はてなキーワード: 総合職とは
思考実験なので具体的に考えることにあまり意味はなさそうだけど、具体的に考えると…
あぁ、なんでこうなってしまったのか。どうしても吐き出したくて、回顧録も兼ねてここに残す。
トントン拍子で採用が決まり、前職では得られないような年収を提示された。それが全ての始まりだった。
同業他社の選考は書類で落ちており、今回の採用が外れ値であることは明らかだった。実際、エージェントから紹介された案件は隣接業界の同職種、もしくは総合コンサルばかりで、僕の転職先となった業界の求人は紹介してもらえなかった。
気づくべきだった。
そうすればポストの危うさと、全くの異業種に総合職として採用されることのリスクについて認知できたと思う。面接での感触と、ポストとキャリアがあまりにもマッチしていたことで自分を納得させてしまった。高年収に釣られ、異業種への転職を正当化してしまった。
そもそも今回転職活動を始めた理由は何だったのか、内省したい。
挑戦とか、成長とかそんなカッコつけた理由を並べ立てたけど、詰まるところ前職での立場を損切りしたのである。
新卒から数年間、文字通り泣きながら、踠き、苦しみなんとか耐え、小さな地方都市で働いた。成績は泣かず飛ばずだった。
そのまま特に出世もせずに閑職に流れていくであろう自分にある時チャンスが舞い降りた。
とある部長が若手人材を探していたのだった。偶然研修で知り合ったその人に必死にアピールし、関連資格を取得して、引き上げてもらった。あの時の出会いがなければすり減りながら地方を転々としていたと思う。妻とも結婚できてなかったかもしれない。人との出会いに救われた。
異動後、死に物狂いで働いた。もう地方都市にはもう戻りたくなかった。ここでの実績を橋頭堡とし、東京でずっと働きたい。そう思った。
そして上手く行きすぎてしまった。
当時の上司は組織内で圧倒的なポジションを築いており、人事にも発言力が及んだ。
少し卑屈な考え方かもしれないが、彼は自分の判断が正しかったと示したかったのかもしれない。地方で燻っていた若者を見つけ、育て、輝かせることで自身の育成能力を誇示したかったのかもしれない。
今となっては彼の思惑を確認することはできないが、事実彼はがむしゃらに働く僕の功績を何倍にも膨らませて吹聴してくれた。
また、その職場には過去休職したり、既に出世コースを外れやる気がない社員が多く存在していた。仕事の規模が大きい割にルーティンワークが多く、多少働かない社員がいても仕事が回ってしまうため、人事から問題社員の受け入れ先として認知されていたためだ。
だから、そういった環境の追い風もあって少し頑張るだけで驚くほど高い評価を得られた。
それでもずっとコンプレックスは消えなかった。
自分は元々の部署でうまく行かなくて逃げた。環境と上司のおかげで評価されているにすぎない。ずっとそんなコンプレックスが消えなかった。与えられた環境で評価を勝ち取りキャリアを築いていく同期の噂、コンサルや一流と言われる同僚との会話、自分を頼ってこない現場社員。ちょっとしたことから劣等感を膨らまし、勝手に傷付いた。
人事評価の高さや与えられている役割は誰よりも高かったが、自分の仕事ぶりをよく知っている人から同じ評価を得られていないことはわかっており、無力感に苛まれた。評価の高さと出来ない自分の認識のギャップに苦しんだ。特にコンサルからは無能な働き者だと判断されてたと思う。個別の会議では自分が中心だったがここぞという重要な会議には呼ばれなかったし当然根回しもなかった。彼らは合理的で、そして残酷だった。
しかし誰も僕を無能だと口にしなかった。それが一番辛かった。本当に。
その後、お世話になった上司が異動した。新しい上司は持ち上がりで、ずっと一緒に働いた中だった。だから元上司が僕を持ち上げたかったことをよく理解していたし、僕の能力もよく知っていた。
上司が変わって、明らかに僕に振られる仕事が減った。相変わらず評価は高かったが、仕事をこなすことで劣等感を打ち消し虚勢を張りながら生きていた僕は、大いに不安を増長させた。不安を消すために、新しい上司にフィードバックを求めたが、彼は元上司と同じく褒めるだけで僕の出来ていないところを教えてくれることはなかった。
彼は、「君はそろそろ異動の時期が来ており、組織内で君の仕事量が多すぎるので、少しずつ周りに委譲していかないと抜けた時に困る」と言っていた。「お前が無能なくせに直近の評価が余りにも高く、扱い辛いからだ」とは言ってくれなかった。
コンプレックスを大いに爆発させた僕は、後輩や使えない先輩など立場の弱い者に当たった。そこまで優秀なわけでもないのに上司の威を借り、さぞかし不愉快だったろう。本当に申し訳なく思う。
そんな経緯から、社内で次のポジションを探し始めたがうまくいかなかった。兼務先として設定されていたポジションの一つは、元上司が次の異動先として顔合わせの意味でセットしてくれた先でもあったのだが、兼務先の上司からは評価が余り高くなく、元上司が離任したタイミングで仕事は無くなっており、異動の可能性はなかった。
このままだと本店の適当なポストに異動となり、異動先で化けの皮が剥がれるであろうことは目に見えていた。
結果、本当に奇跡的にエリート中のエリートしかいないような会社に入社し、前職も決して待遇が悪かったわけではないが年収は約2倍になった。
しかし、役員人事の余波を受けて入社時点で僕がやるはずだった仕事はなくなり、今、異業種、異職種での仕事に踠いている。能力と評価が一致してしまい、結局前の職場で私が感じていた劣等感が現実になっただけだった。
今の仕事も会社も自分に向いていないことはわかっているが、次も失敗するんじゃないかという不安と、今の会社の社会的地位や年収を手放したくないクソみたいなプライドで、僕は辞められそうにもない。
私の経歴は、都内区立中→都立高校→東大→大手総合職という感じなので、大学生や会社に高学歴の人が多い。
そんで中学受験してる人もめちゃくちゃ多い。
小学生の時からお金も時間もかけて勉強してきた人たちがたくさんいる。
でもこの人たちは、最終的に私と同じ経歴なんだよなコスパ悪いなって思う。
ただ、私は遺伝とか環境とか色々運が良かったおかげで公立中高でもどうにかなったのも理解している。
それにコスパは良くとも、人脈や教養といった面ではやはり難関私立中出身者には劣っていると思う。旦那は中受をして有名な中学に進んだんだけど、大学は私と一緒なのに、やっぱり全然違うなって感じる。
自分はしたことがないから不安だけど、旦那はしてるしきっと大丈夫と思いたい。
もちろん偏差値の高い中学校に行って欲しいけど、それだけを物差しとせず、子供にとって満足のいく受験ができれば良いなと思う。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
なんか第一印象で馬鹿だと思われることがすごく多くてモヤモヤする
職場以外で出会ったおっさんと世間話するとき、「太宰治っていう昔の有名な作家がいて…」とか「イスラエルはユダヤ人の国で…」みたいなこといちいち言われてさあ
いや別にいいんだけどそれぐらい知ってるよ、
ドヤ顔で「君は知らないと思うけど」みたいな感じ出されても
そんで仕事何やってんの、って話になって答えたら「なんか専門学校とか行ったの?」とか聞いてくるし
で、例えばそのとき私が彼氏といた場合、彼氏には「知ってるやろ?(笑)」みたいな感じで話してるのもムカつく
ほんと別にいいんだけど、「男とは趣味とかニュースの話できるけど女は無学だからできない(だから、いちいち俺が教えてやらないといけない)」っていう発想がムカつくんだよ
私が男で同じことされたら舐めてんのかこいつってすごいムカつくよ、なんで女にならできるんだよ
やっぱこの手の話は比較的反応貰えるね
全然全部嘘だけど
私ただの服屋のバイトだし
この門前払いシステムが有能な本当の理由は、本当にやる気があって門前払いに納得出来ない奴は自分から様々な手段を使ってなんとか組織に潜り込もうと勝手にアクセスしてくる点にある。
頭の物差しを測って切り捨てるだけではなく、切り捨てた中から激しく光るものを持ってる奴は自分から勝手に名乗り出てくるシステム。
もうその時点で営業マンとしては十分な資質を備えているし、こういうタフなタイプは今時の純粋培養に辟易してる様々な部署からヒキが強い。
これはうちの話だが、東京の私大で熊本支社にたった1人しかいないOBを探し出してアポを取り熊本へと向かいその熱意に感動した熊本支社の管理職が支社長経由で推薦出してリク採・フィルター全部すっ飛ばして採用ルートに乗せて総合職採用したことある。
一般職と総合職という分け方をしている企業なら、あるにはあるが、ただそういう企業は原則として一般職には高難易度の仕事をやらせないようにしてるので、パっと見のパフォーマンスが本当にそうなのかは怪しいところでもある(簡単な業務をてきぱきこなす人当たりの良い女性>難しい業務をウンウン唸りながらちょっとずつ確実に進めていく男性 ていうことにしていいの? 的な)