はてなキーワード: 罵倒芸とは
国民の声を聞いているらしいけれど、正直自分の声ってなんだろうって思うと面倒くさくなる。
面倒くさいからといって何もしない人ばかりになったら、それこそ大変なことになる…と思って、一応自分なりに考えて選挙には行っているけれど。
ネットはメディアは偏向報道だと言う。でも正直何が正しいのか分からない。
メディアによって言っていることが違うし。ネットにも偏ってそうな人がいっぱいいるし。
私は安倍政権は嫌いだけれど、正直野党は与党をどうやって引き摺り下ろすか、しか考えていなさそう。選挙で聞きたいのは、引き摺り下ろした後のことだよ。
街頭演説を耳にしても、新聞を見ても、動画を見ても、「与党に任せては駄目!子育て支援!景気回復!老後の安定!」しか言わない。
どうやって子育て支援するの?どうやって景気回復させるの?どうやって老後を安定させるの?
もうずっと「消去法で自民党」って言われているのになんで気がつかないの?
ずっと同じ位置に留まって自民党をなんとか前に進ませないように踏ん張っている人たちより、政策の善し悪しは別にしても前に進んでいる自民党の方がましに見えても仕方がないよ。
自民党は好き勝手やっているとか言っているけれど、競争相手がいないんだから好き勝手にもやりたくなるよ。
なんで事件を起こした人たちが当たり前のように当選しているんだろう。地元の人たちは、何を思って選んだの?
全国ニュース規模のやらかしをした人に、国政を任せようと思って当選させているの?
「老害ガー」「老人ガー」って言うけれど、選挙に行かない若者も相変わらずたくさんいるよ。
「若者のせいにするな」って人もいるけれど、実際あなたのTLにも何人かいるでしょ?選挙行かなかったってわざわざ呟く人。
(大大大前提、もちろん若くてもちゃんと考えて選挙に行っている人はいるよ)
もうずっと「この人が良い!」って思って選んでない。
「この人がましかな」で選んでる。
を見て思い出したんだけど、
相手の主張をどこでねじ曲げたのかはっきりと提示してもらおうか。
一例を挙げようか?
こんな狭い場所で遺伝子の話を2日連続で、しかも他の心理学否定までつけるやつなんかお前しかいないよ
まずこういう脳内空想で決めつけてる段階で藁人形論法なんだがな笑
トラバを追ってくれればわかるように
脳科学や生理学として遺伝の悪影響が大きい論文はいくらでも転がってる
遺伝子ではなく生理学・脳科学による遺伝はあるとしか言ってないのに別増田の発言と勝手に混ぜてるね
遺伝子によって50%性格(先日の資料)が決定されるから認知療法が否定されるべきである、という結論に達する方が馬鹿
遺伝子によって性格が決定されるから認知療法が否定されるべきとおまえが指してる増田がどこで発言してるのか試しに引用してみてよ。
大元の増田は別だと言われてるからちゃんと指してる増田のとこから引いてこい。
都合の良い所だけ引っ張ってきて「反論できない」とするそれそのものが藁人形論法だな
都合の良い所と言うけどおまえが完封したとか言ってる所から捻じ曲げの証明がなされてるんだが笑
まず第一ソースがこれだな。マヌケちゃんと接触したのはこれが最初。http://anond.hatelabo.jp/20160410095419ルートから辿ろうにもマヌケちゃんの記事は削除されている。まあ逃げたんだろう。
うん、で今回は消してないよね?
それも貼り直された結果、http://anond.hatelabo.jp/20160529220606 どうみても意味不明な反応しか返さずにいるのはおまえだよね。
「AからBに、BからCになる」という相手の主張に対して「A=B=Cということだな」とか言い出してるしやっぱりキチガイに絡まれてるのはどうみても相手のようにしか見えないんだが。
そしてもう一つ。Wikipediaのストローマンの項目読んだか?藁人形論法の殆どにお前(?)が該当するぞ。まとめておいてやったから目を通しておけ。
前提として論戦相手が馬鹿なら記事を消す?その話のどこに整合性があるんだ。辻褄が合わなさすぎる。
主張を勝手に捻じ曲げて相手を疲弊させてだまらせることでしか自分の気に入った結論の正しさを押しつけられない論理性のないゴミにいつまでも付き合ってるのってムダじゃん。
暇があるときにボコボコにして今回のように同一人物認定あちこちにし始めるくらいにぶっ壊してキチガイだなぁとみんなから認知されるレベルにまで貶めたらそりゃあもう最高に笑えるけどさ。
『増田の希望』のブクマは3ブクマだと批判記事へのほとんどのトラバが自演になる論理的な理由を説明してくれ。に対して
なぜ自演でないなら消す必要性があるのか
消す人なんてたくさんいるし。そもそも3ブクマだからにつながる論理接続性がない。
当時ブクマ3という稀少なブクマ数に大量に群がった増田が、同時に罵倒芸を披露して同時に削除するが、同一人物ではないとする珍妙な言い訳。
増田の希望に関係した人がおまえに罵倒芸をしたという論理的根拠になってない。
増田を見てる人なんてたくさん存在してるわけだし、意味不明もいいとこ。
街に出たらみんなスマホ使ってるつまり俺を監視してる組織に連絡してるに違いないレベルの統失キチガイっぷり。
そもそも増田戦国史は最近ブクマ一桁化しておりほぼ誰も注目していなかった。
たまたま同じ場所にいた人におまえは俺を追う組織の一員だな!と叫びだしてるレベルのキチガイっぷり。
正論で戦えない場合搦手から攻めて最期は削除して逃亡
正論で戦えない場合相手の主張を捻じ曲げていつまでも粘着してるおまえが相手にされなくなってるだけだっつの。
まったく同じ文体で過剰反応し、かつ俊敏に人気のない記事に群がる理由はなんだろうね?
統失だな。キミってこの人だけでなく他の人にも同一人物認定かましてない?
なんかニーターパンどうこう書いてリンクズラズラ貼ってたキチガイとおなじ匂いがする。
今回だけでなく、別人だよと言われてるのに一緒だと思い込んでるケースが他にもあるようなら、脳が壊れてるのでためしに精神病院に一度行くのをおすすめする。
すくなくとも、第三者から見てもまともに人と会話が成立してないし、常に自分を攻撃し続ける他人がいるという被害妄想は末期症状だよ。
いや確認したけどおまえが相手の主張を勝手にねじまげてそれに反論してドヤ顔してるから藁人形論法って言われてるんじゃん
それに対してなんでも藁人形で済ませるとレッテルを貼って反論できていないのは事実。
今回も罵倒芸を披露しながら記事全削除をしている。
いや、今回は消えてるけどおまえがさきに示したソース先は残ってるじゃん。誰と闘ってるんだ?
まぁこうやって主張を捻じ曲げた事実を指摘してもまともに反論せず中傷しかできないバカ相手にするのも呆れたんだろうなぁ。
消したくなる気持ちもわかる。
ソース元が消えていないのはツリー末尾で俺が釘を差したことと、今までの記事を末尾で全文掲載したからだ。つまり基本的にソース元が消えても言い逃れするすべがないようにした
いや、おまえが全文掲載した記事からのツリー先もちゃんと残ってるじゃん。
まず今までの記事といってるのが嘘だし、それ以外も残ってるということはおまえの言い逃れするすべ云々はなんら関係ないということ。
『増田の希望』のブクマは3ブクマで批判記事へのほとんどのトラバが自演
『増田の希望』のブクマは3ブクマだと批判記事へのほとんどのトラバが自演になる論理的な理由を説明してくれ。
スロックがマヌケちゃんではないなら過剰に反応する必要性はない
おまえが事実でないことを言ってるから事実でないと指摘したら過剰反応だ!とかこれはキチガイ呼ばわりされても仕方ない。
仮に反応してもマヌケちゃんの文体で書く必要がない
おなじワードを使ったという理由だけで文体っすか~いや~キチガイ足るふるまいっすわ~
「AからBに、BからCになる」という相手の主張に対して「A=B=Cということだな」とか言い出してるしやっぱりキチガイに絡まれてるのはどうみても相手のようにしか見えないんだが
【スクリーン雑記帖】今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言(1/5ページ) - 産経ニュース
俺は普段映画を見ないのね。で、話題になった次の増田を読んだ。
挙げられている映画は10本。ブコメを見る限りでは、いいリストであるらしい。しかし、うち7本はまったく聞いたこともなかった。『野火』と『花とアリス殺人事件』はかろうじてタイトルを聞いたなあという程度。『海街 diary』はむしろ評判悪いと勘違いしていた。もちろん俺の情報感度が鈍いというのは認める。ただし、そんな俺の目にも触れる程度の大きな話題にはならなかったというのは事実だ。
一方で、こういうのはホッテントリ入りして目にするんだよな。
2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表 - 破壊屋ブログ
つまらない、またはつまらなそうな映画をいかに面白おかしく茶化すかという大喜利企画。洋邦問わずだけど、標的にされるのは邦画が多い。
あと、こういうのとかさ。
超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」40点(100点満点中)
超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」30点(100点満点中)
今はこれ。
映画ファンは、とくに邦画に関して、いかに貶すかバカにするかという点で芸を磨きすぎている感じがするんだよ。読んでみればわかるけど、上の記事はすこぶる面白いんだよな。他にも挙げれば宇多丸の罵倒芸とかさ。面白い。面白すぎるんだ。結果として、どうにも邦画の悪いイメージばかりが先行してしまっている。
一般論として、褒めたりお勧めしたりするよりも、批判したり貶したり茶化したりするほうが拡散伝播しやすいというのがあると思う。その上、映画ファンは邦画に関しては後者に力が入っているのよね。結果、邦画がつまらないという話ばかりが蔓延して、良作が話題にならず埋もれてしまっている。素晴らしい作品だよという話を、いろいろな人から様々な形で目にし耳にすれば、1度劇場に足を運んでみようかと思うだろうけど、邦画に関して言えば、つまらない下らないバカバカしいと駄作の評判ばかり聞いて、良作を知る機会が少なくなってしまっているんだよね。俺が増田の紹介する10本の殆どを聞いたことすらないというのもこれが原因だろう。『海街 diary』を評判悪いと勘違いしていたのも、有名女優(タレント)を揃えた邦画というだけで駄作なんだろうなという先入観をもち、認知を歪めたのだと思う。
じゃあ映画ファンはどうすればいいかというと、駄作の罵倒の蔓延に負けないくらい大きな声で繰り返し繰り返し、自分の好きな映画・評価できる作品を勧め褒めちぎるってことなんじゃないかな。参考になるのは『ガールズアンドパンツァー』というアニメ映画。「ガルパンはいいぞ」という言葉は目障りで気持ち悪いくらいに広がり、結果として多くの人に知られ、興行的に大成功を収めた。もちろんもともと良作なんだろうけど、それだけではこの興行収入は達成不可能だった。ファンがしつこいくらいに宣伝しまくって(自分も何度も足を運んでってのもあるようだが)、あの数字を叩きだしたわけだ。実写ファンもこういうことをやるべきなんだよ。くだらない映画を茶化すことに頭をひねるのではなくて、見るべきだと思う映画をしつこいくらいに宣伝し、褒めちぎり、身近な人を半ば無理やり連れて行き、その作品の数字を残す。映画の話題で駄作の割合を減らし良作の割合を増やすように努力をする。そうすることで、邦画を取り巻く現状は大きく変わるのではないかと思う。傑作に心打たれるよりも、駄作をバカにしている方が楽しいんだったら、そりゃ日本映画のレベルが低いのはお前らが望んだことじゃねえかとしか思わんよね。
長いです。
ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでたんすけどね。
あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。
個人的な感情としては「そこまでしなきゃマネタイズできないとか向いてないからやめたほうがいいよ」としか思わないんですけども、同時にだれもが文章一本で金とれるわけでもない、ということもよく知っています。
俺はかなり自覚的なアマチュアリズムの信奉者でした。書籍化とかまあそういう話もそこそこあったんですけども、一度の例外を除きすべて断ってます。まあ商業に乗っかることのめんどくささってのがいちばんでかいんですが、それ以上に俺には「自分の文章を換金する」気がかなり強固な意志としてなかった。ブログでもそれを鮮明にしていたはずです。
アマチュアリズムというとかっこよく聞こえるんですが、要は「無料なんだからなに書いたっていいだろ」っていうことです。あるいは「なに書いてもいい自由を俺から奪うな」「つーか金とるにあたって発生する責任とかとる気ねえから」ということでもあります。
仕事柄「商品と価格」ということにかなり鋭敏です。流通に乗っかってる以上は、どんなもんでも商品だろってことです。まあ、需要がありゃどんなもんでも換金できるのが資本主義ってもんでもあるんでしょうけど、だからといって送り手がそのことに無自覚でいいってことはないよね、という。
俺が売ってるものは食い物がメインです。食い物は、払った金のぶんだけはなんらかの満足を客に与えなきゃいけない。そうでないと売れない。食い物の第一の機能は「食ったら腹埋まる」ということですが、ほかにも甘くておいしいだとか、レアだとかまあいろいろあります。ごく大雑把にいうと、普及価格の食い物に関しては「おいしい」と「腹埋まる」がメインの機能で、ほかのものは付加価値だと思ってます。
しかし実際に売れる商品ってのは付加価値で売れるんですよな。パッケージがいい、CMが大量投下されてる、見た目より重い、いままでに見たことがない、など。まあリピート以外の要因では、食ったことがない状態から買うんだからあたりまえの話ではありますが。
で、イケダハヤトっていう人は、この付加価値の部分を極大化させた人だと思うのです。あらかじめ言っておきますが、いいとか悪いとかの話はしてないです。そもそも俺はブログってものを「文章をのっけるためのメディア」としか考えてません。俺にとってそうだからそうだ、というだけの話で、この段階で、そうは把握していない人を批判する資格と能力がありません。
ただ、人目に触れるなんらかのメディアである以上、その本分は「おもしろい」か「役に立つ」だと思ってます。おもしろいってのはなんでもいいです。単純に笑えてもいいし、罵倒芸でもいいし、人の生の一断面があらわれてるようなものでもいいし。そして、それ以外の部分はすべて付加価値です。
おもしろさというものが単純に言語化できる性質ものではない以上、付加価値のほうも明確には定義できない。だからあくまで「俺から見て」という話になりますけども、イケダハヤトという人のブログからはおもしろみを感じることができなかった。役に立つかというと、それもあまりそうは思えない。ではなにが得られるのだろうと考えたときに、ある種の人々を「その気にさせる」「逆から見ることでわかったような気にさせる」機能がメインじゃないかな、と思えました。
付加価値は金になります。しかし付加価値だけでは長持ちしない。それをなんとかしてきたところに異能があったんじゃないかと思えます。まあ実際にだれかの人生に影響を与えたんだとしたら、それはもう「付加」とは呼べないのかもしれません。
個人的にはイケダハヤトという人のスタンスは嫌いです。ただ、嫌いである以上に理解ができない。これはあくまで俺の理解能力の限界なんだと(遠回しな皮肉でなく)思うんですが、たとえマネタイズという強力なモチベーションがあるにせよ、ああいう炎上上等な手法で得られるものはいったいなんなのか。それが金だというなら仕事なんだからいやなことでも我慢するっていうことなんでしょうか。
考えてみると、俺は常におすそわけの原理で動いていた気がします。たとえばカレー作った。なんかおいしくできた。じゃあ隣にも分けてあげよう。やっべー俺の作ったカレー超うめえっすよ。でも隣の人がカレー好きじゃなかったらおすそわけしない。インターネットのすばらしさは、俺にとっては「俺の作ったカレーここにあり!」「俺は超うまいと思うからカレー好きな人は食え!」「でも俺の好みで作ったから好みにあわない人ごめんね」「そのかわり無料」っていうところです。
かといって日本全国のカレー好きの人に俺のすばらしいカレーを届けるための努力をするほどではないのです。だから別に有名になる必要はなかった。それに俺には「今日はカレーを作ろう」「いや、気分的に今日はうどん」という自由がありました。その自由を捨てる気はなかったのです。カレー職人になりカレーで金をとるためには、三度のメシよりカレーが好きであり、魂がカレーでできている必要があります。それでいえば俺は「料理が好き」なだけであり、だれかがおいしいといってくれればそれで満足だったのです。もっといえば「おいしいといってくれる可能性がある」だけで満足だった。
さて、彼は三度のメシよりなにが好きなんでしょう。俺にはそれがわかりません。その答えがおそらく彼があのような手法をとる理由であり、そしてどうやら俺は、わからないながらもなんとなくその理由があまり好きではないのです。
これを、文章だけでのし上がってきた人間のマッチョイズムといえばそれはそうでしょうし、インターネット懐古主義だというのならそれもそうでしょう。それでも俺は、なにも書かれていないテキストエディタを前にしたときの「さあ、いまから俺はなにを書いてもいい。そしてだれかがそれを読んでくれるかもしれないんだ。こんな素晴らしいことがあるだろうか」という原初的な感動を捨てたくはないです。同時に、この感動はおそらくSNSの時代以前の人間のものだということも承知のうえで、なおそう思います。まあ、かたちを変えた「飽食の時代なんだから文句言うな論」にしか聞こえないでしょうけど。それでも俺は「読まれる」というだけですばらしいことだとしか思えないのです。
※追記
あー、逆に「読まれる」という自体がさほど困難ではない状況以降の人にとっての「原初的な感動」がなんであるかは聞いてみたいかもしれない。自分にとっての感動が真実である以上、その先の状況にいる人たちの感動ってのは理屈でしか想像できないものなのです。まあ物心ついたころにはインフラとしてネットが存在していたならそんなもののありようはないのかもしれませんけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150902/1441122124
festerfester この人昔っから凄まじい悪罵と憎悪を撒き散らしてきた人じゃん。これを「罵倒芸」だなんて許容してた人たちにも責任の一端はあると思うよ。
つまりそれはid:kyoumoeを罵倒芸だと持ち上げていた張本人であるid:kanose村長に対して言ってるんですよね。
つまりid:festerfesterはid:kanose村長に対する宣戦布告を行った事になりますね。
ファイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
おめーら、そんな豆腐みたいなメンタルでブログとかやってんじゃねえぞ
なにが「罵倒されると傷つく人がいる」だ。アホか。
当たり前じゃねーか、気に食わないものを言葉でぶん殴ってるんだから。
罵倒芸が人道的に悪いことだなんて分かってやってんだ。
ネットの匿名ってのは、法に訴えられないギリギリの範囲で「実名ではできない事をする」ためのアカウントだ。本心に出来る限り忠実に振る舞う為の仮面だ。
日々溜め込んだストレスを、返り討ちに合わないギリギリのラインを見極めながら吐き出す。
もちろん何を書いても良いわけではない。流れ弾が無関係な人間に当たるようなものはそもそも射撃のセンスが無い。的が見えていないアホは危険だから当然裁かれるべき。
的をしっかり狙って他者を巻き込まないよう慎重に、しかし激しく打ち込む。綺麗に決まった時の爽快感たるや。
当然、運営による削除やBANを喰らわないように打ち込むのもスキルのうち。NG食らったらこちらの負け。
ネットの匿名はそういうゲームなんだよ。実名アカウントと同じことしてたって面白くもなんともないだろアホ。
「法定速度を絶対に厳守しましょう」とか、居酒屋に貼ってある「飲み過ぎ注意」とか、パチンコ屋に貼ってある「お金の使いすぎに注意」とか、
そんな「はいは~い」と適当に受け流される程度の、風紀委員による標語程度にスムースに流される無意味な説法だわ。ごめんねごめんね~。
それが嫌なら学級会専用のBBSでも作ってそこに書いとけ。
自分はイラついてるんだ、お前に思い知らせたいんだ、正義を執行したいんだ、罰したいんだ。
色んな理由があるが、要は罵倒だ。
バカだとか死ねだとか、殺人と同じだ猿と同じだ、足りない脳みそで必死に考えたんだねとか。
ここで射精、とか(棒、なんてのも婉曲的な表現だけど、要は罵倒だ。
本質が伝われば言葉が乱暴でも構わないという考え方もあるのは判るが、罵倒は罵倒だ。
立ちションしながらプロポーズするヤツは居ないだろうし、鼻くそほじりながら商談はまとめない。
社会性というのは、相手との間に共通するプロトコルを知っていて、かつ、それが使えることを言うと思う。
乱暴な言葉遣いと罵倒とが一線を画しているのは、そこだと思う。
ネット上の罵倒芸(と言える人はごく少数だけど)を読んだ小中学生が、気軽に罵倒を真似した結果、
心に大きな傷を負うのは、個人的にはもう見たくない。
たいていの場合、口うるさいジジイってのは文字通り老い先短いわけであって、
という勢いだけの言葉を放った翌日、本当に爺さんが死んで通夜で家族が泣いてるのを見てショックを受ける
なんてのは、そんなに特殊な話じゃないだろう。
だから、罵倒したくなったときには、実害のない罵倒を考えることにしている。
「うんこを踏みますように」「宝くじに外れますように」「一生富士山に登れませんように」「なぜか世界遺産に行けなくなりますように」
そう、知り合いにも話してみている。
勢いで書き込みたくなったときは是非。
その結果、罵倒しようと思ったコメントそのものがばかばかしくなって、何も書かなくなるから。
その方がずっと良い。
東浩紀『レッテル張り』で政治を語るのは簡単ですけど、僕はやりません
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/889
これらの言葉で、すごく乱暴に人をくくって罵ってる。
度々起こす内ゲバの理由もたいていこれ。
他人にいい加減なレッテルを貼り、陳腐な物語に当てはめて、自尊心を踏みにじる。
http://twitter.com/hazuma/status/174621198259466241
東浩紀@hazuma
https://twitter.com/hazuma/status/174620962615078913
東浩紀@hazuma
https://jp.twitter.com/hazuma/status/279504837199163392
東浩紀@hazuma
https://jp.twitter.com/hazuma/status/279505080967913473
東浩紀@hazuma
ぼくはどっちかというとリベラルの言説のほうが好きだけど、
ご存知池田信夫主催のライブドア系オピニオンサイト。リバタリアニズムを標榜しているが、その実態はリバタリアニズムからは程遠い新保守主義。そもそも池田信夫という人物自体、罵倒芸と炎上芸しかなく、まともな議論が出来る人でもないためアカデミズムでもジャーナリズムでも傍流である。
ライブドアのもう一つのオピニオンサイト。こちらは有名無名関係なく様々な立場の人が参加しているため、まともなものから唖然とするデマまで玉石混交である。特にライブドア自体に主義主張がないためか、左右関係なくゴミが集まる。稀に秀逸な記事が見られるが、査読されていないせいか藤沢数希やすくらむといったデマゴーグも紛れ込む。
アルファルファモザイク、痛いニュースと言った2chコピペブログ。コピペブログの大半はライブドアかFC2に置いてある。ほとんどがエロDVDやエロフィギュアのアフィリエイトが貼ってあり、まず見た目が目障り。加えてデマ拡散、ネトウヨ煽動、個人の炎上に対する燃料投下など、SPAMのかなでも非常に悪質である。
http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51621646.html
1.ミソジニー
2.愛好しているとされる作品が古い
4.容姿批判
5.人格批判
6.学歴批判
7.出自批判
9.ブーメラン
12.無効
例えば五周。
サブカル女子が隣の男にサラダを分けてやった場合→『サブカル女子は男に媚びてて気持ち悪い』『サブカル女子の「周りに気が利く私」という自意識気持ち悪い』
サラダを分けなかった場合→『サブカル女子は周りに気が利かない』『サブカル女子の「男に媚びない私」という自意識気持ち悪い』
サラダを分けるかどうかにもはやサブカルは関係ない。この場合は主語が「女」ならただのミソジニーだが頭に○○系をつけて限定することでカモフラージュがなされている(メンヘル女子批判・腐女子批判も同じく)。これは欧米のレイシストによる詭弁の典型である「私は移民・黒人を差別しないが、移民・黒人が政府要職やスポーツの○国代表に居座るのは反対だ」
もう死語かもしれないがネット上のサブカル界隈で盛んに「文化系女子」が叫ばれていたことがあった。「自分よりも年下で知識が無く、でも実は賢くてそこそこ教養もあって自分を尊敬し話を聞いて従ってくれるけどたまにわがままだったりするおっぱいが大きくて美人の文化系女子」という妄想上の産物である(~マニアの俺が~初心者の彼女に薦める10の○○)。この妄想狂のサブカル男子達が現実のサブカル女子に落胆しサブカル女子批判に走っている場合もある。
(罵倒芸批判として読めないものが無いでもない。ネット上ではラウドマイノリティ・ネット市民運動家化しているサブカル女子も少数存在するし、その行動が過激すぎた時に取り締まるモヒカン・ネット警察として動くボンクラ男子も存在する)
http://anond.hatelabo.jp/20110303182614
まあいろいろ思うことを書きなぐる第二弾です。便乗マーケですね。えがみひろゆきが得意の。
個人的に思うことしか書いてないので、興味ないなら読まなくていいですよ。
敬意というのは内発的、誘発的なもので、自発的なものではないですよね。
たとえば、ホリエモンに敬意を持っている人ってのはやっぱり取り巻き見ればいるんだけど、だけど実際前科者ってだけでリスペクトはないわーって人もいる。どっちが多いかは知らない。
ひろゆきもそう。裁判所の申告踏み倒す奴だぞー!って言っても、リスペクトする人はするんだよね。
禿(孫正義)もそう。Xevra先生がどれだけ禿を嫌っても、リスペクトする人はする。というわけでリスペクトってのは各人に於いて差があるのが普通なわけだ。
少し僕の話をしたい。
僕は「誠意」と「敬意」は使い分けている。僕なりの「誠意」というのは、自分の仕事上に対する責任だ。言ってしまえば、プライド。仁義っていうとあれだけど、他のすべてを曲げてもこれだけは貫く、というものは、勤め人でも自己意識低い人でも何かはあるはず。僕はこれを「誠意」としている。だから、相手が差別的な目線で何かを語っても僕はそれをそのまま文字に起こす。仕事上の僕は徹底的に自意識を殺し、空気化するように努め、それをただ淡々と文字にすることを心がける。それが僕の誠意。
だから、前から繰り返し書くけど、罵倒芸にも満たないただのクソガキなグラスィーズキングが、彼なりの信念を持ってそういう活動をしているというなら、僕は彼のやり方を支持しよう。(残念ながら、今までの彼、これからの彼にはそれが見えそうもないが。)
で、次に「敬意」の話だ。僕は仕事上自意識を殺すと書いたように、僕は仕事上「敬意」は払わない。だから、敬意が見られないから依頼は断ると言われれば、(それは当然のことなのだが)、では叉の機会に、ということになる。
ただし、相手と対面するという性格上、円滑に事が運ぶよう取り計らうということは欠かさない。少なくとも相手をバカにすることはしないし、仮にバカにしたいことがあったとしても、その場では絶対に言わない。もしかしたらそれが「敬意」だとか言う人がいるかもしれないが、先にも書いたように「敬意」と「誠意」は僕は使い分けるし、僕はそれを「敬意」だとも思わないし、敬意自体に個の差があるのだからそれを敬意だと主張すること自体もナンセンスだと思うし、僕がこうして敬意とはなんだリスペクトが何だとつらつら書き並べること自体も愚かしいことだと思う。
で、前の記事にも書いたけどそれはマナーと似たようなもんで時に形式化して強制されるんだな。僕はそれが一番嫌いなんだけど、それはいいや。
で、ちぇすこさんとグラスィーズキングやりとりってなんかいろいろ論旨論点が飛んでるんだけど(そもそも議論の体も為してないただの罵倒合戦にすら見えるんだけど)、
アレの何がヤバいって、要は「生理的嫌悪感」なんだよね。「あなたとは付き合えません、生理的に」ってやつ。ブコメにも吐き気がしたとか言ってる人いたけど、そりゃそうだ。読むのも不快だもん。
などなど、はてなーのみなさんにしてはやはりカモ、ハトに擬態するカモなんですね。で、実際鍋にしたけど毒で食えねえってとこに居ると思うんですが、人間好き嫌いあるもんで、ああいう人間が嫌いって人はやっぱり多いと思う。私も嫌い。
だから、前にあんな事書いたけど、今回のあれっていわゆる「敬意」とは違うんじゃないか、と思うわけです。ヤベーキモイわブロック、で済んだ話だと思うんです。ほんとはね。
なんというかいい感じにマッチングしちゃったというのもあるんでしょうが、そこまで騒ぐもんかね、と個人的には感じております。
まあ、そっからいろいろ見れるもん見れたんで、外野のブクマーとしては面白かったんじゃないでしょうか。当事者たるちぇすこさんとしては納得しない点もあるでしょうが、そこはまあ、本気なら裁判所で、とかいろいろあるでしょう。まだTwitterとかでやってたらメガネの土俵にいることは明白ですし、周りはなんだかんだ言いながら観客として満足しちゃうし、あまりネット上というのはいい場所ではないんじゃないか、と思うところでご飯が炊けたので撤収しようと思います。
そんじゃーねー。
長文の中にちょくちょく煽りが入って読みにくいことこの上ない。
煽るのは見出しだけにしとけ。でなければ罵倒芸の域まで高めろ。
やたらとぐだぐだ説明してるけど、誰に向かって説明してるのか分からない。
政治系ブログを読み込んでいる人、まったく知らない人、どっちも相手にしようとして空中分解している。
誰に向かって説明するのかを考え、説明すべき点としなくてもいい点を選別して、文章を刈り込め。
リンクも付けすぎ。削れ。
「!」や「?」や「w」の後は空白1つ空けろ。
とにかく論題を盛り込みすぎてぐちゃぐちゃ。
小分けにしてブログでじっくりやっていったほうが良いぜ。