はてなキーワード: 私服とは
女に生まれたくなかったなとか女に生まれて損だったなとあまり考えたことがなかったんだけど、
化粧や美容がらみだけは本当に辛い
本当に昔から興味がわかなくて、ブスならなおさら身なりに気を使えっていうのとてもわかるのに
自分のこととなるとなんにも気持ちがわかないというか、やりたいと思ったことない
もともと感覚過敏なので肌がベタベタする、肌からへんな匂いがする、唇に何かついてる、
爪に何かついてる、って感覚のどれもがダメで(日焼け止めすらつけられないような感じ)、
1時間もしないうちに掻いちゃって、爪の間に入り込む化粧品にイライラしちゃうようなタイプなので
化粧の類は本当にただ他の人から何か言われたくないから渋々本当に最低限をつけるだけだったんだけど
なんか歳と共にどんどんいろんなことに対してのやる気が失われてしまって、最近何もしてない
Twitter眺めてるとどんなオタク女子でも化粧品に一定の興味があって、どうして私はそれすらないんだろうと
最近ずっとつらく感じる 自分がおかしいのはわかるけど、肌についた時の感覚が蘇ると興味が萎れてしまう
前はそれでも、服だけはいいものが着たいと思っていろいろ買ったりして楽しかったのに、
今クローゼット見ると、もうこの一年に買ったおしゃれ着なんて一着だけ
ライブにいくことになって、慌てて買ったそれ以外、もう全部3年くらい前に買い揃えた私服しかなくなってた
昔は可愛い服を買っていたりしたのに、最近もうオフィスカジュアルで休みの日も出かけている
服を買いに行ってもこんなのもう若くないから着れないとなって気持ちが落ち込むので、
買いに行きたくなくなってしまってずいぶん経った
服の趣味が更新されないので、今の歳(アラサー)に合う服を考えるのが面倒くさくて、
そうなるともうオフィスカジュアルが何も考えなくて良いので、そればかりになってしまう
コロナ禍になって友人とも会わなくなり、服なんか着れればボロでもなんでもどうでもいいなとなって
もともとモテたいみたいな気持ちもなく、今更身綺麗にする気力も湧いてこず、そんな状態でずっと生きてる
なので女の子ならネイル!メイク!デパコス!それで元気になる!みたいなのを見るたび、なんていうか、
「そうじゃない自分は異常者なんだ、こんなにみんな関心が持てているのに何故ダメなんだろう」となって
しかも別に「まあ他人はそうだけど私は興味ないから別にいいや」みたいな割り切りもできないので、
周りからきっと気持ち悪いと思われているのに生きているのは嫌みたいな、根源的な嫌悪感があって
もうずっとはやく死にたい以外なんにもない
※以下、「エンジニア」と書かれている場合には「ITエンジニア」と読み替えてください
社員数1000人超のユーザ系SIer→Web系事業会社に転職して半年が経過したので所感を残しとく。いわゆる転職エントリってやつ。
Web系エンジニアの転職エントリって大体つよつよエンジニアの情報しか出てこなくてウッってなったから、自分のようなクソザコエンジニアの事例をネットの海に放流しとこうと思った。
みんなブログだと当たり障りのないことや技術的に意識の高い内容しか書かないからさ、パンピーの本音ベースでの不満や転職活動の内容ってなかなか見つからんのよね。
文章の感じとかで分かると思うけど、ほんとに意識もスペックも低い人間です あと一定以上の長さの文章書くの苦手だから箇条書き多いけどゆるして
入社して1か月はコンプラ研修とかビジネスマナー研修とか受けてた。
そのあと3か月くらいF士通のプログラミング講師みたいな人からIT研修を受けた。教科書に書いてある通りにLinuxのコマンドポチポチしたりJavaのコードを写経するだけだった記憶
研修が終わり晴れてインフラ系の開発運用を行う部署に配属されたんだけど、やっていたことは下記の通り。
業務ではコードを書くこともターミナルでコマンドを打つことも全くなかった。ひたすら溜まっていくユーザーや開発側からの問い合わせへのメールを返信する存在だった。
配属された部署がたまたまそういう場所だったというわけでもなくて、同期の話を聞く限りアプリ部門だろうがQA部門だろうが似たような感じぽかった。
これってITエンジニアの仕事なんか?事務職とかに近くね?という疑問を抱きながら1年半くらい過ごしてた。
自分のイメージしてたITエンジニアっていうのは、スタバで私服でようわからん真っ黒な画面に向かってプログラミングしたりサーバやNWをいじってる人のことであって、ワードパワポエクセルとにらめっこしながらスーツのおっさんとおしゃべりして一日を終える人じゃなかった。(多方面に怒られそうな表現だけど...)
あとは、
全体的に、仕事と関係ないクソどうでもいいことにこだわらないといけないのが嫌だった。「もっと技術にコミットしたい」みたいな、エンジニアとして正しいであろうモチベはあんまりなかった
別に自分にはソフトウェアエンジニアリングを通して実現したい目標があるわけじゃない。三度の飯よりプログラミングが好きってわけでもない。
SIer、っていうか古き良き日本の大企業でエンカウントする嫌なことから距離を取りたい、というモチベだけで行動した結果Web系エンジニアになってた。
ただ、どうもWeb系エンジニアっていうのは技術が好きで好きでしょうがない人間がつく仕事っていうパブリックイメージがある気がするんだよね。なんでだろう?
そんなに技術好きじゃなくても、Web業界の成長のおこぼれにあずかる程度のエンジニアになることは難しくないと思う。あんま知らんけどエンジニア数十万人単位で足りてないんでしょ?
俺はほんとクソザコだし、はてなに常駐するようなつよつよエンジニア達からみたら関わり合いになりたくないタイプの人間であることは自覚しているけど、表に出ないだけで俺みたいな人結構いるんじゃねって思ってる。
の増田に対するなんとも表現しようのない嫌悪感というか、不快感を感じて、増田に何度も記事を書こうとするのだけど、うまく言い表せなかった。はっきり言えることは、私はこういう類の主張がかなり嫌いである。
「ナチスが「絶対悪」であり、未曾有の災禍の元凶であることは、今日では常識となっている。
だがインターネット上ではむしろ、「ナチスは良いこともした」と声高に主張したがる人が増えている。」
筆者「ナチスは絶対悪である!これは今日の常識となっている!」
これは会話になってねえし、筆者の方がアホではないだろうか?
「アホなのはお前の方である」と面と向かって言ってやりたい。田野氏が一行目で言ったのは「世間の常識」のことであろうと思うし、「〜は常識だ!」と主張して人の意見を封じるかの如くの主張をしているわけではない、とすら読めない読解力のない増田はアホとしか言いようがない。現実に、欧州から遠く離れた日本ですら、ナチスドイツ親衛隊の制服を公の前で着るのはタブーだし、ハーケンクロイツなど以ての外である。実際に、ナチスが「絶対悪」であることは常識なのである。現に、はてなーの大半だってそうした親衛隊風の制服着用で問題になったニュース記事が流れると、それを実行した芸能人関係者をアホ扱い・叩くではないか。
あと、「絶対悪はイデオロギー」とか言ってるけど、実際に世間的イデオロギーがそうなのであって、はてなーの大半が忌み嫌う喫煙と同じである。
もし仮に、タバコは確かに害がありそれは認めるしかないが、タバコにも良いことがある、とでも主張しようものならば、100%総スカンを喰らうだろう。田野氏の言っている違和感はまさにそのようなことであると思うし、なぜナチスはダメと社会常識になっているにも関わらず、ナチスにも良いことがあったと認めようとするのか、なのである。上の引用で示した、田野氏の二行はそれ故に極めて「まともな人間」の書く文なのである。まともでないのは元増田であり、これを高評価しているはてなーの方であろう。
タバコの例をあげたので、タバコを具体例にしていうけれど、2000年頃までは多分、タバコの害を認めつつ、認める意見もそれなりに許された時代だった。今ではあり得ない話だが、タバコは落ち着くだとか、タバコを少し嗜む程度は許されて良いだろとか、その分税金を喫煙者は納めているだとか、タバコがダメなら排ガスを撒き散らす自動車の方がもっと悪いだとか、散々喫煙者は主張していたのである。今やそんなことをはてな界隈で言えば袋叩きだ。喫煙スペースですら許されなくなって来ている。
なのに、何故ユダヤ人を600万人も殺し(実際に細かく調べたから言うけど、600万人は概数として間違いのない数字である)、赤軍捕虜を300万人も不法殺害したり、実行に移されなかったとは言え、ロシア人を飢餓で数千万人も殺そうと計画したり、ロシア人とポーランド人を強制労働人種にしてしまおうと考えたり、ユダヤ人を殺して奪った莫大な資産を使って私服を肥やしまくったり、自分の有能な部下が殺されたからといって、村人の全員を虐殺あるいは強制収容所送りにしたり、……とまぁ枚挙にいとまがないほどの悪事を働いたナチスを、なぜ良いところもあったなどと主張しようとするのか。
勘違いしないで欲しいが、日本はドイツのように反ナチ法はないから、ナチスの良い面もあったと言うこと自体はなんら違法なことではない。だがしかし、それは差別にも良いことがあると言っているのと同じ類のことだとどうして思わないのだろうか? それとこれとは違うって? んなこたない。男女差別にも良い点がある、だなんて絶対に言えないはずである。
いや、ほんとにマジな話でさ、増田はこう言うのだけれど、
「そりゃナチスにも良い部分はあったかもしれんわ、けどそれでホロコースト免罪にはならねーから!別の話を混ぜないように!」でよくね?
論理というのは厳粛なものでね、その逆ももまた真なりなんだよね。逆っつーか入れ替えただけっつーか。つまり、
ナチスの良い点を言い出すってことは「そりゃホロコーストは悪いことだ、それは当たり前だけど、ナチスにも良いところがあったんだよ」という主張なんだよ。つまりあくまでも、後者に比重が置かれているわけ。
第184回国会(臨時会)質問主意書 質問第八号「ナチス政権の手口」についての麻生発言に関する質問主意書
ほんとに、心底思うけど、一体「歴史の重み」ってどれほど理解されてるんだろうか? と思う。そりゃぁね、何百年かそれ以上も前のことであるとか、よく知られていない遠い国の話であるとかなら話は別さ。だけど、まだ百年も経ってない近い過去の話で、人類史上、人間自身が起こした未曾有の大惨事となって普通に世界中の学校の教科書にも書いてあるナチスドイツの非道くらい、きっちり考えても良いんじゃないのかな?
なのになぜ「良い点もある」と考える人がいるのか、理解はできるけど、正直、首を捻りたくなる。
しかしま、日本って、こんなトンデモ本を普通に評価する人が結構いるのだから呆れるんだけどね。
ったく、表紙にバッチリ、ハーケンクロイツだよ? 欧米なら間違いなく発禁処分だ。しかも内容もかなり酷いそうだ。読んでないのにそんなことを言っちゃいかん、と思われるかもしれないが、あるホロコースト否認者が評価してたから間違いなくトンデモ本だw
ところで、元増田、
ヘイWikiperia
田野 大輔(たの だいすけ、1970年 - )は、日本の社会学者。
あっ…
とまぁ、見事なまでに差別主義者だったと露呈してるのは笑えた。人を属性でしか判断できないって、ナチスじゃん。心底軽蔑するわ。
ウマ娘のチームレースマッチでイヤシカ女杯参加したらワイ以外にもメジロライアンがいて草。
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緑黄色野菜って、みんな陽キャやヤンキーやらのまぶしい個性を感じるよな。
ほうれん草は絶対ヤンキー(ちょっと陰があるのがセクシーな感じの)だし、
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
https://note.com/rote/n/n631698f25ca2
先日話題になったこの記事を読んで思うところがあったので文章にしようと思う
シャニマスに【♡まっクろはムウサぎ♡】が実装されたときも何も考えずに、かわいい!って叫んでた。もちろん私服とフェス衣装両方だ。なのでこの記事がTLに流れてきた時、??って感じだった。
確かに自分もにちかかわいい!と同時に左の子もかわいくね??って思った。まあシャニマスのモブはみんなかわいいし、と思い気に留めなかった。
しかし、記事を開いたらにちかダサくね??みたいなことが書かれていて好きなアイドルをバカにされたような気がしてイラっと来た。でも否定するのは全て読んだ後にしようと思い、記事をスクロールしていった。
ある程度省略して説明すると、服の色的にダサく見えるよねって感じの内容でした。自分には色彩学の知識が無かったのでへ~って感じで読んでた。この記事を通して色彩学というものに触れられてよかったと思う。
さて、ここからが本題だ。確かにnoteの筆者のように色の知識を持っている人からしたらにちかの私服はダサく見えてしまうのだろう。ただしTLのお前たちはどうなんだ?今この記事を読んでいるお前だ。【♡まっクろはムウサぎ♡】実装時は
かわいいとTLで囃し立てていたのにnoteが流れてくるとそれ自分も思ってた、にちかの性格を私服にも反映させている運営すごいなど、自分の意見を捨てて俺は服の知識もあるんだ!運営sugeeee!と、俺分かってますよ感を出してる
オタクが大量発生していた。本当に気持ち悪いからやめてほしい。GUとユニクロで全身黒ずくめのお前らに服や色の知識があるわけがないだろ。
にちかのWINGコミュ「on high」の「誰が見てくれるんですか、私のことなんか・・・道で立っているだけじゃ、ただの人ごみなんですよ」という発言からにちかは自分に自信を持てていないと考えられる。このことから、noteに書いてあることは
正しいのかもと思う人はいるかもしれない。だけどそれが正しいかどうかはまだ公式が答えを出していないので考察程度にとどめておくべきだと考えている。でも実際はまるでそれが事実であるかのように拡散している人が多く見られる。その
結果、ツイッター検索のサジェストに「七草にちか ダサい」などと表示される。ある程度シャニマスをやっていてnoteも読んでいる人からしたら大丈夫なのだが。シャニマスに詳しくない人からしたらにちかって子はダサいの?となる。そこからシ
ャニマスに触れてそれが事実と異なるということを理解してもらえるのならいいのだが、実際はにちかはダサいという知識だけつけてシャニマスに触れない人がほとんどだろう。そうすると七草にちかというアイドルが記号化され、樹里のヤンキ
ー、冬優子のツンデレのように間違った認識が広まってしまう。そうなると「あんたはここでふゆと死ぬのよ」のようにネットのおもちゃにされてしまう。自分はそれに耐えられない。
色々書いたけど結局はオタク、自分の意見を持ってくれ!ということだ。オタクは影響されやすい生き物だけどイエスマンにはなってほしくない。でも逆張りオタクにもなってほしくない。自分はどっちかというと逆張り側だ。難しいかもしれないが、周りの意見に流されすぎないようにしてほしい。
書きたいこと書いたのでここで終わりにする。
最後に、フルの先行配信始まったので全人類「PRISISM」を聞け。この曲の真乃が最強にかわいい。
ありがとうございました
https://note.com/rote/n/n631698f25ca2
先日話題になったこの記事を読んで思うところがあったので文章にしようと思う
シャニマスに【♡まっクろはムウサぎ♡】が実装されたときも何も考えずに、かわいい!って叫んでた。もちろん私服とフェス衣装両方だ。なのでこの記事がTLに流れてきた時、??って感じだった。
確かに自分もにちかかわいい!と同時に左の子もかわいくね??って思った。まあシャニマスのモブはみんなかわいいし、と思い気に留めなかった。
しかし、記事を開いたらにちかダサくね??みたいなことが書かれていて好きなアイドルをバカにされたような気がしてイラっと来た。でも否定するのは全て読んだ後にしようと思い、記事をスクロールしていった。
ある程度省略して説明すると、服の色的にダサく見えるよねって感じの内容でした。自分には色彩学の知識が無かったのでへ~って感じで読んでた。この記事を通して色彩学というものに触れられてよかったと思う。
さて、ここからが本題だ。確かにnoteの筆者のように色の知識を持っている人からしたらにちかの私服はダサく見えてしまうのだろう。ただしTLのお前たちはどうなんだ?今この記事を読んでいるお前だ。【♡まっクろはムウサぎ♡】実装時は
かわいいとTLで囃し立てていたのにnoteが流れてくるとそれ自分も思ってた、にちかの性格を私服にも反映させている運営すごいなど、自分の意見を捨てて俺は服の知識もあるんだ!運営sugeeee!と、俺分かってますよ感を出してる
オタクが大量発生していた。本当に気持ち悪いからやめてほしい。GUとユニクロで全身黒ずくめのお前らに服や色の知識があるわけがないだろ。
にちかのWINGコミュ「on high」の「誰が見てくれるんですか、私のことなんか・・・道で立っているだけじゃ、ただの人ごみなんですよ」という発言からにちかは自分に自信を持てていないと考えられる。このことから、noteに書いてあることは
正しいのかもと思う人はいるかもしれない。だけどそれが正しいかどうかはまだ公式が答えを出していないので考察程度にとどめておくべきだと考えている。でも実際はまるでそれが事実であるかのように拡散している人が多く見られる。その
結果、ツイッター検索のサジェストに「七草にちか ダサい」などと表示される。ある程度シャニマスをやっていてnoteも読んでいる人からしたら大丈夫なのだが。シャニマスに詳しくない人からしたらにちかって子はダサいの?となる。そこからシ
ャニマスに触れてそれが事実と異なるということを理解してもらえるのならいいのだが、実際はにちかはダサいという知識だけつけてシャニマスに触れない人がほとんどだろう。そうすると七草にちかというアイドルが記号化され、樹里のヤンキ
ー、冬優子のツンデレのように間違った認識が広まってしまう。そうなると「あんたはここでふゆと死ぬのよ」のようにネットのおもちゃにされてしまう。自分はそれに耐えられない。
色々書いたけど結局はオタク、自分の意見を持ってくれ!ということだ。オタクは影響されやすい生き物だけどイエスマンにはなってほしくない。でも逆張りオタクにもなってほしくない。自分はどっちかというと逆張り側だ。難しいかもしれないが、周りの意見に流されすぎないようにしてほしい。
書きたいこと書いたのでここで終わりにする。
最後に、フルの先行配信始まったので全人類「PRISISM」を聞け。この曲の真乃が最強にかわいい。
ありがとうございました
女子高生なんてもうその時点で美少女なんだよな。制服補正、私服補正、笑顔補正、もう何やっても補正かかって美少女。美しい少女。その美少女たちを大学合格に導くリアルシミュレーションゲーム。あー楽しい。
やればできんじゃん。最初からそのくらいの反論してこいよ。そう、俺の書いた内容で弱点があるとすればそこだよ。
なっていない。
「お前、顔がキモいな」みたいにキモいは「醜い」とほぼ同義で使われるだろ。「お前、顔が不快」とか「お前、顔が怖い」だと悪口は悪口だけどニュアンス違うじゃん。キモいが客観的事実の指摘という意味が強めなのに対し、不快や怖いは主観的になるだろ。
逆に「バスに酔ってキモい」みたいな気持ち悪いの用法は今どきはほとんど見ないよね。使うやついるかもしれないけど、罵倒語として認識されすぎてちょっと使いにくい。
暴力などで強引に連れ去るのじゃないからナンパは略取じゃなくて誘拐な。覚えたての言葉だろうからしょうがないけど、ちゃんと使えよ。
で、論点がふたつある。
この事件あまり詳細が報道されてなくて、女子高生の年齢とか制服だったか否かが不明なんだよね。平日の22時にコンビニ前だと制服も私服もあり得る。だからこの論点は保留。
次に、仮に未成年と知り得たとして未成年のナンパが誘拐として犯罪にあたるって認識はナンパ野郎にどこまで知られていると思う?知らないから、あるいはナンパ程度なら普通は罪に問われないから声をかけたんだろ?
まあ、俺も上の書き方はちょっと良くなかったな。文脈としてはあくまでも「犯人の自認」として犯罪をおかしていないと思っているはず、ということなのでそこは読み取ってくれ。
自分、一時期世間を賑わせたいじめが問題になった学校の出身のものです。
前提として荒れてる学校だった。
近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。
私たちの学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。
そんな学校だから、成績ももちろん低くて私たちの学校の価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。
クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。
授業もできないから先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿な中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違いする奴らがあまり喋っていない俗に言う陰キャを構ってあげてる、という名目でのいじめをした。
それがいつの間にかおもちゃになっていじめに発展するのが決まりのコース。
いじめたヤツらにとって「自分たちは先生に認められた特権階級」って思っているし、先生たちも正直他の生徒が万引きや喧嘩やらで外部に迷惑をかけているから内の問題に構う暇なんてなかったと思う。
というか真面目そうに見えて万引きする奴らよりも分かりやすく問題を起こして馴れ馴れしく先生に話しかける彼らを先生は可愛い生徒と思っていたかもしれない
結果、兄弟の学年で問題になってしまってマスコミに大々的に報じられた。
元々あった先生の負担が倍増し何人かの先生が来なくなったし、ストレスや親が通わせたくないという意味での不登校の児童も多発した。
マスコミも過熱してて、休日の私服の私に「あの中学出身だよね?」と話しかけてきたりしていた。
いじめたヤツらは守られたりもして、さらに結束を強めたように見えたけど、親含む内部で罪の押しつけあいで最終的には分解した。
というか周りの生徒が孤立させてていじめグループ内でいるしかない状態だった。
教師に持ち上げられたから勘違いするいじめなんてするバカだったから、ほとんど高校も低い偏差値しか行ってなかった。
勉強してちゃんとした高校行っても同じ中学の人たちからのリークでばれたりするから孤立して退学したりもしたらしい
自分も中学を忘れようと高校は私しか進学していない高校に行ったけど、「あの中学校出身」と言われていて、友達は出来たけどいじめ事件の事を興味本位で聞かれたりした。
地元には悪い思い出がほとんどで、同級生も帰っていない人達が多い。成人式も半分しか来なかった。
故郷の思い出は息が詰まる思い出と自分がいじめのターゲットにならないかとビクビクした記憶だったり、高校の時の「あの中学出身」っていうヒソヒソ話と人を死なせる要因をつくったという罪悪感でぐちゃぐちゃになる。
強く生きて欲しい。
旭川のニュース見ないようにしていたけど偶然見ちゃって思い出したので整理つける為に書いておく。
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身バレ防止の為に兄弟がいじめが問題になった学年って言ったけど文章的に合わないところ多すぎた。
いじめで問題になったクラスは別クラスだけど、噂には聞いていて正直他のクラスよりまとまっていたクラスだった。
亡くなっていた子がスケープゴートになっていたのは外から見てもわかってたけど、皆自分が助かるためなら仕方ない、って感じだった。
よくいじめがあるクラスはまとまるって言うけどあれは自分がそのターゲットにならないように無理矢理合わせているだけ。見せしめと変わらないよね。
あと強く覚えているのはいじめた子の親がうちの家に電話してきて、うちの親に「マスコミに子を売ったのはお宅か?」と質問してきたりしたことかな。
近くに附属中があったからって書いたけど、うちの学校以外はみんな普通に過ごしていたし、成績も附属中よりも少し下だったけど、普通に過ごしていたから、本当にうちの学校のみの問題だったと思っている
今思えば小学校の時、附属中にいく生徒が皆一斉にやっていた習い事をやめて塾行き始めて、何となく附属中組と公立組に別れ始めた所から公立組は劣等感を感じ始めたし、そこから荒れる生徒もポツポツ出始めたな
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追記2
私の書き方が悪いから附属中ある公立校がみんな荒れてるって感じになってしまったけど。
現に1番その附属中に近い公立中学は平和で全体の成績も良かった。
私の学校が荒れたのは周りの中学生からみて「荒れている」というイメージの中学で、成績も低くてバカ中って言われていたからそれの劣等感もあった。
先生の質も良くなかった。
という流れ
体罰もどうだろう。
そういう先生もいたけど荒れてたままだったから生徒たちの根本の劣等感が消えないと意味ないと思う
ーーーー
最近、秋田の学校でいじめを苦に自殺未遂があった学校の記事を見て思い出したことあった。
あれと似たようなことあったよ。
事件があったあと、問題になったクラスの人達が教室も別になっていた時があった。(理由は分からないけど調査とかマスコミ対策のためとかだと思う)
部活動もそのクラスの人達は全員不参加で登下校は親が送り迎えしていて、問題のクラスでそこそこ話していた子と会った時、「なんで私たちだけ」って切れていたんだよ
彼女は直接いじめには加担していなかったし、マスコミのために外にも満足に出れない日々だったし、親も親で彼女にいじめに加担していないかとか聞かれたりしたりしていたから、つい言っちゃったんだと思う。
彼女というか、そのクラスからすればいじめで亡くなった子は必要な存在で、求めてやっていたのに亡くなりながってって思ったんだと思うし、いじめの主犯たちは全員学校来ていなかったから「お前らのせいで」っていう悪意を向ける先もなかったと思う
あと学校内でも物凄いスピードで事件は広まったから学校全体で問題になったクラスの人達には話さない、顔を見ない、隔離されたクラスの場所には行かないなどの学校中総シカトみたいな雰囲気があって、学校というか地域全体で無視されるっていう気分で、それを言いたくなちゃったのも正直わかる。
話を戻すと秋田の子達もきっと学校中から「いじめをした人」っていう針のむしろの状態になっているんじゃないかな
自分を加害者って思えるのも強さが必要だし、いじめをして結束するメンタリティの子達にそんな強さがないからいじめた子を加害者だと思って攻撃したんだと思う
自分を守るために必要な事だとは思うけど、ただ繰り返すと本人たちにとっても良くないから、親とか周りが彼女たちをケアして早く自分たちが加害者だと思えるようになって欲しい
「そういえばそろそろ夏だった」と思い出したかのように急に気温が上がった5月、今日の天気は快晴でまさに五月晴れで―これは旧暦の5月(6月)を指す言葉なので誤用だが―ともかく気持ちのいい朝だ。
世間はゴールデンウィークだが今日は出勤日。残念ながらこんな情勢でも月初というのは何かと外せない用事があるものだ。
平日と同じ時間に起きて朝食を摂り、いつもの時間で家を出て通勤電車へ向かう。祝日の朝は電車も人が少ない。恐らく緊急事態宣言というのも影響しているのだろう。その上自分の通勤電車は私鉄の普通列車で普段からさほど人が多くない。
夏の気配を感じる陽気を車窓ごしに浴びながら電車に揺られているとふと違和感に気付く。いつもの通勤電車なのに妙に景色が色鮮やかに見える。日光の加減か?いや普段から天気のいい日はたくさんある。では自分の機嫌?今現在休日出勤している自分に世の中が輝いて見えるほど個人的に嬉しい事があった覚えはない。
しかし一点だけ普段の灰色のような出勤風景とは明確に違うものがある。人だ。普段からそこそこ余裕のある路線だが今日は一段と人が少ないし、座っている人たちも私服の比率が多くて暗い色のスーツ一色ではない。それにどことなく「明日も明後日も休み」という余裕が感じられる(これは私の勝手な思い込みだが)。パーソナルスペースが十二分に確保された明るい空間がこんなに快適だとは、そして仕事に疲れた人間だけで埋められた日頃の通勤電車が無意識のうちに暗いイメージを自分に抱かせていたとは思わなかった。嫌なイベントであるはずの休日出勤にも関わらず気持ちは思った以上に前向きで、自分が働いていても周囲に余裕のある空気が流れていると案外いい気分になるのかもしれないと思った。自分と同じように出勤であろうスーツ姿の人たちも心なしかリラックスしているように見える。
これから旅行にでも出かけるかのような気分だが、今日は仕事だ。どうせオフィスも人は少ないし、ゆっくり余裕をもって休日出勤に励もうと思う。
そういう犯人を決めるのが今回の緊急事態宣言がもたらすものだ!
残念だったな飲んだくれ共!楽しく路上飲み、俺らの自由を返せとか言えると思ったか!
今から犯人を作るんだよ!真犯人が中国人だろうが現在進行形で感染拡大の犯人になるのはこんなに非常事態なのに路上で飲んでるような飲んだくれ共が完全に悪いのさ!
満員電車を作る奴や仕事に来させる奴が悪い!?誰が路上で飲んでいいと言った!ガハハ!我々が許可してないことをしたのは貴様らだ!
意図的に細菌を蔓延させたテロリストとして君を捕捉するぞ!私服警官が君の生活を監視するぞ!うおおお!
だからアルコールを出すお店は許さないぞ!カラオケする店も許さないぞ!
民衆の癒し?はぁ?その民衆から感染が拡大してるんですが??またテロリストが何か企ててるのね!ポリスおいで!そんなところで膝立てて敬礼してないであの細菌をばら撒くテロリスト共を捕まえなさい!
外で飲む奴はテロリストよ!宣言に従って密かに生きてる国民は潜在的テロリストよ!
あの記事で違和感なのは、性別による服装云々という問題より、多様性という口でなぜ制服を定めているのかということだったよ。
校長は「周りと同じじゃないといけない、という環境では、安心して自分を表現できません。」
って言ってるけど、選択肢がいくつかあったところで、制服じゃ皆が似たような服装することに変わりはないじゃない。
「自分のありのままを表現でき、他人のありのままも受け入れる経験をしてほしい」って私服でこそかなうものじゃない?
あとあの子は「足の動きが自由になるのが楽しかった」とかいうけど、女を40年以上やってる身としてはズボンの方がずっと自由なのよ。
タイトスカートなんてズボンより不自由だし、スカート履いてっと足閉じろ言われるんだから。スカートめくりが有効なのは女が履く時だけだろうが。
あいつは女が履くスカートの不自由さを知らない。その不自由さも知らんで足が自由〜♪みたいなこと言われるとイライラするわ。
母親も母親で「外国では男性がスカートをはく国もありますよね」とかいうけど、キルトのことか?
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。