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はてなキーワード: 総体的とは

2018-02-26

[]

今回は少年ジャンプ+

さびれ森のらら子さん

本作の見所は、登場人物たちの紡ぐ芸術作品の奇抜さにあることは明白だと思う。

その総体的空気感を楽しむ漫画って感じ。

ただ精彩ではあっても精細さに欠ける印象。

から、分解して評価するとつまらなくなったり、粗ばかりが気になりやすい。

コマ割とか、構図とか。

あと、終始説明口調な登場人物たちね。

これは「わざわざ声に出して説明する」っていうギャグだと思うけれども、説明しなくてもいいことを説明するからには、その内容が面白い必要があると思うんだよね。

しかも、ギャグ以外の場面でも説明口調を多用しているか効果希薄になって、全体的に平坦な印象を与える。

後半あたりから情報の取捨選択が程よいと思った。

LUST

加虐心という偏愛性を持つ主人公の苦悩を、後半で判明する更なる事実によってより露わにしようという試みが興味深い。

テーマがより色濃くなるし、構成上でも絵的に盛り上がる場面を入れられる。

ただ、些かごちゃごちゃしている感じはする。

前半の主人公の苦悩を描きながら、主要人物の様子も丹念に描き、更には後半に明らかになる事実のための伏線をはるという構成しんどい

全容が掴めない事はサスペンスとしては面白みもあるけれども、掴み所すらないとどういう気持ちで読めばいいから分からいから困る。

画力に関しては第一印象を覆すようなものはなかったかな。

個性のある画風ってわけでもないし、目を引くような構図や表現手法特にないし。

2017-12-04

anond:20171203173311

後半に書いてある格差問題戸籍問題で、それをどうやっても解決できない人々が存在する事実があるため、どこまで発展したと聞いても総体的プラスに受け取るのは難しい。

2017-11-25

anond:20171125074535

エスパーすると、君は要するに

賛同コメ否定コメ客観的に見分けられるものじゃない

自分エントリ自画自賛するがゆえに、賛同ではないブコメまで賛同と思いこんでるだけだ

ブクマカはアホで、アホの発言からどれも例外なく無価値権威もなく指標にもならない

・したがって賛否のようなブコメ内容の傾向によって重み付けをするのは間違い

そもそも共感が多いオピニオン増田なんて幻想

と言っているのかな?

俺はそこまでは思わないかな。

ブクマカ信頼性がどうこうとは無関係に、自分が書いた増田に対して否定されるより肯定された方が単純に嬉しいし、肯定の方が得難いか価値があると思う、というそれだけの事なんだけど。

ちなみにブクマカも変な人が目立つだけで総体的にみれば平均的な標本サンプルみたいなものだと思っているから、無下にもしないし偉いとも思わない。

大衆の鏡として、絶対視はしないけどある程度の確からしさは備えていると思う。

2017-10-13

公明党支持者は自民党候補名前を書くのだけはやめましょう

https://anond.hatelabo.jp/20171006214503

の続篇です。

公明党支持者は立憲民主党候補投票しよう その2」となるところですが、それどころではないので変更するわけです。

どこぞの情勢調査によると、自民だけでも300近く取りそうな勢いとのこと。

嗚呼、また小選挙区制のせいで得票率3割台の党が6割の議席を抑える雲行きか。

自民だけで安定多数を確保する状況は、非常によろしくありません。

自民維新希望(の半数以上)で3分の2を取られるのは、きわめてよろしくない。

総体的右傾化に加担してきてしまった公明党がいまブレーキ役を外されたら、おそらく日本オワタな世の中が待っています

残念なことに、公明党候補小選挙区立憲民主党候補と正面衝突している関係で、公明党立憲民主党批判が激しくなっています

支持者はそういう話を見聞きして、あぁそうなんだな、と思ってしまうはず。

しかしそこで【小選挙区自民党に入れる】のだけは、ダメゼッタイ

そもそも公明党支持者のみなさんは、安倍晋三首相がいいなんて思ってないでしょ?

安倍首相のおかげで山口代表言動が際だつからいいとでも?

あんな不誠実かつ品格識見ともにアレな人物首相で、それをずっと公明党が支えているだなんていう恥ずかしい構図、もうそろそろやめましょうよ。

そうなると、自民希望共産しか出ていない選挙区公明党支持者に「共産党候補に入れよう」とは言えないのがつらいところです。

ほんとうは入れたほうがいいのだけれど、まぁ共産党共産党だし。

共産党の人たちのしたり顔を見るだけで虫唾が走るのはよく分かります

そういう場合は、せめて希望に入れることにしておきたいものです。

やむを得ない選択ということで。

まずは、手遅れになる前に、ひと呼吸おいて、考えてみましょう。

どうにしかして自民党を減らさないと、本気でヤバいですよ。

公明党議席を確保しつつ、自民党勢力を削ぐ。

それがいま、日本のため、公明党のため(学会員にとっては、なかんずく学会のため)に、あなたにできることです。

あなたがまだ投票していなかったら、間に合います

2017-08-03

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.内面の美が大切って綺麗事ではないですか?

美女と野獣』を知らないのか。

城主は野獣になる呪いを受けてしまったが、ヒロインの優しさによって真の愛に目覚めるという話だ。

内面の美しさを見出し城主呪いがとけて、イケメンに戻るわけだな。

内面の美しさが大切なのは綺麗事でも何でもなく事実だ。

だが、ブサイク呪いってのも紛れもない事実だってことだ。

人間ってのは総体的評価するもので、そこに優先順位が各々である

まり内面が美しければ良いことだし、その上で外面も良ければなお良い。

後は金持ちだったりすればより良い、シンプルな話だ。

もっとも、君が野獣側か美女側のどちらでもない、その地点にすら立てていない状況なら、そもそもナンセンス質問だが。

具体的にそういったことを考える必要に迫られる対象が現時点で存在しないなら、より普遍的な答えになるのは当然の話だ。

Q.魔法少女になりたがる大人が増えたのはなぜですか。

いい質問だ。

この情勢に対して大人現実をまともに見なくなったとかいロートルもいるが、そんなことはない。

古今東西、人は夢想したい時があるのだ。

有り体に言えば現実逃避である

そして、この夢想対象としては「今の自分とは違う何か」が選ばれやすい。

その対象として人々は様々な理想像自分と重ね合わせてきた。

しかし、これすら居心地が悪いものになるという人もいた。

なぜならスーパスターとして活躍する職業は、実際に存在しているものだったからだ。

そして、その世界活躍している人も実際に存在するのである

現実逃避のための夢想であるのに、現実がかえって今の自分を苦しめるのだ。

そういった人のために対象となったのが、魔法少女であったというわけだ。

なるために要求される才能だとか、努力方法といったもの不明瞭だからだ。

夢想するときに、そういったものロジカルに考えることほど無粋なものはないからな。

夢想というものは、なって何をしたいか、何をすればいいのかだとかがフワフワしている方がよい。

その夢想対象享受できる美味しい所だけ味わうために、魔法少女は都合が良かったというわけだ。

まあ私もニンジャになりたいとか、サムライになりたいとか言ったことはあるので、本質的には似たようなものだな。

それを大人がやるってところに世紀末を感じるかもしれないが。

もし現実魔法少女が本当になれるような代物になったら、恐らくほとんどの人は色々と理由をつけてなりたくないって言うんじゃないかな。

「なりたいっちゃあ、なりたいけど、どうしてもってわけじゃあない」とか、「自分が思っていた魔法少女はこんなんじゃない」といった具合に。

夢を夢で終わらせるというのも、それはそれで心の安寧を保つために必要ことなのだ。

傭兵フリーランスでやるのはやめておけ。

2017-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20170523113050

まず前提からして間違ってる

「ムカつくやつは殺したい」と「思わない人間」も普通にます

そこ自分基準で考えすぎ

 

そしてなぜ実行しないのかというと単純な話、それをやると自分不利益になるから

社会ルール公益性っていうのはちゃんと個人総体的利益に直結するようにできている

じゃなきゃ民衆否定するから維持なんてできない

信号を渡らないようにすることは結局自分らが得するから守ろうとする

生活保護とか刑務所更生施設とかも結局やったほうが全体が得する=個人にとっても得するから

倫理的に良いとか悪いとかはそういうマクロミクロ的な利益客観的説明する教育者存在しないのと

こどもには理解しづいから「どうとく」の授業で教え込まされる、それが親の教育しつけであったり

日本には宗教がないっていうのは道徳形成に神を使わないか

元来宗教っていうのは社会ルールを浸透させたいけどお前みたいなバカにも分かりやすツールとして使われてきた

でも日本には神がいないから代わりにそこは「世間様」になってる

世間様に悪いと思われることはすんなってことで教え込まされてる

 

ちょっと脱線したが要するに意識無意識で理性が利己的な判断をした結果が

「ムカつくけどこいつを殺さないでおく」

という判断になる

まり結局のところ利己的に判断しているにすぎないから理性で抑えられる優しい人ではない

それは法律道徳そいつの凶暴性に勝利しているだけでそいつ自身の凶暴性はちゃんと担保されている状態

から信じて送り出した法律道徳が負けた瞬間にアヘ顔になってそいつ包丁で暴れたり首をしめて殺したりする

人間の本性は絶対に変わらないからこそ対抗するために法が生まれ

薬であり飴である法を舐めてる限り大人しくしていられる

それが統治社会

戦争が起こるのは異なる統治社会同士だから相手を殺してもオッケーになる

同じ飴を舐めてる奴同士で殺し合うのは法が保障している利益を損失するからNG

 

ちなみに法、集団間での決め事やルール、しきたりの歴史は古く

マンモスを食べ歩きしてる時代から埋葬する=弔う習慣が確認されている

動物にしたって集団行動するものボスがいてそいつが法になる代わりに

所属する個体はその恩恵を受けるから逆らわない

それと全く同じ

他の動物ボスに逆らわないように大人しくできてるのにボスに逆らう猿はそれが本性

逆説的に言えば本性を隠せない時点でそいつ人間性が露呈しているのであって

理性=その人の本性だとしても第三者に元の性質が露呈した時点でお前の主張も覆されてる

まり酒に酔って暴行暴言してる時点でそいつの理性が本性だとしてもそいつの理性はくそってことになる

本当に理性あるなら酒をほどほどにしておくとかできるだろ

2017-03-09

ゼルダの伝説 BotW の何が新しくて何が新しくないか

私はオープンワールドが好きだ(以下略)。ということで、ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(以下ゼルダ)はオープンワールドの新境地!みたいな意見や、それXXが通ってきた道なんですけど…という意見両方に対してもやっとする、それなりにオープンワールドゲームをやってきた人から見たゼルダ感想というか、それをダシにしたオープンワールドに関する話。ネタバレはあまりまれていないと思うけど、未プレイの人はこんな文章読んでないで早くプレイするべき。

まず、何が新しくないか、という言い方は語弊があるけど、ゼルダゲームシステムには既存オープンシステムから学んだであろう部分が多く含まれる。例えば、塔を登って周辺地図を開放するのはFarCry他のUBIのゲームから引用だし、グライダーによる移動はJust Causeやバットマンアーカムシリーズの影響を感じる。他にも食料、素材確保のためのハンティング採取、細かく発生するサブクエスト、乗り物による移動やファストトラベルなど、「オープンワールド的な」システムが、ゼルダなりの味付けをした上で組み込まれている。

次に何が新しいか。この時代、真の意味で新しいというのは存在せず、何と何を組み合わせるか、何を入れて何を入れないかだとは思うけど、とにかくどこにでも登れるというのはかなり新しい。もちろん、源流としてのアサシンクリードSkyrimにおける「登山」も念頭にあるのは間違いけれど、アサシンクリードでは実は点と点の移動にすぎない上下方向の移動が、面として移動できるというのはすごい。Skyrimで麓の街を経由せずにハイ・フロスガーに到達してしまった身としては、ちゃんとゲームシステムとして成立する形でクライミングが組み込まれているのはすばらしいと思う(これはクライミングを前提とした地形の設計も含めての話なんだけど、長くなるので割愛)。

実のところ、マップのあらゆる地形に立てるというのは、特にアクション系のオープンワールドでは珍しくはない。JustCauseでは飛行機からダイビングパラシュートでどこにでも行けるし、Crackdown(RIOT ACT)やSaints Row 4では自身身体能力により高層ビル屋上にも軽々と登れてしまう。ただ、こういうアクション寄りのオープンワールドは大味になりがちで、一番高いビルに登るには、ちょっと高めのビルを経由するだとか、戦闘も上空からミサイルぶち込みますみたいな感じ(これはこれで好きだけど)だったりするので、移動の自由さを確保しつつ、精度を持って成立させているところは他にはない感じがする。

精度という意味では、任天堂のいうところの物理エンジン化学エンジン(http://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1047403.html)による謎解きその他もすばらしい。これは従来のゼルダからの流れももちろんあるけど、手持ちのアイテムスイッチが押せたり、ダンジョン内のオブジェクトで火をつける代わりに火の矢を射つだとか、思いついたことが実際にできて通用するし、従来Havok神加護のもとでは成立し得ないと思われてきたことを実現しているという意味でも出色の出来だと思う。

ということで、ひとまずの感想としては

よくある洋ゲーオープンワールドゲーを、複数煮詰めて煮込んでアクを取ってゼルダ味をつけたようなゲームといえば、そういう感じなのだが、これが、よくもまぁ最終的にキッチリゼルダ味に仕上げたな、という出来だと思う。

http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-3384.html

にかなり近いんだけど、今までのオープンワールドの要素とゼルダ的なるものを組み合わせて出来上がったもの総体的に新しいプレイ体験を供していると言っていいんじゃないかなー、どうかなー。

以下蛇足

武器、盾、弓のインベント管理(具体的には「すてる」)が面倒なので改善してほしい。方向キー+Rスティックの左右で選択だけど、下で捨てるとか。

追記

追記カッコワルイのはそうなんだけど、滑空(グライダー)について。言葉が足りなかったのが悪いんだけど、空中である程度の高さにいれば常に滑空動作に入れることで移動の自由度が上がる例として挙げたので、神々のトライフォース時のオカリナコッコを指して(というか今作も出来るよね)すでにあったと言われても、うん、そうじゃないんだよねという感じ。これ以外のゼルダに関しての滑空についてはわからないのでごめんなさい。というか、神々のトライフォース時のオカリナも(3DS版だけど)プレイしたし、洋ゲー好きな人任天堂ゲームとかあんまりやらないんでしょみたいのも偏見ですよねー。

2017-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20170304221255

から、あれを「型どおりの反抗、型どおりの和解、型どおりの成長」としか見れていない人は、

あれをそう捉えなかった人の目に映っていた高解像度の微細な捉え方をすべて無下にしている、そういう傲慢さがあるわけだよ。

あなたがそう思ったことは勝手だし、ファンの人が受けた衝撃や感動の「種」になっていたさまざまなウンチクには永遠に辿り着かないし、そんな「種」の存在があることも想像すら及ばないだろう。

そういう人がいることはそれでいいけれども、だからと言って作品矮小化するなと言いたい。

自分より心から楽しんでいる人がいて、ついでに世間的にもヒットしているのなら、「自分には合わなかった」と思うだけでよい。

「見たけど下らなかった」みたいな事をあえて言う下劣感性の人が、ネットには多すぎるから辟易しているんだよ。

特にアイドルものなんかはジャンル自体への偏見もある上に、一部のファン気持ちさゆイジメられやすい。

からそういうキモオタなんかを揶揄したい人間が、作品にその矛先を向けることも多々あるように感じる。

まるで「自分はまともだぞ」「自分もっといい趣味してるぞ」「自分はそんなチャチなものどうかと思う」と言って、

自己肯定のために作品を貶めているように。

けれども、どんな作品ファンにも必ず、自分より優れた知性を備えた人がいる。いい歳のいい肩書もった人がファンだったりもする。

例えばあなた海外ドラマを高く評価していて、アニメヌルいと思っていたとしても、その両方にあなたより精通していて、そのどちらも高いレベルで楽しみ評価している人がいる。

あなたに無い着眼点でみる人、例えばまどマギ仏教文脈で語る僧侶や、ラブライブマネジメント文法で語る人などもいる。

とてつもない熱量で、自分では気づきもしなかった考察ブログで重ねている人がいる。

鳥肌を立てながら、そこまで考えて作られていたんだと気づき敬意を表する、そんな純粋さが馬鹿にされてはいけない。

そういう人の存在無視して、一括りにファン自分より感性下劣であり、作品も見下してしまってもいいだろうというような傲慢判断をする人は、

自己顕示欲支配されている以外になんと表せばいいか

そういう視点でつけるケチは、結局いつも表面的な部分しか捉えていないことを銘記してほしい。

ロックバンドオマージュをするのが陳腐からと言って、別に作品としてはその部分でいかに新しい表現をするかを競っているわけではない。

あの回の迷走の仕方はなんでもよく、あれを通して何を伝えたかったのか、そこに注目してみてあげるのが作品に寄り添う普通見方だろう。

ネットには、瑣末な描写言動や辻褄に「あーハイハイ」「なんでやねん」となって気を取られてしまい、総体的評価をフェアに出来なくなっている人が多く見受けられる。

妙な「事情通」ぶった自負があるせいか、へんなところに神経質になって気を取られ続けているため、素直にみていれば感動に繋がるはずの布石を取りこぼしている。

あるいは、元から上から目線で鑑賞していて素直に楽しむ気が元からないせいで、些末なツッコミに躍起になるのかもしれない。

ともあれ、物事が「いかに深いか」を十分に言語化して語ることはものすごく難しいんだよ。前提知識が多く多岐に渡るし途方もなく長文になる。

対照的に、物事が「いかに浅いか」を語って揶揄するのは簡単だし、そういうネガティブ情報感染力も高い。

から自分が良いと思えなかったものにも、自分には捉えられなかった「深さ」があるのだろうなと斟酌して、静かに離れていく美徳を身に着けて欲しい。

それは結局、デフォルト他人尊敬するという良き人格に繋がっていく。

逆にそれができないで、何かをこき下ろすことに快感を感じる性質卒業できないままだと、いずれ何にも感動できなくなって脳が凝り固まってしまうだろう。

間違っても、今後はそんな「『○○でござい』なんて言ってて本当にいいの?」みたいに他人を冷笑する考え方に陥らないでほしい。

ネットを見ているとそういう不遜な思考回路にあふれているから、ネットを離れない限り難しいかもしれないけれども。

2017-02-03

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.好き嫌い意思表明に是非は問えますか。

答えとしては「好き嫌いの表明は自由だが、尊重されるのはそこまで」といったところだ。

評価されるものというのは、総体的に見て賞賛批判が表裏一体の存在である

でなければ、それはそもそも評価に値しない(賞賛批判もするような代物ではない)。

故にそれが評価に値するという前提が共有されているなら、「賞賛することそのもの」や「批判することそのもの」に是非を問うべきではない。

だが、担保されるのは行使のみである

評価する人間は、評価される人間でもあるしな。

ここを混同して、意思の表明そのものまで脅かしたり、脅かされたと認識する人も少なからずいるが。

Q.内容の是非が問われているのに、意志表明そのものを脅かされたと誤解する人が出てくるのはなぜですか。

主張の是非について語る上で重要なのは大まかに三つの段階がある。

一つ目は前の回答の「行使」だな。

二つ目は「筋道」。

先ほどもいったが、意志の表明そのもの自由なので是非は問えないが、それをどういった筋道で表明しているかには是非が問える。

ザックリいえば、法的に、道徳的問題のない、正当な範囲内での手段意志を表明することだ。

三つ目は「内容」。

これは主張する内容の妥当性だとか正当性だとかだな。

例えば正しい筋道行使された主張であっても、内容の是非は別の話だっていうケースもあるし、主張の内容に妥当性があっても筋道が成っていないというケースもあるということだ。

だが、これら段階を常に一纏めにして解釈する人もいるのだ。

筋道のせいで否定されようが、内容のせいで否定されようが、結果的にはその主張を否定していることに変わりないこともあって、意思表明そのものを脅かされたと混同する人が出てくるわけだな。

当然、前の回答で語ったように意思の表明そのものを脅かすというのは、行使する権利のもの否定したときであって、その筋道や内容の是非について語ることは可能なのである

ああ、そうだ。わざわざ言うことでもないかもしれないが、私の答えはあくま教養必要としない人向きの答えだから、ちゃんとした答えを手に入れたければ君自身勉強することだ。

2017-01-21

[]

ここで書き捨てている私がいうのも何だけれども、感想とかは各サイトアンケートや、ツイッターで呟いたり、フェイスブックシェアなりするのもオススメ

まあ、他にも何らかの目的や拘りがあるなら、自分ブログとか別の媒体で書くのも大いにアリだと思うし。

コンテンツが盛んになる上で、そういったリアクションが表に出やすくなっている状態というのは、総体的には受け手にとっても作り手にとっても良い側面はあるんじゃないかな。まあ何の根拠もない主張だけれども。

今回の感想となりのヤングジャンプ

悟りパパ 29話

ありし日の思い出と、紡がれるちょっとしたロマンス

プロットはありがちというか普通なんだけれども、大真面目にやればやるほど非現実的な要素が余計に浮くんだね。

自分でもなぜか分からないけれども、「ピッカー」の時おもむろに手で顔を覆うマスターや、最後の柱コメントに書かれている「悟りきれない夜もある」とか、どうでもいい部分が妙にツボだった。

余談だけれども、同じ作者がツイッターで描いている別の漫画のまとめが、ちょっと前にホッテントリになってたね。

実はツイッター漫画はほぼノーチェックなので、ホッテントリになってるのを知ったとき「ああ、あれ描いているのと同じ人なんだ」と思った。

私とは逆に、『悟りパパ』を読んで「ああ、あれ描いているのと同じ人なんだ」なんて人もいるんだろうなあ。

しをちゃんとぼく 第12

おねしょなあ。

私はおねしょ含めて漏らしたことはここ十数年の間はさすがにないけれども、匿名ダイアリーでも漏らしたって話はちょくちょく出ていることから考えると、年齢問わず身近なことではあるんだろうね。

漏らさないよう気をつけても、漏らすときは漏らすんだろうけれども、だからといって気をつけて行動することが無駄ではない。

リスクヘッジみたいなものだよね。

といったことを、しをちゃんが年季でもって語るかと思いきや、あのオチ

長年生きているせいで、記憶の引き出しも滅茶苦茶になってるんだね。

その上で出てきたあのオチはご無体だが、本作は残念な不老不死を設定にしたコメディから、長年生きた経験すら活かされないという展開は予定調和ではあるのか。

空気人形と妹 第9話

最近はこのテのアイテムに関しても知識として教えている学校あるらしいけれども、私のときはどうだったけなあ。

なんか妙な形状の器具ばかり覚えていて、「え、物理的に可能なのだろうか!?」みたいな記憶はうっすらある。

それにしても、セリフ含めたボケ密度が相変わらず凄まじいね

中には構成上全く無意義なのにも関わらず、唐突ギャグまで差し込むあたり全力疾走だ。

こういうスタイルギャグ漫画って、1話ごと期間を空けて読む分には面白いんだけれども、緩急があまりないので一気に読もうとするとエネルギーの消耗が激しいんだよね。

ゲノム』とか密度の高いギャグ漫画は嫌いじゃないんだけれども、1巻読むのだけでも度々休憩を挟んでたなあ。

2017-01-16

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「騙されるほうが悪い」とよく言いますが、本当ですか?

……前に似たような質問なかったか

あいいか結論からいえばYESでもありNOでもある。

なぜなら、「騙す人間」という問題と、「騙されないように注意する」という問題は、因果こそあれ別の問題として捉えたほうがいいからだ。

昔、痴漢とかの話で「露出の多い服を着るのも悪い」とかいう主張があったが、では扇情的ではない姿ならば痴漢をされる可能性がゼロになるかといえばNOだろう?

様々な要因が絡み合う問題に一つだけの原因や是非を求めようとするからおかしなことになるのさ。

まり「騙すほうが悪い」というのは、「騙されないよう注意する」という側面から見た場合には悪いねという話と解釈すればいい。

リスクヘッジみたいなものだよ。

騙すほうを擁護しているってわけでも、総体的に見て騙されるほうが悪いってわけでもないさ。

まあ、中には本気でそこに大きな原因を求めたがっている人もいることは否定しないが。

Q.そもそもリスクヘッジは考えるべきことですか。

そりゃあ、この世からなくすよう努めてはいものの、完全にはなくならないであろう事柄はいくらでもあるからな。

そーいうものを「ある」という前提で臨むことは社会で生きていく上で基本の処世術といえる。

例えば人は嘘をつく生き物だし、嘘をつかれる生き物であることも周知だ。

ならば、その前提で臨むことは自然の摂理ともいえるのである

例えば匿名ダイアリーに書かれた話をマジになる人間を迂闊だと評することは、決して不当ではないだろう。

私の質疑応答には嘘と本当を自ずと見分けられるノウハウがつまっているので、ぜひとも参考にしてくれたまえ。

子供たちがサンタクロースからリスクヘッジ重要性を学ぶように、私たちも常に研磨しなければな。

Q.なぜサンタクロースからリスクヘッジを学べるのですか。

そんなこと私は知らんよ。

最寄のサンタに聞け。

2016-11-29

日本人じゃないんだなっていうけどお前は日本人辞めろ

同じ日本人としてはお前のようなゴミクズがいるせいで日本人総体的価値が下がるからとっとと消えて欲しい

どうせ反省して改める時間的余裕も伸びしろもないんだから

若者の方を再教育して席をどうしたら穏便に譲らなくて済むのかの方法を教え込むほうが建設

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161107212010

ラムラ感が欲しいならアシュワガンダ

勃起力ならヨヒンビン

総体的な性欲アップなら亜鉛

ヨヒンビンは効果あり過ぎて少し怖い

マカとかあんまり効果ないらしいよ医学的には

2016-11-04

未だにAV業界や夜の仕事ヤクザシノギになっている説

そりゃゼロではないだろうけど、ホント合法AV業界やら水商売性風俗なんかがヤクザシノギとして現役なら、

もう少し今時のヤクザ界隈の金欠体質がマシになっているんじゃないかと思ったり。

実際のところは、非合法なやつも含めて、ほとんどヤクザには流れてないんじゃないだろうか。

金主だって利益がある限りは裏家業で稼ぐ連中がヤクザである必要はないわけで、

彼らに余計なリスクを負わせるよりもヤクザフリー仕事させるでしょ。

奈良県議(市議?)の事件でもわかるように、一般人ヤクザみたいな仕事を気軽にやってるのが現代的な現象で、

ヤクザじゃない連中がヤクザ以上にヤクザっぽいというカオス現実なんだよね。

フロント企業うんぬんというのも、まあヤクザ層の上澄みのポケットマネーに入っている可能性は微レ存にしても、

それが組やら界隈全体を潤しているとは到底考えられない。それだけヤクザの人たちって総体的に飢えてる。

2016-10-29

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今回は裏サンデー

ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス 15話

いよいよリンクお約束の姿になったな。

姫川先生の時オカもムジュラのコミカライズも当時読んだ身としては、これ見るといよいよ「キター」という感慨になるんだよね。

これまでも原作を踏まえた上で独自オリジナル描写があってそれはそれでよかったけれども、トワプリ自体が異色の世界観から実感が湧きづらかったというのもある。

棲家(すみか) 11

おお、こういうのも描けるんだ。

人間の暗い情念と、それをどう実行するかっていう内容が凝ってて感心した。

私は作品評価するとき観念的な部分で合う合わないを決めることはあっても作品の出来自体は別と考えている。

例えば、今回は「合わない」けれども、総体的には評価したい出来だった。

ケンガンアシュラ 162話

まあ、どちらが勝つかは予想通り。

さすがに、今回ばかりは予想通りじゃないと期待はずれでもあるし。

スマートに勝ったように見えるが、一発でもモロに貰えばアウトな攻撃である以上、ギリギリだったともいえるし。

関節の決まらない相手をどうするかっていうと、骨を折ればいいじゃないというコロンブスの卵的発想は、まあ意外でも何でもないというか考えればそれしかないよねーとも。

ねじの人々 第23

ひでぇ!

最後最後に、オチでヒヨりやがった。

散々バンジージャンプのことを語って、いざ跳ぶ瞬間になって回れ右するような肩透かしだよ。

まあこのあたりが理想現実狭間を反復横とびしなければならないマンガにおいては、落とし所として妥当ではあるんだろうね。

身も蓋もない言い方をすればほとんどの人はブスが嫌いなのだ

でもブスだからその人のすべてが嫌いだという人は少ないように、人間総体的評価される。

のだけれども、比重として大きくなりがちなのはどうしようもないわけで。

観念的な是非を語り続けても、その潜在的認識はどうしようもないことを現実問題として分かっているからこそ、取り繕うのが現在社会正義であり、それもまた真実

から、作中の展開もある意味で「共同幻想」の範疇ではあるといえるから、責めるものではない。

ただ、私としてはアクセルを踏み切れないなら、最初から難しいテーマを弄んだり大言壮語を吐かないほうがいいと思ってしまう。

サツリクルート 45話

カンニングしたところで正解があるとは思えない設問に、なぜここまで執拗制裁を加えるのかってなると、まあカンニングされたら困る何かがあるからってことになるんだろうね。

で、モブキャラもそれに気づき始めているあたり、ここに来るだけのことはあるってことがほんのり描写されているね。

設問自体は、やはりただのアンケートっぽいようだが、じゃあこの試験意図がどこにあるかなんだよね。

ハンターハンターの「沈黙」みたいなのはできれば勘弁して欲しいけれども(あれも理屈としては理解できるんだけれども、問題としてズルいという印象が拭えないんだよね)。

まあ、それ以前にピンチだけれども、どう切り抜けるんだろうか。

妹たちにやかせたい! 1~2話

どっちかっていうと、グルメというより、経営家族コメディみたいな感じか。

主人公と妹たちが、親から任されたもんじゃ焼き屋を切り盛りしつつ、なんやかんやしていくんかね。

常連などが協力してくれる展開だとか、地元根付いた店という設定がいい感じだな。

まあ、この方向性ウケるかどうかはともかくとして、間違ってはいないと思うよ。

いってはなんだが、もんじゃ焼きは絵としては映えないから、別のところで面白く見せる必要があるからね。

DOG END 9話

搦め手使う奴は大して強くないパターンだったか

訛りで喋りながら気合頭突きをお見舞いする場面はそこだけ抜き出す分には唸るんだけれども、敵が迂闊すぎる、大したことないっていう印象の方が強くなってしまうな……。

前の敵が身一つですごく強いタイプだったから、二人がかりで搦め手まで使って、片方は殺し屋でもない奴にやられ、もう片方はフラット状態で戦った途端に瞬殺とかい体たらくだと、ちょっと肩透かしと思ってしまう。

なんかメタ的に穿った見方をするなら、「前回の敵が異質すぎただけで、主人公トップクラスに強い奴だし、警察も足手まといってわけではないんですよ」ということを説明するために適度な強さの敵をあてがわれた感じ。

2016-10-09

[]

今回は少年ジャンプ+

i・ショウジョ+ Ver49.01

子供のころ、「何でもできるからって、何でもさせてはいけない」みたいなことを言われたことがあるのを思い出す。

何を対象に、誰に言われたかも思い出せないが、スマホってのもそれに当てはまるよなあ。

使いたいときに使えなくなるのが一番困るのに、それが往々にしてあるアイテムであるという認識が薄い。

本編の話は、シビれることで充電可能に、なら電気あんまなら電気ってつくくらいだからシビれるだろうっていう馬鹿な発想に不覚にもやられた。

しっかり酷いオチもついて、前回のぶっ飛んだエピソードよりは、これくらいの方が私的には丁度いいかなあ。

名前をつけるときは、その場のノリでつけると大抵あとで頭をかきむしりたくなるのに、その愚行を犯す人間は後をたたないよなあ。

ラブデスター No.76

様々な人物の思いが錯綜したり、色々な要因が重なった結果とはいえ、ミクニ自身責任が全くないかといえばウソになるしなあ。

これだけカオスなことになっているのに、それらがミクニに集約されるってのが面白い

まあ、かなり強引な展開だと思うが。

そんな中、敵役のささやかな激励ともとれる発言が、ミクニを鼓舞するっていうのはいいね

オニマダラ 4話

私に露悪趣味はないんだよね。

それでも、総体的評価にはしないから読んでいるわけだけれども、ちょっと雲行きが怪しくなってきたな。

露悪趣味が、ストーリー構成まで巻き込みつつある。

そういうトーチャーポルノ的な部分もコンセプトに含めているのだろうけれども、メタ的にみて過剰ともいえる演出には眉をひそめたくなるなあ。

今後も露悪趣味全開でやり続けるならそれはそれで結構だけれども、メタ的に犠牲にしなくてもいいものまで犠牲にするのは、「ファイアパンチ」の作者と似たような悪癖を感じる。

フードファイターベル 45話

前回とほぼ同じパターン

まああからさまに意図的だが。

でも、厄介なピザ対策にやっていることは前回と違って明らかに無茶苦茶だっていうのが面白いね。

まあ、展開そのものは同じパターンなので、構成面での面白みは薄いが。

次回もなんか変なピザ出てくるようだけれども、これでまた同じパターンだったら、さすがに多少違っていてもウンザリするかもしれない。

2016-10-02

[]

今回はコミックウォーカー

エムさん。 第10

今に始まったことではないがレベル高いな……。

様々な性癖意識の高さを、ここまで言語化しつつ個性化するって並大抵のことではないと思うんだが。

もちろん、もっと大局的に漁ればディープに取り扱ったものはあると思うんだけれども、このレベルのが一般誌で描かれているってのがスゴイ。

架空TSっていう要素を風俗にするという、それだけで出オチものジャンル醍醐味まで含めて語りつつ、ギャグにもちゃんとするとか。

ススメ! 栃木部 第9話

今回はガッツリ紹介されたな。

人気の観光名所あやかっている上、それが見向きもされていないってところに悲哀を感じる。

ブスに花束を。 第1話

最近、「ねじの人々」という漫画で、漫画登場人物の美醜について語られていたこともあって、どう評価すべきか戸惑うタイトルテーマ漫画だな。

内容は、学級カースト下位の女子である主人公が、ある日クラスメイトカースト上位に注目されるっていうストーリーか。

現状、悪役が存在しないので、そこまで読後感は悪くないね

はいっても、主人公ネガティブ思考で、謙虚というよりは卑屈感のほうが強くて、毒気がないといったらウソになるが。

まあ、そのあたりは意図的にやっているんだろうし、コンセプト的に仕方ないんだけれども、どうしても作風から漂うポルノじみた承認欲求をくすぐる要素が、鼻につく人は多いのかもしれない感じはする。

まあ私は、ポリコレ的な、コンプライアンス的な理由で合う合わないを表明することはあっても、それで作品総体的評価までを決めるタイプではないので、とりあえずは数話は読んでみてストーリー構成なり作風が合うかを確かめようかな。

2016-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20160902220031

アーティスト購入者価値還元できる

>それだけの価値を持っているということなので

価値」とはなんでしょうか。

ライヴ価値とは、本来は「ステージの中身」なはず。

しかし前売りでのこのような市場にて飛び交う価格は、あくまでもタレント看板だけの「タレント価値ネームバリュー)」であって、

有名著名タレントからというだけに殆ど依存された状態にあります。実際の中身はここでは完全に度外視された状態にある・・

これが実に不透明であり、不安定であり、実態のない価格になる・・。

一般商品に置き換えてみましょう。

とある、何代にも渡り市場の中でステータス確立して来た、Aという人気ベストセラー自動車が新型をリリースすることになったとします。

「今まで総じてよいデザインだったし、エンジンも作りも他より毎度抜きん出ていたから、今回も良いに違いないだろう」という前評判は生まれやすいでしょう。

これはいわゆる「期待値」。実車写真スペック等、メーカー発表も何もない状態の中、価格だけを先に発表。

それを受けて早くも市場にて、期待値のみで価格が変動、高騰していく・・

中身を全く把握されないのに、定価と過去の実績や経緯からまれた「期待価格」だけで市場価格が先行していく・・こんなことはあり得ませんね。

ライヴに特化すれば、これがあり得るとし、事前にオークション販売にて価格釣り上がって行くことが、果たして健全商法なのか!?と。

「事前価値」はあくまでも「仮の価値」なわけです。決定価値ではない。

もし本当にオークション販売など主催者がやるとすれば、せめてゲネプロプロモ映像ステージ写真等を参考資料として、事前に揃え明かさなければならないことになります

ライヴとは、行って初めて分かる、「開けてビックリ玉手箱」の要素が本分でもありますから、それはそぐわない。

からゆえ、プランに基づいた「制作費」を基礎に定価を定め、なるべく均等広範に売ることが結局はベターなのです。

「高額転売」のみに言及特化しようとするため、その手法のみに知恵を講じようとしますが、それ自体はよいとしても、

その有り様がライヴ興行のあり方や根本構造、ひいては多くのファンの純然なものまで大きく揺さぶり変えるとすれば、

メリットに対してデメリットの方が勝ってしまう、ということでしょう。

よって、オークション販売などは多くのアーティスト側が望まないことは容易に想像がつきますし、

長いプロモーション活動の中に位置づけられるライヴを、点ではなく線で勘案しているアーティストサイドとしては、

このようなやり方は不健全である認識するでしょう。無論、時として特別企画を全面にし、このような方式がとられることは有り得るでしょうし、

またそのような他のアーティストとは一線を画した、特異なアーティストが現れることもあり得るでしょう。

そしてそのアーティスト独自手法で探求していくという活動を行うことも、それはそれとして構わないとは思いますが。

但し、後者場合そうした「広範な音楽市場から分離した」、「二極化孤立化された」状態で長く売っていくことはおそらく至難の業であり、

極々狭い領域特定ファンだけしか対象にしないと端から決め打ちし、僅かの利益で細々と生きていくとするならそれでもいいでしょうが

そう望むアーティスト等皆無に等しいでしょう。

ライヴにおける本当のWin-Winとは、グッズや付加要素で、小手先だけで埋めるのではなく、多くのファンが一律に目の前のステージにて

アーティスト価値を共有する、ライヴ自体価値を共有する、そのボルテージや反応によって更にアーティスト昇華する・・

その場その時だけの特別空間ボールを投げ受けし合う・・ものにも多少よるものの、そこが核であり、それをファンアーティストも期待します。

その本分を中心に置けば、ファン二極化してしまうような売り方は受け入れられない、となるでしょう。

なので、高額転売に対する方法論は、諸悪の根源とも言える手法販売元が公式的に成り代わり行うことではなく、

本人確認等のテクニカルものを探求し構築、法的な整備、そしてファン側のモラル・・多面的に、同時に回して機能させることが総体的抑制となるってことでしょう。

何か一つだけ特化しても限界障壁が出て来る可能性は大いに有り得ると思いますね。

[]

今回は裏サンデー

ヘビのたまご 第9話

うわ、もう殺しちゃうのか。

仮に死ぬとしてもしばらく先かと思ってた。

でも、う~ん……大してバックボーンがちゃんと描写されていない状態での退場だから、正直イマイチのれない。

世界観というか、この作品方向性を伝えるという意味では十分な役割を果たしたとはいえなくもないが。

国王理屈は、都合のいい解釈で、そもそも今回の事件を手引きした黒幕であるからすごく白々しい。

のだが、当事者の誰かがもう少し思慮深ければ起こらなかった、或いはそこまで酷くならなかった事態だったわけで、その点を考慮するとデュランは口をつぐむしかないわけだ。

後半のジンの答えは、大したことは言っていないのだが、まあ間違っていない。

桐生先生恋愛がわからない。 30話

うーん、二人のあたりの理屈は正直よく分からない。

そもそも、男女逆転させて性差を語るっていう発想は創作的観点から面白い思うけれども、マジになって語ろうとすると安易というか。

身体性差からくる、恋愛感やセックスなども含めた意識の違いというのは傾向として勿論あるのかもしれないが、そのほかの要素も加味して、総体的にかつ相対的判断しないと、どこかで齟齬が生じるだろう。

しかも、ここに個の問題を含めて考えないといけないわけだから

そもそも、たらればで地に足のついてない話で持論を担保するのって、結局は共感ゲームの延長線上にしかならないと思うし。

鐵血のアマリリス 最終話

まあ、打ち切りですな。

まあ、まずは作風が読者の何割かを遠ざけたのは間違いない。

リョナとかトーチャーポルノとかは一般受けしないんだから、その他の要素で面白く描かないといけないわけだが、それも拙かった。

DOG END 第2話(後編)

自分より体の小さい人間を盾にしたところで銃弾全て防げないだろ。

ましてや相手真正面以外からも撃ってきているわけで。

あんだけ規格外の握力とか腕力があるのに、普通に銃弾かれちゃうんだとか。

なーんか、ところどころ雑なところがあって、それが気になるせいでノりにくいんだよなあ。

2016-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20160901171206

で、本文についてですが。

これには複雑な興行の仕組みをある程度把握せねばならないと思いますし、多面的に勘案する必要のあることと思いますから

一口にはとても言い切れないのですが、挙げられる複数の想定された大半の理由は少々穿った見方過ぎてどれも該当しないでしょう。

しいて言えば、6と10は関連性がある・・。

根本的に音楽業界・・とりわけアーティスト側の総じた意向としては、音楽は誰彼身分わず公平広範に広めたいという核がありますので、ライヴも同じとみなしています

今回の件で経済学者等の一部から市場原理」等を基にした理論展開がありますが、元々音楽という文化はその原理とは異なる、同じにならない、

同じにしてしまうと理念の部分とは乖離してしまうので、独特のスタイルで発展して来た産業ともいえます

先述の投稿内容とリンクすることですが、ライヴに特化した場合オークションのようなスタイルにすることは、

仰るように転売等の抑制排除に何らかの作用があるとしても、本来理念とは逸脱してしまう・・ざっくり言えば

「ン万円にもなるチケットを時に若年層にも買わせてしまうことの道義的倫理的問題が立ちはだかる」、ということでしょうか。

“いやいや、現実的に既にそうなっていて、それでも購入する者がいるじゃないか・・”という声もあります

そこで重要になるのは、その客は積極的能動的な意思にあり「高額でも惜しまない、それだけの価値が有るのだ」としているのか、

それとも「本当は定価で買いたいが、手に入らないので仕方なく他所から買うしかない」とする“消極的理由”が背景にあるのか・・。

正確に分類把握することは難しいですが、おそらくは後者が多いだろうと思われます

声明にもあるように、高騰することは次回やその他のアーティストライヴCDやグッズ等といった広範のセールスに影響が及んでしまうという

売り手側とファンの首両方を絞めることになる・・ということでしょうね。単発だけのライヴやその収支、ファンに拠る一つだけの出費や意思だけで観るならまだしも、

長期的・総体的に観れば決して好ましい販売方法はいえなくなる、と。

一方でそのような販売体制は、販売するプロモーターからすると、販売期間が定められ、短期間の中で売り捌かねばならない特性上では、

手間やコスト的な側面に加えて、金銭の計上的にも販売動向の数字上でも、販売管理全般がし難くなる・・。

結局アーティスト側、販売側、ファン・・どれを取っても利点は少ないと考えているわけですね。

勿論転売対策必要であり、ファンサイドや転売屋方面に向けた「啓蒙」だけで解決するとは端から思っておらず、

取っ掛かりとして先ず大々的にこの件を打ち出し、モラルと共に広範で問題認識議論を巻き起こしていく、最初ステップだと捉えているようです。

また、法的側面でデリケートな部分が障壁ともなっており、もはや業界内で何かテクニカル手法をとっただけで解決しない領域に来ている・・

そのため行政方面にも間接的に問題提起させたいという意向は、既に明かしています。他方では、行けなくなった客に対する救済措置

座席価格格差設定等、再考していくとの意向も示しているようです。

http://anond.hatelabo.jp/20160901171206

先ず、上の方の内容は一部誤解を生むと思いますので、訂正をかねて。

販売であるイベント主催者

一般世間から観る「主催者」というのは、コンサート運営している業者アーティスト事務所・・それらひっくるめられ「全般」として解釈されている場合

チケット販売コンサート運営業者・・即ちプロモーターを指して言われる場合と混在していると思われますが、上の方が書かれているように

主催者コンサートプロモーター」とするのが正しいでしょう。厳密に言うならば、アーティスト事務所主催名義ではなく「企画制作」という枠組みに入る場合が多く、

契約内容の如何はあるものの、現場は主にプロモーターが取り仕切り、アーティスト事務所基本的に前面に立たないので、尚更プロモーター主催者と捉えるのが適切と思います

その上で。

コンサートプロモーターと言う会社は、別にチケットが高騰してファンが困ってるかどうかなんて気にする必然性がありません

これは正しくないというか、粗い言い方であり誤解を生んでしまうと思います

確かに完売目標にありますから、一枚でも多くのチケットを売りたいし、売れることに尽力するのがプロモーター仕事です。

プロモーター毎で年間抱えるライヴ興行は異なるものの、多くの催事を擁しており、これも各々異なるものの、全体の中で容易に売り切れるライヴはそんなに多くない・・

多少の程度にかかわらず「残券」が発生するライヴの方が寧ろ大半を占めるだろうと思います

そんな中で、瞬殺完売のように短時間短期間で売り切れるものは楽ですし、逆に言えば人気のあるとされる代物ほど、何かの関係で売り残しが出てしまうことを避けたい・・

からこそ、言葉はよくないですが「さっさと売り切ってしまいたい」という潜在的欲求がある。

その意味では「売り主体」となり、売ってしまった後のチケットの動向など関与していられず、それを込めて「ファンが困るかは気にする必然性がない」、

まり購入者より自分ら優先・・という言い方や解釈になっていると捉えられます

しかし、あくまでもそのライヴ一本のみで捉え、極端な話その一本が終わればおしまいといった、個別だけで観れば“売りっぱなし”でいいかもしれませんが、

総じてアーティストの次回以降の開催にまで影響を及ぼすものですし、そのプロモーターは特段の事由がない限り次も仕事を請け負いたい(開催したい)はずなので、

顧客蔑ろにすることは次回の販売へと影響をもたらすことに繋がり、「ファンが困ることを気にしない」姿勢プロモーターの評判は勿論、

アーティストサイドの評判や評価、即ちタレント活動のものに向いてしまい、悪影響を及ぼすこととなります

なので一本だけ、個別のみに特化して単純に言ってしまえば上の方のような解釈になってしまますが、実際そんなことはない・・

全国津々浦々大小のプロモーターがいますので、そのような資質にあるプロモーター存在していて不思議はありません。

ですが、一本のライヴタレント活動という長いスパンの中の「点」であって、プロモーションという側面で観れば既存ファンを維持しながら

広範の世代新規ファンへと拡大したいという目的がありますから、「繋いでいく」以上、繋げていく以上プロモーターに拠るファンの動向は、

プロモーションとして請け負うことを本分にしているプロモーターであれば決し無視出来ず、ファン蔑ろにしていいとは思っていないはずです。

もしそのような質の悪いプロモーターがいたなら、それはプロモーターではなく「イベント屋(請け負った催事をこなすだけの仕事)」の資質、体質にある企業と思います

よって、多く買ってくれる転売屋は、チケットの売り上げだけ観れば結果的に“助かっている”側面は確かにある。

しか現在の高騰市場の拡大は、タレントプロモーションを担っているという意識プロモーターがあるなら、総体的にはやはり問題だと思っている・・

正しくは、益々無視できなくなって来たと認識しているはずです。

尚、意見広告プロモーター名が入っていないのは、単に協会名に集約しているに過ぎないということで、

名前を載せていない=各プロモーター積極的同意していないから」 とするのはあまりにもミスリードを誘う不適正解釈でしょう。

2016-08-10

これネットの闇の核心に触れてるんじゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20160809152948

偏差値ではないけど、この感じ、既視感ある。

2ch辺りでアニメアンチたちのアニメ批評なんかを眺めてる時も、理解の断絶を感じることが多い。

アニメ言語化しないぶん、より意図を汲み取れないで妙な邪推してしまう人が多いよね。

 

私が思うに、こうした現象メカニズムはこう。

偏差値というか、ASD傾向がある人あたりが、想像力障害ゆえに突飛な解釈をする→

長文で説得を試みられてもコミュニケーション障害ゆえ納得できない→

反発してますます偉そうにネガティブ解釈喧伝し、目立つ→

感化される人も増える、ってサイクル。

 

ものごとの妙味って複雑で多面的な要素が絡み合っているものから

言葉説明するのは困難だし長文になる。

でも言語化できないまでも、おおかたの人はなんなく汲み取れるんだよね。

本筋のメッセージ性とかの大事な部分を。だから総体的評価ができる。

ASD気味の人は些細なシーン接続齟齬とか曖昧さがあると、

もう脳内補完をしてあげる事ができなくなり、理解が途切れてしまう。

からそこで全てが台無しのように感じてしまうし、

結局自分の思い描いた筋書きしか受け入れられないようになってしまう。

 

このようにファジーな文脈解釈をするのに高度な脳機能必要となる一方で、

作品ネガティブな印象を与えるには一面的なことを短文で罵倒するだけで十分。

健全メンタルの人でも、その一面のネガティブ解釈に注目してしまえば、

他に読み取れたはずの多面的要素を容易に意識外に押しのけて、

まるで陰謀論に取り込まれるかのように感化されてしまう。

 

こういうネガティブサイクルが、ネットのそこかしこで見られる。

それでどんな話題においても、プロ水準の造詣の深さや視野の広さを持っている人の声よりも、

素人のパワフルな罵詈雑言の方が支配的になるし、正義面をするのもうまい

一番象徴なのはヤフコメかな? でも最近ブコメも大差ないかな。

 

まあ、啓発が進んでる分野では、ネット素人意見プロのそれに近くなる場合もある。

たとえばエスカレーターは歩くなとか。

はいえ、それはただ素人集団条件反射的に流れに乗っているだけで、

彼ら一人一人が毎回書き込むたびにプロ並の思索を巡らしているわけではないようにも感じる。

 

こういうところが、ネットの闇でありネット限界だと思うのよね。

 

  • 追記

ASD自閉症スペクトラム障害アスペルガー症候群をさした言葉です。

トラバで指摘されて気づいたけど、

ASD特有っぽいやたら神経質な指摘をする人と、その指摘に乗っかってDisを始める人は

必ずしも同一とは限らないと思う。

ASDの人を害悪扱いする意図は一切なくて、

現象としてそれっぽい指摘が発端になりやすい、という話。

普通そこをそんな卑屈な捉え方しないだろ」って思うような意見

意外に浸透しちゃう理由説明たかっただけです。

2016-05-27

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.人々が、(物事が何であれ)あらゆるものに「正しさ」を結びつけたがるのなぜですか?

そりゃあ「正しい(と思うこと)」が意志決定の核だからさ。

自分すら間違いだと思っていることを、何の理由もなしにやったりしないだろう?

仮に間違ったことをやったとしても、意図的であるということは動機があるということで、つまりその観点から見た場合「正しいと思ってやったこと」になる。

他人がそれを理解、納得するかどうかなんてことは別の話だが。

まあ、もしそれを皆に理解させるなら最低限、論理的破綻していないことは大前提だろう。

ああ、いっておくが「正しさ」というものは様々な側面からみた「正しさ」というものがあるぞ。

政治的正しさ」とかいうだろ?

その側面からみた範囲内での「論理的破綻していないか」ということだから、誤解しないようにな。

当然、「正しさ」が複数ある以上、論理的破綻していなくても、それは「その側面からみた正しさ」に過ぎない。

とある物事の是非を「一つの側面からみた正しさ」だけで判断することは、適切であるかという観点から見たとき遠ざかる可能性がある。

から、「他の側面から見た正しさ」と比較することで、その「正しさ」が相対的に、そして総体的に見て妥当性を判断するわけだ。

まあ、みんながみんな論理的物事を語れるわけでも、同じ「正しさ」を語るわけでもないから、そういう前提の共有すらしない議論混沌としがちだがな。

それでも、正しさが原動力である以上、それを追い求めること自体人間の性なのだよ。

……私か?

そりゃあ、私も正しさが原動力で、それに伴って行動しているさ。

まあ、その「正しさ」はあくまで“今の私にとって”だがな。

……ううん?

何を書いているんだ私は。

2016-05-24

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.あなたには「いい人フォルダ」や「嫌な人フォルダ」がありますか。

答えはNOだ。

私は相手をどう印象付けているかフォルダ分けはしていなくて、関係性で区分している。

いい人だとか、嫌な人だとかは気持ち的にはともかく、枠組みとしてはあまり意味がないからな。

一応、「他人フォルダ」とか「大衆フォルダ」とかはあるが、しばらくして使わなければ中身はごみ箱に入れる。

いずれ必要になったとき復元すればいいだけだしな。

真に他人に臨むときというのは総体的評価するときであって、仮に人をフォルダに入れるなら細分化された名前になるだろう。

なので、フォルダに入れても中にあるのは一人だけであまり意味がない。

から、私は関係性でフォルダ分けしている。

逆にそもそも腰を据えて臨むつもりがない相手ならば、容量を圧迫するだけなので残さない。

価値観多様性を認めることも、それらの枠組みも「自分が使いやすい、容量内で」という但し書きがつくのは周知だ。

でなければ私や君のPCはあっという間に容量不足になるからな。

これは他人立場から自分を見ても同じことだ。

こういう書き方をするとアレだと思われるかもしれないが、大抵の人にとってフォルダの分け方は当事者が期待しているようなものにはなっていない。

仮に君が「嫌な人フォルダ」に入っていたとしても、その中には君以外の人もたくさん入っているということで逆も然りだ。

サブフォルダがどうなっているか重要だという話であって、そういう簡易的なフォルダ分けに一喜一憂する必要はないということさ。

……ん? ここらへんのメディアの人たちはどうかって?

ブラウザキャッシュとか履歴は、基本的に残さなものだぞ。

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