はてなキーワード: 聾唖とは
中学生の時に読んだ小説をもう一度読んでみたいけどタイトルや作家名を覚えていないが最近なんだか読み返してみたい欲が湧いている
知っている人がいたらおしえてくれないだろうか
胸糞悪い系短編集で覚えてる事を箇条書きすると
・復讐かなんかのために躾をした猿の集団にひたすらレイプされる新婦(新郎は猿に殺されてる)
女は狂って快楽に逃げようとするけど猿のペニスが短すぎるのとすぐに猿が果てる為1匹あたりの性交が短すぎ中途半端な感じだから逃げれないような描写
物心ついたくらいの兄妹が猿のマウンティングのような順位確認の行為からの流れで快楽に気付き狂ったように性交を始めるのを見て老人が神話の再現とかいって悦んでる
1人女隙をみて逃げるも山奥のため野垂れ死
詳しい人いたらどうか
ノートの文字がかすれて消えそうだからここに置いておく(一応ネタバレ注意)。
二人の子供から二人の大人へ。最終章「Adulthood」をクリアした。
あの出来後のと翌朝。二人でインスタントの朝食を食べ登校する。二人で登校したことで Hanako は注目を浴びてしまい逃亡してしまった。
学校をサボって公園を歩き考え続ける Hisao。考えていたことは二人の間の壁について。昨夜の出来事があったといえども二人の間には互いを理解することを妨げている壁がある。Hisao は Hanako と話をしてその壁を壊したかった。後ろから声をかけられる "H...Hisao"。
Hanako も外出をして公園に来ていた。Hisao の前から逃れて、結局出会ってしまう。とうとう Hanako 自身の気持ちを尋ねる Hisao。Hanako の返答は彼の思い込みを打ち砕くものだった。
あの夜の出来事は Hisao の大切な人になりたかったから、他の人より私を見て欲しかったから、庇護の対象ではなくて一人の女性として扱って欲しかったから。Hanako の告白は Hisao を強く動揺させた。そして告白をした彼女自身も、そんな自分に対して嫌な女だと自覚していた。
"Was... I wrong?"
もちろん彼女は悪くないと思う Hisao だが言葉が出てこない。Hanako の告白は続く。家事の前までは少ないけれど友達がいて周りとちゃんとやれていたこと。大火傷を負ってからは全てが変わったこと。周りからの反応で深く傷ついたこと。傷つくことを拒否するために人と関わることを止めたこと。自分が消えてしまえばいいと分かっていたが、人との関わりを止める方がより簡単だったこと。Yamaku 学園に行けば再び社会との接点を見つけられるかと思ったこと。そして Lilly に出会ったこと。Lilly と出会って友達になれたけど、Lilly は Hanako ができないことをなんでもできてやっぱり自分は useless だと思い知らされたこと。そして Hisao に出会ったこと。Hisao も Lilly と同じで Yuko と簡単に仲良くなれたりして、自分はすぐ不要なものとして切り捨てられてしまうと思ったこと。それは嫌だったこと。誕生日は世界中の人が疑いもなく正しくて幸せだと思い込んでいるので、useless な自分はとてもつらかったこと。朝、ベッドで寝ている Hisao を見て、やっぱり自分は切り捨てられてしまうと思ったこと。
そんな Hanako に Hisao は衝撃を受ける。今までか弱くて自分が庇護しなければと思い込んでいた Hanako は守られたいと願う子供ではなかった。
語り終えて下を向く Hanako に対して Hisao は振り絞って語りかける。
Hanako がパニックを起こした時心配したこと。寮の自室に閉じこもった時は彼女に拒絶されているのではないかと感じたこと。それからいろいろ考えたこと。
そう言う Hisao に対して Hanako は思わず叫ぶ "I wasn't rejecting you!"。
Hanako がつらくて悲しくて Hisao を押しのけてしまった時も Hisao は彼女を捕まえていてくれたこと。そんな Hisao や Lilly 達の重荷にはなりたくなかったこと。それは Hanako の心からの叫びだった。
二人の間にあった壁は崩れた。壁を崩すのに痛みがともなったがとうとう二人は正面から向き合った。
Hisao は続ける。心臓の異常が発覚した時とても怖かったこと。社会から切り離されて Yamaku へ来て自分の人生が一度壊れたこと。でも Hanako と出会って一緒に過ごして友達になって再び自分を取り戻したこと。そして失ったからこと Hanako と気持ちを通じあわせられたのだと。
ずっとずっと自分は useless だと信じていた Hanako はこの言葉を聞いて座り込んで泣き出した。そしていっぱいメチャクチャにしてごめんなさいと謝る。Hisao は彼女を抱きしめてそんなことは言わなくていいという。
そして自分は useless なのにと言おうとする Hanako に
"You're my firend, Hanako! You're... No, you're more than that. I love you, Hanako."
泣き続ける Hanako に Hisao は寄り添う。Hanako はずっと自分は必要な人間だと言って欲しかったと泣く。
ようやく泣き止んだ Hanako に Hisao はいい天気だからこのままクラスをサボろうと提案する。でも……と迷う Hanako に対して大丈夫謝ればいいだけだよと言う Hisao。そんなことができないと拒否する Hanako。だが Hanako はやれる、絶対できるし、力が必要なら自分を頼ってと言う Hisao。そして二人は同じ道を歩いているんだから互いに助け合うのは当然なんだと言う。
公園を抜けて商店街を歩く二人。互いにたがいを横目で見つめながら歩く。なにかを思案しているように見える Hanako に何を考えているのかを聞く Hisao。立ち止まり一心な表情で Hisao に答える。Hisao に私からあげることができることがあると思う。でもそれにはすごく長い時間がかかると思う。だから恥ずかしいけれど、これが最初の小さな贈り物。
Hanako は Hisao の肩に両手を置き、ゆっくり顔を近づけた……
(Fin.)
Hanako 編は図書館から始まる。図書館で見かけた Hanako は夢中で本を読んでいた。クラスメイトだと思い出した Hisao は同じ本好きとして Hanako に話しかけるが、全力で逃げられる。
Lilly と出会い再び Hanako と Hisao 。 Hisao - Hanako - Lilly と三人の生活が回り始める。
基本的に仲良くなる→逃げる→もっと仲良くなるというのが Hanako 編。
彼女の逃避は後半になるにしたがってより深刻さを増す。
1. Lilly
Hanako の一番の友人。より正しくは唯一(Yuuko も一応友人だが)の友人。目が見えないのでよく Hanako が買い物に付き合う。
優美な身のこなしでありハイソな雰囲気を持つ。実際言葉遣いがとても丁寧。外見もスコティッシュハーフであり金髪アンド碧眼アンド長身でスタイルがいい。
Hisao と Hanako の隣のクラスで class represent を勤めており、Hanako と異なり交友関係も広い。
Hanako は Lilly のそんな万能っぷりを頼り、あごがれ、そして対照的な自分に対して無力感を抱いている。 Lilly にとって自分は価値のない人間だし彼女の重荷にはなりたくないと思っている。
Lilly は、 Hanako は守ってあげなくてはならないけれど、このままでは Hanako にとって良くないとも感じている。
Lilly は Hisao が現れたことで、 Hanako に良い影響が起こることを願っている。
2. Hisao
つい数ヶ月前まで健常者だったが、突然心臓病を発症しそれまでの社会から切り離される。そんな彼為のために両親は障碍児のための学校 Yamaku 学園に転校させる。見慣れない disable (盲目、手足の欠損、聾啞)にはじめは驚いたり疎外感を感じたりしたが、それぞれのユニークな個性を知るにつれて(足を使ってすごい絵を描く Rin、義足なのにものすごく足が速い陸上部のエース Emi、目が見えないが深い洞察力を持ちできないこととできることの違いを見せてくれる Lilly、聾者だが生徒会長を務める Shizune) disable について理解をしていく。
やがて Hanako、Lilly と仲良くなりともにボードゲームをしたり、お茶をしたり、誕生日会を開く仲となる。そしていつしか Hisao は Hanako の力になりたい、守ってあげたいと思うようになった。
しかし Lilly が家の用事でスコットランドに滞在している間、 Hanako の誕生日が来て、 Hanako の態度が急変する。順調に Hanako と friend-ship を築けていると思っていた矢先に Hanako は教室から姿を消し、自室に閉じこもる。 Hanako との関係が壊れるのを心配する Hisao だがどうすることもできない。 Hanako が姿を消してから Hisao はこれまでのことについて初めて考え始めた。そしてこれからのことについて自分が取るべき道を探し始めた。
自室から外へ出てきた Hanako だが、 Hisao は相変わらず彼女と自分の間に壁があるのを感じてしまう。なんとか Hanako に彼女のことを理解したいと願っていることを伝えようとして、 Hisao は自分の胸の傷を彼女にさらす。自分も傷を負っているから Hanako は独りではないと伝える。
Hisao の傷に触れた Hanako 。また一つ二人の絆が深まったように感じた。
数日後、図書館で勉強していた Hisao 。やってきた Hanako に、 Hanako が自室にこもっていた間ずっと考えていた彼女の過去について教えて欲しい、と Hisao は言った。ずいぶんとためらったがとうとう Hanako は真剣な表情で語り始めた。
多くの生徒が下校をして静かな校舎の中を二人で歩きながら、 Hanako は昔の火事について Hisao に語り始めた。深夜に突然火が出たこと、熱から逃れようとして体を丸めて小さくなっていたこと、彼女の両親が彼女に覆いかぶさって守ってくれたこと、体の半分だけ助かったこと。
二人はいつしか Hanako の寮の部屋まで来ていた。入室を躊躇する Hisao に対して Hanako はドアの鍵を閉めてと言い、カーテンを閉じる。そして大きく息を吸い、覚悟を決めると、ブラウスやブラジャーを順番に脱ぎ落した。 Hisao が彼女に傷(心臓手術)を見せたように彼女も傷(火傷)を見せたのだ。
そんなことをする必要は無いと言う Hisao だが、 Hanako はこれが私だからと傷を見せる。そして二人は......
(二人のプレイの後、息も絶え絶えな Hisao は心臓発作の兆候を感じていたところがリアルだった)
はじめは Hanako を守ろうとしていた Hisao だが、結局それは間違いだった。
守るというのは守る人間と守られるべき人間の関係だ。その関係は非対称であり、守る者は守られる者に対して優位な力を持つ。
3. Hanako
出会いはひどいものだった。話しかけられて、自分の空間に入られて、そして目が合ってしまった。
"I..."
"I...I..."
"Ivegottogodosomething!"
Hanako 編に入ると Hide and Seek (かくれんぼ)という Act がある。彼女と親しくなるということは Lilly や Yuuko そして彼女自身の中に隠れている Hanako を見つけ出すことだ。いろんな彼女がいる。
Life of Pie を読みふける Hanako 、チェスを好む Hanako 、ドールが好きな Hanako 、 Lilly とお茶を飲むのが好きな Hanako 、外へ出る時は顔が隠れるように大きなキャスケットを被ること、火傷の痕を隠すために左側を歩くこと。
何を書いているのだろう。まとまって体系だったことを書かなくては。
Katawa Shoujo とは disable である人々が able であることに焦点を当てた作品だ。例えば Emi は両足が膝より下がないのに、競技用義足で誰よりも早く走れるし、 Shizune は聾唖者であるがクラス委員と生徒会長を務めあげる才媛だし、 Rin は両腕が無いのにもかかわらず足で見事な絵を描く。そして Hanako の親友の Lilly は、全盲を苦ともせずクラス委員であり友人も多い社交的な女性だ。
皆ハンディキャップをかかえながらできないことを嘆くのではなく、できることで生活を組み立てている。
それでは Hanako の disable と able は何なのか。実は Hanako には先にあげたヒロイン達のような disability は無い。右半身に皮膚がひきつれるひどい火傷の痕が残るが五体満足であり、他のヒロイン達のような明快なハンディキャップは無い。では Hanako の able は何か。目が見えること?耳が聞こえること?意外と足が早いこと?両腕があること?そう Hanako の able とはそれだけなのだ。 Lilly しか友人はいないし、他人の視線が怖くてたびたび授業を逃げ出すし、人から話しかけられると赤面してしどろもどろになる。 Hanako とまともに会話できるのは Lilly と Yuuko 、Lilly の姉 Akira、そして Hisao のみだ。Hanako の disable とは able の裏返し、彼女は肉体的に able ではあれど精神的に disable なのだ。
どのヒロインも多かれ少なかれ悩みや心の傷はあるが、 Hanako は突出して深く、彼女のストーリーは見えない心の傷とその象徴である人目を惹く火傷の痕をメインテーマとして進む。
Hanako は過去のトラウマ(フラッシュバックに襲われて痙攣するレベル)のせいで、火傷の痕を見られることをひどく嫌がり恐る。そのため、普段は髪の毛で顔の半分を多い、人目が多い場所に行く時は大きな帽子を被りLilly の左側で小さくなり、顔の右側にある火傷の痕への視線を遮ろうとする。彼女が心を落ち着かせることができるのは、親しい友人と部外者が来ないところでひと時を過ごすことだけだ。悲しいことに、自分の部屋では外部からの侵入者を防ぐことはできても、彼女を苦しめる悲しい思い出が甦るのは防げないのだ。
彼女の disable は他のヒロイン達が外見上のものに対して内面的なものだ。その disable の根本の大火傷が彼女の全てを変えた。親を奪い家を奪い社会を奪った。そしてそれは主人公の Hisao との共通点だった。disable が二人の出発点だった。
「Disable」で Katawa-Shoujo のテーマとは disable の中の able であると説明した。そして Hanako は disability を持たない代わりに able が disable になっていることを例をあげて紹介した。ここからはそんな Hanako の数少ない able から彼女の内と外を考察する。
Hanako と初めて言葉を交わしたのは図書館でだった。図書館は Hanako にとってクラスからの逃避先であり、本は現実からの逃避先だった。そして読書は Hisao との共通の趣味であった。
本編の中で特徴的であるのだが、物語が進み Hisao と Hanako が仲良くなるにつれて、 Hanako が図書室へ逃避する回数が減少する。 Hisao たちと外へ出たりして内から外への変化が見られる。しかし図書館に来る描写はあるので、本から卒業したというわけではない。本は逃避先から趣味になったというべきだろう。
振り返ると Hisao と Hanako が交友を深めるのはゲームを通してだった。空き部屋でチェスをすることで友達になり、パブでビリヤードを遊ぶことで Hanako の意外と子供っぽい内面を知り、アンティークスタイルのチェスセットを贈ることで喜ぶ顔を見た。
いつも Hanako は感情を顔に出さず、自分から積極的に出ることもない。Shizune & Misha につつかれても困ってちぢこまるだけだし、知らない人に話しかけられると逃げるし、人に何かを協力してもらうこともできず独りで作業をする。
しかしゲームで遊ぶときの Hanako はかすかに笑み、時には自信を持って駒を動かす。その普段とはちがう姿は Hanako の本来の気質---人見知りだけど、活発で、遊びに夢中になれて、ちょっと子供っぽい性格が浮かび上がる。
Katawa-Shoujo では多くの登場人物は高校生だ。高校生というのは肉体的には大人であり精神的にはまだ子供であるという、大人と子供の狭間の期間である。そのためシナリオでも子供から大人への成長を軸とする。 Hanako 編では最終章が「Adulthook」である通り、 Hanako そして Hisao が大人への一歩を歩み出すことがエンディングを通して描かれる。
「大人になる」にはいろいろな意味がある。例えば成人することは社会的地位を手に入れるということだし、親元を離れたことに対して「大人だ」と使われることもある。それでは Hanako と Hisao の場合はどのような意味で「大人になった(子供を卒業)」のか。これには Hanako 編の主題である体と心が深く関係する。
よく知られた「大人になる」として男女ともに性交を経験することがある。Hanako 編においてもこの意味で二人は大人になった。共に痛みを経験し( Hanako は処女喪失。 Hisao は軽い心臓発作)一夜を明かしたことで二人は次のステージにシフトしたかに見えた。しかし後に分かることだが、二人は未だに子供のままの関係だった。
子供(children)という言葉は、作中で直接しかも Hanako の言葉として現れる。
```
"All I ever was to you was... a useless person. Just someone... to protect. Someone like... a child."
```
小さい頃に火傷の原因となった火事により社会と切り離され、そのまま子供のまま育った Hanako は、 Hisao に庇護が必要な対象(=子供)としてではなく友人以上の人として見て欲しかったから自分の傷を全て見せたという子供のような思いを告白する。 Hisao はこの告白を聞いて自分が全く Hanako のことを理解していなかったことを痛感する。 Hanako の外面的性格ばかり見ていて Hanako がどう感じているかを考えていなかったこと。
しかし Hisao が自分の病気のことその心情を同じように告白したことで、二人は互いに理解し合えることを確信した。そして自分か相手かでしか考えられなかった二人は、自分と相手を同じ道の上の存在として考えられるようになった。
Hanako 編では心をもって「大人になる」ことが提示される。
Hanako は声をあげて泣くことで子供時代に別れを告げた。そして大人の最初の一歩としてラストシーンの最初のギフト(てれる)を Hisao に送った。
Hanako のことを語るには子供と成長についてが欠かせない。
子供の頃の Hanako は人見知りするけど純粋で好奇心が強い子だったのだろう。しかし火事で人生を曲げられ、社会から切断され、その気持ちのまま体だけ成長した。自分の生きる意味を見失い、自分を守るため人と関わることを止め、ただ耐えていた。
Hanako が語る言葉に裏はない。 Hanako の世界は見たままの世界だ。トラウマのフラッシュバックに襲われたときには自分を責める自分の声を周囲に放射するけれど、それが嫌だから鬱の期間は自室にこもる。
フツウならばたとえ Hisao がテキストとノートを机に広げていたとしても、勉強より Hanako とのやり取りを優先すると気づくだろう。また茶目っ気のある性格ならばそのことをからかうように勉強しているじゃないというだろう。でも Hanako は見たままを見るのだ(But...)。
成長という言葉を使ったが、作中では Change が使われていた。 You can change という具合に。
変わること、変わるものはいつも Hanako の周りの世界だった(ムービーをみよ)。世界はすごい速さで動き続け彼女はその流れに乗れなかった。しかし Lilly と Hisao に出会ったことで、自分でも自覚しないうちに彼女は変わっていた。授業を逃げなくなったこと、自分から話しかけるようになったこと、きわめつけは Hisao を電話でお茶に誘ったことだろう。そして何より彼女の気持ち「友達では嫌」。
"If... if you're not busy... I-I was wondering if y-you would... l-like to... m---"
噛みっかみである。)
エンディングで Hisao は Hanako に変われると保証する。このとき Hanako もいつしか自分が変わっていたことに気づいたのだろう。
全盲→堕ろす→分かる
聾唖→堕ろす→分かる
ADHD→堕ろす→分かる
心臓病→堕ろす→分かる
多指症→堕ろす→分かる
腕が無い→堕ろす→分かる
足が無い→堕ろす→分かる。
知能が低い→堕ろす→分かる
色盲→堕ろす→分かる
糖尿病→堕ろす→分かる
ガンになりやすい→堕ろす→分かる
ワキガ→堕ろす→分かる。
アタマが悪い→堕ろす→分かる
不細工→堕ろす→分かる
左利き→堕ろす→分かる
デブ→堕ろす→分かる
チビ→堕ろす→分かる
ハゲ→堕ろす→分かる
オタク→堕ろす→分かる
足が遅い→堕ろす→分かる
性格が暗い→堕ろす→分かる
性格が悪い→堕ろす→分かる
O脚→堕ろす→分かる。
そばかす→堕ろす→わかる
一重まぶた→堕ろす→分かる
LGBT→堕ろす→分かる
女→堕ろす→分かる
男→堕ろす→分かる
障害者が事前連絡無しで飛行機に乗れればそれでいいみたいだから、
非常時、例えば着水したときなんかにも他の客同様に自分だけで避難して欲しい。
木島さんの主張を真に受けて障害者が連絡も無しに同じ飛行機に団体で押し寄せたら
障害者なんて10人いれば10人みんな出来ることなんて違うんだから
木島さんが「俺は出来るぞ」っていくら主張しても自力避難出来ない人も絶対いるでしょ。
同じ車いす利用者一つとっても体幹効くのと効かないので全然違うんだからさ。
そうなったとき責任取らされるのは誰?木島さんじゃなくて航空会社でしょ?
障害者が何の連絡をしなくても受け入れられる設備を用意しておくべきって主張は
それが客の全部を占めている時に緊急事態が起こっても安全を確保出来るようにするには
どれだけ人員増やせばいい?
会社潰れちまうよw
まさか「俺は今、車いす利用者の話をしてるんだ!」なんて言わないよな?
なんでバニラエアが障碍者対応で値段上げなきゃいけないの?この値段でやるから障碍者への対応はこうなります。では駄目なの?
別に世界的にも常識はずれな対応レベルでも無いし、事前連絡あればちゃんと対応したよ。
もちろん障碍者が駆け込みでどの飛行機会社に乗れるようになるのは素晴らしいけど、どのレベルまで対応するの?車椅子?全盲?聾唖?言ったらキリがないから各社それぞれが独自の線引きしてるんだよ。
それを何も告げずにいきなり現れて対応しろとか、ドッキリ番組でもやらないし、バニラエアの対応は融通が利いて無さそうだけど企業責任としては最善でしょ。
散々論評されているがこの物語は障害者がどうとか、イジメがどうとか、そういうんじゃない。
聾唖の硝子によってもたらされた破壊から展開するコミュニケーションの大切さと再生の物語を緻密な脚本で説いた泥臭い青春。
人との関係性や自分と向き合うきっかけになる今作ではあるが、実はこの前向きな考え方はただしイケメンに限るよろしく「発達障害者以外で」ということを考慮しなくてはならない。
「破壊と再生」の物語、レールから外れてしまった若者が摩耗しあいレールに再び乗る物語。
だが発達障害者は元々レールに乗れていないじゃないか。そんな私たちはコミュニケーションによる再生を望めない。
観終わった最初の感想は、漫画『聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。
まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画を馬鹿にするといった内容ではない。
映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、
そのせいで映画『聲の形』(以下、映画)しか漫画『聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、
そしてこの世で漫画『聲の形』が漫画『聲の形』という作品でしか伝えられなかった、他のラブストーリーや青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。
この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、
本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品『聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。
これはステマではない。
なお漫画のネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。
これはステマではない(繰り返し)。
そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。
単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット、再構成されている。
その点だけでも漫画と映画は全くの別物と言っても差し支えない。
しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。
要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。
つまり、私が問題にしているということはその再構成で漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。
制作スタッフは映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。
分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、
生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、
この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。
漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。
主人公・石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズの描写がされており、
小学生時代の石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラスの手のひら返しにも憤慨するだろう。
映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、
石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ちが映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。
漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快ないじめや生々しい描写で刺激しつつ、
当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、
というのが最初の石田と西宮の出会いで、だからこそいじめた本人である自分が友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。
つまり、最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田の心理描写を読者に刷り込ませるためには、
石田の所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ。
それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。
作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、
と判断され軽減・外した、というのが制作スタッフが再構成で行ったことだ。
ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。
そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニの作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、
映画『聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。
でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、
その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。
帰ってレビューに目を通すと、やはり石田の心理描写が把握しきれていなかったり、
障碍者としての西宮の葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、
そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。
西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、
石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、
やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である。
聾唖の人たちからの意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為の副作用となっている。
ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。
これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術・創作の完全敗北と言い換えてもいい。
とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすいコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。
それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。
家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。
一体、映画を見た人の何割が石田と自分を重ねることができたのだろうか。
嫌な汗はかくことができただろうか。
漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田が自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、
前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮の友達になるというスタートで物語が始まる。
石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。
この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分が過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識に石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。
今風にいうと黒歴史を人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。
過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。
それをやらなかった映画が石田に対する感情移入がバラバラなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまったからだ。
普通、そこまで思い返すほどのトラウマや黒歴史を持つ人間は少ないので、
その場合は石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。
そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまりは黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、
どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去と石田・あなたはどう向き合っていけばいいのか。
石田が黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、
最初は不快感を感じていたはずの石田・自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田を応援しだす。
けれどこれからの西宮・未来は泣かせないように行動することができる。
過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。
ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。
漫画では西宮の家庭環境や小学校の教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、
この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。
その最後の結末が、読者のこれからの背中を押す形で終わっている。
生き続ける石田と現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。
そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。
他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、
それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。
「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品の面白さでもある。
◆
『聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。
本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。
消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、
一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ。
そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。
読んでいる人間が石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ。
大ヒットをしている。
そう、思った。
映画館で聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。
ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…
調べる方法などないのに過去の偉人を発達障害認定するな、という主張は一見正しく思える。しかし本当にそうだろうか?
何故ならば現代に生きる人間においては、脳をMRIなどで調べる事すらなく、単に人付き合いが苦手だというだけの根拠で発達障害の認定を受けるからだ。なぜ過去の人間に同じ基準を当てはめてはいけないのだろうか?
発達障害だから人付き合いが苦手なのではない、人付き合いが苦手だから発達障害と呼ばれるのだ。
そして障碍が本当に障碍であるのならば、それは社会的成功の度合いに左右されない筈だ。
本がベストセラーであっても乙武さんは五体不満足であるし、点字が読めてもヘレン・ケラーは盲聾唖だ。
一定の評価を得た成功者を発達障害と呼んではならないというのならば、発達障害なる概念が偽科学で作られた偏見の産物である事を認める事に他ならないのではないか。
SWの間、故郷に帰っていたベトナム人(20歳・男)のお隣さんが戻って来ました。結婚して、嫁を連れて。
もうアラサー童貞の私としては困ったクマった鬱だ氏のうdeathよ。
ベトナム語なんで何言ってるかは分からないんですけど、イメージとしては……
「Oh, yeah......Hey, come on......」
みたいに5単語くらいを繰り返しうめき続ける洋モノAVの音声だけが、壁越しに聞こえてくる感じです。
たぶんベニヤ2枚くらいの厚さで、押すとちょっぴりしなります。レオパレスも真っ青です。
掛け布団がめくれる音、ティッシュを取る音、イヤホン端子が机にカツンとぶつかる音まで聞こえます。
そんな住環境なので、
「Oh, yeah......Hey, come on......」
が細大漏らさず聞こえてきちゃうわけです。
このベトナム人新婚カポーがまたなんとも香ばしくてたまりません。
代わって新婦はちょいブスだけど愛嬌があって、数多の童貞を勘違いさせ打ち倒してきた、枯れ葉剤も物ともしないアマゾネスです。オタサーの姫やサブカル女子っぽくもあります。
だいたい5つくらいの単語が、姫に結婚をキメさせた材料だと推測されます。さっきから語彙少なすぎるぞ。
情報が不完全な分(かみさんは英語話せるけど、旦那は片言の日本語だけ)、妄想が広がリングです。
少年ジャンプ的な幼稚さを引きずる男の子ならいざ知らず、知性豊かな腐女子の皆々様方にはこの愉悦がご理解いただけるはずです。
二人が互いのA10神経を乳繰り合っている間、私の快楽中枢は高橋名人に16連射され続けます。
「Oh, yeah......Hey, come on......(優しく……して……(恥ずかしそうに目を伏せつつも本当は床上手。受け身でしとやかに振る舞いながら、愛撫・体勢・締め付け具合で完全にリード。実家は男の子を望んでいるから秘め事は排卵日当日。フィニッシュの体位は……))」
一番困るのは外で夫妻とエンカウントした時です。特に""翌朝""は、神妙な面持ちで異文化コミュニケーションするハメ、違う、羽目になります。
私はおもてなしジャパニーズの精神というか、察しと思いやりの信条(葛城ミサト談)で迎えるわけですが、童貞独り身なのでコールド負けDeath。そしてRebirthできなくてAirになります。真実は痛み。溶け合う二人が私を壊す。
江戸期の長屋では、聞こえないふりをしてご近所仲良く暮らしていたといいます。
聾唖者を夢見るホールデン・コールフィールドですよ。笑い男ですよ。
「I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes」
6月1日の道路交通法改正後、警察官の自転車運転者への取り締まりの話題を目にする事が多くなった。
その中で、補聴器を付けている聾唖者が自転車に乗っていたところ、イヤホンで音楽等を聴きながら運転してはいけないと止められたという話があった。
運転者は装着しているのはイヤホンではなく補聴器である事を説明したところ、警察官は、紛らわしいので補聴器は外して自転車に乗って欲しいと発言したらしい事について話題になっていた。
この警察官に対して憤慨したり、取り締まりへの否定的な意見がインターネットで多かったように思う。
聾唖者側も自分たちの権利ばかり主張しないで、ああ、こいつらは一応心配して言ってくれてるんだろうなあと、心に余裕を持って考えられるような、そんな素敵な世界にならないかなあと思った。
って言っておけば、また心象も変わるものだろうに。
強烈な便意に襲われたおれは、行きつけのセブン・イレブンで用を足すことにした。本来ならこういう場合店員にひと言断りを入れてからトイレを使わせて貰うのがマナーなのだけれど、その時のおれはなりふり構っていられなかった。肛門がひくついて今にも塞いでいるものが飛び出しそうだったのだ。
結果から言えばおれは用を足すことに成功した。つまり、大人として生まれて来たことを後悔するような大惨事には至らなかったわけだ。ホッと一息つき、そのままカタルシスに浸っていたがやがて外に出ることにした。
外に出て店内に戻ったはいいものの、無言でトイレを使ってしまったことはやはり罪悪感を抱かざるを得ない。さてこれからどうしようかと思った。ポケットの中には五百円しか入っていない。
特に小腹が空いているわけではないし、ビールも医師から禁じられている。ジュースも糖分過多なために控えなければならない。虎の子の五百円である。家に帰ればタダで飲める水に銭を使いたくはない。
雑誌を買おうかとも思ったのだけれど、今月の五日までこの五百円で凌がなければならないのだ。余計なものを買うわけにはいかない。そう思ってよく観てみると、新しく入って来たのか全然知らない女の子がレジに心細そうに立っていた。
彼女の顔は菊地凛子に似ていた。菊地凛子……おれは彼女にこの上ない思い入れを抱いている。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督『BABEL』で聾唖の女子高生役を演じた時にパンツを脱いで陰毛がふさふさ生えた陰部を晒すシーンがあるのだけれど、あれで度肝を抜かれてしまったのが始まりだった。
あるいはトラン・アン・ユン『ノルウェイの森』で直子役を演じるあたりも素晴らしいと思った。少々鳥居みゆき入ったキャラ、昔の友人とセックスしようとして濡れなかったことや開かなかったことを告白するシーンに魅了されたのだ。
そんな憧れの菊地凛子似の店員が立っている……そんな幸福感に浸っているとそれを邪魔する人間が玄関から入って来た。私服姿のこの店の店長だった。
まずいことになったと思った。このままではおれは初対面の菊地凛子(仮名)に対して「店に入り込んで来て店員に何の断りもなくうんこして帰って行った」というキャラという印象を与えかねない。ここは是非とも何かを買うべきなのだ。だが一体何を買えばいいのか。
ましてや、店長は元ヤンキーと来ている。そんなに親しくない。だからこのままだと「何の断りもなくうんこして帰って行った」キャラであることが店長の耳に入ることも想像に難くない。そうなってしまってはどうしようもない。最悪、店からつまみ出されることも覚悟しないといけないだろう。そうなると菊地凛子(仮名)の姿を拝めなくなる。
おれはオロナミンCを買おうと棚に手をやった。だが、手を滑らせてしまい瓶を割ってしまった。菊地凛子(仮名)が慌てておれのところにやって来る。
「お客様、お怪我はありませんか?」
何と暖かい言葉なのだろう。昨今の殺伐としたコンビニの中でこんな言葉が聞けるなんて夢のようだ。しかも菊地凛子(仮名)から……しかし次の瞬間、おれはハッと自分の犯してしまったミスに気がつき謝った。
「ごめんなさい。弁償します」
「いえ、大丈夫ですよ。店内で発生した事故は当店にも責任がありますのでお構いなく」
おれはますます自分がヤバいところに達してしまったことに気がついた。このままではおれは「無断でうんこ」プラス「オロナミンCを割った男」という二重のスティグマを負うことになる。
おれは実写版『ピンポン』のように心の中で三度呟いた。ヒーローを呼ぶ呪文だ。ヒーロー見参、ヒーロー見参、ヒーロー見参。
「あの、具合でも悪いんですか?」
すぐそばに菊地凛子(仮名)が立っていて話し掛けて来た。「顔色悪いですよ」
「ああ、特に体調が悪いわけではないので気にしないで下さい」
これはますます何かを買って帰らなければバチが当たろうというものだ。どうするか。おれは視界の片隅にとある物体を捉えた。これしかない。もうこの際なりふり構っては居られない。おれはそれを掴んで言った。
「こ、これ下さい」
おれはそうして、『快楽天』の最新号を買って帰った。
http://togetter.com/li/765327 子どもに向けた難聴者についての説明がひどすぎる
まとめを読んで、ちょっと引っかかる所があった。
twitterのやりとり?は以下に纏めた。
今年初めて号泣したかもしれない。そのあと友人が宥めてくれたけど、
しばらく涙は止まりませんでした。
お願いなので、大人は子供に正しい知識を教えてあげてください。
ショックだった。
母
「あの人たちはね、悪いことをしたから、
神サマに音をとられちゃったの。
だから、タッくんも、いいこにしないと、
音をとられちゃうわ。」
子
「へー、わるい人なの!なにをしたんだろうね?」
@quilgmが、親子のやり取りが聞こえて号泣したことはわかるし、悪い事をしたから障害になったわけではないのはわかる。
この案件については、健常者としては、障害の理解を深めて心傷つけない言葉を選ぶべきだし、障害者側としては、心ない人はいるので、流れ弾に傷つかないよう心を鍛えてねとしか言いようがない。
ただ「正しい知識を教えてあげてください」の「正しい」とはいったいなんなのか。
母が説明したのは、耳が不自由になる因果関係なので、文脈上正しい知識とは、聾唖者になる原因になるが、私は知らないし、知りたいとは思わない。ただ不運だったんだろうなとしか思えない。
正しい知識というより、正しい理解を求めているのだろうが、本人にtwitterで直に聞いても、1月2日に今年初めてと書いてしまうボケ気質があるので、意図が理解されない可能性がある。また、その質問をするだけで他の人から親子と同じ行いをしてる扱いをされそうだし、匿名で書けるここに不満点を書く。
567 名前: パロスペシャル(やわらか銀行)[] 投稿日:2014/02/08(土) 18:58:29.88 ID:anXmcvE80
これ、生徒は毎回講義聴いてたのに
普通はそこでバレるぞw真面目に講義聴いてなかったんだろうなwwって
知り合いの耳の聞こえない奴がニュース見て笑ってたよ
健常者がそういつまでもつんぼやおしのマネしてられるもんじゃないってさ
568 名前: ストレッチプラム(埼玉県)[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 19:00:39.33 ID:KqOwurWQ0 [9/10]
こういう>>567ニュースを端っこだけ囓って非難してるような人が沢山居るんだろうなぁ…
ちゃんとしっかりニュースでやってやらないと新垣さん折角出てきても浮かばれないよ
569 名前: 目潰し(愛知県)[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 19:01:36.78 ID:h5xG1oNX0 [7/7]
耳が聞こえない、聾唖の女の子が小学校の時にいじめにあうんだけど、高校生になってそのいじめっこの男の子と仲良くなる話
序盤のストーリーではいじめと聾唖という問題を扱うんだけど、実はそれらはコミュニケーションの問題なんだ、というのをとてもうまく描いている
序盤の終盤(ややこしい言い方だけど)に自分が一番好きなシーンがあって、それはその女の子と男の子がガチで喧嘩するシーン
女の子はその障害もあって、誰かにいじわるされても黙って笑っているキャラクターなんだけど、男の子はそこをついて、耳元で怒鳴ったりとか遠慮なく直接攻撃をしてくる
男の子は何か反応を引き出したいんだけど、女の子がしゃべれないというのもあって何をしても愛想笑いしかしないから攻撃もだんだんエスカレートしていく
クラスの他の子も間接的にはいじめに加わっているんだけど、目立つのはその男の子という感じ
やがていじめがおおやけになって男の子がスケープゴートにされ逆にクラスでいじめられるようになる(女の子へのいじめも別の誰かが継続している)んだけど、その女の子は男の子を逆に助けようとする
それまで自分がいじめてたわけだから、男の子にとってその行動は理解できない
その手を差し伸べてくれた時も愛想笑いで本心が見えないことにいらついた男の子は、ついに「殴る」という手段にでる
女の子はそれに対して「殴り」返し、取っ組み合いのけんかになった
女の子は声がしゃべれないというのもあって、今まで誰とも対等の立場でコミュニケーションできなかった(本人もそれを避けていた)のが、ここで初めて喧嘩という手段で表現できた
文章で書くと若干チープに聞こえるけど、マンガだとその絵もあいまってそのプロセスが緻密に書いてあって心に迫った
個人的にはこのマンガは、障害やいじめといったものを題材としながら、それそのものを問題にするのではなく、それをきっかけとして、どう相手と接するか、どう自分を表現するか、という問題に取り組んでいて、とてもユニークだと思う
最近の連載だと恋愛方面に方向性を変えつつあるような気がするけど、根底のテーマは変わらないと思うので毎週楽しみにしています