はてなキーワード: 網羅とは
ワンセンテンス切り取りの批判辞めません?
これやりだすとなにも言えなくなる
政治家は抽象的曖昧な言葉しか発せなくなる、実際そうなってる。
国民民主党の政策各論を見ればキミが提唱してる医療制度改革はほぼ網羅して謳っている。
終末期医療一つを改革すれば医療問題すべてがまるっと解決するなど一言も言ってないし書いてもない。
OKOKOKわかるよー「だけどそう解釈されるような発言をするのが悪い」だろ?
それだと政治家はなにも言えなくなる。
そういうのがお望みか?
日本の過剰医療の象徴が終末期医療だよ、そこに言及してなにが悪いのか。
すこし話しを変えよう
さて、皆保険制度の日本で同じくらい臓器移植を行ったらどうなるか?
仮にそういう社会、救える命は採算度外視で救うべきだ、最高の医療を全ての国民に施す。
「臓器移植は医療の分配性が悪い、リソース効率が悪い、辞めるべきだ」
と発言したとする
国民は大反発するだろう、「国民を殺すのか」「救える命を見殺しにするのか」ってね
しかし今現在日本は医療リソースの最適化を図り臓器移植をそれほど行っていない。
国民から「もっと臓器移植を推進しろ」「国民を殺している」「救える命を救っていない」とはそれほど大きな声にはなってない。
変化を起こして進むのと、既にあるものを後退させるのとでは人々の捉え方が変わる
端的に言えば過去の自民党が票欲しさポピュリズムに乗っかり過剰医療を推進し医療制度が瓦解しかけている、当の自民党は巻き戻すつもりはない
野党が言わなくてどうする?
ここ数年、ブックサンタはこの時期になるとそれなりに話題になるので知ってる人も多いと思うけど、色んな事情でクリスマスプレゼントを貰うのが難しい子供に本をプレゼントするっていうNPO法人の活動で、協賛書店で本を買ってレジで「ブックサンタです」って言うとその本を預かってくれるというものがある。
去年やってみたんだけど、あまりにも選書に悩み、自分以外の人が何を選ぶのかも知りたすぎたので、次は友人を集めていっせーのでやってみたいと思っていて、それを今年やった。
友人と自分の計5人で本屋に集まり、ヨーイドンで本を選びに散って、決められた時間に集合して手札を晒し合うという感じにして、友人の選書を見せてもらった。
私は今回、『谷川俊太郎質問箱』にしようと思っていたけれど、書店に行って見たら取り扱いがなかった。
ので、悩んだ結果『小学館こども大百科キッズぺディア』にした。
これは、私が小さい頃父親に誕生日プレゼントとして欲しいものを聞かれて「面白い本が欲しい」と答えたところ『21世紀こども百科』を貰ったという経験があって、そしてそれを暗記するまで貪り読んだ記憶があるので、やっぱりこういうものを読むのって物凄く世界が広がるよね、という思いがあるので。
ただ、最近の百科事典や図鑑は分類分けされての発行が殆どで、「いきもの」「歴史」「音楽」とか、特定分野の百科事典はあれど、全てを網羅するタイプの百科事典は実は全然並んでおらず、『小学館こども大百科キッズぺディア』は2011年発行で結構古くて、でもこれ以外にそういう百科事典がなかった。もうそういう百科事典は出版されないのかな。『21世紀こども百科』で世界の広さを知った身としては、多少項目が少なくても全分野を網羅した百科事典こそが子供の可能性を広げてくれるんじゃないかと思ったりするけど。
友人1
2歳向けの絵本。
送り先の子供に2歳児を想定していなかったので、これは私にはない選択肢だった。
友人2
友人曰く、これを読んだ誰かから第二の柳田國男が生まれるかもしれないしとのこと。確かに本を贈るのは投資でもある。
友人3
この本って中学年向けなんだ、というのがちょっと意外だったけど、確かに内容としてはそうかもしれない。
友人4
400色近い色の名前となりたちを綺麗なデザインでまとめた小さい本。
多分読む子供を選ぶけど、好きな子には凄く刺さりそう…というか、私がちょっと欲しかった。これがプレゼントで自分だけのものになったらきっとすごく嬉しかったと思う。
これらの本はレジで書店に回収されるので手元には勿論残らないけど、友人の選書の過程を眺められたのは結構面白かったし、やっぱり皆だいぶ悩んでいた。対象年齢も性別もよくわからないというのもあるし、最近のトレンドもわからないし。
青い鳥文庫の棚を見ても、私達が子供の頃とは雰囲気が少し違って、『パスワードシリーズ』とか並んでなかった。自分の思い出の本を贈るのも楽しいけど、でも今時の子には面白くないかも、というのもある。
私が最後まで百科事典と悩んでいたのは、女児向けに「おしゃれ」「友達付き合い」「マナー」等をかわいいイラストで手引きするタイプの本で、これが結構棚の面積をしめていた。この手の本、実際すごく役に立つのでバカにもできないのだ…結構分厚いけど、パラパラ読むと私もこども時代にこの本読みたかったなと思う。
「しごと図鑑」みたいなのも迷ったんだけど、これは、世の中にはこんなに沢山の仕事があって、皆には職業選択の自由がある、何にでもなれるっていうのを子供に伝えたいという気持ちがあるためで、なんかそういう気持ちだけ贈り物の本を選ぶことに若干の躊躇いを覚えたのでやめちゃった。
役に立つとかそういうのじゃなくて、面白いかどうかで本を選びたいんだよな。
ブックサンタをやったことがある人、やる予定の人、どんな本を選んだのかな。他の人のも聞いてみたい。
ていうかこういう本の選び方で合ってるのかな。
本当にこれで子供達に喜んでもらえるんだろうか。
「一日に煙草を一年間吸い続けると」君には躾が必要だ。そこにベンツに昇り降り-ボをしてい続けるといずれ、ところで僕あのーにんにく酸っぱいの好きなんですよ分かります?究極の至宝美体にバッア肘がグネクネし事件と民が迷宮入りと思わたっていたでしょとしていたら、無意杉にメリーゴ区ランドがそこには露わに引ん剝きなされていたのが、いつしか大体そこに止まない雨がないと言われがちですが、実際は何とも言えないなぁ…これ…何とも言れないなぁ…相容れなれないなぁ…そういうことしている間に試合は最初う局面を迎入れいようとしています。時々ロシア語でボソッと天照(アーティスト、作曲・編曲は、Ktsh a.k.a 世パ弥。「a.k.a」は「こと」という意味であり、世パ弥ことTashootMANIAという意味になる)をNNするいやロシアに太鼓の○人ねーよ!!(訂正調べたらありました)する、をする日記やVlogを始める方が急増中ですが、皆んな様んは天気が良いですか。!注意!これから先、日焼け止めを飲まなれれば、深淵が闇を覗くとき、深淵が世界に公開されるため、発言に気を付けマシおTVがスマホを激突盆栽を刈る、99歳は還暦を全年迎え、抵抗は空しいぞ。辞めてくれ。其んな顔で僕を見るな。僕は、ベンツに乗っているんだよ。ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(ベンツが爆発する)すいませーんダイハツ売ってるって聞いたんですけど(2台目購入)お客さんこんにちはすいませーんこここんにちはーあのー店員さん今(76573台目購入)デビッドカードが売り着て!?駅のビビシビックビジョンの恥ずかしい所の部活動、略して恥部にがボリボ所属して5年目だが、全国大会行けないなぁ…全国大会行くないなぁ…行きたくない。貴方映画館に行きない?ブブーッ(正解の音を裏から表に掛けて)たまには電話ちょうだいよ?横花火に気を取られていた俺は、背後からの気配に笑いに来たバージンロードに耳を澄ませ…SEIKIN TV…た俺は、背後からの花火に五月かなかった!、2020束京オリンピックは、OSUSOWAKE右にもか左にもか、シカノコノコノコンタンタン、カニカニフェス確証を得られぬまま、事件盲銘に尾の分け目という諺ップにもあるように、「メークイン装飾の弁当が」地味地味邪魔邪魔UMIGURIサバ女子サブリミナリズムうんぬんかんぬんックス(幻の四十九手目)りたまえ!ベースを横取りする境にハイドリデーショキニクス。僕には、呆れたよ(錯乱)。ク。サービスショットの裏には影むな棍あが人知れず…例えば、たまには正面から来たらどうだ?あれ!?上にも縦にも伏兵が溝んで…一体こどうすれな…「任せろ!あ、あなたは!SEIKINtTV!?」さ」て最近は花も一片舞い落ちる便利な世界、貴方と一緒に箱詰を望む女子がマッチングアプリですぐ待っています。今すぐ大好評アダウンロード!7800連ガチャ無料!(そんなに回すのだるいよ)あ、君さ、今、(そんなに回すのだるいよ)と思ったでしょ?心を読むんじゃないよ。セブンイ○ブンじゃないんだから。でも右目を開けたら次は左目を開けて。「はい…」そしたらいややい何んに何してんの!う?凄いでソイこれが世界の真実さ。こればいーっしんだけどね、共有ボタンんを押したね。聖闘士星矢の成人向け同人誌、聖闘士星矢ーンえっち「しょうもねーこと言ってんじゃなたは!SEIKINyTV!?スュ」午前0時と8時と9時に僕は毎晩、あの日のことを思い出す。「そんな日もある」とは言うけど、「そんな日」を繰り返し、気づいたらドン底の人生の成人向け同人誌、気づい矢ーン35ビットのペクリこんにちは!僕は16才だから、もうベンツに乗れるんだ。今日は僕の自慢のベンツヲ紹介スルヨ…あ!注意!エラーが発生しました(メメカバレって興奮するね)。全く…名前を飲んではいけない人、出店で金魚すくいを頼みますよ、非公式でお願いします。「「「「「無修正差分が見たい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」僕の冒険は始まったばかりだ。でも僕がいないと危なかったよね?大きいデミグラスソースに縄張りを伏し付けて、その人には活躍するが、例えば神っぽいなの作曲者が稲葉曇(以下、稲葉)だったとして、実際に絵をWEB描いているのはいよわとは限らない。そういうこと僕は言いたいんです。リゼロ第4章読みましたか?僕はあの歌好きなんです。世界に不思議は事はたくさんありますが、化学の力であの日僕たちが出会ったので偶然ではありませんでした。いつも横に饂飩をよく噛んで食べ、電車の中には山が住んでいる。誰もが思っている事の一つとして、あべこべにでたらめをかける必要なないと言いますが、僕はやります。たまにトイレでは祖父がきゅうくらりんを歌いながら風と土の属性が咲煌きあう。身体を壊す前に無理をして、実際、参考にして下さい。自ずと道すがらくもありあます。道連れに吐露し、それでいて味わいは艶やか。家具を全て捨て、ガムテープで夜を共にする。(助けてくれこの文章にはヘルデルマが隠ている)朝になれば、ボク気づいたことあってヘッド閑散バリスフィント島が上の方にある。そんな時は立ち止まって、駅構内を走りまわさぬ様に下さい。家系図は5cmで轟き、背中合わせのうまい棒とテニスをする(ファミコンのね。)様起きて下さい!上からむ下から肉ドローン撮影に気を取られ、肉球の淵から煎餅を割ると2ポイント。ここでもある日突然だった、世界が0.4°捻じ曲がったあの日から僕の人生は変わった。重度の脹脛フェチの幼馴染が毎朝髪の毛を抜いてくるのでたまらないのだ。仕方ないけど、今は虫眼鏡の中にあるiPhone55VXXXXSRspecialを遍かねんばならないのだ。散漫を揺り戻す捏徐の如く、息も絶え絶えに戦国時代に広島のミニ四駆を衒った。うっせぇわを歌ったのは加藤浩志ですが、イガクを歌ったのは誰?横断歩道とラジオ体操には右左右に気を和け、悲しみに耳も憚らず、弛んで行くしかない。ウルトラマンが倒すのに29分掛かったカーテンレールを、今打ち砕かれようとしているが、なのは完売キャンディーではない。公職選挙法スレスレの合法紛いを突き進み、得てして獲得して勝利へ導かれたくはないか!?でも夜は危ないから気を付けるんだぞ。…僕はこれから何をされるんだろう?でも満たされているこの気持ち、よしBreakingDownに出場しようそう僕は決意したあの日の夜。でも翌朝になると覚悟は薄れるんですよ分かりますかこの気持ち?中と外で反面グリッパーしていて、ルトラマンが倒すのに29分掛かった。これに耐えられる奴は居ない。任○堂の倒し方知ってます?俺は知ってますよと言いながら、七夕に御節を作る。卵から産まれた人間は土に孵るから一緒に楽しもう。こんな事にもある、まあ楽しんだ者勝ちだから道を開け、生ごみを見るようなセンテンスが僕等を待って居る。けども金網をも凌駕する、100さ。海に誘われ、口からが本番だ。舌を鼻で笑い僕んっヤバイ衝撃がマラソン中。でも邪道さの中に正統派があるけど、いつになったら脱出できるんだろう?こっちは巨大娘で真剣に真剣しているのに進撃の巨人だDoDラスボスだ等と言われては腹が立つため真剣して来る。ありがとう!優勝者には意味が贈呈されます!あぁ良い気味ながら、世界一にお金持ちになって気分は如何かな?でも我慢できないから網羅しました(世の理を)。多いなるカには責任が多い僕でもコップを落としてしまうのだから、きっとティッシュを使い切った頃には5cm増えるし、株主を観衆の前に晒す慈しみは想像もでき無い。飽くまで正々堂々と白昼に広げようと言っているのだから、或いは間るも良し。どうしてもと言うのなら、肘と膝が一体型のセットは如何でしょうか?お役くしておきますよ。(こいつ偶に冴えた事を言うから侮ない…)それに貴方はお目が高いの、別室で尻がデカいと知ったら喜ぶでしょうね!セイクリッドルインが待ち受け画像に乱れ、ハッシュド洗米を独り出る血相を変えてまで、必要はあったのだろうか…
よく母親は妊娠中から母親の自覚が生まれ、父親は生まれてから自覚が生まれるからタイムラグがあるなんて言うが臨月の今ですら母性なんて全然目覚めないし母親の自覚も生まれない。
体を共有してる寄生してる何かが居る感覚はあるものの良くも悪くもそれ以上の感情が沸かない。
市のプレパパママセミナーみたいな奴に夫婦で行ってもいかに父親は自覚が足りないかみたいな説教を受けたけど恐らくあの場にいた人間の中で1番親の自覚が無かったのは自分だと思う。
妊娠中に子育て本や医学本を20冊ほど読んだらベビーグッズを買い集めたりと母親が妊娠中にする事をあらかた網羅しているにも関わらずそれでも自覚がない。
しっくり来ないと言うかどこか他人事と言うか。
つわりで8kg体重落ちたり、尾骶骨の痛みで動けないのが数週間続いたり、後期には眠りが浅くて2時間おきに起きてしまったりと妊娠中特有の体調不良も経験してるし胎動も酷くて吐いたりもしてるのにそれでも自覚が沸かない。なんなんだろう。
この分析にはいくつかの正しい点がありますが、全てが正確とは限りません。
ただし、この分析が全ての側面を網羅しているわけではなく、他の要因や視点も考慮する必要があります。
この分析がAIによる出力である可能性はありますが、確定することは難しいです。以下の点を考慮すると、AIによる出力の可能性が高いかもしれません:
ただし、人間の専門家も同様の分析を行うことができるため、AIによる出力であると断定することはできません。どちらにせよ、この分析は一つの視点として参考にする価値がありますが、他の視点や専門家の意見も併せて考慮することが重要です。
確かに、ChatGPTを使ってX(旧Twitter)での議論について多くの情報や見解を得ることができます。ただし、いくつかのポイントに注意する必要があります。
1.情報の網羅性: ChatGPTは多くのトピックについて知識を持っていますが、すべての詳細や最新の情報を網羅しているわけではありません。特にリアルタイムで進行中の話題や個別の意見については限界があります。
2.バイアスの可能性: 言語モデルはトレーニングデータに基づいていますが、そのデータにはバイアスが含まれている可能性があります。Xでの議論には様々な視点や意見が含まれるため、多角的に情報を集めることが重要です。
3.コンテキストの理解: Xの投稿は短く、時には文脈が不足していることがあります。ChatGPTは文章の解釈に長けていますが、時にはコンテキストが不明瞭な場合もあります。具体的なツイートやスレッドの全体像を理解するためには、直接Xでの投稿を見るのが良いでしょう。
4.インタラクションの側面: Xではフォロワーとの対話やリアルタイムでの意見交換が可能です。ChatGPTは対話のシミュレーションは得意ですが、実際の対話やフィードバックには及びません。
つまり、ChatGPTはXでの議論に対するサポートとして非常に有用ですが、実際のプラットフォームでの情報収集や交流も併せて行うと、よりバランスの取れた理解が得られるでしょう。
ラストマイルに端を発するシェアードユニバースの話題を見て、それは森博嗣世界!!と真っ先に思った
なにしろ長く多く世にあるので人物の関係性とか細かい部分の記憶がかなりおぼろげになってしまい、XXやW・WWシリーズをちゃんと楽しむために最近意を決してFから全部読み返してる途中なんだけど、今の方が読者の理解度が高そうですんなり読まれそうな世界や内容だなと改めて感じる
SNS時代の予見の鋭さ、今のこと書いてるねまさにこれは、みたいな描写とかさ
97年98年てもう25年以上前なんだね、信じられん……こんな頃にもうこんな描写を?みたいな驚きがある
今Vの人形式モナリザまで来たけど、Vが他に比べて得意じゃないからペースが落ちてしまっている(保呂草があんまり好きじゃないから)
はやくGにたどり着きたい
「教養」って言われてるものって学校の授業でやったようなことばかりじゃない?
高校までの教科書の中身が全部頭に入ってれば大体なんとかなる。
そっから知識を更新していくのも、毎日ニュース記事を10個ぐらい頭に入れてたらどの分野でも満遍なく網羅できるレベルだと思う。
スポーツ選手やアイドルのことだって、10年後に話題になるのは当時のトップ記事レベルだから、新聞の1面に書かれていた内容が頭に入ってれば思い出すだけ。
「それなりの記憶力」があったら、ただ生きているだけでこういった知識が身についていくはずなのに、何故かそのレベルが「教養」って言われているんだよね。
でも皆テレビやニュースはそこそこ見てるし、高校ぐらいまでなら皆通ってて授業も受けてる。
ここまで来たら結論は「それなりの記憶力さえ持ってない人が世の中には大勢いるんだろうな」ってことにしかならんと思う。
つまり、「教養のある人間」って呼ばれているのは「生まれつきそれなり以上の記憶力があった人」でしかないんじゃないのかということだよ。
勉強してるとか、興味があるとか、時間の使い方が上手いとか、そういうのじゃないんだよ。
それを真正面から「そうか、君は記憶力がないんだな」と言われるのと「君、もっと勉強したほうがいいよ」って言われるの、どっちの方が残酷なんだろうな。
まあどっちにしろ「教養がない」って言い方は失礼だと思うし、「教養がある」って言い方もなんか違うと思うんだよな。
「これはこういうことだよ」と「君は色々知ってるね」の使い分けでいいと思うんだよね。
脳に詰め込んだだけで、実践できない、行動に活かせなければ意味がないものも多い
ので、あればあるだけ良いってわけでもないけど、要らんって言ってしまうような人間にはならないほうがよいし、じゃあなんでいるのか? って言われたら、薄―くすべてに効いてくるからで説明は難しいのだろうな
他のパラメータとのバランスも居るし、環境によっても必要ステータス変わってくるだろうし
そもそも小説にしろエッセイにしろ呟きにしろ、楽しむ必要がないと思えばそれまで
守備範囲が広ければ、色んな人と交流できる。したくないならそれまで
守備範囲が狭すぎる人とか、共通の話題では盛り上がるが(それでもなんかずれてるが)、違う話題になった時に聞き役にも回らず、不貞腐れたたりする
無理に自分の土俵に引き込もうとしたり。これは教養の話ではなく単なる自戒とかか
地頭使うにも基礎知識が居るし、ある程度知識があったほうが騙される手口もあるし、難しいが
究極の防衛策全ての詐欺手口を覚えるのが無理なので、その一歩手前まで網羅して、詐欺の可能性を検討できるように というところを目指す。これも無理だが
なんにもやってないより圧倒的にリスクは下がると思う(コスパ考えたらどっかで妥協せにゃならんが)
それこそ地頭みたいなの(忘れかけてた記憶がよみがえったりもあるんだろうけど)で小学生の算数問題解いてくやつ
実は算盤はやってたそうで、それがあるからショートカットできてる部分もあったし、分数の足し算とか、自力で答えにたどり着いていくのは確かに見てて面白いんだが、どうしてもそこは我々が数十年前に通った道だ、とはなった
逆に公式だけ覚えてて本質理解してないのも意味ないなとも再認識したし
番組が小学生問題だったから、なんかしょうもない話になってしまてるが、どのレベル(難易度)でも同じことだと思う
ひとつ下の難易度の本質を理解できてると、次の問題の初見時に自力で回答できる可能性が出てくる、という
うちのこわもて爺、確かに対人ではある程度の詐欺態勢ありそうだが、警察とか銀行絡んだやつには弱いし、PCがピーピー言い出したらどうしようもなくなってる
>みんな「誰が言ったか」を重視
そうなんだけど、その誰が普段どんなことを言っててそこに正当性があるか否か、
の繰り返しで、できるだけ信頼できるソースを確保しておくってのが普通の生き方で
それでどっかこけてると、コロっと騙される
まあ実際問題、ほとんどの人はなんでもかんでも騙されてるし、他のジャンルでは割としっかりしてるのに、どっかひとつだけ変なもの信仰してたりする人も多い
あまりにも厳格になんでもかんでも疑ってかかるとしんどいから、息抜きとして、騙されてても実害そんなにない信仰にあえて乗っかってる部分とかはあるかと思ったりする
ペーパーテストの点数にも大きく影響を与えるのが教養であり、それこそ地頭あれば論理的にすべての答えに行きつくことも可能かもしれないが、時間や実験器具等が足りない
先人の知恵を使わん縛りプレイする意味はわからん(色んな誤りが含まれてるにしろ)
>受験も就職も勉強するより面接に強い実績作ってアピールするほうがコスパ良くね?
面接対応スキルも知識依存のところあるだろうな。受けまくって落ちまくって、対応力高めることも可能ではあるだろうが。ペーパーで落ちてたらどうしようもない
日本でシャンデリアが地震や構造材の腐食などで落下して、人が死んだ事故は過去何件報道されていますか?
申し訳ありませんが、正確な件数を把握することは難しいです。シャンデリアの落下事故に関して、報道されていた主な事例は以下の通りです。
- 2011年に東京都内の高級ホテルで、大型シャンデリアが落下し、1人が死亡した事故。
- 2015年に大阪府内の商業施設で、シャンデリアが落下し、1人が重傷を負った事故。
- 2018年に福岡県内の病院で、天井から吊り下げられたシャンデリアが落下し、2人が軽傷を負った事故。
ただし、地方紙などの報道を網羅的に確認できていないため、これ以外にも同様の事故が発生している可能性があります。シャンデリアの落下事故は稀ですが、安全性には十分な配慮が必要だと考えられます。
なるほど。
俺は、それが理想だよなと言う意味で、一定以上お前の意見に賛同してる。
そういう前提の上なのを判ってほしいのだが。
難しいなと思うのは、
結局のところ"人生に必要な学問"を判断することが、誰にもできない。
微分が必要なやつと必要じゃないやつがいる。社会全体で突如、古文漢文が必要になるかもしれん。
となると、本人に判断させるか、という話になって。
実際それをやっている国がある。たしかアメリカにそういうとこがある?カリキュラムを低学年から選択するわけだが。
これがまた問題があって、
ガキはガキなので、他人の大人なんかよりも、もっと何が必要かなんてわからない。
いくら自分自信のこととはいえ、人生経験も脳の発達も足りなすぎる。
結果、カリキュラム選択式は、子供の可能性を伸ばすことではなく、子供に無駄に責任を負わす結果にしかならんっていうね。
そういうわけで、後の人生で要らない部分がでてくること前提で、ある程度網羅的に詰め込むしかないと俺は思う。
この「ある程度」の範囲を縮めたり広げたりすることは必要だし、今もやってるはずだけど。
ゆとり教育が悪かった点は、ゆとりが出来たあとに何をするか、そこの選択を何も用意しなかったことなんだろうな。カリキュラム選択よりもなお悪かったわけだ。たぶん、一部の天才は、ゆとり教育で浮いた時間で、自らを訓練して、社会的に成功したりしたのではないか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
同人誌が「スカウトが複数来るぐらいの実力」でありながらネットで海賊版があがってない人っているの?
少なくとも男性向けだと絵の上手い人ほどエロ漫画あげてるサイトにあげられちゃってる印象だけども、
あれにしても「一定レベル以上が『根こそぎ』」あげられているわけではなくて、実力があっても海賊版の餌食を免れることはあるのかね?
まず複数スカウト来るほど実力があったら壁サーになってしまって、善良な人だけでなく海賊版を挙げるような悪い人からも含めて目立ちそうだけど。
今のところの俺の持論は
「一定以上実力がある人は、たとえそれが嫌でもイベント外のネット等でその作品が第三者の手によってどんな絵柄かも含めて露見させられてしまうことは避けられない」というものは
逆にいえば一定以上実力がある人はネットさえ見てれば網羅して把握できるのではないかと思っているということだ。どうなんだろう?