はてなキーワード: 精神障害とは
それは正しいと思う。
ただ生活保護と言っても幅がある。
例えば生まれ持っての身障、知障でそもそも先天的に労働能力がない場合であれば、生活保護受給は止むを得ないと思う。
しかし後天的に、例えばパワハラ職場にいながら転職の努力をせず、病気を発症した精神障害は生活保護を受ける権利があるか?
恐らくそこには「権利はない」のが正しいのだと思う。自己責任で労働能力を失った犯罪者を保障するのは倫理的に間違っている。
ただ遠回しの自殺もできないので、生活保護を受けてただ廃人のような生活を送っている。
納税者様におきましては、このような犯罪者が貴方様の税金を無駄に浪費している事実を鑑み、生活保護を廃止を公約に掲げる政党への投票をお願いします。
ほとんどの企業は発達障害や精神障害者など分かっていれば絶対に採用しないし、もし間違って入ってきてしまったら虐めるなり窓際に飛ばすなりして排除しようとする。社会が彼らを害悪な存在と認識してることは明白だろう。
では何故例のDaiGo氏の発言は炎上したのか?生活保護やホームレスというのは社会に適応出来なかった弱者達の馴れ果てであり、健常者達が排除してきた存在のはずだ。それなのにDaiGo氏の発言を批判していたのは、揃いも揃って何不自由なく生きている人達ばかりだった。生活保護やホームレスかどうかはさておき、それらに近い弱者の立場の人からは意外と反対意見は少なく、むしろDaiGo氏に共感する声の方が目だった。
また、日本では安楽死も認められていない。どれだけ社会の役に立っていないゴミのような人間であっても、生きることが賛美される。なのに社会は彼らを仲間として受け入れる気は一切ない。この社会は一体、弱者にどうして欲しいのだろうか?
生まれ持った障害、途中で障害者になった、義足車椅子などの目に見えてわかりやすい障害、目に見えない発達障害、精神障害、内部障害、ギリギリ健常者扱いされてしまうグレー…などなど多様性枠の中の障害者にはちゃんと多様性があって、雇用や生活に関する苦しみも表現しやすいし浸透してきてる。
ハーフ(MIXと言ったほうがいい?)、クォーター、ゲイ、レズビアン、バイ、トランスジェンダー(一部)、アセクシャル宇多田ヒカルetc…こちらも生まれ持ったもの(一部の自称トランスを除き)、変えることが基本できない国籍、人種、性に対する苦しみもそこまで想像するのが大変じゃない。
その中にただ「デブス」を放り込むのはあまりにも残酷じゃないですか?
「デブス」なだけで生活や雇用で何か困ることがあるんでしょうか?
障害者扱いされたい、されたくない、色々あると思いますが「デブス」をLGBTや障害者と同じ多様性枠に入れてしまうのはあまりにも危険だと思います。
このままでは「デブス」というだけで名誉障害者になってしまいます。
「デブス(障害)なのにおしゃれ!」みたいな褒め言葉を本当にデブスの方々は求めているんですか?
さまざま感じていますが、なかなか受け入れるのには時間がかかります。
ですが生まれ持ったものであるし、実際生活には不便しているのでその扱いを受け入れられます。
でもただ「デブス」なだけの人がこの扱いをされたら…?と思うと心の底からゾッとしてしまうんです。
先ほど言ったような
デブス以外の障害者にとっては嬉しいものですよね?(よっぽどルッキズム反対でない限り)
ではデブスの人は、どうやって容姿に対する褒め言葉を受け取ればいいんでしょうか。
「デブス(という障害者の中ではそれなりに)可愛い♡」にしかどう頑張っても聞こえませんよね?
「デブス」を多様性枠に放り込むと、「デブス」と「デブス以外」を明確に分け、グラデーションには決してしないことにより完全に違う土俵に立たされてしまうのです。
「多様性枠の中のデブス」認定されている人に対して「障害」であるデブスの部分を褒めると『直球の嫌味、差別』に変化してしまいます。
それを避けるため、容姿褒めの後のフォローとして内面やセンスなどを褒める人が多いです。
「デブス」は「デブス」な自分を肯定したいのに、「デブス」部分が褒められなくなり、アイデンティティが崩壊します。
「デブス」ならばせめて、内面やセンスが良くなければいけないという新しい価値観も生まれてしまいます。
「デブス枠」と「非デブス枠」は建前上は対等に扱われなければいけないため、同じステージに上がることも多いでしょうがさまざまな部分から明確な差を「デブス枠」は感じることになります。
「デブス」を障害者にするのは一刻も早く辞めたほうがいいです。
あからさまにデブスを入れてしまうと差別的なので、どうしても入れたければ「微ブス」「微デブ」「ちょいデブ」「デブ」「ブスだけどスタイルはいい」と細分化しましょう。
懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者について左の事由があるときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によって執行を停止することができる。刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできない虞おそれがあるとき。
懲役刑の受刑者が、病気を理由に刑の執行停止を受けて釈放された事例
事案
懲役刑が確定し、拘置所から刑務所へ移送される予定だった受刑者が癌に罹患していることが判明したため、刑の執行停止を申立てたところ、これが認められて外部での病院で治療するために釈放された事例です。
経過
被告人は懲役1年の実刑判決を受け、控訴することなくこの判決が確定しました。拘置所から刑務所へ移送される予定でしたが、拘置所内の診察で癌の疑いがあることが判明しました。公判で弁護人を担当していた弊事務所に、本人からそのことを伝える手紙が届いたことから、弊事務所で刑の執行停止の申立書を作成するとともに、受刑者が癌に罹患している疑いがあることを証明する資料や、刑の執行停止後も治療に専念し、逃亡しないことなどを誓約する資料を収集・作成し、これらを添えて申立書を検察庁に提出しました。
その結果、無事申立てが認められ、検察庁の指揮によって刑は一時停止され、本人は釈放されました。その後、家族に付き添われて病院で検査を受け、現在も治療を継続しています。もちろん検察庁へは家族から毎月状況を報告しています。
【A級】……刑期が1年以上8年未満の犯罪傾向の進んでいない者(初犯者)⭐️
↑ ぜんぶ該当している
顔面神経麻痺といった医学上の正式な疾患ではなく、顔の美醜によって受ける社会的な不利益や困難、損失のことね。
KKOやBKOであれば、詳しく書かなくても分かってくれるだろう。
容貌の美しさによって周囲の人間から受ける扱いが変わったり、ひどい時にはイジメや迫害を受けることもある。
身体障害や精神障害に関しては、賛否両論あれど社会によって社会保障の対象として手厚く保護してくれる。
現在行われているパラリンピックのように、国家イベントとして盛り上げてもらえる。
しかし顔面の美醜で不利益を受ける人間には、何の保障もされていないではないか。
第3次産業に従事する日本人が過半数を超えていて、誰しも顔面の美醜による利益・不利益に関心を持っているにもかかわらず、未だに顔面障害は「障害」だと認められていない。
人間は顔より心が重要だから「障害」だと認めることが出来ない、というロジックなのだろうか。
繰り返すが、顔面の美醜によっていじめや迫害といった実害につながるという実態があるので、障害として認めてもいいのではないか。
https://anond.hatelabo.jp/20210817051552
この増田、大変な思いしてきて充実した人生送れているようでよかった。
ただ、ここに出てくる役所の人は本当にひどいと思う反面、自分が接してきた役所の人と違いすぎてびっくりしている。
自分の担当ケースワーカーを振り返ると、ルールはルールとして毅然とした対応をしつつも、常識的な言動をしていたように思える。
自分が生活保護を受給することになったのは、障害福祉サービス事業所の支援者の提案からだ。
私は発達障害があり(就活中に医師から指摘され検査、診断)、大学から地元に帰り就職するも適応障害で退職。
通院先を確保するや否やハローワークに向かうも、職員から紹介された精神障害トータルサポーター(精神保健福祉士)から
「働くことを考えるのを辞めなさい」と言われ、日常生活の安定に専念するようになった(当時は週1日しか家から出れなかったが、なぜか自分はフルタイムで働けると思い込んでいた)。
その過程で、学びの中でライフスキルの獲得を目指す障害福祉サービス事業所(以下施設)を紹介され、見学後、通所することにした。
施設利用を始めるにあたり、症状やこれまでの人生について取りまとめるのだが、「よく生きてたね」と言われた。
こう言われるのは珍しいことではなくて、発達障害の診断を下した医師もWAIS-Ⅲの結果から同じことを口にした。
その時はよく理解できなかったけど、支援者(精神保健福祉士)が取りまとめた内容を読むと、自分でも「よく生きてこれたな」と思った。
発達障害や精神障害がある人のあるあるだけど、人前に出ると必要以上に頑張ってしまう特徴がある。
そして誰も見ていないところで再起不能に陥る。まさに自分はそれだった。主旨から外れるので割愛するが、ひどい人生を送っていたことに気付けた。
貯金が底をつきかけていたのだ。自分としても支援者、医者としても、今働くのは無理だという点で一致していた。
今は環境を整えて、自分を振り返って、自分らしく日々を送れるようになることが第一だ。
でもお金が無くなる。どうしよう。
自分なんかが受けられるわけがないと思っていたが、説明を聞くうちにそれがただの思い込みだということに気付かされた。
当時の自分は、話を聞くのも話すのも時間がかかり到底役所の人と話ができる状況にはなかった。
そこで支援者に市役所と日取りを決めて、自分がすべきことを教えてもらい、準備を始めた。
預金口座、保険の加入状況、残金、病状をまとめたペライチの作成……。
そして申請当日。
時間は1時間ほどだったと思う。話はほとんど支援者が進めてくれ、自分は事務的な話しかしなかったと思う。
元増田のように、市役所の担当者が不親切なことはなかったと思う。
今推測するに、自分が福祉とがっつり結びついていたから、ある種の信頼があったのだと思う。
福祉サービスを利用するには、居住地の福祉窓口を介して審査を経て利用をすることができる。
つまり、障害福祉の部署へ「就労不可」の情報が記録されているため、生活保護の窓口への根回しがある意味済んでいたのではないだろうか。
元増田のブコメに「〇〇党の議員に頼れ」とあるが、あれはその手段もある程度に思っていた方がいい。
議員に付き添ってもらおうが無理なケースは無理だ。
そのためには、福祉でもなんでもいいから支援を受けている実績を残すことが大事だと思う。
支援を受けているのに生活保護だけ断られることが起きたら、それこそ役所の中で大事件になる。
まあ、そのための議員なのかもしれんが、議員は自分の生活の面倒までは見てくれない。
何らかの形で支援者と結びついて日常的なサポートを受け続けることが大切ではないだろうか。
その後担当のケースワーカーが3回変わったが、特に可もなく不可もなくといった付き合い程度だった。
生活保護を受給している間に、障害年金を申請し、眼鏡を新調し、小学生からの腹痛の治療をようやく開始し、上からも下からも内視鏡を入れられ、ピロリ菌を除菌した。
医療券にはさんざんお世話になった。
また、生活保護を受給した最初の月、3万円も余ったことに驚いた。
生活保護は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものと考えているが、
それじゃあ治るものも治らないし、布団の中から出られるわけがない。
あと大豆プロテイン始めた。筋肉は裏切るけどタンパク質は裏切らない。元気が底上げされた。
元気が出てくると外に出たくなって散歩を始めた。
施設に通うようになるといろんなことを学べた。
自分は自分らしい人生を送れること。同じ境遇の仲間がたくさんいること。そうした人たちが人生を取り戻していること。
自分もそうなりたいと思った。
一方でけんかもたくさんした。人間関係上手くいかないことばかりだった。
でも人生で本来得られるはずだった時間を追体験させてくれた施設には感謝している。
市役所には自分一人で行けるようになって、所得の申請と医療券の申請に毎月通っていた。
生活保護の担当の人との思い出はそんなにないけど、福祉の担当者の方とは温かい思い出が少しある。
そうしたつながりが生活保護の担当の部署からの信頼に繋がっていたのではないだろうか。
正規採用で就職することになったときには、スーツ代も申請したし、就労祝い金的なものももらえた。
人間らしい生活をするにはこんなにもお金がかかるんだと怖くなったけど、障害年金支給決定した時に一括で支給した分返済したから心残りはない。
今思うと、ハローワークの職員の方から始まり、主治医、支援者、障害福祉の担当の方に支えられて生活保護を受給することができ、
生活保護を受給することで人間として再スタートを切ることができた。
今振り返ると、その鍵は役所に自分という人間のありのままを知ってもらっていたことに尽きると思う。
でもそれは、元増田のような過酷な状況ではとても無理だと思う。
ただ一つ思うのは、生活を日常的にサポートしてもらえる体制が組んであれば多少は違ったのかもしれないということだ。
もちろん、元増田の出会った役所の人間は論外だが、相手が何者かわからないとき人も組織も非常に警戒するのははてなー自身がよく知っていると思う。
その疑問を解きほぐすための支援者がもっと増えてほしいし、もっと気軽に繋がれるようになってほしい。
支援を受ける自分たちも、もっと自分に必要な支援が何か、明確に言えるようになってほしい。
相手が何者か確認でき、信頼されるならば必要以上に無下にはされない。
ただ、現状はそこのハードルが高すぎる。
様々な精神障害で貧困に落ち、その結果として様々な依存になった。まあ、貧困やつらい状況になった時点でゴミみたいな連中がはめ込めると近づいてくるからそれで精神障害になったのもあろうが。
氷河期世代の間抜けさとか愚鈍さっぷりを嘲り笑うネットの意見が多いが
「じゃあ実際あの時代に自分がその渦中に遭遇したとしてどうすればよかったのか」っていうのは誰も語らないよな
思い切って裏稼業に突っ込んで半グレやヤミ金になった氷河期世代もグレーゾーン金利や取り締まりの激化で消息不明
当時雇用が多かったIT業界言っても廃人や精神障害食らってリタイアとか
SESや特派でマトモに情報収集もできないまま社会認識が10代で止まったままの底辺PGのおっさん化して人生終了(ここによくいるオッサン増田の末路、web業界斜陽化になったせいでもはやネットからも姿を消してしまった)
起業なんかしたって99%大失敗で借金抱えて狂って廃人化(起業のコンセプトや発想は正解だったのに資本力が力足りずに大失敗して狂ったネトウヨに成り下がったヨーゲンなんかいい例)
思いつくだけで、これだけの動きを氷河期世代だって頑張ってやってたんだが
どれも大失敗してるわけで
何をどうすべきだったんだろうなと思う時があるのよな
これからコロナ禍で地獄のような就職状況につっこむ学生の増田たちの反面教師にもなると思うのよ
この辺の考察って