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はてなキーワード: 背中とは

2024-01-25

anond:20240125113538

背中側に重いものを背負ってる感じでひっくり返った亀みたいに起きがれないんだが?(足をバタバタさせることはできる)

これは水子に取り憑かれてますね。この壺を買えば解決しますよ(1000万)。

anond:20240125113538

乳幼児じゃないかママ確認

背中側に重いものを背負ってる感じでひっくり返った亀みたいに起きがれないんだが?(足をバタバタさせることはできる)

起きるの発動率って15%ぐらいじゃね

10分おきにスヌーズを止めるのを4時間ぐらい続けてるんだけど背中側に重いものを背負ってる感じでひっくり返った亀みたいに起きがれないんだが?(足をバタバタさせることはできる)

2024-01-24

都会の老人

飲み会が終わって22時過ぎに都心の駅から自宅に帰るとき、駅のホームにヨボヨボなおばあさんがいた。

格好はジーンズに大きい若者向けのリュックを背負ってショルダーバッグも下げていた。

おばあさんは10円を1枚1枚自販機にいれてオロナミンCを買っていた。

そして電車に座るとアベノマスクくらい小さいマスクをずらしてオロナミンCを飲んでいた。

口元が露わになると更にヨボヨボのおばあさんだった。

はいつもこういう光景を見ると泣きそうになってしまう。

沖縄祖父母はもうこの時間にはとうに寝ているというのに、都会の老人たちはなぜこうも夜まで働かなければならないのか。背中丸めて。歩くのもおぼつかないほどヨボヨボなのに、若者向けの似合わないブーツカットジーンズを履いて。

わかってる。都会に住むというのはもちろんおばあさん自身自分選択だし、俺なんかより大富豪でただただオロナミンC大好物なだけかもしれない。

でもいつも深夜に電車にのっている都会の老人たちを見ると泣きそうになるのだ。ビニール袋を鞄のように使う老人までを見ると。将来俺もこうなるのかもしれない。

老人たちは幸せだと言い聞かせても堪らなく胸がキュッとなるんだ。助けてくれ。

Arkプレイヤーキャラが歩きながら脱糞するのが駄目で5分で閉じたな。

何が悲しくて掘られすぎてアナルガバガバになったゴリラ背中を眺めるゲームをしなきゃならないんだよ。

カム映画化ポリコレ棒を振り回してる人たち

カム映画化で「主人公アイヌが演じるべき」って自称映画好きの人たち(笑)が言ってる。

原作の段階からアイヌの人や研究者の声を聴きながら作られてるんですわ。

映画独自アイヌ監修シーン入ってるんですわ。

すべての人が納得するのは難しいけれど、頑張って作ってくれていると思う。

ポリコレ棒で叩こうとしてる映画好きの人たち、

「蒙昧を啓蒙してやろう」って魂胆が見え見えなんですよ。

上映されるまでほとんど作品のことを知らなかったでしょう。

ハリウッド複数作品で、実際の聴覚障碍者聴覚障碍者の役を演じている。

そのおかげで聴覚障碍者演出が向上しているし、社会理解が進んでいる。

それはいいことだと思っています

日本には29万人の聴覚障碍者がいるらしい。

それに比べてアイヌは1万人もいない。

年齢もだいぶ上に固まってる。

聴覚障碍者フレームを雑にアイヌに流用するのは、聴覚障碍者にもアイヌにも失礼。

ここ20年くらいでアイヌのあつかいはだいぶ良くなったけど、私の祖父アイヌだったと成人してから初めて聞いた。

早くに亡くなっているので私は覚えていない。

おばあちゃんに聞いたら悲しい顔をしたので詳しいことは聞けていない。

幼い私がいじめられたりしないように秘密にしてくれたのかな。

札幌小学生だったころ「アイヌの人は指の第一関節にまで毛が生えているんだって!」と無邪気に友達に言われて「そうなんだ。私は違うな。」と思っていた。

でも背中に毛が生えてる女なのよ私www

そしてアイヌの血が流れていたわwww

平成初期にアイヌだと知っていたらアイデンティティの構築に影響があったと思う。

多感な時期に「みんな(※マジョリティ)と違う」って病んでいたかも。

カムマンガアニメ映画で、ポジティブにとらえるきっかけになった若い子たちがいるといいな、と私は思っています

人と違ってもいいし、受け入れられたら個性にもなる。

それを「1か0か!」「俺たちの倫理に合わないクソキャスティング」「これだからジャパンは!」って大味で叩いてる人たちには辟易しました。

社会ちょっとずつしか変わっていかいから、ちょっとずつ進むしかない。

そのきっかけを摘もうとしていませんか?

アニメ最終章映画第二弾でもっとファンが増えることを祈っています

自分アイヌの血が流れていることを知らないで生きている人もいるんだろうな、と思って書き散らし。

他人人生への言及

やる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらない

みたいな言葉があると思う

個人的にこの言葉自体は「正しい」だろうと思う

問題はこの言葉が使われる状況だ

この言葉が使われるときと言うのは、大概他人人生への提言薫陶などが行われている場面だ

しかしね、考えてみて欲しいのだよ

やる奴はやるんだ

やる奴に下らねぇ提言なんていらねぇんだよ


こういう生存者バイアス成功話を有難がる輩がマヒしてんのは

紹介されるのが、【やればできそうに見える事】だからなんだよな

音楽絵画語学料理、服飾、そして独立

夢として抱えても普通にサラリーマンになってしま

ちょっと冒険してみようか、そういう奴を食い物にする商売沢山あるよな


けどさ、脱サラで「あなた食パン」とか「あなた餃子」とか「あなたタピオカ」って話があったら、絶対ケチつけるだろ?

やる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらない

なんて話にならねぇで

止めとけってなるはずなんだよ

脱サララーメン屋だって止める奴の方が多いだろ

現実的な話が出てきて、勝算あるのか?ってなる

それは「潰れるラーメン屋」を自分で見てるから

から、その無責任さが想像できる

プロ野球選手プロサッカー選手でもそうだろう

それで食っていくことの大変さ、門の狭さは容易に想像ができる

けどな

これが、漫画かになると途端に解像度が下がるんだよ


https://note.com/keitauehara/n/nb8472b76c497

(この漫画の是非には触れない)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/keitauehara/n/nb8472b76c497

29歳だから言える みたいなコメントしてるやつはどうせ29歳でもやれないやつだろう 65歳からケンタッキー創業したカーネルサンダース見習いたい(私が)

とりあえずここでウダウダ言ったり漫画ケチつけてる奴らがノーチャンなのは確か

コメ欄見てるとやる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらないってことがよくわかる

こういうコメントがついちゃう

漫画家になるかどうかじゃねぇだろ、心意気の話だ

みたいにずらす奴も出るだろうが

それこそ「そういう話じゃねぇだろ」って奴よ

軌道修正した後のリスクをこういう話はものすごく小さく描く

下手したらゼロ

漫画家になれたか脱サラしたって奴のうち、何人がそのまま漫画家でいられるんだろな?

こういう煽り話をする時

それが煽りだと分かったうえで煽り全振りするのも良いだろう

サロンなんかでは好意的に受け入れてもらえるだろう、自分を全肯定してくれる甘言だから

そうでないなら、安全弁として職は維持しろみたいな提言であるべきだ

漫画家(その他在宅ワーク)が形になったからと言って安易に現職を辞めるなと言うべき

この警告が要らない相手には、提言のものが要らない

やる奴はやるのだ

だが、他人背中を押すなら、無責任に押すなと思うんだよ

他人の【甘言】に後押しされないと出来ない奴は辞めるべきだ



この起動修正投稿が、フランチャイズコンビニ経営を勧めてても

同じこと言うのかね

ケチつける奴はノーチャンってさ

2024-01-23

anond:20240123212818

>一つの仕事が生む信頼が別の支援者との関係構築の「糊代」になるような情報共有のやり方

自分のことを思い起こすと反省ばかりで痛い思い出しかないけれど。

次の仕事をつくっていくということにもつながる話で、自分仕事だけじゃなく、視野をひろくみておかないとこういうことは普段考えようとはしないね

++

いったん投稿しちゃったから、読んでるかわからないけど、何が痛かったかというと、せっかくだから

自分の後悔というのは1で引き継いだものを誰かほかの人にバトンを渡せるように2,3と増やして行けたか、言い換えれば自分自分以外の仕事ニーズをつかんでいけたか、という点で力不足をよく感じる。

しろ引き継いだものが後退しちゃっている面もあるし、何も進んでいないこともあるし、代理で引き継いでいる感覚が抜けなかったりすることもあったし、いまもある。

こういう世界って、やっぱりメンターになる人というか、そういう背中をみて自分仕事信頼関係の作り方も含めて、つかんでいく面がある。

信頼というテーマで言えば、ほとんど一緒に仕事したことがなかったけれど勝手師匠だと思っている人の言葉で、「卵の殻理論」というのがあっていつも大切にしている。随分前になるけど。

とりの卵は外側からいくらつついてもひなが孵らないような仕組みになっている。だから支援者仕事というのは、無理して外から叩いたり押し付けたりすることじゃなくて、

支援者の大切にしている世界ナラティブ物語にしてみせることで本人の気づきいかに促していくか、というのがキモだということ。

殻を割るのは支援者じゃなくてひなで、その動機付けを見守るっていうのは、信頼関係を構築する、という話とパラレル。、

ただそれは援助をはじめるきっかけにすぎなくてその先に支援チームとしての技術力が試されるし、その活動が広がるかとか定着するかが試される。

この2ステップ、そのタイミングというのは試行錯誤してなんとなくみえてきてはいるけど、いかんせん、最初ステップクリアしたと思うタイミング現場を離れなければならない、みたいなことが多かった。

でも、そういう動き方というか流れというのを伝えていく、というのは大切なことだと思うね。

金があるのに、使えない

都内在住、30代独身弱者男性

金があるのに、ビビって使えないという自分精神虚弱っぷりが嫌になる。

自分人生なのだから使ったほうがいいと思うのだが使えない。

はてな民には資産家が結構いると思われるので、一歩を踏み出すアドバイスが欲しい。

自分資産について。日本株で約2500万、投資信託で1200万。

上場株で1500万あるが、これはあくまで未上場株の時価なので現金化はすぐはできない。

現金は300万と言ったところ。一見十分にあると思うのだが、それでもいまいちお金を使う気にならないのである

スーパー普通外食ではさほど気にしないが、自分人生を良くする体験や高額なモノに対しては急激に臆病になる。

例えば自分は高級ホテルに一度も泊まったことがない。一度くらいリッツカールトンなどに泊まるのも良い経験だと思うが、できない。

買おうと思えばレクサスを一括払いして買えるが、「実際タクシーで十分だし」となってしまって買えない。

ライカカメラを買って写真を撮りたいが、「でも実際SONYで十分だし」となってしまって買えない。

高級スピーカークラシック名曲を流したいが、できない。

自分が愚かだとわかってはいるつもりだが、じゃあ実際100万円出してスピーカーを買いたいかというと悩ましい。

今の5万円のスピーカーでも聴けるのは聴けるし、サブスク音楽流してるだけだから元々音質がそこまで上質ではないのでは、とネガティブに考えてしまう。

他のも同様である

「老後に貯める」が一番ありそうな意見だと思うが、それはもう今の現状である

老後に3000万円必要、と言われているがそれはもう溜まっている。

大金を使うための一歩を踏み出したい。はてな民の皆様に背中を押してもらいたい。

2024-01-20

中島健人さんの卒業に無記名の意思表明をさせてくれ

中島健人Sexy Zone卒業ーーー

新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。

「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」

30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。

人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切り人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティー人生責任は取れない=つまり全ての最終決断ケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)

Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループ広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所グループには出来るのになぜ出来ない?の世界不思議をいつも彼なりのアイデア解決してきたし(それでも出来ない/私たちやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)

ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループ中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまたからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます

公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティーアイドル芸能界に限らない人間普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断きっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)

繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロ活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロ活動する、だったのかもしれません。

とはいえ中島健人がいるグループファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループエースである中島健人と共に。

そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプル私たちメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字それからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)

それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドルファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情たことがないのでいかに彼らの存在自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、

我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、

※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※

私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。

その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。

今や社会人としてビジネスにおける数字重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメ世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファン雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしま担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!

Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンスMCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体テレビ)が絞られていた平成時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手確信のようなものを持ってしまっていたのでした、

最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、

一昨年のマリ卒業はその過程(発表〜カウコン卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間証明してくれたのではないかと思っています

からこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います

また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉

本人は発表翌日ドラマ宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドル方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zone卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。

一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたSexyアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)

すみません、まだまだ書き綴ります

前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループ温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります

※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※

私は中学高校体育会系部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春シンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的モチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。

部活仕事人生)なので根底全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)

もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。

表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?

一つ疑問なのはグループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択しました。

私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。

実際に一連の騒動不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。

彼のいう、1人のアイドル俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、

と書きながら、最近インタビュー映画にまつわる番組海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくま国内海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断したこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、

さて、この簡単言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います

こんな長々と書き綴りましたが、

最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタク本音ひとつをもう一つだけ書いてしまうと、





お騒がせセレブよろしく

「やっぱりSexy Zoneがいい!」

「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」

ってお互い言ってもいいんだよ!

まだ許す!許せる!間に合う!



最後最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。

でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます

書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。

2024-01-19

管理職に足を踏み入れた。

現場での仕事にも、とうに熱意が失われつつあるなかで、この仕事どれくらい続けられるかな、といまさらながら思う日々が続いている。

何か面白そうなことないか、新しいことはないか、あるいはもっと人の役に立つ仕事したい!などと探す中年危機というもの自分にも到来したのだと実感した。

若者と同じテンション仕事ができないばかりでなく、業務量も追いつかない。

もちろん一つ一つの業務については仕事のコツはつかんでいるので最小限の労力で、若者よりよい成果を出すことはできる。

昔、全力でやっていたことを今は、こんなもんだろ、という感じで仕上げていく。

しかし圧倒的に往年のパワーがないのを実感している。

管理業務現場に輪をかけてひとつも楽しくないことに無駄時間ばかり取られ苦痛しかない。

管理職など返上したい。が、一方で、若者と対等に仕事もできそうにない。

彼らが頑張ろうとする目標を高すぎると感じるし、若者議論していても、落としどころはそこじゃなく、もっと身の丈にあった地点だと最初から悟ってしまっている。

身の丈を知っている、というとかっこがつくようだが、実際にはどうせやれっこないとあきらめているだけだ。

しかし、若者提案にも突破口があるかもしれず、それに沿って背中を押してやることもときりあるが、付き合うこちらは息切れしてしまう。

そして失敗が続くと、こちらはああやっぱりと思うだけだが、若者もそのうち気が付くのだろうとみている自分が嫌だ。

そうして若者もまた年老いゆきこちら側に来るのを2年3年とかけて見守っている、みたいな自分姿勢がほんと嫌だなと思う。

2024-01-18

彼と私のルーティンな日々。

恋人は私よりも早起きだ。

私は起きたら寝起き姿のまま、「おはよー」と言って彼の背中に張り付く。

 

そんな日々を繰り返すうちに、向こうも「コイツは起きたらまず背中に張り付いてくる」と認識したようで、毎朝私が起きてくると背中がお迎え体制になるようになった。

 

最近恋人背中と私のお腹の角度のシンクロ率が上がってきた気がする。フィットすると、彼は手を後ろに回して私の体を掴んでくれる。これは多分バグだと思う。「うば捨て山に向かう息子のモノマネ」と言われたらそれはそれで納得しそうな体勢でもあるが。

 

顔を洗ったら、私は日課ラジオ体操をやる。ときどきだが、恋人も一瞬だけ参加する。彼は驚くほど腕が伸びない。もうちょっと真剣にしてもいいんじゃないかと思う。 

 

恋人は7時半に家を出る。それまでにもう1回くらいハグをする。いってらっしゃいのチューは滅多にしない。

たまに、恋人が家を出る時間になっても私はまだ寝ている日がある。そーゆーときは「いってくるね」と私の部屋に入ってきてチューしてくれる。私はド寝起きなので必死で息を止める。

 

恋人残業ほぼなしの部署にいるので、大体18時には帰ってくる。私はその時間ジョギングに出ていることが多く、彼が帰宅したとき、部屋の明かりはついていない。

 

ふたりとも揃ったら、昼間に作っておいたご飯を温めて食べる。先日はシチューだった。ジャガイモが案外余ったので、明日肉じゃがの予定だ。

 

ご飯を食べたら、割とすぐにお風呂を沸かす。恋人トイレ掃除はよくしてくれるが、風呂掃除は好きじゃないようで概ね私がやる。毎日、私に一番風呂を譲ってくれる。嬉しい。私の風呂上がりに合わせて部屋のどこかに隠れてたり、扉の目の前で待機されてたりと、脅かされる日も多い。

 

彼が湯に浸かってる間に、私は髪を乾かす。二人で暮らすようになってから脱毛やパックをするタイミングがずっとよくわからないままだ。

そういえば、恋人シャワー派でお風呂のお湯に浸かることなんてなかったはずなのに、いつの間にか毎日お湯に浸かっている。なにかしらの動画を倍速で観ているが、倍速すぎて何を観てるかは私にはわからない。

 

二人ともパジャマになったら、どこかのタイミングハグをしている。「今日は腰が痛い」などと言うと、彼がそのまま私の体を持ち上げてブラブラ下半身を左右に揺らされたりもする。それは果たして有効なのだろうか。

 

テレビクイズ番組を見ることが多い。ふたりとも得意なジャンルがまるで違うので面白い。美味しい食べ物の1位を当てちゃいけない系が個人的には好きだ。一人暮らしだとバラエティなんて殆ど見ないが、誰かがいるとまんざらでもない。

 

食事をしつつ、テレビを見つつ、風呂に入りつつ。その日にあったことや、週末は何するかを話してダラダラ過ごす。寝るまでに恋人食器や鍋を洗ってくれるのはもうすっかり日課になった。いつも誠にありがとう

 

朝が早い分、恋人の方が寝るのも少し早い。歯磨きをして、「寝るね」と言われたら、例えリビングでウンウンと仕事をしていても、一旦手を止めてハグをするのがお決まりだ。ときどきチューもする。

 

平日は別々に寝るので「おやすみー」でふたり時間おしまい

 

大体、30分か1時間後に私も自分の布団に入る。廊下を挟んだ向かいの部屋にいる恋人の寝息が、私のベッドの中まで聞こえてくる時がある。いびきじゃなくて、単なる寝息。肺活量がすごすぎる。

逆に、私は友達旅行に行ったときなど「静かすぎて死んでるか生きてるかわからなかった」と言われたことが何度かある。実に両極端な恋人同士だ。

 

さあでは、そろそろ私も寝ようかな。

また明日ね。おやすみ

 

明日も多分、こんな感じで1日が終わる。

2024-01-17

マッチングアプリを始める背中を押してくれ!

29歳童貞

彼女欲しくてマッチングアプリ始めたいけど

メンタルが激弱で振られるのが怖すぎるんだけど

行動起こさなきゃこのまま一人で死ぬかと思うと嫌で

マッチングアプリ始めたいけど怖い

背中を押してくれ

松本人志の性加害報道過去の性被害フラッシュバックしてつらい

松本人志から直接被害を受けたわけでもないのに笑

一般人から芸能人まで含めて性被害報道など腐るほどあびてきて、そのたびに自分の性被害が思い起こされては湧き上がってくる怒りや不快感を寄せては返す波の様になだめてきたけれど、今回はそう上手くいかない。

松本人志ほどのビッグネームから何度も何処でも報道され続け、松本顔写真を見るたびにもう10年以上前にもなる過去の性被害が、いくら記憶からかき消そうとも何度でも鮮明に蘇ってくる。その度に、みぞおちのあたりが重く仕事生活に集中できない。松本の性加害が報道され始めた昨年末からずっと。

アマプラを開くとドキュメンタル広告松本人志のアップが出てきてそれもつらい。)

その夜(性被害描写注意)

10年前、年上友人男性Xに合コンを組んでもらったのが事のはじまり

Xとはたまに食事しながら趣味の話を楽しむ関係。付き合いが長く既婚者ということもあり信頼できるお兄さん的存在だった。

合コン自体はうまくいき、そのうちの1人(Xにあたる後輩)と交際することになったから報告とお礼を兼ねて食事に行った。

「それはよかった!あいつは良い奴だからよろしくね!」と喜んでくれ「お祝いだから!」という事でアルコールも入り時間が経ち、私はいつの間にか泥酔状態になっていた。自分の脚で立てず支えて貰いながら歩いたのは覚えている。


気がつくと、Xが所有する倉庫の固い床に転がされ下着を剥がされている最中だった。無茶苦茶びっくりしたし肉親や親戚にそうされているかのように生理的不快だった。必死抵抗するも力が敵わない。胸に顔を埋めるXはマリオドッスンのように重く動かすこともできず、そのうちぐったり疲れて組み敷かれなすがままになった。

事後、どうやってその現場を出たのか覚えていない。

携帯がなかった。どうやら食事した店に忘れてきたらしく、幸いそう遠く離れていないその店へ歩いて取りに戻った。

鏡を見ていなかったので分からないが酷い格好だったのだろう、男性店員さんが一瞬息をのん携帯を手渡してくれた。泥酔状態で店を出た私たちの姿も見ていたはず。何が起きたのか察知されたように感じて物凄く恥ずかしかった。逃げるようにタクシーに乗り込み帰宅した。ひどく疲れていたので、ベッドに倒れこんでそのまま眠った。

翌朝背中が痛むので鏡をみたら、長時間押しつけられていたせいか背骨にそって赤黒く床ずれのようになっていた。昨夜のこと、考えないように思い出さないようにしていると、Xからメールが届いた。昨夜のことを詫びるとともに昔からずっと私に好意を抱いていたこと、後輩にとられるのが悔しかったので出来心でやってしまった、できれば酔ってない時にもう1回やりたいという内容だった。

私は被害者じゃない

松本人志の性被害者Aさんのように私もXにお礼、いわゆる迎合メールを送った。

「びっくりしたけど気にしないでくださいヘラヘラ彼氏できたんで2回戦はまたいつかヘラヘラ」的な軽い文面だったと思う。

けどその迎合メールを送ったという事実が後々私を苦しめることになった。

これから彼氏になる男性の先輩にあたる、共通の知人も多いXの気を損ねたくなかったから重い話にしたくなかったし、妻子がいる相手から何か奪うつもりも脅迫する気もない、誘惑だってしてない、慰謝料なんて取られたらたまったもんじゃない、私は無害ですよと表明したかった。今思うと、あんな性被害を受けておいて、それでも相手に気を使うなんてどうかしている。

〝性暴力被害者は、被害に遭ったことを認めたくなかったり、社会的地位立場の差がある加害者との関係悪化を恐れたりして、加害者に順応や迎合するような行動を取ることがある。〟

松本人志の性被害者Aさんにぶつけられる「なんやこのメール性的合意があったんだろ!」これは私が10年以上、私自身にも浴びせ続けてきた言葉だった。

被害を受け入れるような迎合メールを送った自分は、頭がおかしいんじゃないか...とずっと苦しんでいたけれど、よくある行動なのだと知りようやく自分を許せた。

その後

Xとはそれ以来連絡をとらず会っていない。

合コンでできた彼氏とは3ヶ月ももたず別れてしまった。

一度だけ共通の友人にXからの性被害を打ち明けたことがある。

「えっ...知りたくなかった。Xと気まずくなるじゃん勘弁してよ。」と拒絶されたのをきっかけに共通の友人たちとも切れた。

後悔だけしている。食事に行くんじゃなかったとか、証拠をとっておいて闘えばよかったとか。もっと自分を守れたらよかった。

いまどうしているのか気になって

やめときゃいいのにXのSNSを探してのぞきに行ってみた。今回の松本人志に何か言及しているのか?性加害報道を眺め自分の行いを少しでも思い返すことはあるのだろうか?

まあー当たり前に無風よね。すっかり忘れているのだろう。仲間たちと趣味を楽しみながら平穏日常ポストが続いている。

年上のお嫁さんはお元気ですか?息子さんも大きくなられたことでしょう。あなたのようにならないといいですね。

男子小学生気持ち悪かった話とついでのクズ教師の話

最近話題になっていた男子小学生盗撮のせいで、掘り返されてしまった最悪の記憶の供養。


小学生の時、気に入らないことがあると泣きわめく(しかも嘘泣き)男子がいたんだけど、異様に女子が好きで近寄りたがる奴だった。男子相手にされないのもあったし、本人も男子より女子にくっつきたがっていた。

小学1年生とかでそんな感じで、当時あまり理解して無かったけど、とにかく気持ち悪いと思ってた。面食いなのも気持ち悪さ増してた。

そいつが不機嫌になったり、嘘泣きをし始めるともう手に追えなくて、あらん限りの大声で喚くわ女子八つ当たりするわ、お気に入りに抱きついたり慰めてもらおうとするわ…先生もめんどくさいのか、あまり強く引き剥がしたり叱ったりしてくれなかったように思う。親も典型的モンペで、「うちのムチュコタンタイプの人だったからかもな。

とにかく気持ち悪い問題児だった。

あれは何年生の時だったか

私の通ってた小学校には、プール更衣室がなくて、授業の時は男女別の教室で着替えてた。

その日の前の授業か中休みかにそいつがいつものごとく泣き喚いて、盛大に拗ねていた。

そしてあろうことか、「不機嫌です!」と言わんばかりの顔して、"女子が着替えてる真っ最中教室"に入ってきた。

当然女子たちは「え???」って凍りつくし、どうしていいかからなくて、時間が止まったみたいだった。

そいつは机に突っ伏してたけど、時々辺りを伺うふりして見回してた。

担任は、理由は覚えていないけど近くには居なかった。そもそもいつも見張りはしていなかった。そしてその後、女子の着替え中に侵入したことを怒られていた記憶が無い。

特に大きな問題になった記憶もない。

心底不快で、時折ふと思い出してしまっては落ち込んでいる。


別の時。これは小学3年生の頃。

私は気が強い女子だったし太っていたので、面食いそいつ基本的には嫌われていたのだけど。

発育のいい子どもだったので、その頃の私の胸は膨らみ始めていた。

でも基本的Tシャツ1枚とかで過ごしていた。暑がりだったし親が無頓着だったので、肌着を着てなかったんだよね。


ある日の休み時間ブランコに乗っていた私の顔面に、ものすごい勢いでドッヂボールがぶつかった。

当然勢いよく鼻血が出て、服も真っ赤。泣きながら保健室にいって処置してもらった。

保健の先生(女性)は、血が乾いて落ちにくくなる前にと私の服を脱がせて水洗いしてくれたんだけど、私が着られるサイズの貸し出し用の服がない。

暑い時期だったのもあったからか、上半身裸の私を置いて先生は服を探しに出ていってしまった。

まだ鼻も痛いし、ボールが飛んできたショックも全然抜けてなくて、茫然自失。

鼻血が止まってないから、ベッドに横になることもできない。

ぐすぐす泣きながら待っていたんだけど、なぜか例の気持ち悪い男子が急に「大丈夫?」と言いながらやってきた。


明らかに私が裸でいることをわかって、見に来たのだ。

先生は裸の私に配慮して部屋のカーテンを締めてくれていたので、それで察したのかなんなのか。


必死背中を向けてたと思う。

それでもそいつは、正面に回り込もうとして来た。

この男子気持ち悪くて気持ち悪くて仕方なかった。

普段なら言い返せるしやり返せるのに、痛みとショックで弱っているわたしには逃げることしかできなかった。




ここからもっと地獄

引き戸の開く音がしたので先生が帰ってきたのかと思ったら、当時の副担任(若い男性)が「大丈夫か」と言いながら入ってきた。

こいつ、他の先生方にはヘコヘコヘラヘラしているくせに、他の大人がいないところでは子どもに対して高圧的だったし、すぐに機嫌を悪くしてキレてきたりしてきたので、めちゃくちゃ嫌われていた。

ガタイがいい体育会系だったのが、より威圧感を増していた。


そんな成人男性が、なぜか猫なで声で「心配したぞ」なんて言いに来ている。女児上半身裸なのに、平然と部屋に入ってきたのである

今思うと、保健の先生が服の在処を聞いて回ってくれてたんだろうな。それを悪用して、確実に先生がいない上に裸なのをわかって保健室に来たんだろう。

わたしの恐怖はマックス。余計に泣いてしゃべれないし、嫌がって必死に2人に背中を向けているのに、心配を盾に回り込もうとする2人。もう逃げ場がなくて、泣いて固まるしかできなかった。



ようやく保健の先生が帰ってきて、すぐに2人を追い出してくれた。普段は怖い先生だったんだけど、「大丈夫?」とすごく優しく心配してくれたのを覚えてる。

そして、「お母さんに言って、ブラを買ってもらいなさい」と言ってくれた。私は成長が早いから、もう着けた方がいいよって。


もしあの時既にブラを着けていたら。

下着姿だって絶対見られたくないけど、裸見られるよりマシだったなって今でも思うし、そう思ったか先生も勧めてくれたんだろうな。

ちなみに、副担任は後日『家庭の事情』で学期途中から来なくなった。私の件が関係していたのかはわからないけど。




嫌な思い出の供養なのでオチはない。

ただ、小学校低学年と言われる男子でもこういう事してくるし、男が基本的に信用できないって人がいるのはわかってほしい。

てかクソ同級生から芋づる式で思い出して書いたけど、あのクソ教師本っ当に気持ち悪いことしてきてたんだな。

2人とも、あらゆるバチが当たって不幸のどん底であれ。

2024-01-16

最後投稿です

16年と半年前、57歳になったばかりの2007年9月に初めての投稿しました。その2ヶ月くらい前から閲覧はしていた気がしますが閲覧履歴のようなものはないためわかりません。

ちょうどその頃、勤務していた会社役員に昇格したばかりでした。法学部卒業新卒入社して以来、ひたすら営業畑にいた私が役員になってから与えられたのは情報システム部を含むIT分野でした。

その10年前ごろから会社パソコンが導入され始め、総務部門にいた同期が悪戦苦闘しており「大変そうだな〜」なんて気楽に思っておりましたが、まさか自分がそれらを統括する立場に置かれるとは思いませんでした。

IBM主催する勉強会に参加したり、書籍を購入したり、パソコン教室にも通い、DELLデスクトップPCを購入して大学生だった息子に助けられながら設定をしていました。

インターネット徘徊する中で見つけたのがはてな匿名ダイアリーです。

結局半年足らずで外部の専門家を雇うことになり、お払い箱になった私は金融商品を取り扱う子会社代表取締役を務め、そこもお払い箱になると取引先の名ばかり役員となって月に数回だけ会議名目で仕出し弁当を食べに行き、65歳となる2014年に完全に隠居生活に入りました。

私が本格的にここを利用するようになったのはそれからです。

毎日スケジュールは犬の散歩、朝食、昼食、刑事ドラマ、夕食のみです。買い物、旅行ゴルフ、孫、会食などが不定期で入りますが、基本的に暇なのでここで皆様の投稿を拝見したり、社会問題映画音楽歴史などについての投稿を行い皆様からコメントを楽しんでおりました。

この時期に妻と隠岐旅行に行きましたが、それもここで隠岐の魅力を語る投稿を見たことがきっかけでした。探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。

後にTwitterブログなども始めましたが、Twitterは見るだけになり、ブログ更新はされなくなり、継続的に利用を続けてきたのは結局匿名ダイアリーのみでした。

私が定年後もボケっとした生活をせず、さまざまなものに興味を持ち精神的なアクティブさを維持できたのははてな匿名ダイアリーのおかげです。

さて、私は大腸がんで苦しんだ祖父介護で幼少期に苦労した経験がありました。そのため、かかりつけのクリニックにてビデオスコープ内視鏡が導入されたことを知った時から定期的に胃カメラ大腸カメラを含む検査夫婦で受けてきました。

しかし、2019年最後大腸カメラを受けて以来は検査を行っていませんでした。70歳になったし、息子夫婦の末孫の小学校入学式を見たし、娘夫婦仕事が終わるまで孫を預かるようになって忙しくなったこともあり毎年「来年でいいか」となっていたのです。

なんとなく覚えたみぞおち痛で昨年にクリニックを受診し、そこで行ったエコー膵臓がんが見つかりました。超音波内視鏡ではなく通常のエコーで見つけられたので定期的に検査を受けていればもしかしたら早期発見ができていた可能性はあります

とにかく総合病院で詳しい検査を行い、手術が可能だったため膵切除を行いました。

手術ができ、化学療法も行える状態であったため命拾いしたと思いましたが、医師からは「楽観的ではいられない」と告げられました。

医療進歩によって、幼少期に見た祖父の壮絶な闘病とは比べ物にならないほど穏やかな生活を送ることができました。食事も取れていましたし、妻と買い物や旅行にもいけましたし、去年の誕生日家族に囲まれて過ごすことができました。

しかし、年明け直後の強い背中の痛みで意識を失って以来、一気に体力が削られてしまいました。75歳の誕生日は迎えられそうにないです。妻は寂しがりやなので、私が妻を看取りたかったのですが、最後最後に寂しい思いをさせてしまうことになりました。

体力のなさと慣れないiPadでの入力なので、これを書くのにも長い時間必要しました。

今までありがとうございました。

2024-01-14

anond:20240114204243

ちなみに心臓の痛みは胸にくるとは限らない

背中とか肩、特に女性場合全然関係ないとこが痛む場合も多い

anond:20240114201515

自分もここまでじゃないけど似た症状

どこ行くのが正解なんだろう

消化器内科か?循環器内科か?腎泌尿器科か?

去年の同じ時期に逆流性食道炎ストレス背中と腰と顔面も痛くなって呼吸もできん感じになったけど今回もそうなのか?

迷って時間けが経つ

anond:20240114201515

管見てもらった方がいいかもしれないね

循環器内科はどうだろう

ワイも似たような症状あるから気になるわ

腎臓膵臓も腰と背中痛くなるっていうし

何科かかればいいかわからんよね本当

倒れた

晩飯を作ってる時に、ちょっと腰が痛いかな?と思ったらだんだん呼吸しづらくなってきて、そのうち立っていられなくなってなんとか包丁安全場所において、這ってベッドまで行った。

その後は、背中全体の痛みと呼吸しづらさがあってのたうち回ってたが安静にしてたらそのうち収まってきて15分くらいで落ち着き、今は何の異常もなくなった。

何かの病気だろうか?呼吸器系の病院にはかかってて心電図と呼吸音には以上がなく、一ヶ月以上腰痛が続いていたけどレントゲンとって異常なし。

最近、時々前触れなく動悸が起こることがあったくらいだけど、なんかやばい病気隠れてないだろうか。

幼児育ててるお母さんはいつセーターを着るんや

セーターに毛玉ができることを避けたいから、セーターを着ているときには摩擦をなるべく起こさないために子持ちのマストアイテムリュックは持たないし

抱っこひもはもってのほかだし

なんならアウターすらも着ることを避けたりする

この間は、わざわざハンドバッグを持ってセーターを着ていったが

4歳娘がなにかと不満を持つ度に私が着ているセーターを引っ張ってきてまじで精神的に苦痛過ぎた

わたしほど毛玉発生を気にしている人は少ないと思う。わたし20代ときはセーターをうまく扱えていなかった

洗濯方法を間違えたりしていた

外を歩いていて、セーターを着て、リュックを背負っている人を見ると「ヒェッ」ってなる

背中にも肩に毛玉ができるけどいいのかそれ!と言いたくなってしまう。コットン100%ニットならまだ……まだいっか…ってなる

子供がいるときトップススウェットが最高である

スウェット子育てのための戦闘服から娘に引っ張られても、赤子にミルクをはかれて汚されても「まぁ……(許容)」だし

リュックでもなんでも背負うし

セーター、ニット大好きで集めたくなるけども、これらの服にハンドバッグを合わせてなんのためらいもなく着れるようになるにはあと何年かかるのだろう

2024-01-13

呼んだら背中を掻きに来てくれるサブスクとか無いんだろうか?

ウーバーイーツみたいなのでもいい。

何でも屋とかな。

何でも屋のウーバーイーツみたいなの。

呼んで5分くらいで終わる用事をやってもらうサービス

ウーバーイーツみたいなの、というかウーバーイーツがそれをやったらいい。

無名の何でも屋でプラス来るやつがそこの社員でもなんでもない、なんて誰も呼ばないからな。

せめてウーバーイーツくらいの知名度があれば騙されて呼ぶやつもいるだろ。

あー背中痒い。

ON STAGE オンステージ Z-PK30(S)

曲目

Google翻訳アプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名歌手名が正しく表記されていない場合があります

愛燦燦 美空 ひばり

愛人 テレサ·テン

愛の終着駅 八代 亜紀

蒼い星くず 加山 雄三

青葉城恋唄 さとう 宗幸

アカシアの雨がやむとき 西田 佐知子

秋田おばこ 秋田民謡

アケミという名で十八で 千 昌夫

あざみの歌 伊藤 久男

あじさいの雨 渡 哲也

あずさ2号 狩人

あなた 315 小坂 明子

あなたと生きる 1252 石原 詢子

あなたならどうする 329 いしだ あゆみ

あなたにあげる 1253 西川 峰子

あなたブルース 208 矢吹

あなたへ 1254 香西 かおり

あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子

あばれ太鼓~無法一代入り~1255 坂本 冬美

天城越え 16 石川 さゆり

雨 1256 三善 英史

酒場 313 香西 かおり

雨の西麻布 とんねるず

雨の慕情 八代 亜紀

雨の御堂筋 欧陽 菲菲

雨の連絡船 田川寿美 1257

嵐を呼ぶ男 石原裕次郎 1258

わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13

あんたの花道 天童よしみ 1259

192 山口百惠 いい日旅立ち

石原裕次郎 33 粋な別れ

22 小柳ルミ子 漁火恋唄

漁火の宿 1260 鏡五郎

346 北原ミレイ 石狩挽歌

396 一円玉の旅がらす 晴山 さおり

449 いちご白書をもう一度 バンバン

熊本県民謡 1552 五木の子守唄

射手座の女 敏いとうハッピー&ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40

命くれない 瀬川瑛子 108

命の花 大月みやこ 383

さらジロー 1261 小柳ルミ子

祝い酒 坂本冬美 26

455 門脇 陸男 祝い船

うそ 110 中条きよし

ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355

裏町酒場 368 美空ひばり

越冬つばめ 216 森昌子

襟裳岬 429 森進一

演歌兄弟 北島三郎鳥羽一郎

演歌はいいね 1263 岩本公水

217 松原のぶえ 演歌みち

東京都民謡 1553年 お江戸日本橋

大阪しぐれ 都はるみ 72

角川博 大阪ものがたり 348

大阪ラプソディー 海原 千里·万里 27

奥飛騨慕情 111 竜鉄也

贈る言葉 海援隊 220

小樽運河 都はるみ 352

男侠(おとこぎ) 1264 坂本冬美

日時ミミ 男と女お話 1265

男と女の破片 100 前川清

松原のぶえ 461 男なら

493 杉良太郎 男の人生

位山太志郎 29 男の背中

村下孝蔵 23 踊り子

お久しぶり小柳ルミ子 30

おふくろさん 331 森進一

221 おまえとふたり 五木ひろし

日野美歌 332 想い出グラス

おもいで酒 小林幸子 195

想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199

想いで迷子 116 チョーヨンピル

父親(おやじ) 1266 北島三郎

お嫁においで 加山雄三

お嫁にゆけないわたし ジジサン 222

俺ら東京さ行ぐだ

鳥羽一郎 1267 おれの人生始発駅

原田悠里 1268 おんな坂

三笠優子 223 女の一生

さくらと一郎 1269 女のきずな

松原のぶえ 305 おんなの出船

宮 史郎とぴんからトリオ 309 女のみち

八代亜紀 117 おんな港町

鳥取県民謡 1554年 貝まつり

ジジサン 474 海峡

ガロ 454 学生街喫茶店

ペギー葉山 233 学生時代

堀内孝雄 136 影法師

鹿児島はら鹿児島民謡 1555

ちあきなおみ 31 喝采

悲しい色やね 34 上田正樹

1270 悲しみの恋世界 前川清

137 哀しみ本線日本海 森昌子

がまん坂 18 北島三郎

12 北島三郎

川の流れのように 美空ひばり 35

黄色シャツ 浜村 美智子 209

木曽路の女 原田悠里 87

木曽節 1556年 長野県民謡

北へ向かう夜想曲 118 多摩幸子

和田 弘とマヒナスターズ

北国の春 320 千昌夫

北酒場 193 細川たかし

北の旅人 石原裕次郎 20

北の漁場 41 北島三郎

1271 島倉千代子

君こそわが命 205 水原弘

君といつまでも 42 加山雄三

君は心の妻だから 119 鶴岡雅義&東京ロマンチ

君は薔薇より美しい 1272 布施明

今日でお別れ 菅原洋一 314

京都の恋 196 渚 ゆう子

よしのズンドコ節 1273 氷川きよし

霧の摩周湖 布施明 120

銀色の道 321 ザ・ピーナッツ

空港 テレサ・テン 146

空港ラプソディー 1274 中村美律子

草津群馬県民謡 1557

くちなしの花 462 渡哲也

147 グッド・ナイト・ベイビー ザ・キングトーンズ

黒の舟唄 1275 加藤登紀子

1569年 軍艦行進曲 軍歌

圭子の夢は夜ひらく

369 藤圭子 恋あざみ

431 盛彩業 恋唄綴り 堀内孝雄

岸洋子 326 恋心

小林明子 148 恋におちて

323 ピンキーとキラーズ 恋の季節

奥村チヨ 353 恋の奴隷

45 ザ・ピーナッツ 恋のバカンス

ザ・ピーナッツ 479 恋のフーガ

石原裕次郎 457 恋の町札幌

中村雅俊 150 恋人も濡れる街角

46 五輪真弓 恋人

403 香西かおり 愛のボート

大月みやこ 432ものがたり

塚田 三喜夫 434 五月のバラ

富山県民謡 1558年キリコ

高山厳 152 心凍らせて

292 藤あや子 こころ

細川たかし 153 心のこり

343 森山良子 この広い野原いっぱい

ペドロ&カプリシャス 154 五番街マリーへ

284 ロス・インディオス コモエスタ赤坂

ごめんねジロー 奥村チヨ 1276

伊東ゆかり 197 小指の思い出

1559年 香川県民謡 金毘羅舟々

1560年 宮城県民謡太郎祭り

市川由紀乃 1277 さいはて海峡

森若里子 嵯峨野の女 235

酒場にて 492 江利チエミ

酒と泪と男と女 285 河島英五

酒よ 36 ジジサン

さざんかの宿 大川栄策 88

さそり座の女 294 美川憲一

チコ ニック・ニューサー 481

佐渡おけさ 新潟県民謡 495

里がえり 嶋三喜夫 1278

サバ女王 グラシェラ・スサーナ 357

さよならだけの人生に 398 堀内孝雄

サライ 121 加山雄三/谷村新司

三都物語 谷村新司 306

四季の歌 芹洋子 382

布施明 シクラメンのかほり 37

435 河島英五

時代おくれ 311 伍代夏子 忍ぶ雨

田端義夫 483 十九の春

北島三郎 123 終着駅は始発駅

シャオリンシュウ 342 純子

鳥羽一郎 1279 昭和北前船

菅原洋一 201 知りたくないの

大橋 純子 155 シルエット・ロマンス

加藤登紀子 65 知床旅情

島倉千代子 194 人生いろいろ

五木ひろし 241 人生かくれんぼ

ジジサン 90 酔った歌

杉良太郎 47 すきま風

60 谷村新司 1 森田公一トップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志283 そんな女のひとりごと位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏ルンバ

加山雄三 1283 旅人

トワ・エ・モア 480 誰もいない海

三船和子 198 だんな様

石川さゆり 1284 暖流

パープル・シャドウ125 小さなスナック

五木ひろし 442 契り

五木ひろし 93 千曲川

津軽海峡・冬景色 39 石川さゆり

津軽恋女 282 新沼謙治

津軽じょんから1562年 青森県民謡

つぐない 458 テレサ・テン

津和野1285 島津悦子

デカンショ1563年 兵庫県民謡

敵は幾万 1570年 軍歌

天使の誘惑 138 黛ジュン

東京 やしきたかじん 77

東京砂漠 内山田洋とクール・ファイブ 129

どうにもとまらない 426 山本リンダ

都会の子守歌 山本譲二 1286

時には娼婦のように 130 黒沢年男

時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63

年上の女 206 森進一

和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで

445 小林幸子まり

370 天童よしみ 道頓堀人情

五木ひろし 1287 長崎から船に乗って

内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎今日も雨だった

内山田洋とクール・ファイブ 131 中の島ブルース

五木ひろし 66 長良川艶歌

神野美伽 1288 浪花の春

島津亜矢 1289 波

坂本九 392 涙くんさよなら ステージ

殿さまキングス 204 なみだの操

三好鉄生 132 涙をふいて

ペギー葉山 202 南国土佐を後にして

岩手県民謡 1564 南部の牛追い

1571 軍歌 日本海海戦

1572 軍歌 日本海

384 弘田三枝子 人形の家

角川博 1290 人情つれづれ

328 山本リンダ 狙いうち

133 北島三郎 年輪

山川豊 161 函館本線

平浩二 162 バスストッ

山形県民謡 1565 花笠踊り

163 島津たかから花へと

14 村田 英雄 花と竜

ザ・タイガース 164 花の首飾り

78 金田たつえ 花街の母

165 はしだのりひことクライマックス 花嫁

167 佳山 明生 氷の雨

伍代夏子 440 ひとり酒

火の国の女 350 坂本冬美

百万本のバラ 加藤登紀子 351

広瀬中佐 軍歌(文部省唱歌) 1573

釜山港へ帰れ 67 渥美次郎

二人でお酒を 308 梓みちよ

白市 459 八代亜紀

冬のリヴィエラ 460 森進一

ブランデーグラス 252 石原 裕次郎

ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

ブルーライト・ヨコハマ 189 いしだあゆみ

ベット煙草を吸わないで 141 沢たまき

ヘッドライト 1291 新沼謙治

望郷酒場 253 千昌夫

望郷じょんから 細川たかし 496

王翔旅カラス 1292 千昌夫

インパチェンス 74 島倉千代子

箱崎晋一郎 抱擁 142

星のフラメンコ 西郷輝彦 170

171 平尾昌晃 星はなんでも知っている

敏いとうハッピー&ブルー 62

星降る街角 497 北海盆唄

北海道民謡 北帰行 365

シャオリンシュウ 島津たか 172

ホテル 386 チェン・ジュオエ

骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫

尾崎紀世彦 173 また逢う日まで

美空ひばり 451 真赤な太陽

2391 松平健 マツケンサンバ

75 北島三郎 まつり

桂銀淑 176 真夜中のシャワー

山形県民謡 1566 真室川音頭

坂本九 83 見上げてごらん夜の星を

サーカス 259 ミスターサマータイム

伍代夏子 441 水なし川

渡哲也 51 みちづれ

山本譲二 52 みちのくひとり旅

軍歌 1574 道は六百八十里

中村美律子 1293 港町情話

シャオリンシュウ 419 昔の名前で出ています

香西かおり 260 静けさ

53 尾形大作 無錫旅行情報

東八郎 261 娘へのバラード

藤あや子 377 むらさき雨情

1294 中村美律子 めおと恋

都はるみ 70 夫婦

262 三笠 優子 夫婦

もしもピアノが弾けたなら 71 西田敏行

盛岡ブルース 1295 青江三奈

1567 群馬県民謡 八木

矢切の渡し 細川たかし 10

安来節 島根県民謡 1568年

やっぱすきやねん やしきたかじん 84

北島三郎 378

ゆうべの秘密 小川 知子 340

雪国 59 ジジサン

スノーチュン 11 小林幸子

雪の進軍 1575 軍歌

雪の降る街を 268 高英男

夢追い酒 76 渥美次郎

夢芝居 179 梅沢富美男

千里 1296 キム・ヨンジャ

夢の夜 181 南こうせつ

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