はてなキーワード: 絶頂とは
馬鹿だからこういうこと書いて平然と気持ちよくなれちゃうんだろうけど、この手のポリコレ運動って日本発祥じゃ無いぞ
人工知能のフェアネスや倫理の話なんて海外でぎゃーぎゃー言われてて、だいぶ遅れて日本に輸入された話だし、今回の話も内的な動機で問題提起されてるんじゃなくて海外の目を気にして色々グダグダやってる印象だし
中国はやりたい放題できる一面もあるからこそ技術は進んでるけどな
まぁでもいいんちゃう?そういう背景を全く知らずに、バカなこと書いて絶頂してるバカを検出するソフトが完成したらまず炙り出されて君みたいなのが被害を被るわけだし、開発してる側は実際そこまで困らんのよ
振動の強度を10段階に設定し、円周率の計算機から送信されてきた0~9の数字に合わせて変化する刺激を楽しむオナニー。
ランダムな振動が果てしなく連続して訪れるため、強い快感に翻弄されたい人向け。
ネガティブな語群(戦争や犯罪に関するもの、不安な感情に関するもの、ヘイトなど)や、反対にポジティブな語群を送信側に設定し、
SNSを自動巡回、検索に引っかかった場合に振動へと変換するオナニー。
基本的に、世間のムードと設定した語群のトーンとが一致した場合に振動する頻度が上がるが(暗い世相とネガティブなワード、明るい世相とポジティブなワード)、
通になると、あえて食い違った設定にすることで、表層的な自我を超えた神秘的な共感が人類のどこかで生じ、それを快感として楽しむことを期待する。
セルフプレジャーにコミュニケーション要素とスピリチュアルを取り入れたい人向け。
いわゆる微弱地震が発生したときに振動することで、疑似的に地球と交歓するオナニー。
マグニチュード3未満の地震は、日本の国土に限っても1時間に数回起こっている(https://www.data.jma.go.jp/eew/data/hypo/)。
何十秒、何分間も連続して生じるものではないため、絶頂を目指すというよりは、不規則な快感を媒介にして大地の存在を感じたい、
地球に思いを馳せたい人向け。
電波望遠鏡等、宇宙からの電波を受信できる施設と提携して行うオナニー。
1977年、オハイオ州の電波望遠鏡で受信された宇宙からの信号は、その強度、発信された時間の長さ、あえてそのように設定した知性を
感じさせる周波数など、知的生命体による可能性が議論されており、観測した人物が残したメモ書きから取って「WOW!信号」と名付けられた。
WOW!信号と同じ、もしくはそれに近い信号のみを振動条件に設定することで、いつかやってくる銀河の果てからの通信を待ち望みつつ、
ファーストコンタクトを心だけでなく下半身でも感じたい人向け。
夜寝る前に完璧に決まったプロンプトをかけた後、無限生成を走らせて眠りについておきた後の大量の出力結果を厳選している時にちょっとしあわせを感じる。今日は首絞めプレイで失禁絶頂するくま耳女の子の画像がいっぱいできたよ!とってもエッチだね!
うちの妻はとにかく乳首とクリが性感帯なんですよ
とにかくこの3点をどういうバランスで刺激するか、
どこをどう指でさすったりこねくったりひっぱたりしながら
どこをキスしたり吸ったり舐めたりどう舌でこねくったりするかという
ことばっかり夢中になってるとあっという間に時が経ってしまい、
何時間でも妻を舐めていられるんだけど夜は短いので、まあ30〜60分ぐらいで我慢している
3点の刺激を完全に同期させるのか、またはあえてずらすのかなど無限のバリエーションがあるからやりがいがある
いつもは両手で乳首をいじりながらクリを舐めてイかせるんだけど、
クリを左手で軽く押したりさすったりして乳首メインでイかせるのも楽しい
何度かイかせると中も敏感になってくるのであとはペニスのコンディション次第で中イキさせて楽しむ
というのが毎度のパターンなんだけど、射精する瞬間にどこまで妻の絶頂を深められるかということばっかり
タイトル通りで、打ち合わせ中に突然身体が絶頂寸前になって危うくイくところだった。
とてもリアルで相談できる内容ではないので、もし読んでくれた人で経験者がいたら対処法を教えてくれるとありがたい。
増田は女。
その日は打ち合わせのため同僚数人と他社に出向いていて、会議室の椅子に座って1分後くらいにふと違和感を感じた。
違和感というか性感。
下腹~クリにかけてびりびりとした気持ちよさを確かに感じて驚いた。
思わず何かが性器に当たっているのか、腿の下に手を突っ込んで確認してしまうくらいだったが、特に何もなかった。
ただ急に無から性感が生えてきて、あっという間に強くなり、数分後にはオナニーも佳境絶頂一歩手前くらいの気持ちよさが下腹からひしひしと湧き上がってきていた。
めちゃくちゃ動揺したし、あまりに非現実的すぎて夢なら覚めるように念じるも会議は無慈悲に進行していき、性感を耐えるのも非常に辛くなってきた。
イキ我慢を強いられているというか…絶頂寸前で一瞬性器に触られてイケないみたいな、そういう辛さが無限に続く感じ。
思わず勝手に膣が締まる(女性の場合おしっこを我慢するのと同じ要領で膣を締めれる)んだけど、その刺激でまた微妙に気持ちよくなってもどかしくて、みたいな。
他社オフィスかつ結構な重要案件だったので途中退席も言い出せず、ひたすらもぞもぞと座り直すしかない。
女性ならわかるんじゃないかと思うけど、エロい気持ちになると臍の下らへんになんとなくじんじんするところがあって、そこをブラシでずっとゆっくり擦られているような辛さ。
そして決してイケない。会議中にイっても困るけどとにかくキツい。
会議が長引いたので1時間近くイキ我慢をさせられていたのだが、最後の方はこれ脳の病気だったりするかな?と半ば恐ろしくなっていた。
ようやく会議が終わり、立ち上がると性器が接地しなくなったからか少しマシになった。
すぐにでもトイレでクリオナしたかったが、急用で自社に戻る必要があるとのことで社用車に向かう羽目になる。
依然キツかったが、会議中に比べると性感はやや弱くなっていて、多少我慢できると判断した。
後部座席にずり落ちるように座り、性器を接地させずに尾てい骨辺りをシートにつけるとだいぶ辛さが弱まった。
そして自社に戻って速攻トイレに走り、クリオナの前にとりあえず用を足すと、なんと!あの地獄のような快感が一気に消えたのだ!
一度始まった性感が用を足すことで消えるなど前代未聞だが、とにかく嘘のようにさっぱり平常運転になっていた。
肉体的には解決したものの精神的には消化不良感が凄く、一応クリオナしておくか迷ったがやめた。
手を洗いながら、エロから解放されて冷静になった頭で原因を考える。
正直心当たりは全くない。
前日の深夜に急にムラムラしてクリオナを始めてしまい、深夜2時に就寝していたがそれが関係あるとはあまり思えなかった。
エロ方面での原因が思いつかなかったのでおしっこ方面(?)で考えてみたところ、ふと1つの仮説に辿り着いた。
その日はクリオナ深夜2時就寝のせいで寝不足で朝からアイスコーヒーをガブ飲みしていた(M2杯)のだが、カフェイン摂取時は頻尿気味のこの自分が今まで一度もトイレに行きたくなっていない。
もしかして、おしっこをしたいという感覚が性感に置き換えられてしまっているのではないだろうか?
文章にするとアホのエロ漫画のような仮説だが、しかし実際これは正しかった。
その日の午後のデスクワーク中にもまた急に性感が降ってわいてきたのだが、仮説に基づいて即トイレに行き、用を足したところ、何事もなかったかのように収まったのである。
一体どういう原理なのか?
原理がわかったとしても、この先一生おしっこをしたくなる度にイキ我慢状態にならなければならないのか?
不安を多分に抱えて帰宅したものの、今のところあれから同じような状態にはなっていない。
正常にトイレに行きたいなと思ってトイレに行くし、正常にエロ漫画を読んでエロい気持ちになっている。
就寝直前にオナニーし、寝不足の身体で大量のカフェインを摂取したことがよくなかったのだろうか。
そのような症例を聞いたことはないし、医者に行ってもエロ漫画を読みすぎた妄言野郎だと思われる気がする。
かといって再発防止策がわからないままだとまたおしっこイキ我慢状態になってしまう気もするし、白黒はっきりつけたいところではあるし…。
冒頭にも書いたが、何か良案があれば教えてほしい。
【追記】
「理想の死に方は何か」という定番の話題がある。雑談は性癖を披露する場ではないので適当なことを言って流すが、本音を言えばゾンビに噛まれて死にたい。
『さんかれあ』最高です。ブコメで教えてくれた方ありがとうございました。
2015年5月16日 ゾンビ映画 ナース とかで検索すれば出ると思う(一応検索除け)
自分がそのゾンビに噛まれることを妄想すると股間に違和感を感じた。
戦隊モノは、味方が敵に捕まって洗脳された場面。ドラえもんは、スネ夫が寄生生物に操られたところ(ドラえもん のび太と銀河超特急)。
ここで俺は法則に気付いた。洗脳・感染で自我を失うシーンを想像するとちんちんが大きくなるんだ!と。
確かに、ヴァンパイアに噛まれる絵本を読んでいた時にも同じ感覚だった。
その後は詳しく覚えていないが、初めて性的な気持ちよさを感じたのを覚えている。白いのが出て焦ったとかいう記憶はないので、射精はしていなかったのかもしれない。
しかし、あれは確実に、初の絶頂だった。精神的精通はゾンビお姉さんによるおねショタによって起こった。
以降、思春期を通じて性癖は生生流転したがゾンビお姉さんだけは常に活きていた。
【余談】
ゾンビAVはハズレが多い。俺は上記の理由でゾンビを愛しているので、力のある男がゾンビになった女性を好き勝手するとか、男のゾンビが女性を襲うとか、単純なグロテスク趣味は好みではない。
より精神的に海綿体に語り掛けるものが好ましい。例えば、愛していた女性がゾンビになり、自分も共にゾンビになることを選び、彼女に噛まれながら辛うじて意識を保って行うセックス、これが至高である。
ということで、余談とは書いたがここからが本当の目的。以上を読んだうえで俺の好みに合いそうな作品を教えてほしい。ゾンビに限らず感染・洗脳なら何でも良いし、もちろんAVでなくても大歓迎だ。
【蛇足】
将棋で抜いたことがある。以上を読んでくれたならその理由はわかると思う。
これに関しては思春期特有の性癖で個性を出そうとする行動な面もあったかもしれないが、将棋はエロかった。チェスはエロくない。
さっきまで仲間だったやつらが、こちらの王を狙って攻めてくる。当然その逆もある。
だからさ
アニメの描き方で真由がしつこく食い下がって、それをはねてオーディションって時点でもう真由の勝確なの
だからまぁ、原作では久美子が勝つし、消化不良って感じる人も居る
それはそう
で、アニメ化するにあたって
久美真由を推しだした
もうこの時点で、久美子は負けるしかないんだよ
久美真由をきちんと描いて、真由の過去とそれに伴う辞退を否定して
そうして久美子が勝つなんて、そんなシナリオの方がクソだよ
だってさ、考えてもみようよ
さんざ部をひっかきまわして、ある種久美子自身の我儘で真由を表舞台に引きずり出して
その結果、銀でしたなんてそんなシナリオ、許されるわけないだろ?
真由がソリに選ばれたから銀でしたって描くとしたら、逆にリアルですげぇなぁとは思うけどさ
あの作風でそれはないでしょ
そこはファンタジー展開にするでしょ
なんでシナリオがあの描き方になったんだと思う?
神作画だって話題になったが、あそこのシーンで予算の三分の一使っていても驚かないよ
(それだけのクオリティだったって意味じゃなく、あそここそが描くべきポイントだったって意味)
なんていいシーンなんだぁ
絶頂する
みたいな奴ヨ
あの回こそが最終回なんだよ
後は惰性・蛇足
でもあれさ、真由は居心地悪いよね
部の有力者は久美子を選んでいて
自分自身すら部の状態を考えたら久美子が選ばれるべきだと思っていて
音楽に関しては最有力者の麗奈から選ばれるが、選んだことを自身は喜んでなくて
なんなのこれ?って感じ
でも違うんだぜ
俺の場合は嫁にテクニックがなく、ほぼマグロなので無理になった。
毎回こっちがすごくあれこれテクニックを駆使して相手を絶頂させてて、それはそれで楽しいんだけど毎回だと疲れる。
しかしそれを伝えるのは恥ずかしいし、そこまでして嫁とセックスしたいかと言われると、うーん、別にどっちでも良いかなって感じ。
これはたぶん俺の側に飽きがきてるのもあるんだと思う。だってたぶん他の女ならギンギンになる自信あるもん。でも嫁だと少ししか勃たない。
そこをテクニックでカバーして欲しかったというか、もう俺にとってはマッサージ的な快楽なんよね。嫁にたいしてトキメキとかあまり求めてないからそういう感じになってしまった。
これが初対戦の好みの女なら(オスの本能として精子を可能な限り多くのメスにバラまきたいのだろうか)めちゃトキメクと思う。もし俺が風俗に行くならそういうのを求めて行くかも。あと純粋にテクニックも良さそうだから、そっちもめちゃ期待するかな。
おっと具体的にどうすれば良いのか、だっけ?
俺が相手ならテクニックかな。あとはダラダラゴロゴロして添い寝してる時にこっちはおっぱいとかマンコとか弄ってるから、相手にも俺の乳首とかチンコを弄ってて欲しい。
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。