱までの尿管に結石が見えるから。それでしょう。石はもう膀胱に落ちてるみたいですね」。
あと先生は「この痛いのは何度か経験すると、自分で分かって我慢できるようになるんですけどね」と言った。
確かにそう思う。と同時に、次は痛くても我慢しなさいよ。との牽制かとも思った。初めてだったから許してほしい。
結石を画像検索して見ると、棘棘してそれが刺さって痛い、と思い違いしてしまうけど、
違くて「結石が尿管を塞いで尿が流れず、尿管内圧が高まる」のが、痛い。
この痛みの強さは出産と同じか、経産婦で尿管結石にもなった人の話では「尿管結石の方が痛い」そう。
尿管結石の痛みを経験して、出産の痛みとの比較を知って、出産をイメージすることができた。
だけどここから話が違うこと書くけど、尿管結石はそんなに痛くなかった。
次なっても原因が分かってるから、我慢できる(それで違う病気で手遅れになりたくないけど)。
布団抱え込んでたとき「ひーん、ひーん」と1人で声出して呻ってたけど。
頭痛も痛いのは痛い(頭痛はバファリン飲む)。抜歯した後は痛くない。
箪笥の角にぶつけた小指も痛いけど、よそ見してて歩く速度で電柱にぶつかるのは目から星が出るほど痛い。
咳のし過ぎで喉と腹筋が痛くなるのも辛いけど、
いちばん辛いと思う痛みは「お腹が痛い」だ。お腹を下して下痢で痛い、ならいいけど、
僕が人生で3回ほど経験したのは、お腹がとにかくきりきりと腸が膨らまされてるように痛くて、
だからトイレの便座に座るけど、痛すぎて過呼吸か酸欠で失神しそうで嘔吐しそうで、
横に倒れたいけどうんちでるかもしれないから、浴室に行って倒れて失神。
あのお腹の痛さはどうしようもないから、ずっと神様に謝って反省してた。家の中で良かった。
それがあると、ノロウィルスの「上はマーライオン」と言われる下痢が、恐ろしい。
腸捻転も想像すると恐ろしい。例え腕を切断したとしてもその痛みはずっと続かず、
腕が無いけど痛みも無くなるように、どんなことにも慣れることができたらいいのにな!
今日、代引きで万札5枚オーバーの荷物が届いた。祖母が頼んだ代物で、足の痛みをとる薬とのこと。金額にびっくりしたが、家族には黙っておいてほしいという。
当人は薬と言っていたが、どうやら今回もサプリメントのようだ。
祖母は膝を壊して長い。ほとんど曲げることができず、痛みもあって動けない。今までいろいろな薬やサプリメントを試したり接骨院へ通ったりしており、それでも痛みが引かず苦しんでいる。
接骨院は行くのに病院は嫌いで、ほとんど行ったことがなかったという。それでも最近になって腰も悪くしたから、やっと定期的に通院を始めた。薬をもらっているがなかなか量を増やしてくれないようで、効果がすぐに切れると嘆いている。かといって手術などは当人の中で論外だと。
しかし、5万円オーバーのサプリメントかぁ… 量はどのくらいの期間分あるんだろう。箱は60サイズくらい、重さは片手で充分持てる感じ(?)。そんなにたくさんは入ってなさそうだよなぁ。
かといって苦しんでいる当人を前に、実効性のあることを5万円でやれと言われて何ができるんだろうか… わからん。
薬局でNSAIDs(イブプロフェンとか)買い占めて、1回の規定量を守って毎日朝夕欠かさず飲むとか、そういう方法のほうがまだマシな気はする。腎臓とか悪くしそうだけど…
うーんどうしたらいいんだ…
全体として良い映画だとは思うんだけど、クライマックスシーンでどうにもノリきれなかった感じがあって、その理由について考えていた
クライマックスシーンというのは主人公が両親を亡くした原因になった人物が旅館に泊まりに来るってところだ
主人公から見て対向車線でまず事故が起きて、それを咄嗟に回避しようとした後続のトラックが中央分離帯を乗り越えて突っ込んできたことで主人公は両親を失うことになる
つまりそのトラックの運ちゃんが避けてなかったら主人公の両親は死んでなかったってことで、親の仇であるということもできる
客がそのトラックの運転手だと知ってはじめ取り乱した主人公だが、若女将としてやってくる中で身につけた寛大さのようなもので赦して大団円、って感じだった
俺がノリきれなかったのは、多分そのトラックの運ちゃんを加害者と見ることができなかったからだ
彼自身腎臓を摘出するくらい大怪我を負ってて、食事は塩分と油分を抑えたものしか食えない状態になってる 反省というか後悔もしている
「目の前で事故が起きたから咄嗟に避ける」ってのは「躓いて頭から転けそうになったから咄嗟に手を付く」みたいなもので、なんとかしようとしてなんとかなるものじゃない
俺はどうしようもない事故に責任を見出すことを可能な限り避けたいと思っていて、その価値観だとあのトラックの運ちゃんは被害者ではあっても断じて加害者ではない マジで何も悪くない
「事故被害者がもうひとりの事故被害者に出会うシーン」としてしか見られていなくて、赦しなんかが介在するようなものなのだと気付くまでにラグがあった
まあ気持ちはわかる 結果的に両親を殺したようなものと解釈できる人に対して複雑な感情を抱くのは当然だし、それも結構すぐ引っ込めてるんだから本当に偉いと思う
俺だって同じように両親を亡くしたらそりゃ相手のことを恨めしく思うかもしれない いまでさえそうなんだから小学生ならなおさらだ
なんというか、事故への考え方のせいで物語の解釈が滞ってクライマックスシーンを受け止めきれなかったのがかなしい
トラック運転手のおじさんが事故について語るところで「親の仇やんけ!」となるのが正常で、「へーこの人も同じ事故の被害者か」となってしまったのが全ての敗因
シュッと解釈ができる男になりたい
(追記)
なんか伸びてら!
なるほどなあ、「赦しがテーマ」みたいなこと書いてる人がけっこういたからそうなのか〜と思ってたけど、やっぱあれ許す許さないの話じゃないよね!俺の感覚が間違ってたってことでもないのか
つかおっこちゃんの立場つらすぎるんだよな でも現実的にはあれでも相当いい形に落ち着いてる トラウマで引き籠り続けるとか心療内科に通い続けて生きるってよりは奮起して若女将やる方が社会的にも経済的にもいいって世の中なのは確かなんだよな 世の中がクソって話か?
あの話じゃ子供に多くを背負わせすぎだとは思うんだけど、じゃあ背負わせないであれより幸せになれるルートがあるのか?と思うとなかなか…
コロナ自粛ってただのわがままだろ。なんで僕がそのわがままに振り回されなければいけないんだ。
前らは鎖国だの攘夷だの大義名分を振りかざしているけれども、徳川幕府になろうが明治政府になろうがどのみち地方の貧農でしかないような人が、なんで幕府や政府のために命がけで戦ってくれると思ってるの?
コロナなのに遊び回ってる人たちを見てみんなこう思っているはずだ。
『誰の目にも今は自粛するべき時だと分かりきっているのに、遊びに行く奴はよほど頭が悪いのだろう』と。
でも、それ以前に『そもそもコロナ自粛自体に承服していない人』もいると言うことをわかってほしい。
今、自粛によって僕から当たり前の日常が奪われたのだ。これは重大な問題だ。僕はカラオケに行きたいし、プロ野球を観たい。簡単に言わないでほしい。
今ここで僕が野球を見たいという気持ちとお前が生き残りたいという気持ちがぶつかっている。この対立軸を整理して考えていきたい。
コロナなのに遊びにいきたいというのはわがままだということは認める。でもコロナだから自粛してほしいというのも、もう一方のわがままだ。なんでこっちだけわがまま扱いされてそっちは社会正義扱いされてるか。そこが不満である。
まるで文化祭の合唱コンクールや体育祭の応援合戦で絶対優勝したいクラスの中心人物たちと、クラスの辺境にいる帰ってゲームしたいオタクの構図だ。
僕はわがままが悪いことだと思っていない。言いたいことは言ったほうがいいし、その上でお互いの利害を調整して、譲れるところと譲れないところの落とし所を探っていくのが社会ではないだろうか。
ところが、一方がたまたま『正義』を名乗ることに成功してしまったら、際限なく一方のわがままだけが増長することになる。
これは良くない。
だから僕は、『どっちもただのわがままでしょ』と言い張っていくスタンスである。
これはただのわがままである。僕が自粛したくないというわがままと同列に扱われるべきわがままだ。
確かに、もしかしたら僕がコロナを持っているかもしれない。僕が遊び回った結果誰かが死んでしまう可能性が僅かにある。でも、はっきりいうが僕とお前は完全に他人だ。知らない誰かだ。お前が死なないために僕がそこまでしないといけないのは全く納得いかない。
『自分の大切な人が死んでほしくない』はより自分勝手なわがままである。高齢の両親が心配なんだろう。でも、それはみんなが当たり前の日常を送ったら死んでいたはずの人ということである。放って置いたら死んでた人を救うためになんで周りが気を使わんといかんのだ。お前は自分の力で守れない命を守るために他人に責任をなすりつけている。ヒーローになりたいなら一人でやってほしい。
ちなみに僕は家族が嫌いでとっくに絶縁しているので、特に死んでほしくない人とかいない。友達もいない。子供もいない。結婚もしていない。彼女ができたこともない。少々知らない誰かが死んだって困らないのさ。
コロナ自粛派は様々な理由をつけて「これはただのわがままではない。より上級の命題だ。よってお前の遊びに行きたいというわがままに優先するべき事案だ」と言い張るだろう。
その主張の問題点を指摘して、やっぱりコロナ自粛はただのわがままに過ぎないことを明らかにする。
医療崩壊なんてしない。お医者さんも看護師さんも定時になったら帰ればいいのだ。それで何人死のうがお医者さんも看護師さんも悪くない。
例えば、電車に轢かれて四肢がバラバラになった死体を、お医者さんが直せなかったとして、誰も文句言わないはずである。それは医者の怠慢ではなく『現代医療の限界』である。
そうであれば、お医者さんが定時で帰ってしまったがために誰かが死んだとして、なぜそれを『現代医療の限界』と割り切れないのか。
『お医者さんが残業で診療してくれれば死ななかったかもしれないのに!』なんて、都合が良すぎである。他人に何を期待しているんだ。それこそただのわがままである。
医療関係者は普通の3交代制を引いて、定時になったら病人が何人いようとさっさと帰るべきだ。それで誰かが死んでもしょうがないで済ますべきだ。
確かにそれはそうかもしれない。僕はそう思う。でもおそらくお前は本当はそんなこと思ってない。
僕は昔から8時間寝ている。野菜と肉と魚をちゃんと食べている。毎日運動している。お酒は飲まない。タバコ吸わない。嫌いな人との関係はバンバン切っている。会社に歩いて行ける距離に住むことで満員電車を回避している。
絶対お前の方が健康を粗末にして生きている。これをしていない奴が健康を持ち出して僕を批判するのはおかしくないだろうか。
突然だが、救急車に道を譲らない車が多すぎると思う。僕は運転中であろうと歩行中であろうと絶対に緊急車両に道を譲っている。でも譲らない人が大半である。多分この投稿を見てキレてるお前も普段は救急車に道譲ってない。お前は本当は人命を軽視しているんだ。
救急車のためにたった30秒待たない奴のために、なんで僕が一ヶ月もカラオケを我慢しなきゃいけないのか。
だから、人命や健康に関することはわがままと一括りにせず例外に扱うべきだという主張は納得するが、この件にそれを持ち出してくるのはお前の自己欺瞞だろとも思う。
コロナ自粛派はみんなのために言っている。コロナ自粛反対派は自分のことだけを考えている。そう思ったはずだ。
そもそも、みんなのためという理由で人の自由を奪っていいのであれば、では年金暮らしのジジババや介護が必要な方にはさっさとお隠れになっていただいたほうがみんなのためではなかろうか。お前が腎臓をもっと優秀な人に分け与えたほうがみんなのためになるのであればお前は肝臓を差し出すんだろうな。
年金ぐらしのおじいさんおばあさんも、生きていれば様々なことでみんなのためになっている、などと軽薄な功利主義を唱えるのはやめてほしい。教養がない。一番大事なことはそこではない。みんなのためだからといって個人に我慢を強いるのは限度があり、絶対に超えてはいけない一線があり、その先のことをどうするかについては本人の意思決定を尊重するべきだ。それがこの社会の約束である。
そもそも、僕がカラオケに行きたいというのは『みんな』に含めてもらえないのだろうか。野球を見たい人が野球を見れないのは『みんな』の問題ではないのだろうか。
僕は大変優しい人なので、みんなのために自分が犠牲になることはやぶさかでない。しかし、だからこそ「みんなのため」を誰かが勝手に決めていることに対して腹が立つ。
先に断っておくが、僕は大変な紳士であり善人だ。
定食屋さんでは必ず『いただきます』『ごちそうさまでした』という。
スーパーの店員さんにも必ず敬語だ。怒鳴ったりクレームをつけたことは一度もない。レジでは必ず『お願いします』『ありがとうございました』という。
職場でも全員に敬語だし、いわんや誰かをいじめたりいびったり口撃したことなんて一度もない。いつもニコニコしている。
読みたい本は必ずお金を出して買っているし、聴きたい曲は必ず各種有料サービスを使って作者にお金が回るようにしている。
あくまで、これはこの問題の構図が完全に不公平であるという点を主張しているのであって、僕の人格がおかしいからだとかいって済ますのはやめてほしい。
米サイエンス紙によると、新型コロナに1度でも感染すると「脳、心臓、肺、肝臓、腎臓等」の人体ほぼ全てにダメージを与える事が判明した。
重症者の最大40%は腎不全になっており、今後透析機器の確保も課題になる。#コロナウイルス#多臓器不全 pic.twitter.com/jT793xoj2A— こうちゃん (@wv3lW9qfHWXoReK) April 20, 2020
不安なことと思う。
既に一般的に、共有されているかと思っていたんだけれど、covid-19については、かかるかかからないかでなくて、かかる人の増加を遅らせるというのが、WHOがパンデミック宣言した4月8日以降の現状だ。
なので、誰もかかりたくはないけれど、感染するリスクを少人数づつ取っていくことになる。引きこもっていてもかかるときはかかる。100%の安全なところはない。リスクに濃淡があるだけだ。
病院での受付事務は、リスクは医師、看護師、に次いで高いかもしれない。おそらく薬剤師よりは高い。ただ、事務系は、発症したときに休んでももらっても、この中では比較的替えが効きやすい。例えば、大学病院だったら、ほかの学部の事務方とかで、病院で事務やったことのある人などがいる。今は休んでいるだろうし。業務独占があるような職種はそうそう補充が効かない。
補充が効くから、いらないというわけではなくて、恐怖に耐えながら働く元増田のような事務方がいなくなれば、医療の負担は集中していく。元増田が、今仕事を続けていることには価値がある。
ホリエモンも言ってたけれど、最も崩壊に近いのは、救急科、ICUで、いうなれば前線。感染症科も専門だけれど、数が少ないので、患者の直接的な管理というよりはコンサルテーションになっているのかな?呼吸器内科が次点。この辺の先生は、専門性も高く、医療の質を保てる。現役。
3番手は以降、covid-19に関しては、現在だと予備役かもしれない。例えば、major内科の循環器内科、消化器内科。透析って、ecmoに近いような気がするので、腎臓内科もはいるかな?。内科の先生は、臓器特異性はあるかもしれないけれど、感染症を日常的にみているはず。
メジャー外科系の先生(呼吸器外科、循環器外科、消化器外科)が4番手かな。だけれど、covid-19の前線に駆り出すとすれば、相当に手術数をしぼってもらう必要性があるから、covid-19以外の死亡率が上がるかも。
5番手にマイナー科(皮膚科、眼科)など。あんまり、重症の人の呼吸・循環管理はやらなくなっているだろうから、治療の質は下がる。
もっとも遠いのが精神科だけど、精神科は精神科で主戦場は総合病院でなく、単科の精神科病院で、単科の精神科病院で感染者が出たら、すぐに崩壊する。
初期研修制度が始まって10数年になるので、マイナー科でも中堅くらいの先生までなら、一昔前に人工呼吸器の管理を何例か経験しているはず。中堅以上の先生だと、やったことない人もいるかもしれない。
看護師の体制は詳しくないけれど、結構な数の潜在人員がいるだろうと思う。危機が迫ったときにどのくらい戻ってきてくれるかわからないけれど。
私はマイナー系の医師で大学病院の片隅で働いている。ちなみに、3月末からマスクは週に1枚と言われていたけど、最近は内側にガーゼを置いて、それを取り換えることで半永久的に使うことが推奨されている。それでいいかどうかはわからない。
このエントリーの趣旨は、大変な人もいるのだからボス・リーダーに文句を言うなということではない。批判が許されない社会は健康じゃない。一方で、批判者が正解なのか、リーダーが正義なのか、それは未来の歴史ならないとわからないし、歴史すら修正されるかもしれない。批判もするけれど、社会的には統制の取れた行動を心掛けたいと、個人的には思う。