はてなキーワード: 私信とは
tikani_nemuruさんにだけ伝われば満足というエントリです。
でも残念ながらそれはもう無理なのよ。
だってフェミニスト議員連盟は「偏見の助長」「性犯罪誘発」って言っちゃったんだもん。
それならもう広告じゃなくても公的じゃなくてもあかん表現じゃん。
よく考えずにそれに付き従った頭の悪いネットフェミやネットサヨクさんたちだから。
わかるわかる。堅実なラインだと思う。
(実はそのラインに対しても突っ込めるポイントはあるんだけど今は話が逸れるからやめとく)
でももう遅いよそれは。
ちょっと持ち上げるけど、tikani_nemuruさんはフェミニスト議員連盟やネットの有象無象のお気持ちサヨクよりはだいぶ有能なように見える。
でもそれなら出てくるのが遅かったでしょ。遅すぎたよ。
かつてどれほどたくさんの有能な軍人が「今の戦況ナシ!」「ここまで戦線下げて仕切り直したい!」って思ったか。
攻勢限界点を見誤った無理な拡張をして、そこを維持できなくなって全部グッチャグチャにやられちゃう。
きちんとした戦線を設定してればその内側をやられることはなかったのに。
そういうのは無数にあるけど、後から「今のナシ!」って言ったって駄目なのよ。
そういうのってだいたいバカな上官や同僚のせいで、
適切な戦線切り直しが提案できるような能力のある人はたいていの場合、そもそも無理な戦線拡張したのと人は別の人だけど。
それ自体がtikani_nemuruさんのせいじゃあないよね。
けどtikani_nemuruさんは本当なら、
この問題が勃発した初期段階で大声出して
「フェミニスト議員連盟は間違っている!あの動画がよくない理由はこうだ!」とやるべきだった。
無謀で無能な大将を罷免若しくは背中から銃殺して自分が臨時大将になって
「正しい戦線設定はここだぞ」と大号令掛けるべきだった。
実際にはあなたはそうしなかったので
無謀な大将の号令で変に強気になった兵隊が全然統制とれずにめいめいの作戦でバラバラに戦って次々にやられて押し込まれてる。
いまからどんなに妥当な作戦を出してきたって「今まで言ってたことは?」「また別の主張?」って言われちゃう。
あなたが味方の中で一番賢くたってそれを周りに徹底することは別の難しさがある。
戦況が滅茶苦茶になってから「私ならもっとマシな作戦があった」っていうの
基本方針に沿って全力で権力も争い節操無しと言われるような手段も取り敗れて名も残さなかった郭図。
出発点が間違ってるのに勝てもせず最後だけウェットに飾って気持ちよく敗れた不潔な独り善がりが審配。
最も賢明だったのに主導権把握をせず自分が一番賢かったことを獄の隅で吠えて史書に名を残して満足した田豊。
私はこの三人なら郭図を評価したい。
味方の誰よりも賢かったことだけ隅っこに書きつけて満足して。
「どういう表現が公共の場にふさわしくないか」の基準を作っていくという極めて大事なプロセスをフェミに丸投げするなんてとんでもない
本当にありがとうございます。
やってかせていただきます。
なげー文へのなげーレスポンスなので読む人もいないだろうしほぼ私信状態になると思います。
ブログで当初のよしきさんの主張は以下の感じです。
その表現は許されんぞー!と主張する人に「許されない表現の基準提示を求めること」、
でもツッコミ的なはてブを見た後でよしきさんが書いた追記はこれです。
なにこれ?
基準を求めることについてよしきさんがどう思ってるのかさっぱりわかりません。
「レスポンス見て考えたら意見がグルっと変わりました」なら全然かまわないんだけど(ならそう書いてほしいんだけど)。
もしも「私は最初からそう言ってます」的なやつならさすがにどうかと思います。
まあ最終的に「基準を示すのは当たり前である」になったならそこは意見一致なのでそれ以上言うことはないんですが。
読んでいくとなんでかトイアンナの話の方が多いくらいなんです。
そもそも私はトイアンナには1ミリも触れてないしあんま興味もないし
「柴田英里の発言とそれに対する大野先生のエアリプについて」と最初に言及範囲を明示してるのですが
わざわざレスをくれたんだからトイアンナの話も付き合いましょう。
これはかなり悪質な印象操作だと思う。
「好評だったのに、性的であるという理由で一部の人間がクレームを入れて取さげさせた」ならトイアンナさんの言ってることはわかる。
でも実際ははてブをみてもわかる通り「性的要素なしにしても全面的に不評だった」のだ。宇崎ちゃんの時とはまったく事情が違う。
しかしトイアンアさんは宇崎ちゃんの事例に重ねる形でこの事例を紹介している。結果として、この二つを混同する人が多かった。
「ほとんどの人が支持してなかったものを取り下げた」という事例が、読者の中で「フェミニストによる弾圧」のイメージにすり替えられてしまっているのだ。
わざわざトイアンナの方も読みましたが、
よしきさんの非難に反し、トイアンナは「人気のポスターだったのに」とか「好評なポスターだったのに」なんて言い回しは全くしていません。
あのポスターが人気だったかどうかということ自体触れてもいません。
当然だと思います。
だってそもそも「許されるべきでない表現」は人気不人気で決まるんですか?
不人気な物なら雑な「許されるべきでない」認定を食らわせて抹殺しても問題ないの?
人気のある物ならなら「許されるべきでない」認定を思いとどまるべきなの?
逆でしょ?
みんなに大好評な物であってもそれが自分の中の明確な基準に照らして「許されん」と信じるなら堂々とそう声を上げるべきだし
まるで人気のない不評なものであっても怪しい「許されん」認定が下されそうなら「ちょっと待て!どういう理屈で許されないんだ!」と質すべきでしょ?
大衆の人気度合いに「許されなさ」が影響されたらそれはただの阿り、お調子もんじゃん。
きちんとスジや基準を明示した「許されない」認定をしてくれっていうのは
また、性的要素だけに限っても「私は、少なくとも満たさないと思う。
少なくとも、当てはまるかどうかは穏便に賛否両論するレベル」というトイアンナさんの主張は微妙ではないか。
これに関しては「満たす」の意見の方が多いと思う。少なくともフィフティーフィフティーではない。今回の件に限って言えば、フェミ教授の意見はそれほどおかしくない。
これも同じく意味不明なんだけど
え、それ多数決で決める話だったんですか?
理屈も基準もない意見なんかいくらあっても「バカが沢山いるね」でしょ?
そんなんならもう例えばフェミニズムとか成り立たなくね?
「女は半人前だから父親や夫に従え」「女は家の中で働け」「女に選挙権なんか要らん」って価値観が多数派だった時代に
「これはおかしい。いまは少数派でも私が正しい」って頑張った女が物事を変えたんじゃないの?
よしきさんの「正しさは世間の支持度合いに影響を受ける」理論なら女はずっと弁えて家にいるのが「正し」かったですね。
ちょっともう何言ってんのかついていけないです。トイアンナがどうこうじゃなくあんたがおかしい。
よしきさんの中にあるらしいヘンテコな「世の人気に影響されながら許されない認定する」ルールをトイアンナが共有してる可能性は低いので
「宇崎ちゃんポスターとミニスカポスターの混同を図った!」というよしきさんのトイアンナ批判は
一応よしきさんが「トイアンナも自分と同じルールを採用してる」と誤解した理由っぽい箇所はトイアンナの記事の中に見つけました。
トイアンナは宇崎ちゃんポスター騒動を振り返って自分の中で是と否の論点を整理しつつ「賛否両論の段階」という言葉を使ってます。
ちょっと変な言葉使いなのは確かですが、これをなんかしらんけどよしきさんは「世間の支持度合いがフィフティフィフティ」って意味と読んだんですね。
まあトイアンナはどう見ても「攻防の論陣が均衡状態」という自分の中のジャッジの話をしてるだけです。
ていうかそもそもポスターに対する支持不支持がフィフティフィフティっていったいどこで観測するんだよ。
そのフィフティフィフティを疑問なく受け入れるよしきさんもやっぱりおかしいわ。
あとなんでかしらんけどはてなの反応とかで「世間の支持度合い」を測ってるっぽいのは本当におかしいですわ。
はてなとかtwitterの特殊なタイムラインとかで分かるのは
宇崎ちゃんポスターやミニスカポスターについて、本当の世間の支持不支持はどうか?
「どうでもいい」が圧倒的1位だと思いますよ。
「そんなことで必死に言い合いしてる奴等キモい」が2位じゃないですか。
これが一応本来の本題、かつ一番勘弁してほしい部分です。
連ツイの中で増田への回答はほぼなされている。
そこを伏せて「まともな回答がなされてない」ような印象操作をして「先生しっかりしてください」とやる増田は普通にレギュレーション違反で失格でしょ
いやその連ツイはきちんとURL貼ってるし
なによりあなたが引用してる所の多くは増田も引用してますよね?
「伏せて」とは?
具体的に何が伏せられたんですか?
見ればわかると思うので一つ一つは指摘しないが、
太字あたりを念頭に置いたうえで、「先生しっかりしてください」の増田を読めば、ほとんどのことはすでに連ツイの中で回答されていることがわかるだろう。
えっ
よしきさん「見ればわかると思うので指摘はしないがーーー」
こんなんあり?
だって本当に、文字通り、全く、なんにも説明出来てないんだもん
だからそういう自分の主張の肝心な部分を「わかるだろ?」みたいに説明せず逃げるのはやめましょう
っていうのは大野先生のあのtweetに対しても言ったことです。
よしきさんはさすがに再度説明してくれると思うけど
これでなんか不貞腐れた感じになったり勝利宣言したりしながら説明せずに終了とかしたらさすがに呆れます。
わざわざ「増田は間違っておる!」と大上段の反論記事書いてくれたのでわーいって読んだのに
全然関係ないトイアンナの話を大量に読まされたあげくに増田への反論は中身ゼロって
反省してよね。
あとはてブ民に対しても
はてブから人がたくさん来ちゃってなんのためにnoteで書いてるのかわからなくなってるので2日ほどマガジン読者以外に非公開にしますね……。
読みたい人はその後で来てください。正直noteは「めんどくさいはてブ民がこない」ことを前提に書きなぐりしてるのでいろいろ雑な記述あったと思います。ごめんなさいm(__)m
これはないんじゃないの。
めんどくさい話をしてる増田を拾い上げて反論(nullだったけど。)したらめんどくさいはてブ民がついてきたーって
猫の死体蹴ったら足にウジがついたーって言ってるみたいな感じで、被害者ヅラするとこちゃうぞと思う。
あと反論しようとしてくれること自体は感謝してるし少しも悪く思ってないのはわかってほしい。他のこれから反論やレスポンスをしてやるぞって人もね。
※これはマッチングアプリを通して盛んなセックスライフを送る元増田さんへの私信。
生まれてこのかたセックスなんてしたことないどころか、女性と手を繋いだこともない弱者男性の俺には、よく分からないよ…
… それってなんか、意味あるの?
… いつも澄み渡るように心地いいんだけど、ひょっとするとこっちの方がずっと価値があるんじゃないか?
義務教育をいじめられてやり過ごしたせいで、いまやリアルで会える異性とも同性とも縁遠いけどまあいいか、ってなった俺には、ひとりぼっち特A級たる俺には、よく分からないけど、コメントでセルフネグレクトとか言われてんのってそういうことなんじゃないかい?
あなたはセックスを重ねるたびに「より幸福」になっていってるかい? 自分が、世界が、より大切で愛おしくなったように思えてるかい?
1か月以上前に観に行って、
ついうっかり「感想文でも書いておこうかな」などとTwitterでつぶやいたが最後
友人に拾われ「待っている」と待たれてしまった。
こいつは、しっかりとした文章を書かねばなるまい。
私がシンに対して感じた事。
それを素直に、そして素敵に書き連ねて、友人と感動を分かち合うのだ。
などと思いを馳せていたら全然書けなくなり、
「ああ、そうだ自分はプレッシャーに弱かったんだ。忘れてた。」
あまりに書けないので、先輩を捕まえて「文章が書けない」と愚痴ったところ
先輩からは「気負うなよ。なんだ、その友人だって、そんな約束もう覚えてないんじゃないか?」と、励まされた。
はああん、さてはそんなに気負いすることもないのかと
鼻歌交じりで湯船に浸かったり、踊りながら夕餉の支度をしたり、
switchで発売されたモンスターハンターライズをやったりして更に2週間ほど書かずにダラダラすごした。
そのうち書く気力が湧かないものかと期待もしたのだが、これがちっとも湧きやしない。
アイデアは閃いたその時にアウトプットしないと、どんなに素晴らしいものでも劣化すると言ったのは
逃げるように打ち込んだモンスターハンターのエンドロールを見送りながら
「自分は友人との約束を小脇に置いて、一体何をやっているのだ」と我に返り
待たせてしまっているのかもしれない友人に申し訳なさを感じながら、
ようやく書くぞと、今キーボードをたたき始めた。
ここまでが、つまりの言い訳で、今更シンの感想文を書くに至った経緯である。
どう書こうか散々悩んだが、結局文筆家でもない私の書くものだ。
第三者にとやかく言われる筋合いはない。
だから友人が「見苦しい」と思わなければ、とりあえずは問題ないのだ。
では感想だ。どう書こうか。そうだな、本作は大きく分けて3つの感動が湧いた。
それぞれにタイトルをつけるなら、以下だ。
【散々泣いた後「これシン劇場版だけ見た人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
では、細かく1つづつ説明していこう。
そうそう。ここからはネタバレが発生するので、万が一まだ見ていない人がいたら気を付けてほしい。
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とにかく泣いた。
キャラクターは何人か死ぬんだが、そういうシナリオや演出上の悲しみで流れた涙では当然なく、
「こう終わらせるのか」という感動というか。
時間が経って、時代が変わって、自分も一緒に歳をとって、そして受け入れている自分の状態そのものに
涙が止まらなかった。
かつて「なんて難解で新しいんだ!」という側面で感動したエヴァンゲリオンが
(この次の詳細で書くが)こんなに分かりやすくなったとしても、受け入れて楽しんでいる自分がいる事の喜びでもあった。
期待していた感動の方向性が全く異なっているのに、喜んでいる自分がいるというのは、
シンの終わりに向けて自分も一緒に歳を重ねたからだと泣きながら気付き、
「お疲れ様でした!」と関係者でもなんでもないのに、小さく独り言ちていた。
不思議な達成感と供に「楽しかった」「感動した」「泣いた」「素晴らしかった」を超えた感謝を感じた。
「感謝」
【散々泣いた後「これ今からエヴァ見る人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
で、散々泣いた後に冷静になってこう思った。
「…今からエヴァンゲリオン見る人は「これ、そんなに面白いか?」と思うんじゃないだろうか。」
というのが、かなり解りやすくなっている。
TVシリーズおよび旧劇場版と比較すると、エヴァンゲリオンの秘密や人類補完計画、綾波レイの正体やら
台詞と絵でほぼ全て語ってくれた。
特に、旧劇場版では初見ではちょっと分かりにくかった、一体誰が敵なのか(ゼーレ?ゲンドウ??)というモヤっと感が
分かりやすく「ゲンドウがラスボス」「目的はユイたん復活」と、ご自身で説明してくれる。
この辺りの凄く分かりやすい説明に対しても、歳を重ねた自分は「語る事を決めた監督お疲れ様です!」と感動したが
なんとなく、「日本人は難解で解釈の余地を残す演出の方が好む傾向があるのではないのか?」
という考えから「これ、今からシンを見る人は楽しいのだろうか?」という懸念が生まれた。
こればかりは、私の仮説が間違っているかもしれないので、過剰な心配かもしれない。
実際、序破Qと興行収入は上がっているらしいから、現代は不親切な難解さよりも、
明快な回答があったほうが好まれるのかもしれない。
(いや、でも、Qまでは結構難解だったよなあ。)
ただ、少なくとも、泣くほどの感動は多分ないだろう。
そう思うと、むやみやたらに「面白いんだよ。素晴らしいんだよ。」と勧めることを躊躇してしまう自分もいる。
旧劇場版に比べると、シンは万人に受け入れられる作品にはなっていると思う反面、
自分は今回から観る人に狂うほど楽しいかと聞かれると、唸ってしまうかもしれない。
最後はもう、自分の好みの話でしかないのだが、有人の人型巨大ロボットでの肉弾戦よりも
エヴァンゲリオンは当然戦うんだが、ヴンダーが途中まで大活躍なのだ。
大活躍というか、ヴンダーをベースにエヴァンゲリオンが戦うのだ。
司令塔⇔戦闘機も大好きな自分にとってさらに楽しい。ありがとうございます。
(余談ですが、そういう意味で、途中まで指令を聞かないマリの戦い方は好きではなかった。)
戦艦といえば、艦長。そう、艦長がどれだけカッコいいかも大事。
ミサトというキャラクターが、TVシリーズではどうにも雌くさくて好きじゃなかったのだが、
それでも、指令を出したり、無茶苦茶な作戦をねじ込むシーンだけはカッコよくて好きだった。
そんな好きなミサトが100%、最後までかっこよく戦ってくれたことも、ありがとうございます。
(艦長だから死んだのか、ミサトだから死んだのかは分からないところですが、ミサトは絶対退場するんだなあ…とかも思った。
でも、あのラストは艦長のラストだよね。全員逃がして最後は船と供には艦長としての散り方だよね。)
ヴンダーが動くのは一々カッコいいし、ヴンダーの開発秘話もイケてるし、
最後に命の箱舟としての本懐を全うして兵器として出撃するシーンとか。
なんだアレ、ずるい。かっこよくてずるい。
最後の項目に関しては、本当にただただ好みの画がカッコよく動きまくってくれて
脳がひたすら喜んでいるだけみたいな感想なので、語彙がバカになっていると思う。
ところで、私は戦艦ものが好きというか、一人のヒーロー(パイロット)が敵を倒すよりも
多数の凡庸(凡庸と言ってもポテンシャル高め)な人々が知恵を絞り巨大な敵を倒すという構造が好き…
というタイプの戦艦もの好きなのだが、庵野秀明はその演出がとても気持ちが良く、
そんな話をしたところ、先日知人に「それは、ヤマトは当然として、ウルトラマン(ウルトラQ)も好きかもね」と言われた。
ふむ、なるほど見てない。ウルトラマン。
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以上が大筋の感想となるのだが、
今回書いてみて一方的なレビューだと、心の中にある踊るような感動や衝撃というのが語彙力のなさも手伝って、きっと全然書けていないなと感じた。
これが会話だったら、もっと色々話したい箇所もたくさんあったなと読み返して思っている。
例えば、最後に畳みかけるメタ表現の数々や、その視点からの演出だと思えばループやスターシステムというものは
シナリオではなくアート寄りな(作家的な?)視点になるから議論は不要なんじゃないかとか、
ラストの実写差し込みは昭和の舞台壊しオマージュかな?などなど…
会話として意見を聞きながら会話を楽しみたいとは思う視点はたくさん出てくるんだが、
一方的に断言できる事は大体この三つだったなと思う。
特に、一緒に歳を取った作品がこう終わったのかという涙と感謝の話は
他の作品で感じたことがなかったので書いておけてよかったかなと思う。
そう思えば、「待っているよ」と言ってくれた友人に感謝である。
ああ、そうだ友人よ。歳を重ねて…で思い出した。
来月私は母になる。
そういう事もあって、余計涙もろくなっているのかもしれない。
視聴率が登録者数の10%いっているので視聴者としてやれることはこれ以上無い気がする…。
自分も何度か作ってみたけど、そもそも登録人数伸ばそうとか全く思ってなかったから実戦経験はそんなにない。
・最も人が多いのは20時頃である。自身の拡散力があれば良い時間
・毎時ランキングにあがりやすいのは深夜と思う。ニコニコの機能に頼る場合。
アクセス経路を考える。
・アクセスが多いタグをつけたほうがいい気がする。今なんだろね…。昔はマイクラの動画とか下手でも見てたけど…。
・検索ワード対策にタイトルにMinecraftって入れたら、本文はマイクラとするとか…。
・何かしらの方法で別の検索回数の多いワードに引かかって、それが荒れないやつだと良い
VTuberにスパチャしたけど読まれなかったとか最近反応してくれなくなったとか、その手のお気持ちで吹き上がっている輩を最近目にするけど、それはお前のコメントのタイミングがズレていて面白くないからだよ。
面白くないだけならまだマシだけど、配信者の活動の妨げになってることすらあるよ。配信者のファンだとか配信好きだとか名乗るなら、お前が熱を上げている対象が提供している「配信」という芸について理解しろよ。
配信者ってのは文字通り配信を生業として人生かけてやってる芸人(近年のお笑い芸人に限定した意味ではなく、広く芸事を職業とする人)であって、配信者の芸とは「面白い配信をすること」なんだよ。
配信者のトークが好調に回っている最中とか、ゲーム実況でボスに挑戦してるとか、そういうタイミングで投げられた無関係な内容のスパチャに反応なんか出来るわけないんだよ。「面白い芸の流れ」が切れるんだよ。
ミュージシャンでもお笑い芸人でも舞台役者でも何でも良いけど、なにか別の芸事に置き換えて考えてみろよ。
今まさに大勢の観客が盛り上がっている最中、流れに乗っている芸を、額面がどうであれ一人の客からの投げ銭が飛んできた程度で止める芸人なんか居るわけがないんだよ。
どんな場面でも「面白い芸」を見せる事ができるから芸人は芸人として生きていけるのだし、それをわかっているファンなら芸の邪魔をしないように観客席での振る舞いに気を配るもんだろう。
お前が配信をよく見ている人種なら、配信の内容に反応した通常のコメントが、場合によってはスパチャよりも優先して拾われている場面を見たことがあるだろ。
あれは内容に対して適切なタイミングで面白いレスポンスを返していて、「読んだら配信が面白くなる」コメントだから読まれてんだよ。
あの手のコメントの投稿者は「面白さ」とは何かってのをちゃんと理解してる人間で、配信内容を受けて当意即妙に面白い内容を考えて投稿しているし、配信者もその面白さが理解できるから反応するんだよ。
いわば即興大喜利のお題、ラジオの投稿コーナー、歌舞伎の大向うの掛け声みたいなもんで、熟練した観客が壇上の芸を受けて自らも芸を披露する、その相互関係が面白さを生み出しているんだよ。
その点、額の割に大した反応が貰えていないスパチャってのは、どれもこれも配信の内容とクソほど無関係な内容を意味不明なタイミングで投げていて、配信の面白さに寄与しないようなやつばっかなんだよ。
ただ一方的に愛をぶつけているだけだったり、個人的な事情を盛り込んだ私信的な内容だったり、配信内容とは全然無関係に〇〇と言って欲しい、〇〇やってほしい、みたいなやつだったり。
別にスパチャで配信者から反応してもらおうって考え自体は否定しない。元々そのための機能として用意されているものだし、自分の好きな配信者から直接反応がもらえたらそりゃ嬉しいだろうよ。その気持ちはわかる。
ただ、配信の盛り上がりどころでこの手の内容を投げ込むのは、「今のあなたの配信の内容には全く興味はありません」と言ってるようなもんで、完全に配信者の活動を蔑ろにした態度なんだよ。
お前は確かに少なからざる金額を配信者に支払った上客かもしれない。それでもあくまで大勢いる客の中のひとりでしかなくて、配信者はお前一人のために配信してるわけじゃないんだよ。
お前の「配信者への愛」とか「配信者にやってほしいこと」はお前一人の願望だけど、他の視聴者は全員「その配信者がやっていること」を見るために配信に来ているし、配信者はそんな視聴者全体の方を向いて配信をやっている。
配信者が「大多数の視聴者はこのスパチャの内容には興味がないだろうな」と判断したら、それでも他の視聴者が楽しんでいる流れを切って反応してやるか、それともスパチャ自体をスルーするか、どっちを選んでも損な二択を強いられているんだよ。
お前のスパチャを見た配信者自身が内心では「ちゃんと反応してあげたい内容だ」と思っていたとしても、タイミング次第では雑に対応せざるを得ないんだよ。それはスパチャを送ったお前にとっても、雑な対応をせざるを得なかった配信者にとってもすごく不幸なことだ。
配信者のファンだ、愛しているんだと主張するなら、愛の証明としてファン歴とか配信への張り付き度合いとか使った金額とかを誇るより前に、お前が愛する対象とその活動について理解すべきこと、想像して思いやるべきことがあるだろうよ。
愛する人の活動内容をしっかり理解して、最大限楽しい配信を出来るように気を使ってやれよ。反応を求めるスパチャを送るにしても、配信の流れを汲み取って然るべきタイミングにしろよ。そういう配慮があってこその愛だろ。
配信者が人生かけてやってる芸の性質も面白みも分かってねえ、今やっている内容さえどうでもいいと思ってる、そんな人間が一方的に好きだ何だと言い寄ったところで、配信者が良い反応を返してくれる可能性はゼロだよ。
この文章はTwitter上の久我雅大氏 @4wk2wk0 のツイート
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329951527230816258
夫婦別姓に反対の方、
反対のその理由を教えて下さい。
https://twitter.com/StudioBiSHOP/status/1329967345914114048
に対する再反応
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329980375389544448
(ブログ、noteその他長文を書ける場所を他に持っていないので、ここをお借りします。)
御用とお急ぎでない方はお付き合いを。
まず前提として、
「組織だって統制と互助の行き届いた集団と、バラバラの個人主義者の集まりが集団戦をやったら、前者がほぼ間違いなく勝つ」
という考えがあります。
野球のように正面から戦う場合だけでなく、企業の生存競争とか、一族郎党とかの生き残りでも同じです。
オオカミと同じように、人間も集団で狩りをして生存競争をする生物なんです。
これは婚姻関係を肉親関係ととらえて、血族の規模を拡張して生存能力を高めようとする考え方です。
今でも伝統的な結婚式では「〇〇家 □□家 結婚式」と表題がかかげられます。
べつに天皇家や(安倍元首相の)岸一族や鳩山一族に限りません。
ちょっとした旧家では今でも結婚を機に両家の交流をつなぎ、コネや情報を融通しあって血族の存続をはかる営みが普通に行われています。
縁戚の子供を預かって面倒を見たり、分家の秀才の進学費用を融通したりと、大家族にはそれなりの長所があるんです。
自分の実家でも、妻方の姪が進学した時に下宿代わりに長く居候をしていた時期がありました。
年の近い叔父が自分の就職相談に乗ってくれたこともありました。
もちろん、大家族のもとで不遇をかこった人の存在は否定しません。
ですが、その人たちのルサンチマン(うらみ)の声と、家族制解体の声ばかりが最近は強すぎます。
「人間関係のしがらみや支配はうっとうしい、だから婚姻は両性の合意だけで成立としよう」
というのは魅力的です。
最新の人権思想とポリティカル・コレクトネスにも相性がいいので普及しやすいのは分かります。
ですがね。
そうやってトレンドに乗りやすい人たちがバリバリと旧来の家制度を解体していく、そのいっぽうで、名家、旧家(いわゆる上級国民)はコッソリと血縁集団の枠組みを維持して、自分たちの資産(カネ、コネ、権力、総合して生存能力)を温存・成長させて行くように自分には見えます。
本来なら、カネとコネと社会を渡る知恵、総じて資本と呼びますが、そういう資本に恵まれない人たちこそ、血縁と閨閥で団結しなければならないはずなんです。
自分には、夫婦別姓というのは、そこに象徴的なクサビを入れる行為に見えます。
とおっしゃるかもしれませんが、それでは嫁入り先、あるいは婿入り先の親族との互助関係についてはどうですか?
一段、薄くなったような感じがしませんか?
ですが、目先の自由さにとらわれてバラバラの弱い個人として生存を余儀なくされたら、資本に恵まれない人はますます悪条件で生きていくことになってしまいます。
目先の自由につられたワナ、については、自分のような古い人間には苦い経験があります。
(目撃経験ですが)
「組織に縛られる生き方なんてダサいぜ!」という主張が雑誌や映画に載りまくって、少なからずの(流行に乗せられやすい)人たちが正社員登用の努力をしないで、時間配分もワークスタイルも自由なアルバイトの掛け持ちを選択しました。
いっぽう、そこそこ良いレベルの四年制大学にいた自分の周囲は、そんなブームには目もくれず就職活動に没頭して大手から中堅レベルの企業に「所属」していきました。
結果はあきらか。いまでは非正規雇用の中高年たちが大問題になっています。
社会運動家たちや最近のネット世代は「新しい時代は自由人の連帯が大事」といって、血縁によらない互助組織やサロンを模索する人もいますが、自分は疑っています。
理由としては、
ここはやはり、大家族制のように最初は子供として所属して、長じて貢献を果たし、やがては家父長制の長または重鎮として判断をふるう。という育成システムのある「家制度」の方が、長い歴史の陶冶を受けている分だけ、一日の長があると自分は考えます。
というわけで、
「夫婦別姓の容認」というのは、ささいな制度の変更に見えて、その方向性の先には
VS
の二極分化が待っているように見えるのです。
……こんな感じです。
いかがでしょう?
共感は要らないとは言ってない
だから返信しなくていいしこっちが見てるとも気付かれない空リプなどはおもしろかった
私にとっての「感想不要」=私へなんかしらの圧力(評価返し、返信、交流、今後の作品について)をかけるのをやめてくれということかな?と日記書いたりトラバブコメ読んでて思った
まあ勝手に相手の気持ちを考えすぎて義理とか義務感とか感じやす過ぎるんだと思う
相手がそんなこと求めてるかどうかなんて確認する術はないんだからおかしな話だけどなかなかやめらんないね
でもリアルの対人関係では割といい方向に働いてる性格特性ではあると思うから矯正するつもりもないけど
トラバブコメが付くとおもしろいのも空リプとかと似てて反応しようがしまいが自由なところかもね
はてなだと勝手に反応してみたいなと思ったところだけに言及することができるけど同人では厳しい。少なくとも私の現況では
気まぐれにやれる環境を構築できればTwitterとかでもそうすることもできるんだろうなあ
でもまだそこまでやれてないから、誰か1人に反応返しすることで感想を欲していると勘違いされたら困るって不安がある
「私の気持ち的負担にならない感想」なんて「空リプ感想」とか一言で表せるものではなくて、たとえ言語化したって私以外には完全には伝わらない。当たり前だけど
大体の感想に気持ち的負担を感じる要素が含まれていることを思えば一律欲しくない人だって思われてるのが一番楽だよね
「私こんなに繊細で、こうこうこういう内容で、こうこうこういう手段で送信された感想以外は受け付けないんです〜〜〜」なんて素振りを見せたらそれこそまともに人を気遣えるような人だけ遠ざけて、ヤバい奴らだけが私にヤバい感想を送ってくる未来が目に見えてる
だからこちらへの気遣いに関する要望って自分で言語化しちゃいけないんだと思う
なぜか雰囲気で察してくれる人って中にはいて、同人を通じて仲良くなれたのってそういう人ばかりだ
そういう人って不思議ではあったけど、多分非言語性コミュニケーションの上手な人なんだろうなと話してて思う
察してちゃんと言われる人の悪いところは「察して」って素振りがバレバレなところで、「察しても察さなくてもいいよ」って気持ちを出せるようにうまくやりたいなと思う
理想の上では、なので察してちゃんになってしまう危険性は多分に孕んでいるので気を付けたい
元増にも書いた内容の補足だけどこの辺が「感想不要」って書かない理由
色んな対応を割と長い創作歴の中で模索してきて、さらに色んなリスクを勝手に想像してそれ自体をストレスに感じてしまう性質がゆえに「そういう雰囲気を出す」のがベストという結論になってるだけ
こっちも似た雰囲気を出してる人と仲良くなりたいので、言語で表明するスタイルに変えてしまうと似た雰囲気を出してる人達の方から攻撃的と思われて来てもらいづらくなってしまう
非言語性コミュニケーションが苦手な人からすると困るのはわかるけどこっちも内心色々思うところはあれどスルーするので適当にやってほしい
こんなこと聞いて煽られているって思われると知ったとしたらどんな気持ち?
勿論特定個人とそれと似た人々を煽っているので、言外の意図を正しく読み取ってくれてありがとうございますという気持ち
まあ私が煽っている人が見たとしても、煽られてるとか思わずにただなぜかイライラしてTwitterでシャドーボクシングしてしまうだけな気もするけど
要は元増に書いた感想欲しくてしょうがないけど貰えない過激派のことです
私がTwitterに絵を投稿した後いつも通りエゴサをしていたら、過激派が空リプ感想、というか私個人と仲良くなりたそうな内容をチラチラチラチラ数ツイートに渡って書いていた
なかなかそういう人はいないので面白すぎてしばらく観察していたら、私がなんかツイートするたびに私信らしきものを飛ばしてきていた
初期の私信の内容は距離感がやばすぎて気持ち悪かったけどまあ好意的と取れるものだった
それを無視し続けていると、無視し続けていること自体が理由かどうかはよくわからないけど、私信が憎しみに変わっていった
私に無視されてるから私のことが憎くて仕方なくなってるんだとしたらおかしな話だよ
だって上述の「インターネット上で似た雰囲気を出してたので(即売会で話して)仲良くなった旧友たち」以外には誰にもリプしたりしてないのにどうしてフォロバやいいねRTなどをしてもらえると期待した?
そもそも作品のいいねRTは友達のツイートであってもしていない
勝手に義務感を持ちやすい性格を自覚しているのでTwitterに四六時中張り付いていいねRTマシーンと化さないために一律しないことにしているのだ
過激派は私の旧友のひとりもフォローしていて、たまたまリプをし合った直後に交流を羨ましがるツイート、RTしてもらえたらなあなどの発言をしていたので反応を期待されてたという理解をした
まあなぜ私がその友達と仲が良いのかなんて本人同士しか知らないし、旧友だってことすら大半の人にはわからないだろう
相手の中で多分好意っぽい感情だったのが憎しみっぽい何かに変わっていく過程を見るのは本当に面白かったので嫌だったとかストレスだったとかは特にない
相手が私の好きな人であればストレスだったんだろうけど私は相手のことをなんとなく嫌いで正直言うとどうしても見下す気持ちが湧いてしまうからむしろちょっと快感だしなあ
でも今もTwitter上で私に呪詛を吐き、嘘つきだとか世間に媚びすぎて無個性だとか負けないとか作品で見返してやるとかなんとか、頑張ってマウント取ろうとしてくる相手を煽り返したかった
私は「本当は感想が欲しくてしょうがないのに『感想?別にあってもなくてもどっちでもいいですけど?』みたいな態度をしている」わけではないので嘘つきではないし、世間に媚びているのではなくてたまたま私の大好きなものを世間も好きだったからその恩恵に肖って多少の反応を貰えているだけだし、無個性と言われりゃ無個性なのかもしれないけど過激派の言う個性は技術を磨かないための言い訳でしかないし、個性とは技術という基礎があってその上に成り立つものなのにそこをめんどくさがって、誰に向けてかたくさん言い訳をして個性とやらに執着しているような人に評価数で負けることもその人の作品を見直すこともない。勿論それを自覚して改善したとすれば別だけど
私の思う"ダサさ"のすべてを詰め込んだような人だよ
相手から言わせりゃ卑怯なんだろうけど私もこういう点では向こう見ずではないので、相手に毒マロを送ったり、ましてや本垢で直接でこういう意見を表明したりはしない
色んなオタクをやってきたが、例外はあれど大体認知貰ったら冷めるという最悪な人間をしている。
学生の頃、ある俳優さんが大好きだった。所謂リアコ。舞台やイベントも絶対行った。学生でお金なかったから沢山は通えなかったけど、でも絶対に行った。
ここで私は、こんなに貴方のことが大好きな人がここにいるんだよ!!というのを本人に知って欲しい!と思うようになった。認知厨の目覚めである。
でも接触で「名前○○です!覚えて!」とはなるべく言わない。それ言って結局覚えてもらってなかったら悲しいし恥ずかしいから。でもどうにかしてインパクト残らないかな、みたいなことは考えてた。
ある時、その俳優さんの結構ゆっくり話せる接触イベントがあった。もちろん行った。
そして私はとうとう言ってしまったのだった。どうしても耐えられなかった。確認がしたくなってしまったのだ。こんなに貴方のことを想っている私を知ってくれているのかと。
「私のこと覚えてますか?」
そう言うと、彼は、
「もちろん!この間も来てくれましたよね!いつもありがとうございます!」
と笑顔で言ってくれた。
全部報われたと思った。お金無い中頑張って行った舞台やイベント、必死に想いを綴った手紙、流れ作業の接触の時どうやったら一言で想いを伝えられるか考えていた時間も、全部報われたと思った。私はそこでかなり満足してしまった。
その後私は彼のイベントに行くことはなかった。
舞台には数回行ったけど。タイミングが悪かったとかもあって接触のあるイベントはあれから行かなかったと思う。そうなったのは認知されたから、という理由だけでは無かったけど、結局それが引き金にもなったと感じる。
今思えば結構最悪だと思う。いつも来てくれてる子にいつもありがとうって言った途端来なくなった、ということだから。本当に酷い。
次のジャンルは現場行ったら全員知り合いみたいな狭い狭い界隈で、接触イベントも沢山あったし、推しからの認知はまあ当たり前みたいな感じだった。だからそこでは認知されてすぐ冷めたりはしなかった。けど、結果的には冷めた。
そこでこそ冷めた理由は沢山あったけど、まあ言うとすれば、推しが私のプレゼントをずっと身につけてくれてたのに急に付けなくなってて、あれなんで付けなくなったの?!ってケンカしてからだと思う。文字で見ると本当に最悪なオタクで笑う。
これはプレを付けなくなったから冷めたんじゃなくて、「推しとケンカ」というマウント行為を取れたので満足したということ。ケンカって結構上級ランクのマウントだと思うんですよ。だってケンカって仲良く無いと出来ないから。
その次はまた推しとの距離が近いジャンルで、出待ちとかもしまくったし、なんならDMとかもしてた。(プライベートで会うとかはしてない)(謎のポリシー)
この時も認知されてすぐは飽きなかった。けど、1番デカかった出来事と言えば、出待ちする前に「渡したい物あるんだけど今日終わったら急いで出ます?」って聞いたら「今日はゆっくり出るよ」って言ってたので、私もゆっくりしてたら、「ごめん予定変わってすぐ出る」って連絡来て、え?!って急いで準備して裏口向かって、「もう出ちゃいました?」って連絡したら、
彼はその私の返事を待ってから出て来てくれたこと、それは本当に衝撃だった。
その時の優越感はかなりエグかった。うわ、今この人私の為だけに出て来てくれたんだ、って。
本当に最低だけど、確かそれ以降に彼の出待ちすることは無くなった。
それからちょっと反省して、認知されて終わりじゃないぞ!と思いながらオタクするようにした。
だから現在のジャンルでは、接触で「いつもありがとう」って言ってくれたり、舞台上から私を見つけて笑顔見せてくれたり、SNSで特大私信何回もしてくれたり、プレ使ってるアピールしてくれたりしても、全然冷めなかった。全然飽きなかった、んだけどそろそろヤバい。ごめん。
とかなんとか言ってたら独身アラサーになってたからみんな気をつけなよ!!!!
別にすごい後悔してるわけじゃないしオタクしてんのめちゃくちゃ楽しいし幸せだって思うけど、この熱量もっと別で使えたんじゃないのかなとは思う。