はてなキーワード: 禁忌とは
全然関係ないんだけど、TENETでキャット役やってるエリザベス・デビッキという女優さんいるやん。
私あの人と同じような細さなんだけど、デコルテに肋骨がめちゃくちゃ浮いてて怖いのよ。
でもエリザベス・デビッキのデコルテは肋骨浮いてないしめちゃくちゃ綺麗なの。羨ましい。
BMI17.5まで体重増やしたことあるけど、その時も余裕で肋骨浮いてた。だからデコルテは常に隠さないとダメ。
それ以前に日光過敏症だから一年中長袖と長ズボン(orロングスカート)縛りなんだけどさ。
ちなみに自分の骨格タイプは不明。ネット診断だとウェーブとナチュラルのハーフ&ハーフっぽい。
骨格タイプに合わせて服を揃えると今まで着たことがない服を買わなきゃいけなくなるので、楽しそうだけどめっちゃ金かかりそう。まあ世界が広がりそうだから金かかっても良いかなくらいには思ってる。
「性的な目的で考案、作成された衣装(A)」又は「元は異なる目的のものであってもある状況下で性的な目的に用いられるとのコンセンサスが社会的に生じた衣装(A')」を指すと仮定する。
たとえば「穴あき下着」は前者A、「亀甲縛り」は後者A'の例だろう。そして、それらが批判の対象とされるのは、
「それらが性的な喚起力を高くもつとの合意が現に社会的に維持されている(B)」こと、そして「性的存在として眼差すことへの禁忌が社会的に存在する対象にそれらの衣装を着ける(C)」ような場合(つまりAorA'、かつB&Cの場合)と仮定する。この場合、結果として現れる表象それ自体が公序良俗の取り締まり基準を満たしているか否か(D)とは、また別の問題として扱う必要がある(Dは、どんな文脈でも社会的に提示するのは一発アウト、みたいな基準と考えられたい。生性器のドアップ写真、とか。ただこの場合も、「公序」の制限とかけはなれた特殊な状況、場所で許容されるのは言うまでもない。医学書とか。)。
以上を前提として、先日話題になった「オーストラリアのH&M広告炎上」の件と、昨日来話題の「咲バニーガール衣装」の件を合わせ論じたい。先に結論を述べれば、A~Cの基準が異なれば議論が噛み合わないのは当然であり、相手を非常識扱いしてヒートアップするのではなく「相手との間で異なっているのは何か」を考える必要がある。相手が、いかなる表現も100%許されると考えている人(つまりDなどないよ派)でない限りは、見解が異なるだけで、対話の余地はあるはずだからである。ではまず、オーストラリアH&Mの件を整理しよう。
オーストラリアのH&Mが子供向けに「新学期ファッション」をテーマとした広告を打った。広告は、通学バスの社会を想起させる色合い・デザインの背景に、かわいい通学服を着た女児2名がちょっと生意気そうな雰囲気で振り返り、「この子らを新学期ファッションに振り向かせよう」みたいな煽り文句がついていた。これが炎上・謝罪・撤回に追い込まれた件である。
まず、この広告がDに違反していないことは言うまでもなく、それでも炎上したことに対して、いろいろと文句をつける人がいた。多くの人は「こんな程度でいちいち文句をつけるなんてちょっとヒステリックでは…」みたいな反応であり、個人的にそう感じる気持ちもよく分かるのだが、でもちょっと待ってほしい。女児の制服をファッションとして扱うのは、このキャンペーンがまさに狙っていることであり、ファッションを一種の性的喚起力だととらえるなら、この広告は「生意気そうなモデルの表情」「かわいい制服」といった文脈で、Bを印象付けたわけであり、その結果、制服がもともともつA'の文脈(制服に対して性的視線を向けるという界隈の文脈)を喚起した結果、Cに抵触する(保護されるべき女児に制服を着せあざとい表情をさせて晒し上げる)という批判を生んだという風に考えることができる。このことは、A'に陥りがちな服装をファッショナブルな(あるいは扇情的な)存在として扱うときには常に注意すべき危険であり、BからA'→C違反、という道筋がすぐ描かれてしまうことに、広告関係者は神経を尖らせる必要があるだろう。その意味でこれは、「月曜日のたわわ」の一件との連続性が高い問題だった。あれも、Dには全く違反しておらず、おそらく制服でなければ問題化もしなかった広告が、一言の少しだけ扇情的なキャッチコピーを添えられただけで炎上したが、これはもともと危うい位置にある存在で更に一歩危うい方向へと歩を進めることで起きたトラブルなのだと考えるのが適切である。
ただし、表現とは常に時代の尖端で社会の常識と切り結ぶのが仕事であり、そういう突破力を否定し切るのもいかがかと思う。社会的に(まだ)アウトですよ、と指摘するのはいいが、相手を悪魔化したり、あまつさえ、様々な社会の問題の根源や責任がそこにあるかのように攻撃したりするのは、慎むべきだ。社会の様々な問題は、多くの場合間違いなく社会そのものの中に有り、そちらをまず片づけるべきである。ゴミの多い都会を描いた漫画があるとすれば、取り組むべきは都会のゴミをまず片付けることであって、漫画の取り締まりではない。
次に、「咲にバニースーツ着せた姿の広告が炎上」した件。これに対して「高校生にバニーガールなどという性的な衣装を着せた絵が広告として駅頭に出るとは、常識外れもはなはだしい」という指摘が出た件である。一見すると、上のオーストラリアの件以上にひどい案件に聞こえ、即取り締まられてもおかしくないように感じられることだろう。この場合、それが一般的な公序良俗違反(D)の案件である必要はない。たとえば、制服の上から亀甲縛りをした少女を描いた広告にOKが出るか、と考えてみればすぐ分かる話だ。Dに違反していなくても、これはA'かつBかつCで明白にアウトである。では、「咲+バニースーツ」はどうなのか?
バニースーツがAであることは誰も否定はしない。従って、論点は、B「それが性的な喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか」、また、高校生が「性的存在として眼差すことへの禁忌が社会的に存在する」ことは前提とした上で、これらの少女が「高校生である」ことが明示されているか、の2点ということになる。
C 「咲」に登場する少女が高校生であることは明示されているか? これについては、残念ながらこの広告に関する限り、疑わしいとしか言えない。批判者は咲が麻雀部に所属する高校生であるとの知識をもって批判しているが、咲はそこまで社会的認知度が高い漫画ではない。アニメ化されたとはいえ視聴率は1%に届かない程度、DVD売り上げでも、1期7758枚、2期4939枚、3期4565枚…。(※)アニメファンには実写化、映画化……とされた人気作のイメージがあるかもしれないが、社会現象になった数々の作品に比べれば売り上げが一桁少ない。加えて作品ジャンルが「麻雀」という、一般的にいって高校生とは結び付けづらいものだ。この広告を見た多くの人が「高校生にバニースーツ」という風に見る、と主張するのは難しい。ただし、一定年齢層以上の人で、アニメ画は全て少女(ロリ)にしか見えない、という意見をお持ちの方がいることも、一応認識はしている。
(※DVD売り上げはhttps://nizilove.com/category/number-of-anime-sales/page/2/の値。)
B それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか? おそらく批判者が一番「何を言ってるんだ?!」と思うポイントであり、今回一番議論が噛み合っていないところだと思うが、Aのような服装が時代を下るにつれてBの意味合いを失っていくことは、歴史的にはよくあることである。たとえば、髪型一つとっても、「結わない髪は淫らである」といった固定観念が、遊女などの流行を取り入れつつ徐々に変遷し(※)、現代の人は単に「かわいい」という感覚で振り乱した髪の毛を奔放になびかせているのはご存じのとおりだ。「そんな髪型は昔は遊女が流行らせたもので…」と説教をして、いま、一体誰が首肯するだろう? 時代が下ればある衣装が「もともともっていた意味合い」が薄れていっても、何も不思議はない。つまり、たとえAであったとしても、時代によってBではなくなるということは別に不思議ではないのだ。
(※たとえば参考:「『女髪結』考」https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21365/files/KU-1100-19940930-01.pdf)
では、バニー衣装はどうなのか、といえば、これはまさに時代が変化しつつある過程なのではないかと思われる。自分は決して専門の立場ではないが、そもそも夜の店の主流がキャバレー→キャバクラ等へと変遷していく過程で、「性的な接待衣装としてのバニーガール姿」というのはもはや古典的なイコンとなり、現役の「風俗衣装」としての意味合いをかなり失いつつあるのではないか。たとえば「社長さん」御用達で半世紀以上の歴史を誇る「エスカイヤクラブ」では、支援の声を受けて「ワンランク上のおもてなし」としてバニーガールによる接待をうたっている(https://www.esquire-club.co.jp/general/about01/)が、これなど、バニーガール姿がほとんと「祇園の芸妓」的な存在と化しつつあることの表れではないだろうか? そもそもの出発点においてからが極めてトレードマーク・コスプレ的な衣装であったバニーガール衣装が、現代においてコスプレ的ではなく生き延びている事例というのがどれほどあるだろう。
そのような時代の変化の過程において、「バニースーツは性的!」という批判と「ただのコスプレじゃん?」という意見が、まさにBをめぐる議論として立ち現れてくるのならば理解ができるし、それははっきり言えば単なる「時代感覚の差」の問題に過ぎないと思われるのだ。たとえば、高校生が文化祭でメイド服を着る、あるいは、小・中学生が習い事でポールダンスを学ぶ……ある年代以上の人からすると、目が点になるのか三角になるのか知らないが、そんな事例であろう。だがそれらは、時代の変化の中で起こるべくして起こる変化の一様態でしかない。
つまり、これらは決して表現の自由だとか差別とかいった問題ではなく、単なる「年寄りと若者の時代感覚の違い」に起因する問題だと認識した方がいいと思う。ならば、相互に批判しあう人たちも、この問題からいずれも学ぶことがあるはずなのだ。こういった問題で、敵味方を作ってがあがあがなりたてるのはよろしくない。何よりも必要なのは、分断ではなく対話と理解であるはずなのだから。
自分の子にも等しいキャラクターの人物像をねじ曲げ、性行為させたりジャンルによっては強姦や傷害するのは原作者を深く傷つけることもあると思うが、これが「表現の自由」で肯定されるなら原作改変だって肯定されるべきだよね。
「二次創作がアマチュアの手によるものだから」という理由が、人を傷つけたり自殺に追い込む可能性があることを肯定する根拠にはならない。
例えばBLでナマモノ(実在の人物の二次創作)が禁忌とされ、大っぴらに活動することを忌避していることが、二次創作が人の魂を傷付ける刃物になりうることをどこかで自覚していることの現れだろう。
例に出したBLは二次創作全体の極一部だが、加害の可能性に無自覚、あるいは自覚しながら加害の可能性を無視する方が悪質だ。
今まで身内で肯定しあうかファンネルを飛ばして反対意見をねじ伏せて言い逃れてきたが、「原作者への加害」という問題にどう向き合う?
結局パルワールドの件で燃えているのって、ポケモンのブランディングの影響でしょう。
ゲーム的な面白さという点ではだいぶ以前からポケモンは低評価がされつつあって、批判の一つに組み上げたブランドに胡座をかいている、みたいな話がある。
逆に言えば、胡座をかけるくらいには世界的なブランドとして成立しているわけじゃん。
ポケモンという不思議な生き物について、可能な限り愛らしく隣人として存在し、データではなく友人としての扱いを心がけ、暴力的な描写については極力誤魔化し、ぼかし、触れるにしても悪印象を可能な限り避けるように取り計らってきているわけで。
そのブランディング自体は成功していて、全世界の子供を含めた人々に愛されるコンテンツとして成立しているという点では、本当に稀有な存在なわけで。
じゃあ、そのブランドを真っ向からぶち破るのを見た時、どうなるかってったら「よくやってくれた」と「よくもやってくれた」の二つしかないわけじゃん。
ブランドを愛していた側からすれば、ゲーフリ株ポケ任天堂が自縄自縛で雁字搦めの中でなんとか継続しているコンテンツの禁忌を平然と、しかもわざわざ似せてまでされたら冒涜されたような気になるに決まってる。
ブランドを疎んでいたり、大した興味がない側からすれば、今までぼかされたり誤魔化されたりしたところに真正面から取り組み、しかもゲーム性は(どのような組み合わせであれ)洗練されているのだから絶賛しても足りない。
ブランドの問題なんだから自意識に絡みついてくるし、感情的な反論も増えるのは(正しい訳でもないだろうが)理解できる。
そのブランドを築き上げて来たのはポケモン側なんだから、ある意味予期されていたことでもあって、それが正しい形に結実するのか、あるいは間違った形に結実するのかはこれからわかることだろう。
「屋根裏部屋の花たち」のwikipedia、映画中心で描いてて原作やらドラマ化について全然書いてない
そのうち加筆しようと思うけどちゃんと調べるため読み返すのもなかなかだるい
そのうち誰か書いてくれるかもしれんが
・ざっくりネタバレあらすじ
普通に幸せに暮らしてた両親+4人兄弟が、父親の死によって金無し貧乏になり、母の実家に戻ることになる
実は父母は、「叔父と姪」という許されざる関係の末に駆け落ち結婚していた
しかも叔父は不倫によってできた忌まわしき婚外子のため、祖父(主人公の/母の父にして父の兄)はガチのマジで二人の関係にいまだに激怒してる
大富豪である祖父は今病気で死にかけており、死ねば遺産を相続できる
死ぬのを待ち、母は4人兄弟を屋根裏部屋にしばらく隠す(祖母や一部の使用人は4人のことを知っており、食事など運ぶ)
祖父は帰ってきた母を喜んで受け入れ、「あんな男と結ばれていたのは許せないが、近親相姦の子をつくるという禁忌までは犯していなくてよかった」と喜んだ
兄弟らは母が外に出してくれるのをじっと待ち続けていたが、母は豪奢な実家での暮らしに「ここが本来私のいるべきところだわ~」と浮かれ、次第に子供のことなんかどうでもよくなる
祖父がようやく死んでフリーになっても、子供たちにまだ生きていると嘘をついて屋根裏に閉じ込め、新しい恋をしてそちらに夢中に
外から隔離された生活の中で長男と長女は同世代の異性が他にはいないからと近親相姦してしまう
やがて末っ子が病気になり、必死に手当するも医者にも見てもらえない中で死亡
その後シリーズ化し、外の世界でバレエやったり医者目指したり、他の相手と恋愛するも結局長男と長女は夫妻になったりする
原作では、美貌に自信があり年頃になったら恋愛したりしたいわ~と憧れていた長女が、そんなことできない屋根裏部屋の生活に不満を持つ
無邪気を装って、女性的になっていく自らの下着姿を兄に披露し、兄が恥じらう顔を見て「私ってやっぱり女として魅力あるよねー」と自尊心を満たしたりしていた
兄は長女にむらむらしまくるが妹相手なのでがんばってまともな兄のふりをしているが、同年代の子は普通に学校に行けてる時期にまともに学べないストレスなどでだいぶ精神をやられている
しかし長女の方も散々兄をたぶらかす振る舞いをして追い詰めていた自覚はあったので、互いに許し合う
この時点で兄17で妹15ぐらいだっけな?もっと前後してるかもしれない
映画では近親相姦設定展開はカットされ、普通に仲のいい励まし合う兄と妹
こないだはそこまで罵倒じゃないけどへんな雄叫びを連投(しかも脈絡なくトラバ)してるやつおって25件こえたとこで「そろそろ通報すっか」っていったら連投とまって「ごめんなさい」って全件に追記しててワロタ
・字下げ増田。よくやってるのは気に食わない判事の個人名さらしとか、hatena有罪判決風怪文書とか、犯罪自白とかも通報すると早めに消える。字下げはもうカテゴリだね……
・ひどい罵倒でも言い返してると「その場で公平な言い返しが発生して対話になってるから消さないよ。(いっかいいっとくけどあんまりバカを煽るなよおまえも)」(意訳)みたいなのが来たことあるね。
・自主的に消すヤツはたくさんみかける。翌朝になったら消えてるやつな、酒飲んで管を巻きにきてて翌朝正気になるんだろうな。あとどうみても失敗した釣りのヤツとか矛盾つくと消えるね(大体古い昭和ネタを今だに擦ってる系が見分けやすい)。
・思い出深いヤツは宗教での禁忌を犯すために増田にきてたらしく矛盾点ついてたらだんだん神がバレて「おまえの神に告げ口すんぞ」っていったら数百件は消してた
運営に「オレの全部消して」って頼んでも普通は通らないものだ(とおもう)から自力にしてはすげーな、さすが宗教マン、でも消すくらいなら最初からやるなアホがっておもった
・自主的に消したんだとおもうけどhatenaのロボット対策の人間性クイズが気に食わないっていって解答集投稿してグーグルのサービスつかえって強要してた増田、「グーグルのサービスの年額がアクセス数に応じて~数百億円かかる」ことを指摘したら遅ればせながら消してた
これやで
https://togetter.com/li/2284317
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最近、ちょっと微妙かなという案件をツイートする時は、「拘泥」とか「禁忌」とか、国語知識が必要な単語を混ぜるようにしている。クソリプが減った。マジで。