金融立国ってか馬鹿馬鹿しい
]]>海外に子会社を持っている投資立国だとか、海外依存度が低い内需立国だとか、今の統計情報から判断すればそうなのだが、
将来内需は先細りになるのだから、海外に出ていく割合を増やすべきだろう。
AIで解決だという意見もあるだろうが、AIも、AI動かす計算機も海外製、日本の物価反映した値付けされるならいいが、
毎年企業成長率に合わせた価格上昇を否応にも飲まざるを得ない状況になるのは、問題になるのではないか。
中国がなんだかんだ成長したのは、Amazonが中華系で埋め尽くされるくらいの度胸なのだろう。
AIを使ってもおそらく内需は増えない。AIで海外進出を目指すべきだろう。
消費者は、消費する金があるなら投資に回すだけなのだ。
]]>かつての技術立国はもはや失われた
昔は日本の製品はいくら払ってでも欲しいと言われたのに今では安さしか売りがない
日本のものづくりってここまで落ちぶれた
]]>]]>令和5年11月17日午後4時ころ、東国分町内(国府小学校区)において、小学生が
(1)老夫婦にキャラクターの人形を差し出され「あげようか」と声をかけられた事案
(2)白色のお面をつけて、白色の手袋をした男の人を見かけた事案
がありました。
不審な人物を見かけた際は近隣の家に助けを求める等、安全を確保したうえで、すぐに110番通報又は最寄りの交番、警察署への通報をお願いします。
また、この情報を周辺の方々にも伝え、注意を呼びかけて下さい。
俺は以前「ソフトウェアとレバレッジ」という記事を書いて馬鹿にされた者だが、正面突破系の連中はマジでリスク概念を持っておいたほうが良いぞ。
アンチパターンと一見見えるかもしれないが、モバゲーやGREEが一斉を風靡した時代、投資コストが非常に低いのに莫大な利益をもたらすことが業界でわかっていたはずだ。
正面突破も確かに魅力はあるかもしれない。つまり技術優位性を確保できるということだ。そのような技術に投資する他国がいないので有利になる可能性があるということだ。
しかし、ソフトウェアというのは効率の産物だ。一度作ったらそれを様々なところへ配布できることに魅力がある。
システムを開発して、一回きりで終わりというのではレバレッジは効かない。特定の汎用システムを作り、世界中へ配布してこそレバレッジが効くのである。
しかも作ったソフトウェアは無制限にコピーできるので、物理製造よりも圧倒的にレバレッジが効く。
そもそも、金融においてレバレッジとは、他人から借りた資産と自分の資産の比率のことである。
ソフトウェアにおける一つのレバレッジの形態は、フリー・オープンソース・ソフトウェア(FOSS)ライブラリを使用することで、開発者は他人のコードを活用し、より少ないコードベースで提供される機能を倍増させることができる。
あるいはブログプラットフォームのレバレッジはわかりやすいかもしれない。コンテンツをユーザーに作らせ、そこに検索エンジンからのアクセスを獲得する。そしてプラットフォームシステムの提供者は、広告を載せることで利益を獲得する。
これは「コンテンツの作成をユーザーに肩代わりする」という形態のレバレッジである。一度プラットフォームが有名になり、誰もが使うようになれば、非常に低い労働コストで高い利益を獲得することができる。
なにより、広告産業のレバレッジは最も魅力的な形態だろう。インターネットを通じて広告の効果は極大化される。
手の込んだFF14のようなオンラインゲームというのはGREEなどと比較すると正面突破的であり、レバレッジの世界ではないかもしれない。
しかし、日本人の正面突破気質は、それはそれで良い気はする。あとはグローバライゼーションと売り込みのセンス。
]]>まず就職しても待遇が悪い。例えば大手メーカーの研究開発職に就いたとする。修士卒業の場合、だいたい初任給は23万円/月だ。どんなFラン大学を出ていようと東京大学を出ていようが変わらない。一律たった23万円。もちろんここから上昇するにはするが非常に緩やかな上昇だ。年収800万〜1000万に到達する頃には40歳くらいになっているだろう。大学、大学院と勉強や研究を重ね知識や技術を磨いてもこの程度にしかならない人生だ。
一方、大学時代は遊びほうけ頭すっからかんのくせに就活中だけは意識高く振る舞いそれらしいことを言ってうまいこと商社・広告・マスコミ・金融などの大手に就職できた文系の人達は30歳になる頃には1000万円をもらっている。これらの高給文系職は無駄に激務であることを踏まえてもなお、大学は適当に遊んで文系就職した方がコスパが良いと感じる人は多いのではないか。更に悪いことに、メーカーでさえ文系の総合職の方が平均年収が高くなる。あまり将来のことを考えず理系科目が好きだということで理系に進んでしまった学生は就活する段になってようやく日本が文系社会であることに気付く。技術立国とは名ばかりで学の無い連中の馴れ合いで社会が動かされており文系社畜にならなければ良い待遇が得られないという事実に気付く。
そして博士課程に何の魅力も無い。優秀な学生が少なく、学生時代の待遇が悪く、卒業後に希望がない。アメリカのトップスクールなどにおいて博士学生というのは非常に厳しい選抜を勝ち抜いたエリートである。一方、日本の大学院の博士課程は東大ですら誰でも入れてしまい無能が入り込む余地が多分にある。もちろん東大には超優秀な博士学生がたくさんいる。しかしそれ以上に無能な博士学生の多さが目立つ。博士学生同士で切磋琢磨ということはあまり望めそうにない。
学生時代の待遇も悪い。アメリカをはじめ諸外国のSTEMなPhDプログラムでは基本的に給料が出るし、学費もかからない。一方の日本の博士学生は学費を自分で支払う必要があり、さらに給料は基本的に出ない。もちろん学振を取ったりリーディング大学院の奨励金等を受け取れば20万円/月程度であれば稼げるが、これらには研究専念義務(笑)というものがあり副業や奨学金などによる追加収入を得ることは禁止されている。海外の給料が出る大学院であればこのような制限はない。追加で奨学金を重ねることもできるし、RAをこなしたりインターンシップで稼いだりすれば(かなりうまくいけば)年600-700万円くらいの稼ぎは得られる。
月20万円というのは20代後半の大人にとっては非常に厳しい額だ。実際には税金や学費などが引かれ月15万円程度の収入になるだろう。東京で月15万円で生活することを考えてもらいたい。まず家賃で7万円は飛び、光熱水費で2万円、食費4万円はかかる。この時点でもう月2万円しか手元に残らない。ここから交通費やら何やら出していれば全く貯金できないことが分かる。月15万円というのはギリギリ生存できる最低限の収入である。ちなみに学振というのは世間一般からすれば一握りの優秀な博士学生しか獲得できない。アカデミアの未来を担うホープをパートのおばちゃん並の価値であると見なし更に研究専念義務という謎の仕組みで縛り上げ貧乏を強いているのが日本だ。
耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶと報われるかといえばそんなことは無い。諸外国ではPhDを持っていると基本的には良い待遇を得ることができる。自分でプロジェクトを興し引導し対外発表ができ文章が書け更に専門知識を持つ者として高く評価されているからである。一方、日本の博士はどうだろう。企業の求人をみても月25万〜28万スタートのところが多い。博士を取ることによるプレミアが皆無であるという企業からのメッセージである。博士号を要求する職ではどうだろうか。研究所や大学の教職などがあるだろう。いずれも酷い待遇である。国を代表するような研究所であっても初任給400万/年くらいである。大学に至っては教授に上り詰めても年収1000万程度しかもらえない。日本では研究が大好きであるということ以外に博士課程に進む理由が無い。
いやー夢が無いねえ。そりゃ傾くよねこんな国。高校生諸君、悪いこと言わないから適当に早慶くらいで文系学生やって遊んでイキって暮らしていこうな。
]]>運動選手だって大学行ってスポーツ科学とかやる時代だし
で、全員が「私はこの分野は素人なので恐縮ですが」って言って質問するの
]]>ユートピアじゃないですか
]]>それ技術じゃなくて製造立国だよね
フランスみたいに造船の特許握って韓国から搾り取るとか
オランダみたいに半導体製造機器握って韓国中国から搾り取るとか(これは日本頑張ってるが)
イギリスみたいに言語と金融を握って世界から搾り取るとか
賢くやっていかないと昔のように教育レベルの低い人間が工場で頑張って物を製造して稼ぐという姿勢では破綻するよ
それでアメリカが日本に食われかけたじゃん
]]>・国際競争力の低さのおかげで低賃金だった
・パクリも公害も人権も気にしない何でもありのスタイルだった
・恥も誇りもなく「勉強させていただく」の言葉の元に無限にパクっていた
・既存の産業が経年劣化しており最新技術への一斉転換しても惜しくない状態だった
この条件に着々と近づいている。
円がゴミになってきたことで他国と比べて人件費は安くなってる。
新興国と言われていた連中もドンドン給料が上がってきている中で日本だけが現状を維持しているので、10年後20年後には相対的にかなり安くなる。
ビッグモーターのような反社会的な企業が平気でのさばっていて、もう中国企業を笑えないような民度になってる。
国産技術に対しての妙なプライドも無くなってきて、技術は海外から借りるものという意識が強くなってきてる。
昔ながらの職人芸をやっていた工場は後継者不足により20年もしたら一通り消えるだろうから、結果的に工業分野において新陳代謝の機運が高まるのが確定してる。
これは凄いぜ。
完全に追い風が吹いてる。
ボーナスからオーナスになりまたボーナスに突入する波の転換期にあるんだよ。
いやー日本の未来は明るいぜ。
まあその頃には俺はもう高齢者だけど、若造共がタップリ税金収めて支えてくれるのに期待しとくぜ。
]]>自公維国、自維国、自公立、自公立国、維公立国、くらいは検討して良いだろう。
え、維新と立憲がくっつくはずないって?維新の党と民主党が合併して民進党になったことを考えたら、全然アリと思うけどなあ。
れ新、共産が組閣する未来は見えづらいけれど、立社れ共ならあり?かつての民国社政権より脆弱な気もするけどな…細川内閣よりは盤石になるか?
とにかく。今の政治の停滞感の要因は、各政党の「下野するかも」「政権入りできるかも」という緊張感のなさに他ならない。
自公がちょっとやらかしても政権からずり落ちるわけないとタカを括ってるから居座り続ける。
すぐに政権入りすると思ってないから野党同士で内ゲバする。
二大政党制が機能してれば最初から緊張してるんだろうけど、今そんな機運はない。
せめて連立の組み替えで組閣する政党が変わる可能性が出てくるなら、どの政党ももっと真剣に活動するはず。
なーんてね
]]>https://twitter.com/kazzuaki/status/1681307788864258049
]]>①累進性が壊れてる最大の理由は分離課税+軽減税率の合わせ技。資本軽課=租税支出=補助金によって経済成長を実現できるとした時代があった(2000年代前半)。貧乏人に金を渡すとすぐに消費してしまう。リテラシーが低いので、投資といっても貯蓄に回してしまう。しかし、これからの時代は株式や金融派生商品の時代だ。直接投資を増やさないと経済成長しない。だから金持ちを優遇すれば 彼らは所得の割に消費しきれないわけだから、その余った金を貪欲に直接投資に回すはずだ。そうすれば経済成長する。貧乏人は誰も助けてくれないとなれば一生懸命働くだろう。この合わせ技で経済成長すれば貧乏人だっておこぼれに預かれる。金融立国、聖域なき構造改革とはこのことだ。
②日本の所得税がスカスカになってる理由は所得控除。特に給与所得控除と公的年金等控除がでかいが、これは減税額によってサラリーマンと自営業者(青色申告)と年金受給者との負担を調整してきた結果。所得控除の仕組みが高所得者減税になっていて、低所得層に恩恵がない形だったのは勤労を重視していた(小熊/井手)から、というのが通説だろう。
③福祉国家を維持するための財源として他の制度が重要であったこと。日本の社会保障の中心は社会保険(ビスマルク型社会保障)。社会保険料の負担の特徴は再分配を効かさないこと。リスクに応じた負担(民間保険)よりは定額保険料の方が社会的であるし、定額保険料よりは定額から所得に応じて負担が減少してゆく擬似比例負担の方が社会的。この社会保険の共助的公平性が日本の公平感の基礎にあり、それが諸税の女王たる所得税の地位を低いものとした。社会保険料控除も大きいし。そこに付加価値税が登場することになる。付加価値税に触れ始めるとこれはこれで長いが、直間比率を間接税に寄せた方が経済成長する(2度目の登場だが言説としてはこっちが古い)、高齢者の負担(年金所得を控除しといてなので減税スパイラル)が不当に小さい、などといった理由で所得税より付加価値税が好まれた。欧州的には輸入品に課税できるということ、輸出品に課税しない(租税支出=補助金)ということで、経済のグローバル化に対応した税だということだったはずだが。福祉国家の充実には、この新しい税制である付加価値税が鍵なんだと(事後的にではあるが)評価され、所得税へと注目が集まらなくなっていった。
この辺りの再分配の不味さに対して専門家はずっと苦言を呈してきたが、社会/政治的な支持は減税/増税阻止で安定してきたので、金持ち減税/勤労(プロテスタンティズムとは違った意味で)を重視する租税制度が出来上がって今に至る。ここにメスをれようてして失敗したのが新しい資本主義ね。
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ところが、大手金融機関の一部首脳は「NISA拡充は100点満点中で120点だけども、資産運用立国構想はちょっとね」と決して前向きではない。国内金融は不良債権問題が峠を越えたこの20年間、大きな再編がなく、経営状況も悪くない。ただでさえ保守的な金融界にさらなる事業改革の機運は乏しく、摩擦が避けられない金融再々編に後ろ向きなままだ。運用会社の大規模再編の起爆剤として、日銀が保有する上場投資信託(ETF)の放出など一種の奇策も必要かもしれない。
主要国の金融引き締めで遠からず調整局面がくると予想される。「シャドーバンク(影の銀行)」には規制強化の流れもあり、岸田政権の「資産運用立国」宣言の賞味期限は長くない。国際金融センターとしての日本の地位はシンガポールや香港に大きく差をつけられたまま。国内金融機関が資産運用事業の改革に後ろ向きなら、金融立国の好機はまたしても遠のくだろう。
]]>国内大手運用9社の「委託調査費」は1125億円(22年3月期)と前年度比25%増え、9社合計の純利益(1040億円)を上回る規模になった。日本勢には海外株の高度な分析ノウハウが十分にはない。「貯蓄から投資へ」の流れが強まれば、国内運用部門の空洞化も強まる皮肉な構図にある。遠い道のりにみえる「資産運用立国」だが、方法はあるのか。金融庁は4月に「資産運用業高度化プログレスリポート」を公表して、運用ビジネスの問題点を指摘した。ただ、その提案は資産運用会社トップへの親会社からの「天下り」の改善や、経理事務の共通プラットフォームづくりなどにとどまり、とても資産運用立国には行き着かない。
]]>なるほど。
賛否両論、意見の多様性が強烈だな。
様々な感想が存在し、様々なlain感、受け止め方、解釈がある。
作中で全てを語ること無くプレイヤーに委ねた結果、それぞれがそれぞれの勝手喜怒哀楽を持って受け入れる。
このパワーがまだlainに健在であるということを感じたよ。
今のlain周りがその力を生み出しているとは思えないけど、思い出の中にあるlainに今でも確かな力があったと感じる。
俺たちの脳細胞に刻まれた記憶が、ネットの海にlainとは何であったのかという記録を刻み続ける。
無限増殖するデジタルタトゥーがlainの伝説を語り継ぐんだ。
悪性変異したデュープのようにどこまでも広がっていくんだ。
たとえ今は陳腐化しようがかつてlainが伝説として存在したことは、それを語り継ぐ人間がいる限り消えることはない。
生きた伝説でないことが、伝説の死を意味しない。
もう誰も本当の顔を覚えてないはずの歴史的人物の名前が残り続けるのは、記憶と記録が相互にループし増殖を続けるからだ。
「世紀末の時代にlainという作品があった」
この事実が失われることはない。今lainの権利を持つスタッフによっても不可能なんだ。
今の人類の技術ではまだ、刻まれた過去を消し去ることは出来ないから。
アニメ『serial experiments lain』の岩倉玲音が、『NEEDY GIRL OVERDOSE』配信番組にまさかの登場 - 電撃オンライン
馬鹿なんじゃないの?
lainのテーマは「サイバーパンクが現実のものとなりつつある空間としてのインターネット」であって、「メンヘラうようよの世紀末系インターネッツ」ではないだろ。
なんで公式がそこを間違える?
マジで全く別物なんだよ。
確かにlain当時のインターネットにはギーク・ナード・メンヘラを拗らせた社会不適合者がウヨウヨで、無法地帯を感じさせていたけど、インターネットを無法地帯にさせていたのは加速し続ける技術の進歩に人類の法律とモラルが追いついていなかったという背景が強かったわけじゃないですか。
インターネットに接続することそのものにそれなりの知能(せいぜいIQ90程度だけど)が必要で、そこによって区切りが発生することに対してメンサじみた特権意識を持ったイキり連中のウロつきの空気は今のアングラネットとは全く別物だよ。
某玉ねぎを使用もしないで幼稚園児でも明日から使えるインターネットで配信活動をする世界の作品とlainの世界は繋がらないよ。
同じくインターネットを舞台にしてるって言うならデジモンなりウェブダイバーなり連れてくりゃよかったんだよ。
つうか俺が一番失望してるのはlain公式がこの程度の判断を誤ったということ。
NEEDY GIRLが一方的にlainにラブコールを送るのは勝手だと思うけど、lainの側からNEEDY GIRLに応えるのは違うだろ。
インターネットの海において遍在していてどこに現れてもおかしくないのがlainの特性だけど、それならどこかの配信にだけ特別に現れるなんておかしいんだよ。全部の配信に顔を出すこともなくどこかにだけ偏在してしまっているなら、それはlainの在り方としての遍在とはまた別物なんだよ。
直接介入をしないからこそどこにでも存在していることを疑うことが出来るという実態の無さこそが本体の都市伝説としての立場を守るべきだろ。
それでもなおlainが特別にやってくるだけの繋がりはNEEDY GIRLとの間にはないよ。
「ネットが舞台でメンヘラじみてるから一緒でしょ?」なんてのは外野だけが取っていい態度であって公式がそれをやっちゃ駄目でしょ。
なんなんだよ。
25周年の一つの形として「お前らいい加減夢から醒めろよ。これは単なる紙芝居でしかね―んだ。著作権持ってるスタッフが自由にして良いおもちゃ以上でも以下でもないんだよ」って突きつけようってのか?
畜生……それが正しいのかも知れねえ……俺たちは和製ニューロマンサーとしてlainを持ち上げすぎてその本質を見失っていたってオチは十分ありうる。
日本の技術立国の形として電子の海に強い理解と関心を寄せるオタク達の島であって欲しいというキモい気持ちが、単なる一アニメに必要以上の役割を与えようとしていたんじゃないのか。
カルトアニメとして黙って持ち上げられてくれていたからそれに甘えていただけなのか……。
serial experiments lainに対して俺が見ていた25年の夢はとりあえず醒めたよ。
スゲーアニメだったのは間違いないけど、いつまでも日本サイバーパンクの神輿として担ぎ上げるのは間違っていたんだろうな。
いつからだ……放送後3年ぐらいの辺りでもう歯車は狂っていたのかな。
結局コレもさ、lainと攻殻ぐらいしか日本でマジメにネット社会の向こう側と向き合おうとした作品が生まれてなかったのが悪いんだよ。
色々あったけどさ、どれも最後はボーイ・ミーツ・ガールで甘ったるくくるんではい終わりにしてたろ。
そうやって誤魔化すんじゃなくて、最後まで物語の中心にネットの闇を置き続けるコンテンツがもっと伸びてほしかったんだな。
結局最後は生身の人間ですよなんて話をインターネットコンセプトにしてやって欲しくねえんだよ。
あーでもlainのアニメは最後、やっぱ生身だよねとはなったんだよな。
駄目だな……俺は自分の見たいものにピントを合わせてばかりで何も見てなかったんだな。
俺は俺の中にあるlainばかりを見てた。
現実のlain、スタッフ達がどう育てていきたかったのか、どういう作品だったのか、皆の中でどういう作品だったのかをちゃんと見ようとしてなかった。
だから1人で思い込んで突っ走って、25年もかけて勘違いに気づいて今更失望してんだな。
馬鹿みたいだわ。
結局、俺が幼すぎたってだけのオチかよ。
あほくさ。
なんだったんだろうな。
俺にとってのlainって。
長い夢だったな、今やっと醒めた。
本当に夢から醒めたんだと思う。
]]>輸出立国だったのは過去の話、海外投資で稼ぎ、稼いだのを再度海外に投資する時代になってしまった。
円安の恩恵を受ける為に、もっと海外に売れる物はないだろうか。
伝統工芸品は中国でも似たようなのを作っていて歯が立たない。
空き家は海外でも話題になるが、ボロくて住めないのまで伝わっている。
スマホのように体積が小さく、単価が高くて空輸し易い物なんてあるか。
メルカリ出す感覚で、海外輸出出来るようになれば、もう少し庶民にも円安メリット出てくるんだけどな
]]>しかし、成果が出るとは限らないから、近視眼的な費用対効果はない。「無駄削減」でターゲットに上がりやすく、あがってきたからこその日本の基礎研究の衰退だね。
豊田長康先生の科学立国の危機なんかを見ても、長期的な費用対効果はないことはないと思うけどね。実際基礎研究、応用研究あってこその産業だから。
科学に対する長期的な費用対効果の測定が、予算をつけるための前提になるけど、長期的な費用対効果の測定もやはり金と時間と仮説と検証が必要だもの。
]]>底辺は食費を節約し、富裕層は税金支払い額を抑える、何か気持ち悪い
]]>宇宙開発には凄く沢山のお金が使われております。
もちろん大きな国ほどその割合は大きくなります。
日本は必死に自分を大きく見せているだけの小国なので大国に比べるとかなりしょーもないです。
そもそも「なぜ、宇宙を目指すのか?」に対しての意識が希薄なので、一部の世界有数産業のような「小国のくせに凄いね!」はありません。
昔は「宇宙行くとなんか凄いらしいから頑張るぞ!」でお金が増えている時期もありましたが、今はもう惰性で同額の予算がつき続けているだけで、当然他国や自国の経済成長に対して比較すれば減少していると言っていいでしょう。
それもそのはずで宇宙に行って日本がやることは惰性の仕事ばかりなのです。
アメリカやロシアはそれこそ軍事開発があるので追い越し合いますし、同じ方向で元気な北朝鮮はバンバンロケットの技術を成長させています。
日本も宇宙軍結成の空気がありますが、そもそも我が国の軍備はアメリカを真似る傾向が強いので「ひとまずアメリカから色々借りて勉強しようぜ」から始まると思います。
つまり日本の惰性的宇宙開発の立場が宇宙軍設立がなった所で別に変わらないんですね。
必要は発明の母というように、必要という意識が弱いと科学の発展は伸び悩みます。
そんな中で国産ロケットは「宇宙、金になるかも?」でワンチャンを賭けてきました。
日本が宇宙に行く意味が弱くても、他国が宇宙にバンバン行くならそこにいっちょ噛みで工業的な新しい主要産業が狙えます。
電子製品が駄目になりだしてるのに車とカメラだけで食っていこうは技術立国的に厳しいですからね。
それでもひとまずは国内に「国産ロケットつええええ」をアピールしないと官僚どもの保守的な財布にぎにぎはすり抜けられません。
オリンピックみたいに裏金まきまきを取り付けて公金吸い上げが出来るような業界でもなければ、そもそもそんな余裕はないので。
日本は超保守国家なので、成長産業でもないなら「節約ができます!」でなければアピールは難しいです。
そこで国産ロケットも「節約できます!」を旗印にして動いています。
今回の「いきなりペイロード」はまさにその方針によってつけられた枷と言えます。
実験と本番を同時にやっていかないと「節約できました!すごい!」がアピールできんのです。
日本は長期的な視野に立って考える余裕がもうないので、短いスパンにおける損失に敏感になっており、まずは実験に予算を使いましょうだと「結果も出てないのに金だけ消えてる!騙したな!許さん!」と官僚プンプン丸になるのです。
しゃーないので本番と実験をセットパッケージにすることで「まだ終わってないです」を門外漢にも分かりやすくしていきます。
結果、開発中の機体に本番のペイロードを積むというギャンブルが始まりました。
まあ成功すれば「節約できたんじゃね?」でアピールできるし成功していたならみんな幸せでした。
結果は知っての通りとなります。
これはもう当面の間誰がこの辺の案件の間に立つかの運なのですが、下手をすると国産ロケットの計画は消えます。
白紙に戻るのではなく「失敗した計画」として次の機会もなくなるでしょう。
国産飛行機と同じ顛末を迎えるということです。
なぜこうなってしまったのか、様々な憶測はありますがやはり一番大きいのは「日本が貧しくなった」ということでしょう。
貧しくなった最大の理由は「失敗を許容できなくなった」ということだと思います。
これは卵と鶏の関係にもなりはしますが、それ以上に失敗に対しての耐性の低さが尋常ではありません。
正直今の日本にもまだまだ失敗する余力はあるのですが、国民性がそれを許しませんのでこのまま失敗をちゃんと出来ずに転がり落ちる気配が濃厚です。
技術の完全な継承に失敗したのなら、新しい技術の開発に挑戦すればいいのでしょうが、そのコストとリスクに耐えられずに「95%は継承できた技術」に固執するのが日本の国民性です。
今回の一件においてそれは多くの部分で発生していました。
ある種の血統主義や権威主義のようなものも強く、既存のなにかからの流れをくみたがる傾向が強いです。
まあそもそもが「絶対に失敗できない」という条件に囲われてしまったので手堅くいくしかなかったのはありますが。
技術開発は全てそうですが宇宙開発はとりわけギャンブルのような側面が強く、それをやるには種銭が必要になります。
種銭をいくらまで持ってこれるかが戦略をそのまま形作るので、ケチケチとすれば当然それに相応しい戦略しか取れません。
その中で今回のペイロード打ち上げは比較的攻めたやり方が取れており「種銭に対しては中々強気に責められた」ように思います。
この賭けを「もっと小さく失敗できなかったのか」と攻めるのもいいですが、それよりも「よく挑戦した」と思って欲しいものですね。
そうしないと、もし本当に国産ロケット開発そのものが消えてしまったとしてあまりにも何も残らなすぎるでしょう。
]]>日本は観光立国
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