はてなキーワード: 罹患とは
熱も出ていない、症状がない人にマスクをする理由などない。確率的に移す可能性がないのは明らかだ。そもそも罹患していないのだから。
ええ…おいおいそれはないだろ。無症状でも感染性があるのが新型コロナウイルス感染症だよ。
マスクは新型コロナウイルスに感染するのを防ぐことはできないが、他人に飛沫を飛ばして感染させるのはある程度防げるんだよ。
ただし、マスクをしない人の行動自体は支持しないし、航空会社側がマスクをしない人を下したことについて、間違ってると言ってるわけではない。
熱も出ていない、症状がない人にマスクをする理由などない。確率的に移す可能性がないのは明らかだ。そもそも罹患していないのだから。
例えば、私の場合、マスクをずっとしていたら呼吸困難になる。物理的だけでなく心理的にも。「科学的に」に理由がないのに、呼吸困難になることのようなプライバシーを公表しなければならないこと自体差別だ。
その上で、航空会社がマスクをしていない人を下した理由は、「マスクをしないから」命令が下ったわけではなく、マスクをしていない人が誹謗中傷をされ、それが言い合いになったから、だ。
その言い合いの原因がマスクである以上、「マスクが原因」であるのは明らか。
罪を犯すリスク、性病などに罹患するリスクに関して(便宜上)教育を受け、誘惑を受ける準備ができていることの表明をさせられる。
要するにやりたいのは責任分解で、コンテンツの作り手の責任なのか、消費側の責任なのかはっきりさせたいと言うだけのこと。
しかしだからこそ、その背景には子供にも自由とそれに伴う責任がある、という発想があるはずだ。
18歳以上がいいえを選ぶのは戯れでしかなく、18歳未満がなんと表明するか、だけが問題なのだから。
18禁の存在理由が答えられない大人は、この「子供にも自由と責任がある」という発想が抜けているのではないかと思う。
18歳や20歳になったから突然自由が与えられ、(自分の人生に対する)責任が発生するのではない。
子供にも「嘘をついてエロコンテンツを見る自由」はあるし、それだけで罪に問われたりはしない。
ただ、嘘をついて悪い影響が出たとしても、それは子供(あるいは保護者)の責任であって、作り手の責任ではないということ。
難しいのは、実店舗などにおける18禁とネットのそれには大きな隔たりがあることだ。
実店舗であればいわゆる「人の目」によって嘘をつくことに対する(ひいては準備ができていない人間が18禁コンテンツを見ることに対する)抑止が効くが、ネットにおける18禁にはその効力がない。
自らは特段、良い血筋というのもないし、現在そういうのを気にしたこともないから言えるのかもしれないけれど、そういう立場の人ってのは辛いんだろうか。
まぁ、別に安倍晋三のことを言ってるわけじゃないけど、まぁ、彼は政治に於けるサラブレッド中のサラブレッドだけど、そういう彼は自らの立場が辛いんだろうか。
辛いといえば本文に関係ないし、別にどーでもいいけど、下世話なこと言えば彼ら夫婦に子供はいないわけだけど、それはどっちに原因があるんだろうね。
まぁ、立場とか夫婦間の血筋とか、彼が罹患してる難病とか、いろいろ考えると、安倍晋三自身が無精子症とかなんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろうか。
つか、自分の側に全く問題がなくて、自分は子供が好きで、子供を産みたかったかなりいいとこのお嬢さんが居て、離婚とか現実的な選択肢が選べないなか、原始的な欲求と社会的なそれとのせめぎあいでどうしようもなくなった時に、今見られている様な奇行を繰り返してるとしたら、哀れとしか思えないんだけど、まぁ、それは上流ゆえの苦しみかもね。
正直前段が重すぎて、まぁどーでもよくなってきたけど、某所に有名な先生の息子の先生というのがいるんだけど、近年、大きな賞ももらった人なんだけど、いろいろな知識を持っていなかった昔は偏にきれいだとその人の射を思ってみていたんだけど、知識がついたからなのかその人が劣化したのかしらんけど、たいしたことない、というよりも、よくもまぁ取り繕った射をするものだと思うようになったんだわ。
まぁ、確かに離れる練習をさせてる人だし、それは如何なものかと思ってる自分にとって別にどうでもいいかとは思うんだけども、いろいろ知らない人が見れば確かにきれいに見える射ではあるんだけど、結局のところ、「さあ、離れるよ」といって離している射なんだよな。それ以上でもそれ以下でもなくて。
まぁ、若いしそのうちわかって修正するかもしれんけど、生まれがというか、親が有名な先生だからか今の射を捨てるようには思えないし、そういう人がそういう取り繕った射を多くの人に教えるかと思うとぞっとするな。
本人は教えるの好きそうだし。
そや、一般の人はそれの何が悪いかわからんだろうから、注釈すると、良い射の条件に「雨露離」とか「円成無發」とかが良いというんだよ。
端的に言うと射手が意識しないところで離れる(発射する)のが良いということなんだけど、まぁ、ぶっちゃけその人はそうじゃないってことで、それを門弟にも教えてる状態なのね。
正直怖いわ。
取り繕って射を進めても、なーんにも進歩しないのに。
しかもきっとこのまま偉くなるんだろうなー。
某声優養成所のオンライン授業にて講師が生徒への体調管理の重要性を語る際、「安倍さんが潰瘍性大腸炎になったのは肉を食べるのを我慢できなかったから。食事管理が出来ないアホ」と発言。講師は肉とビールの摂取がよくなかったと持論を生徒達に語り、現在流行中の新型コロナについても「ビタミンCとビタミンDの摂取で予防可能」と説明した。
潰瘍性大腸炎は過去の日本には存在せず、同病気に罹患したのは日本人が肉を食べるようになった為と生徒達に教え、焼き肉が様々な病気の原因であると述べた。
また、安倍総理辞任により日本経済が混乱に陥るとも指摘し、生徒達に保存が効く食糧の買い溜めを指示する場面もあった。
同声優養成所出身にはスクールアイドルを描いたアニメに出演した紅白出場歌手がおり、養成所設立には国民的アニメに出演中の有名大物声優も関わっている。
ALSに罹患すると、徐々に筋力が落ちていって、そのうち口とか舌とかのどの筋力とか、呼吸するための筋力も落ちてくる。口からものを食べられなくなったら胃ろうを作ってそこから流動食を注入する、呼吸の筋力がなくなったら呼吸器つけるとかいうオプションがある。呼吸器つけるときには、口から声門を通して管を入れると痛いから鎮痛とか鎮静必要になるんで、ALSみたいに長引く場合には気管切開してそこから入れる。
胃ろう造設とか気管切開するタイミングでは本人、家族とよく話しあって意思確認した上でやるのが基本。(でも古い先生はGoの方針で説明しちゃって、家族とか本人もそういうもんなのかと思い込んじゃって、ちゃんとした同意ができてないまま進んじゃうこともある。)一回胃ろうや気管切開すると、途中で栄養や人工呼吸器を止めることは難しい。同意を得て外しても訴えられたりする。人工呼吸器をつける段階になると、自然に亡くなることはかなり難しくなる。よくも悪くも長い間生きることができる。
ALSを専門でみている医者たちは、胃ろうを作ったり、気管切開するのは本人にとって必ずしも幸せではないとよく知っている。かなり人を選ぶ。気管切開ライフを比較的エンジョイできるのは、デジタルデバイスへの適応力が高く、エネルギッシュなひと。船後議員とか、宇宙兄弟に出てくる天文学者の人とかにはいいと思う。患者さんでも眼球運動とか微細な手の動きを活用して、Youtubeみたり、長い文章打ったりする人はいる。逆に、普通のお年寄りがALSになった場合はそんなことはまず無理。人工呼吸器につながれた場合、医療者の問いにまたばきとか表情でYes/Noで答えることになる。理論的には文字盤使って話すこともできないでもないけど、一文字伝えるのに数分かかったり、その一文字ですらうまく伝われなかったりして、自由な会話はほぼ無理。だいたい伝える内容は、体の向き変えてとか、どこが痛いとか、痰を吸ってとか、眠れないとか、基本的な身体的不快感の話。それ以上のことは無理。
ALSでは筋力低下の割に意識がはっきりしているから苦痛も多いのか、ナースコールが頻回になる人が多い。数分から10分に一回とか。自力では寝返りすらできないし、ほかの患者さんとおしゃべりすることもできないし、身体的にも精神的にも辛くて寂しいんだとおもう。
自分としては、この状態になったら生きるのはかなり辛いのではないかと思う。まずは生死を選ばせる前に生きるのが苦痛である状態をどうにかしろというのは正論だけど、デジタルデバイスを使いこなすのが難しいタイプの人でも楽に自由な意思が伝達できるタイプの器具は、いまのところない。ALSで生きたい人で、生きることを楽しむ人の生きる権利を支えたいと思うけれど、延命をしない権利を邪魔するのも避けたい。
胃ろうとか呼吸器つけますかという話し合いのときは、年をとった患者さんの場合、患者さん本人は自然に死を迎えたいけど、家族が生きててほしいというパターンが割とある。逆はまずみない。話しあいを重ねるうちに、家族が患者の意思を尊重するという方向になったりする。
高齢者がALSになって延命をせず亡くなることは、それほど不幸な話ではないと思う。人間何かの形で、いつかは亡くなる。延命をしないALSの終末期は、ほかの病気と比べても身体的な苦痛は少ない。高齢者のALSは知識がないと単なる衰弱・痩せと区別が難しいから、診断されないまま亡くなっていることも多いだと思う。それはそれで悪い人生の終わり方ではないと思う。
一度呼吸器をつけない方向で合意した人が、体調を崩してほかの病院に入院したときに、呼吸器がつけられていてあれっとなることもある。呼吸器をつける方向で再合意したんだということで。患者さんをみていて辛い感じになったりする。もうそうなると、患者さん自分の延命についてどう感じているのかはわからないけれど。医療者側から生き続けることについてどう思うかなんて、そんな問いはできない。死にたいと言われても、訴訟のリスクを冒して呼吸器をとめることなんてできない。
人工呼吸器は「お試し」でできないのが辛い。
睡眠時無呼吸症候群のひともよくやる、マスクをつけるタイプの呼吸器は「お試し」でやる人結構いる。うまく適応できなくてやめる人も多い。その場合は自然に呼吸できなくなるのが命の終わりとなる。
ひさしぶりにネットに長文を書いてみた。とりあえずはこのあたりで。
主な症状は咳、喉の痛み、鼻水、全身の倦怠感、関節が熱を持ったような痛みだ。
味覚と嗅覚に関しては機能しているとは思うが何だか鈍い、最近食事を美味しいと思えなくなっている、夏の暑さのせいもあるかもしれない。
そんな症状が続いているけれど病院には行かない、いや行けないのだ。
弊社は接客を主とする営業職で、社員数の多さのわりに未だに一人としてコロナの発症者が出ていないのである。
そんな中で「発症しました」と声を挙げようものなら、たちまち村八分では済まされず、ここ数週間の行動を洗い出され、何かと難癖を付けてクビを切られてしまうかもしれない。
グレーで黙っているのは「無症状だったので気がつきませんでした」言い逃れできるかもしれないが、黒では何の言い訳もできない。
先日、熱があることは言わずに同僚に上記のような話題を話したら、彼も全く同じことを考えていた。
「一人目になる訳にはいかない」だれもがそう考えているようだった。
今日も意識が朦朧としてフラフラしながら働いていたところ、バイトの若い子が「この前遊んだ友達がコロナに罹ってたみたいなんですが、出社しない方が良いですかね」と電話してきた。
上司は顔を真っ青にして、しばらく出社しなくていいから直ちに検査をするよう伝えていた。
もし彼女が罹患していれば、僕もやっと「一緒に働いていて不安だったので病院行ってきました」と心置きなく言えるんだけれど。
救世主よ来たれ。
まずまとめ:【人は未知に恐怖し、一説を盲信して争う。根拠を突き詰めてキチンと納得しよう!!】
既に知っている人も多いだろうが、まだ所謂「バカに届くレベル」(知らない奴はバカ!って話ではない。陰謀論好きにとどまらないくらい有名になるって話)には到達していない話題。しかしこれから広がるだろうなので警告。
そもそもこの都市伝説は、ざっくり言えば、「コロナは本当は本当に大したことはなくて、大袈裟にヤバさを喧伝することで人類を選民管理する未来への手段とする」ってやつ。ムーンショット計画ってのは内閣府でやってるやつで、その中の一つの「2050年までに望む奴はアバターにするぜ」ってのがあってそれが話者がこの話に信憑性を持たせるために使ってる根拠。果てはワクチンで生殖機能なくなるという話にまで発展する。進撃の巨人か。しかし優勢保護法だってあったし薬害肝炎もあった。結局残念ながら、信じられるものというものはない。この「不信の事実」は受け入れるしかない。運ゲーだ。
さてこの話の怖いところは、「コロナは怖くないんだ!陰謀なんだ!」って話に持っていかれるところ。それでコロナパーティーvs自粛警察が先鋭化して治安が悪化することが恐ろしい。治安悪化なめんなよ。死者数増えるぞ。最悪戦争になるぞ。目の前に爆弾落ちてくる生活を正確に想像してみろ。幸不幸の概念がすべて塗りつぶされるぞ。
今コロナのヤバさは誰も測りきれていない。ヤバいかもしれないしヤバくないかもしれない。これが今のステータスなのだけは間違いない。真実はまだない。その状態で政府への不信感と自粛の不満と罹患への恐怖によってスッと入ってきてしまう話題だ。
とにかく、信じられるものがないことを嘆くな。反権力側を盲信しすぎるな。政府はウソをつく。反政府もウソをつく。我々は的確に見抜くことは難しい。とにかく反論せよ、それしかない。反論しつくした時が、我々の生の結論だ。時には死ぬ、避けられないことはある。死にたくねぇぜ。
日本人が知るアメリカというのは海岸線に近い一部の地域(サンフランシスコとかニューヨークとか)で内陸部のことは知らないことが多いというのは定番ネタだろう
更に言えばネトウヨから出羽守なんて言われている人たちが思想的影響を受けているのは西海岸の一部の地域であることが多いのも定番ネタか
しかしそんな出羽守も実際のところ北米西海岸のリベラリズムをよく理解せず、なんだかんだで日本文化の尺度で北米西海岸のリベラリズムを解釈してはガチ勢にツッコミ入れられてしまうということが繰り返されてきた
何故そのようなことが起きるのか?
理由は単純で北米西海岸のリベラリズムの正体が「努力し続けることによって自分自身を磨き上げ人間レベルを上げようというマッチョな思想」であるということを理解していないからだ
北米西海岸のリベラリズムは個人が置かれている環境の影響によって努力することすらできない者のために努力できる環境を作り上げるということはする
これは言うなれば「スポーツジムが存在しないのであれば高性能なマシンが完備されているスポーツジムを用意する」というやり方であり、当然ながらそのジムでマシンを動かして筋力や心肺機能を高めるのは個人自身の努力によって行われなければ"ならない"のだ
口を開けていれば降ってくる恩恵なんていうものは北米西海岸のリベラリズムからすると資本主義をリードするステイツの敵である共産主義でありアカなのである
一緒に努力しよう!努力するアナタは素晴らしい!より一層努力することでアナタの人生は豊かになる!
四肢が欠損していようが、遺伝子異常を抱えてようが、難病に罹患してようが、アナタ自身が今できる努力をしてレベルアップしよう!努力するための環境サポートは任せろ!
もちろんその様子はテレビで放映し努力しようとする仲間たちに伝える!アナタは多くの人から称賛を得て名誉を獲得する!(北米の)社会に認められるんだ!
これはスタートに過ぎない、明日はもっと高いレベルへ挑戦しよう!!!
北米西海岸のリベラリズムは大真面目にこのようなことを考えており、自分の努力の結果をFacebookやInstagramで公開するのである
だからこそ鍛え上げられた引き締まったボディを高く評価し、そこには男女のエロシチズムすら内包する美しさがなければならないし、北米で活躍する俳優やモデルはそういう人物が選ばれる
北米西海岸のリベラリズムの表層に感化された日本の出羽守がいくら男女平等や人種差別反対を訴えようとも表層しか理解していないので(北米西海岸のリベラリズム的に)おかしなことを言い始めるわけだ
BLMだってシンプルに考えたら良い。白人が黒人の努力する権利を奪うなである
なぜ死刑反対なのか?死んだら努力できないからである。それ以上のレベルアップが見込めないからである
北米西海岸のリベラリズムは努力しない怠惰な者は想定されていない。それは共産主義だからだ
北米西海岸のリベラリズムへシンパシーを感じるのであれば、アナタは日本社会へ様々な分野のスポーツジムをたくさん作る訴えをし続け、アナタはそのスポーツジムで鍛え続けなければならない
筆者は10代後半から水虫に罹患して、30代前半に治癒し、以降20年水虫に罹患していない。(歳がばれるな)
20代になり治療薬や通院をしたがこれといった改善はなされなかった。毎日のように痒くて掻いてしまうため薬の効果を発揮しなかったのであろう。
偶然ではあるが知人(非水虫者)より「5本指の靴下にすればいいのでは」とアドバイスがあり、半信半疑で始めたところ、薬より格段の効果が認められ、半年ほどで治癒した。
その間、普段の靴は革スニーカーが多かった、職場ではクラリーノ安全靴、通気性はゼロ。投薬は無し。
その後冒頭に記したように再発はしていない。靴は1日革靴の時もあったし、10年ほど前からは通勤は革靴、職場ではメッシュのスニーカー。5本指の靴下は利用し続けている。
その半年の間に靴下の素材の試行錯誤はあった。やはり通気性・吸湿性が重要と考えている。(それが本当に重要なのかは検証できていない)
症状改善中、脱いだ時にじっとりと湿ってると痒くなる印象があった。綿系が良かったが、綿であればいいというのでもない。それは実際に使用して決めて欲しい。
(ちなみに個人的お勧めはイトーヨーカドーの綿系のかかと付き5本指の数枚パックの安い奴である。高いのは化繊とか薄さとかが入ってきて好みでは無かった(=湿気る))
完治に向かっての改善はそれはそれは幸福感を感じていた。ほんの少し試行錯誤はあったけどみるみるうちに改善したからだ。
そして次の夏も快適に過ごせた。
もし、わたしがコロナに罹患したら、職場は閉じるか開けるかの判断が迫られる、同僚たちも検査を受けなくてはいけなくなるかもしれない、クラスターになろうものならもっと大変だけど、もし感染をさせていなかったとしたって検査結果がでるまでの数日間は職場を閉じる必要がでてくる、そしてその判断のための労力や、もし閉じたとしたら実際的な損失のことを思うと、現実的に職場に対して迷惑がかかるわけで、なるべくそのリスクを減らさなくてはいけないというのが、まあ社会人として、組織の中の人間としての常識的な判断だと思う。でもしかし、現状いつどこでコロナにかかるかというのは全くわからなくて、正直いつかかってもおかしくないわけで、コンビニで、昼食で、満員電車で、毎日の買い物で、見えない菌を自分が完全に避けられているとは到底思えないのです。いま、罹らないでいるのは、たまたま近くに罹った人がいる、という状況がなかっただけで、それはもう運としか思えない状況にあって、正直なところ、わたしたちが気にしているのは、コロナに罹ることというよりも、罹ったときに、その行動を責められないようにすること、なのである。つまり、友人に会ったり、飲み会に行ったり、旅行に行ったり、観劇したり、といった、自分が楽しいことをして、罹ったときに、なんで我慢できなかったの?って怒られたりしたくないなーみたいななんとなくそんな気持ちが自粛のモチベーションです。まあ言葉としては怒られなかったとしても「やれやれ」みたいな冷たい目になっちゃったらいやだからね。世間からの誹謗中傷とか、生命の危機とか、あと医療機関の皆様に迷惑が掛からないようにとか、そんなだいそれたことじゃなくて、職場に迷惑かけたらやだなー怒られたくないなー、という涙ぐましい社会人としての性質、みたいなものです。
かといって、わたしは自分の感覚で、怒られたくないなっていう自粛をしてるけど、強制的な制限もあるわけではないから、あたりまえにそれは個人個人によって違うわけで、個々人の按配でやってくださいね、経済もまわしてくださいね、注意もしてくださいね、旅行もいってくださいね、でもかからないようにしてくださいね、かかったら注意が足りなかったんだと思いますよ、みたいに言われ続けるの、なんなんだろう。まじでなに。
わたしの世界には、仕事と仕事以外があって、勤務時間は仕事を一生懸命やるけど、正直なところは、勤務時間外は仕事にしばられたくないんですよね。勤務時間以外のともだちとの食事まで上司に指示されたり、管理されたりするなんて、これまでだったらありえないことで、やっぱりそこに居心地の悪さを感じてしまう自分がいて、ほんとうはそんなこと口出しされたくない、と思う。それに、飲み会に行ったり、旅行に行ったり、観劇したりという、もしそこで罹患したときになんとなく責められてしまいそうな「不要不急」と呼ばれるものだって、それを成り立たせるために、それを仕事としている人がいるわけであって、で、そのひとたちは現状収支が成り立たないくらいひっ迫していて、わたしが後回しにしているうちに、きっとどんどん失われて行ってしまうんだろう、お店も、舞台も。自分の好きなものや大切にしていたものをずーっと我慢してるうちに、好きなものはどんどん失われていく。
この生活がどれくらい続くのか、あと1年なのか、5年なのか、もしかすると一生?と思うと、はー、こんな無理ゲーみたいな世界で生きていかなければいけないことがつらい。政府って、国って、こういうときなにかしてくれるんですかね?助けてくれないんですかね?まじで。
可能性があるだけで、実際は大学クラスタ見ても大部屋で一緒に講義受けた程度じゃほとんど感染してないけどね。
ハッシュタグを使っている皆さん方、第1波が概ね収まった5月時点ならともかく、第1波以上の感染者が出ている今になってまで「コロナはただの風邪」「ここまで来たら多少広まっても大丈夫」というのはマジでやめてくれ。2か月遅れているぞ。常に変異を起こすウイルスを相手に「〇〇ということがわかっているから大丈夫」は通用しないし、今回の新型コロナウイルスに一度罹患した人は、軽症であっても後遺症が長く残ることが指摘されている。
それからすっごく基本的で耳タコなことろうが、あなたの周囲に重症化リスクの高い人、いないかい?老齢の祖父母とか、若くても糖尿病持ちとか、妊婦さんとか。大学生くらいの年代の元気な若者は感染しても無症状で済むことが多いが、自分の感染を通じてそういうハイリスクな人々にもし感染させて重症化させたとき、あなたは「仕方ないよそいつらの体が弱かったんだから」と思えるのかい?そう思うなら大学で学ぶ資格はないぞ。
それ言い出したらアパート引き払って実家に帰らないで家賃払い続けてアパートに引きこもっとけ!って事になるんだが。言えんの?
そりゃ保育園児から高校生まで普通に旅行行ってる子多いのに、大学生だけ大人しく引きこもるわけないじゃん。
大体飲み会する奴ならオンライン授業になったって飲み会してるだろどうせ。
ウィルスに罹患すると発育不全にでもなるのか?流産するのか?エビデンスは?
コロナでしばらく行けてなかった、とあるバーのマスターがコロナに罹患して入院の報。
コロナ騒ぎでしばらく行けてなかったがゆえに濃厚接触者からは免れたが、あれだけ感染対策してても…となると明日は我が身感が半端ない。
私たちは、数世代にわたって10名ほどが銀行、不動産屋、支配人、板前、フロント、バックヤード、ブライダルなど、頭がいい奴が経営組の1軍、部長クラスが2軍、パニック障害になっちゃったような奴とかが3軍と、何かしらの職について幸せに暮らしている田舎のリゾートホテルの経営一家であった。
料理長は別なリゾートホテルのバイキングの下ごしらえへ。支配人だった嫁さんは某ビジネスホテルの客室清掃をしつつ、私大のビジネスマナー講座の委託会社に入った。元スッチーとか、経歴の良いのが沢山いるらしく、名刺交換の仕方などを学生に教えているそうだ。
倒産して一家離散とまではいかないが、今はそれぞれ別なホテル等へとアルバイトへ行っている。借金は多いが銀行も必死に我慢してくれてる。まあそんな感じで全員職にあぶれることなく何とかなったのだが、、、
そんな嫁が客室清掃に入る直前「この部屋の人は陽性だったって。マスクや髪、顔に絶対に触れないこと」とセンパイにさらっと言われたそうな。保健所が来て担当者を検査するが、それ要員がすでに行ったとのこと。
ルームメイクはどんなに高くても一部屋単価数百円である。どんなに汚くても。ビジホなんてベッドメイク単価50円ってこともある。
たまらない、、、たまらない、、あははっ!と笑ってた。転落は仕方ない。いいんだそれは。と、
前の人が陽性だったかどうか。そんなことは誰にもわからない。今回はたまたま知れただけだ。「次の」お客様が安全なように、消毒をする。それがホテルの仕事である。それさえ徹底していれば予約受け入れを止める必要はない。前の人の痕跡は完全消毒。これがこれからの世界なのだと。それを担保するのが使命だと妻は熱く語った。
数日は間を開けるとか、何かしらの対策がなされるものと当初は期待していたが、楽観的過ぎたようだ。考えてみれば当然だ。お客様は全員陽性前提なのである。それが知れたからと言って仕事は変わらない。
妻の掃除した部屋には当日、若い夫婦と立つか立たないかの幼児が泊まった。お腹が大きい奥様だったそうだ。
もし、、
もし、私がコロナにかかっても我が家は大丈夫だが、その奥様はかかってしまったら子供の保育園も、歯医者も、検診も全ていけなくなるだろう。今時の産婦人科は食事も部屋もかなり良いらしいが、もしかしたら奥様は県立病院の隔離区画に引っ越しになることだろう。里帰り出産なら非難されることだろう。リスク承知で赤ちゃんのために帰ってきたのだ。
ルームクレンリネスは次のお客様が誰だかなんて知らない。ただ社内規ルーチンをこなすだけである。そして妻は平熱プラス〇度の熱を隠しながら働いている。出勤時の検温は市販の解熱剤でクリアできるしそもそも業界独自基準は弱い。
犯罪ではない。実際本人も詳細は知らない。知らないよ。調べてないし。
僕も熱があるような「気がする」けど測ってはいない。解熱剤を「一応」のんで、銀行には毎日行っている。カゼなんてどうでもいい。とにかく現金が欲しい。税理士のところも、弁護士のところも、役所も、どこだっていかなくちゃいけない。自分は「いしきのひくいひと」ナンデス。
罪悪感はない。治療できないのにわざわざ検査などしない。検査数増やせ?いやいや、心当たりがあれば誰も検査なんか行かないから。
そして今日も、私たち一族は働いたのであった(平熱プラス〇度が2名)
大学生が心配である。ビジネスマナー講座なんて単位稼ぎのアレでしかないし、若者が罹患しても若者は叩きやすいから。
全く同意見。