「職業教育」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 職業教育とは

2016-03-30

以下、30代のフリーターひきこもり職業教育をすることの無意味さについて書く

http://anond.hatelabo.jp/20160330125457

新卒でこけると、キャリアも積めず、派遣とか非正規で働き続け、

出世してもバイトリーダー非正規のまま。

昔ならバイトから正社員に上がる道があった気がするが、

最近は業種によるけど、エリアマネージャー課長クラスまで行かないと正社員になれないことが多い。

まともなキャリアにいける可能性が限りなく下がってしまう。

まともな企業非正規から正規雇用に昇進するためのルートがあります。なれないのは、「この程度なら新卒一人雇えばいいや」って思われてるから。要は無能なんだよな。

新卒でこけた年数分新卒より優れたパフォーマンスを発揮しなければならないのは当然なんだけど、フリーターひきこもりもそれが理解できない。脳みそが足りないから

自分たちは不幸だ!企業自分たちを救う義務がある!というだけ。慈善事業じゃないから、お前らが飢えて死のうが知ったこっちゃねーよ。

なんつーかおれらの世代棄民されてなくない?

ちょっと職業支援してくれてもいいと思う。

こういう国語力、雇う価値がないと思いますね。新卒で雇ってしまったならともかく、うまく弾けたものをまた同じグループに混ぜる必要はない。

まだ実家暮らしから年収170万そこらでも何万か貯金できて、

家族に何万か生活費渡しても余裕を持って生活できるけれど

一人暮らしなら、家賃しだいじゃ生活できない。

そもそも両親が高齢年金暮らしから賃貸借りようとしても、

連帯保証人になれないので借りるのにすら一苦労する。

そもそも、フリーターしろひきこもりしろ、「自立できないやつが一人暮らしとか寝ぼけたことほざいてんじゃねーよ」と思うが?

一人暮らしするのは自己責任だが、それで生活できません貯金できませんとか笑えてくるからやめろw

この積んだ感覚は、棄民去れた世代しか共有されてなくて、

街頭で演説したとしてもほとんど誰も相手にしてくれないんだろうと思う。

 

将来を考えると死にたくなる。

誰もお前らを救うつもりなんかない。お前らを利活用するためにかけるコストをこれから世代投資した方がマシ。

どうぞ、死んでください。人はいつか死にますあなたの代わりはいくらでもいますさようなら

30代以降のフリーターひきこもり職業教育

新卒でこけると、キャリアも積めず、派遣とか非正規で働き続け、

出世してもバイトリーダー非正規のまま。

昔ならバイトから正社員に上がる道があった気がするが、

最近は業種によるけど、エリアマネージャー課長クラスまで行かないと正社員になれないことが多い。

まともなキャリアにいける可能性が限りなく下がってしまう。

 

失業者のためにある職業訓練は倍率も高く狭き門

失業保険が受けられない人のためにある職業訓練受講給付金はあるもの

そもそも職業訓練校に合格する確率が低い。

 

訓練校としても再就職できそうな

別の業界キャリアを積んだ人とか、似た業種で業績上げてた人を採用しがちで

フリーターひきこもりは定員割れしたところでもないとチャンスが少ない。

 

なんつーかおれらの世代棄民されてなくない?

ちょっと職業支援してくれてもいいと思う。

 

まだ実家暮らしから年収170万そこらでも何万か貯金できて、

家族に何万か生活費渡しても余裕を持って生活できるけれど

一人暮らしなら、家賃しだいじゃ生活できない。

そもそも両親が高齢年金暮らしから賃貸借りようとしても、

連帯保証人になれないので借りるのにすら一苦労する。

 

この積んだ感覚は、棄民去れた世代しか共有されてなくて、

街頭で演説したとしてもほとんど誰も相手にしてくれないんだろうと思う。

 

将来を考えると死にたくなる。

2013-09-04

店の冷蔵庫に入る彼らを大人にする方法ひとつしかない

現代若者飲食店冷蔵庫に入った写真を公開して馬鹿だバカだと叱られているが、昔は大学山荘に立てこもって仲間を暴行したりして警察突入されて、それをテレビで全国中継されていたのだから、大幅な洗練と進歩があったと言える。

http://twitter.com/masah/status/371855268063084544

学生運動コンビニ冷蔵庫に入るのも同じ「自作自演通過儀礼であるとみなす考え方は、大枠は外していないと思う。問題はその自作自演通過儀礼を行う層の学歴の低下だが、これには「大卒就職活動の激化」と、それに歩を合わせた「家庭的小規模産業の衰退」を原因として見て取ることができるのではないかと思う。

どういうことか。

まず、現代大卒就職活動はじつに「通過儀礼」としてうまく働いている。「日常大学生活」を離れ、「危険場所面接会場」に赴き、「宝=内定」を得て帰還すれば「大人=社会人」として認められる、という一連のプロセスは、多くの民族に見られる通過儀礼構造のものだ。これが多くの学生に普及した結果同年代学力上位半分(大学学者)にとって過剰な自作自演通過儀礼必要ではなくなった。これがひとつ

もうひとつは、生活の隅々にまでロードサイド大企業が進出した結果、これまで多くの低学歴若者雇用を吸収していた「家庭的小規模産業の衰退」を招いてしまった。彼らを雇い教育するのは血縁あるいは地縁でつながった「知り合いのおっさん」ではなく、本部から派遣されてきた「よく知らない兄ちゃん」に変わったのである。その結果「大人」であることの説得力は遥かに低下し、「ポカをやっておっさんにドヤされ、許される」という職業人としての通過儀礼もうまく提供されなくなった。よって彼らは「仲間内に過激なネタ提供する」という自作自演通過儀礼に走らざるをえなかったのである

この分析がある程度正しいとするなら解決策は一つしかない。すなわち、「職業教育の復権」である学力階層の低い若者には、早いうちから「大人」に混じって働く機会を与え、あるいはまとまったスキルを与えてマックジョブ的な雇用ではなく「大人」の職場に吸収されるようにすることによって、彼らが「大人」になるのを待つしかない。

***********

ローソンアイス冷蔵庫に入る男→契約解約及び当該店舗の休業を決定!」

http://matome.naver.jp/odai/2137384951250882101

もちろん話はそう単純なことばかりではない。この事例では馬鹿をやった若者店長の息子だった。これは「家庭的小規模産業に吸収されたとしても、ちゃんと条件が揃わなければ通過儀礼は発動しない」ということをはっきりと指している。

加えて、大学生アルバイトについてはここで述べた議論以外の対策が必要になる。

***********

佐々木俊尚さんのコンビニ冷蔵庫議論まとめ」

http://togetter.com/li/558574

ここで展開されている議論というのはすなわち、「社会全体が彼らにとっての教育の場となれ」ということである。むろん佐々木俊尚氏自身が著書で書いているように、国民国家崩壊に向かっている現在ではそのようなことは不可能である

2011-10-12

公務員擁護のレベルが低すぎる

http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000821.html

地方公務員とか出先機関国家公務員の皆さんというのは正直あまり他に能力技能を生かせる場所がないかもしれず、多少待遇を切り下げたって辞めないよと言われたらそうかもと思う」と言いつつ、「警察官を警戒しないといけないような社会ってもの特に社会的弱者にとってどれだけ過酷か」と言うのは説得力がないように思う。警官ほとんど地方公務員なんだから、多少待遇を切り下げたってやめないというのを認めるなら、たいして低下しないか費用効果考えたら気にする必要ないんじゃないの?キャリア官僚の質低下を警官の質悪化という話にすり替えてるだけじゃないの?ってなるだろうに。しかもその後で優秀な人材ウォール街に集めたから彼らが富を独占して一般庶民が貧困化したかのように書いてるのでますます支離滅裂。民間に行って私利私欲のため世界中に迷惑をかけるような優秀かつ邪悪な連中に警官やらキャリア官僚として権力を握らせることに警戒心を持たないなんて幸せな人だなと思う。そもそも大統領が替わるたびに官僚上層部も入れ替えて金融業も含め民間からくるのに、優秀な人材が官界ではなく民間にいたか金融危機が起こったかのように言うのも事実認識としてどうかと思うが。それにアメリカよりはるか大きな政府EUが今まさに財政危機で世界中に迷惑をかけようとしてることについては「優秀な人材が官界にいったから」ってことにはならないのはダブルスタンダードじゃないのか?仮に民間に行く方が悪さをしやすいなら、待遇下げたら代わりに警官になるであろう人が今民間にいることは問題ないの?とも問い詰めたくなる。官民関係なく無能はそもそも働くなという話かもしれんが、それを言い出すと能力向上のための職業教育とか無駄からやめろとなって長期的にどうなの?と思う。

この前の移動が直前だから公務員住宅が必要(じゃあもっと前に言えよとしか思えない)とか公務員擁護するにしてももちょっとましなこと書きゃいいのに。別に公務員人件費減らせとか普段はおもわないがこういうの見たら、さっさとけずっちまえよと思う。

2008-10-25

高等教育の無償化は無条件の権利?

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1186237.html

2008年10月25日hokusyu 教育, 政治, これはひどい, あたまがわるい 高等教育の無償化は「子どもの権利条約」でも保障された無条件の権利であって、まずそれを実現できてない政治が真っ先に反省すべき。居直るどころか正当な要求をした子ども自身を非難するのは論外。


日本ユニセフ協会サイトにある子どもの権利条約28条には

種々の形態中等教育(一般教育及び職業教育を含む。)の発展を奨励し、すべての児童に対し、これらの中等教育が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとし、例えば、無償教育の導入、必要な場合における財政的援助の提供のような適当な措置をとる。

とある。

どう読んでも『無条件の権利』ではないんだが、なんかスターいっぱいついてるのはどういうことなんだろう。

みんなそろって嘘ついてるの? それとも、よく知らないけど自分たちの主張に合致するからってこと?

2008-01-09

大蔵省財務省)の実質権力をめぐって

以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員国民が、代議員制度で選ぶ。

国民主権国民権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。

国家公務員試験第1種とは何を試験するのか

キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年

38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙伝統を引く感じです)

約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。

合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。

官僚の作業能力商品

1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。

企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。

官僚商品とは?】

官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。

官僚仕事では、

(1)論理付けを含めた「言語能力」、

(2)関係者の「調整能力」が必要であり、

(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。

(1)マスコミ野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、

(2)政治的な権力者関係者関係省庁に配布し、

(3)説得的に説明し、調整するのが官僚仕事であり商品です。

【上級公務員試験と入省年次】

ペーパーテストの上位者は、言語能力に優れていることが多い。

それで、公務員試験ではペーパーテストを重視するのです。

上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。

成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション

言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。

(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)

大蔵の実質権

なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。

(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)

(2)国債の発行権を持つ。(主計局)

(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)

(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)

(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁

以上5つで、国家マネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。

他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。

信じられない位の、権限の集中です。

大蔵省官僚国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律身分制度がある。

公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。

ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。

予算委員会という場の機能】

最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。

質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民マスコミへに対するガス抜きの場になっている。

野党が机を叩いて、口汚く叱責し正義の味方を演じる。

首相大臣は、その罵詈雑言に耐え、言い逃れをする。

▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配

ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。

次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。

次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行退職した。

これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省銀行支配には、恐怖権力が根にあった。

省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。

私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。

ソースは明かせません)

銀行の3分類

銀行頭取頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在金融庁

大蔵権限の根は、銀行破綻した時、国家国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。

民間銀行天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。

銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。

大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省銀行不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。

1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。

▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば

ペイオフの裏】

2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。

【95年の大和銀行NY支店事件】

大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。

この事件を契機に、銀行大蔵省関係にヒビが入った。

大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。

【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】

2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論マスコミバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。

信用金庫地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。

米国銀行でも、事実上ペイオフ金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。

不良債権問題の早期解決】

小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行自己資本利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。

金融システミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。

政府資金注入は、金融庁大蔵省日銀の権益、天下り先の拡大です。国民金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。

こうして、時代、時代の世論マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。

以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。

誰も、言わないからです。

世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。

ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。

キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。

「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。

現在の行政で生きている4つのイデオロギーを示します。

(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)

(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)

(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)

(4)社会資本欧米に遅れている(強い)

小泉構造改革では、以下のイデオロギーが加わります。

(1)金融システミック・リスク対策

(2)77の特殊法人、26000の公益法人の順次民営化

(3)地方分権

(4)失業者のセフティ・ネット職業教育

(5)郵政三事業の、公社化から民営化

(6)年金への401K導入

(7)証券市場での直接金融制度

これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論マスコミガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。

現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。

組織拡大の技術者たち

(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略技術者であると認識したほうがいい感じですね。

構造改革合唱に乗り、構造改革での組織拡大が想定される。

今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。

2000年12月、森内閣閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。

民営化された特殊法人公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人公益法人民営化をおこなうために、官僚との綱引き政治的取引をした結果と言われていますね。

加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算無駄だと言う人は、まだいない。

民間会社なら、組織利権拡大は、英雄的な行動です。

官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。

2007-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20070818133551

http://anond.hatelabo.jp/20070818135658

http://anond.hatelabo.jp/20070818141853

旧来型の貧乏

・自分が住んでいる地域とか、血縁とか、性別なんかで貧乏かどうかが決まっちゃう貧乏

生まれたときから親兄弟親戚近所一同皆負けてます、みたいなもの。

部落とか、母子家庭とか、田舎に住んでいるかとか。生来的なもので決まっちゃう。

だから地縁血縁、性別、伝統からの自由が必要だった。

あとインフラ格差の解消とか。下水道ありません、とか、電車通ってません、近所に病院ありません、とか。

その解決の道具がお金(土木公共事業・ばら撒き行政)と教育

田舎貧乏人の子供は家の手伝いで小学校までしか行かせてもらえなかった分、就ける職業も限られてた。そのために夜間中学なんてあったし。女が学問するなんて!って驚かれた時代。

でも、昔は学歴小学校非モテニートでも親の家業農業を継げばよかったし、自分の家のクラスや住んでいる地域に合わせて勝手に決められた見合いで結婚できた。後天的なコミュニケーション能力不足なんて関係ない。とにかく家の面子を守ることと嫁という労働者が欲しいということ。離婚なんてタブー。嫁が子供が産めないという理由で離縁されることはあった。そこに職業選択の自由結婚の自由はないけど。

それと長男は親との同居が当たり前。女は姑と同居が当たり前。介護に嫌気が差して座敷老人なんて問題もあった。

『ALWAYS三丁目の夕日』みたいな貧乏があっても皆幸せだったのは、『皆いっしょ』に貧乏で皆一緒に豊かになろうとがんばっていたから。

あと労働人口多かったから社会が体力的にも余裕あるし。

新しい貧乏

・『中流家庭』に育ったはずなのに、ある日突然貧乏。またはいつのまにか貧乏

生まれたときは一応中流(中の上、中の中、中の下)だったけど、いつの間にか自分ひとり負けてましたもう這い上がれません、みたいなもの。

雇用の流動化、核家族化、少子高齢化消費社会化による行き過ぎた個人主義グローバリゼーション自己責任

ばら撒きしようにも、今の家族単位が小さくなりすぎた結果(中年独身男女も含む)、ばら撒く家族が増えてしまったことと、独居老人が多すぎることで、ばら撒けるお金限界が見えた。

だから、国に頼る前にもっと皆繋がってください、支えあってください、自分の人生自己責任でということになる。

繋がれないと、老人孤独死。中年はへたすりゃ自殺自殺率最悪。職のコネがないローン抱えた中年の親父が自殺。息子勉強して大学行ってサラリーマンになっても、同じサラリーマンの親自殺。自分の職業労働単価の安い海外に外注で自分の職がなくなっちゃうかも。自分の職がいつ職業ごとなくなるかわからない。学問よりもコミュ能力。英語だのファシリテーションだのコーチングだの。

ニートの親はサラリーマン。自分が継げる先代から脈々と続く家業なんてない。地域社会商店は大型ショッピングモールが出来てからボロボロ工場は単価の安い中国に出ちゃった。農業は、海外から輸入作物の価格に影響されて、国内農作物価格が安くなりすぎるもんで、補助金に頼らないと生活できない。でも国は地方にばら撒ける金もうないよ。

それと、昔は正社員の職しかなかったけど、今は契約社員とか、派遣とか、バイトとか、いつ首切られて孤立するかわからない立場の職ばっか。フリータになりやすい。雇用が流動化して職場すぐ変るから人間関係も不安定。山谷とか釜が崎とかに集っていた日雇い労働者高齢化。若い日雇い労働者ネカフェの個室に一人きり。

こういうときに必要なのは、お金ばら撒きや職業教育よりも、人とのゆるい繋がり(コネ)と根拠なき自信。一旦繋がりが切れると対人関係の自信もなくなって二度と繋がれない。皆問題抱えためんどくさい他人と付き合いたくない。昔は地縁血縁で面倒くさくても嫌々人と繋がってたけど。それで、格差っていうのは世間にある幸せコミュニティには自分は二度と入れないんだっていう絶望みたいなもの。ちがう?うーん、どうなろう?

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0628-1a.html

で、家族っていうのは相互扶助社会の最小単位。昔は伝統世間体を理由にして嫌でも家族と付き合う、っていう前提があった(その代わり家族の中でどんなドロドロが起こっているかわからない。嫁姑問題とか親から子への体罰とか当たり前。貧乏な家の子供は小さな大人であり労働力なので、ひっぱたいてでも働かせる。中流以上の家庭の子供は、親の面子そのものであり大事な家を支える跡取りだから、親の敷いたレールからちょっとでも外れたら親とドロドロの喧嘩)。

そういう前提が日本消費社会化するにつれて変った。まず、日本住宅団地というものが登場して、核家族が爆発的に増えた。核家族っていうのは1970年代アメリカンホームドラマを模倣したもの。家電製品に囲まれた消費社会的な家族の始まり。そこから消費社会的な自由が進行して、お父さん仕事オタク趣味、お母さんも仕事女友達とお買い物、子供モバゲーで皆バラバラな家族の出来上がり。一人に一台携帯電話持ってるから話したい人と話せる一方で、話したくない人とは絶対に話さないということも出来る。最近家族はLDKの持ち家やマンションに一人一室の個室を割り振られて住んでるし。昔ながらの障子や襖で仕切られているだけのプライバシーの無い部屋なんてありえない。だから皆付き合いたくない人とは絶対に付き合わない。付き合っても嫌なものは見ない。というか無関心。でも、おばあちゃん、おじいちゃんはどこ行った?親に事情のある子供だって、昔は親戚に養子に出されたのに今は施設直行

そんな人付き合いの伝統や義務が無くなって人間関係が流動化した時代に、一旦自信の無さの塊になって、人付き合いに自信がなくなるとあっという間に孤立。行政はお金が無く、制度は家族の相互扶助の前提を崩そうとしないのに、「家族が嫌いでも、それでもやっぱり家族なのだから支えあうのは当たり前」という大義名分を主張することが、消費社会的な自由を阻害しているということを皆直感的にわかっているから中々主張できない。そして地縁血縁義理や情などで、面倒くさいんだけど義務的に構ってくれる人はどんどん少なくなり、他人の無関心に囲まれて消えるように自殺する。

これから日本人は、縁に縛られて毎日同じ他人といがみ合う苦しみと、生まれたときから将来が見えてしまっている不条理と共に生きることを選ぶのか。それとも、縁から自由になりすぎて高速で自分の前を通り過ぎる周りに無関心になるむなしさと、不安定な将来への漠然とした不安と共に生きることを選ぶのか。今の時代はそれらの選択の分岐点なのか、それとも折衷の機会なのか。国が行うシスティマティックなばら撒き福祉が大事なのは当たり前。けれどもそれだけじゃなくて、自分が嫌いな人や嫌いな世代に対しても、関心を持って扶助しあうような相互扶助社会も必要なはずなのにね。皆自分のことだけを大事にして生きてきたわけでは必ずしもなく、お互いに面倒くさいことを求めない、嫌なことはしなくていい、貴方は自由に生きていい、という優しさと気遣いを持って生きてきただけなのに。

だから格差社会っていうのは、世代間や地縁血縁の相互扶助と承認が機能しなくなった、今の核家族・孤立家族といった家族社会の拡大版だと思う。

2007-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20070219092106

本田氏が挙げる具体的な政策の例としては『無償ないし生活費保護を伴う職業教育訓練の大幅拡充や、丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルールを整備した確実性の高い就労支援、生活保護対象の基準緩和

ミクロ物語になんでそこまでこだわるのかがわからん。

そうであると結論づける正確なデータかなにかあるのだろうか。

マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。

これから先富を生むであろう産業を国策として打ち出してその人材の育成としてならあり得るかな。理想として。

でもまあこのままズルズルと沈んでいくんだろうなあこの国は。てへっ。

で、やっぱり行き着くわけだ。

この国は弱者を守る意思も無ければシステムエネルギーもないよ自己責任で、と。

[][][][]今日の朝刊の時流自論より

2ちゃん哲学板とかいつぞやはてブでヒットしたニセ科学菊池誠さんのBlogじゃないがそこらへんでよく見かけるフマ?なる人物がプライベートモードに追い込んだらしい本田由紀という方が最近朝日新聞で何かの賞を取ってそこらへんの流れからかその人が時流自論を最近担当している記事を読むことがあるのだけれども今日の記事をザッと独断と偏見引用してみる。

企業の「家族依存」を正せ

まとめるとこんな感じだった((まとめてるか、ちゃんと要約できているかはわからない))

  1. 低収入の若年非正社員が3人に1人に達するほどの規模であるのに何故それが今現在看過されているのか
  2. 批判的な論調では若者が豊かな親世代に依存パラサイト(寄生)しているため。「若者の甘え」という問題なだけだ。
  3. しかし現実ではそうした個人単位家族単位ミクロレベルの説明を超えた規模で進行している。((ここに関してはデータの見方でまだ反論があるであろうところだろうけれども))
  4. 問題は現在では「マクロ社会システム間の関係性」という観点からの把握が必要になっている。
  5. 社会学者の居郷至伸の近刊論文での見解に興味深いものがある。
  6. その居郷氏の見解について本田氏が敷衍した記述が次だ
    • ミクロな説明は、仕事家族の間に「若者の甘え」という心理的要因を介在させることで、問題を若者個々人に帰責してしまう。しかし若者の甘えという無根拠((ここはまた異論があるかもしれないところだ))な要因を除去し、より大局的な見地から見れば、経済システム家族システムとの直接的な((直接的なのかは微妙かも(間社会的に)間接的に、とかじゃないのかな))依存関係という事実が浮かび上がる』
  7. つまり、これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせずに社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という社会領域の存在、その資産が企業側の依存に対しいまだ有効であるからであり現状で必要な生活保障の責任を各方面が放棄たらしめていることは長期的に持続可能なものでなく非常に脆く暫定的なものである。
  8. それゆえ家族単位などの社会領域、保護領域を持たぬ若者においては現下でも厳しい困窮状態に置かれている。
  9. 日本経済発展を遂げえた時期に労働していた親世代は今後数十年の間にこの社会を去る。その後に残されるのはむき出しの低賃金労働者の巨大な群れではないだろうか
  10. この現今の以上の問題を含む社会システムをどうするのか。「再チャレンジ」政策や「成長力底上げ戦略」は、機会の実質的な拡充を伴わないままに、問題を個人の努力というミクロ次元すり替え結果に終わることが危惧される。
  11. それに対して本田氏が挙げる具体的な政策の例としては『無償ないし生活費保護を伴う職業教育訓練の大幅拡充や、丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルールを整備した確実性の高い就労支援、生活保護対象の基準緩和((生活保護下からの自立を支援する様々な政策))などが求められる。それらの実現のためにも、個々人が苦境に耐えるのではなく協同して怒りの叫びをあげる必要がある。』とのことだ。


こういう見解は初めて見たので興味を持ってこちらにメモとして書き込むことにした。

問題は現在、平均的な共通社会意識が「ミクロ次元」の問題として認識するような社会環境に現状の日本にはあることが挙げられるかもしれないかな、と。

それは個々人が協同する機会が希薄化されているかもしれないことにも関連するだろう、とも思う。つまりインターネット((一例として挙げているだけで複数の現在00年代日本における様々な間人媒体がって話っす。かな))というような副次的生活主体がリアルな生活主体を希薄化させてそしてまた双方が空中分解たまま進行していっている現今の社会環境が、その機会・可能性をますます低下させたまま進んでいっている、のかな、と。

以上、歿。((こんなに引用していいのか(Φ皿Φ)クワ?って今ちょっと不安に思いながらさて外出します図書館とかに。ひきこもりが。))

ていうか今確認画面見たら脚注、使えてないじゃんorz

> anond:20070219094329

マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。

マクロに見合った職があるような経験っていうか教育を受けるマクロなものが無いってのもあるかもね。

ていうか両方じゃろうて。マクロミクロをますます。ミクロマクロをますます。じゃないかな。

いい感じに悪循環生み出してるからその分のマイナス部分を国がどうにかせんと負債としていつか暴落しちゃうぜってことでは。大量粛清としての自殺者の切捨てっていうのとかで(ry。うふっ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん