はてなキーワード: 立ち飲みとは
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
去年みたいなロックダウンに近い閉店要請出して人の出を減らして短期決戦するか、全部自由にして無理やり耐性つけて死ぬ人には死んでもらうかしかないやろ。
後者は正直病床の問題もあると思うからあんまり良くはないと思うけど。
今みたいな飲食店は8時まで〜とかそんな中途半端な事されても人の出は減らんし、仕事終わったらスーツで路上飲みしてる人いっぱい居るし、居酒屋だけいじめて何になるってんだ。
俺はサービス業だから9時とか10時に仕事が終わることが多くて、自炊する元気ない時はちょっと立ち飲みしたり、牛丼なんか食って帰ってたんだけど牛丼屋すらしまってるやん。1人で牛丼食ってるだけでどうやって感染するって言うん?テイクアウトはやってるって言うけどプラゴミとか捨てるのめんどくさいねん。
今が堪えどころって一年近く言われとんねん。
やるならやる、やらんならやらんでバシッとしてくれや。
匿名で自分のログを世の中に浮遊させ、そして拾って頂けるのは楽しかったです。
長く続けるとバカなので何処かで絶対にボロが出る。なのに書きたくなってしまった。
再投稿です。きちんと上がらなかったように見えたので、消してしまって、もうええかと思ってしまったのだけど、
見たかったというコメントを見て、少し修正して上げることにしました。こんな駄文にありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20210130001953
https://anond.hatelabo.jp/20210131035752
これらの続きです。
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前回のエントリでずっと4GBのメモリとともに作業していたと書いたが4GB以下が正しい。
最初の現場は128MBだった。あと、盾を鉾と書いていた。この誤字脱字と誤用の多さで私のプログラマとしての質の低さもなんとなく察して頂けるだろう。
◯結婚した話◯
何故か結婚の話が書かれていないという書き込みが幾つかあったので結婚の話から。
30歳を越えてから趣味が充実していた事もあって周囲には煩く言われるものの、結婚を考える事はあまりなかったし、結婚の分岐に入ることが必ずしも幸福につながる選択肢とは限らないと考えていた。
この考えは今も変わらないが私は運良く幸福につながるほうへ入ったようだ。すまんな。
何せ30歳を越えてからは同じ趣味のおっさんの友人たちと焼き鳥屋であーだこーだいいながら企画を練り、イベントを立てたりするのが楽しくて仕方がなかった。
20代があまりにも労働をしすぎた。22歳から28歳までの6年間、年俸制なので一円も残業代が出ないのに月300時間勤務を2年半はやったと思う。最初のうちはISDN接続のテレホタイムでのネトゲが自分のゴールデンタイムであり、息抜きの時間だった。
時代が今なら渋谷凛か風野灯織に貢いでいたことだろう。長い労働時間は人生の搾取だ。
嫁は異業種の人で、友人のボカロPのファンだった。彼のライブに通ううちに顔なじみになり、少しだけ会話をするようになった。
ある時行ったライブが月曜夜の開催ということもあって若い人が多く、ライブハウスの中でスーツを着た客が私と嫁しか居なかったので思い切って「今日はスーツ、我々だけですね」と話しかけ、そこから色々な話をしたのを覚えている。いやらしい。
ボカロPのライブでの出会い、つまり私が結婚出来たのは初音ミクさんのおかげだ。
30歳になったあたりからようやくIT業界に過残業を何とかしようという機運がやってきた事、そして定時で上がる精神的な胆力がついた事で音楽を作る時間的精神的な余裕が出来、人との交流が生まれ、ライブに行く機会が出来たから私のような人間でも結婚出来たのかもしれない。しらんけど。
国勢調査によると35歳を過ぎてから結婚した男性は約3%らしい。私は一生分の運をこれで使った。(正しくは6.8%だと何処かの教授が言っていたが)
自分が居た現場の雑感だと、同じシステム開発現場でも大手SI や 大手SI子会社のほうが結婚している人が多かったように思う。多重派遣はやはり収入面で結婚に対してネガティブな意見を聞くことも少なくは無かった。
若い頃は親にも親戚にも「そろそろ結婚も考えないといけないだろうから派遣社員辞めないとね」と言われたことを思い出した。SESの増田は一度は言われたことがあるだろう。
世間一般的には技術職というイメージよりも派遣社員というメージが強く、収入面も相まって世の中の反応厳しい。
普通の一般派遣と請負の派遣の人が混在している現場が多いと思うが、前者は1人でも派遣が出来、上位会社の現場のリーダーが直接指示をすることが出来るので最近はその方が多いように思う。
ところが、一般の派遣会社として登録するには資本金が多くないとダメで、派遣法が改正されたあたりで資本金が少ない会社は請負の道を選ぶしかない。
そうすると複数人で現場に行き、自社のリーダーに仕事の指示をされる形になる。ただ、コレは守られていない現場が多い。
さらに、大手や大手子会社と取引を直接行うのにも資本金の大きさ・設立してから何年等の条件があったりもする。
資本が少ない会社は資本金の多い「別な会社を迂回して」契約する。そこに多重派遣ができる仕組みの1つがある。上位請負の営業が◯◯社経由しろという場合、利権・癒着の場合もあるのだろう。
新人の時、パワハラの教育担当に私が毎日何度も怒鳴られているのが流石にプロジェクト内で目に余るようになったらしく、私はドキュメント整理という新たな仕事を貰う事になる。
炎上プロジェクトの為、全く作られて無かったクラス図をソース等からRational Roseで自動生成し、体裁を整えて他の設計書も含め印刷をした。同じものを2部作るのだが、何故か同一性保持という理由で一部はコピーで制作。分厚いバインダーに綴じた。
印刷とコピーで休憩もせず毎日終電の生活をしていた時、PMに「広島の二番バッターみたいだなおまえ」と言われたのを覚えている。コツコツやるけど面白みがない人間だと言われたのだ。
要領の悪い私に休憩のタイミングなんて解らなかった。ましてやパワハラマンに使えないと毎日散々どやされ続けた後なので尚更である。
その経験から私は同じプロジェクトに居る若手に「そろそろ1回休んだら?」「いつまで働いているの?増田がそろそろ帰れって言ったって言ってもいいよ」となるべく声をかけるようにしていた。モテそう(モテなかった)
この時、たまたま席が空いているという理由で隣に座っていた方が、のちに難易度が高い事で有名な銀行統合の現場の某SIのトップになっていた。プロジェクトの雰囲気は良くなかったが、いつもにこやかで私のような末端にも優しかったのを覚えている。出来る人は余裕がある。
印刷業務が終わった後、入社してからずっとテストだけをやらされていた1年上の先輩のアベさんと、とうとうプログラムの修行に出してもらえる事になった。
新規開発のプロジェクトである。プログラムも一杯書けてラッキーなのではと思っていたのだが、自社の人間はアベさんと私だけで、あとは上位会社のPMと、更なる下請けで構成されていた。
現場のリーダーも下請けの人で、この人が私とアベさんの教育係という事になった。
自社の営業が初日に来て「この子達よろしくね」とリーダーに伝えた所、「任せてください!」と良い返事をしていたが、自社営業が居なくなった翌日から面白いくらい態度が一変することになる。
何を聞いても露骨な悪態をつき教えてくれず、技術的な質問も一切受け付けない。
流石にアベさんと自社の営業に伝えたのだが、翌日朝私のところにやってきて「チクったな」「自社の人間でも無いお前らに教える余裕はない」と言われてしまうだけで特に事態の改善はされなかった。パワハラ上司の次はこれだ。駅のホームドアは大事なので全駅に付けて欲しい。
救われたのはインターネットが使える現場だった事だ。とはいえ、なんせソースレビューも私とアベさんで互に行うので、技術的な進歩がまるで無い。
ある時、私が書いたプログラムがメモリを使いすぎてフリーズするようになり、問題になってしまった。他にも技術的に問題のあるプログラムを書いてしまった事が続いたのと、リーダーに対してハッキリとモノを言うことも災いし、PMの判断で半年でプロジェクトを出ることになってしまった。
もっとうまく立ち回る事も出来たように思う。しかし、若造は人生の経験値が足りなかった。
多重派遣の大きな問題として、現場ガチャにより環境が大きく変わるというのがあるだろう。2~3年も我慢すれば大抵の場合次の現場に行けるのかもしれないが、短い人生の2~3年は少ない数字ではない。
請負ではなく一般派遣扱いで来る技術者の中には新人なのに1人で派遣されてくる人も多い。そんなのは新人教育とは言えないと思うのだが、どこの会社の募集要項にも新人教育はバッチリと書いてある。
その「新人教育」とやらの実態というのは大抵の場合、外部で行われる初心者研修と、自社の営業が「この子よろしくね」と現場に伝える程度の事でしかない。
社会人としての新生活での不安、技術的な不安、誰が教えてくれるのかも解らない不安、定時になっても誰も帰らない・帰って良いとも言われない、作ったものの品質の不安、数多くの不安を抱えて過ごさなければならない。ちゃんと相談出来る人も現場に居ないのである。
技術的な所は勿論、精神的なケアも必要な時期だと思うのだが、このような体験を20代前半でしないといけないのはどうも無駄な苦労をしているようにしか私には思えない。
ただ、新人が伸びる為に必要なのは「経験者によるソースレビューによる指摘」が必要不可欠だと私は思う。レビューを先輩・上司が行い、新人が書いたコードの信頼性の担保が出来ないと、余計なバグを生み、可読性・メンテナンス性も落ちるだろう。
なによりバグを出してリーダー・PM・顧客に「こいつ大丈夫か?」と思われるストレスの大きさと自信喪失感は長く忘れられない。
余談だが、最初の教育担当のパワハラ先輩とはその後別な現場で一緒になった。しかも彼は会社の倒産後、上位請の会社に転職していたので私に仕事を振る立場として現れたのだ。全く知らなかったので顔を見た時は「ヤバい現場に来た」と焦ったのだが、「あの時は俺の頭がどうかしていた。申し訳ない」とまず謝られてしまった。驚くほど柔和な性格になっていて棘が全て抜け落ちていた。その後一緒のプロジェクトの間はたまに昼飯を一緒に行くまでになった。
約1年一緒に働いたが一度もドヤられる事は無かった。許せるか許せないかは別として、パワハラをするほうにも何かしらの事情や背景があるのだなと一つ学んだ。
社会人1年目の忘年会はゲイのショーパブの観劇だった。そこでアベさんはダウンタウン浜田の高校(全寮制男子校)の同級生というママに唇を「むちゅーーー!!」と音が聞こえるような熱烈な口づけをされ、人生のファーストキスを奪われていた。私は隣でただ震えるしかなかった。
知人もなく上京してきた為、他の社員と交流する帰社日をそこそこ楽しみにしていた私は怒りのあまり社内報に若気の至りで”ボロクソ”に書いた所、社長の目にとまり、翌年から忘年会の幹事を任されることになってしまった。なにせショーパブの観劇は社長の要望だったのだ。
そして、普通の居酒屋で特に弾まない会話をして終了をする忘年会を2年繰り返した。
自社の忘年会を面倒に思うベテラン社員は多く、各現場に電話で来てくださいねと念を押して来て貰ったのに参加者が全然楽しそうではないのだ。
普段それぞれが別の現場に居る人なのでそれほど同僚感も無く、特に仲も良い訳でもないので会話が弾まないためだ。良かれと思って2時間半飲み放題にしたが、本当に盛り上がらない。
「なるほど、これで会話をしなくて良いイベント(且つ社長の趣味)がブッキングされたのか・・・」と理解した。
その経験があり、”自社”に缶ビール等の各種アルコール・ノンアルコール飲料とテイクアウトの料理を用意し、16時開始、17時から随時帰りたい人は帰る。という方式に変えた所、立食(椅子も勿論ある)で仲の良い人の所に居て彼らとだけ話すことも出来るし、色々な人と交流することも可能になった。時間が短いために会話のネタに困ら無い事も功を奏し、思った以上に盛り上がる事が出来た。
子供が出来た今ようやく思うに至ったが、子育て世代も延長保育やパートナーにお願いすることもなく早めに帰れて良かったはず。殆どは17時から続々と退社していたが、以前は無かった有志の二次会組もいくつかあったようだ。参加者にも総務部長にも「毎年これで良いね」と言われ、ほっとしたのを覚えている。
何が正解かは解らないが、業務時間内で終わる自社での短い時間の立ち飲み(椅子席あり)は好評だったので、幹事をやらされがちなSES増田は参考になれば良いなと思う。
基盤まわりの仕事をしていた時、あまりにもプロジェクトでメモリの初期化漏れが頻発して問題となり、プロジェクトのお偉いさんが捻り出したアイデアが「”物理”メモリ全部を定期的に端から終端まで0で埋める」というものだった。
そしてそれをどう実現するか?という会議に呼ばれたのだ。
指を使い「物理メモリを”端から””端まで”全部、プログラムが動かない時間に定期的に一回ゼロで埋めればいいじゃない?」との説明があった。
これは良いアイデアだとご満悦の上役と、違和感を覚えない他のベテランの参加者達。
「まず、仮にこれが実現出来たとして、サーバーが立ち上がった時点でOSやミドルがメモリを利用していますが、どうしますか?OSもミドルも当然落ちます。」
「メモリですが、皆さんが普段変数宣言やmallocで受け取っているメモリの番地ですが、全て仮想メモリのアドレスなのはご存知ですか?」
「我々のような庶民は直接物理メモリアドレスに仕組み上アクセス出来ません」
「物理メモリにアクセスするにはカーネルのプログラミングが必要になります」
「メモリにはユーザープログラミングで触れる事が出来る層と、カーネル層という仕切り、さらに仮想メモリ・物理メモリという仕切りがある為に、堅牢性を保持している云々」
ここまで伝えても皆ピンときていない。文章にすればまだ解るが所為オタクの早口の説明なので当然、私の話術にも大いに問題はある。
もしかして自分が間違っているのか?このままだと私がこの対応をやらされる羽目になる。
私は交渉事でうまく立ち回れる技を持っては居なかった。なので、最後の手段に出た。
「だからこんな方法は絶っっ対 実現できないんですよ!!!」と突然のブチギレ。いや、出来るのかもしれんけど。
一同ポカーン。突然のメガンテを使った私に皆パルプンテ状態になり、
「増田がココまで言うのなら出来ないんだろう」という事になった。
正直、高い技術も必要ない汎用的なシステムの開発現場のなんてこんなものだ。AWSもGitHubも触ったことのない私があえていおう。
最初のエントリーに業務時間内に勉強させろと書いたが、目的が無ければおそらく時間があっても、「私は完全に仕事をしています」という顔をしながらviで青空文庫やアマチュアの小説を読んでいた時間の方が長かったのではないかと思う。
夏が近づいたら何かが起こりそうだという気が毎年するのだが、H&Mに行ってアロハシャツと短パンを揃えたくらいではなにも起こらなかった。
いや去年は無職になった。
事業が終了したら部署ごと無くなって、そこにいた人間がまとめてお払い箱になってしまうのは、いわゆる外資系で働いていればよくあることとはいわないまでも、珍しいことでもない。それまではわりに忙しかったので、失業手当でももらいながらちょっとゴロゴロするかと思っていた。
ブックオフで買った本も読み終わってしまって、日暮里の談話室ニュートーキョーでぼんやりしてたら、誰かが傍で立ち止まった。顔を上げるとNが不機嫌そうに睨んでいた。
なんでこんなところで昼間から優雅にメロンソーダ飲んでんだよ、しかもさくらんぼ入り、さくらんぼ、と突っかかってくる。うっせーな無職だからに決まってるだろうが、と返すと、えーなにそれとうとうクビになったの?聞きたい聞きたいと向かいに座ってくる。
他人の不幸にがっついてくるこの女とは、日暮里の西アジア料理店で知り合ったというよりは喧嘩した。床に座ってベリーダンスを見ていたら背中合わせでぶつかって小競り合いになったのだ。
それ以来、なにかと行動範囲がかぶる。谷中銀座の酒屋で角打ちしたり立ち飲みカフェに入ると気がつけば隣に立っており、なんでお前がここにいるんだよ、うっせーバーカと言い合いながら飲んだ。
沖縄に行くぞと言ったのはNの方だった。さっきクアラルンプールから飛んできたこの女はコンサルティングファームに勤めていて、成田への移動が面倒臭いという理由からスカイライナーが停まる日暮里に住んでいる。明日からバカンスなのはわかった。だがなぜ私がお前の旅行に同行しなければならないのか。お前はお前の男とリゾートを楽しめばよい。
そのようなものはいない。またお前は間違いなく暇であるし、もうすぐ夏である。よって明日7時半に京成の改札前に集合すること。あとはすべて手配しておく。
行きの便ではほとんど寝ていた。那覇空港に飾ってある蘭の紫が寝起きの目にぐりぐり来た。
空港で車を借りて安座間港という所まで運転させられた。そこからフェリーで久高島に行った。
島は静かだった。背丈と同じくらいある草木がもっさりと両側に茂る道をひたすら二人でまっすぐ歩いた。何もない。
浜に出ると白い砂の向こうに明るい青の海が広がっていて、誰もいない。大きなヤドカリが木の下から出て波打ち際に向かってゆくのをぼんやり眺めた。
で?
なぜ?
哀れむような目つきでNは大袈裟にため息をつく。
感じろよ。いままで考えてた夏はどうなった? 何か起こりそうと思ってた夏は。考えてたら見送るだけでしょう?
たしかに。もうそういうのはさんざんやってきた。何か起こりそうって感じた瞬間に、自分でガッとつかまえて、たぐり寄せないと、結局いつも同じ。
そう、ガッと。Nは手を熊手のような形に広げて突き出してきた。
その手首をガッとつかむ。もう片方の手でビール瓶を持ってNのグラスに注ぐ。
島の夜は出かける場所もなく、早く寝るしかなかった。部屋の電気を消すと、夜が本当に真っ暗なところに来るのは久しぶりだと気づいた。Nの髪は潮風に吹かれたせいか少しパサパサしていて、洗いたてのシャンプーの匂いがした。肌が触れあうたびに、日焼けの痛みでお互いに悲鳴を上げながらゲラゲラ笑った。
明け方に目が覚めるとほんとうに静かで、東京では知らないうちに騒音を気にしないで生きるようになっていたのだと気づいた。島に来てよかったと思った。シーツからのぞくNの寝顔は普段よりもずっと子どもっぽく見えた。日に焼けた足首には糸みたいに細い金のアンクレットをつけていることにはじめて気づいた。その瞬間、なんだか急に気恥ずかしくなった。
東京に戻ってからもNとは互いの部屋を行き来するような関係を続けたが、大喧嘩をして別れてしまった。もう気軽に沖縄へ行けるような状況ではなくなってしまったが、去年の今頃のことを思い出して曇り空を見ている。また夏が来る。
https://president.jp/articles/-/30855
記事自体は、コンサルタントを名乗る人のレベルの低さを周知して、騙される気の毒な経営者を少しでも減らしてあげようという良心的なものなのでどうでも良いんだが、ブコメで日本酒好き派と日本酒マズイ派が完全に分断されていることに危機感を抱いた。
最大の問題は、どちらの主張も正しいということだ。
日本酒がマズイと思ってる人が口にする日本酒は、おそらく、忘年会なんかで大手メーカーの本醸造を適当に燗つけたモノを上司から飲まされる程度のものだろう。
さらに悪いことに、そういう飲み会で山積みになってるつまみと日本酒は大抵合わない。
一方、季節の肴とこだわりの日本酒を置いてる小さな居酒屋のカウンターで、好きな料理を頼み、それに合わせた地酒を好みの温度に燗してもらい、料理を一口食べてから、平盃をツイー(太田和彦先生リスペクト)。
日本酒は美味い。最高だ。
マズイと思っているんだから、自分からそんな店に行くはずがない。
若い女性が一人で日本酒を立ち飲みしてることもすっかり珍しく無くなったが、おそらく彼女達はマズイ日本酒との不幸な出会いを経ずにここに至っているのだろう。
作りたい。
キャバクラなりなんなりに行っておけばよいのに、個人経営の普通の居酒屋などに出没する。
タチが悪いのは、クソおもんない以外には害が少ないこと。それどころか、金払いが良かったりして上客ですらある。
・すぐに他の客の会話に入ってこようとする
そのタイミングは最悪、もしくは準最悪
・自分が面白くないと自覚していない、あるいは自覚していても己の行動を改善、抑制しない
↑のような特徴がある。
初老を迎える前後の中途半端な年齢に多い。場末みたいな年齢層の高い立ち飲みに居るくそじじいまで行けば逆に風物詩であったりして保護の対象だが、人によってはもっと若い年代と(面白おかしく)話が出来る年齢層だ。
自分ではまだまだ若い、人と話が合うと思っている。(もしくは思ってなくてもそれを自戒して行動に移せない)
おそらく破滅的に面白くなくても、金なり立場なり(社会的に上位に位置していることが多いと思われ)で、相手に気を使わせてコミュニケーションを成立させてきたのであろう。(搾取の構造)
先に述べたクソじじいの場合は、飲み屋の自浄作用なりなんなりで、居座ることはそれほどない。(どんどん底辺の飲み屋に堕ちていく。そもそもとして人間的にもクズであることが多いので。遭遇すれば逆にネタになる)
だが、会話のセンスが壊滅している以外に落ち度のないおっさんは、排除することも躊躇われ、のうのうと通い続ける。
そして、隙あらば自分語りをし、盛り上がっている会話に水を差す。(水差したことに気づきすらしない)
こらえ性のない他の客が、時間や曜日をずらしたり、店を変えたりして自衛している。
これでは誰も得をしない。
いや、クソおもんないおっさんは十分利益を得ているし、店にとっては(その客が使う金がその客が居るから使われなかった金を上回る限り)メリットではある。
が、店の事情はおいておくと、居合わせた客からすれば、不利益でしかない。
クソおもんないおっさんの打率(少しでも面白いと思われる率)は絶望的に低いのだ。
クソおもんないおっさんは、時にウケることをもくろんで発言するのだが、クソすべりして、さらにそれで何かを学ぶわけではない。
一生滑り続けるのだ。
一生滑り続けるか、誰も興味ない話を自己満足のためだけにするだけなのだ。
そして、話が長すぎるのであれば干されるのだが、そもそもそんなに長い話を出来るスペックではなく、またしびれを切らした誰かによって話が遮られたりしてフェードアウトする。
遮れるならよいのでは? と思うのであれば、一度遭遇して何か月、何年と同じ時間を過ごしてみるといい。
こちらが盛り上がっているときに、割り込まれるのは相当のストレスだ。それが日に何回もあるのだ。
なので、提言したい。
クソおもんないおっさんが、発言して、スベる、あるいは、話がどこかに着地して、(その話、要らなかったじゃん)って思った人間が過半数に達した時に、罰金を取る制度を。
はじめは貯金箱とかを置いておいて、ネタとして受け入れてくれる、(クソおもんないが、それなりに自覚はあって、罰金を払える財力があって、それでも店に通い続けるメンタルのある)クソおもんないおっさんが行きつけの店で、お客さんにジャッジしてもらう。時にはすべってもスルーで良いだろう。
明らかにクソすべった時や、盛り上がった会話に割り込んで、場を冷やしきった時のみに札かなにかを挙げて罰金を徴取すればよい。
それを原資にして、システムを開発したい。
ここからは、クソおもんないおっさんの再発防止にもなる。もちろんそれ以外の人間にも適用する。(制度が適用されるのは絶望的にクソおもんないおっさんだけだと思うが)
飲み屋には、客と紐づけることが可能な端末を客席数分用意する。
その端末には、場が凍り付いた時、不快な話を聞いたときに押すボタンを用意しておく。
それが、同じタイミングで一定数押された場合に、その戦犯が誰か? を選択することが可能になり、戦犯はスコアが下がる。
罰金はシステム管理やら維持費で幾らかは引かれるが(あと若くて金がないクリエーターとかに振り分けたいが、それは後々の話)、店が自由にすればよい。
今の技術力では、しち面倒くさい、いろいろ角が立つし受け入れられがたいものに思えるだろうが、脳波で自動的に判断みたいなSF状況にはならなくとも、近いものはここ数年で出てくると思う。
最近隣町に続々と新しいカフェがオープンしている。何だかみんな似たような感じで、小さな店に少ない座席。下手をすればカウンターでの立ち飲みを前提として、店主と顔を付き合わせてコーヒーを飲まなければならないようなお店。
たぶんこういうカフェを開く人たちはコーヒーにすごいこだわりがあって、どんな豆をどんな風に焙煎して、どう淹れれば一番美味しいかを研究したうえで、お客さんの反応がすぐ見える小さなお店を開いたんだろうと思う。(単に広い店は賃貸料が高いという理由かも知れないけど。)
だけど、そんなにコーヒーの味の違いにうるさい人って沢山いるもんなんだろうか。少なくとも私はあまりコーヒーの味の違いにうるさくない。ドトールやマクドナルドの安いコーヒーの味に特に不満を感じたことはないし、もっと高い店でコーヒーを飲むときも座席の広さや居心地の良さを重視しているだけで、「いや~、やっぱりこの店のコーヒーは美味しいなぁ」と思って飲んでいるわけではない。
どっちかといえばやたらとこだわったコーヒーを店主の目の前で飲んで、もっともらしい感想を述べなければいけないようなカフェは面倒くさいとしか思えない。単純に「美味しいですね~」ぐらい言っておけば許されるなら良いけど、「そうでしょ?このコーヒーは、豆が○○で××で焙煎して…」とかウンチクを聞かされるなら二度と行きたくない。
こういうカフェを開くのが一種の自己実現だと思って店を始める人が結構いるんだろうと思うけど、そのうち何軒が長続きするのかなぁ…と意地悪な目で見てしまう。もともと評判の高い喫茶店で働いていて、常連だった客がついて来てくれるとかなら良いけど、単なる憧れで始めて持つもんだろうか。
だいたいカフェとか喫茶店に「美味しいコーヒーが飲みたい」だけの目的でくる人はそんなにいないと思う。「お茶を飲みながらおしゃべりしたい」とか「美味しいスイーツと一緒にコーヒーを飲んでまったり過ごしたい」とかそういう客を呼び込まないと商売は成り立たないんじゃないかと思う。
私が一番よく行くカフェは最寄り駅の構内にあって、味は可もなく不可もなく…という感じだけど、ちょっとした買い物やお出かけの前に一杯コーヒーを飲んでくつろぎたいときにちょうどいい。近所なので顔を覚えられているかも知れないけど、いちいち常連扱いして来ないところが気楽で良い。
せんべろは、「1000円でべろべろに酔える」ような価格帯の酒場の俗称。
一般には作家の中島らもと編集者の小堀純が、共著の著書『せんべろ探偵が行く』(2003年、ISBN 978-4163595009)で使い始めたのが最初と言われている。また、1980年代頃に中島らもの身内言葉から全国区に広まったとの記述もある。[1]
1000円でべろべろに酔えるという価格帯の酒場の俗称ではあるが、実際には1000円でちょっと気の利いたおつまみとお酒2~3杯飲めるという意味合いが強く、発祥と言われている『せんべろ探偵が行く』(2003年、ISBN 978-4163595009)でも、そういった酒場が多く紹介されている。
低価格で酒やおつまみ等を提供するという性質上、該当する店には居酒屋や立ち飲み、角打ちなどが該当する。
2007年のサブプライムローン問題発覚、2008年のリーマン・ショックなどを背景とした景気低迷の中で「一般的な低価格居酒屋チェーンよりもさらに格安で飲み食いができる店」として注目が集まるようになり、近年雑誌等で特集が組まれるようになったほか、「せんべろ」系居酒屋を専門に取り扱う書籍も複数登場している。
Twitterでは五右衛門あるやなしやみたいなことで、
盛り上がっているようだけど、
結局どこを選んだらいいんだよ!??
って答えが出ていないみたいなので、書いてみます。
【結論】
・食べログで3.5以上の店を「予約」すること
・ラーメン、カレー、大盛り定食屋などのいわゆる「男飯」は避ける
・客単価2000円以下、1万円以上の店は避ける
上の3つの条件にはまる店を予約してください。
で、もう少し細かく書いてみるよ。
○予約すること
初デートに限らずだけど、予約可のご飯屋さんは「必ず」予約すること。
お店に着いたら予約いっぱいで入れないで、
うろうろした結果、適当なチェーン居酒屋にはいるとかが一番最悪。
「○分後に2人なんですけど、入れますか?」と確認してください。
○メインの遊びの近くのお店にすること
主の遊び場の近く、もしくは帰り道の乗り換え駅などでご飯屋を選ぶこと。
○事前にネットで調べること
スマホ持ってるんだから、行こうと思っているお店は調べること。
とりあえず最初に書いた「食べログ3.5以上」で選べばいいよ。
これも当たり前なんだけど、
「何系の料理が好き?」とか「苦手な物ある?」というのは
お店選ぶ前に確認しておくこと。
ここなら大丈夫だぞ!と思って選んだお店が
○きたなシュらんな(安くて汚くてうまい)店は避ける
タバコが煙いことが多いし、席もせまかったり立ち飲みだったりで、
トイレも綺麗じゃないことも多い。
まずは普通な店で様子を見ましょう。
これは少し難しいんだけど、
それこそ五右衛門も多分ぜんぜんアリ。
24〜5歳の新人OLさんだったら、五右衛門とかでランチ食べてるだろうから
客単価3000〜4000円くらいのビストロとか。
この辺りは、慣れになるから、今は覚えなくてもいいけど、
なんとなく頭の隅っこに置いておくといい。
なんで今回の子はダメだったんだろう??みたいな疑問の答えだから。
○2000円以下の安すぎる店、1万円以上の高すぎる店は避ける
で、最初にも書いたけど
「安すぎるけど美味しい店=きたなしゅらん系がおおい」
「高すぎる店=相手に気負いをさせたり、割り勘ならどうしようと不安を与える」
○ラーメン、汚い居酒屋、焼肉、学生街系の定食屋、カレーは基本避ける
普段、俺らが一人とか男同士で食べに行くお店は
お店がうるさかったり、あまり綺麗じゃなかったりすることが多い。
もちろん予め「お肉大好き」ってヒアリングできてるなら、
○2軒目も調べておくこと
1軒目でせっかくいい雰囲気になったのに解散したらもったいない。
もちろん1回のデートで落とすのは、まず無理なのでダメなんだけど、
ワイワイと楽しく飲み食いした後は、少し落ち着いた店で
飲み直すとぐっと良い雰囲気になるよ。
その時に、もたもたしてると格好悪いので、予め良さそうげな
バーとかパブとか探しておこう。お店は1軒目の近くで探すこと。
(遠くまで歩かせるのは女性のことを思いやってない)
やっぱり、相手のことを思って美味しいって感じてもらえる場所を
がんばれ!初デート!
友人も私も割とお酒に強く、小洒落た女子会もいいけどたまには酔うまで飲もう!みたいな趣旨で、まだ明るい時間から飲み屋をはしごした。
安いし美味しいし、狭い立ち飲みなので自然と隣り合った人と話せる楽しい。
三軒目で少し年上の女性の二人組と仲良くなり、連絡先を交換しようと言われた。
女子同士で珍しいなと思いつつ、社会人になると新しい友人が出来にくいし、職場に女性が少ないので、自分より人生経験が豊富であろう年上のお姉さんと仲良くなれたらいいなあなんて呑気に考えてLINEを交換した。
別れた後にすぐ連絡があってマメな人だー!と感心すらして、翌日改めて飲みに行こうと誘われた。
ただその誘い方がえらい積極的というか、がっつくというか、ナンパ男並みに押してくる。
文体と顔文字の使い方もちょっと独特で、でもそれは私がオタクとかサブカルかぶれだからそう感じるのであって、普通のOLはこれがスタンダードなのかもしれない……なんて思いながらLINEのやり取りを続ける。
次の予定をめちゃくちゃ近々から聞いてきて
「次の火曜日どうかな(*^^*)」
って週末に知り合って数日しか間空いてないやん?? しかも平日……そして何故か五反田……。そんなすぐ会いたくなるほど話盛り上がりましたっけー?! え、普通の人の距離感ってこんな感じ?? 私がおかしいんか???
「平日は次の日心配なんで週末の空いてる日だと嬉しいです」
みたいに先送りにしようとすると
と食い下がり、謎の5分刻みの飲みのスケジュール。授業? しかも早い時間ということは一日に何回もやってるの??
一緒にいた友達と予定が合わないかも〜みたいに少しはぐらかしていたら
いやいや、怪しすぎて一人で行くの怖いよ……。
もう探るのが面倒になってきてなんの集まりか聞いてみると
「友達の輪が広まってどんどん規模が大きくなった会だから色んな人がいるよ☆ 人脈も広がるし、みんなエネルギッシュですごい元気出るの(≧∀≦)」
と、すごいふんわりした回答。
あっ、私これ知ってる。
マルチや……。
以前、売れない役者の友達からニュースキンの勧誘を受けたことがあってバッサリ関係を絶った。
その子の時もグループではたまにいっしょに遊んだり飲んだりするけど、二人ではあったことないって微妙な距離感なのに、いきなり二人でご飯しようと誘われた。
さらに昔には私ではなく、躁鬱の母が躁状態の時に3回、アムウェイ、ハーバライフ、ザンゴを勝手に始めて失敗している。
それも久しぶりの友人と会ってからだった。
マルチを擁護する人でモノはちゃんとしてる!とか言う人もいるけど、母が捌けずに売れ残ったものを家族で延々と消費し続けた身からしたら大した物ではなかったし、人の不幸を前提としたビジネスモデルの物を使いたいなんて微塵も思わない。
一瞬で心がスッと冷める感覚がした。
飲み屋では楽しかったのに。ただ新しい友達が出来たらいいなって思っただけなのに。同性だからって気を許してはいけないんだな。世知辛い。
ネットで「五反田 マルチ 勧誘」で調べると「モデーア」というマルチの情報が出てきた。5chのスレもある。旧ニューウェイズの団体らしい。手口的におそらくこれだろう。
もう関わる気が失せてシカトに入る。でも、しつこくLINEは送られてくる。多分ほぼ100%マルチの勧誘だろうけど、決定的な証拠もないのにブロックするのはわずかばかりの良心が痛む。
許せサスケ……。もう普通の人生で関わるマルチの限界量をはるかに超えているんだ。
ちなみに宗教勧誘も経験済みだ。私のイラストブログによく遊びに来てくれて仲良くなった同い年の女の子だった。翌日アク禁にした。
私が不用心なだけなのかもしれない。でも、こうやって疑り深くなっていくのは悲しい。
みんなも少しでも怪しい気配を感じたら距離を取ってね。それでもしつこいようなら速攻で逃げて。関わると無駄にエネルギー消費するだけだから。
相手のホームグランドに行ったら複数で全力丸め込もうとしてくるんだ。悪いから一回くらい顔出すか……。とか危ないよ!
上野に限らず、渋谷、恵比寿にコリドー街、色んな飲屋街で女性二人組で声をかけているらしい。今の時期は上京してきた人も狙われてしまいそう。
だから積極的に声かけてくる人と不用意にLINE交換しないでおくれ。まあ、してもいいけど最低でもLINEの名前を本名フルネームで入れない方がいいと思う。私はあだ名だったから大丈夫だけど、LINEでブロックしてもFacebookとかまでつきまとわれたりしたら怖いから。
こんなモーニングも良いわ。
それをも上回る
そして七味プラス!
こんなことしていいのかしらと思う
またそれも背徳の味。
こんな世界もあるのね!って思うわ。
ミステリーをハントした感じ!
でももう2杯までにしておくわ
さっと飲んで帰るわ!
その名にかけてでもさっと飲んで帰るわ!
おでん3品じゃ物足りないけど、
ああ、あの染み美味なちくわぶが最高なのに
お任せ3品の中には今回は行ってなかったわ。
残念。
うふふ。
なかなか1人で立ち寄るの難しいとき
誰かが一緒だとその人を出しにしていけないお店も行けちゃうわよね!
たまにはこんなのもあっていいわ。
立ち飲み効くわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分はC欄出身の中小のアラサーぺーぺーで高尚な人間関係は望んでないけど、最低限の礼節を持って約束は守るという当たり前のスタンスで、人を尊重しないとか約束守らないとかのを外していったら、残ったのは大企業社員やそのお偉いさん達、そこから繋がっていってキャリア公務員や校長職、大学教授や医者、新進気鋭な社長等々、社会的に地位の高い人だけになっていった。(その繋がりをステータスにはしないけどね虎の威だし)
その方々に共通してるのが皆お互いの歳や立場関係なく平等な目線で接してくれて(というよりこっちまで降りてきてくれる)、お互いいじったりいじられたり、気になる立ち飲みあるから一緒に行こうなんて誘ってくれたり、ご自宅に招いてくれたこともあった。
「幹部とか校長とか偉そうな人多いのになんでそこまで俗に合わせてくれるんですか?」なんて失礼なこと聞いたら、曰く「だってそういう偉そうなやつ嫌いだもん」とバッサリ。自分なんかと飲み付き合ってくれるお偉いさん、その地位に極貧苦労人から実力でのし上がっていったってパターンが多いのもあるのかな。