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はてなキーワード: 総体的とは

2021-04-03

学歴能力関係ないとか言う人って

学歴なんて社会では役に立たない」

学歴能力イコールではない」

低学歴でも優秀な人はいるし、高学歴でも無能な人はいる」

こんなことを言う人いるよね。

そりゃあ低学歴でも成功してる人はいるし、高学歴でも落ちぶれちゃうはいるよ。

でもそれって例外というか少数派なケースであって、傾向としては学歴能力が比例するのは疑いようがなくない?

年収で見ると、大卒高卒で差があるのはもちろん、大学間でも偏差値が高いほど年収も高い傾向にある。

https://investors.camp/is-education-important/#i-2

学歴トークに限らないけど、物事を全体的・総体的に捉えられない人っているよね。

「Aグループには〇〇な特徴があります」ってデータに対して、「Aグループにも〇〇じゃない人もいますよ」「Bグループにも〇〇な人はいるぞ」みたいな、

自分語りか知らんけど外れ値をすぐに持ち出す人。

まずは素直に、データが示す全体の特徴を認めてくれよ。

その上で、例外を持ち出して反論したいなら、例外の発生要因考察まで込みで発言してほしい(例えば、低学歴でもコミュ力・人脈を活かして成功したとか)。

そうしてくれないとさ、視野が狭いバカな人に見えるんだよね。

Twitterでよく見かけるけど、それクソリプだよ。

2021-04-01

anond:20210401083740

個人の選好の問題じゃないよ

総体的に男女の収入が同等になることと、総体的女性上昇婚をかなえるということは両立しないって命題だよ

2021-03-01

立憲支持の中道左派だけど辛い

安倍中道左派とか自民党中道左派だとかいネトウヨがよくいるけど、ネオリベな部分とか親中の部分が中道左派かいうなら、ひどすぎる。中道左派という言葉を盗まないでほしい。彼らは、本気で信じているだろう。なぜ中国人権に取り組み、社会的必要性に応じて市場経済を調整する機構を重んじてきた中道左派に対する認識がこうなのだろうか。一体全体どういう脳をしていたらああなるのか。100万歩譲っても安倍右派だ、自民党総体的にはそうだ。

2021-01-19

anond:20210119203508

個別に少数の事例があっても、総体的にみてずっと女は下方婚してないよね。

2021-01-03

白黒つけない、ということを理解できない大人は多い

善悪とか正誤とか。

「白黒つけない」というのは、つけないほうが総体的メリットが大きいから「あえてつけないでおく」のパターンと、

事情が複雑だったり判然としないから「つけることができない」のパターンがある。

この2つを理解というか受容するためには、話を聞いて「なるほど」の後に「でももしかすると」という自発的再考必要となる。

耳触りの良い話だけど、本当にこんなに簡単な話があるだろうかっていうセルフチェックである

思考することがストレスになる人は多いようで、そういう人は多少ひっかかりをおぼえても正常化バイアスで抑え込んでしまう。

テレビでやっているのだから」「偉い人が言っているのだから」「本にまで書かれているのだから」とか。

こういう抑え込みも無意識にやっているか結果的にはグレーであっても白だ黒だと盲信している状態になってしまう。

白だ黒だと固執するようになると、自身の心の安寧と引き換えに当然のように対立生まれる。

ネットではモラル政治的問題善悪を巡ってバトルが毎日のように起こっている。

ネットバトルは対立エンタメになったものなので、いったん火がつくと当事者差し置いてどんどん肥大していく傾向にある。

エンタメは楽しさが魅力なので鎮まる理由がないかである

対立を煽るうえでは白黒のないグレーでは盛り上がらない。敵をボコボコにするためにはまず敵認定しなければ始まらいかである

よくもこんな下らないことで炎上が起きるなと思う人は多いと思うが、敵をボコすというエンタメにはそれだけの魅力があるということなのだろう。

逆に「妙にこいつ白黒つけたがってるな」という人間を見かけたら、対立に発展させたり党派性ぬくぬくしたりするのが好きな厄介な人物で、

思考能力も信用に足らないと思っていい。

近づいてきても、まともに思考できない人は味方にしても敵にしても得がないので、利害関係を持たないことをお勧めする。

2020-12-01

anond:20201201175954

Paulette C. Flore, Joris Mulder, Jelte M. Wicherts (2018). The influence of gender stereotype threat on mathematics test scores of Dutch high school students: A registered report. Comprehensive Results in Social Psychology, 3 (2), pp. 140-174, 2018.

https://research.tilburguniversity.edu/en/publications/the-influence-of-gender-stereotype-threat-on-mathematics-test-sco

教室での数学テストの成績に関するジェンダーステレオタイプ脅威の効果について、いくつかの文化的文脈で広く研究されている。理論予測するところでは、ステレオタイプ脅威は数学テスト女子の成績を下げる一方、男子の成績には影響ない。ステレオタイプ脅威の効果一般化を調べるために、オランダ高校 (N=2064) で大規模なステレオタイプ脅威に関する実験実施した。この報告書では、女子高校生における全体の効果再現し、4つの主要な理論モデレータードメイン識別性別識別数学への不安テストの難しさ)を調べることに着手した。女子生徒に対しては、数学の成績におけるステレオタイプ脅威の総体的効果も、適度なステレオタイプ脅威の効果も見られなかった。数学の成績における分散は、性別ドメイン識別数学識別説明された。これらの結果に対していくつかの理論的、統計的説明議論する。この結果は調べた対象オランダ高校生、13-14歳)とドメイン数学)に限られる。

2020-11-27

anond:20201124173018

面白い歪みだ。

おそらくは、イメージを、統一的な、ゼロかイチか判別できるようなものととらえているのだろうか?

ディスクールであるとか言説分析ということばを聞いたことはないか

たとえば、

ありもしない属性⇒ありもしないということを、だれがどのような基準で判定し、どのように関係者に納得させるのか?

たとえば、予防論を採る人間にとっては、なにがしか予兆があればもはや実在に等しい。

誤認⇒誤認であるか誤認でないか正当性議論も同様。

判定や納得、議論、といった行為はすべて闘争的だとは思わないか

イメージについては、個々人が各個に総体的に描き出した上で、個々人が各個で観測した結果に基づき、運動するのがよいと思われる。

賛同者が多ければ事態は動いていくのだろうし、そうでなければ動かないだけの話だ。

あとから大きく振り返った際に、ゼロだった(誤認だった)、イチだった(正当だった)、ということはいえるかもしれないが、

渦中でそれができるとすれば、単に運動に関わっていないだけの話だ。

2020-11-18

anond:20201118133422

見た目だけじゃ評価はできない。

キズナアイ動画をどれくらい見た?

キズナアイパフォーマンスのあり方は総体的に見てかなり模範的だし、それをずっと貫いている。

YouTuberの例にもれず今風のラフな砕け方は多々あるのでNHKアナウンサー的な模範性とは異なるが、パフォーマーとして大人だなと感じさせる自立した個人感が初期のVには多かった。

あとキズナアイ独自志向としてかなり外向きであり、オタク系以外の多種多様コンテキストと関わり合おうとしている。

後発の「Vtuber」がその高邁さを汲んでいれば、現状のようにはならなかっただろう。

いや、そもそもフォローできなかったのだろう。企業が食いついてワナビーがその傀儡にされた時点で、自立した大人には成り得なかった。

そして企業たちはみな気づき始める。「これ全然からんぞ」と。「○億円投資したのに全然回収できんぞ」と。それで元増田が「真理じみた事実」と表現した路線へ行かざるを得なくなる。

見た目なんかよりも行動が過激になっているということの方がはるかに重大な問題だ。おそらく元増田もそう見ているように思うし、問題意識には共感できる。

色で例えるなら、キズナアイや初期のVが提示していた世界観女性が自ら描くパステルピンククレヨン世界視聴者脳内が染められていく感じであって、

後発の生配信主体でASMRやら吐息やら悲鳴やらを男性が「えっちだ」と感じる目線プロデュースされ演じているのはネオンにぎらついたビビッドピンク世界観。酔わせに来る感じだ。

もちろんそういう露骨なVの配信結構YouTube側に止められたりしているんだが、いやアンチ粘着して通報して止めさせているのかもしれないが、いずれにしろYouTube側が諸手を挙げて推薦しているわけではないというのは元増田とは見解が異なる点ではある。

おめシスなどがYouTube仕様変更を頻繁に動画解説していたりするが、そういった流れを見てもどちらかというと「あまり良くは思っていない」感じがする。

2020-07-16

anond:20200716100754

そうでもない 貧乏貧乏ゆえにクズだけど子には金掛けて子が稼いだので総体的にセーフみたいなパターンはよくある

2020-06-01

俺にもややガチめにやらせろー!anond:20200601111924

世界が二分されてセミアポカリプスみたいなイメージは、90年SF世界観だと思うし、個人的解釈違いだぜ!

・国際情勢

 かつての第三国の発展が著しく、総体的に、現在先進国が優位性を保てなくなった。アメリカ中国はまだ対立しているけど、対立しているからこその経済の足の引っ張り合いが酷く、その間にASEANアフリカ連合経済規模でおいついてきた。フラット化がだいぶ進んでる傾向。

 軍事力も、軍事兵器無人化が進んできたせいでどこも圧倒的優位が保てない。ドローンを数揃えてドローン撃墜放題を国のそこかしこに置いたら国防が済んでしまう。核兵器ミサイル撃墜余裕が実現したので、冷戦時ほどどうしようもない存在ではない。

 先進国っていう立場が無くなったので、常任理事国存在した国連有名無実化した。どの国もいうことなんか効かない。今は毎年開かれるEUASEANアフリカ連合合同会議、が主な国際協調の場となっている(ただしあまり協調しない)。

科学技術

 センサー系統の精度の進歩が神がかっている。人の顔を見間違えないし、音声言語siri100倍の精度でくみ取るし、自動運転車交通事故10万分の1に減った。それを利用して、多くの社会監視社会が敷かれている。20年ぐらい前に物議を醸したが、現実問題監視社会を導入した社会犯罪被害統計上劇的に減るので、各国で徐々に導入が進んでいる。あとそもそも監視自動化されており、人間のチェックが入らない仕様なので、法的に問題ないことになっている。

 だいたいの職人技は3Dプリンタ系統技術で実現できる。一家に一台、安価3Dプリンタがおかれ、白物家電ぐらいまでなら自分の家で作る。電気屋の類は滅び、今のホームセンターが今や国の基幹産業となった。

 空中投影ディスプレイが実現し、スマホは板であることをやめた。みんな腕時計をしている。

 バイオ技術の発展により、デザイナーベビーは実はもう可能だが、まだ社会に普及しきってない。法律無視して生まれデザイナー天才ベビーニュースお茶の間をにぎわす。

 

健康と食料

 向上している。平均寿命は各国100歳超え。老年に伴う脳機能の低下も予防法が確立し、定年も80歳ぐらいまで伸びた。ガンとアルツハイマーも撲滅完了

 耐性菌やらウイルスやらが出てくるせいで、コロナ禍のようなことが、10年に一度ぐらい起こる。毎度被害がでるが、拡散の規模はだんだん小さくなっている。

 食料と飢餓は、一時期世界人口増と温暖化の干ばつで不足が囁かれたが、最近はおちついてきた。スマート農業世界人口増加ペース減少が大きい。経済の拡大とフラット化のかくだいによって、飢餓も撲滅とまではいかないが、実数上は21世紀当初よりもマシになった。

 

教育

 教えることが多すぎて、対応しきれない。世界は"洗練されたゆとり教育"か"つめこみ教育"に2分しており、今のところつめこみ教育が成果をだしている。一方で学業研究からはなれた幸福度に関する主張からゆとり教育側の優位も主張されている。上述のデザイナーベビーの普及とともにこの成果は逆転するとの意見もある。

 

文化芸術

 隆盛とカオス。誰でも簡単アニメマンガ映画をつくれる思考読み取りツールが開発された。頭の中で考えた僕の理想漫画簡単に形になる時代

 プロ芸術家、という概念は今よりも無意味化がすすんだ。アマチュア商業という出世ルートや、商業からクオリティがすごい、という意識もだいぶ薄れてきた。

 クリエイターが増えすぎて、もはや誰も全容を把握できない。漫画趣味人間が、いま一番売れている漫画を把握できないという状況になった。

 AIもこの分野では進歩が著しく、ちょっとした解説動画環境音楽自動で作られるようになった。それに伴って、ユーチューバーという業態消滅した。

2020-05-30

[]

今回も雑感

内容は悪くない、むしろ良い。けれども……

となジャンで『DINER ダイナー』っていう漫画があるんだけれども、これ最初は週刊のヤンジャンで連載されてたんだよね。まあ色々な事情があるんだろうけれども、私の印象としては「打ち切るほどではないが……」って作品移籍している感じ。今じゃ移籍連載なんて珍しくもないから、あんまり邪推するのもなんだけど。

他にも雑誌媒体から移籍した作品結構あるよね。近年だと『銀魂』とかは有名か。個人的には『SOUL CATCHER(S)』が今でも記憶に残ってる。あれほど媒体翻弄された作品も珍しいと思う。そのせいで、途中で読む気を失くしたって人は結構いそう。最初から最後まで一つの媒体で、コンスタントに連載し続けられていたら、もう少し評価されてた漫画だったろうに。

で、話を戻して『DINER ダイナー』なんだけれども、すっげえコメントに困る展開なんだよね。主役たちを置いてけぼりにして、サブキャラの回想に何十話も使ってる。『DINER ダイナー』は現在109話やってるけれども、その大体4分の1くらいを回想に費やしてる。これがね、個人的には面白い

そのサブキャラ物語として割り切って見る分には、割と面白い内容なんだよね。作者達が丁寧にやっているのは伺える出来。でも『DINER ダイナー』という作品でやるのはどうかっていう思いも正直ある。サブキャラ過去話に何十話も使うのはスピンオフとかでやるべきことで、主人公達をほっといて本編で長々とやるのは悪手だと思う。

で、最近やっと回想が終わったっぽいんだけれども、今後はちょっとビジネスモデルを変えて連載していきますよ~っていう感じの告知コメント失笑してしまった。オブラートに包まず言うなら、ぶっちゃけ萎えた。せめて、その告知は別ページに書くべきだったかな。

こんな感じで、企画単位作品単位として見た場合、「内容は面白いけど、ちょっと舵取りミスってない?」って感じることがあるんだよね。変なところでケチがついてしま漫画はちょくちょく見る。そのせいで下げなくていいところで評価下がってる。内容そのもの面白さも大事だけれども、もっと総体的に見て「その作品をどうしたいか」って意識おざなりだと、ついてくる読者は減っていく。「いいから、ついてこい!」って感じの態度は無用軋轢を生む。

ベクトルの話では、ちょっと騒動になった『ぼくたちは勉強ができない』別ルートも似てるかな。あれも側面的にみれば各メインヒロイン推し需要に応えているし、平行してサブキャラの補完もしているなど丁寧な仕事が光る。けれども、どうしても蛇足感は拭えない。最近、2人目のルートが終わったところだけれども、本作をフラットに読んでいる身としては「この調子で残りもやるのか……」っていう倦怠感があった。ラオウ倒した後の北斗の拳くらいの感覚。まあ、WEBコミックじゃないんでここで詳細に話すことではないけれども。

2019-06-05

anond:20190605095303

でも公共って個々人のお気持ち総体的なところはあるよね。

ただ、「完全自由に各々がお気持ちで殴り合えば結論が出る」って社会は結局のところ弱肉強食社会収束するから

マジョリティにとって都合のいい結論に落ち着くだけで意味はないよなって話もわかる。それも含めて「表現の自由」の難しさですね。

マイノリティにとって都合のいい結論」って、「少数が一方的に多数を黙らせる」以外にありえんの?

そこに「表現の自由」はあるの?

つーか、「お気持ちで殴る」前提かよ。殴んなよ。

表現の自由はあるけど、それを批判する自由もあるし、批判批判する自由もあるし……と堂々巡りしたところで何の価値もない。

そんなところに問題本質はないということをみんなが理解しないといけない。

いや、その堂々巡りこそ表現の自由本質で、守らないといけないもの

から相手を黙らせようとする要求」は許してはいけない

anond:20190605092856

でも公共って個々人のお気持ち総体的なところはあるよね。ただ、「完全自由に各々がお気持ちで殴り合えば結論が出る」って社会は結局のところ弱肉強食社会収束するからマジョリティにとって都合のいい結論に落ち着くだけで意味はないよなって話もわかる。それも含めて「表現の自由」の難しさですね。

表現の自由はあるけど、それを批判する自由もあるし、批判批判する自由もあるし……と堂々巡りしたところで何の価値もない。そんなところに問題本質はないということをみんなが理解しないといけない。

2019-05-28

[] #74-1「ガクドー」

年号が変わる意味なんて分からないけれど、何事にも節目ってのはある。

まれて十数年しか経っていない俺だって、勿論そうだ。

身長は伸び、それに比例して体重も増えて、ついでに色んな所にも毛が生えた。

やりたいことも、やれることも、やらなきゃいけないことも両手に収まらない。

でも年号と同じく、時間は俺たちの気持ちとは関係なく流れ、距離はどんどん離されていく。

からこそ思いを馳せたがるのかもしれない。

俺が今よりもガキだった頃、ちょうど今の弟くらいだった時にまで記憶は遡る。


あの頃の俺と弟は、とても不自由な思いをしていた。

平日のスケジュールはこうだ。

まず午前7時に起床。

朝食を摂ったり、身支度を整えるのに1時間弱。

多少ズレても8時ちょっとには学校に着くようにする。

そこで数時間過ごして下校し、その足で真っ直ぐ学童所へ。

父親が迎えに来る午後6時過ぎまで、そこで過ごす。

買い物を済ませ、家に着いた頃には午後7時前後

そこから晩飯や入浴、睡眠もあることも踏まえれば、自由に過ごせる時間は皆無に等しい。

当然、夜遅いので友達の家に行って遊ぶだとかの選択肢存在しない。

俺たちは実質、1日の半分以上を自宅以外で過ごし、子供時代の豊かで自由時間を拘束されていたわけだ。

まあ、子供自由時間なんて、総体的に見れば無駄だとは思う。

だが、その無駄すら愛せない不自由感が問題だった。


その不自由感の象徴ともいえるのが、当時通っていた『ハテナ学童保育所』だ。

小学生向け保育園みたいな場所で、親が仕事を終えるまで子供たちが時間を潰す場所だった。

「マスダは何で学童に?」

「母さんが母さんでなくなっちゃったらしくて」

「え……」

この時、俺たちの町では『親免許制度』なるものが実地されていた。

体の9割が機械化していた母はこれに引っかかったんだ。

から特別試験仮免をとるまで離れ離れ。

仕事で家にいないことが多い父は、止むを得ず俺たちをここに預けたってわけ。

「マスダ、ほんとゴメン。ちょっと無神経だったよ」

別に謝るようなことでもないと思うが……」

あの時、理由を聞いてきた学童仲間がすごく気まずそうにしていたが、何だか誤解されていた気がする。


学童所での環境は、お世辞にも良好とは言えなかった。

ないよりマシ程度のボロ屋で、壁や柱には歴代学童たちの落書きと傷で溢れている。

まりのボロさに、映画舞台で使われたほどだ。

タイトルは覚えてないけど、多分しょうもない映画だと思う。

「……弟よ。口を開けたまま、天井をずっと見ているが、バカみたいだぞ」

兄貴自分の弟がバカであってほしいわけ?」

「いいや……じゃあ、なんだ? 学祭バカ役でもやるのか?」

「なんか、天井から水が落ちてくるから、どんな味かなあ~って」

「……!?……バカヤロっ、そんなの飲むんじゃねえ!」

雨漏りという現象を直で見たのも、その時だ。

次 ≫

2019-05-22

anond:20190522210154

極論だが、それは恋愛だろうと、『人間扱い』した対応だろうと同じだな。

全然違うね。

用を足すマシーン扱いと言うことは、必要のない場合相手にせず、排除すると言うことだ。

人間の部分ではなく「用」の部分以外は尊重してない。

俺は徹頭徹尾君にしか言ってるつもりはないけどな。

君は何でも総体的な話に持っていくけども。

俺は徹頭徹尾総体の話しかしてない

君は対人論法で逃げるだけだけどな。

ああ、悪かった。「半分いちゃもん」は訂正して「全部本音」に変更するわ。

本音で言ってもいちゃもんはいちゃもん

では何だと?君から具体的な被害の話を聞いたことが1度もない。『非モテ』『女からの加害』と言うが、恋愛以外の話とは具体的に何か?

人間扱いの話だよ。

そして個人の話はしてないしする気もない。君はマウント材料を探してるだけだし、俺はそれを与える気は無い

そして全体が救われるべきだというなら、ひとりひとりの人間に求める必要がある。

誰か一人で良い。それだけの事。

誰か一人すらいないか総体問題と化す

恋愛上の事なら無視排除も加害ではないとは言ったが。興味のない男の視線をかわしても、そもそも恋愛対象から外しても加害ではない。

恋愛だろうがなんだろうが、全体から無視排除するのは加害以外の何者でもない。

そして非モテは全体から無視排除をされている。恋愛的にも、そうでなくても。この加害に対して恨み憎しみ怒りを抱くのも非モテ権利復讐される事だけが君達の権利だ。

anond:20190522195449

それは相手を「用を満たすマシーン」としてしか見てないだろ。

極論だが、それは恋愛だろうと、『人間扱い』した対応だろうと同じだな。

対象にこういう働きかけをしました。

対象からはこういう反応が返ってきました。

それに対してこちらはこう返しました。

それらを自分の中のセオリーに従って行うだけ。

人との関係はそれの積み重ねだよ。それを「マシーン扱いされた」ととるか、「人間扱いされてる」ととるかは人それぞれだろうな。

一方、君は非モテに何を言ってる?

俺は徹頭徹尾君にしか言ってるつもりはないけどな。

君は何でも総体的な話に持っていくけども。

そもそもからして「恋愛対象」に拘った話してないし

あれ?そうなん?『非モテ』って恋愛上の意味で言ってるものだと思ってたけどな。

尚更君の『非モテ被害』を聞きたくなったが、君は何も答えんし。

いちゃもんいちゃもんと言ったらさらに酷いいちゃもんが返ってくるって寸法だ。

ああ、悪かった。「半分いちゃもん」は訂正して「全部本音」に変更するわ。

誰も恋愛に限った話をしてないし、ひとりの人間に求めてもいない。

では何だと?君から具体的な被害の話を聞いたことが1度もない。『非モテ』『女からの加害』と言うが、恋愛以外の話とは具体的に何か?

そして全体が救われるべきだというなら、ひとりひとりの人間に求める必要がある。

そして無視排除も加害だよ。なぜ違うと思うの?

恋愛上の事なら無視排除も加害ではないとは言ったが。興味のない男の視線をかわしても、そもそも恋愛対象から外しても加害ではない。

恋愛に限った話ではないと言うなら、その限りではないかもしれないが、君の受けた『加害』を知らないので判断は出来ない。

2019-03-24

[] #71-2「市長市長であるために」

≪ 前

クマ存在市役所人間たちも知るところであったが、草の根から花が咲こうとしているのなら穏やかではいられない。

市長、近隣でフクマという人物が、演説をしているのはご存知ですね? 彼が、次の市長自分がなると宣言しました」

秘書市長に、フクマ立候補したことを伝えた。

「つまり選挙防衛戦』です」

「え? 何ですか、それ」

市長困惑した。

なにせ選挙戦というものを全く経験していないからだ。

学校委員会みたく「やりたいという人間がいるのだからそいつやらせよう」というノリで決まったのが今の市長なのである

他に市長をやりたがる者が誰一人いなかったため、これまで必然的になっていたに過ぎない。

「この町の掟らしいです。立候補者が出た以上、しっかり選挙戦をしなければなりません」

「それで……私は一体どうすればいいのでしょう?」

「……投票の期日までに、何かやれることをやりましょう」


こうして俺たちの町は、久々に市長選挙で決めることになったんだ。

前半戦は、フクマが大きく有利といえた。

現市長無能です。例えば『超絶平等』。社会における平等という概念拡大解釈し、無理やり人々の足並みを揃わせるという無意味政策でした』

「そうだ、そうだ!」

クマ演説は一貫しており、巧みだった。

今まで市長がやってきたヘマを挙げて、彼が如何に市のトップとして不適格かということを述べていくのである

やや悪意と脚色の混じる主張ではあったが大本事実なため、市長に対して不満のある人たちの心根をくすぐった。

対して、市長自身理念を語っていくが民衆から評価は芳しくなかった。

『人々が手を取り合い、差別のない社会を……』

「ざけんな! あんたの言ってる“差別のない社会”ってのは、普通に歩ける人間松葉杖をつかせることだろうが!」

演説の内容は彼が普段からやっていることの延長線上でしかなく、逆にフクマ市長批判裏付けものにすらなっていた。

更に市長には選挙戦のノウハウもなく、周りに適格なアドバイザー存在しないという状態

それはフクマも同様だったが、市長のこれまでのマイナスイメージが大きなハンディキャップとなっていたんだ。

市長側が選挙活動で何をすればいいか右往左往している間に、フクマはどんどんリードを奪っていった。

「むぅ、フクマという人物富裕層でもないのに何であそこまで活動資金があるんでしょう」

「どうやら支持者が彼に投げ銭しているようですね」

「そんな金あるなら、税金ちゃんと払ってくれればいいのに……」


そんな事態を一市民の俺はどう見ていたかというと、漫然と澄ました顔で見ていた。

明け透けに言うなら、政治のことがよく分からないのでどうでもよかったんだ。

この町の歴史の1ページに載るであろう出来事だとは思うんだが、選挙ってものイマイチ関心がもてない。

総体的に見て一人一人の一票や、それに対する意識大事というのを理屈の上では分かってるんだが、どうにもピンとこなかったんだ。

ちなみに投票権のない弟はというと、圧倒的にフクマ支持者だった。

だって市長の『親免許制度』のせいで、俺たち家族は数ヶ月間バラバラだったんだよ。市長投票なんて有り得ないね兄貴だってそうだろ?」

「まあ、それはそうなんだがな……」

クマの言うことには頷く部分も多いが、それが彼を支持する理由にはならない。

弟は政治理解度メロス並だったので、その分別ができないのだろう。

俺も似たようなものだったが、それでも単純な人間じゃない。

かに市長は嫌いだし、明確な理由もある。

だけどずっと感情的になっていても仕方がないだろう。

政治のことばかり考えていれば生きていけるわけじゃない。

市長が誰になったところで日々の勉強捗るわけでも、シーズン毎の休みが増えるわけでもない。

食べる飯の味は変わらないし、バイトは楽しくないままだ。

秤に乗せるまでもなく、俺の日常にそれを思考する余地はないといえる。

から俺はごく個人的かつ意識の低い理由で、投票する権利放棄するという権利行使するつもりだった。

次 ≫

2019-03-04

女は人間だとわかったら一人で死ぬ決意をすることになった

長いんですけどお付き合い下さい。

〇前提:生物学的な性も社会的な性も無視していいという話

生物学的な性別、オスであるかメスであるかは先天的もので、個人選択によるものではないじゃないですか。その人自身ではどうしようもない、偶然与えられてしまっただけのものですよね。

でも個人社会における性役割、男であるか女であるかはほとんどの場合その人の生物学的な性別によって周囲から規定されます。オスであれば男をやることに、メスであれば女をやることになる。そこに選択余地はなくて、自分がどう思うかに関わらず(ほとんどの人は「自分がどう思うかについて考えるタイミング」さえ飛ばすことになる)、気づいたら人は男/女になっている。

生物の中で人間けが、オス/メスと別に男/女という概念を持っていますよね。これは単なる性別ではなく、人間社会形成するために作り出した役割だと言えるのではないかと、僕は考えます

個人(というか人間の力では)どうしようもない生物学的な性差に基づいて、人をオス/メスではなく男/女という役割に仕立てあげ、男女それぞれに仕事を設定することで回してきたのがこれまでの社会

偉いものでこれまでの社会合理的な形になるようにやってきているなあと思います

こんなことを言うと怒る人がいるので怖いのですが、どう考えても男は働いて女子供を養った方がいいし、女は子供をうみ、育て、男を支えた方がいい。

従来の人類の発展を続けるのであれば。

人が増え、発展していかなきゃいけないという昔から信じられている人類の発展を今後も続けていこうという前提があれば、この考え方は正しくて、超合理的だと思います

元来人の社会システムが拡大、発展するためには、男が働き、女が支え、耐え、食い物にされなければなりません。

人間行為にはしばしば男女どちらが適しているかが明確なものがあります

かに赤ちゃんを育てるのは男でもできるかもしれませんが、一般的には女が育てる方が合理的です。

戦争をするのであれば、女も戦うことはできるでしょうが兵士は男である方が合理的です。

そして総体的に、これまでの人類の発展に際しては、女が割を食うことが合理的でした。誰かがそのように社会を作られたのか、わかりませんが。

でも今、それはおかしいという流れがあります

女が割を食う筋合いはないし、男が体を張らなければいけない理由もない。

それもそうです。そもそも男/女なんて、自分たまたま人間のオス/メスだったがために周囲から規定され、男/女としての役目を果たすことを求められているのだから

実は男も女もいない。

人間が成長するにつれ男や女という役割を課せられてしまうだけだし、その区別の元になっているオス/メスの区別先天的もの、偶然のものであって、その人自身がどうあるかとは何ら関わりがない。

ここまでが前提です。

僕は今、生物学的な性と、それに基づいて個々人に与えられている社会的性役割を、あんまり意味がないものなんじゃないかと思い始めています

子供を産むことについて

今の社会では女をやっている皆さんが割を食っていることは周知の事実であり、それをどうにかしようという流れはありつつも、まだ割を食っていただいているとで緩やかに従来の人類の発展を続けているような状態です。

従来の人類の発展は女をやっている皆さんが割を食うことで成されるものでした。

ではここで聞きたいのですが、

みなさんは人類を発展させていきたいですか?

みなさんは自分が死んだあとも人類が発展していくことを望んでいますか?

あなた人類の拡大、発展に最も簡単かつ効果的に貢献できる方法として、「子供を作り、育てること」があげられるでしょう。

子供を育てることは人類全体から見て非常に生産的な行為だと言えますそもそも生物繁殖してなんぼてすから、子作りは生き物として正解です。

でもあらためて考えてみると、子供を作ることははたして本当に良いことなんでしょうか。

あ、特に深いことや説得力があるデータを言うわけではないのですが。

単純に、僕はたまたま男だったので思ったのです。

例えば僕が女と所帯を持ち、子供を作らせたとします。

その女が抱えるリスク妊娠出産リスク)と仕事(僕が手伝うにしても、主として子供を育てていくこと)は、その人がたまたま女であった(たまたまメスとして生まれた)がために抱えざるを得なくなったリスク仕事なのです。

僕には女を孕ませ、リスク仕事を負わせた罪が生じます。女と子供を作るという合意があったとしても関係ありません。女は僕と同じ一人の人間なのに、たまたま妊娠出産ができる人間のメスであり、かつ人間のオスである僕がいたために子供を作るという選択肢をとることができてしまい、それにまつわるリスク仕事を背負ってしまった。

これは、幸せだとされてきたのです。

男は女と結婚して子供を作ることが幸せ。女は男と結婚して子供を産むことが幸せ

僕もそう思っていたことがあります

しかしこれは、たまたま女に分岐していっただけの人間に、たまたま男に分岐しただけの人間がとてつもない重荷を背負わせているだけです。

人間人間として見れば、とてつもなく残酷行為に見えてしまます

しかしそれを男/女のレベルにとどめることで、「そういうもの」とすることができます。女は子供を産むものだし、男は孕ませるものなのだ、と決まっているなら飲み込めるというものです。

実は子供を作ることは、人間人間ひどい仕打ちをしているだけなのではないかと、僕は思うようになったのです。

男女平等について

女は子供を産むものだと言うと、怒る人がいます

男も子供を産む苦しみを知れと(あるいは男もそれを知ろうと)、同じ重さの重りを背負ってみたり、鼻からスイカ出したりしようとします。

あれ本当にしょうもなくないですか。

今の男女平等の目指し方を考えた時に、僕は天秤を思い浮かべました。

天秤の片方の皿を男の苦労、もう片方の皿を女の苦労だとしましょう。今までは女の側に大きく天秤が傾いていました。

何度も言うように、社会合理的なので、女の皿も男の皿と同じ高さにしてあげようと合理的に考えます

そして、女の皿の下にどんどん台を噛ませ、不器用にも高くしていくのです。

女性専用車両レディースデー女性料金などといった「女自身でも正直ちょっと優遇されちゃってるなと思うこと」の数々は、あとから男の皿と高さを合わせようとテコ入れした結果のものです。

そして重要なのは、男女それぞれの皿にはもう片方の皿には決して載せることが出来ない重りがあるということです。

たとえば先程の妊娠出産は、女だけが持っている重りだと言えるでしょう。男側にはどうやったって妊娠出産の苦労の重りを載せることはできません。

この天秤は、男女が男女として関わりを持つ限り、その間に必ず現れます。そしてどれだけ双方の重りを調整しようとしても、必ずどちらかに傾きます絶対にです。

今の社会は天秤の重りをいじり、皿の下に台を噛ませて見た目上の皿の高さを同じにしようとしていますが、それで男女平等が達成されることは永遠にありません。

ではどうすればよいのか、僕は「天秤そのものをなくすこと」がその答えなのではないかと考えました。

次で最後です。

〇本当の男女平等について

人間たまたま男や女に仕立てあげられているだけで本当は男も女もいないという話、子供を産ませることは、人間人間ひどい仕打ちをしているだけだという話、今の男女平等の目指し方では永遠に平等になることはないという話をしてきました。

では本当の男女平等とは何なのか。それは、異性との性的な関わりを持たず、異性を異性と思わず接することです。

ここからは僕だけの結論なので、主語を僕にします。

僕が異性だと思っていたものは、たまたま異性になっただけの同じ人間です。よって、僕と同じだけの自由があります

僕はかつて、女と付き合い、結婚し、子供を作りたいと思っていました。しかし、そうしようと思っていた女も僕のような男になるかもしれなかった人間で、たまたまメスに生まれたがために女として育てられ、男とつがいになることが幸せとされる存在の一員とされてしまいました。

女には付き合うことも付き合わないことも、結婚することもしないことも、子供を作ることも作らないことも自分選択する自由がありますが、僕と関わることで選択肢が狭まる可能性があります。そして僕がアプローチをかけでもすれば選択の機会は奪われてしまます

同じ人間選択や機会を同じ人間が奪うことは恐ろしいことだと思いました。やってはいけないとも思いました。

よって僕は、女と関わりを持つことをやめようと思いました。

女と関わりを持つ限り、先程の男女の天秤が現れます。この天秤はどういじってもどちらかに傾くので、関わり続ける限りどちらかが負担を強いられます

そこで僕は女を女と思わないことにします。そもそも同じ人間なので、やろうと思えばできないことでもありません。

努めて同性と接する時のように、目の前の存在女性であることに目を向けないように接します。

目の前の人が不当に低い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから低く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒りますし、不当に良い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから良く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒ります

そして僕は、女と性的な関わりを持たなかったので、一人で死ぬことになります

僕は本当は一人で死ぬことだけは嫌で、女を手に入れ子供も作ったことを幸せだと感じて死んでいきたかったのですが、そうするためには同じ人間を害する必要があることに気づきました。そこまでして幸せになるほどの者でもないので、あと他人を害することを躊躇う倫理観がある自分でいたかったので、一人で生きて死のうかなと思いました。

男女という概念自分の中から徹底的に排除すると、男女という概念を基本として成り立っているこの社会からははみ出すことになります自分もこの社会で育ったので、ここの幸せ理解しているし、本当は欲している自分もいますが、女が同じ人間であることに気づいてしまたからにはもう女を手に入れるという男の幸せは得ることがどうしてもできません。

最後に一つだけ。

この社会幸せだと信じ込まれているものは、実は人類の発展に寄与するもの(そして結果的に同じ人間を害したり、同じ人間から害されるものだと僕は思います)です。

みなさんはそれでも人類を発展させていきたいですか?

みなさんはそれでも自分が死んだあと人類が発展していくことを望んでいますか?

僕はここまでずーっと考えていて、もうちょっと疲れてしまって、別に長くも短くもなく、今課されている責任を果たしたら、一人すっと死んでしまってその後になにも残らなくてもいいのかなと思いました。

ここまでの話には自信がありますが、全てバッチリ否定されて再び従来の幸せを求めることを正当化させたい気持ちもあります

どなたかこてんぱんにしてくれることをお待ちしています

2019-01-23

anond:20190123220509

個々人の感情一定区分に分類でき、またその分類が正しいという証明は?できないでしょ。ないのだ、そんな物は。

そして、幸福同士のコンフリクトについての各々の強度は個々人の主観、その人にとっての善悪しかなく、全く総体的でない。他人には無価値

君、言ってることがブレブレやぞ

anond:20190123213617

客観的証明できない物は共有することは不可能で、従って総体的ものになどなり得ない

個人幸福は各々ベクトル違うし、そのベクトルの向きを証明できない以上は一致不一致は分からない。

従ってベクトルが違う個人幸福想像するしかなく、自身の好悪の影響をダイレクトに受ける。また、その想像した他人幸福同士のコンフリクトが起こった時、どちらを優先するかという重み付けにも自身の好悪が多大な影響を与える。

どこにも客観的要素はなく、そして総体的になり得る要素もない。

善悪とは形を変えた君自身の好悪に過ぎない。他人には無価値だ。

anond:20190123202416

社会総体的な「幸福」とは主観的見方しか判断できないだろ?客観的定量的には観測できない

それを観測する人間の好悪によって、ある幸福や不幸は軽視され別のモノは重視される。

真の善悪などない

2018-10-19

anond:20181019075038

このフェミよりはこのオタクを支持する、このオタよりは~という場面はあれど、総体的に見てそれはない

2018-10-09

キズナアイ批判駅乃みちか批判碧志摩メグ批判

アニタ・サーキーシアンの「現代メインストリームビデオゲームには女性をモノ扱いする描写が多すぎる」という批判に似ている部分はある。ただしサーキーシアン事案は「女性NPCにはエロかったり弱かったりしてお飾りなのが多杉」がコアにあるのでそのあたりはいわゆる萌え絵批判とは違うな。

萌え絵批判はおおまかにいえば「オタク向けコンテンツ個別にみれば千差万別かもしれないが、総体的にはロリ巨乳の方向に偏ってる。それって政治的に公正じゃないから、ロリ巨乳に寄せるのは公共の場では慎んでほしい」というやつ。構図は同じなので、ぶっちゃけ個別キャラで何度も何度も何度も繰り返すような話じゃない。

健全対話できりゃいいのだけど、オタはすぐ「エロじゃない!被害者もいない!なのにラディフェミポリコレ棒でぶっ叩きに来た!戦争だ!」になるし、フェミ上から目線だったりして、まあこじれるこじれる。

2018-10-08

anond:20181008112309

総体的に言ってフェミニズムが信用ならんのはその通り。身内批判の無さから体系だった理論武装ができずに自分気持ちを叫んでるだけだから

でも、身内批判をしない理由が総括的に言って自分に都合がいいってくらいまで判断できてるんだったら、少なくとも自分の主張は整理できてる段階でしょう。

そうじゃなくて、やっぱりあえて言うなら優しさなんだと思う。

なぜなら、彼女らの主張はお気持ちリブンであり、自分の主張も気持ち問題しかいか他人の主張も気持ち問題なのだと言うことを暗黙の了解としていて、だから身内の主張の批判をしない。気持ち個人のものだと言うことの分別くらいはついてる。

そして気持ち問題しかいか自分の主張を整理できてないし、だからこそ他人自分の差がはっきり見えていないのも重なってますます身内の主張の批判をせず、ひたすら独りよがり理屈自分が気に入らないものだけ批判する。

加えて、自分の主張が気持ち問題ではなく論理的批判であるって勘違いしているのも一部にいて、それがますますフェミニズムの信用を落としてるんだけどね。

2018-06-11

anond:20180611145750

そういう意味ではまとまってぽんと渡すのは線引の前後で大揉めしそうよね

個別サービス充実の方が「自分ときにはなかったのに」的な嫉妬を呼びにくくて総体的には穏便に進むのかもしれない

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